世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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まっとうな男女交際って、それなりに修練しないと無理じゃね? - シロクマの屑籠(汎適所属)

まっとうなコミュニケーションのスキルがあれば、男女交際も大丈夫なんじゃね?
根本は人と人との付き合いなわけだから、恋愛とて、そう特別なものではないように思うんだけどなぁ。

恋愛のテクニックを磨いて行けば、たしかにスマートに恋愛できるようになるだろうけど、それがなに?って気がする。
スタイルとしての恋愛をするには、それは役立つスキルだろうけど。
“まっとう”に付き合って、お互いの関係を築いていく過程においては、結局一般的なコミュニケーション能力が物を言うんじゃないかなぁ。

なので、男女交際を義務的に教育する必要はないとぼくは思う。
それより、広く一般的なコミュニケーション能力を磨く教育のほうが望まれるんじゃなかろうか。
ある程度は自然と身に付くものであるとはいえ、社会生活を送る上で極めて重要な能力である割には、その習得が自然に任せられているのはどうにも心許ない。

一般的なコミュニケーションの学習であれば、「修練のために、とりあえず友だちになる」とか「教育機関が推奨する友だち付き合い」とかいうのも、さほど抵抗ないだろうしね。
それで学習したことを、あとは個々人で恋愛に応用してもらえばいいんじゃないかと思う。
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by kude104 | 2009-09-27 17:32 | 時事・社会
asahi.com(朝日新聞社):小学校に「学級委員長」不在の鳥取県、20年ぶり復活へ - 教育

ん?
一読して「平等の意味をはき違えているんじゃなかろうか」と思ったのだけど、よく読んでみると、ここで言っている「学級委員長」は、ぼくの思っている「学級委員長」とは違う存在なのだろうか。

昭和40年代ごろまでは勉強ができる子などを先生が指名して決める形が全国的に多かった。それが、「民主的な教育」が唱えられた昭和50年代以降、クラスのみんなに役割を経験させようという考え方が広まったという。

立候補を募ったり、輪番制で回したりといったやり方が進む中で「学級内のヒエラルキーが薄まり、新聞係、生き物係といったその他の担当と『同格』になる学校が増えた」
という記述を逆算すると、ここで言う「学級委員長」とは、立候補を募ったり、輪番制で回したりといったやりをせず、勉強ができる子などを先生が指名して決める、他の担当とは別格の役職ということになるね。
・・・うん、そりゃ問題あるかもしれんね。

『運動会の徒競走で、児童の能力にあわせてコース内に「近道」を作ってゴール付近で接戦になるように調整する』というのも、一読すると、なにやらエセ平等主義のように読めるけど、もしかしたらパラリンピックで障害の程度に合わせてハンデを付けるがごとく、個々の生徒の能力に合わせたハンデを設定しているということなのかもしれない。

たしかに、重要なのは足の速さを競うことではなく、子どもたちが自分の持てる力の精一杯で頑張ることにあるのだから、運動能力の優れた子供は優れた子供なりに、運動能力の優れない子供は優れない子供なりに、全力を競い合うルール設定は教育的に悪くないように思う。

実際のところがどうなのか分からないですけど。
一読して「平等の意味をはき違えているんじゃなかろうか」と思ったけれど、よくよく考えてみれば、実際のところはどうなのか分からないよなぁと思った、というお話です。
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by kude104 | 2009-02-10 17:59

子ども用ケータイ

小寺信良の現象試考:「ケータイ持たせない論」に見る大人教育の困難 (1/3) - ITmedia +D LifeStyle

「子ども用のケータイ」を作ったらいいんじゃないかな。
特徴はこんな感じ。

1)
子ども用ケータイは、基本、子ども用ケータイ同士か、保護者によって登録されたケータイでしか通話やメールのやり取りができない。

2)
子ども用ケータイは、月々の使用可能時間・料金の上限が設定でき、それを超えて使用できない。

3)
子ども用ケータイは子ども用サイトにしかアクセスできない。
(子ども用サイトの運営・作成は許認可制にする)


