世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

タグ:梅田望夫 ( 20 ) タグの人気記事

ひろゆきさんと梅田さん

扶桑社新書「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」を読みました。
2ちゃんねるの秘密とかネットの世界の何かすげー話とか、そういうのはありませんでしたけど、2ちゃんねる管理人のひろゆきさんの考え方と人となりがよくわかる本ですね。
やっぱりすごい人だ。
なにか超越してる。

ひろゆきさんと「Web進化論」の梅田さんとを比較すると、梅田さんはオプティミスト、ひろゆきさんはリアリストかなーと感じました。
たぶんお二人とも現状認識という点では、さほど違いはなかろうと思います。

たとえば、沈みゆくタイタニック号にお二人が乗っているとして。
救命ボートの数を数えて何人が助かるというところの現状認識までは、お二人とも違わないでしょう。
そのあと梅田さんは、「全員は無理でも、救命ボートで助かる命がたくさんあります」「救命ボートに乗るために、○○しましょう」「救命ボートで誰を救うのがベターか考えましょう」と皆を励まし勇気づける。
一方で、ひろゆきさんは、「でも、助かるのって結局○人ですよね」と身も蓋もないことを言って終わり、みたいな。

「それ(現状認識)を踏まえた上で、どうしたいか、どうすべきか」という部分をほとんど表に出さない人だと感じました。
敢えて表に出さないのか、そういったことに端から興味がないのか、それは分かりませんけど。
でも、WANTやMUSTなしで平然といられるってのは、ひとつの資質であることは間違いないですよね。
とはいえ、聴いて面白いのは、WANTやMUST、HOWTOの話なんですよねぇ。
だって、現状認識だけじゃ、見も蓋もないもん。

本書はその身も蓋もなさっぷりが面白かったですけど。
[PR]
by kude104 | 2007-07-09 22:31 |
My Life Between Silicon Valley and Japan - サバイバルという言葉が嫌いなら使わないで話そうか

この時代認識には同感です。
本質、データのやり取りだけで事足りる仕事は、ネットがあれば世界中のどこの誰とだって一緒に仕事ができるようになるでしょう。
ということは、これからそのような職に就こうという人は、地球の裏側の優秀な人材と椅子を争わなければならないってことです。
今までは、日本に会社があるから日本人を雇うしかないということで、言うなれば日本人ということでもって採用されていた人が、これからはそうはいかない時代がくるよ、と。

方々で言われていますが、こうした変化は、鉄道の登場になぞらえると分かりやすい。
かつて鉄道がなかった時代は、ほとんどの人は、自分の生まれた土地で職を探すしかなかったわけです。
しかし、鉄道が出来て行動範囲が広がったことで、人々は別の土地――つまりは都会に出て働けるようになりました。
結果、地方から人がいなくなって、農村は衰退しました――みたいなたとえ話。

インターネットの登場によって「地方」から流出するのはジョブと賃金です。
今まではネットがなかったことで国内に留まるしかなかったジョブが、ネットによって世界に放たれようとしている。
そして日本は衰退しました――みたいなことにならなきゃいいけど。

もちろん、裏を返せば、日本に居ながらにして世界中の仕事ができるということでもありますから、優秀な人にとっては、嬉しい時代がきたもんだということでもありましょう。
そのへんが「サバイバル」ですかね。
明暗分かれます、みたいな。

ただ、言語について言えば、ぼくはけっこう楽観的です。
次の十年――あと十年あれば、それなりの翻訳機くらいできるでしょう。
日常会話をナチュラルに翻訳するのはまだ無理かもしれないけど、ビジネス文章を意味がわかる程度に翻訳することは十分可能ではないかと思います。
翻訳機の性能も上がるだろうし、翻訳機で翻訳されやすい文章を書くコツ、みたいなノウハウも蓄積されていくだろうし。
結果、データのやり取りだけで事足りる仕事をネットでやり取りする分には、言語はさほど問題にならないんじゃないでしょうかね。

問題は、ですから言語云々ではなくて、これからのネット時代に身を立てるにはどのようなジョブを狙うか?という部分が戦略の核となってくるでしょう。

ネット上のデータのやり取りで済ませられない仕事に向かう、という戦略が一つ。
ネット上のデータのやり取りで済む仕事のスキルを磨き、世界に打って出る戦略が一つ。
ジョブをオファーする側に回るという戦略が一つ。

