世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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努力すればなんとかなると思っているキミへ

なんかハイテンションで読みづらい文章だけど、要するにまぁ、「努力したって無駄。今を楽しめ」ってことが言いたいのだろう。
「努力すれば夢は叶う」って言いたがるひとと同じだけ、こーゆーこと言いたがるひと、いるよねー。

「今を楽しむ」を本気で実行するなら、宵越しの銭など不要なわけで。
明日のことなど考えず、持てるお金は今日すべて使ってしまえ。
そうして今日を精一杯楽しんで、明日飢え死にするなら本望だろう。
それができないなら、そりゃ嘘なんじゃない?
自分ができないことを他人にアジテートするのはよろしくない。
(いや、ほんとに宵越しの銭を持たない生き方してるなら天晴だけど)

「努力すれば夢は必ず叶う」ってのも、「努力しても夢は叶わない」ってのも、目くそ鼻くそ。
五十歩百歩。
表裏一体の嘘だね。
正しくは、面白くも何とも無いけど、「努力して叶う夢もあれば、叶わない夢もある」ってだけ。

努力したって叶わない夢に向かって努力するのはたしかに馬鹿だけど、努力すれば叶う夢を努力しないで諦めるのも馬鹿に違いない。
つまりなにが馬鹿かって、努力すれば叶うか叶わないか、その見極めができない人を馬鹿という。

配られたカードでは絶対にロイヤルストレートフラッシュなどできないのに、やろうとするのは馬鹿だ。
でも、配られたカードでどうにかできる役を考え勝とうと努力するのは馬鹿じゃない。
結果的に役ができずに負けてしまったとしても、それすなわち馬鹿ということにはならない。

未来は不確定(あるいは未知)なのだから、役ができるかできないかも不確定だ。
ならば人間にできることは、役ができるほうに賭けるか(賭けるならいくら賭けるか)、降りるか、その決断でしかない。
勝算の見積もりと、どの程度の勝算があればいくら賭けるか、その判断の良し悪しが頭の善し悪しと言えるだろう。
なんでもかんでも勝負するギャンブラーと、なんでもかんでも降りるギャンブラーは、等しく馬鹿だ。

だいたい、なんでみんなそんなに無駄なことを嫌うのだろう。
無駄というなら、生命というもの自体が壮大な無駄じゃないか。
どうせ人は100年くらいで死んじゃうし、人類だっていずれは絶滅するだろうに。
ほんのいっとき楽しいからって、それに何の意味がある?って気持ちにはならないのだろうか。
あるいは無駄な人生だと思うから、せめてうたかた楽しい気分でいたいのだろうか。
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by kude104 | 2010-11-23 19:16

夢が叶うまで頑張る

痛いニュース(ノ∀`):【論説】「頑張れば夢はかなう」は幻想、成功者の傲慢だ。そんなにうまくいかないのが普通。「可能性のよき断念」こそ必要ではないか…脚本家・山田太一氏

そりゃもちろん、定員が決まっている椅子取りゲームならば、みんな「頑張れば叶う」というわけにはいかないのは当たり前だし、持って生まれた才能や身体能力が大きくものを言う分野では、頑張ってどうにかできる余地と言うのは極めて小さいだろう。

でも、それ以外の世の中のたいていのものと言うのは、頑張ればどうにかなるんじゃないかとぼくは思う。
ただ、ほとんどの人は、様々な理由で、どうにかなるまで頑張れないという事情はある。

頑張れない事情の一番は、銭だろうと思う。
多くの人は『夢』を仕事にしようとする。
よって、夢がかなわなければお金が稼げない。
お金が稼げなければ生活していけないから、「どうにかなるまで頑張る」というわけにはいかない。

頑張れない事情の二番は、そもそも人はそんなに言うほど頑張れないからだと思う。
「頑張ったけどダメだった」という人に、じゃあどのくらい頑張ったの?と問うてみると、意外と毎日8時間たっぷり寝て、テレビ見て、ゲームして、友達と遊んだり、デートしてたりするんじゃないかな。

