世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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内定ブルー

J-CASTニュース : 大学生の「内定取り消し」始まった 理由は「経営が悪化したため」

ちょっと前のNHKクローズアップ現代で『内定ブルー』というものを特集していた。
『内定ブルー』とは、内定は決まったけれど、「もっといい会社があるのでは」と思い悩み、いつまでも就職活動を止められない若者たちの様子を表す言葉らしい。

その背景として、団塊世代の大量退職と少子化などにより、超売り手市場になっていたこと。
企業は優秀な人材を少しでも確保しようと、わりと簡単に内定を出すもんだから、学生にしてみれば苦労して苦労してようやくひとつ内定を取れたという話ではないらしい。
結構簡単に、あそこもここも内定貰えた、と。
で、内定が決まった後にも、いろいろな会社から「うち、どうですか?」とお声が掛かってくる、と。
じゃあ、あの企業の内定も貰えるかもしれないからちょっと行ってみよう、と思ってしまうらしい。
あるいは、こんなに簡単に内定を出すなんて、本当にちゃんと私を評価してくれているのだろうか、誰でもよかったんじゃないのか、と不安になるらしい。
企業のほうも、内定を出しても後から断ってくる学生が多いから、採用予定枠の何倍もの数の内定を出している・・・なんて話もあった。

ぼくはまぁ、いわゆる就職氷河期の世代だから、これを観ながら「ほへぇ~、時代が変われば変わるもんだなぁ」と驚かされていたわけだけれども。
さあ、それでいま、冒頭の状況ですよ。

この『内定ブルー』の放送日を調べてみると、10月16日だった。
たった半月やそこらで、この急転直下。
状況が変われば、変わるもんだなぁ。
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by kude104 | 2008-11-03 18:35 | 時事・社会
没落エリートの出現―ビジネス社会から疎外される高学歴就職難民たちー - 女。京大生の日記。

なんか一部でえらく盛り上がってみるみたいなので、ひと通り読んでみた。

「高学歴なのに就職できない人が少なからずいる」ことについて、社会的な構造の変化から捉えようという上記エントリーに対して、「個人の問題です」という反応が多々見られて首をかしげる。
いや、何事も究極的には個人の問題に帰着するなんてことは、当たり前じゃないかと。
それと同様に、何事にも社会的な側面が影響を及ぼすことも、当たり前じゃないかと。
で、今回は「社会的な側面から考えてみましょう」という話であると、ぼくには読めるのだけど。
それに対して、「個人の問題です」と反論しても、なんというか、ずれてるよね。
あと、「エリート」というフレーズに引っ張られすぎなのもどうかと思う。

まぁ、ブログなんてものは議論の場というより、他人様のエントリーを枕に自分の言いたいことを言う場なので、それでいいのだけど。
上記エントリーにしても、べつに議論する気で書かれているわけじゃないだろうし。

ただ、どうも社会制度やシステムの話をしているときに、個人の問題として片付けようとする反応がネットでは多く見かける気がする。
なんだろう、やはり、ネットは個人的な空間だからだろうか。
問題を克服するために、「個人が頑張ればいい」というのは、正直、論としてつまらないというか身も蓋もなくて面白くない。
「平均よりちょっとダメなやつでも、このシステムに乗っければそれなりに上手くいく」というシステムを考えようというほうが、テーマとして面白いよね。

個人的には、「高学歴就職難民」という現象は、かつてと比べて、求人数の減少、高学歴者の増加、企業が必要とする人材の変化といった要因で語ることが出来るのではないかと思う。

まず、求人数が増えれば、高学歴低学歴関係なく、就職難民が減るので問題解決だ。
次に、学歴が「○○大学の○○学科をこの成績で卒業していれば、この分野でこれくらいの知識と能力を期待してよい」という保証になれば、高学歴ほど就職に有利かと思う。
もちろん、その専門性を求める企業への就職に対しては、ということだけど。
要は、実力の伴わない「名ばかり学歴者」を排除し、学歴を「ラベル付け」として再び機能させましょうということだ。

また、「時代が求める人材の育成」という任を学校に求めるのであれば、教育の内容を時代に合わせて柔軟に変更していく必要があるだろう。
個人的には、何でもかんでも学校に押し付けるのはどうかと思うので、ビジネススクールのようなものを充実させればいいのではないかと思う。
受験のために進学塾に通うように、就職のためにビジネススクールに通えばいいんじゃないかな。

