世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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心の健康を大切に

てんこもり。 【生活】自殺した人と最後に会った時どんな感じだった?

自殺しちゃう人というのは、きっと、「命よりも大切なもの」をなくしちゃったんだろうな。
それはなんだったんだろう。

「心と身体」というように、人が生きるためには、身体の健康と同じくらい心の健康が必要なのだろう。
「そりゃそうだ」と分かっているのに、ぼくらは、心が風邪をひいたり傷ついたり疲労したり病気になって弱ってしまっても、滅多に医者にかからないよね。
心の治癒力を過信し過ぎてやいませんか。
心だって身体の器官の一部なのに、心だけなにか別扱いに考えてしまっているような気がします。

「ちょっと心の調子が悪いな」と思ったら、すぐに医者に診てもらう。
そうしたことが当たり前になると、少しは自殺も減らせるんじゃないだろうか。
まずは、学校や会社の健康診断に、心の健康診断も取り入れてはどうだろうね。
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by kude104 | 2008-05-26 23:59
どうして逃げないの? - 過ぎ去ろうとしない過去

「いじめを苦に自殺」といったニュースを目にするたびに、「死ぬくらいなら逃げればいいじゃん」と思うぼくですが、このエントリーを読んでちょっと考えを改めたというか。

「死ぬくらいなら逃げろ」というのは正しいアドバイスだと思うのだけど、それによって「いじめ」が解決するわけじゃないという当たり前のことを、ふと忘れてしまいそうになるのね。
逃げることでとりあえずの「死」は回避されるけれど、死が回避されればめでたしめでたしという話ではない。
本当に重要なのは、「逃げたあと、どうするか」です。
逃げるという選択肢は、そのあとに態勢の建て直しがあってこそ、有効な策と言えるのではないでしょうか。
なのに、ぼくら傍観者たちは、死が回避されたところでめでたしめでたしで「この話は終わり」とばかりに処理してしまっているような気がする。

「逃げたあとのアフターケアも考えて」という話をしようというのではない。
「いじめ」があったとき、その対処というのは誰がどう考えたって、いじめた人間に対する「裁き」だよなぁと、そう思うわけです。
言うなれば、正義が執行されること。
いじめた人間がきちんと裁かれ、学校に秩序が回復すれば、いじめられた人間は自殺することも不登校になることもないのではないか。

「それが出来れば苦労はない」という話であることは分かっています。
それが期待できないから、とりあえず「逃げろ」という話であるということも。

ただ、なんというかなぁ、「とりあえずやられているほうが対処しろ」という考え方が当たり前になってしまうのは、やっぱりまずい気がするのですよ。
ネットのことで言えば、「嫌ならコメント欄を閉じればいい」「嫌ならアクセス制限かければいい」「嫌なら別のブログに移ればいい」などなど、けっこうよく目にしますけど。
そういう物言いを見るにつれ、なんかモヤモヤしていたんですが、ようやく自分のモヤモヤの理由が分かりました。
つまり、「迷惑被っているほうが折れなきゃいけないなんて、おかしいだろ」ってことだ。
いじめているほうがそのままで、いじめられているほうが逃げるにせよ、態度を改めるにせよ、自分の生き方変えなきゃいけないのはおかしいよね。
そんなのは理不尽だ。
ましてや、いじめる側まで「逃げればいいじゃん」などと言うようになったら、おしまいです。
「逃げろ」と言うことで、そんな雰囲気づくりに加担してしまってはいないかと自らを省みる次第です。

「逃げろ」と言うとき、一番かっこいいのは、「ここは俺が何とかするから」ですよね。
「お前を逃がして、俺が敵と闘うぜ」というヒロイックな「逃げろ」ならカッコイイ。

それが無理なら、「逃げろ」は、逃げて態勢を立て直せという意味合いで使うべきでしょう。
そうなると、「逃げるのは簡単でしょ」というニュアンスでは使えない。
戦略が違うだけで、「闘え」というのと同じことだから。

