世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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どうも選挙というシステムは、現状あまり上手く機能していないんじゃないかと思えてしょうがない。
選挙が有効に機能するためには、適正な規模というものがあるような気がする。

有権者が候補者について、能力や人となりをある程度把握できる規模というのは、どうも「町の選挙」くらいが限界であるように思う。
政策の良し悪しやその軽重についても、きちんと判断できるのは、どうしても「身近な問題」に限られるだろう。
天下国家百年の計でもって国政を考え投票するというのは、無理がある。

きちんとした判断材料を持ち得ない中で行われる投票は、決め手がフィーリングにならざるを得ないので、要するにまぁ人気投票みたいなものになってしまうだろう。
あるいは、「親の地盤を引き継いで」「うちは代々〇〇党支持」みたいに固定化する。
これで有能な政治家が選出されることを期待するのは、無理な話だ。

政治家に必要な能力というものがあるとして。
おそらく、それと選挙に勝つ能力とは全く別のものだろう。
選挙が有能な政治家を選出するための仕組みであるならば、当落は政治能力の有無によって決まるべきだが、当落を決める有権者が候補者の政治能力をきちんと判断できないので機能しない。

よって、選挙を行うにあたっては、候補者の政治能力についての情報を可能な限り有権者に提示しなければならないものと考える。
「それは有権者が自ら判断してください」というには、こと国政選挙は「規模の限界」を超えているのだ。

今あちらこちらで日本の問題点がさまざま指摘されているが、それらを抜本的に改革するには、結局のところ良い政治を行う他なく、そのためには良い政治家を選出する他なく、そのためには選挙制度を改革する他ないのではないかと思う。
良い政治家さえ選出できれば、時間はかかっても、さまざまな問題は解消されていくだろう。
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by kude104 | 2010-04-16 22:32 | 時事・社会
痛いニュース(ノ∀`):「子ども手当を。母国に子供4人」→年間62万4千円(母国の年収15年分)支給 …小倉智昭「詳細詰めずにスタート?」

笑い事じゃないけど笑うしか無い、みたいな。
言っても、政治家(もしくは官僚)の皆さんはプロというかそれなりの頭脳の持ち主だろうから、いくらなんでもそんな欠陥だらけの間抜けな制度作らんだろうって思うんだけど、作っちゃうのねー。
システムを作る者は、自らそのシステムの隙について考え、不測の事態に備えねばならないって黒崎さんも言ってたのに。

もしくは、誰か「埋伏の毒」的なやつがいるんじゃねーの?
「日本の国力を削いでしまえ」と願う外国勢力が送り込んだ刺客に「子ども手当で支持率アップ間違いなしですぜ」とかそそのかされて、みたいな。
じゃなきゃ、「外国の子どもでもオッケー」なんてしないだろー。
子ども手当の目的って、きっと少子化対策でしょ?
じゃ、外国の子どもにあげても日本の人口増えないじゃんね。

「外国の恵まれない子供に愛の手を」とかやっているひとはさー、ホントに養子縁組して子ども手当を活動資金に使えばいいのに。
詐欺的な話じゃなく、それで本当に真面目に人道支援したらどうなるんだろうね。
「腹立つんだけど、やっていることは素晴らしい」みたいな、気持ちのもやもや感が面白い。
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by kude104 | 2010-04-03 22:27 | 時事・社会

「祭り事」の政治

最近政治についてモヤモヤと考えるのだけど、「国民一人一人がきちんと候補者を選んで投票すれば政治はよくなる」というのは、結局のところ幻想なんじゃないかなーという気がする。
絵に描いた餅とでも言おうか、「みんな仲良くすれば世界は平和になる」ってのと似たり寄ったりなんじゃないかなぁ。

集団の中に、そもそも理知的に判断して行動できる能力を持ったひとって、いったいどれくらいいるのだろうね。
加えて、そのひとが理知的に判断して行動できるだけの情報なり状況なりが整っているケースってどのくらいあるのだろう。
そう考えると、やはり冒頭のように考えてしまう。

