世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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崖の上のポニョ

というわけで、無事に「崖の上のポニョ」を観ることができました。
世間ではかなり賛否両論だし、ぼくとしても「はいはい、どうせストーリー破綻してるんでしょ。でもまぁ、イベントものですから」といった感じで軽く考えていたわけですけれども──。

正直すまんかった。

すげぇよ。
これすげぇ。
面白い面白くない、好き嫌いで言うなら、過去の宮崎作品あるいは他の映画でもポニョを超えるものは多々あるだろうけど、「すごい」という点で言うなら、ポニョを超えるあるいは匹敵する作品というものをちょっと思い浮かばない。
宮崎駿の名はまず間違いなく後世の何か──国語なのか社会なのか芸術なのか知らないけど──教科書に載るだろうと思うけど、そのときどれかひとつが彼の代表作として選ばれるとするならば、ナウシカでもラピュタでもトトロでもなく、ポニョだろうと思う。

ストーリー的な面白さでいえば、たしかにラピュタやなんかが上でしょう。
でも、というか、そもそもというか、ポニョは「ストーリーが破綻している」とか、そういったところとはもう別の次元に逝っちゃってる。
ラピュタやナウシカの頃の宮崎さんをハヤオ1.0とすれば、ポニョはハヤオ3.0くらいじゃないだろうか。
もうね、あのひとにトトロやラピュタを重ねて見るのは、「あなた、いつまでそんなところに居るんですか」って感じだと思うのよ。
本人はとっくに3.0まで進んじゃってるよ。

ポニョは、大ざっぱに分類するなら、おとぎ話や童話の類だと思う。
ポニョの物語の理不尽さに対するツッコミというのは、たとえば浦島太郎のお話に「海の中に竜宮城があるなんてありえねー」とか「玉手箱を開けるとジジイになるとか意味わかんねー」などとつっこむようなものじゃないだろうか。
宝島のつもりで浦島太郎を読んで「がっかりした」と言っている人が多いような、そんな印象を受けます。
これはまぁプロモーションの影響もあるのだろうけど、ハヤオと聞けばどうしてもハヤオ1.0を期待してしまうからでもあるんだろうなぁ。

おとぎ話や童話の類なんて、小説として読んだらたいして面白くない。
ポニョもたぶん、小説にしてもたいして面白くないだろう。
でも、その「小説にしてもたいして面白くない」ポニョをアニメーションにしたら、めちゃくちゃ面白い──というのが、たぶんアニメーション監督宮崎駿の真骨頂だろうと思う。
あんな、あっけらかんと彼岸を描いちゃうようなクレイジーなお話を一般向けの娯楽映画としてとにもかくにも成立させてしまう剛腕は、彼以外にいないだろ。
ほんとすごい。

というわけで、ポニョは面白い面白くないということよりも、「何だかわからないけどすごいものを観た」という映画でした。
ぼくの中では、宮崎駿の最高傑作だと思います。

ちなみに、ポニョについての宮崎さんの言葉として、「試写で作品を見た子供たちの反応が全く無く、『子供たちのために作ろうとしたのに空振りだったのか』と落ち込んだ」というものがあります。
思わず「そりゃそうだろ!」とつっこんでしまいますが、これが心底本当に子供たちのために作ろうとしてあれを作っちゃうところが彼の恐ろしいところだと思うのです。
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by kude104 | 2008-09-02 23:59 | 映画

宮崎駿という人

昨日の「NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿のすべて」は見応えありました。
一言で言うなら、「壮絶」。
当たり前だけど、楽しんで映画作ってるわけでは無いんだなぁ。

こんなこと言うと「おまえ何様やねん」という話ですが、宮崎さんを見ていて可哀想というか痛々しさを覚えてしまいました。
「人を楽しませられなければ、自分の存在理由がない」という焦燥感が、宮崎さんの創作のエネルギーだという。
それで、苦しんで苦しんで映画を作っている姿を観ると、「大丈夫、あなたはもう承認されているから!」と言ってあげたい気持ちになっちゃう。
その苦しみから解放してあげたい気持ちになる。

傍からは、あれだけ成功しているように見えても、まだ満たされないとは・・・。
それもそのはずというか、宮崎さんが承認されたい相手はただ一人、亡くなられたお母さんなのでしょう。
だから、きっと、たぶん、彼の渇望は永遠に満たされることはないのだろうなと思います。

でもというか、やはりというか、それくらい大きな承認欲求がなければ、あれだけの作品を作ることはできないのでしょう。
創作の世界では、結婚してぱっとしなくなっちゃうケースが多々あるような気がしますけど、あれって承認欲求が満たされてしまって、創作へのエネルギーが弱まっちゃうからなんでしょうね。
その点宮崎さんの場合は永遠に満たされることのない承認欲求を抱えていらっしゃるわけですから、「強い」というか並の人間では太刀打ちできないわけです。