「ネット時代に生き残る戦略」と言うと二番目に向かいがちですが、実は、おそらく、二番目が一番キツイんじゃないかという気がしますね。
なぜなら、考えればすぐわかることですが、二番目が一番ライバルが多くなるからです。
なにしろ、世界中の人間がライバル候補になるんですから。
まさにレッドオーシャンです。

反対に、資金さえあれば、三番目が一番カンタンでしょう。
なにしろ、世界中から優秀な人材を集めて、世界中の顧客に向けて商売できるんですから。

となれば、次の十年に日本が生き残る道は自ずと見えてくるというものです。
雇われる側ではなく、雇う側に回ることです。
極端なことを言えば、日本人がみんな経営者になったとしても、労働者は世界中にいるのだから大丈夫ってことですね。

経営者を育てる教育が、次の日本をサバイブさせるのではないかと思います。
[PR]
by kude104 | 2007-06-18 23:59 | PC&ネット
My Life Between Silicon Valley and Japan - サバイバルって当たり前のことなんじゃないの

「サバイバル」って言葉にざわざわするのは、「死」をイメージさせるからだろうね。
「○○しないと死んじゃうぞ、生き残れないぞ」と。
なので、「サバイバル」という言葉に拒否反応を起こす人の多くは、本能的に、自分が「サバイバルできない」タイプの人間だと自覚している人なのでしょう。
カイジで言えば、石田さんだ。

「サバイバル」と聞いて奮い立つ人間と、臆して動けなくなる人間と。
奮い立つ人間から見れば臆して動けない人間は馬鹿にしか見えないというか、「ビビってたって死ぬだけなのに、なんで前に進まないんだろう?」と不思議でしょうがないんだろう。
鉄骨の上を歩かされてるんだから、前に進まなきゃいずれ落ちて死ぬのは当たり前のことじゃないかと。
まったくもって、その通り。

サバイバルできない人間が死んでしまうのはしょうがない。
それが自然界の掟だから。

それは本当にその通りだと思うのだけど、でもぼくらは人間だから。
願わくば、サバイバル能力に長けた強者は、獲った獲物のいくばくかをサバイバルできない弱者のために分け与えてやってくれないものかと思うのです。
サバイバルできない弱者でも生きていける世の中を強者が作ってこその人間社会じゃないでしょうかね。
自分一人生き残るためのサバイバルなら、それはケモノのサバイバルになってしまう。

たとえるなら、自分が起業というサバイバルに挑むなら、それは自分の事業で社会を豊かにし、より多くの従業員を養うためのものであって欲しい。

そういうサバイバルを掲げれば、無用なざわざわを招かずに済むんじゃないでしょうか。
これなら、もしサバイバルできないタイプの人間は、サバイバルできそうな人間を応援することで生き残れる――気がするでしょう?

「誰が生き残るか」ではなく「みんなで生き残ろう」という呼び掛けのほうが、メッセージとしては届くんじゃないかという気がします。
[PR]
by kude104 | 2007-06-17 23:30

好きを貫けない理由

昨日のエントリー「なにやらほめ殺しな」を書いたあと、自分なりにいろいろ考えました。
梅田さんがその次に書かれたエントリー「大企業の今後、そこでの適性、それと「好きを貫く」こと」などを読むと、梅田さんの問題意識にはとても共感します。
「好き」を見つけた人が、自分の好きを貫く世の中であればいいのに、と。

その「好き」が大企業であればそれは幸いだ。
ただ、好きでもないのに、安定やら世の価値観に従って自分の好きを捻じ曲げて大企業に就職するのはしんどいですよと。
同じしんどいなら好きを貫こうよと、梅田さんのエントリーにはそういうメッセージが込められているのだろうと思います。
それはそれで、迷える人々に勇気を与えるメッセージではあるでしょう。

ただ、基本的に、人は皆自分の好きを貫けるものなら貫きたい生き物だろうと思います。
言われなくてもね。
じゃあ、どうしてそれをせずに、大企業(に限らず)に就社し、好きでもない仕事をして人生を終えるのか。
それは言わずもがな。
好きを貫いて生きていけるのは、運や才能に恵まれたほんの一握りの人間だけだからです。
あとの人間は、意に添わずとも不本意だろうと、働いてお金を稼いで生きていく他ないじゃないか――と。
そういうことではあろうと思う。