ならば。
すべてのひとが――覚悟としては大多数の人が、理知的に候補者を選ぶ/選べるわけではない、ということを前提に選挙というものを考えたほうがいいのではないだろうか。

大衆というものを考えた場合、大多数の人は理性ではなく感情で行動すると捉えるなら。
選挙というものは、理知的に判断しうる(と自認する)少数が、いかに大多数の感情に訴えるか、という戦いなのではなかろうか。
つまり、理知的な政策を、どのように感情的なコトバに変換するか。
下手をすればヒトラーみたいなのが生まれちゃうのだけど、マツリゴトというのはやはり本質的に「祭り事」なのだろうと思う。

で、感情に訴えるには、共同体に、その共同体意識を刺激する言葉を投げかけるのがたぶんもっとも効果的で、だから、共同体が解体されて個人個人がバラバラに投票するようになればなるほど、選挙への関心が低下するのだろう。

よって、いまの時代に政治を活性化させようと思ったら、よい政策を掲げ、その政策の支持者となる人々を組織化し、その共同体の感情を刺激してやる必要があるだろう。
そこまでしないとダメなんじゃないだろうか。
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by kude104 | 2009-07-17 23:59 | 時事・社会
解説委員室ブログ:NHKブログ | 時論公論 | 時論公論「議員世襲 制限は必要か」

原則論としては、世襲であろうがなかろうが、能力のあるなしで語ればよいということになる。
が、そうはいっても実際問題として、能力のあるなしとは別のところで当落が決まってしまう。
もし、有権者が候補者の能力をきちんと測って、それをもとに票を投じ、当落が決まるのであれば、世襲であろうが無かろうが大した問題にはならないだろう。
ということはつまり、世襲議員の問題というのは、「有権者は正しく候補者を選ぶことができません」という認識の上に生じる問題であるといえるのかもしれない。

だが、そもそも政治家に必要な資質や能力とは何だろう。
それらは選挙期間中に見極められるものだろうか?
また、それらの違いが、政治家としての活動成果の違いとして、どれだけ現れ得るものなのだろう。
つまり・・・概ね誰を選んでも大差ない、ということであるなら、世襲であろうとなかろうと大差ない、と言えるかもしれない。
あるいは、大差ないなら、世襲である弊害のほうが大きいと言えるのかもしれない。

あるいはもし、政治家に必要な資質や能力が、「地盤、看板、かばん」であるなら、世襲議員こそが正しい選択になるだろう。

考えてみれば、政治家に必要な資質や能力というものが不明のままに、われわれは民主主義政治というものを運用しているような気がする。
それらが不明であるために、優れた政治家になるための教育やトレーニングというものが確立しないままなのではなかろうか。
もしかしたら、それらは政治家を志す人々の間では自明であり確立しているのかもしれないけど、世間一般に知られるほどには至っていないだろう。
経営者にとってのMBAのような、あるいは英検何級みたいな、能力を示す分かりやすい「肩書」があると便利な気がする。

いっそ、選挙活動をバラエティ番組みたいにしてみるとか。
選挙区ごとに候補者を一堂に集めて、政治家常識クイズ対決とか、朝まで生討論とかやるの。
もちろん、その模様はテレビでお茶の間に届けます。
名前を連呼するだけの選挙活動などより、よっぽど一票を投じる参考になるだろう。
番組としても、けっこうスリリングで面白いと思うけどなー。


とまぁ、なんだかとりとめのない話になったけれど。
「世襲制限」というのは、現行の選挙システムの根本に不備があるのだけど、そちらは手直しできないので、とりあえず対処療法的に世襲だけ制限してはどうか、という話のように思える──と。
だからどうすりゃいいというアイデアもないのだけどね。

とりあえず、世襲制限はやってみてもいいとは思う。
少なくとも害はなかろう。
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by kude104 | 2009-05-11 22:20 | 時事・社会
日本の政治をよくするために必要なただ二つのこと - Tech Mom from Silicon Valley