ま、蓋を開けてみると、「高学歴就職難民」なんて実はいなくて、いまもバリバリの学歴社会でしたというオチだったりして。
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by kude104 | 2008-07-31 18:15 | PC&ネット
先日の「“就職氷河期世代”が中国で搾取されている件」からこなた、フリーターが正社員として就職するにはどうすればいいかと考えていたわけですが、裏ワザ、思いつきました。

フリーターがなかなか就職できない理由のひとつに、職歴の貧弱さがあると思うのです。
正社員として長らく務めた経歴の持ち主と、派遣やアルバイトを転々としている経歴の持ち主と、どちら採用されやすいかというと、やはり前者でしょう。
場合によっては、「一度も正社員として働いたことがない」というだけで門前払いされるケースだって多々あろうかと思います。

だったら、就職を希望するフリーターは、就職活動をする前に正社員として勤めた職歴を作っちゃえばいいんじゃない?
どうやって職歴作るかと言うと、ずばり、自分で会社を作っちゃうわけ。
採用してもらうのが難しいなら、自分で自分を採用しちゃえばいいじゃないかと。

会社を作るったって、もちろんペーパーカンパニーですよ。
いやまあ、きちんと活動できるならそのほうがいいけど(それで成功すれば、もう就職する必要なんてなくなるわけだし)、とりあえず今回の目的は職歴を作ることなんで。
形だけ、肩書きだけあればいい。
ただまぁ、職歴に「社長」とあるのは、どうなんだろう、なんとなく採用面ではマイナスっぽい気がするので、親か誰かを社長にして、自分はそれなりの役職で『就職』するなどの知恵は必要かも知れません。

本当に何も実態のないペーパーカンパニーでは騙しているようで心苦しいので、とりあえずネットでホームページ作って広告料を収益とする会社です、とかどうでしょうね。
本気で収益を上げる気がないので、ホームページ作りなんてテキトーでOKです。
でも、テキトーとはいえ、ちゃんと作って運営していれば、最低限の恰好はつくというもの。
テキトーか真剣かという点を除けば、ホームページを作って広告料を収益とする会社や、全然儲かっていない会社はたくさんあるわけで、形の上では違いはない。

どうせなら、初めにフリーターになった時点で、こうした会社を作って、そこに就職しておくといいでしょう。
つまり、フリーターのほうを『副業』にするわけ。
こうすれば、アルバイトを転々としても、本業のほうはずっと一所に勤めていることになりますよね。

――というアイデアなのですが、いや、実際に可能かどうかは知りませんよ。
たぶん、本当にやろうと思ったら、いろいろ難しいところが出てくるんでしょうねきっと。
まぁ、ふと思いついた与太話です。
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by kude104 | 2007-10-07 23:59

好きを貫くための3カ条

梅田さんのエントリーに懐疑的(というほどのつもりでもないのですが)な意見を述べるだけでは芸がないので、ここはやはり、ぼくなりに「好きを貫くにはどうすればいいか」を考えてみようと思います。
昨日は社会改革のような視点で描いたので、今日は個人のサバイバルの視点で書きたいと思います。

設定としては、今まさに大学に入学したくらいの人が、大学を卒業するころに、自分は好きを貫く道に進んでみようと思える状態にいるためにどうすればいいか、という感じで。
「好き」のジャンルによっても話は違ってくるのですが、ここではまぁ、起業かフリーランスか個人事業主か・・・といった感じをイメージします。

ちなみに、これはもちろん、机上の空論というかぼくの想像です。
実践を伴っていませんので悪しからず。
あと、多かれ少なかれ、結局他で語りつくされたような内容になるだろうと思います。
物事の要所というのは、そんなに大きく違わないでしょうから。

まず第一は、資金を貯めることでしょう。
好きを貫けないほとんどにして最大の理由は、金です。
資金の多寡が成功を左右すると言ってもいい。
なので、大学に入ったらできるだけバイトして金を貯めましょう。
それが後の命銭になりますから。

次に重要になるのが人脈です。
仕事(ビジネスオファー)は人脈によってもたらされると言っても過言ではないでしょう。
少なくとも、ゼロから自力で仕事を探し出してゲットするよりも、人脈が仕事を運んできてくれることの期待値のほうがはるかに大きい。
たとえば起業するにしても、仲間が必要になりますよね。

