世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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新生活、光はじめました

実は一月の末に引っ越しをしたのだけど、先日、引っ越し先でようやくネットがつながりました。
NTTのフレッツ光。
申し込みは1月のアタマにしていたので、ほぼ丸2ヶ月かかってようやくつながった。

友人からは3ヶ月くらいかかると言われていたけど、「そんな大げさな。2週間くらいでつながるだろう」なんて思っていたら、甘い甘い、大甘だった。
3ヶ月とまではいかなかったけど、丸2ヶ月!
ネットにどっぷり浸かった身には、丸2ヶ月の断絶はあまりにも長い期間でした。
なんかこう、ネットてもう生活インフラの一部みたいな感じでいたから、それが開通まで2ヶ月もかかるなんて思ってもみなかったよ。
でも、現実はそんなもんなのね。

せめて、今どういう状況で、どういう理由で時間がかかっているのか。見通しが起つのはいつなのか、といったことが分かれば、まだ気分的に落ち着くのだけど。
なんだかよく分からないけど待たされていて、いつまで待たされるか皆目見当がつかないって状況は、ひじょうにイライラする。
フレッツ光のCMを見るたびに、「今の客も満足にさばけていないくせに、さらに客を集めてどうする!トヨエツに払う金があったらスタッフ増やせ!」と、腹が立ってしょーがなかったよ。

でもまぁ、なにはともあれ、とりあえずつながったから良しとするか。
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by kude104 | 2011-03-04 16:01 | PC&ネット

ネット販売専門の出版社

たけくまメモ : 「町のパン屋さん」のような出版社

うーむ。
「町のパン屋さん」と言っても、本の場合、リアルに実店舗を中心とした半径何キロかの商業圏でのみ商売をするというやり方では成り立たないだろう。
パンに比べて書籍では、見込み客が圧倒的に少なすぎると思うのだ。

「俺が言う町のパン屋さんは、売り物を自分で作って、自分で売るのである」ということから、自分で作った本を自分で売るということだろうけど、そうすると、売り物である本の種類がものすごく少なくなる。
売り場はまるで、「数種類しか本が売られていない本屋さん」みたいになっちゃうんじゃないか。
パンと違って、同じ本を何度も買う人はいないから、これはなかなかに厳しい。

だから、これはネット販売を前提としたアイデアだろうと思う。
全国規模で考えれば、なんとか成り立つ話かも?という気はしないではない。
そういう意味では「町のパン屋さん」というよりは、自分の手作りの品をネット販売する個人ショップのイメージが近いんじゃないかと思う。

もう一歩思考を進めると、もし仮にこうした個人出版がある程度成立しうるとしても、個人規模で作家から本作りからサイト運営から販売まですべてこなす、そうした体制を作ることができる人はそう多くはないだろう。
ならばおそらく、製本やサイト運営や販売はこちらで請け負いますので、あなたは作家業に集中してください、という分業スタイルが現れるに違いない。
つまり、「ネット販売専門の出版社」だ。

もちろん、成立の過程としては、初めは自分で書いた本を自分で販売するところから始まり、やがて仲間の書いた本も一緒に販売するようになり、ついには自分と仲間を中心に出版社を設立し、そして、出版社として他の作家に執筆を依頼するようになる、と。
まぁ、最後のステップまでたどり着けるかどうかは何とも言えないけど。
小規模の出版社がそれぞれに個性を出しながらネット販売でどうにかやっていけるくらいの感じが、望みうる理想形じゃないかと思う。

あとは、「本」と「デジタル」の関係がどうなるかだね。
それによって、まったく変わってくるものね。
いずれにしても、町のパン屋さんならぬ、町の本屋さんには厳しい時代になりそうだねぇ。
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by kude104 | 2009-07-19 23:41 | PC&ネット
「ネット失望の時代」がやってきた: 歌田明弘の『地球村の事件簿』

つまり、「オープンなネットへの幻想」というものから、そろそろ醒めてきたということじゃなかろうか。
「やっぱりネットであろうと、ニンゲンを無作為に集めればヘンなのが雑じって荒れる」という、残念だけど当たり前の結果になったよね、と。

繁華街のど真ん中で、知的で生産的な議論が行えると思う人はいないだろう。
なのに、不特定多数が集まるネットで、どうしてそれができると思っちゃったんだろうね。
やっぱり、まだインターネットに接続できる人間が限られていた時代の残滓だろうか。
いまじゃ小学生でも使っているのにね。

