世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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どうも選挙というシステムは、現状あまり上手く機能していないんじゃないかと思えてしょうがない。
選挙が有効に機能するためには、適正な規模というものがあるような気がする。

有権者が候補者について、能力や人となりをある程度把握できる規模というのは、どうも「町の選挙」くらいが限界であるように思う。
政策の良し悪しやその軽重についても、きちんと判断できるのは、どうしても「身近な問題」に限られるだろう。
天下国家百年の計でもって国政を考え投票するというのは、無理がある。

きちんとした判断材料を持ち得ない中で行われる投票は、決め手がフィーリングにならざるを得ないので、要するにまぁ人気投票みたいなものになってしまうだろう。
あるいは、「親の地盤を引き継いで」「うちは代々〇〇党支持」みたいに固定化する。
これで有能な政治家が選出されることを期待するのは、無理な話だ。

政治家に必要な能力というものがあるとして。
おそらく、それと選挙に勝つ能力とは全く別のものだろう。
選挙が有能な政治家を選出するための仕組みであるならば、当落は政治能力の有無によって決まるべきだが、当落を決める有権者が候補者の政治能力をきちんと判断できないので機能しない。

よって、選挙を行うにあたっては、候補者の政治能力についての情報を可能な限り有権者に提示しなければならないものと考える。
「それは有権者が自ら判断してください」というには、こと国政選挙は「規模の限界」を超えているのだ。

今あちらこちらで日本の問題点がさまざま指摘されているが、それらを抜本的に改革するには、結局のところ良い政治を行う他なく、そのためには良い政治家を選出する他なく、そのためには選挙制度を改革する他ないのではないかと思う。
良い政治家さえ選出できれば、時間はかかっても、さまざまな問題は解消されていくだろう。
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by kude104 | 2010-04-16 22:32 | 時事・社会

「祭り事」の政治

最近政治についてモヤモヤと考えるのだけど、「国民一人一人がきちんと候補者を選んで投票すれば政治はよくなる」というのは、結局のところ幻想なんじゃないかなーという気がする。
絵に描いた餅とでも言おうか、「みんな仲良くすれば世界は平和になる」ってのと似たり寄ったりなんじゃないかなぁ。

集団の中に、そもそも理知的に判断して行動できる能力を持ったひとって、いったいどれくらいいるのだろうね。
加えて、そのひとが理知的に判断して行動できるだけの情報なり状況なりが整っているケースってどのくらいあるのだろう。
そう考えると、やはり冒頭のように考えてしまう。

ならば。
すべてのひとが――覚悟としては大多数の人が、理知的に候補者を選ぶ/選べるわけではない、ということを前提に選挙というものを考えたほうがいいのではないだろうか。

大衆というものを考えた場合、大多数の人は理性ではなく感情で行動すると捉えるなら。
選挙というものは、理知的に判断しうる(と自認する)少数が、いかに大多数の感情に訴えるか、という戦いなのではなかろうか。
つまり、理知的な政策を、どのように感情的なコトバに変換するか。
下手をすればヒトラーみたいなのが生まれちゃうのだけど、マツリゴトというのはやはり本質的に「祭り事」なのだろうと思う。

で、感情に訴えるには、共同体に、その共同体意識を刺激する言葉を投げかけるのがたぶんもっとも効果的で、だから、共同体が解体されて個人個人がバラバラに投票するようになればなるほど、選挙への関心が低下するのだろう。

よって、いまの時代に政治を活性化させようと思ったら、よい政策を掲げ、その政策の支持者となる人々を組織化し、その共同体の感情を刺激してやる必要があるだろう。
そこまでしないとダメなんじゃないだろうか。
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by kude104 | 2009-07-17 23:59 | 時事・社会
解説委員室ブログ:NHKブログ | 時論公論 | 時論公論「議員世襲 制限は必要か」

