世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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「火の鳥は近親相姦があるけど規制?」 猪瀬副知事「されません」「傑作であれば、条例なんてないも同然」 - 痛いニュース

東京都の青少年健全育成条例改正案については、いわゆる「子どもに悪影響を及ぼしそうなものは、一般の販路とは別になるよう規制しましょう」という部分については、そりゃもっともなことであるよと思う。

もちろん、有害なものをすべて隠した無菌室のようなところで育った子どもは大丈夫か?という思いはある。
でもまぁそのへんは子どもってたくましいから、どこからともなくエロを仕入れてくるだろうという気もするから、まぁいいか――と。

問題は、有害無害の線引きを誰がどのように決めるのか?というところだろう。
条例の反対派の多くも、この点を強く懸念していたように思う。
結局、条例の改正案は成立してしまったわけで、結果的には反対派の敗北と言えるだろう。
なぜ反対派は敗北したのか?

争点は、「子どもの目に触れさせない」という規制の必要不必要の部分と、「線引きをどうするか?」という規制を実施する場合の運用についての部分と、ふたつあるとする。
反対派は、運用についての部分に問題があるから、規制反対というふうに論を運んだわけだけど、これが駄目だったのではないだろうか。
もしこれを、規制には賛成だけど、運用に問題があるというふうに運んでいたらどうだったろう。

本音を言えば、規制などされたくない。
それはそうだ。
それで世間の賛同を得られるなら何も問題はないわけだけど、世間ではおそらく「規制やむなし」のほうが優勢だ。
ならば最も守らなければならない本丸は何かと言うと、「線引きをどうするか?」だろう。
ここさえ守れたならば、敗北ではなく妥協で済む。

どうせ完璧な線引きなどできるわけがないのだ。
行政側が恣意的に線引きする危険性があるということは、裏をかえせば、出版社側が自分たちの都合のいいように線引きできる可能性もあるということじゃないだろうか。
「誰がどのように線引きするか?」というルールが未確定ならば、そこを自分たちの都合のいいルールにしてしまえば、規制などあって無しが如しである。
いやむしろ、自分たちの都合のいい線引きをして行政のお墨付きをつけられるならば、それは願ったり叶ったりじゃないか。

「運用に問題があるから規制に反対」と主張してしまっては、「規制に反対」の部分だけを取り上げられて、賛成派を敵にまわす。
そうではなくて、「規制には賛成。でも運用には問題があるから」ということで、運用についてだけ反対する。
しかも、ちゃんと対案となる(自分たちに都合のいい)運用ルールを提案する。
そうすれば、賛成派反対派双方の賛同を得られた可能性はないだろうか。

たとえば、行政が線引きすると戦前の検閲のように利用される懸念があるから、民間の有識者で作る審査会で判断する、と。
そのメンバーは行政の息のかからないところで選出する。
すべての出版物を事前に審査するのは困難であるから、基本的には出版社側の自己規制としておいて、発売後等に消費者からクレームの付いたものを対象に審査し、問題があればペナルティを課す形にする。
審査にかかる費用は都が負担する。
・・・みたいな感じにしておけばどうだろう。

あとは新聞やテレビに協力してもらって、「民間によるクリーンな線引きを」という線で押せばいい勝負できたんじゃないかな。
もしこれで成立したなら、実質的には規制反対派の勝利じゃない?
あわよくば賛成派が二分されて、話がまとまらず結局見送りってことになったかもしれないしね。
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by kude104 | 2010-12-17 20:36 | 時事・社会
<石原都知事>「テレビなんかにも同性愛者が平気で出る」 都青少年健全育成条例改正に意欲 - Yahoo!ニュース

この記事しか読んでないからかも知れないけど、なぜこの流れから「同性愛者」が出てくるのか分からん。

同性愛に対する嫌悪感というものは、たぶんキリスト教的価値観じゃないかと思う。
日本も昔はふつーに同性愛があったようだし、外国だって、たとえば古代ギリシャとかふつーに同性愛あるしね。
キリスト教が同性愛をことさら禁じているのは、思うに、旧約聖書に相当する教えに民族宗教の色合いが強いためだろう。
一族の者にはどんどん子どもを作ってもらって勢力を拡大しなければ、いつ滅ぼされるとも限らない。
そんな時代に、子どもができない同性愛は危険極まりない。

・・・という流れで考えれば、この都知事の発言も、少子化が危惧される時代性が言わしめたものなのだろうか?と思ってみたりして。

いずれにしても。
同性愛者がテレビに出ることのモラル性で言えば、「同性愛者」であること自体を問題視すべきではないように思う。
ぼくの印象として、同性愛者がテレビに出るときというのは、どうもピエロ的な役回りを割り振られて出ているように感じる。
オモシロオカシクというか。
たとえば、男性が女性に同じことを言ったりやったりするとセクハラとして問題視されそうなことを、オカマの人が男性にやると笑いとして許容される、みたいな感じがぼくは嫌いで。
「同性愛者=そうしたキャラクター性」という図式が出来上がってしまうと、「そうした言動」が問題であるということが、「同性愛者」が問題であるということに、イコールで繋がってしまいかねない。

青少年健全育成条例についても、同性愛だろうが児童ポルノだろうが「普通のポルノ」だろうが、本来なら関係ないように思う。
ひとまとめに、「ポルノ」で語ればいいのではないか、と。
同性愛はダメで、異性愛はオッケーということでもないだろう。
ポルノはまとめてダメなんじゃないのか?

とまぁ、ポルノを規制することの是非は置いておいて、殊更「同性愛」がクローズアップされていることの違和感についての感想でした。
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by kude104 | 2010-12-06 22:12 | 時事・社会