前回「日本って、そんなに閉塞しているのか」を書いたあとで、例のブログエントリーに対して寄せられている様々な発言を読んで感じたのは、日本の政治に対する見事なまでの諦めムードです。

今の(そして未来の)政治家たちに対する期待値もゼロならば、「自分たちの手でそれを変えて行こう」あるいは「自分たちの手で世の中を良くしていこう」といった意識も、限りなくゼロに近いんじゃないかという印象を受けました。
ま、あまり「自分たちの手で!」という意識が強いと「憂国騎士団」みたいなのが現れてきそうなので、それよりはましだと思いますけど。


ぼくもそうですが、政治というものはなにか自分とは縁遠いところにあって、自分とは無関係な誰かがどうにかしているもの、という認識があるように思います。
政治家になろうなんて思ったこともなければ、誰か政治家なり候補者を応援したこともない。
ロビー活動をしたこともなければ、政治集会に参加したこともない。
政治献金なんて、悪いお金くらいのイメージしかない。
やることと言えば、せいぜい選挙に行くくらいですが、それだって自分の一票が政治を変えるなんて信じちゃいない。
国民主権とは言うものの、実際問題、信じている人どのくらいいるんでしょうね。

だから、このままでは日本はダメだと言われても、誰かがどうにかしてくれるのを待つだけだし、それが期待できないとなると逃げるか諦めるしかないわけです。
そりゃ、閉塞感も漂うよなぁという気がします。

というわけで。
「日本の政治をよくするために必要なただひとつのこと」と銘打って考えるなら、いかにして国民の政治への参加意識を高めていくか──ではないかと思います。
以下、その観点からつらつらと。


ぼくはこれでけっこうネットの可能性を信じている人間ですので、政治もインターネットの活用によって変わりうるという期待を持っています。
情報と思考を共有することで、人々の知的レベルというのかな、社会の認識水準は向上すると思っているので、政治においてもそれを実現できればよいのではないかと考えます。

たとえば、政治家についてのデータベースがあると面白いんじゃないか、とか。

過去・現職含めて、プロフィールはもとより、どのような活動を行い、どのような成果を挙げたか。
どのような立場でどのような発言をし、どの政策にどういう態度を示したか。
そうしたデータベースがあると、選挙の際に、新人候補者は無理としても、再選を狙う候補者に対しては、事前にささっとデータベースをチェックして、その良し悪しを判じることができるのではないか。

現状では、そうした情報へのアクセスが不便すぎますよね。
それで有権者に正しい判断をせよと求めるのは、ちょっと無茶じゃないかなーと思います。

政治家を選ぶ投票だって、言うなれば国の未来に対する「投資」なのだから、株式市場と同じかそれ以上の「投資家保護」の観点があってよいと思う次第です。
会社に有価証券報告書の提示を義務付けているみたいに、政治家にも活動報告書のようなものを義務付けてもいいと思うけどなぁ。
会社四季報みたく政治家四季報とかあったら読んでみたい。

そうした体制を国に作れと言ってもあまり期待できそうにないので、民間でやれないものかと考えます。
NGO的な組織を作って。
うーん、とりあえず資金力と組織力が要りますね・・・。


あるいは、ネットを活用し、ロビー活動をエンターテインメントにするというのはどうでしょう。

解決を目指す問題──なんでもいいですけど、たとえば雇用問題であったり年金問題であったり、とりあえずなにかひとつ解決を目指す問題を掲げます。
で、その問題を解決するにはどうすればいいか、ネット上で議論していきます。

もっとも、議論自体はネット上じゃなくてもいいですけど、解決策を導く過程をオープンにし、それに対する人々の意見を広く募りながら解決策を練り上げて行くという過程、それは立派なエンターテインメントになり得ると思うので。

そうして練り上げた解決策を持って、議員なり官僚なりに面会を申し込みます。
そして、「これを実行してくれませんか」とお願いしようという作戦です。

協力してもらえればいいですが、世の中そんなに甘くはないでしょう。
門前払いを食らうかもしれませんし、適当にあしらわれたり、ダメ出しをされるかもしれません。
でも、そうした様子を克明にレポートすれば、コンテンツとして十分面白いと思うのですね。