「別け隔てなく、多くの人に見てほしい」と思うなら、受け手の「大衆化」は覚悟するしかない。
それはネットに限ったことじゃない。
テレビだって雑誌だってそうだろう。
ネットはたしかに、いわゆる「バカ、暇人、貧乏人」がテレビ局や出版社を通さずダイレクトに絡んでくるからしんどいけど、それはこちらだって、テレビ局や出版社を通さずダイレクトに発信しているんだから、合わせ鏡のようなものなのだろうと思う。

「英語圏のウェブ」というものをぼくはよく知らないのだけど、それがオープンなまま「知的ツール」として機能しているのなら、もしかしてそれは、いわゆる「バカ、暇人、貧乏人」がまだ十分ネットになだれ込んでいないからじゃないだろうか。
たとえば、パソコンやネットの接続料金が安くない社会では、ネットユーザはある程度富裕層に限られるので「大衆化」しないでいられるだろう。

あるいは、「英語圏のウェブ」では実名で活動するユーザが多いという。
そうすると、ネット上における人間関係と実社会における人間関係とが、かなりの部分で重なるのではないだろうか。
つまり、実社会で上流階級層の人間と下流の人間とが交流しないように、ネット上でも自然とそうなるのではないか・・・と。

閑話休題。
コミュニティの質を保つためには、どうしたって、参加者の質をある程度保たなければならない。
理想としては、社会全体の質が高ければ、別段何もしなくても保たれるのだろうけど、現実的にそれを期待するのはちょっと無理だろう。
となれば、コミュニティにおいて、希望する水準に満たない参加者を教育するか、排除するしかない。
言い換えれば、コミュニティの質を保つためには、参加者を教育したり排除するための仕組みがコミュニティになければならない、ということだ。
でも、オープンなネットには、そうした仕組みはない。

いまさらネットの利用に資格や実名利用を義務付けるとか、そうした法的な網をかけるのは抵抗が大きいし、個人的にも好かん。
なので、ネット全体をひとつのコミュニティと見て質を保つのは無理と諦めよう。
代わりに、ネットの中にクローズドな空間を作り、棲み分けを行うのがいいと思う。
会員制のサイトとか、もっともっと作られてもいいと思うのだけどな。

ま、会員制コミュニティの場合、どうやって参加者を集めるかという点が問題になるのだけれど。
基本的には、実社会などですでに有名な人が、ネット上に自分の私塾であるとか勉強・交流の場を作るケースが主になるだろうね。
無名なやつが会員制コミュニティを作っても、人集まらんからね。
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by kude104 | 2009-06-30 23:57 | PC&ネット
梅田氏と「アテネの学堂」 - Tech Mom from Silicon Valley

ぼくは日本のウェブにおいても「アテネの学堂」はいずれ現れると思っています。

ただ、そのままのネット空間をポンと用意して、「はい、ここがアテネの学堂ですよー」といったところで機能しないのは当然で。
「アテネの学堂」を作りたかったら、まず、「学堂」として使える施設(システム)を作らないといけない。
次に、そこに知的エリートを志す人を集めなければならない。
そうして、そこが「アテネの学堂」として機能しはじめたならば、“知的エリートの世界に参加したいと潜在的に思っている人たち”が自然と集まってくるようになるでしょう。

そうではなく。
まず大衆を啓蒙して、それによって大衆の中に「アテネの学堂」を望む機運が高まり、その結果「アテネの学堂」が大衆の中より自然発生的に立ち現れてくる──と、そんなシナリオを期待しているならば、それこそ10年20年のスパンで観ていないと。
たかだか3年や5年で「アテネの学堂は現れなかった・・・」と失望するのは、ちょっと早すぎるんじゃないでしょうかね。

まぁ、ぼくは「大衆を啓蒙して」という方向性は好きじゃないので、「アテネの学堂」が欲しければ、そう思う人たちが作ればいいじゃない、と思います。
初めは小さくていい。
志を同じくする二、三人だけで始めればいいじゃない。
いきなり大学を作ろうとせず、まずは寺小屋からつくりましょうよ、と。

寺子屋作って、そこで楽しそうに学んでいれば。
それを見た別の誰かが「面白そうだな。よし、俺たちもやってみよう!」となる。
そうして小さな「学堂」が次々と生まれ、やがてそれらが結びつきあい、巨大な「アテネの学堂」へと成長していく──と、そういうアプローチでいいじゃない。

