世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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OhmyNews:日本中が戦争へと向かっている……

まぁたしかに、最近テレビやラジオのCMで、「俺は、君のためにこそ死ににいく」とか「私は、あなたの息子として死ねるでしょうか」とか、やたらと「死ぬ死ぬ」うっとおしいってのは共感するところです。
とりあえず死にゃ客は感動するだろうって思ってんのかね、みたいな。

ただ、”「硫黄島」という映画”とやらが「硫黄島からの手紙」のことなら、あれを観て「戦争の時代の日本を、残酷だが美しく描く映画だ」という感想を持つ人がいるのに驚いた。
あれほど、戦争は美しくもドラマチックでもないと描く映画もめずらしかろうと思うのですが。
うん、きっとこの記者さんは観てないんだろうな。

そもそも、上記エントリーは何が言いたいのかよく分からない内容ですが、要するに、”あらゆるこの国を取り巻く指標や、政策、そして、エンターテインメントも、「戦争」を指しているように、私には見える。戦争の時代が始まる――そういうように私には読める”ということなのでしょう。
個人のブログならともかく、いちおうメディアを標榜する場でフィーリングを語られても・・・みたいな思いは受けつつ。

この手の「警鐘を鳴らす」人々に何が足りないのかというと、やはり、「ただ警鐘を鳴らすだけ」というか「嘆くだけ」「懸念するだけ」なところでしょう。
「なにが始まるのか?なにが終わるのか?参加し、見ておこう」って、何に参加して何を見ておくおつもりなのか。
そこが本題だろうに、そこを書かないと意味ないじゃないですか。ねぇ?

ということで、もし仮に時代が戦争へと向かおうとしているなら、その時われわれはどうあるべきかについて考えてみよう。

戦争を防ぐには、国策レベルで言えば、戦わずして勝つことでしょう。
戦争は外交の一手段であり、外交とは国益を守りあるいは拡大するために行われるものであるとすれば、戦争以外の方法でそれが満たされればいいわけです。

となると、まずは外交力を高めること。
戦争という事態に至る前に外交で問題の解決を図る、その力があれば戦争は避けられる。
また、戦争は外交の一手段であるという役割り認識に乏しい軍隊は、どうしたって肥大化・暴走しちゃうので、そのへんは徹底的に教育するべしと思う。

次に、経済力で圧倒することでしょう。
金は剣よりも強し。
お金で解決できれば、武力を用いる必要はない。

そして最後に、ビジョン。
力ばかりが巨大になると、やっぱりどうしても、「もっともっと」と自国の国益ばかりを追い求めて敵を作りがちになってしまいます。
短期的近視眼的に国益を考えるのではなく、長期的遠視眼的に国益を考える、そういうビジョンが求めらます。
周辺国が平和で豊かになることによって自国も豊かになるような、そういう戦略が描けるといいですね。

というわけで、戦争をしないためには、軍事力を強化するために費やすパワーをそういう方向に注ぐべし、という主張をするのがいいのではないでしょうか。
「戦争はよくない。平和がいい」というだけでは、やっぱり一時的に気持ち良くなって終わりだと思うんですよね。
平和を守るというのは、もっと戦略的に取り組まなければいけないような気がします。

「イマジン歌って平和を守ろう」みたいな話より、外交官になって平和を守ろうとか経済人になって平和を守ろうとか、そういうほうが守れそうな気がするんですけどどうでしょうか。
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by kude104 | 2007-04-09 23:12
今日のNHKクローズアップ現代は、「戦争を風化させない」というテーマでした。
ぼくはまぁ先の大戦にそれなりに興味を持っている人間ですので、最低限の知識は持っています。
そんなぼくからすると、現代の若者の中に「終戦日を知らない」「アメリカと戦争したことを知らない」人が少なからずいると聞くと、やっぱりちょっと驚いちゃう。
驚いちゃいますが、まぁ、分からなくはないですね。
興味が無いとそんなもんだろうと思います。

たとえば、「文久の役でどことどこが戦ったか知らない」というのと同じです。
つまりは、太平洋戦争も「歴史」になったということでしょう。

知識だけ知っていれば良いのなら、高校入試や大学入試の出題範囲に第二次世界大戦を含めるようにすれば良いと思います。
学校の授業で、明らかに縄文土器より扱い低いくせして、「今の若者は戦争を知らない」と言ってもそりゃ当然です。
日常生活の中で、太平洋戦争に興味を持って自分から調べてみよう・・・なんて人がそうそういるわけないじゃん。

だって、正直、世間に溢れる太平洋戦争の話なんて、辛気臭くて面白くないもん。
誰々さんが兵隊に取られて戦地へ行って帰ってきませんでしたとか、誰々さんはどこどこで死にましたとか、不幸になりましたとか悲惨でしたとか、そんな話ばっかりだし。
太平洋戦争の話って、実際は戦争物語として非常に面白いとぼくなんかは思うんだけど、でも、太平洋戦争を戦争物語として面白がっちゃイカン!といった空気があるように思います。
それはそれで当然なんですけど。
歴史になったとはいえ、まだまだ生々しい歴史なので、戦国時代の国盗り合戦のようには扱えないですよね。

でも、あの戦争を悲惨だった、不幸だったというお話として語るだけでは不充分だとぼくは思う。
戦争経験者の体験談として語る場合は、それでいいのですが。
つまり、得られる情報が体験談「しか」ないってところが不満です。

「なぜ戦争になってしまったのか」「どうすれば回避できたのか」
それを学ぶこと・考えることが本当は一番重要で、戦争の悲惨さや平和の尊さは、そのための動機でしかない。
動機はとても大切ですが、動機だけで満足してしまっては意味がない。