「好きを貫けるのは一握りだけ」というのは純然とした事実であるから、「好きを貫け」推進派としては、そこは少々痛いところではある。
でも、そこをきちんと語らない推進派は胡散臭い。
一方、「好きを貫け」懐疑派が、好きを貫けるのは一握りだけだからというのをその理由に挙げるのも芸がない。
好きを貫けるのは一握りだけというのは当たり前なので、それを理由に「好きを貫けません」などというのは、チャンチャラおかしい。
試験に合格できるのは一握りだけなので受験しません、みたいな言い分と似たり寄ったりですよね。

問題はおそらく、そういうことじゃない。
「好きを貫け」推進派の主張が一部強固な反発にあう本当の理由は、そこじゃないと思う。

ぼくなりに考えた、「なぜ好きを貫けないのか」ということの答えは、好きを貫けるのは一握りだけであり、要するにリスキーです。
なのに、もし失敗した場合、この国には再起の道筋が限りなくゼロに近い――ように思える。
ベンチャーとか、100人に99人、1000人に999人は失敗するんですよ、たぶん。
そのことは純然とした事実だからしょうがない。
重要なのは、失敗した後の復帰が容易であるかどうかではないでしょうか。

好きを貫けるのが一握りなことが問題なのではない。
一握り以外は死あるのみ、という状況が問題なのです。

好きなことに挑戦して、もし駄目だったら改めて普通に会社に就職すればいいやと、そういう考えが当たり前にできる社会であればどうだろう。
人はもっと気軽に好きを貫こうとできるんじゃないでしょうか。
それが不幸にも「絶対に失敗できない」という世の中であるために、自分が一握りになれるかどうかを試すことに恐ろしく勇気がいる。
もし失敗して駄目だったら、ホームレスかワーキンブプアになるくらいの覚悟がいる。
それは、大企業に就職することに対しても向き不向きを心配するほどに、この世は失敗できないのですよ。

これは明らかに、日本という社会の欠陥だと思う。
その欠陥を埋めるのに、個人のほうが死地へ飛び込む覚悟を持てというのは、ちょっとどうだろうなぁと思います。
ましてや希望だけ語っても、それは怪しい突撃ラッパじゃないですか。
本来の筋としては、企業のほうに、そういった寄り道をした人間であろうと、あるいはむしろそういった人間をこそ積極的に採用する姿勢を求めることが正しい。
企業がそうあれば、焚きつけなくとも、夢ある人は好きを貫こうとするに違いないとぼくは思います。

そんな社会変革のような悠長なことは待っていられない。
まさに今を生きる個人がサバイバルするためのメッセージを送っているのですと梅田さんは仰るでしょうか。
それはまったくその通りですが、でもやっぱりそれだけでは片輪ですよね。

梅田さんのポジションであれば、もう片輪である企業側に対しても、みんなで再チャレンジを支援しようじゃありませんかというメッセージを送れるのではないでしょうか。
両輪合せてこそ、現実に世の中を動かす力になると思うのですが、それを梅田さんに期待することは過剰なのかなぁ。

インターネットがもたらす革命によって新しい個人が誕生するのと同じように、新しい企業も誕生するでしょう。
であれば、そういう企業から社会変革を始めることは、それほど悠長な戦略だとは思わない。
少なくとも、一人の個人を動かすよりひとつの企業を動かすほうがより多くの人々を幸せにできるのだから、成功の果実は大きかろうと思います。

いずれにしても、この手の問題を「大企業かベンチャーか」という対立軸に落とし込んでしまうのはまったくもって不毛だと思う次第です。
答えはそこにはないんだから。
[PR]
by kude104 | 2007-04-04 23:59

なにやらほめ殺しな

My Life Between Silicon Valley and Japan - 「好きを貫く」ことと大企業への就職

一読して、なにか少し嫌な気持ちになりました。
今改めて読むとそうでもなかったので、ちょっとした誤読というか深読みしすぎたかという感もあるのだけど、でもやっぱり微妙な印象も受ける。