もし、そうならなければ──フォロワーが誰も現れないとか、そういう場合は、やはりなにか、どこかに問題があるということでしょう。
たいていは、システムに無理があるとか、そもそも需要がないとか、そんなところです。

サブカルには放っておいても人が集まるのは、楽しいからです。
「知的な議論」に人が集まらないのは、楽しくない(というか、楽しさを知らない)からでしょう。
だったら、「知的な議論」を楽しいものにすればいい。
「才能の無駄遣い」な議論がバンバン行われるようにすればいい。
楽しくないものをイデオロギーでやらせるようなことは、ぼくは好かんですね。


梅田さんを「残念」に思う人の気持というのは、ひとつには、「誉めよう誉めよう」と言っている人が、日本のウェブにはダメ出しする、みたいなところに、ダブルスタンダードめいたものを感じるからじゃないでしょうか。

そしてもうひとつは、「実行者」じゃないところでしょうか。
これは昨日書いた「コンサルタントだから」しょうがないとは思いますが、もし梅田さんご本人が先陣切って「アテネの学堂」を作らんと活動していらっしゃれば、やはり応援したくなりますよね。

ぼくが原丈人さんを「すげーなー」と思うのは、同じオプティミストでも、彼の楽観主義は「なぜなら、私が実現させるから」というところで発せられているからです。
好き嫌いで言えば、ぼくはそういう人が好きなので。


ところで。
本日、またひとつ歳をとってしまいました。

ぼくは日本のウェブにおいても「アテネの学堂」はいずれ現れると思っています。
なぜなら、ぼくが作るから──と言えるように、まだまだ成長しなければ。
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by kude104 | 2009-06-04 15:05 | PC&ネット
民主党嫌いの正体: 大石英司の代替空港

ぼくの印象としては、ネット上の「民主党嫌い」のベースは、アンチマスコミにあるのではないかという気がします。
もしマスコミがこぞって自民党支持の論調を展開すれば、今度は逆に反自民が増えるだろう、と。

というのも、ネット上で何事か意見を発しようという場合、「私もそう思う」という賛成意見より、「私はそうは思わない」という反対意見のほうが書きたくなるから。
賛成意見というのは、たいてい「私もそう思う」という一言で済んでしまうので、わざわざ書くほどじゃないなと思ってしまうのに対して、反対意見というのは、「それは違う。なぜなら──」と書き甲斐があります。

政治の話題というのは、新聞やテレビなど、マスコミの発信する情報をネタ元とするケースが多い。
そのネタ元が民主党寄りなら、対するネットは反民主に傾く・・・と、まずはそうした理由が考えられるのではないでしょうか。

だいたい、マスコミの論調に敢然と異を唱えるというのは、正直、気持ちがいい。
マスコミの嘘を暴く、マスコミの無能を世に知らしめる──みたいなことは、やっぱりわくわくしますよね。
知的興奮はもとより、ある種の正義感や使命感のようなものが満たされますし。

マスコミに政府批判が多いのも、ネットにマスコミ批判が多いのも、マスコミのネタ元が政府なのに対して、ネットのネタ元がマスコミなだけで、構図としては同じなんじゃないかなぁ。
ぼくは単にそういうレベルの話だと思っています。


付け加えるなら、民主党が「お粗末」というのも、もちろんあるでしょうね。
上の理由に加えて、民主党自体がネタの宝庫というか、いじり甲斐があるというか。

民主党という組織は、政治的な能力もそれはそれとして、イメージ戦略に関してまるでセンスがないように感じてしまいます。
ネット、民主、イメージ戦略といえば思い出すのは、ニコニコ動画。
小沢さんや鳩山さんが出てきて炎上して評判下げて、いったいなにがしたかったんだ、と。
無垢といえば無垢なのかもしれませんが・・・。
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by kude104 | 2009-05-19 22:14 | PC&ネット
我々が音楽に払うもの:Paying Money or Attention - P2Pとかその辺のお話@はてな

一時期――まだCCなんて言葉もなかったころ、ネット上のアマチュア音楽を漁るように聴いていたぼくだけど、今じゃすっかり遠のいてしまった。
その頃と今とでは状況もずいぶん違っているのだろうけど、ぼくがなぜネット上のアマチュア音楽から耳が遠のいてしまったかを書いてみようと思う。

