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世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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宗教はなぜ他人にも広めようとするのか

不倒城: 匿名ダイアリーの宗教議論が面白い

ぼくも、宗教は自分だけが信じている分には害はないけど、他人にも広めようとするところが煩わしいなと思う。
ま、それはなにも宗教に限ったことではないのだけど。
自分の価値観を他人に押し付けないというのは、コミュニケーションの基本じゃないでしょうか。

それで言えば、無宗教の人が、宗教を信じている人に対して、宗教を否定する考えを押し付けるのも表裏一体だと思う。
それは、「無宗教」教という宗教を広めようとする布教活動と同じだと思うんですよね。
良い悪いは別にして。

ところで、宗教にも、他人に広めようという気があまりなさそうなものもありますよね。
ぼくが知らないだけかもしれないけど、たとえば「禅宗」とかは、布教活動しているのをあまり見聞きしないです。

で、そのへん、外に広がろうとする宗教とそうでない宗教との違いはなんだろうと考えてみるわけですが、ひとつには、「世界を救う」ことを目的に掲げる宗教は外に広がろうとすると見て良いでしょう。
「自分たちを救うためには世界を変えるしかない」という思想の宗教も同じです。
要するに、世界を変えようとする宗教ですね。
これは当然で、広がらなければ世界を変えられませんから。

次に、ある程度以上の規模で組織的な宗教は、外に広がろうとすると見て良いでしょう。
絶対とは言えませんが、基本的にはそういう傾向になるはず。
なぜなら、組織というものは拡大せずにはいられないからです。
俗っぽい話ですが、組織を運営しようと思ったら金が要ります。
金を集めるには会員(信者)を増やす必要があります。
また、組織というのは、たいていピラミッド構造の階級制になります。
このピラミッドの頭の部分というのは、時間とともに、まず間違いなく肥大化します。
それは人数の増加であったり、権力の強化であったりするわけですが、いずれにしても、それを支えるために裾野を広げる必要が出てくるわけです。

そして最後に、信仰によって得られる快感なり救いなりが、他者との共感や共同作業によってもたらされる構造の宗教というのは、外に広がろうとする。
これは、そういう体験をした信者が、その体験をより多くの人と共感したくなって自分の知り合いなどを誘おうとするからです。

逆に言えば、上記条件を持たない宗教は広まらないでしょう。
広まらないということは、ほぼいずれ消滅するということですから、現存する宗教は多かれ少なかれ外に広がろうとする――すなわち、他人に広めようとすると言えるでしょうね。
それが宗教の性質だと言っても良いんじゃないでしょうか。

組織論で観た場合、宗教活動も企業活動と同じ――と言い切っちゃうと、さすがに語弊があるかな。
でも、単なる企業活動であれば、セガかソニーかニンテンドーかで殺し合いまでしなくて済むけど、敬虔な信者さんからしたら、信仰というのは自分の価値観でありアイデンティティーであり家族であり愛であり幸福であり世界の秩序であるわけで、それを否定されて冷静さを失う気持ちは分からないではない。

だからこそ、禅宗の、自分の内へ内へと潜っていくような信仰(?)の有り方は面白いなぁと思うのです。
他人がどう思おうが全否定されようが、「悟り」が自分の中にある以上、関係ないもんね。
禅宗はたぶん、宗教じゃねぇんだろうなぁ、きっと。
あれはたぶん、哲学でしょうね。
by kude104 | 2007-06-23 23:59