原則論としては、世襲であろうがなかろうが、能力のあるなしで語ればよいということになる。
が、そうはいっても実際問題として、能力のあるなしとは別のところで当落が決まってしまう。
もし、有権者が候補者の能力をきちんと測って、それをもとに票を投じ、当落が決まるのであれば、世襲であろうが無かろうが大した問題にはならないだろう。
ということはつまり、世襲議員の問題というのは、「有権者は正しく候補者を選ぶことができません」という認識の上に生じる問題であるといえるのかもしれない。

だが、そもそも政治家に必要な資質や能力とは何だろう。
それらは選挙期間中に見極められるものだろうか?
また、それらの違いが、政治家としての活動成果の違いとして、どれだけ現れ得るものなのだろう。
つまり・・・概ね誰を選んでも大差ない、ということであるなら、世襲であろうとなかろうと大差ない、と言えるかもしれない。
あるいは、大差ないなら、世襲である弊害のほうが大きいと言えるのかもしれない。

あるいはもし、政治家に必要な資質や能力が、「地盤、看板、かばん」であるなら、世襲議員こそが正しい選択になるだろう。

考えてみれば、政治家に必要な資質や能力というものが不明のままに、われわれは民主主義政治というものを運用しているような気がする。
それらが不明であるために、優れた政治家になるための教育やトレーニングというものが確立しないままなのではなかろうか。
もしかしたら、それらは政治家を志す人々の間では自明であり確立しているのかもしれないけど、世間一般に知られるほどには至っていないだろう。
経営者にとってのMBAのような、あるいは英検何級みたいな、能力を示す分かりやすい「肩書」があると便利な気がする。

いっそ、選挙活動をバラエティ番組みたいにしてみるとか。
選挙区ごとに候補者を一堂に集めて、政治家常識クイズ対決とか、朝まで生討論とかやるの。
もちろん、その模様はテレビでお茶の間に届けます。
名前を連呼するだけの選挙活動などより、よっぽど一票を投じる参考になるだろう。
番組としても、けっこうスリリングで面白いと思うけどなー。


とまぁ、なんだかとりとめのない話になったけれど。
「世襲制限」というのは、現行の選挙システムの根本に不備があるのだけど、そちらは手直しできないので、とりあえず対処療法的に世襲だけ制限してはどうか、という話のように思える──と。
だからどうすりゃいいというアイデアもないのだけどね。

とりあえず、世襲制限はやってみてもいいとは思う。
少なくとも害はなかろう。
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by kude104 | 2009-05-11 22:20 | 時事・社会
日本は国民による新政府を樹立すべきである TBN -Today's Best News-

こういう妄想談義は好きなので、触発されてぼくも何か書いてみよう。
テーマはやはり、「いかにして日本の政治を良くするか」で。
政治改革は選挙システムの改革からということで、こういうのはどうかな。

改革その1、投票を有料にする。
有権者は選挙で投票する際に “投票料” を支払わなければならない、というもの。
料金は、年収の0.1%くらいでどうだろう。
「金持ちしか投票できない」とかになっちゃうと問題だけど、年収の0.1%くらいならその気になれば貧乏人にだって支払える額でしょう。
むしろ、金銭的な負担は金持ちのほうに重くなるので、貧乏人に優しい選挙制度とすら言えるかも知れない。
もちろん、支払った “投票料” の額に関係なく、1人1票でその価値に違いはない。

この改革の目的は、有権者に身銭を切らせることで、投票に対して一定の気構えを持たせることにある。
投票に行くだけでも面倒くさいのに、そのうえお金まで徴収されるとなると、中途半端な関心しかない人間は投票に行かないだろう。
いわば、身銭を切らせることで、投票に対する意識を測ってふるいにかけるわけ。
当然、お金を払ってまで投票したくないという人のために、投票の棄権を認める。
投票したくない人、する気のない人は無理に投票することはないと思うのだ。
棄権は「他の人にお任せします」という意思表示として解釈し、それも参政のひとつのありようとして認めてよいと思う。
当然投票率はガタ落ちになるだろうけど、量より質ということで。