そうでなければ、残る「逃げろ」は、「負け犬は去れ」ということだと思う。
相手を慮って言っているつもりでいても、何もないただの「逃げろ」は、意味合いとしては「負け犬は去れ」と同じなんじゃないかな。

いずれにしても、いじめっ子への非難が主で、いじめられっ子の避難が従であるべきで、それを踏まえての「逃げろ」でなければならぬと、今後は意識しようと思います。
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by kude104 | 2008-04-09 16:08

聞く力

弁償するとき目が光る : 『死なないで』『生きて』と声を掛けても、自殺志願者は救えない

今日のNHKクローズアップ現代は、ただひたすら相手の話を聞くだけのボランティア「傾聴ボランティア」についてでした。

ただ話を聞くだけ。
自分の意見を言ってはいけない。
アドバイスをしてはいけない。
本当に、ただ聞くだけ。
でも、それで話をする人間は救われるんだそうな。

もし、自殺志願者を救おうとするならば。
やるべきことは、話しかけるのではなく、相手の話を聞いてあげることじゃないかと思う。
「死なないで」とも「生きて」とも言わず、ただ話を聞くだけ。
しかも、対面で。
全身で話を聞いてあげること。
それがもっとも正しい対処法なのではないかと、そんなふうに思いました。

まぁ、「話を聞くよ」と言って素直に話をしてくれれば簡単なのだがね。
事はそんなにうまくは運ばないよね。

でも、人間どうしたって話し上手になりたがるというか、自分の言葉の力に酔いたがるから、聞き上手のほうが場合によっては人を救うのだということを心に刻んでおいて悪くはあるまい。
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by kude104 | 2006-12-05 23:29
自殺予告手紙:「生きていくのがつらい」……手紙全文-今日の話題:MSN毎日インタラクティブ

これはさすがにキツイなぁ。

「自殺予告の手紙が文科相宛てに送られてきた」という“出来事”を伝えるニュースでは、正直ね、「いやらしいなぁ」という感想だったんですよね。
自殺の予告を、文科相宛てに送るというある種の計算高さが、不快に思えたのです。

でも、こうして実際に手紙の文面を読むと、計算高さよりもむしろ“幼さ”を感じる。
小学生かな、これ。
幼いながらも立派に怨念篭ってて、なんというか、悲しい手紙やねぇ。
これ読んじゃうと、さすがに不快感よりも憐れみのほうが先に立つわ。

アンカテ(Uncategorizable Blog) - 人権を失ったまま生き続けても、そんな命に意味はない。

ぼくはそうは思わない。
もし仮に人権が命より重いとしても、自殺すれば人権が回復されるわけでは有るまい。
だったら、自殺した時点で、それはただの敗北ではないか。

もし、本当に人権が命より重いと考えるなら、“正しい”行動は、自分の人権を守るために迫害者を亡き者にすることだろう。
これならちゃんと人権が回復されるので、勝利と言える。
むろん、社会的には人権は命より重くはないので、その行為は正当化されず、犯罪として罰せられますけどね。

そもそも、「助けてくれない、何もしてくれない」って、それはまぁその通りなんでしょうけど、世の中ってそういうものだから。
大人になったら、もっと誰も助けてくれないよ。
だから、自分の身は自分で守るしかない。

その点では、今回の「手紙を送る」という作戦は発想としてはかなりいいけど、如何せん詰めが甘いというか、たぶん作戦のつもりでやっているわけじゃないだろう。
結果オーライでどうにかなればラッキーだけど、さてどうなることやら。

それにしても、いつも不思議でしょうがないんだけど、どうして学校へ行かないという闘い方を選ばないのかなぁ。
世間からドロップアウトすることは、自殺するより辛いことかねぇ。