ぼくの場合、音楽というものは基本「ながら聴き」をするものだ。
パソコンに向かって作業をしながら聴くというのが、機会として一番多い。
しかし、「ながら聴き」で自分のお気に入りの音楽を発掘するのは、かなり難しい。

ネット上のアマチュア音楽というものは、まぁ玉石混交で。
もちろん、石のほうが多い。
このへん、今はかなり改善されているのかもしれないけど、10曲聴いたら9曲は開始1分ほどで「はい、次」となっちゃう感じだった。
そんなふうに、「はい、次・・・はい、次」と曲切り替えてたんじゃ、ちっとも「ながら聴き」にならないわけで。

ネット上のアマチュア音楽は、「音楽を聴く」という時間をプロと奪い合っているわけだ。
たとえば、普通の人が音楽を聴く時間というのは一日にどのくらいあるのだろう。
もしそれが、ひと月にCDを1枚レンタルすれば事足りるくらいの時間だとしたら、ネット上のアマチュア音楽の「無料ですぐにダウンロードできる」という強みは、「月にCD1枚のレンタル」と比べて、それほど大きなアドバンテージになるとは思えない。

じゃあ、どうだったら、ぼくは再びネット上のアマチュア音楽を聴くようになるだろうかと考えてみる。
たとえば、ぼくがリピーターになっているブログのブログ主さんが「これオススメ」と紹介している。
オススメ曲は1曲だけよりも、10曲ぐらいあって、それを連続で再生できるとBGMとしてながら聴き出来ていい。
その10曲がどれもたしかにいい楽曲である。
くわえて、その10曲の中に同じアーティストの楽曲が2~3曲以上あれば、ぼくの中でそのアーティストに興味がわく。
そのアーティストのサイトに行くと、他にも楽曲がたくさんあって聴ける。
これも連続再生でながら聴きが出来るとよい。
そのどれもがいい曲だ。
それらの楽曲が収録されたアルバムCDがAmazonで1980円くらいで買えれば、買うかも知れない。
――みたいな感じかな。

つまり、ぼくにとってはシームレスなのが理想的。
Amazonで云々はまぁないとしても、こんな感じなら、ネット上のアマチュア音楽に再び戻ってみたくもあるけど。
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by kude104 | 2008-06-23 23:17 | PC&ネット
ネット上で誰かと「理解しあおう」としても無駄な理由 - Vomit Comet

ネット上での“コミュニケーション”には、そもそも、「理解しあおう」という気が端からないケースが多い気がする。
「自分はこう思う」という主張を発して終わり、というケースがほとんどじゃないかな。

その理由として、上記エントリーに挙げられているように、文字だけのコミュニケーションでは情報量が圧倒的に少ないということもあるけど、もうひとつ重要なのは、アクション~リアクションのタイムラグがものすごく長いからじゃないだろうか。

いわゆる、チャット(同期)ではなく掲示板(非同期)ベースのコミュニケーションでは、言葉のキャッチボールをしながらお互いにお互いの理解を深めていくということができない。
1回の言葉の往復に1日とかかかっていたのでは、とても理解し合うところまで進めない。

ならば言葉のキャッチボールの回数を少なくしようとすると、必然、1回あたりの言葉の分量が多くなる。
あれもこれもと話題を盛り込まざるを得ない。
そうすると論点がぼやけてしまい、議論は拡散してうやむやのうちに終わるというパターンに陥りがちだ。

ちなみに、SMSのコメントが「偉そう」になりがちなのは、タイムラグどころか、アクションに対するリアクション自体がないからだろうと思う。
言葉のキャッチボールどころか、投げっ放し。
コミュニケーションにおけるキャッチボールというのは、強く投げれば強く返ってくるもので。
相手のボールを受けなくていいとなると、ついつい自分の投げるボールの強さに無自覚になってしまうものだ。

ネット上でのコミュニケーションというのは、基本的に、「自分はこう思う」という主張を一方的に投げ合うことしかできないのだと、そう思っていたほうがいいように思う。
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by kude104 | 2008-03-08 21:31 | PC&ネット
ガ島通信 - 朝日・日経・読売、業務提携の意味

