世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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収入学歴はあるけど恋愛経験が皆無の男へ。アラサー女子と和解して幸せになりませんか? - 結婚・恋愛ニュースぷらす
ここらで一歩ずつ譲歩してお互いに幸せになりませんか?
収入学歴はあるけど恋愛経験が少ないアラサー男子はアラサー女子に育ててもらうぐらい
の謙虚な気持ちで仕事や趣味彼女との付き合いを通じて自分を成長させる努力をする。
アラサー女子は多少幼いところには目をつぶり成長意欲があり努力の姿勢が見られるので
あれば多少現時点で未熟なところには目をつぶり長い目で育てる。
名付けてアラサー男女の幸せのための和平交渉。どうですか?
婚活と言いつつ恋愛経験がどうのこうのと言っている時点で間違っている。
結婚相手に「恋愛経験」の豊富さなんて必要ないだろ。
それが「人として幼い」という意味ならば、恋愛経験関係ない。
「人として幼い」のと「女性あしらいが幼い」のとを混同しているなら、まずそれがダメ。

収入学歴はあるけど人として幼いから結婚出来ない男性に対して、女性が母親がわりになって育ててやろうということなら、発言の趣旨はわかる。
アラサーにもなって「人として幼い」ってのはかなりのキズアリだと思うけど、他に相手がいなくて、どうしても結婚したいならそれもしょうがない。

一方、「女性あしらいが幼い」ことに対してどうのこうの言っているのだとしたら、自分自身が「人として幼い」のだということに気がつけ。
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by kude104 | 2010-12-03 17:53
島国大和さんの「恋愛資本主義と愛と働き蜂の話」について - tyokorataの日記
それ故、「皆が平等に『幻想』を享受できるはずなのにどうして俺は」と忸怩たる思いを抱く人が出てくるわけです。

島国大和さんの希望やら夢は労働させて搾取する為に使われるだけだから、自分の価値判断で行動した方がいいさ。という考え方は、自分の価値観を「会社」や「周りの価値観」などに合わせる事で安心している、「運」に恵まれなかった「大衆」に求めるのは酷なわけです。
人が生きるために『幻想』を必要とするのは、たしかにそうだとして。
恋愛至上主義の弊害は、生きるための『幻想』として恋愛を至上のものとするあまり、恋愛できないと生きる意味を見失ってしまうことじゃないかと思う。

「自分は(まだ)恋愛できる」と信じていられる間は恋愛至上主義もいいのだけど、当然、皆が皆恋愛できるわけではない。
恋愛至上主義を価値観として抱えながら、自分には恋愛はできないのだと気付いてしまった人は、いったいどうすればいいのだろう。
恋愛至上主義を捨て、つまり「恋愛は至上でも何でもない」という価値観に切り替えて、他の新たな『幻想』を獲得するしかない。

「自分の価値判断で行動した方がいい」というのも、そうした恋愛できない恋愛至上主義者たちに向けられた「逆洗脳」のひとつだろうと思う。
「酷」なのではなく、「優しさ」ではないかな。
『幻想』などなくとも幸せに生きていけるよ、という言葉もまた『幻想』として機能するのだ。

ただ、現状、恋愛を「至上」の座から引きずり降ろせるほどの力を持った『幻想』は、ないと言っていいんじゃないだろうか。
個人個人に対してはあるんだけど、これほど不特定多数の大衆に一律に効く『幻想』は、それこそ宗教くらいしか思い当たらない。

なにしろまず、恋愛はおそらく子孫を残すために必要な事柄として、生理的なレベルで脳内麻薬とかドバドバ出ているだろうから、生半可なものでは太刀打ちできない。
恋愛の至上性は、遺伝子レベルで後押しされている気がする。

それでも、恋愛が単に「性的」なだけのものならばまだ付け入る隙もあるけど、それに加えて「聖的」なイメージまでもがまとわりついているのだから、お手上げだ。
恋愛がもっと俗なものだったら、もっと軽く扱えもするのだけど、人によっては人間の欲望の中でもまさに「至上」に奉られたりしているものだから。

そして、純粋にエンターテインメントとしても強力だ。
恋愛自体が優れたエンターテインメントというだけじゃなく、他のすべての娯楽を飛躍的にドラマチックにする効果まであるのだから。

