ケータイ小説の「リアル」について
2008年 01月 20日
中学生のリアルと大人のリアルはちょっと違う - [Z]ZAPAブロ~グ2.0
タイトルを観てふと思ったのですが、中学生は「リアル」という言葉を「本物みたい」といった意味とは別の意味で使っているという説はどうだろう。
「ヤバイ」とか「カワイイ」のように。
たとえば、「感情移入した」というのを表現するのに、「やばい、これちょーリアル」などと言う、みたいな。
いや、実際に中学生がケータイ小説を「リアル」と評している様子を目にしたことがないので、てきとーに言っているだけだけどね。
もし「本物みたい」という意味での「リアル」だとしたら、ケータイ小説というものが中学生にとっての「リアル感」を増幅させる仕組みを持っているのかも・・・と思う。
おそらく方々で考察されているだろうけど、たとえば、メールを読むような感覚で読むことで日常(普通の友達とのメールのやり取り)の延長線上であるかのような感覚になるとか、ケータイ小説はできるだけ文字数を省略しようとするので人物描写や情景描写が薄くなりがちなわけだけど(推測ですが)、その情報量の少なさを読者が自分自身の想像力(自分にとっての「リアル」なイメージ)で補うことでリアルさが増すとか。
だとすると、逆に言えば、ケータイ小説ではいわゆる「私小説」的な物語じゃないと受けないのではないかな。
読み手がリアル感を補えるような内容なり設定でないと、「リアル感を増幅させる仕組み」が活きないから。
タイトルを観てふと思ったのですが、中学生は「リアル」という言葉を「本物みたい」といった意味とは別の意味で使っているという説はどうだろう。
「ヤバイ」とか「カワイイ」のように。
たとえば、「感情移入した」というのを表現するのに、「やばい、これちょーリアル」などと言う、みたいな。
いや、実際に中学生がケータイ小説を「リアル」と評している様子を目にしたことがないので、てきとーに言っているだけだけどね。
もし「本物みたい」という意味での「リアル」だとしたら、ケータイ小説というものが中学生にとっての「リアル感」を増幅させる仕組みを持っているのかも・・・と思う。
おそらく方々で考察されているだろうけど、たとえば、メールを読むような感覚で読むことで日常(普通の友達とのメールのやり取り)の延長線上であるかのような感覚になるとか、ケータイ小説はできるだけ文字数を省略しようとするので人物描写や情景描写が薄くなりがちなわけだけど(推測ですが)、その情報量の少なさを読者が自分自身の想像力(自分にとっての「リアル」なイメージ)で補うことでリアルさが増すとか。
だとすると、逆に言えば、ケータイ小説ではいわゆる「私小説」的な物語じゃないと受けないのではないかな。
読み手がリアル感を補えるような内容なり設定でないと、「リアル感を増幅させる仕組み」が活きないから。
by kude104
| 2008-01-20 16:47
| PC&ネット