現状一番の問題は、物心つかない子供が大人と同じフィールドに放り込まれることにあると思うのです。
なので、PCも含めて、子どもにはまず子ども用ネット空間を用意してやり、そこでネットのルールやマナーやリテラシーを養い、成長するに従って徐々に大人用ネットに移行していけるようなシステムを用意してやればいいんじゃないかと思います。

利用者の年齢に応じて、利用できるサイトや利用時間・金額が増えるなど、自由度が高まる仕組みにしておいて、高校卒業したくらいで一通りのリテラシーが身に付いていれば理想的じゃないでしょうか。

ビジネス的にも、「子ども用ケータイ」は、まず端末を作る企業にとって新たな市場となります。
子ども用ケータイならではの可愛らしいデザインや使いやすさで勝負できるし、一口に子ども用ケータイと言っても、当然小学校低学年と高学年とで同じデザインで良しとするわけがないので、買い替え需要が大いに期待できます。

キャリアにとっても、「子ども用ケータイプラン」を用意して、それで商売すればいいでしょう。
「子どもにケータイを持たせない」となることを思えば、多少面倒でも「子ども用ケータイ」を用意して安心・健全をアピールするほうが企業としてもお得なのではないかと思います。

コンテンツ業者にとっては、自由勝手にサイトが作れなくので困った話になってしまいますが。
まぁ、そこは泣いてもらいましょう。
どのみち、きちんとした企業なら、許可を得てきちんとサイトを運営できるので問題ないでしょう。
むしろ、有象無象のサイトが減ることで、逆に商売がやりやすくなる可能性もあります。

とまぁ、そんな感じで。
学校教育に任せるとか、法律で規制とかされる前に、業界でそのへん上手いこと話をまとめてやっちゃうほうがいいと思いますね。
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by kude104 | 2008-12-20 16:46 | PC&ネット
asahi.com:市場原理 格差広げた 志水宏吉教授-マイタウン大阪

紹介されているイギリスの事例を見ると、

1)学力テストの結果を公表し、
2)学校選択制を導入し、
3)生徒数に応じて予算を配分した。

その結果、学校間の学力格差が広まったということだけど、そりゃそうだよな、と。
で、そうなった原因はどこにあるのかと考えると、1)の学力テストの結果を公表したことにあるのだろうか?
違うよね。

テストというのは、現状を把握するために行われるものだ。
テスト結果の公表は、それをみんなで共有するために行われるものだ。
このこと自体に問題はなかろう。

問題は、なんのためにそれをするのか、というところだろうと思う。
「学力の低い学校を切り捨て、高い学校を伸ばすために行う」というのなら、その方針は如何なものかと思うよね。
こうしたことは、学力の低い学校を伸ばすために行うべきであろうと思う。

イギリスの方針がどちらであったか分からないけど、学力の低い学校を伸ばすためにやったとしたら、あの3ステップでは完全に裏目に出ることは明々白々だ。
学力の低い学校を伸ばすなら、予算は学力の低い学校により重点的に配分しなければならないからだ。

橋下知事が全国学力調査の結果を公表したという、そのこと自体は問題ではないとぼくは思う。
問題があるとするなら、結果を公表して、成績が悪い学校が明らかになりました、と。
さあ、それでどうする?というところを明確にしていないからじゃないだろうか。

競争を煽って格差を広げるつもりはありません。
結果の公表は、問題意識をみんなで正しく共有するためです。
それによって、学校と行政と地域が一丸となって、問題の改善に取り組むことができます。
成績の悪い学校があるなら、それを改善することで、どの学校においても安心して教育を受けることができるようにします。
──とでも、言えばいいんじゃなかろうか。

そうしたビジョンなく、ただ公表しろというだけでは、たしかに抵抗多く受けるのも当然かなと。
一方、批判するほうも、結果の公表が序列化や学力格差の拡大のつながると言うだけでは、「そこが本質じゃないから」という感が否めない。
「公表するだけでは意味がないけど、その後どうするか、ちゃんと考えはあるのか?」というところを問い質すべきだろうと思う。
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by kude104 | 2008-10-21 17:30 | 時事・社会