ただ、「将来仕事で役立たせるための人脈作り」みたいに考えるのは楽しくありませんよね。
ですからこれは、大学生活、同好の士と楽しく過ごしましょうといったことです。
たとえば、大学自体、同好の士が集まる大学を選べばクラスメイトがそのまま人脈になるし、同好の志が集まるサークルに入るのも良し、同好の士が働く職場でバイトするも良し、もちろんネットのコミュニティでも良し。
同好の士が集まる場所に、積極的に参加しましょう。

そして、自分の好きなことついて、研さんを深めましょう。
好きなことについて、できる限り見て聴いて考えて試行錯誤して、自分の能力を磨きましょう。
これがなければ、いくら上2つが揃ったって活用できませんから。

以上、kude流好きを貫くための3カ条。
大学時代にこれらを行い、卒業の時に「俺、いけるんじゃないか?」と思える状態になっていればGOだ。
それでも半分くらいは失敗するかもしれないけど、その失敗は胸を張っていいと思う。
きちんと積み上げて、自分の可能性を信じられる状態になって、そして勇気をもって自分を試したのだから。
こういう人には、きっと再帰の道は開かれると思います。
もし開かれなくとも、胸を張って野たれ死ね、みたいな。

考えてみれば、「好きを貫く」ならまず学生時代なんじゃないだろうか。
学生時代に好きを貫くことに失敗はない。
そして、学生時代に好きを貫かなかった人が、社会に出て貫けるはずがない。
なので、高校生諸君は、「大学で好きを貫く」ことを念頭に大学を選ぶといいでしょう。
「社会に出て好きを貫く」ことを念頭に置くより、はるかに気軽ですから。

もちろん、社会人になっても、遅くはあるけど手遅れということはないでしょう。
社会に出ても、上の3カ条を積み上げるなら、いつか「GOだ」と思える日が来るかもしれない。

そして、残念ながら積み上がらなかったひとは、普通に企業なりに勤めて正解だと思います。
それはそれで、「俺は正しい道を選んだ」と胸を張って勤めればいいと思います。
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by kude104 | 2007-04-05 23:59

好きを貫けない理由

昨日のエントリー「なにやらほめ殺しな」を書いたあと、自分なりにいろいろ考えました。
梅田さんがその次に書かれたエントリー「大企業の今後、そこでの適性、それと「好きを貫く」こと」などを読むと、梅田さんの問題意識にはとても共感します。
「好き」を見つけた人が、自分の好きを貫く世の中であればいいのに、と。

その「好き」が大企業であればそれは幸いだ。
ただ、好きでもないのに、安定やら世の価値観に従って自分の好きを捻じ曲げて大企業に就職するのはしんどいですよと。
同じしんどいなら好きを貫こうよと、梅田さんのエントリーにはそういうメッセージが込められているのだろうと思います。
それはそれで、迷える人々に勇気を与えるメッセージではあるでしょう。

ただ、基本的に、人は皆自分の好きを貫けるものなら貫きたい生き物だろうと思います。
言われなくてもね。
じゃあ、どうしてそれをせずに、大企業(に限らず)に就社し、好きでもない仕事をして人生を終えるのか。
それは言わずもがな。
好きを貫いて生きていけるのは、運や才能に恵まれたほんの一握りの人間だけだからです。
あとの人間は、意に添わずとも不本意だろうと、働いてお金を稼いで生きていく他ないじゃないか――と。
そういうことではあろうと思う。

「好きを貫けるのは一握りだけ」というのは純然とした事実であるから、「好きを貫け」推進派としては、そこは少々痛いところではある。
でも、そこをきちんと語らない推進派は胡散臭い。
一方、「好きを貫け」懐疑派が、好きを貫けるのは一握りだけだからというのをその理由に挙げるのも芸がない。
好きを貫けるのは一握りだけというのは当たり前なので、それを理由に「好きを貫けません」などというのは、チャンチャラおかしい。
試験に合格できるのは一握りだけなので受験しません、みたいな言い分と似たり寄ったりですよね。

問題はおそらく、そういうことじゃない。
「好きを貫け」推進派の主張が一部強固な反発にあう本当の理由は、そこじゃないと思う。

ぼくなりに考えた、「なぜ好きを貫けないのか」ということの答えは、好きを貫けるのは一握りだけであり、要するにリスキーです。
なのに、もし失敗した場合、この国には再起の道筋が限りなくゼロに近い――ように思える。
ベンチャーとか、100人に99人、1000人に999人は失敗するんですよ、たぶん。
そのことは純然とした事実だからしょうがない。
重要なのは、失敗した後の復帰が容易であるかどうかではないでしょうか。