話をすることで、議員なり官僚なりの事情、考え、人となり、そういったものが分かります。
素人目で良しと思った解決策でも、専門家の目から見て、その問題点が明らかになることもあるでしょう。
そうしたレポートによって、政治というものが少しずつ分かってくるのではないかと思います。

そうして、まかり間違って見事解決策を通すことができたなら、その成功体験は人々の政治意識を変えるのに十分な役割を果たすのではないか・・・。

これなら目的意識を共にする数人のグループで実行できそうですから、政治に興味のある学生さんとか派遣村の方々とか、よかったらチャレンジしてみて欲しいなー。
自分でやるには、ちょっとぼくのモチベーションが足りてませんので。


──などと、結局他人任せを露呈して夜も更けて行くのでした。
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by kude104 | 2009-05-06 21:38 | 時事・社会

くだらねぇ

スーパー視察の後に…野党から辛辣な批判 - MSN産経ニュース

「首相っていうのは、国民が苦しい時は一緒に苦しい顔をするもんだ」って、何言ってんだろうこの人。

首相の給与を減らせというのなら、主張として分かる。
でも、年収4000万くらいもらっている人が国民と一緒に苦しい顔をして、それで何がどうだって言うんだ。
実態はともかく、見た目だけでも庶民気取れってか?
くだらねぇ。
むしろ、高給取りはみんなばんばん散財してくれたほうが、景気のためにはいいだろ。

麻生さんも、「何か問題でも?」と堂々としていればいいのに。
どーせ、批判してくる政治家さんだって年収数千万くらい貰ってるんだろうから、それで”庶民感覚”ってチャンチャラおかしいわけだし。
「罪を犯した事の無い者だけが石を投げなさい」だ。

もういい加減、しょーもない枝葉末節でいちゃもんつけて政治をかき回そうとするの、やめにしようよ。
鵜の目鷹の目で失点探す様は、見ててうんざりする。
こんなんばっかだから、日本の政治ってくだらねぇと思ってしまうんだよね。
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by kude104 | 2008-10-23 15:53 | 時事・社会
日本は国民による新政府を樹立すべきである TBN -Today's Best News-

こういう妄想談義は好きなので、触発されてぼくも何か書いてみよう。
テーマはやはり、「いかにして日本の政治を良くするか」で。
政治改革は選挙システムの改革からということで、こういうのはどうかな。

改革その1、投票を有料にする。
有権者は選挙で投票する際に “投票料” を支払わなければならない、というもの。
料金は、年収の0.1%くらいでどうだろう。
「金持ちしか投票できない」とかになっちゃうと問題だけど、年収の0.1%くらいならその気になれば貧乏人にだって支払える額でしょう。
むしろ、金銭的な負担は金持ちのほうに重くなるので、貧乏人に優しい選挙制度とすら言えるかも知れない。
もちろん、支払った “投票料” の額に関係なく、1人1票でその価値に違いはない。

この改革の目的は、有権者に身銭を切らせることで、投票に対して一定の気構えを持たせることにある。
投票に行くだけでも面倒くさいのに、そのうえお金まで徴収されるとなると、中途半端な関心しかない人間は投票に行かないだろう。
いわば、身銭を切らせることで、投票に対する意識を測ってふるいにかけるわけ。
当然、お金を払ってまで投票したくないという人のために、投票の棄権を認める。
投票したくない人、する気のない人は無理に投票することはないと思うのだ。
棄権は「他の人にお任せします」という意思表示として解釈し、それも参政のひとつのありようとして認めてよいと思う。
当然投票率はガタ落ちになるだろうけど、量より質ということで。

改革その2、政治家に活動報告書の作成を義務付ける。
選挙で当選した人は、その任期中、自分の政治活動の内容についての報告書を作成しなければならないものとする。
作成は4半期(3か月)毎でどうだろう。
報告書の内容は、その活動期間中における活動の成果の報告と、来期以降の目標、あとお金まわりの報告とか。
一定のフォーマットに則って作成し、それを見れば、その政治家がきちんと仕事できているか一目瞭然になるという優れもの。