そして、希望性。
たしかに恋愛できない人は大勢いるし、自分は恋愛できないと絶望するひともたくさんいる。
だけど、恋愛はある日突然見知らぬ誰かに「あなたが好きです」と告白されて、いきなり手に入る可能性が、希望として捨てきれない。
それこそメディアが盛んに作り上げた、一番たちの悪い『幻想』なのだけど。
希望として捨てきれないから、諦めたつもりでもふっ切れなくて、いつまでも縛られる。

それは、変身願望にも通じるものがあるだろう。
好きだと言ってくれる王子様が現れてくれさえすれば、その瞬間から何もしなくてもお姫様になれる。
小説の一本も書かずに、ある日突然作家になれると思う人はいないのに。
出会いの機会も作らず、異性的な魅力も磨かずに、でもある日突然恋愛できると思う人はけっこういて、恋愛さえすれば自分もヒーローやヒロインになれると思う人は多いのではなかろうか。

そこれほど強力な『幻想』が他にあるだろうかと考えると、まず思い浮かばない。
人間に『幻想』が必要であるならば、その『幻想』として恋愛が用いられるのも致し方なし、と言わざるを得ないだろう。
「恋愛だけが人生じゃない」といった『幻想』では、とうてい勝ち目はない。
大衆を幻惑するには弱すぎる。

ならば、できることは、恋愛の難易度をもっと下げてやることではないだろうか。
レベル1でいきなりドラゴンに挑まんとする(それでやられたり、ビビって逃亡する)人が多いように思うので、まずは装備を整えて――それも最初は竹のやりとか棍棒とかから初めて――スライム相手に経験値稼ぐような手引きが世の中に必要なのではないだろうか。

併せて、恋愛の神聖さをもっとぐっと下げて、一度に複数人との交際可、交際期間は平均1年ほどって感じにすれば、回転率が上がるので、多くの人間にチャンスが広がる。
なんというか、将来の伴侶を選ぶステディな恋愛は30歳前後くらいから、それまでは友だち以上恋人未満的なノリで、経験値稼ぎな恋愛が当たり前な風潮を広めればよい。

恋愛に臆病な人間にとって最大の要因となるのが見た目ならば、美容整形をもっとカジュアルなイメージにしてしまえばいい。
髪型を変えるように、顔も作り変えちゃえばいい。
手術代も、保険が効くようにしてさ。

恋愛市場主義にとって、恋愛の回転率を上げることは需要の拡大につながるのだから、大いに歓迎すべきことだろう。
政府にとっても、結婚~出産の前段階に男女のカップリングが必要になる以上、恋愛の難易度を下げることは少子化対策として悪くないはず。
個人にとっても、まぁ、ますます恋愛市場主義の奴隷になっていくわけだけど、その対価として、かように強力な恋愛の快楽性が得られるのであれば、リーズナブルと言えるのではないか。

あとは、恋愛を神聖視する人たちの反発が予想されるけど、それに対しては、神聖さを結婚の方にシフトさせることでごまかせばよい。
恋人付き合いと友だち付き合いとの境目を曖昧にして、その代わりに、結婚こそが神聖で、永遠かつ独占的な愛を誓うもの、という具合に。

美容整形に対する抵抗感は、「本当に大切なのは中身だから、外見はいじってもいい」ってな感じでごまかせばいいだろう。

そんな感じでメディアでばんばん流布してもらえば、5年と待たずに難易度下がってくるんじゃないだろうか。
どうせ恋愛至上/市場主義を推し進めるのなら、そこまでやってもらいたいものだ。
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by kude104 | 2009-11-06 16:36
まっとうな男女交際って、それなりに修練しないと無理じゃね? - シロクマの屑籠(汎適所属)

まっとうなコミュニケーションのスキルがあれば、男女交際も大丈夫なんじゃね?
根本は人と人との付き合いなわけだから、恋愛とて、そう特別なものではないように思うんだけどなぁ。

恋愛のテクニックを磨いて行けば、たしかにスマートに恋愛できるようになるだろうけど、それがなに?って気がする。
スタイルとしての恋愛をするには、それは役立つスキルだろうけど。
“まっとう”に付き合って、お互いの関係を築いていく過程においては、結局一般的なコミュニケーション能力が物を言うんじゃないかなぁ。