子供と大人

FNNニュース: 石井 慧選手が町内運動会で「ズル」、子どもたちもあぜん 「人生の厳しさを指導した」

最後の子供のコメントに笑った。
「人生の厳しさを、人生の先輩である自分が指導しました」などと先輩風を吹かせたところで、当の子供には、「なんか大人げない人」という印象しか残せていないように思う。
ヒールというか、不作法で強いキャラクターを気取ってるつもりなんだろうけど、なんか中学生っぽいんだよなぁ。


【集う】「道徳教育をすすめる有識者の会」発足記念の集い(8日、東京都港区の虎ノ門パストラルホテル) - MSN産経ニュース

『社会を建て直すには学校の道徳教育から始めるしかない』

違うよ、学校の道徳教育に期待する時点で終ってるんだよ。
「学校の道徳教育から始める」んじゃなくて、「学校の道徳教育以外はやらない」んだよ。

スーパーの店員だけどお客さん色んなのいすぎ 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww

こーゆーの見ると、大人のほうこそ道徳教育が必要だろうと思えてくるなぁ。
ま、大人はすでに手遅れだから、こうならないように子供を育てるしかないわけだけど。

でも、子供の道徳心を育てるには、やはり、カッコイイ大人をたくさん見せることだと思うんだよね。
「道徳教科書を作成し、学校で教えよう」などと言う大人より、「おれたちがカッコイイ大人になって、子供たちの目標になってやろうぜ」と言う大人のほうを、ぼくは信用する。
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by kude104 | 2008-10-14 21:48
「自然な疑問」を持たないように訓練されている - 発声練習

上記エントリーにあるような『考える力』のない学生に、1年に満たない短期間で最低限卒業研究ができるまでにするにはどうすればいいか。
ぼくが指導教官なら、さてどうしよう・・・。

とにかく、今までとは評価のルールが変わったんだということを、身に沁みて分からせる必要があるように思う。
言うなれば、今までは答えが正しいか間違っているかが採点対象だったのが、これからは答えを導く過程が採点対象になるのだということ。
『結果』ではなく『過程』という価値観のシフトを、まず起こさせる。
加えて、『過程』の評価は、正解/不正解のゼロイチ評価ではないということを分からせる必要があるだろう。

そのためのトレーニングとして、たとえばこういうのはどうだろう。
学生数人をひとグループとして、彼らに同じ問題を出題し、解かせる。
そして、その解を導く過程を一人ずつプレゼン形式で発表させる。
まず、なにを考え、どこから手を付けたか。
どのように計算を進めて行ったか。
その結果、解にたどり着いたか、着けなかったかを発表させる。

ここで重要なのが、解にたどり着けたか着けなかったかは評価対象でないということ。
このプレゼンの評価はただひとつ。
解を導く過程が面白ければ面白いほど良しとする。
ユニークであればある程、ドラマチックであればある程、評価する。
なので、「解にたどり着けなかった」という発表であっても、その過程が面白ければ大いに褒める。
逆に、解を導き出していても、まるで面白みのない解き方をしていれば「つまらない」と評価する。

おそらく、初めは必要最小限の最短距離で正解を導くのが良いと思い、そういうプレゼンをしようとするだろう。
正解が導けなかった学生は、まったく何もプレゼンできないかも知れない。
そうしたプレゼンに対して、「なぜそういう解き方を選んだのかが分からない」とか、「他の解き方についての考察がない」とか、「試行錯誤した様子を発表しろ」とか、少しずつ辛抱強く矯正していくことで、彼らも今までとは評価のルールが変わったんだということが、身に沁みて分ってくるんじゃないだろうか。
同時に、プレゼンのスキルも身について、一石二鳥です。