自殺は勝利じゃないから。
敗者として死んで行くだけだから。
それでもいいってんのなら、何も言うことはない。
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by kude104 | 2006-11-08 23:59 | 時事・社会
福岡中2自殺 いじめ集団1年前からしつこく 死後「せいせいした」- 北海道新聞

また、自殺後も「せいせいした」「別にあいつがおらんでも、何も変わらんもんね」「おれ、のろわれるかもしれん」などと校内で友人に話したほか、十三日の通夜の席では、笑いながらひつぎの中を何度ものぞき込む姿も目撃されている。
だから、死ぬことは復讐にはならんのだよ。

──とはいえ、「通夜の席で笑いながらひつぎの中を何度ものぞき込む」って、まじで?
本当にそんなことしたの?
さすがにそれはないやろう、と思ってしまうくらい、ひどい。

並みのいじめっ子なら、そのように大人の多くいる場では、少なくとも表面上は殊勝な態度をとるだろうに、なにそのふてぶてしさは。
真性のバカか、あるいは、常日頃からそういう振る舞いが許されてきた人間かだ。

記事からは、その場にいたであろう大人から諌められた様子がうかがえない。
もし、そんな姿を自殺した子の親族が見ていたら、普通ぶっ飛ばすよね。
あるいは、こいつらの親がその場にいたなら、ぶっ飛ばして叱って詫びねばならんでしょ。
学校の先生が見ていたとしても、注意しなければならない。
お坊さんがいたら、説教のひとつもしなくちゃいけない。

おそらく、こいつらは今まで大なり小なり、こういったことを見逃されてきたんだろうと思う。
「先生がいじめていたので、自分たちもいじめていいんだと思いました」なんて言ってるみたいですが、何をか言わんや。
笑いながらひつぎをのぞき込む神経は、そんな善悪判断のレベルじゃないって。

社会のあるところにいじめはあると言いますが、どうすればいじめは無くせるかなぁ。
固定的な人間関係がいじめを産むと考えるなら、クラスというものを流動的にすればいいのかもしれない。
大学のように、学校には講義を受けに来るだけで、空き時間はそれぞれ自由ばらばらに行動すれば、「いじめるほど親しくならない」のではないか。
ただ、好い方向にも親しくならないけど。
それに、高校まではやはりある程度、集団生活を学ぶ場としての側面は必要だろうしね。

とりあえず、「いじめ」という言葉を変えてみるとかどうかな。
「いじめ」ってなんだか軽いイメージがあって、どうもシマリスくんの顔が浮かんでしまう。
売春を援助交際とか、窃盗を万引きというと深刻さが薄れるように、言葉のイメージって大切だと思うのですよ。

・・・と思って考えてみたけど、なかなかぴったりの言葉が見つからないね。
強いて言えば「迫害」が近いかなぁと思うのだけど、どうかなぁ。
「度重なる迫害を受け自殺」と言えば、ちょっと重い感じになりません?
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by kude104 | 2006-10-22 22:42 | 時事・社会

いじめをなくすために

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 福岡、中2自殺 変わらぬ隠蔽体質 心の痛み共感できない学校

担任によるイジメのケースはともかくとして、学校がイジメを隠蔽しようとする理由のひとつに、世間があまりにも学校に責任を追わせすぎるというのがあるのではないか。

たしかに、学校は自殺した生徒を救えなかった。
でも、保護者も救えなかった。
同級生も救えなかった。
地域も世間もテレビも漫画も小説も、誰も救えなかった。

「子供と心のキャッチボールができず、心の痛みを共感できない教師の存在が原因だ」なんて言われても、教師にしてみれば、「だったらお前がやってみろ」って気分じゃないでしょうかね。
親にも救えなかったものを教師に救えというのは、やっぱり酷な話だと思う。