報告書は、その政治家が出馬し当選した選挙区の有権者のうち、実際に投票をした人宛てに郵送で送られてくる。
もちろん、その有権者がだれに当選したかはわからないので、投票した人宛てにその選挙区で当選した政治家全員分の報告書が届くわけだ。
全員分届くと、あの人とこの人とを比較して、こいつはダメだ、こいつは頑張ってるなと判断できる。
自分の投票した人が政治家として優れているか、自分の見る目が問われる結果になる。
自分の投票した人が落選した場合は、当選した人の報告書を見て「まあ、この人で良かったかも」と納得できたり、「だから、こいつよりあの人がいいと俺は思ったんだよね!」などと「俺は分かってた」気分を味わえたりして、たぶん楽しいんじゃないかな。

活動報告書は、改革その1の有料化とセットにすると良い。
お金を払って投票したご褒美というか特典として報告書がもらえるというカタチになるので、きっと満足感が高まるだろうと思う。
お金を払ってまで投票しようというくらい政治に関心の高い人にとって、活動報告書は非常に興味深いものになるだろうし、活動報告書を読んでいると、きっと次の選挙で誰を選ぶか考えるのが面白くなってくるに違いない。
いそいそとお金を払って選挙に行き、届く活動報告書を面白そうに読む人たちが増えるに従って、それまで関心のなかった人たちも「そんなに面白いのなら、ちょっと自分もやってみよう」と思い始めるのではないかな。
そうした好循環によって、より意識の高い有権者が育ち、より能力の高い政治家が選ばれるようになるのではないかと思う。

ま、有料化は難しいとしても、活動報告書くらいは実現しないものかな。
とりあえず、政治家全員分の報告書をネットにアップして誰でも自由に閲覧できるようにという方向性でいいので。
それをするだけでも、だいぶ政治が変わってくると思うんだけど。
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by kude104 | 2008-01-21 22:03
http://anond.hatelabo.jp/20070501015533

「格差が問題なんじゃない。貧困が問題なんだ。」

この主張にはズギューンと来た。
たしかにそうなのね。
どんだけ貴族がいようと、それ自体は問題じゃない。
問題は、貴族が優雅に暮らしている横で、平民が餓えていることなのね。

ぼくの感覚として、なんだか世の中どんどん労働力が安く買い叩かれている、そんな傾向を感じます。
役員含めて全社員の給料が一律に下がるならまだしも、下っ端の人件費削ってコストカット、でも上役はそのままってのは、やっぱり企業として間違っていると思う。
企業は社会福祉に寄与すべきであり、その基本も基本は、自分のところの従業員をきちんと食わせることだと思うんですよね。
べつに役員が高給貰うのは構わないとして、でもその横で平社員(あるいは派遣社員)がワーキンブプアってたら、やっぱりアカンやろ。
そんな経営陣はサイテー!という社会的コンセンサスを、そろそろ作るべきではなかろうか。

たとえば、企業が従業員に支払っている賃金の額を公表するとかどうだろう。
(今でも調べればわかることなのかな?)
どういう感じで公表すれば最適かはともかく、狙いとしては、どの企業がどれくらい従業員の生活を豊かにしているかを一目でわかるようにすることで、あまり労働力を買い叩くようなことをすると恥をかくという状況を作り出そうという目論見です。

加えて、たとえば、従業員に支払う賃金に関して、なにか税制上の優遇措置を与えるというのはどうだろう。
あまり人件費を削ってコストカットを図ろうとすると、税金でむしろ損をしてしまう・・・みたいな。
まぁ、税金対策で無用な社員を雇いまくられても困るっちゃあ困るとはいえ、それも失業問題や貧困問題の解決の一助であると考えれば、多少その辺で税収が減ったとしてもトータルでは国益に適うというバランスは図れるように思います。
単純に法人税を下げるより、そういう方向性のほうが国が富むんじゃないかなぁと思うんだけど、どうだろうか。
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by kude104 | 2007-05-02 23:39
今日は映画サービスデーということで「デジャブ」を観るつもりでしたが、あろうことか、大量の人、人、人。
春休み、日曜日、映画サービスデーのトリプルコンボということでしょうか。
満席ということなら、その次の回にという選択肢で対応してもよかったのですが、そんなどころの混雑じゃない。
チケットを買うのに40分待ち(とアナウンスがありました)の長蛇の列、という状況でした。
正気ですか?
一瞬並ぼうかと思いましたが、やっぱり冗談じゃないということで断念しました。
これはエイプリルフールじゃないですよ。