改革その2、政治家に活動報告書の作成を義務付ける。
選挙で当選した人は、その任期中、自分の政治活動の内容についての報告書を作成しなければならないものとする。
作成は4半期(3か月)毎でどうだろう。
報告書の内容は、その活動期間中における活動の成果の報告と、来期以降の目標、あとお金まわりの報告とか。
一定のフォーマットに則って作成し、それを見れば、その政治家がきちんと仕事できているか一目瞭然になるという優れもの。

報告書は、その政治家が出馬し当選した選挙区の有権者のうち、実際に投票をした人宛てに郵送で送られてくる。
もちろん、その有権者がだれに当選したかはわからないので、投票した人宛てにその選挙区で当選した政治家全員分の報告書が届くわけだ。
全員分届くと、あの人とこの人とを比較して、こいつはダメだ、こいつは頑張ってるなと判断できる。
自分の投票した人が政治家として優れているか、自分の見る目が問われる結果になる。
自分の投票した人が落選した場合は、当選した人の報告書を見て「まあ、この人で良かったかも」と納得できたり、「だから、こいつよりあの人がいいと俺は思ったんだよね!」などと「俺は分かってた」気分を味わえたりして、たぶん楽しいんじゃないかな。

活動報告書は、改革その1の有料化とセットにすると良い。
お金を払って投票したご褒美というか特典として報告書がもらえるというカタチになるので、きっと満足感が高まるだろうと思う。
お金を払ってまで投票しようというくらい政治に関心の高い人にとって、活動報告書は非常に興味深いものになるだろうし、活動報告書を読んでいると、きっと次の選挙で誰を選ぶか考えるのが面白くなってくるに違いない。
いそいそとお金を払って選挙に行き、届く活動報告書を面白そうに読む人たちが増えるに従って、それまで関心のなかった人たちも「そんなに面白いのなら、ちょっと自分もやってみよう」と思い始めるのではないかな。
そうした好循環によって、より意識の高い有権者が育ち、より能力の高い政治家が選ばれるようになるのではないかと思う。

ま、有料化は難しいとしても、活動報告書くらいは実現しないものかな。
とりあえず、政治家全員分の報告書をネットにアップして誰でも自由に閲覧できるようにという方向性でいいので。
それをするだけでも、だいぶ政治が変わってくると思うんだけど。
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by kude104 | 2008-01-21 22:03
投票所の鉛筆って、すごい書き心地いいよね。

――ってことで選挙行ってきました。
予想以上に民主圧勝でちょっと驚いた。

さて、今回の選挙を機にちょっと試してみたいと思っているのは、当選した人間のその後の活動って、どこまでトレースできるものかな・・・ということです。
「当選はゴールではなく、スタートなのだ」というのは皆さん思うところでしょうが、では実際、当選した人間がその後どんな活動をして、本当にちゃんと掲げた公約通りがんばってんのかをチェックしている人って、たぶんほとんどいないでしょう。

短い選挙期間中に候補者の政治能力を見極めて選ぶなんてのは、はっきり言って、まず不可能でしょう。
となれば、政治能力以外のイメージやら知名度やら支持母体やらによって当落が決まってしまうのは仕方がない。
仕方がないとはいえ、政治能力の低い人ばかりになってしまったのでは、将来が危うい。

じゃあどうすればいいかと考えれば、とりあえず選んでおいて、その後の活動内容を見てダメなやつは再選させないという戦略を採るしかないのではないか。
優れた人間を選別するという発想ではなく、ダメなやつをふるい落とすという発想。

そのためには、当選した人間のその後の活動内容をチェックする必要があります。
でも、それって果たして可能なのか・・・。

もちろん、それが仕事だったら可能でしょう。
政治家の活動を逐一レポートする専門機関みたいなのがあって、有権者はそれを参考にチェックする・・・みたいな仕組みでもあれば別だけど、残念ながら、今のところないから。
一般人が個人的にチェックするしかない。
で、そうなると、片手間にチェックできなきゃ、結局だれもチェックしないってことになる。

今、世はインターネット時代。
で、ぼくの関心は、それじゃあ果たしてインターネットでどこまで政治家の活動をトレースできるのかしら?というところです。
もし比較的簡単に情報集めてチェックできるんなら、選挙というものを「ダメ議員を再選させない選挙」にシフトさせていくことは可能じゃないかと思うのです。