なんというか、ここで挙げられている「日本の大企業に向いているタイプ」の内容が、ほめ殺しというか皮肉に読めてしまうのです。
かなり意地悪にその感覚を書くと、行間から「きみは”自分の仕事”じゃなくて”大企業”が好きなんだね。ぼくにはとても真似できないなぁ。そんな社畜のような生き方は」という著者の意図を著者の思いとは関係なく読み取ってしまいそうになる。

どうしてぼくはそんな風に読んじゃったんだろうと考えてみると。
おそらく、各項目になにかしらネガティブなイメージが紛れ込ませてある(ように感じられる)からじゃないかという気がする。

たとえば、一番目の項目なら、「与えられた問題を」「どういう意味があるかとかよりも」という部分がネガティブイメージを喚起する。
こういう物言いは、自主性のない人間を蔑むときの常套句みたいなものですから。
本題はむしろ、「(自分の解きたい問題だけじゃなく、たとえ与えられた問題であっても)その問題が難しければ難しいほど面白いと思う」という部分にあるのだろうけど、そこに到達する前にネガティブイメージに心を乱されてしまいます。

「尋常でない体力(特に何十年も長時間労働ができる持久力)を持ち、そこが競争優位になる世界が好き」というのも、「頭より筋肉」というネガティブイメージを喚起させます。
個人的には、むしろプロフェッショナルやベンチャーのほうが尋常でない体力で「いつ寝てるんですか?」という人が多い気がするのですが。
ここはおそらく、「大企業戦士は残業をいとわない」といった意味合いと、「その仕事量が評価される世界」という意味合いだろうと思いますが、一読した印象としては、「体力バカがただ働けば出世する」みたいに読めてしまいます。
ええ、根が捻くれているものですから私。

「匿名性を好む」というのも、あまり適切な表現ではないように思います。
「匿名」にポジティブイメージを持つ人は、あまり多くないでしょうから。
ここはおそらく、「その仕事で自分が有名になろうとは思わない」ということでしょう。
大企業戦士だって、自分の周りの人間には、自分の仕事ぶりを評価してもらいたいものだと思います。
その意味で、彼らだって匿名で仕事をしているつもりはないでしょう。
ただ、世間に向かって自分が表に立つような、世間の評判を一身に浴びたいような、そういう気持ちはないという程度のことだろうと思います。
それはブログで例えるなら、実名で書くか匿名で書くかという以前に、そもそもブログを書くことに興味がないという状態ではないでしょうか。

――とまぁ、ひとつひとつあげつらってもあれなんで、こんなところで。
冒頭に「今日は軽く雑談風に」とありますが、そのせいか、ちょっと言い回しが不用意に映りますね。

個人的には、自分が大企業に向いているかどうかを心配する必要なんてないと思うけどな。
向いているいないよりもまず、大企業に就社できるかどうかのほうを心配するべきでしょう。
就社したあと、向いてないと分かった時点で辞めりゃいいと思うよ。
ダメなのは3年で辞められてしまう企業のほうであって、辞める個人のほうは好きにしていいと思う。
大企業に就社した経歴があれば、再就職もどうにかなるんじゃないでしょうか。
そういうオプティミズムで行けばいいと思います。

ちなみに、リンク先エントリーを参考にベンチャーに向いているタイプについて考えてみた。

・新しい問題を見つけるのが好き。その問題を解く方法については、とりあえずそれっぽく解けていればベータ版で構わない。
・服装や組織へのこだわりがあまり細かくなくおおらか。でも、一緒に働く人への「好き嫌い」が激しい。そして苦手(つまり「嫌い」)なことは死んでもやりたくない。
・尋常でない体力を持ち、それが競争優位になるどころか当り前の世界に住んでいる。
・自己顕示欲が強い。「これは自分がやったことだ」というような意志表明が生甲斐。むしろ大人数でした仕事でも自分1人を褒めてほしい。
・マネーが好き。メディアが好き。いずれは球団のオーナーになって自サイトで自チームの試合を完全中継をしたいと思う。
・六本木ヒルズに住んで女優と結婚したい。
・留置所暮らしが苦にならない。