なので、男女交際を義務的に教育する必要はないとぼくは思う。
それより、広く一般的なコミュニケーション能力を磨く教育のほうが望まれるんじゃなかろうか。
ある程度は自然と身に付くものであるとはいえ、社会生活を送る上で極めて重要な能力である割には、その習得が自然に任せられているのはどうにも心許ない。

一般的なコミュニケーションの学習であれば、「修練のために、とりあえず友だちになる」とか「教育機関が推奨する友だち付き合い」とかいうのも、さほど抵抗ないだろうしね。
それで学習したことを、あとは個々人で恋愛に応用してもらえばいいんじゃないかと思う。
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by kude104 | 2009-09-27 17:32 | 時事・社会
男たちの反乱が始まった こういう女はやめとけ

先日、ある女からこんな事を言われた。

「女は、恋愛におけるアプローチ、誘うことも、デートのセッティングもする心づもりがある。もちろんワリカンで。しかし、女からの積極的なアプローチには、男は引いてしまう。結局、『男は女を養わないと』『女をリードしないと』といった『男らしさ』『男役割』に、男は自らしがみついているのだ」
はたしてそれは「女」から「男」に限った話なのだろうか?

たとえば、「女からの積極的なアプローチには、男は引いてしまう」という発言から性別を表す単語を抜いてみると、「積極的なアプローチに引いてしまう」となる。
「積極的なアプローチ」というのがどれくらいのレベルかにもよりますが、男女に限らず、恋愛に限らず、こちらにとって興味のない相手からぐいぐい来られたら、そりゃ引くよね。
男も女も関係ないと思うのですが。

それとも、男からの積極的なアプローチには、女は引かないのでしょうか?
・・・ほんとかなぁ。
それって「ただしイケメンに限る」とか、単にちやほやされるのが嬉しいだけとか、そういうことじゃなくて?

ワリカンは──まぁたしかに、ちょっと「ここは俺が払うから」ってカッコ付けたくはなるね。
たとえばいいレストランとかそれなりの場所で女に払ってもらうのはカッコワルイという価値観は、たしかにある。
相手が同じくらいの稼ぎで、しかもワリカンでいいっていうなら、強いて「俺が払う」を貫こうとも思わないけど。
個人的には、「今回は俺が払うから、次は君が払って」って感じで、交互に奢り奢られるのが好きだけどね。


J-CASTニュース : 好きな男性は「俺についてこい」型 女性は意外に「上から目線」が好き?

まぁ、世間にはこーゆー情報があふれているので、お互いに相手の価値観を探り探りしている段階では、とりあえず「男がリードする」ということで進めるのが一番スムーズにことが運ぶだろうとは思います。
「あなたがリードする? それとも私がリードする?」という探り合いをやらなくていいぶん、楽でしょう。

でも、そうして第一段階をクリアしたら、あとは「対等に付き合いたい」という意思表示をすればいいんじゃないかと思います。
それに対して相手が「いや、俺がリードする」と主張するなら、そこから先は、お互いの価値観の違いにどう折り合いをつけるかという話でしょう。
恋愛に限らず、人と人との付き合いというのは、相手の価値観をどう尊重するか、自分の価値観をどう尊重してもらうかという、そのすり合わせだろうと思います。
それがうまくできない相手とは、どの道うまく付き合えないのですから。

そこで、「男って」「女って」などと男女論に逃げて価値観のすり合わせを放棄すれば、そりゃ上手くいかないのは当たり前じゃないでしょうか。
なのに、恋愛になると、そういうひと多いですよね。
愛があればどうにかなると思っちゃうからかな。
それこそ「恋愛らしさ」にしがみついているだけじゃなかろうか。

あなたが相手にすべきなのは、「男(あるいは女)」じゃなくて「○○さん」という個人ですよ、と。
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by kude104 | 2009-04-18 23:40