ということで、とりあえず今回の選挙で我が選挙区から当選した人たちのその後を追ってみたいと思います。
でも、途中で飽きたり忘れたりする可能性が大であると、自分でも思う。
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by kude104 | 2007-07-29 23:59 | 時事・社会
選挙というものについて考えてみるわけだけど、世の中をより良いものにしてくれる政治家を選挙で選ぶということが、果たしてどの程度現実的な話なのだろう。
政治家の能力を測る「政治力」というパラメータがあるとしよう。
それは果たして、僕ら有権者に窺い知れるものだろうか。
選挙の際、こちらの候補者とあちらの候補者のどちらが政治力が高いかなんて、一部の実績ある政治家以外、まず判断のしようがないのではないか。

しかも、同じ「実績」と言っても、たとえば経営者だったら彼の会社がどの程度の利益を上げたかという数値でもって測れる。
でも、政治家の実績を表すデータといえば、今のところ、当選回数と得票数と、あとは肩書きくらいなものじゃないかと思う。
でもって、この手の実績が良くても、どう見たって政治力が低いだろうと思われる政治家はごろごろいる。
政治家の実績で測れる政治力なんて、選挙力と党内処世術くらいでしょ。
彼らが選挙の折に唱えるスローガンもまた、彼らの政治力を測る材料にならないことは言うまでもないしね。

政治を良くするには、有権者一人一人が選挙できちんと候補者を選ぶことだというのはその通りだとしても、現状できちんと選べる状態が整っているのか甚だ疑問だ。
きちんとした会社に投資することが大切ですといいながら、企業の収益データ等が公開されていない株式市場だったら・・・みたいな感じ。

一方で、というか同時にというか、そもそも政治家に有能さを期待するほうが間違っているのではないか、という気もする。
政治家として有能な人材というのは、往々にして他分野でも有能だろう。
そんな優秀な人材が、果たして何十人何百人と政治家になるものかな。

政治家(議員)の役割のひとつに法案の提出というものがあるけど、実際に法案を作って提出できる能力を持った人材がどれくらいいるだろう。
せいぜい、自分の得意分野ひとつに限れば可能、というので、かなり優秀なほうだと思う。
他の分野についてもそれができる人間なんて、いるほうが奇跡だろう。

となると結局、議員はオールマイティに凡人であることを前提に考えるべきだという気がしてくる。
政治家は政治的な事務処理を担当する人々という位置づけにして、個々の専門的な立案やら判断やらは、それぞれのエキスパートが担当するような形がいいのではないか。
今も多かれ少なかれそうなっているのだろうと思うけど、いちどそのへん、きっちり整理し直してみるとすっきるするのではないか。

政治家の重要性が下がれば、選挙で我々が適切に候補者を選べないことの致命性も相対的に下がることになるので、ひとつの解決策かなぁと思ったりする。
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by kude104 | 2007-03-26 23:59
「ヒゲ」記入票で当選、有効です 高松高裁-事件ですニュース:イザ!

「ヒゲ」という表記が有効か無効かじゃなくて、自分が一票を投じる候補者の名前に「ヒゲ」と書くようなやつの判断など、無効にしてしまえって気がする。
真面目に考えて選んだとは思えないじゃない、「ヒゲ」なんて書くやつがさ。
そんなやつでも一票の参政を認められるのなら、子供にだって認めてやってもいいんじゃねーのとさえ思う。
候補者の名前がきちんと書けているかどうかで、有権者としての最低限の資質をチェックするってことでいいんじゃないかと思うけどな。

まぁ、名前なんて投票用紙にプリントして、○を付けるとかにすりゃいいと思うんだけど。
そうすれば、「ヒゲ」は有効か無効かなんてくだらないことにエネルギーを費やさなくて済むじゃない。
電子投票制になれば、そういうふうになるのかな。
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by kude104 | 2007-02-24 23:59 | 時事・社会