この「朝日・日経・読売、業務提携」のニュースを見て真っ先に思ったのは、新聞業界もついに統合が始まるのか――というものでした。
ネットの影響で新聞の売り上げが落ちているのは明らかで、しかも今後、売り上げは落ちることはあっても回復することはないでしょう。
縮小した業界で何が起きるかと言えば、そりゃ企業の統合ですよね。
新聞業界とて、例外ではないでしょう。

そうして新聞社が大統合されて、たとえば、日本の主要な新聞社が朝日新聞だけになっちゃったりしたら、世の中どーなるんだろう?なんてことを想像してみたりして。
もちろん、実際に一社独占になるなんてことはまずあり得ないだろうけど、少なくとも、数が減ればそれだけ多様性は失われるわけで、立場を異にする新聞社が減れば、それだけ世の中に報じられるニュースの多様性なりバランス感覚なりが失われるんじゃないか・・・という危惧は感じます。
そうなったとき、ネット上のニュースはどうなるんでしょうね。
新聞と連動して多様性を失うのか、それとも、ネット独自の情報源によって多様性は保たれるのか。

なんというか、囚人のジレンマのように、みんなが新聞を購読しないという戦略を採ることで、全体的に損をする仕組みになっていなければいいがなぁと思う次第です。
とはいえ、かく言うぼくも新聞は購読していないですし、「みんなのニュースを守るために新聞を購読しよう」とか言うのもナンセンスだと思います。
ですから、もしこれが囚人のジレンマなら、新聞社がそのルール(ビジネスモデル)を転換するべきだろうと主張したい。

では、そうは言うけど、いったいぜんたい新聞社はどうすればいいのだ?
ということで考えてみたのですが、まず、これまでのように一般消費者に新聞を購読してもらうというやり方は、もう諦めるしかないでしょうね。
ネットで無料でニュースが読める便利さを知ってしまった以上、もはや後には戻れない。
どう頑張ったところで、今ネットで済ませている消費者が新聞購読に帰ってくることはないし、もちろん、ネット上での有料購読が成功するはずもない。

ですから、一般消費者に売るのはすっぱりあきらめて、代わりに、企業にニュースを売りゃいいんじゃないでしょうか。

たとえばネットなら、ヤフーやらグーグルやらmixiやらいろいろありますよね。
サイトのコンテンツとして、買ってでもニュースを掲載したいというサイトは。
新聞社はそうしたサイトにニュースを売って収益にする。
ユーザはそうしたサイトで無料でニュースを読む。
サイトはそうしてユーザを集めて、広告なりなんなりで収益を上げる。
――という構造はどうだろうか。
もちろん、おそらく今だってそうしたニュースの売買はしているんでしょうけど、要するに、本格的に軸足をそちらに移してやればどうだろう?というお話。

ネットだけじゃなくて、たとえばテレビのニュース番組へのニュースの提供とかも、現状がどういう仕組みになっているのか分かりませんが、新聞社がテレビ局にニュースソースを売ればいいんじゃないでしょうか。
テレビ局からすれば、取材のアウトソーシング化、みたいな感じになるわけ。

つまり、新聞社は新聞を売るのではなく、ニュース・記事・情報を売るビジネスに転換してはどうかという話です。
新聞はあくまでも情報を売るチャンネルのひとつとして捉えるのが正しいように思います。
新聞社の取材能力やら記事にまとめる能力やらが、新聞という形でしかお金にできないかといえば、そんなことはないだろうと思うわけで。
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by kude104 | 2007-10-04 22:18 | 時事・社会

Web2.0からMobileWeb2.0へ

ケータイ顔写真採点 「写メコン」って何? - ITmedia News

うわっ、気持ち悪ぅ。
自分の顔写真晒して品評してもらうなんて、考えられへんわ。
よほどのナルシストか、それとも、「かわいい~」と言い合う生暖かいコミュニケーション空間かどちらかじゃないかと思ってしまうのだけど、どうなんだろう。

と拒否反応を示しつつ、その実、この話にはかなりの衝撃を受けました。
まるで未知との遭遇のようなカルチャーショックです。
ネットは危険と隣り合わせだから個人情報を晒すなどもっての外という教えが身に染みているぼくなんかと、気軽に顔写真を晒せる彼ら/彼女らと――。
明らかに文化が、世界が大きく違っているよね。