恋愛は面倒くさい

「恋愛は面倒くさい」、低体温なアラサー女子たち:日経ビジネスオンライン

2ページ目以降は読んでいないけど──というか、ほぼタイトルだけを読んで。
コンピュータゲームのことが思い浮かんだ。

昔はあんなに面白かったのに、最近じゃまるでゲームに興味がなくなった。
いや、興味がないわけじゃないんだけど、いざ遊ぶとなるとどうにも面倒くさい。
一度遊び始めたら面白くて熱中するんだろうなとは思うんだけど、電源を入れるまでが面倒くさい。
時々「お、このゲーム面白そうだな」とトキメクことはあるけど、でもすぐに、どうせ毎度のパターンでレベル上げしてアイテム集めて世界を救うんだろうなと思うと、面倒くさい。
昔はゲームが一番楽しい娯楽だったけど、いまはゲーム以外にもやりたいことややるべきことがたくさんあって、昔のようにゲームにばかりエネルギーを注いでいられない。
もし、本当に心ときめくゲームに出会えば、いままで面倒くさいと言っていたのがウソみたいにゲームにのめりこんだりするんだろうけど、でも、そんなゲームに出会うために、いちいちファミ通買ったりゲームショップに通ったりなんかしていられない。

──みたいな?

「恋愛」をゲームに見立てるならば、「恋愛」もゲームと同じように近年どんどんフクザツになってきているのではないかな・・・と思う。
テレビや雑誌なんかで理想な恋愛スタイルを年々年々積み上げてきたものだから、いまさら喫茶店でお茶して手をつないだだけでぽっと赤らむような恋愛などしていられない。
デートはおしゃれなどこそこで、ファッションはおしゃれな何それで、記念日にはあれしてこれして、うんぬんかんぬん。
好きな人とあれをしたいこれをしたいじゃなくて、あれをしてこれをするのが恋愛のお約束みたいになっちゃっうと面倒くさいよね。

ま、個人的には、恋愛を無理やりする必要性を感じないので、べつに低体温で良いと思う。
高体温って、それつまり発情?って感じだし。
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by kude104 | 2009-02-19 22:47

非コミュ > 非モテ

最後に残された差別 - Hopeless Homeless

「非モテ問題」の多くが、恋愛に限らずコミュニケーション全般に対する劣等感問題であるという捉え方は、なるほどと思います。
では、「コミュニケーション全般に対する劣等感問題」がなぜ「非コミュ問題」ではなく「非モテ問題」という、いわば「恋愛」にスケールを落として語られるのかという点についてですが。

「非モテ」という言葉が実際にどのような使われ方をしているのかをぼくはよく知りませんが、イメージとしては、自称で使われることが多いように感じます。
コミュニケーションに劣等感を抱えている人が、自らを評して「どうせ自分は非モテだから」といった具合に。

で、自らを評すときに「非コミュ」ではなく「非モテ」を選択したということを、多少うがった見方をするならば、自らの劣等感問題を「恋愛問題」として語ることで、ある種の自己防衛をしているのではないでしょうか。

「友だちがいない」というのと「恋人がいない」というのと、どちらが精神的にキツいかと考えてみれば、ぼくなら前者のほうがキツいです。
恋人がいないことは、ぜんぜん平気にネタにもできる。

なんというか、恋人がいないことには、言い訳と言うか逃げ道が立つんですよね。
コミュニケーション能力が高くても恋人のいない人はたくさんいるし。
そもそも自分は恋愛に興味などないと嘯くこともできるし。
恋人のいない人はたくさんいて、その人たちと思いを共有することができる。
でも、友だちがいないってのは、現状、表面的には、恋人がいないことよりもマイノリティーです。

多くの場合、「非コミュ」は「非モテ」だけど、「非モテ」は「非コミュ」とは限らないという非対称性が成り立ちます。
この非対称性──つまり、「非モテ」を自称していても「非コミュ」とは限らないという逃げ道──が、「非コミュ」ではなく「非モテ」を自称する動機になりうるのですが、同時に、この非対称性によって、「非コミュ」な人々も「非コミュ」ではない人々もひとまとめに「非モテ」で語られるという事態をも招くこととなります。
それが混乱のもとになっている気がしますね。