現場を詳しく知るわけじゃないけど、学校の先生って忙しそうだもん。
普通に授業の用意やら事務仕事といった日常業務だけで、手一杯なのではないだろうか。
時間と余裕がたっぷりあれば目も届くかもしれないけど、仕事に追われるような状況で、見えない所で行われいるイジメの兆候を察知して、しかも過たず適切な対応をとれというのは、さすがに要求レベルが高すぎる。

だから、一番いいのは、クラス担任と授業担任とを分けることじゃないかと思う。
「数学教師」とか「体育教師」とか、そういうふうに専門化する感覚で、「クラス担任」専門の教師を作るべきだろう。

子供に数学を教えるためには、教師がきちんと数学を学び、数学を教える専門家でなければならないように、子供に人間としての大切なことを教えるためには、教師がきちんとそれを学び、それを教える専門家でなければならないはずだ。
なのにどうだ。
現状は、数学教師に片手間に体育を教えさせているようなものではないか。
それで、「体育のことをきちんと教えられる数学教師が必要だ」と言っているようなものではないだろうか。

生徒がイジメを苦に自殺しましたなんて事件が起こったとき、もっとも大切なことは、二度と同じことが繰り返されないようにすることだ。
そのために原因の究明があって、その結果としての責任の追求が行われるべきだ。
なのにニュースを見ていると、学校が悪い教師が悪いという声しか聞こえてこない気がする。

まず誰が悪いか決めましょう、と。
これはもう「学校が悪い」ということに、初めから決まっているようなものだ。
で、学校側が「これからはもっと子供たちと心のキャッチボールをしていきたい」と決意を表明して、なんか一軒落着な気分になって終わりです。

それで再発防止が出来るものか。
具体的な解決策が無いのに解決を約束するから、隠蔽しなきゃならなくなる。

「誰が悪い」で考えるのではなくて、学校も保護者も子供たちも、みんな「なにが出来ただろうか」と反省し、二度と繰り返さないためにこれから具体的に何が出来るだろうと考えることが大切だと思う。
三者が協力し合うことなくして、問題の解決はない。

今こうしてマスコミが注目しているこのときに、事件のあった学校・保護者・子供たちが一致団結して「クラス担任の専門化を」という提案を掲げて署名活動でも始めれば、運動としてかなりの効果が期待できるように思う。
上手くすれば何かを変えられるかもしれないし、少なくとも問題提起にはなるだろう。
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by kude104 | 2006-10-17 23:59 | 時事・社会

いじめっ子に反撃を

それにしても、自殺者が多すぎる。

とりわけ、10代で自殺するやつら。
いじめられたかなんか知らんけど、お前ら、人生に見切りをつけるのが早すぎる。
諦めるのが早すぎる。
そんなもん、3年も5年もすれば、世の中ウソみたいに変わるから。
ソビエトだって崩壊するくらいだから。
だいたい10年も経てば大人になってるんだぞ。
二十歳すぎてもまだいじめられているなんてことは、まぁ滅多に無いから。

死ぬくらいなら、もっと取るべき行動がいくらもあるように思うのだが、結局やっぱり臆病者なんだろうなぁ。
不登校になるのも勇気が要るし、いじめられていることを大人に訴えたり、ましてや、いじめっ子と対決したりするのは、すごく勇気の要ることだ。
ぼくだって、そんなこと出来るかどうか自信ない。

だから、実際に追い詰められたときに、その人の感情がどちらに爆発するかだ。
対決する方向に爆発するか、「自分が死ぬことで復讐してやろう」という方向に爆発するか。
これはもう、持って生まれた性質なのだろうと思う。

でも、そんな「どちらに爆発するか」なんて運頼みでは自殺者は減らせないんで、なんとか上手い手を考える必要がある。
それにはやはり、考えるべきは「爆発する前に、いかにガス抜きをするか」だろう。

要するに、いじめっ子に反撃するために必要な勇気ポイントがあまりにも膨大だから、反撃できずにガスを貯めこみ、結果爆発するのだから、あまり勇気ポイントを必要としない反撃方法を考案すればいいのだ。
臆病者には臆病者の戦い方がある。