好きを貫けるのが一握りなことが問題なのではない。
一握り以外は死あるのみ、という状況が問題なのです。

好きなことに挑戦して、もし駄目だったら改めて普通に会社に就職すればいいやと、そういう考えが当たり前にできる社会であればどうだろう。
人はもっと気軽に好きを貫こうとできるんじゃないでしょうか。
それが不幸にも「絶対に失敗できない」という世の中であるために、自分が一握りになれるかどうかを試すことに恐ろしく勇気がいる。
もし失敗して駄目だったら、ホームレスかワーキンブプアになるくらいの覚悟がいる。
それは、大企業に就職することに対しても向き不向きを心配するほどに、この世は失敗できないのですよ。

これは明らかに、日本という社会の欠陥だと思う。
その欠陥を埋めるのに、個人のほうが死地へ飛び込む覚悟を持てというのは、ちょっとどうだろうなぁと思います。
ましてや希望だけ語っても、それは怪しい突撃ラッパじゃないですか。
本来の筋としては、企業のほうに、そういった寄り道をした人間であろうと、あるいはむしろそういった人間をこそ積極的に採用する姿勢を求めることが正しい。
企業がそうあれば、焚きつけなくとも、夢ある人は好きを貫こうとするに違いないとぼくは思います。

そんな社会変革のような悠長なことは待っていられない。
まさに今を生きる個人がサバイバルするためのメッセージを送っているのですと梅田さんは仰るでしょうか。
それはまったくその通りですが、でもやっぱりそれだけでは片輪ですよね。

梅田さんのポジションであれば、もう片輪である企業側に対しても、みんなで再チャレンジを支援しようじゃありませんかというメッセージを送れるのではないでしょうか。
両輪合せてこそ、現実に世の中を動かす力になると思うのですが、それを梅田さんに期待することは過剰なのかなぁ。

インターネットがもたらす革命によって新しい個人が誕生するのと同じように、新しい企業も誕生するでしょう。
であれば、そういう企業から社会変革を始めることは、それほど悠長な戦略だとは思わない。
少なくとも、一人の個人を動かすよりひとつの企業を動かすほうがより多くの人々を幸せにできるのだから、成功の果実は大きかろうと思います。

いずれにしても、この手の問題を「大企業かベンチャーか」という対立軸に落とし込んでしまうのはまったくもって不毛だと思う次第です。
答えはそこにはないんだから。
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by kude104 | 2007-04-04 23:59

なにやらほめ殺しな

My Life Between Silicon Valley and Japan - 「好きを貫く」ことと大企業への就職

一読して、なにか少し嫌な気持ちになりました。
今改めて読むとそうでもなかったので、ちょっとした誤読というか深読みしすぎたかという感もあるのだけど、でもやっぱり微妙な印象も受ける。

なんというか、ここで挙げられている「日本の大企業に向いているタイプ」の内容が、ほめ殺しというか皮肉に読めてしまうのです。
かなり意地悪にその感覚を書くと、行間から「きみは”自分の仕事”じゃなくて”大企業”が好きなんだね。ぼくにはとても真似できないなぁ。そんな社畜のような生き方は」という著者の意図を著者の思いとは関係なく読み取ってしまいそうになる。

どうしてぼくはそんな風に読んじゃったんだろうと考えてみると。
おそらく、各項目になにかしらネガティブなイメージが紛れ込ませてある(ように感じられる)からじゃないかという気がする。

たとえば、一番目の項目なら、「与えられた問題を」「どういう意味があるかとかよりも」という部分がネガティブイメージを喚起する。
こういう物言いは、自主性のない人間を蔑むときの常套句みたいなものですから。
本題はむしろ、「(自分の解きたい問題だけじゃなく、たとえ与えられた問題であっても)その問題が難しければ難しいほど面白いと思う」という部分にあるのだろうけど、そこに到達する前にネガティブイメージに心を乱されてしまいます。

「尋常でない体力(特に何十年も長時間労働ができる持久力)を持ち、そこが競争優位になる世界が好き」というのも、「頭より筋肉」というネガティブイメージを喚起させます。
個人的には、むしろプロフェッショナルやベンチャーのほうが尋常でない体力で「いつ寝てるんですか?」という人が多い気がするのですが。
ここはおそらく、「大企業戦士は残業をいとわない」といった意味合いと、「その仕事量が評価される世界」という意味合いだろうと思いますが、一読した印象としては、「体力バカがただ働けば出世する」みたいに読めてしまいます。
ええ、根が捻くれているものですから私。