ま、実際のところはどうか知りませんけど。

とりあえずぼくのイメージでは、「非モテ」にそれほど強い差別意識は感じません。
どちらかというと、「非コミュ」のほうがきつい気がしますね。
なので、自らを「非モテ」と称する人に「あなたは非モテじゃない、非コミュだ」と教えてあげることは、せっかく鎧った自己防衛を無理やり剥がしてしまうことのようにも思えます。

「非コミュ」をもう少しやわらかく自称する言葉が、「非モテ」以外になにかあるといいのにね。
たとえば、「リア充」に掛けて「リア貧」とか──と書こうとして、その響きになんだかすごく悲しくなった。
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by kude104 | 2008-12-14 16:52
彼女が欲しい、っておかしい事なんですか - 或るオタクの遠吠え-Over the Rainbow-

上記エントリーのそのまたリンク先までは面倒くさいので目を通していないのだけど、曰く、「彼女が欲しい」という発言に対して、「好きな人が出来てから考えろ」「彼女が欲しい、というのは自己愛肥大」みたいなアドバイスや批判が目立つという。

ぼくとしても、いきなりカノジョ──つまり恋愛関係を手に入れたいなどと言えば、そりゃ批判されても不思議はないよな、と思います。
恋愛というものに対しては、世間的にある種のピュア信仰のようなものがあるし、第一いきなり恋愛関係って「順序としておかしいだろ」と思うのです。

なんでみんな、「カノジョが欲しい」と願うのだろう。
その前に、どうして「異性の友達が欲しい」と願わないのだろうね。

「好きな人がいないのに彼女欲しがるヤツはDQN」といった価値観の話ではなく、単純に関係性のハードルとして、恋人関係よりは友達関係のほうが構築しやすいと思うのだけど。
なんでわざわざハードル高いところから始めようとするのかな。

もちろん、異性の友達を作るのも簡単じゃないと思う。
でも、今回は比較のお話だから。

難易度でいえば、恋人関係よりは友達関係のほうがクリアしやすいよね。
ピュア信仰的な話としても、友達関係を意識的に作ろうとすることは、別に批判されることでもないだろう。
「友達になりたい人ができてから考えろ」などとは言われないでしょう。

それとも、友達から恋人への発展シナリオって、実はそれこそが(ぼくの中での)ピュア信仰だったりするのかな。
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by kude104 | 2008-09-08 23:56

夢見て恋、覚めても愛

多分夢見ることが悪いんじゃない - pouda::memo

ぼくは自分のToDo リストの中で恋愛の優先順位がけっこう低いのですが、この文章を読んで、そう言えば、ぼくは恋愛で「自己承認」を満たそうと思ったことがないよなーと気付いた。

もちろんぼくにも「他人に認められたい」という欲求は多分にあるのだけど、そのエネルギーは恋愛に向うよりも、「すごいソフトウェアなりネットサービスなりを作って認められたい」という方向に向かう。

ドラマなんかでよくキャリアウーマンが「いまは恋愛よりも仕事」なんて言うシーンがありますが、ああしたことも、「何によって自己承認を得ようとするか」という視点で捉えると面白いね。
一昔前の(今でも、かな)女性というのは、あまり社会進出できなかったので、仕事で自己承認を得られる機会がほとんどなかったわけで。
そうすると、恋愛で自己承認してもらうしかないじゃないですか・・・と。
「男は仕事、女は恋愛」となりがちなのも、そうしたことが理由のひとつにあるのかもしれない。

それにしても、そうか、「恋愛に自己承認を求める」なぁ。
言われてみれば、その発想は無かったわ。
ぼくの恋愛がだいたい上手くいかないのも、そのへんに原因があるのかもね。

恋愛相手に自己承認を求めるという発想がないので、相手の「あなたを承認していますよ」というシグナルに気付かず、相手の「わたしを承認して」というシグナルにも気付かない。
そりゃ駄目だわ。

「恋愛に」というのは勘違いしてるとしても、「恋愛相手に」救済してもらうくらいの甘えがないと、恋愛などできはしないのだろう。
次は失敗しないように、ちゃんとメモしておかなきゃ。
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by kude104 | 2008-05-24 19:19
livedoor ニュース - 【オトコ魂】30代になっても恋愛できない「心の童貞」