とはいえ、まったく何も観ずに帰るのも敗北の気分だったので、並ばすに買える劇場で上映しているタイトルから、「ラストキング・オブ・スコットランド」を観ることにしました。
でもごめん。
ぼくが間違ってた。
これは、そんな「並ぶのが嫌だからこれにしよう」なんて軽い気持ちで観ていい映画じゃなかった。
怖えぇぇよ、マジで怖すぎるよ、この映画。

内容はと言うと、アフリカはウガンダの独裁者アミンの人となりを、彼の主治医であり顧問であるスコットランド人の若き医者ニコラスの視点で描いた映画というものです。
知識に疎いのでどこまで事実でどこから脚色か分かりませんけど、いちおう、事実に基づいた映画ということになっています。

物語は、彼がクーデターにより大統領になったころから描かれています。
この頃の彼は、まさに国を思い民衆を思うカリスマ指導者として、魅力的に映ります。
しかしやがて、徐々に恐怖政治を強いる独裁者として変貌していき、ついには30万人とも言われるウガンダ人を殺害するまでに至ります。

最初は、「思ったよりもじめじめしてないじゃん」と意外に思うくらい陽気な映画でした。
でも、中盤から後半にかけての怖さは、近年まれにみる感じでしたね。

この映画の怖さは、ひとつには、虐殺の描写のリアルさにあります。
見せしめとして手足を切断され、腕の位置に脚を、脚の位置に腕を並べられた死体のショットらしきものが、かなりまざまざと映ったりします。
怖くて直視できなかったんですけどね。
あれ、どうやって撮影しているんだろう。
まさか、本当に死体を使ったわけじゃないよね。
絶対今晩夢に出てくるよ。

そういう視覚的な怖さと合せて、やはり、権力に人が狂っていくことの恐怖ですね。
あれだけ陽気で魅力的だったアミンが、いつからか不気味に恐ろしく感じられるようになる恐怖。

アミンという人が、映画を見る限りでは、生まれついての独裁者であり残虐な人物であったとは思わない。
もしそうだとしたら、それはアミンに限らず、われわれ人間誰しもがそうであるというレベルの話だろうと思います。
彼が特別残虐だったということで片付けられる話ではない、と思うのです。

観ていてそりゃそうなるよなぁと思ったのですが、四六時中命を狙われる状況にあれば、人はそりゃあ疑心暗鬼になり、誰も信じられなくなり、政敵を粛清していくことになりますよ。
権力が人を腐らせる部分もあるけど、やはり、その前にあるのは殺されることへの恐怖だろうと感じました。
選挙で民主的に政権が交代する国と、クーデーターや暗殺といった暴力で政権が交代する国との、これは違いだろうと思います。
もしウガンダが平和的な国であったなら、アミンも独裁者にならずに済んだだろうと思うと、彼が異常だったということで片付けてよい話とは思えませんでした。

それでも、権力が人を腐らせる部分は確かにある。
映画を観ていて、例によって、自分ならどうするか?という視点で観ていたわけですけど。
やはり必要なのは、まずは、権力者は自分の権力に自分でリミッターを設けなければならないということでしょう。
ぼくがあのスコットランド人であったなら、初っ端、まだアミンが理想に燃える良き指導者であったときに、彼に自らの権力を自ら制限することを勧めるべきだろうと思います。
それは、そういった憲法の制定であり、やはり、民主的に政権が交代するシステムづくりであろうと思います。