三番は、つまりは「頑張れば夢は叶う」と信じ切れないからだと思う。
たとえば、「10年努力すればあなたは成功します」と分かっていれば、けっこう人は頑張れるかも知れない。
でも、20年かかるかも知れない、30年かかるかも知れない、もしかしたら一生かかってもダメかも知れないという状況で、人はなかなか頑張り続けられやしない。

「頑張れば夢は叶う」という言葉にウソはない。
ただ、「頑張り続ける覚悟はありますか?」という問いが隠されているようには思う。

なんにしても、"それ" が好きで好きでしょうがない人と言うのは、挫折などしないだろう。
プロのミュージシャンになるために音楽を作っている人は、プロになれなかったという挫折があるけど、ただ単に好きで音楽を作っている人は、ただ好きで作っているだけだから挫折のしようがない。
多くの人が前向きに生きるには、「可能性のよき断念」というよりは、「趣味と職業の分離」だと思う。
趣味を職業にしようとすると苦労する。
趣味が職業になるのが一番いいのだと思う。
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by kude104 | 2008-02-07 23:14
「地道な努力」を続けていく事が正しいのか?近道を探す努力こそが正しいのか? - モチベーションは楽しさ創造から

「近道」と「地道な努力」という表現で対比させるから、変にこんがらがるのではないかという気がする。
問うべきは、「今の努力の方向性は正しいか間違っているか」と、それだけで十分なのではあるまいか。

努力の方向性が正しい場合が「近道」になるわけだけど、近道を往けば地道な努力が不要になるわけではない。
最短距離に近ければ近いほど、余分に歩かなくて済む、というだけの話。
そして、いくら地道な努力を重ねても、明後日の方向に向かって歩いていたのではゴールにはたどり着けないという話。

人は往々にして、歩き出す前は、無駄に歩きたくない、最短距離を歩きたいと思い、なかなか一歩を踏み出せない。
正しいルートを見極めてから歩こうとして、結局一歩も踏み出せないまま諦めたりする。
そのくせ、いざ歩き始めると、今度は自分の道が正しいと信じて疑わない。
もしこの道が間違っているとしたら、自分のこれまでの歩みが無駄になるから、この道は間違ってなどいないと思いたがる。
結果、間違った道を延々歩き続けたりしてしまう。

未知の道というのは、歩いてみなければそれが正しいかどうかなど分かるはずがない。
もちろん、大雑把な方向性というのは事前の情報収集等で見極めなければならないけど、でも、事前に「最短ルートが分かる」というのは幻想だろうね。
多くの人がその幻想に惑わされてスタートできないでいるように思う。
だから、だいたいの方向性でスタートすればいいし、する以外にない。

そうしてスタートしたら、その道は最短ルートではないのだから、常に「本当にこの方向でいいのか」と考えながら進むことが重要。
で、方向性がずれているなと思ったら、ためらわず修正する。
最悪、来た道を引き返してスタート地点に戻る覚悟も必要だろう。
そういう歩き方は、当然最短距離にはならないけど、でも、ゴールにたどり着ける率は一番高いだろうと思う。

――とまぁ、まとめれば「地道な努力で近道を探す」という、結局だいたいみんな同じ結論に落ち着くわけだけど。
そうして、自分はそれを実践していると思い込んで明後日の方向に延々歩いていたりするんだろうね、ぼくも含めて。
でもまぁ、スタートできないよりは延々歩いているほうが面白いから良しとしよう。
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by kude104 | 2008-01-17 18:37
「努力は必ず報われる神話」として消費される受験戦争という“ゲーム” - シロクマの屑籠(汎適所属)

「勉強が出来ていい大学に入学できたからと言って、人生の成功者になり得るとは限らない」というのは全くその通りですが、でもたぶん、人生の成功者は高学歴者のほうに多いだろうとは思う。
調べたことはないけど、たぶんそうじゃないかな。
過剰な受験勉強が勉強しか能のない学歴バカを生み出すのはたしかですが、低学歴者の中に占めるDQN率もなかなかのものだろうと思います。

受験がある意味「努力は必ず報われるゲーム」なのは当然と言えましょう。
学校の勉強は基本的に「これくらいは理解できるだろう」という内容でレベル調整されているわけだから。
つまり、努力して理解できないような学習内容にしちゃダメなんだよね。
受験となるとそれに加えて応用力が問われたりもしますが、過去の傾向と対策がある程度意味を持つなら、それとて努力の範疇に入る。
でも、全国の上位レベルを争うくらいの受験競争となると、センスのない人間は努力だけではどうにもならない壁を思い知ることになるでしょう。