番組の中で、宮崎さんの映画作りの手法が紹介されていました。
まず、思いつくままにスケッチを描くわけですね。
たぶん、頭の中に「こんなシーンを描きたい」というイメージがあるのでしょう。
それをスケッチする。
で、そうこうしているうちに、“描きたいシーン”をつなげるストーリーがおぼろげに形になってくるのでしょう。
この段階で、製作にゴーサインを出しちゃう。
はっきり言って、「無茶するなぁ」と思います。
見切り発車もいいところです。
こんな映画作り、宮崎駿とジブリ以外、まずやらないでしょう。
やったところで、普通なら、こんなやり方で上手くいくはずがないもの。

で、宮崎さんが絵コンテを描いて、それを元に映画が製作されていくわけですが。
絵コンテを描いているうちに、ストーリーがどんどん変化してしまうようです。
絵コンテ描きながら、スタッフに細かい指示を出しながら、セル画というのでしょうか、動きの1枚1枚を描いた絵をたぶんすべて自分でチェックされているんでしょうね、あれ。
それで、気に入らないと自分で直接直してしまう。
そこまでしていたら、身体が持たんだろうにと思うのですが。
ただ、そうして自分でチェックして自分で直してしているうちに、キャラクターの存在感が宮崎さんの中でどんどんリアルになっていくという話には、なるほどと思いました。

「このキャラクターはこうじゃない」「このキャラクターはこう動く」
そういうことを、細かい修正作業を積み重ねることで、自分の中に定着させていくというか、積み重ねるたびに、それまで曖昧だった部分がはっきり見えてくるのでしょう。
そうすると、「キャラクターが勝手に動き出す」ようになる。
キャラクターが勝手に動くから、ストーリーも宮崎さんの思い通りに進まなくなるというわけですね。

面白いなぁと思ったのは、ワンシーンの絵コンテを描いたら、下の余白に「つづく」と書くというエピソード。
その先どう物語が続くのか、描いている宮崎さん自身も分からないといいます。
本当に、まるで週刊漫画の連載のようです。
あるいは、テレビアニメの制作手法に近いのでしょうか。

最近の宮崎作品はストーリーの完成度が低いと感じていましたが、そりゃそうだよな、と。
こんなやり方でストーリーが破綻しない方がおかしい。
週刊漫画の連載のようだといいましたが、漫画で言うところの編集者もいないんですから。
たぶん、相談する相手も、一緒に考えてくれる人もいないんじゃないかな。
ましてや、宮崎さんがうんうん唸ってひねり出した絵コンテに、ダメ出しをする人など誰もいない。
彼ひとりが神で、彼ひとりが正解なのでしょう。
それであれだけのレベルのものを作れるのは、やはり宮崎さんの実力ということだろうなぁ。

同様に、なぜ宮崎アニメはあれほどキャラクターが活き活きとして心躍るシーンが満載なのかも、上に書いたとおり、よく分かりました。
宮崎さんが圧倒的に強いのは、「自分で絵が描ける」という点でしょうね。
自分の描きたい絵を、自分で描ける。
しかも、誰よりも上手く。
(そりゃ、後進が育たないのも頷けます)

宮崎さんのようなアニメ監督は、おそらくもう出現しないだろうなと思います。
あの能力と、ジブリのような製作環境と、そしてあの渇望感と。
ふたつまでなら揃いそうだけど、みっつ揃えた人はもう出ないでしょう。

こりゃ、やっぱり「ポニョ」は観とかないとな、という気になりました。
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by kude104 | 2008-08-06 22:03 | テレビ

宮崎駿の切なさ

昨日放送のNHK「プロフェッショナル・仕事の流儀 スペシャル ~宮崎 駿~」を観ました。
上手く言語化できないのですが、なんだかとても切ない映像だったなぁと思います。

何よりもまず感じたことは、宮崎さんの孤独さです。
孤高という表現が適切でしょうか。
あの人の映画作りは、何者をも寄せ付けないという印象です。
そりゃ、あの人の下で人が育たないのも頷ける、という気がした。

まずもって、才能において突出していて、彼ひとり一歩も二歩も先んじている。
隣に並んで歩いている人はいないでしょう。
それでいて、創作に対する合格ラインがめちゃくちゃ高い。
宮崎さん自身にも超えられるかどうか、というところに合格ラインを設けているように思う。
加えて、彼の映画作りは、自らの中にあるものを形にするというものだから、どうしたって孤独です。
みんなでアイデアを出し合いながら作っていく、というやり方ではないから。
よって、誰も彼の映画作りを助けることができない。