そしてなんというか、直感的に、“分かって”しまった。
Web2.0とか3.0とか言っているけど、そんなヴァージョンアップ的な進化じゃなくて、PCのWeb世界はケータイのWeb世界に取って代わられるのではないか。
まぁ、取って代わられると言うか、ネットの中心がケータイのほうにシフトするだろうってことなんだけど。
言うなれば、PCWeb3.0だとか言っているあたりで、気がつけば、世の中ネットの中心はMobileWeb2.0だったりするのではないかと。
今ちょうどその入れ替わりが始まりつつある段階くらいじゃないかな。

なぜそう思うかという論理的な理由はないんですが、たとえばPCメインのブログで、やれ実名だ匿名だと議論が起きている間に、ケータイのほうでは軽々と顔写真を公開しちゃうというあたり。
実名どころか、実顔ですよ。
ネットの中を、まるで自分の実社会の延長というか実社会そのものであるかのように捉える感覚は、まぎれもなく“ニュータイプ”の感覚でしょう。

ケータイは一人に一台で、ケータイごとに固有の端末番号があって、つまりは限りなく個人とネットの中の「個体」が一対一に対応していて、そこで顔写真晒せちゃうくらいプライベート空間の延長線上な感覚で、いつでもどこでも気軽にネットの世界にアクセスしてコミュニケーションできる。
そんなPCのネットとはまったく違う環境の世界が、PCと同じに進化するはずがない。
そして、そんなネットコミュニケーションは人類史始まって以来のことで、要するにこれはまさしく「アドバンスジェネレーション」だなと感じる次第です。

あとは、ケータイの機種ごとの差異に対応するような、あるいは差異を吸収するようなテクノロジーなりノウハウなりが確立されれば――まさに、JavaScriptがAjaxとして花開いたように――MobileWebは爆発的に進化するんじゃないでしょうか。
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by kude104 | 2007-09-04 23:59 | PC&ネット
アンカテ(Uncategorizable Blog) - 「世の中は厳しい」なんて大嘘

一読したときはスルーしたけど、このエントリーについての様々な反応を読んでいると面白くて、じゃあぼくもなにか言及してみようという気になりました。
こういうのを、尻馬に乗ると言うのでしょう。

ネットを活用して、個として稼ぐ人は今後ますます増えるでしょう。
一方企業では、効率化によって、必要とされる従業員の数は今後ますます減るでしょう。
じゃあ、前者の増加分と後者の減少分とではどちらが多くなるかというと、まぁ単純にイメージすると後者の減少分のほうが多いのではないかな・・・と思います。

たしかに、兼業アーティストは増えるでしょう。
ただ、それはおそらく「日曜大工」と同じ程度のことだろうと思います。
アーティスト活動で月20万円稼げる兼業アーティストは、たぶんそんなに多くない。
ニッチ市場というのは市場規模が大きくないからニッチなのであって、月20万円稼げるニッチ市場はそんなに多くないように思う。
それこそプロスポーツ選手になるのと同じで、マイナースポーツのプロにはなりやすいけど、それで食べていくのは大変だ・・・みたいな。

アンカテさんの上記エントリーは、読みようによっては、まるで地球からの独立を叫ぶスペースノイドの演説のようですね。
「企業で働くオールドタイプが、ネットでフリーランスで活躍せんとするニュータイプを阻害する、それはすでに悪である! 起て、優良種たる兼業アーティストたちよ! ジークジオン!」みたいな。
“無能な”オールドタイプ対“優秀な”ニュータイプという図式に加えて、「ニュータイプになるのなんて簡単だよ」という発言が神経を逆なでするというか、煽っているように読めてなりません。

ネットの中に価値を引き出し育てる仕組みがたくさんあるなら、個人と同じく企業もネットによって価値を引き出され育つでしょう。
また、ネットによって人と企業のマッチングがより良いものになっていけば、「人は誰でも自分の能力を生かせる企業に就職できる」と言えるでしょう。
そうなれば、優秀な企業が増え、そこで働く優秀な従業員が増えることになりはしまいか。
――そういう未来図だって描けますよね。

ネットが個人の可能性を拓くのと同じように、企業の可能性もネットによって拓かれるとぼくは思っています。
ネットによって拓かれた新しい企業が、すでにもう現れ始めていますよね。
そういう世の中でどのように生きるかは人それぞれで、甘いも厳しいも人それぞれでしょう。
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by kude104 | 2007-08-25 23:59 | PC&ネット