「匿名性を好む」というのも、あまり適切な表現ではないように思います。
「匿名」にポジティブイメージを持つ人は、あまり多くないでしょうから。
ここはおそらく、「その仕事で自分が有名になろうとは思わない」ということでしょう。
大企業戦士だって、自分の周りの人間には、自分の仕事ぶりを評価してもらいたいものだと思います。
その意味で、彼らだって匿名で仕事をしているつもりはないでしょう。
ただ、世間に向かって自分が表に立つような、世間の評判を一身に浴びたいような、そういう気持ちはないという程度のことだろうと思います。
それはブログで例えるなら、実名で書くか匿名で書くかという以前に、そもそもブログを書くことに興味がないという状態ではないでしょうか。

――とまぁ、ひとつひとつあげつらってもあれなんで、こんなところで。
冒頭に「今日は軽く雑談風に」とありますが、そのせいか、ちょっと言い回しが不用意に映りますね。

個人的には、自分が大企業に向いているかどうかを心配する必要なんてないと思うけどな。
向いているいないよりもまず、大企業に就社できるかどうかのほうを心配するべきでしょう。
就社したあと、向いてないと分かった時点で辞めりゃいいと思うよ。
ダメなのは3年で辞められてしまう企業のほうであって、辞める個人のほうは好きにしていいと思う。
大企業に就社した経歴があれば、再就職もどうにかなるんじゃないでしょうか。
そういうオプティミズムで行けばいいと思います。

ちなみに、リンク先エントリーを参考にベンチャーに向いているタイプについて考えてみた。

・新しい問題を見つけるのが好き。その問題を解く方法については、とりあえずそれっぽく解けていればベータ版で構わない。
・服装や組織へのこだわりがあまり細かくなくおおらか。でも、一緒に働く人への「好き嫌い」が激しい。そして苦手(つまり「嫌い」)なことは死んでもやりたくない。
・尋常でない体力を持ち、それが競争優位になるどころか当り前の世界に住んでいる。
・自己顕示欲が強い。「これは自分がやったことだ」というような意志表明が生甲斐。むしろ大人数でした仕事でも自分1人を褒めてほしい。
・マネーが好き。メディアが好き。いずれは球団のオーナーになって自サイトで自チームの試合を完全中継をしたいと思う。
・六本木ヒルズに住んで女優と結婚したい。
・留置所暮らしが苦にならない。

――もちろん冗談です。
悪ノリしました。
今は反省しています。
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by kude104 | 2007-04-03 21:16
Sankei Web > 経済 > 「再チャレンジ」年長フリーター対策で官民に温度差(09/25 07:59)

日本経団連のある会員企業の人事担当者の一言。
「ずっとフリーターだった若者を一から教育する考えはない」

まさに仰る通りです。
久々に聴く、「まさに正論」と言うべき発言です。
そりゃそーだ。
同じ採用するなら、新卒のほうが良いに決まってる。
新米が買えるのに、敢えて古米を買おうと思わないのといっしょですよね。

いくら国がフリーターを正社員化したいと思ったって、採用する企業のほうに新卒を採用する以上のメリットがない限り、まず上手く行かないでしょう。
フリーター雇用促進法でも作って、雇用を義務化するか助成金を出すかしない限り、無理だよなぁ。

フリーター問題を解消しようと思ったら、フリーターがフリーターのままで人生設計が立つような社会作りを目指したほうが、まだ見込みがあるのではないかと思います。
正社員を固定労働力、フリーターを流動労働力として捉えれば、上手く棲み分けできるのではないでしょうか。
戦国時代風に言えば、正社員が常備兵、フリーターが農民兵みたいな感じ?

企業としても、変化の激しいこのご時世、常備兵を雇うことにはそれなりのリスクが伴います。
正社員は、景気の風向きが変わったからといって「はい解雇」と言うわけには行きませんからね。
よって、企業の核となる人材は正社員で堅め、わりと単純労働力な職務にはフリーターを使うというのが望ましいように思います。
企業側も、正社員のようにボーナスや退職金、社会保険や福利厚生などが必要ない代わりに、バイト代をもうちょっと上げてあげれば、フリーターの生活も成り立つでしょう。

なんでしょうね、派遣社員のような感じで、アルバイトよりも立場がしっかりしていて、でも正社員ほどではないという区分を整備して、そこにフリーターを流し込もうみたいな。
いわゆる「準社員」を整備すれば良いのではないかと思います。
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by kude104 | 2006-09-26 23:59 | 時事・社会