平和が尊いことはみんな知っている。
誰だって戦争は嫌だ。
なのに、どうして戦争になってしまうのか。

その理由のひとつが、「感情だけで平和は守れない」ってことだろうと思います。
「平和は尊い」という感情だけでは、往々にして、「平和を守るためには戦わなければならない」という感情に摩り替えられてしまうのだと思う。
そのときにブレーキとなるのが、ロジックだとぼくは考えます。
「戦争を回避するテクニック」と言ってもいい。
それは、過去の戦争から学ぶのが一番です。

だから、太平洋戦争は、もっとロジカルに学術的に振り返り分析されるべきものだと思います。

当時の国際状況や社会状況、そして軍事的な戦略・戦術、将兵の能力や人となり、そして兵器の優劣・・・。
そういったものをがっつり分析してくれる戦争特集があれば、ぼくはもうかじりついて見ちゃうけどな。
絶対面白いですし、ためにもなるでしょう。

そういうところから入って、その先に戦争の悲惨さを知るという順番でもいいと思うし、たぶん、そっちのほうが間口は広いんじゃないでしょうか。
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by kude104 | 2006-08-02 23:59 | テレビ
季節柄、靖国問題についての言説をよく目に耳にするようになってきました。
せっかくなので、ぼくも便乗してつらつらと思うところを書いてみよう。

「靖国問題を解決しようと思ったら、どうすればいいか?」というのは、思考ゲームとして面白い。
今回は象徴的な例として、首相の靖国参拝について考えてみます。

解決策として、ひとつには「参拝を禁止する」という解がありますが、これはまぁ下作というか、あまりエレガントじゃない気がします。
解決と言うのは、問題が問題でなくなることですから。
禁止するというのは、単に「臭いものに蓋をする」ようなものですよね。
「首相が参拝しても、誰も気にも留めない」という状況こそが、「解決」と言えるのではないでしょうか。

「参拝したけりゃ勝手に参拝すりゃいいし、参拝したくなきゃ参拝しなきゃいいし、好きにすれば?」って言える状況。
首相が参拝しようがしまいが、政治にも外交にもお茶の間にもなんの影響も話題も及ぼさない状況。
そうなれば、これは完璧に「解決」です。

それには、反対の理由をひとつひとつ潰して行くのがいいでしょう。
賛成の理由を潰すのは難しいというか、賛成の理由ってほぼ精神的満足感なので。
理屈で潰しやすいのは反対の理由のほうかと思います。

まず、政教分離の問題。
首相が特定の宗教施設を参拝するのは問題だという意見。
これは基本的に、公人としての参拝はアウト、私人としてならオッケーというところでラインを引くのが現実的な落とし所かと思います。
「首相となった人間に公私の区別は無い、すべてアウトだ」というと、「あれもダメ、これもダメ」で身動き取れなくなりそうですし。
葬式とか初詣とかクリスマスとか。
まぁ、なんなら、同日にお寺や教会も訪れて、「特定の」という部分を薄めてやればいいんじゃないでしょうか。

次に、A級戦犯が祭られているから駄目だという意見。
これに対しては、「人間、死ねば皆ホトケ」ということで理解して頂きましょう。
反対派の感情がそれで収まるかどうかは分かりませんが、理屈としては、それほど強引な主張でもないはず。
「人間、死ねば皆ホトケ。生前の罪を問うことと、死者の魂を弔うことは別」という主張に対して、「いーや! 罪人は死んでも罪人、弔う必要などなし!」と反論してくる人はそうそう居ないでしょう。
もし居たとしても、日本人の生死観からして、たいていの人は「死ねば皆ホトケ」のほうがしっくり来るのではないかと思います。

また、靖国神社に参拝することが軍国主義を賛美することにつながるという意見に対しては、「死者の魂を弔い、死者の魂に不戦の誓いを立てる」という名目でクリアできるでしょう。
「我が国が過去に悲惨な戦争を引き起こしたことを忘れないため、そして、二度と同じ過ちを繰り返さないために、こうして参拝しています」とはっきり言えば、それに対して「軍国主義を賛美している」と非難するのは難しくなるのではないでしょうか。

そして、対中韓関係を悪化させるという意見に対しては──。

中韓だけに限らず、とどのつまりは、日本は(日本人は)プロモーションが下手なんだと思います。
たとえば、首相が靖国神社を参拝するなら、それとセットにして、先の戦争の反省と不戦の誓いをもっともっとアピールするべきだと思います。
せっかくマスコミが大勢押し寄せて、首相のあるいは政府の話を聞きたがっているんですから、ここぞとばかりに「日本は反省している。もう二度と戦争はしない」って言えばいい。
「平和を愛する日本」を知ってもらう、絶好の機会じゃないですか。

マスコミを避けるように参拝するんじゃなくて、堂々と参拝して、堂々と平和の誓いを述べればいいと思うんですよ。
上に挙げたように、いかようにも大義名分は立つんですから。

もちろん、靖国だけじゃなく、いろんな平和式典に積極的に参加することが大切ですよ。
また、折々に触れて、アジアの諸外国に謝罪と平和のメッセージを発信することも大切です。
他にも、国際的な紛争や対立に、日本が積極的に平和への活動を行ったり。
そういった積み重ねがあれば、中韓だって下手に非難できなくなるでしょう。

これまで日本がどのくらいの謝罪をした、賠償をしたと主張しても、回数や金額じゃないんですよね。
プロモーション効果がどうだったかが重要です。
未だに中韓に「謝罪と賠償を要求する!」とか言われちゃうのは、日本のプロモーションが下手だからですよ。

靖国に参拝するかしないかは問題の本質じゃなくて、いかにして日本が世界に向けて平和へのメッセージを発信するか、それこそが問題だと思います。
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by kude104 | 2006-07-30 21:52 | 時事・社会