我がこととして語るなら、正直、面倒くさいんですよ。
「恋愛する」ってことが。
「したいけど出来ない」というより、「するのめんどくせぇ」って感じなんですよ。
自然発生的に否応なく恋してしまったならしょうがない、たぶん一生懸命恋愛するけどね。
恋してないのに、わざわざ人工的に恋を始めるのって、面倒くさい。

(まるで、「その気になったらいつでもできるよ」的な物言いが見事に中二病っぽいけど、そのへんはほら、生暖かい優しさでスルーしてやってください)

もちろん、恋愛の楽しさみたいなものは分かるから、要は、それを手に入れるためのコストの問題なわけです。
恋愛だってエンタメのひとつだと考えれば、たとえば趣味でやるスポーツと同じ。
野球は楽しい、でも、その楽しさを得るために、道具揃えて仲間を集めて練習して・・・と、そういうのが「面倒くさい」というのは、たぶん普通に理解してもらえる話だと思う。

ここでたとえば、野球に慣れた人というのは、必要コストが小さくて済むのね。
道具は持ってる、仲間もいる、練習しなくても動ける・・・などなど。
だったらすぐにも野球の楽しさを味わえる。
こうした経験値の高い低いがコストに影響するのは恋愛も同じで、恋愛に慣れた人はすぐにも恋愛の楽しさを味わえるのだろうと思う。
そのへんは素直に羨ましいと思うけど、じゃあ自分もそうなるように努力しましょうって気にはなれない。
だって、面倒くさいもん。

だから、恋愛メンドクサイ主義でも低コストで恋愛を楽しめるようなシチュエーション――相思相愛だとか向こうから言い寄ってくるだとか――というのは、理想だよね。
「そのままのあなたが素敵」と言ってもらいたい症候群。

結局、人生楽しけりゃいいと思うわけで、別に、恋愛しなきゃ人生楽しめないってわけじゃないと思うんだけど。
なーんか、恋愛しない出来ない人間って、欠落者や可哀想な人に見られがちだよなぁ。
それってやっぱり、子孫を残せないからかな。
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by kude104 | 2008-05-05 16:25
livedoor ニュース - 【独女通信】独男に蔓延する「何もかもが面倒くさい」病とは?

「ライフスタイル情報誌」とやらにどんなことが書かれているのか、ぼくも読まない人なので分かりませんが、たとえば流行のファッションなどについて書かれているのでしょうか。

流行のファッションについての話題しかできない女性と、ゲームの話題しかできない男性と、どちらが上でどちらが下などと、どうして決められよう。
どちらも自分の興味のある話しかできないという点で、同類じゃないかと思う。
本当に社交的な人というのは、相手の興味のない話題であっても相手を楽しませたり、自分の興味のない話題であっても楽しく相手と会話できる人のことを言うのだと思う。

「彼らにはもっと新しいことにアンテナを張って、引き出しのある人になってほしい」というボケに対しては、「お前がなれ」というツッコミで終わり。
なぜなら、コミュニケーションというのは、それを求めるほうが相手の興味に合わせるのが基本だから。
今までは、男性が女性にアプローチするというのが主流だったわけで。
男性は女性にモテるために、女性の興味対象である流行やらファッションやらにアンテナを張る努力をしていた、だから、女性はこれまでさして苦労することなく、合コンなどでも会話を楽しめたのでしょう。

たぶん、昔は男性の娯楽に占める割合の中で「女性と遊ぶ」というのがかなりの割合を占めていたのだろうと思う。
カノジョがいないと人生実につまらない、というのが昔の男性。
でも、今はそれこそ腐るほど娯楽が溢れていて、カノジョがいなくても十分楽しい日々を送ることができる。
さらに、やらしい話だけど性欲すらもカノジョがいなくても十分満たせる時代です。
そうなると、当然カノジョをゲットするために費やされる時間と労力の割合というものは減る。
モテたい!というリビドーなくして、誰が興味のないことに時間と労力を費やすかってぇの。
それは女性の皆さんからしてみれば、男性にモテるためにドラクエのレベル上げに精を出す自分をご想像いただければ分かりやすいかと。

恋愛しか娯楽のなかった時代はもう終わったんだよ。
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by kude104 | 2008-01-15 21:26