――もちろん冗談です。
悪ノリしました。
今は反省しています。
[PR]
by kude104 | 2007-04-03 21:16
今、新潮新書の「ウェブ人間論」を読んでいるところなのですが、読んでいて梅田さんの考え方の傾向がちょっと見えたような気がして「面白いなぁ」と思ったので、メモ代わりに。

たとえば、「この先世の中はこうなるのではないか」という予測を立てたとして。
ほとんどの人は、今現在を立脚点として、そこから来たるべきその未来像への変化を考えるんじゃないでしょうか。
するとどうしても、「世の中がこんなふうに変わったら、今のこれは立ち行かなくなるのではないか」という方向に思考が向きがちです。
基本的に人は保守的だから、環境の変化によって得られるプラスよりも失うマイナスの方への警戒心が強く働きます。
で、「じゃあ、そうならないためにどうすればいいか」という、予防策についてより強く頭を巡らせてしまいます。
なんとなれば、少しでもマイナスの少ない未来像に修正は効かないものか・・・なんて考えたりして。

でも、梅田さんの場合はどうやら違うようです。
「予想した未来像は来る」という前提にたち、そこを立脚点にして、「じゃあ、そういう世界でうまく立ち回るにはどうすればいいか」という発想をされるようです。
少々乱暴にいうなら、「その未来像に問題があろうがなかろうが、抵抗しようが足掻こうが、それは否応なくくるんだから、四の五の言ってないで、その未来で少しでも上手く立ち回る方法を考えた方が賢いでしょ」といった感じ。

その未来像が今と比べてどうか、良いのか悪いのかというのは考えない。
思考をぽんと未来に飛ばして、いま自分がその未来にいるとして、どんなプラスを創造・享受できるか、という風に考える。
たしかにこの発想で物事を考えると、思考が前向きになりますね。

でも、多くの人は、思考をぽんと未来に飛ばせないんですよね。
ぽんと飛ばすためには、「必要とあらば今のやり方はいつでもすぐに捨てて、新しいやり方を試すよ」という心構えが必要です。
これがなかなか難しい。
人間どうしたって、今のやり方をできるだけ使い続けたいものだから、だから、今現在を立脚点にして未来を考えてしまうのでしょう。
[PR]
by kude104 | 2007-01-13 19:26 |

Google共和国

まぁ、「またその話に戻るのか」とウンザリされるかもしれませんが、今回はちょっとばかり妄想系で。
「ウェブ進化論」や、特に「グーグル」を読んでいて思ったのですが、巷にもよくある「Google脅威論」。
あれってつまり、現状でもかなりの影響力を持ち、今後さらにその影響力を増すであろうGoogleが、その影響力を悪用し始めたらどうなるか・・・という恐怖感ですよね。

Googleには、「世界政府というものが仮にあるとして、そこで開発しなければならないはずのシステムは全部Googleで作ろう」といった、ある種使命感めいた自負があるらしい。
じゃあ、いっそGoogle自身が世界政府になるという妄想はどうだろう。
ちょっと面白いんじゃない?

当然、ネット上での話です。
ネット上の、Googleの影響力が及ぶ範囲を「Google国」としてイメージする。
そのGoogle国に住まう人々は「Google国民」だ。
もちろんネット上の話なので、実際の国籍とかは関係ない。
国籍を取得するように、ある程度の手続きを経て、人々はGoogle国民になれる。

Google国民には、Google憲法やGoogle法が適用され、違反したりすれば罰金刑や国外追放などの措置が取られる。
国ですから、国民から税金を徴収し、それをもとに国を動かすという制度もありです。

で、そうなると当然、そうした国の政策、もちろん、Googleが今後どのようなサービスをどのように提供していくかといったことも国の政策になるわけですが、そういった舵取りをしていく人間を、Google国民の選挙によって決めましょうという話になります。
もちろん、ネット上の話ですよ。

つまり、Googleを「民主主義国家」にしてしまおうというわけですね。
まさに「Google帝国」から「Google共和国」への革命です。

脅威感というのは、「何をしでかすか分からない」「コントロールができない」というところに生じます。
Googleという脅威に対して、その舵を取る人間を自分たちで選べるなら、脅威感もかなり軽減されるのではないでしょうか。
選挙に勝ちさえすれば、自分がGoogleを思う方向に動かすことだってできるわけですしね。

