世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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無意識の差別者

今日は映画サービスデーなのに、映画を観に行けなかったなりよキテレツ。

http://anond.hatelabo.jp/20090927053232
『私は、なにも知らないままで人を傷つけるような人間になりたくない。もし差別者の立場を脱する方法があるなら、私はそうしたいし、もし無かったとしても、せめてその差別について理解して、なるべく他人を傷つけないように生きたい』
誰も傷つけずに生きて行くことなどできはしないだろうと思う。
どうしても他人を傷つけたくないなら、人とのかかわりを断って、山中で世捨て人として暮らすほかないだろう。

ぼくも無意識に誰かを傷つけているのだろうけど、正直、気にしてなんていられない。
だって、「無意識」なんだもん。
無意識だから傷つけて良いということではなく、無意識に傷つけることを意識して生活することは無理だということ。
「無意識に傷つけるかもしれない」と意識して生活したとしても、無意識に傷つけることを避けられるわけじゃないから(だって、「無意識」に傷つけるんだから)、結局、「無意識に傷つけたくない」と心がけたところで、それは「心がけ」以上のものにはなりえない。
その心がけでもってより良く生きていけるならいいけど、つらい気持になるだけなら、本末転倒というかむしろ害になってんじゃん、と。

「無意識の差別」は、基本的に、差別される側の問題であるとぼくは考える。
(「差別される側に問題がある」じゃないよ)
差別された人が「それ差別です」と訴えて初めて、「無意識の差別」が意識されるわけで。
意識されてようやく、その「差別」が、差別した側とされた側両方の問題になる。
ぼくが、誰かが、無意識の差別者であるとして、それが意識された時点で誠実な対応ができれば良しと、ぼくは割り切っている。
無意識のうちの差別は、もうしょうがないとして割り切る。

「無意識に差別していることを察しろよ」というのは、まぁ理想なんだけど、現実的じゃないよね。
何度も言うように、無意識なんだから。
「無意識の差別」を訴えることができずに苦しんでいる人がいるというのは、想像するとモヤモヤするけど、やっぱりどうしようもないよなぁ。
意識できたものについては、どうにかしようもあるけど。

誰でも簡単に無意識の差別者になってしまうというということは、きっと、差別というものが特別なものではなく、世の中にごく当たり前にあるものだってことだろう。
このひとはきっと、「当たり前にある」ということがいやで、根絶したいと願い、挫折したのかもしれない。
でも、そんなふうに当たり前にあるものならば、大切なのは「いかにして差別と付き合うか」ということだろうと思う。

それは病気に対するのと似ているかもしれない。
病気を根絶できればいいのだけれど、そうも行かないから、そのつど対処療法を行うしかない。
大きな病気はきちんと手術して治療し、小さな病気は暖かくして栄養取って寝て治すような、そういう付き合い方しかないんじゃなかろうか。

そして、無意識に人を傷つけることを覚悟して、堂々と生きて行くしかないんじゃないだろうか。
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by kude104 | 2009-10-01 23:59