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世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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「祭り事」の政治

最近政治についてモヤモヤと考えるのだけど、「国民一人一人がきちんと候補者を選んで投票すれば政治はよくなる」というのは、結局のところ幻想なんじゃないかなーという気がする。
絵に描いた餅とでも言おうか、「みんな仲良くすれば世界は平和になる」ってのと似たり寄ったりなんじゃないかなぁ。

集団の中に、そもそも理知的に判断して行動できる能力を持ったひとって、いったいどれくらいいるのだろうね。
加えて、そのひとが理知的に判断して行動できるだけの情報なり状況なりが整っているケースってどのくらいあるのだろう。
そう考えると、やはり冒頭のように考えてしまう。

ならば。
すべてのひとが――覚悟としては大多数の人が、理知的に候補者を選ぶ/選べるわけではない、ということを前提に選挙というものを考えたほうがいいのではないだろうか。

大衆というものを考えた場合、大多数の人は理性ではなく感情で行動すると捉えるなら。
選挙というものは、理知的に判断しうる(と自認する)少数が、いかに大多数の感情に訴えるか、という戦いなのではなかろうか。
つまり、理知的な政策を、どのように感情的なコトバに変換するか。
下手をすればヒトラーみたいなのが生まれちゃうのだけど、マツリゴトというのはやはり本質的に「祭り事」なのだろうと思う。

で、感情に訴えるには、共同体に、その共同体意識を刺激する言葉を投げかけるのがたぶんもっとも効果的で、だから、共同体が解体されて個人個人がバラバラに投票するようになればなるほど、選挙への関心が低下するのだろう。

よって、いまの時代に政治を活性化させようと思ったら、よい政策を掲げ、その政策の支持者となる人々を組織化し、その共同体の感情を刺激してやる必要があるだろう。
そこまでしないとダメなんじゃないだろうか。
by kude104 | 2009-07-17 23:59 | 時事・社会