・・・とまぁ、そんな妄想。
実際には、Googleが自身の経営陣をネット住民の選挙によって決めるなんて、そんな馬鹿なことは無い。
ありえない。
だって、Googleもなんだかんだ言って株式会社だもんね。
株主の損になるようなことは、絶対に出来ない。
だから、「Google共和国」は実現し得ないでしょう。

でも、いつか誰かがネット上に「理想国家」を作ろうとする可能性は、ゼロではないと思う。
現実の世界で新たに国を作るなんてほぼ不可能だろうけど、ネットの世界ならできる。
たぶん、国際法とかにも引っかからないよね。
もちろん、建国は容易には成功しないだろうけど、もし成功したらどうなるんでしょう?
なんかいろいろ面白いことが起こりそうです。

・・・と、ここでネットで調べてみたら、すでにそーゆー動き自体はあるらしい。
仮想電子国家 - マルチメディア/インターネット事典

なんか、あまり良く分からない説明だけど、とりあえずそういう発想自体は既にあるにはあるけど、今のところは、遊びやシミュレーションの域を出ていないといった感じでしょうか。
やはり、Google級の影響力を持った母体が必要か。

ということで、話の落としどころが見えないままに終了。
[PR]
by kude104 | 2006-06-05 23:59 | PC&ネット

キーワード占有戦略

今日もまた、「ウェブ進化論」と「グーグル」についての話ですが、この二冊を比べて「ウェブ進化論」が巧いなぁと感心するのは、キーワードの扱いです。
「あちら側」「こちら側」「次の10年」「三大法則」などなど・・・。
“それ”について何か語ろうと思ったときに、キーワードが有るのと無いのとでは大違いです。
同じような内容なのについつい「ウェブ進化論」について語ってしまうのは、そこにキーワードがあるからでしょう。

だいたい、タイトルからしてそうです。
「グーグル」ってタイトルは、検索するのに不利なことこの上ない。
本の「グーグル」について調べたくても、それこそGoogle本体についての情報が混じって上手く行かない。
その点「ウェブ進化論」は、ほとんどノイズが乗りません。

Googleについてはどちらもかなり的確に書かれていますが、その“使い方”を実践として分かっていらっしゃるのは、梅田さんのほうでしょうね。

これから情報を発信して行く上で、「いかに上手くキーワードを付けるかが、より一層重要になりそうです。
いかに的確で人々の口にのぼりやすく、他にヒット数の少ない(つまり自分たちが占有可能な)キーワードを見つけるか・・・という技術が磨かれて行くのではないかと思います。

検索エンジン上で、あるキーワードを自分たちの情報に結びつけることを「キーワードの占有化」と呼ぼう。
そのようなキーワードを「占有キーワード」と呼び、そのような戦略を「キーワード占有戦略」と呼ぶ。

・・・みたいな。
いまのところGoogleで「占有キーワード」「キーワード占有」はヒットしないので、このエントリーがGoogleに拾われれば、ぼくによる占有化成功です。
[PR]
by kude104 | 2006-05-26 22:25 |
「ウェブ進化論」がどことなく胡散臭く映るのは、やはりオプティミズムのせいだと思うんだよね。
梅田さんは、ウェブの表も裏も光も影も分かった上で、敢えて明るいほうを提示することで、これからの大変革に立ち向かうチャレンジ精神を育てようとしていらっしゃるのだと思います。
そういう姿勢は好きです。
でも、ぼくは天邪鬼なもんだから、ついつい「ホントかなぁ・・・」と斜に構えて読んでしまいます。

たとえばWeb2.0。
Web2.0とは、ネット上の不特定多数に自社のアプリケーションやデータ(リソース)を開放して、自由に使ってもらうようにすることで、まったく新しいサービスや広がりが勝手に作り出されることを期待する戦略と言えるでしょうか。
たとえば、Googleが「グーグル・マップス」という地図データ&アプリケーションを公開したことで、それを使ったサービスやらなにやらがわっと現れました。

たしかに、かつてなら独占され“門外不出”であっただろう貴重なリソースを、「誰でも自由に持って行って自由に使ってくださいよ」とばかりに、不特定多数にタダで開放したというインパクトは大きい。
そして、それによって、一社で独占するよりもはるかに多様で広がりのあるサービスが誕生すれば、「Web2.0って素晴らしい!」となるのは当然です。