とまぁ、そんなことを考えながら。
世の中を見渡せば、安易なハウツー話が溢れていて、けっこう人気がある。
ネットでも「○○するための10の方法」みたいなネタが人気だったりするしね。
子供も大人もお姉さんも、すぐに正解を知りたがるのは同じかなぁと思わないでもない。
社会全体が、無駄なことを嫌う傾向にあるのかもね。
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by kude104 | 2008-02-09 22:43
NHK「関西クローズアップ」で、加熱する“教育パパ”について取り上げていました。
うへぇ、熱心に子供に勉強させているお父さんとか、きもちわるい。

ぼくは小学受験だとか中学受験だとかには反対です。
子供の頃、いかに豊かに遊んだかが、その後の人生の大きな糧になると信じていますんで。
でも、教育パパなお父さん方も、若い時分にはきっとぼくと同じように考えていたに違いない。
やはり、いざ自分の子供を持つと、勉強させたくなっちゃうのかもなぁ。

リストラだ勝ち組だ負け組みだという厳しい社会の現実を身をもって味わっているお父さんが、自分の子供には負け組みになって欲しくないと願う姿には、同情めいた気持ちすら覚えます。
「同情」というと偉そうですが、まぁなんというか、切ない気持ちですね。
「いい大学に入って、資格を取って、将来は医者か弁護士になって欲しい」と笑いながら語るお父さんの姿というのは、なんだか切ないよねぇ。

とはいえ、「勉強ができる」ことが就職に有利であることは間違いないわけで。
そのへんが、なんか難しいなぁと思う次第です。
大学入試がくじ引きだったら、お父さんも教育パパになどなったりしないでしょう。
勉強は基本が出来てりゃそれでいいと、おおらかに構えていられるんじゃないでしょうか。

そう考えると、やはり、大学入試のあり方というものを考え直してみるのも面白いかもしれません。
たとえば、多少皮肉っぽいアイデアですが、東大の合否が「どれだけボランティア活動の経験があるか」で決まるとしたら、どこの家庭も小さい頃から子供に積極的にボランティア活動をさせて、日本のボランティア活動は一気に活発になるんじゃねーの?なんて思ったりします。

ああ、だったらべつに大学じゃなくて、企業の入社試験でいいのか。
「ボランティア活動の経験が豊富な人材は、社員としても献身的によく働く」といった考えを企業に定着させてしまえばいいわけだ。
研究職だと無理があるけど、営業職とか事務職だったら、わりと一理あると思うんだけどな。

今の世の中どうせパソコンがあるんだから、いわゆる暗記系の知識をもって「学力が高い」とする必要性はかなり薄いんじゃないかと思う。
いっそのこと、入試を「パソコンの持ちこみ有り」にしてしまえばいいと思う。
その上で測ることの出来る「学力」こそが、社会で能力の差を生む力なんじゃないでしょうか。
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by kude104 | 2006-09-15 23:59 | テレビ

腐ったミカンは隔離しろ

校内暴力:深刻な対教師暴力の実態浮き彫りに…現状探る-事件:MSN毎日インタラクティブ

実際のところ、全国的にどこまで深刻化しているのか分からない(というか、これは一部の極端なケースだと思いたい)のですが、ガキに暴力振るわれる大人の図ってのは、ちょっと暗澹たる気分になるなぁ。

暴力を振るってくる子供に対して、教師も暴力で対抗すれば、言っても大人と子供ですから、すぐに制圧できる。
でも、今の世の中、社会的には子供の暴力のほうが圧倒的に強い。
なにしろ、子供の暴力には失うものが無いのに対して、教師の暴力にはクビが懸かっています。
だれが他人のクソ生意気なガキのために、自分の人生を懸けられますかってんだ。
でも、そんなふうに腫れ物に触るように接する大人なんて、子供はすぐになめて掛かる。

だからといって、教師の体罰を善しとしろと言いたいわけではない。
参照記事の中で葉養正明・東京学芸大教授がコメントされているように、力で制圧しても表面的に収まるだけで、根本的な問題の解決にはならないと思うからです。

あー、ちなみに、同コメント中の「競争主義や成果主義が教育現場にも持ち込まれ、そのひずみが子どものストレスとなり」って部分には納得しかねますけど。
こんなもん、誰がどう考えたって、親の教育でしょ──ってまぁ、それはさておき。

