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世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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もののけ

ぼくの中では、宮崎アニメの底辺近くに位置していた『もののけ姫』ですが、久しぶりにじっくり観たらけっこう楽しめました。
とはいえ、見終わった後に、やはりスッキリしないものが残るのも事実です。

ひとつには、アシタカがカヤから貰った「玉の小刀」をサンにあげちゃうところ。
カヤは明らかにアシタカに惚れているわけで、そーゆー相手から「私の代わりに」と貰ったものを別の女性にあげちゃうのは、いいのか?
あの小刀にアシタカとの繋がりを込めたカヤが不憫でなりませぬ。

そしてもうひとつは、「シシ神殺し」について。

『もののけ姫』を「人間と自然の共存のあり方を問う」物語としてみると、「シシ神殺し」が始まるまでは、タタラ場を守るエボシとシシ神の森を守るサンとの対立の構造で、分かり易い。
しかも、両者にそれぞれ "正義" があって、単純に「自然を大切に」じゃないところが「『もののけ姫』って面白いよね」と観ていられます。

ところが、突如として始まる「シシ神殺し」で、物語の方向性がいきなりブレる。

まず、エボシとサンの対立じゃなくなる。
なんか猪やら唐笠連やら地侍やらディダラボッチやらいろいろワーッと出てきてシッチャカメッチャカに掻き回すもんだから、最後の最後に、「この物語って、何と何の対立構造だったけ?」と見失ってしまいます。

だいたい、「シシ神殺し」は誰が見たって「そりゃ、やっちゃダメだろ」と思う行為に描かれています。
殺した途端にドえらいことになってしまって、森は死ぬわ人は死ぬわで、「ああ、やっぱり自然を大切に!」とか思ってしまいそうになるんだけど、ちょっと待てよと。
『もののけ姫』ってそういうテーマの物語じゃなかったはずだよな?と。

その行為にエボシが率先して絡んでいることで、さらに分からなくなります。
エボシの "正義" はタタラ場の人々の暮らしを守るというところで成立していたのに、彼らの命を危険に晒しても「シシ神殺し」を敢行する姿に、「あれ? なんかエボシ、間違っているっぽい」と思えてきます。

となると、「ああ。やっぱりテーマは、自然を大切にってことなのね・・・」と、ちょっとガッカリしちゃうわけです。
ところがところが、シシ神の首を返した途端、今度は逆に人間の住み良い自然が現れて、なんか大団円みたいな音楽まで流れ出す。

「ええっ?! これって結果オーライってこと? つまり、シシ神殺して正解ってこと?」と混乱するぼくに畳み掛けるように、アシタカが「共に生きよう」と晴れやかに宣言して幕が降ります。

・・・正直、この怒涛の展開には、ちょっとついていけない。

『もものけ姫』がイマイチ受けが悪かった理由は、きっと、テーマの難解さとかそういうのではなく、単に「ラストに無理をしたから」なんじゃないかと思います。

実際のところがどうかは知りませんが、「シシ神殺し」~「ディダラボッチの大災厄」~「はなさかじじい」までの一連の展開は、おそらく「映画的なスペクタクル」を意図して組まれたプロットだろうと思いますが、そのせいでテーマ的に分かり難くなったんじゃないかなぁ。

・・・とまぁ、そんな感じです。
ちなみに、一箇所『もののけ』じゃなく『もものけ』を混ぜてみたんですが、気付きました?
by kude104 | 2004-11-20 17:32 | 映画