でも、Googleはべつに社会奉仕で自分の持っているリソースを開放しているわけではない。
Googleが「グーグル・マップス」を公開できたのは、Googleが「地図の会社」じゃないからでしょう。
しかも、いずれは「グーグル・マップス」に広告を載せて自社の収益にしようという戦略があってのことだろうと思います。
Amazonが自社の商品データベースを開放しているのだって、そうすることでより多くの客さんがAmazonを利用することになるからでしょう。

言うなれば、携帯電話の端末をタダで配って、通話料や通信料で儲ける戦略と同じじゃないかと思うのです。
ビジネス的な面では。
実に巧いやり方だと思うし、みんなも恩恵を受けられるし、たしかにWeb2.0って素晴らしいと思う。

でも、ことさら「開放性」とか「不特定多数を信用する」とかそちらばかりが強調されると、まるでGoogleが採算度外視で理念だけでWeb2.0をやっているように思えてくるからアブナイ。
「よし、うちもWeb2.0だ」とばかりに、勘違いして通話料や通信料までタダで開放しちゃったりしてね。

「明るい未来」を強調するのはオピニオンリーダーの使命だと思う一方で、下手をすればアジテーターになりかねないよな・・・と思います。

梅田さんご自身は、今のところWeb2.0の最前線に立っていらっしゃるわけではない(と思う)。
たとえば、コンサルタント業のノウハウ(?)をデータベース化して開放したり、「Web進化論」にしてもPDFファイルなどで開放していらっしゃるわけではない。
意地悪い見方をすれば、前線に向かう兵士を大本営から鼓舞していらっしゃるようにも見える。
前線の兵士にしてみれば、敵が目の前に迫っていて明日の命も知れないときに「大義名分を言われても!」みたいな。

べつに「梅田さんも前線に立て」と言いたいわけではないし、「Web進化論」にケチをつけているつもりもありません。
だって、梅田さんはおそらく全部わかった上で書いてらっしゃいますもんね。
きっと、「アジテーターになろうともやむなし」なんでしょう。
そういう姿勢はすごく好きです。
[PR]
by kude104 | 2006-05-25 23:59 | PC&ネット
文春新書・佐々木俊尚著「グーグル Google 既存のビジネスを破壊する」と、ちくま新書・梅田望夫著「ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる」は、ペアで読むとさらに楽しめる二冊だと思います。

個人的には、読み物としては「グーグル」のほうが面白かったです。
「グーグル」のほうがドキュメンタリーふうでドラマチックなのに対して、「ウェブ進化論」のほうはスタンダードでオーソドックスな作りでした。
おそらく、「ウェブ進化論」のほうがポイントが整理されて頭の中に入って来やすいですが、「今まさに時代が変わろうとしている!」という危機感めいたものは、「グーグル」のほうに強く感じました。

そう、危機感。
この二冊の違いは、たぶんこのキーワードに集約されるように思います。

「ウェブ進化論」の中で著者の梅田さん自身が書いていらっしゃいますが、「ウェブ進化論」はとにかくオプティミズム(楽天主義)に貫かれています。
「これから社会のルールが大きく変わって、いろいろと古い体制が崩れて行くだろうけど、でも、最終的にはきっと今以上の素晴らしい社会が現れますよ」というメッセージにあふれています。

一方の「グーグル」は、「今こういう大変革が起ころうとしている。それによって、こういう人は恩恵を受け、こういう人は打撃を受ける」といった、事例を紹介する感じで書かれています。
そして、「この先に訪れる未来が良いものになるか悪いものになるか分からないけど、でも、確実にそれは訪れる」というメッセージを感じます。

「ウェブ進化論」で使われている「あちら側(インターネット上の世界)」と「こちら側(リアルな社会)」という言葉で言えば、「ウェブ進化論」は「あちら側」のルールを「こちら側」に分かりやすく伝える書です。
一方の「グーグル」は、「あちら側」が「こちら側」にどのような影響を及ぼそうとしているかについて書かれた書と言えるでしょう。

なので、「グーグル」のほうがリアルな臨場感でぼくの心に迫りました。
[PR]
by kude104 | 2006-05-23 23:26 |