ぱっと思いつくのは、いじめっ子の個人情報は簡単に取得できるわけだから、それをネットに晒してしまうという攻撃。
ただ晒すだけじゃ芸が無いので、「いじめられ日記」とかいうブログでも作って、いかにいじめられているかを全部実名で暴露するなんてどうだろう。
こっそり暴露するだけでもある程度のガス抜きにはなるだろうし、上手く行動すれば、問題を一気にセンセーショナルなものにしていじめっ子に大ダメージを与えることも可能だろう。

他にも、たとえば悪戯電話や怪文書などといった、いやがらせの類で反撃するというのも悪くない。
別に、それでいじめが直接どうこうならなくても、とりあえずガス抜きになればいいのだから。
陰険で卑怯な反撃だけど、それが“臆病者の戦い”なので。

正々堂々と戦うことが正しいとは限らない。
正々堂々と自らの死で正義を訴えるくらいなら、姑息で卑怯な“臆病者の戦い”をするほうが、ぼくはましだと思うけどね。
ただし、“臆病者の戦い”を始めた時点で「一方的な被害者」ではなくなりますので、ある程度の覚悟はしなければなりませんが。
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by kude104 | 2006-10-15 23:59
消費者金融:生命保険での債権回収、1割は自殺-今日の話題:MSN毎日インタラクティブ

無い袖は振れないのに、多重債務に陥るような人々から、皆さんどうやって借金を取りたてているんだろうと不思議に思っていたのですが、やっぱり保険金で回収していたのかと納得。
テレビドラマなんかで、自殺したら保険金が下りないから他殺のように見せかけて・・・みたいな話に馴染みがあるので、どうなのだろうと思っていたのですが。

感情としてはひでぇ話だと思うけど、でも、この「消費者信用団体生命保険」というもの自体は間違っていないよなぁ。
もしこれが無かったら、借り手が死亡しても、借金はそのまま残るってことになります。
家族が死んで、借金だけが残ったなんてのは、目も当てられない。
また、金融業者の貸し倒れリスクも高くなり、その分のしわ寄せは結局借り手に来ることになります。
借り手の死亡はなにも自殺だけじゃないですから、リスク回避のために、これは無くてはならないものだと思います。

ただ、借り手が自殺すれば保険金で貸した金を回収できるとあれば、どうしたって、取りたてるほうを「払えないんなら、死んで返済しろや」という気持ちにさせてしまうよなぁと思う。
そういう考え方は人間として最低だと思うけど、でも、毎日毎日厳しいであろうノルマに突つかれながら、返す当てなどあるはずも無い多重債務者からお金を返してもらわなければならないとなったら、誰だって「死ねばいいのに」って思っちゃうよ。きっと。

「消費者信用団体生命保険」は必要だ。
でも、それがあると、厳しい取りたてを誘発する。
──となると、安全弁になるべきは保険会社ではないかと思う。

保険金目当ての殺人に対して保険金を支払ったりしないように、保険会社はきちんと調査を行って、過度な取りたてで債務者を自殺に追い込んだケースには保険金を支払わないとすればいい。
もちろん、借金のほうは帳消しで──というか、帳消しの上にさらに、業務停止命令などの罰則が与えられることになるでしょうね。

保険会社としては、業務上も道義上もこれくらいやって当然だと思うし、金融業者としても、これをやられると困りますとは口が避けても言えますまい。
金融業の悪いイメージを払拭して、社会的な地位を高めたいという思いもあるでしょうから、保険会社が「無理な取りたては行われていません」とお墨付きを与えてくれると考えれば、そう悪い話でもないでしょう。

ま、いずれにしても、借りるほうが多重債務になる前に諦めて清算するのが一番いいと思います。
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by kude104 | 2006-09-10 23:20 | 時事・社会