世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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報道とは道に報いること

同じ空間を共有できていたのか--秋葉原事件の撮影について:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

たぶん、事件現場を撮影するといったことは、基本「不謹慎」なのだろうと思う。
報道だろうがなんだろうが、自分が、身内が、被害に遭っている映像を全国のお茶の間に流されて気持ちのいいはずがない。

でも、じゃあ、不謹慎だから禁止しましょうということができるだろうか。
大衆はきっと、「いま、そこで、何が起きているか、我々は知る権利がある!」と叫ぶだろう。
本心は野次馬根性だとしても、でもたしかに、万に一つくらいは「知るべき情報を隠蔽される」危険性がないとは言えない。

そうしたジレンマのようなものを解決する装置として、マスコミがあるのかも知れない。
禁止はできないが、かといって、みんなが自由に好き勝手やっては困る。
だったら、代表して執り行う機関を設けてそこに任せましょう、と。

マスコミとは何か、報道とは何かと考えたとき、ひとつには「自らの活動について、社会的な責任を負う」ということじゃないかと思う。
マスコミは、いちおう法人として継続的に活動しているので、あまりモラルから逸脱する行動はとれないという自制が働く。
一方、ネット上の一般人の活動には、そうした自制は期待できない。

これを極端に言ってしまえば、訴えられる覚悟の有る無しだ。
ネット上の個人の活動であっても、本名晒して「問題があれば訴えて下さい」という覚悟があれば、それは立派な報道だと思う。
(報道の内容はともかくとして、意識として)
目的はどうあれ、不謹慎なことをするのだから、それが報じる側のフェアというものじゃないだろうか。

そしてもうひとつには、やはり「公共性」というものじゃないかと思う。
公共性の有無は、べつに、それを伝える人数の多い少ないで決まるものじゃないだろう。
公共性があるとは、それが多くの人にって有益であるということだ。
「有益である」というところが大切。
無益なものを大多数にばらまいても、公共性があるとは言わまい。

姿勢としては、責任を負うということ。
内容としては、公共性があるということ。
それが報道というものじゃないかと思う。

それにしても、「報道と野次馬の境界線が消失し、一般人の情報発信とマスメディアの取材・報道の境界線がなくなっている」と言われてしまうマスコミって・・・。
マスコミの能力と社会的意義の低下を如実に物語っているね。
たしかに、ワイドショーなんか添加物と着色料でギトギトのケーキのようで食べる気しないもんなぁ。

一方、ネットもあんまり無節操に不謹慎ばら撒いてると、いずれ規制されちゃうだろうから気をつけろ。
参加者が増えたときの劣化の激しさは、たぶんマスコミの比じゃないだろうから。
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by kude104 | 2008-06-14 22:50 | PC&ネット