選挙によって政権が交代するというシステムは、権力者側から見れば、選挙で政権が交代する道を作ることで、政敵が暴力で政権を奪取しようとする動きを抑制するという効果があろうかと思います。
それが非常に重要だと感じました。
権力者というか施政者が命の危険を感じなくていいということは、非常に大切なことですよ。

そういう政権交代のシステムを作ったら、権力者には、4年か5年かそれくらいの任期で政権の座から退く覚悟をさせることが重要でしょう。
終身で権力を維持しようと思うから、政敵を葬ることになるのだと思います。
自分の任期を4~5年だと思い定めれば、そのへんの妙な執着は無くなるんじゃないでしょうか。
それを、まだ自身の栄華ではなく国の栄華を思っているうちに、決意させておくべきだろうと思います。

たとえアミンが倒れたとしても、民主的な政権交代の制度がないことと、権力者が無期限に権力を握る構造である以上、第二第三のアミンが現れることになるだろうと思います。
アミン後のウガンダがどうなのか知りませんけど、総じてアフリカが(印象として)安定しないのは、この二つが欠けているからじゃないでしょうか。

間違ってもデートムービーなどでは決してありませんけど、残虐シーンに耐性のある方なら、思いのほかエンターテインメントとして楽しめる作りになっている映画です。
人の狂気をご覧になりたい方はぜひどうぞ。
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by kude104 | 2007-04-01 23:59 | 映画
選挙というものについて考えてみるわけだけど、世の中をより良いものにしてくれる政治家を選挙で選ぶということが、果たしてどの程度現実的な話なのだろう。
政治家の能力を測る「政治力」というパラメータがあるとしよう。
それは果たして、僕ら有権者に窺い知れるものだろうか。
選挙の際、こちらの候補者とあちらの候補者のどちらが政治力が高いかなんて、一部の実績ある政治家以外、まず判断のしようがないのではないか。

しかも、同じ「実績」と言っても、たとえば経営者だったら彼の会社がどの程度の利益を上げたかという数値でもって測れる。
でも、政治家の実績を表すデータといえば、今のところ、当選回数と得票数と、あとは肩書きくらいなものじゃないかと思う。
でもって、この手の実績が良くても、どう見たって政治力が低いだろうと思われる政治家はごろごろいる。
政治家の実績で測れる政治力なんて、選挙力と党内処世術くらいでしょ。
彼らが選挙の折に唱えるスローガンもまた、彼らの政治力を測る材料にならないことは言うまでもないしね。

政治を良くするには、有権者一人一人が選挙できちんと候補者を選ぶことだというのはその通りだとしても、現状できちんと選べる状態が整っているのか甚だ疑問だ。
きちんとした会社に投資することが大切ですといいながら、企業の収益データ等が公開されていない株式市場だったら・・・みたいな感じ。

一方で、というか同時にというか、そもそも政治家に有能さを期待するほうが間違っているのではないか、という気もする。
政治家として有能な人材というのは、往々にして他分野でも有能だろう。
そんな優秀な人材が、果たして何十人何百人と政治家になるものかな。

政治家(議員)の役割のひとつに法案の提出というものがあるけど、実際に法案を作って提出できる能力を持った人材がどれくらいいるだろう。
せいぜい、自分の得意分野ひとつに限れば可能、というので、かなり優秀なほうだと思う。
他の分野についてもそれができる人間なんて、いるほうが奇跡だろう。

となると結局、議員はオールマイティに凡人であることを前提に考えるべきだという気がしてくる。
政治家は政治的な事務処理を担当する人々という位置づけにして、個々の専門的な立案やら判断やらは、それぞれのエキスパートが担当するような形がいいのではないか。
今も多かれ少なかれそうなっているのだろうと思うけど、いちどそのへん、きっちり整理し直してみるとすっきるするのではないか。

政治家の重要性が下がれば、選挙で我々が適切に候補者を選べないことの致命性も相対的に下がることになるので、ひとつの解決策かなぁと思ったりする。
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by kude104 | 2007-03-26 23:59