孤独に苦悩し、まさに身を削るように映画を作っている宮崎さんの姿を見ていると、この人の映画が人々の心を動かすのも当然だと思えてきます。
あそこまで身を削って作られる映画も、そうそうないんじゃないだろうか。
ホントもう、観ていて切なくなるくらいでした。

切なさのふたつ目は、息子の宮崎吾朗さんの監督作品である「ゲド戦記」の試写を観る宮崎さんの姿です。
あれはなんと表現すればいいのだろう。
やはり「苦悩」だろうか。
それとも「後悔」だろうか。
試写の途中でたまらず試写室を抜け出して、茫然と煙草を燻らせる姿は、痛々しくすらあった。
「気持ちで映画を作っちゃいけない」とか、ぽつりと呟くんですよ。

次回の宮崎駿監督作品「崖の上のポニョ」の製作のコメントとして宮崎さんは、息子が映画監督をやったのは自分への反抗であるとして、「こんなことになったのは吾朗が5歳の時、仕事ばかりで付き合っていなかったからだ。二度と吾朗みたいな子をつくらないために」という反省の気持ちも込めて・・・みたいなことを仰っているとか。

こういうことを公の場で言っちゃうことが息子にどう映るかといったあたり、まるで考えが至っていないというか、「ああ、このひとは骨の髄まで映画監督で、きっと他の部分は欠落しているんだろうなぁ」と思わせるあたりが切ないです。
それでもやはり、息子が「ゲド戦記」という映画を作って自分に反抗しようとしたというところにショックを受けるあたりは、父親としての感情なんだろうなぁと思う。
それに対する対応の仕方が「映画を作る」なのは、親として間違ってますけどね。
たぶん、「映画とはこういうものだ。おまえのは映画じゃない!」みたいな、息子が容易に到達できないものを作って崖から突き落とすようなことを平気でしちゃう人なんでしょうねぇ。
それもきっと、良かれと思って。

切ないばかりではなく、宮崎アニメの創造の秘密みたいなものも垣間見られて、非常に興味深い内容でした。
おかげで、次回作「崖の上のポニョ」が、いやがおうにも楽しみになりました。
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by kude104 | 2007-03-28 23:59 | テレビ
ゲド戦記Wiki - ジブリ映画「ゲド戦記」に対する原作者のコメント全文(仮)

映画「ゲド戦記」については、過日の感想以外特に付け加えることも無いのですが、たまたま見かけたこの原作者のコメントがなかなか切なくてしみじみします。

原作者のル・グウィンさんが映画「ゲド戦記」の出来に“がっかり”されたことがコメントの端々からよく伝わってきますが、その中でも、ぼくが特に同情するのが次の二点です。

ひとつは、ル・グウィンさんは宮崎駿さんに映画化して欲しいとオファーしたのだけど、「駿氏は映画製作から引退するつもり」として断られた。
なのに、駿さんは結局引退せず、「今は別の映画を撮っている」というくだり。

これが本当なら、ル・グウィンさんからすれば、そりゃあひどい話ですよ。
デートのお誘いをしたら、「ちょっと体調が悪くて・・・」と断られ、それだったらしょうがないやと諦めたら、実は別なやつとデートしてました──みたいな?
あるいは、ひがみっぽい見方をすれば、結果的に、「駿に作らせるまでも無い。吾郎で十分だ」と言われているようなものです。
「このこともわたしの失望を大きくしました。早く忘れてしまいたい出来事です」とコメントされる気持ちは非常に良く分かる。

そしてもうひとつは、「プロジェクトはつねに駿氏の承認を受けながら進められるという印象があり、また実際、先方もそのように保証していた」はずなのに、ふたを開けてみれば、「駿氏は製作にまったくタッチしていなかった」というくだり。

「吾朗氏はまだ1本の映画も製作したことがなく、わたしたちは大いに失望するとともに、不安を覚えました」とコメントされていますが、そりゃあ当然です。
「宮崎駿に映画化して欲しい」というオファーに対して、(息子とは言え)まったくの素人を代役に立てる神経からして、そもそも疑う。
普通ならこの時点で「この話は無かったことに」となって当然ですが、それでもゴーサインが出たのは、「宮崎駿が監修するから」と思えばこそでしょう。
「まったくのノータッチだと分かっていたら、承諾なんかしなかったわよ」という声が聞こえてきそうです。

このへんのやり取りをジブリ側から見た話として、世界一早い「ゲド戦記」インタビュー 鈴木敏夫プロデューサーに聞く : 100人のジブリ : ジブリをいっぱい : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)が少し参考になる。

どうも、ジブリ側の認識としては、そのへんはうやむやのうちにまとまりましたということのようです。
通訳のニュアンスの違いもおそらくあるでしょうけど、日本的な“覚悟”とアメリカ的な“契約”との間で、食い違っているのかなぁという気がします。