じゃあ、どうすればいいかと言えばこれはもう簡単で、学級崩壊を引き起こす子供を隔離しちゃえばいいんですよ。
腐ったミカンが箱の中にひとつあると、他のミカンまで腐ってしまうんです。
──などというと、金八先生から怒られちゃいそうですが、いいのいいの隔離しちゃえば。

だってさ、そいつに自分の学級を崩壊させられた他のまっとうな児童の権利っての? 学ぶ権利や楽しい学校生活を送る権利ってのは、どうするのよ。
守らなあかんでしょ。

きちんと学校生活を送れる子と送れない子を分けることは、差別でもなんでもない。
分ける基準がきっちりと明確で、分けた後の扱いが妥当であれば、まるで問題無い。

もしこれを差別というのであれば、知的障害者が特別学級などで授業を受けることも差別になる。
でも、じゃあ、彼らをみんなと同じように扱いましょうと普通の学級に入れて、その子の事情をまったく無視した授業を受けさせるのが、正しいやりかたかというと違いますよね。
その子にあったケアをしてあげるのが一番で、そのために他の子供と分けるのがベストな選択なら、それは差別ではなく妥当なやるべき対策だと思います。

だから、同じように、普通の学級では学級崩壊を起こしてしまう子供を特別な学級に集めて、そこできちんとその子にあったケアをしてあげるのは、差別ではない。
妥当であり、やるべき対策だと思います。
で、その特別学級で、そういう子供の扱いに慣れたエキスパートに担当させるのです。
そのほうが、子供にとっても、そういう子供の扱いに不慣れな教師にとっても、いいに決まってます。
教師全員に、そういう子供のエキスパートになれと言うのは、どだい無茶な話です。

「分けるなどとんでもない、みんな一緒に扱わなければならない」という間違った優しさは、その子自身も他の子供も、そして教師も、だれも救えないとぼくは思う。
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by kude104 | 2006-09-13 23:59 | 時事・社会
asahi.com:「生きていくのが嫌に」 愛媛・自殺生徒の遺書全容判明 - 社会

こういうニュースを目にするたびに思うのですが、学校でいじめられてつらいのなら、学校へ行くのなんかやめちまえばいいのに。
どうして、生きていくのをやめる前に、学校へ行くのをやめられないのだろうか。

よく、子供にとって学校が世界のすべてだと言うけれど、それが良くない。
大人がもっと世界を広げてあげなければいけない。

いじめ根絶への取り組みはたしかに必要だけれども、いじめはそう簡単には無くならないという前提の元で、今いじめられている子供の逃げ場を作ってあげる取り組みも必要ではなかろうか。
それは単に、「死ぬくらいなら、学校なんて行かなくてもいい」と言ってあげるだけでいい。
学校行かなくったって死にゃしないよと。

まず親がそう言ってあげて欲しい。
「うちの子、いじめられてるかも・・・?」と感じたときに、「いいよいいよ。べつに学校なんか行かなくったって死にゃしないよ」と言ってあげて欲しい。
そうして、まず逃げ場を確保してあげることがすごく大事だと思います。
間違っても、「がんばって学校行きなさい。いじめられないように努力しなさい」なんてふうに、退路を断っちゃだめです。

はっきりいって、担任に相談しても、いじめは無くなりませんから。
いじめをやめさせるには、結局は、いじめられているほうが変わるしかないと思う。
理不尽なようですが、相手を改造するより、自分を改造するほうが簡単ですから。

単純な発想ですが、武術を身につけるのが一番手っ取り早いんじゃないでしょうか。
自分の強さに対する自信というのは、立ち振るまいにも影響を及ぼすものです。
それに、いじめってのは弱いものいじめですから、強くなれば収まりますよ。
学校休んで1年間ほど修行すれば、かなり強くなれるんじゃないですかね。

学校側としては立場上「来なくて良いです」とは言えないでしょうから、親なり世間なりが言ってあげましょう。
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by kude104 | 2006-08-27 00:01 | 時事・社会