受験は本来、大学の講義レベルと自分の実力とのミスマッチを防ぐために行われるのであって、自分の実力に応じた大学を受験するなら、受験勉強の努力はまず報われると言ってもいいんじゃないでしょうか。
もちろん受験の本質は椅子取りゲームであるので、100%とは言えないけれど。
一方、自分の実力以上の大学をセンスもないのに受験しようとすると、過負荷で人間性が壊れちゃう危険性がある。
でも、それはべつに受験に限らず、仕事でもスポーツでもゲームでもなんでも、オーバーワークは壊れちゃうというだけのことだと思います。

実際のところ、「努力は必ず報われる神話」ゲームとして受験戦争を戦った人間が不幸になる率というのは、どのくらいなのだろうね。
0.01%くらいなら「そのくらいは、しょうがないよね」と思うし、100%近いようなら「これは問題だ」と思うし。
また、そうでない人間の不幸率と比べて高いのか低いのかも気になります。

個人的には、心から「努力すれば報われる」と信じて努力して見事大学に合格するという成功体験を得た人間というのは、たぶん、何やっても上手くいくんじゃないかという気がする。
学歴バカみたいなのって、中途半端な努力で中途半端に成功をしたやつに多いんじゃないだろうか。
本当に努力できる人間というのは、世の中にごく一握りしかいないと思うんだよね。
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by kude104 | 2007-12-26 23:59
Passion For The Future: すばらしい思考法 誰も思いつかないアイデアを生む

参照エントリーで紹介されている「すばらしい思考法 誰も思いつかないアイデアを生む」という本の引用らしいですが──

驚異的にクリエイティブな天才は、二、三の限られた偉業を行ったと広く思われているがこれは誤解だ。トーマス・エジソンは白熱灯と蓄音機の発明で知られているが、彼は1093もの特許を取得した。エジソンは創造をただの地道な努力の結果と見ている。電球が長持ちするフィラメントを作るのに何千回も失敗したのに、なぜあきらめないのかと助手に聞かれ、エジソンは質問の意味がわからないと答えた。彼にしてみれば失敗は一つもなかった。ただ、うまくいかない方法を何千も発見しただけだ。
来たこれ。
ずーんと来た。

「なぜあきらめないのかと助手に聞かれ、エジソンは質問の意味がわからないと答えた。彼にしてみれば失敗は一つもなかった。ただ、うまくいかない方法を何千も発見しただけだ」

かぁー、かっこいい。
こんなセリフ、一度でいいから言ってみたい。
「天才とは99%の努力と1%のひらめきである」という言葉の意味は、こういうことなのね。

成功に至る道があるとすれば、失敗への道を手当たり次第にすべて潰して行けば、必ず成功する。
それは単純な引き算だ。
だけど、凡人にはそれが出来ない。

なぜなら、凡人には、成功に至る道が必ずあると信じ続けることが出来ないから。
数度の失敗で、もう疑ってしまう。
「これは絶対に不可能なのではないか」と。
「成功への道なんて無いのかもしれない」という疑念、恐怖に耐えられない。
だから、すぐに見切りをつけてしまう。

もちろん、何千パターンもの“失敗”を思いつくというのも非凡の証明でしょう。
でも、それ以前に挫折するケースのほうが多いんじゃないかと思います。

成功者が語る「成功の秘訣」というものをいろいろ見ていると、要するにたったみっつのことなんじゃないかという気がしてきます。

ひとつ、実行すること。
ふたつ、トライ&エラーを繰り返すこと。
みっつ、成功するまでやること。

はっきりいえば、泥臭い。
でも、我々凡人がついつい求めてしまう、最短距離で最小の労力で成功に至るようなエレガントな方法というのは、たぶんないのだろうと思います。

でも、学校の勉強とかで、間違わずに最短距離で正解を探す訓練を十何年間も続けていると、自然と心に沁みついちゃいますよねぇ。
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by kude104 | 2006-09-05 23:59