いずれにしても、個人的にはやはり、ジブリのほうに誠意が感じられないという印象を受けます。
あるいは、ル・グウィンさんに対する敬意、作品に対する敬意と言ってもいいけど。
「世界の三大ファンタジーのひとつ」と称されるほどの作品を映画化するというのに、素人を起用するというのは、やっぱりどう考えても失礼でしょ。

駿さんが自身の手で再度「ゲド戦記」の別の巻を映画化するという展開もあるのかなぁと思いもしましたが、このル・グウィンさんのコメントを見る限りでは、なさそうですね。
「もう映画化はこりごり」と思っていらっしゃるのではないでしょうか。

せめて「もののけ姫」くらいのタイミングであれば、一も二もなく駿さんが映画化して、わりと双方満足のいく結果が得られてのではないかと思うと、勿体無いなぁという気がしてなりません。
タイミングって重要ですよね。
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by kude104 | 2006-08-18 23:39 | 映画
金曜ロードショーで「ハウルの動く城」を見ました。
公開時に劇場で1回見て、今回が2回目です。

初めて見たときには、「これはひどい、ストーリーが破綻している」と感じ、それゆえぼくの中での評価は低いものでしたが、今回改めて見てみると、不思議と違和感なくと言うか抵抗感なく見られて自分でも驚いてしまいました。
「あれ? 俺、どこにダメ出ししてたっけ?」みたいな。

免疫ができていると言うか、「この作品はこういうもんだ」という心構えが出来ているので、拒否反応が起こらなかったのかなぁ・・・とも思いますが、それ以上に、前回の自分は鑑賞のポイントを間違っていたのではないか?という思いが強いです。

ハウルの面白さって、アニメーションの面白さなんじゃないかと、今回強く感じました。
アニメーションの面白さと言うのは、端的に言えば、「映像の面白さ」と「動きの面白さ」です。
たしかに、ストーリーは破綻していると思う。
でも、アニメーションの面白さという点では、本当に上手い。

たとえば、王宮の長い階段をソフィーと荒野の魔女が登っていくシーン。
原作にあのシーンがあるかどうかは知りませんが、たぶん無いんじゃないかと思います。
初めは単に「二人が王宮に入る」というだけのプロットがあって、それをどんな絵にするかという段階で、宮崎監督がふと閃いたのではないか。
「長い階段があって、おばあさん二人がえっちらおっちら登っていくシーンがあったら面白いな」と。
「王宮に入る」というプロットで、普通に王宮に入らせちゃう人と、あのシーンを思いつく人と、この違いは決定的に大きい。

でもってまた、「おばあさん二人がえっちらおっちら登っていく」動きの演出も、絶品でしょ。
その上さらに、あの変な犬を絡ませて、そいつがやたらと重くて、それをソフィーが抱えて登るとなお面白いぞってな感じで、面白くなりそうな要素はがんがん盛り込んで行く。
そのあたりの貪欲さというか、「面白いアニメーション」に対する嗅覚の鋭さというものを感じずにはいられません。

動く城のデザインにしてもそうなんですけど、宮崎監督ってたぶん、世界を構築するのが楽しい人なんじゃないかと思う。
こんな世界があって、そこにはこんな人がいて、こんなものがあって、こんな文化があって・・・みたいなことを想像するのが楽しい人なんじゃないだろうか。
で、彼ら・それらが、活き活きと動いているシーンが見えるんじゃないかな。
つまり、ストーリーが先に見えるタイプではなく、シーンが先に見えるタイプなのではないかと。
宮崎監督にとってストーリーは、シーンを「映画」にするための方便なのではないかと思います。

ハウルを見ていると、ぶっちゃけ、大層なストーリーなんて要らないよなぁと思うのです。
ソフィーと愉快な仲間たちが、動く城で繰り広げるホームドラマで、十分面白かったはず。
宮崎監督なら、アニメーションの面白さだけで、十分2時間持たせられますって。

宮崎監督としても、近年、作風は脱ストーリー的なところに向かおうとしているのではないかと感じます。
でも、「映画にはドラマチックなストーリーが無ければならない」みたいな固定観念なのか外からの要求なのかがあって、無理やりストーリーを当てはめてシーンをつないでいるように思えます。
宮崎監督には、ぜひその固定観念を突き破って欲しい。
宮崎監督のイマジネーションが迸る、非日常世界での“日常”を描くアニメって、絶対面白いと思うんだけどな。

もし、そういうストーリーの無い映画に挑戦できない理由があるとすれば、それはおそらく、「ホーホケキョ となりの山田君」がジブリのトラウマになっているからに違いない。
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by kude104 | 2006-07-21 23:59 | 映画