世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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のび太が無人島で3000日

今週のドラえもんは「のび太が無人島で3000日」(原作「無人島へ家出」)。

のび太が無人島に家出するも、うっかりミスでタケコプターが飛んで行ってしまい帰れなくなるという話。
のび太はドラえもんが助けに来てくれるのを今か今かと待ちながら、結局10年間のサバイバル生活を余儀なくされる。
10年後、家出の際に持ってきていたひみつ道具のひとつで、使い道が分からずに捨てたものをたまたま発見し何気なく触ると、それは「SOSはっしんき」だった。
それによって、ようやくドラえもんが救出にきてのび太帰宅。
タイムマシンで家出当日に戻り、成長した肉体はタイム風呂敷で元の年齢まで戻し、家出を「なかったこと」としてめでたしめでたしというお話だ。

まず、10年間のサバイバルに耐え抜いたのび太のポテンシャルに驚かされるわけだけども、この話、多くの人が指摘するように、どうもすっきりしない。
のび太が家出した時代を「家出時」、救出された時代を「救出時」と呼ぶとすると、

(1)「救出時」ののび太が帰宅して家出は「なかったこと」になったけれど、「家出時」ののび太は今まさに家出しており、これから無人島にたどり着き、帰れなくなることに変わりはない。

(2)のび太と共に「救出時」のドラえもんがタイムマシンで戻ってきたら、「家出時」と「救出時」の2体のドラえもんが「家出時」に存在することになる。

(3)なぜドラえもんは10年間、のび太を救出できなかったのか。

まず、(2)から考えよう。
のび太についても「家出時」に2人ののび太が存在することになるわけだけども、こちらは一方が無人島に行ってしまっていて「不在」なので目に見える問題にはならないが、2体のドラえもんはこのままでは毎日顔を突き合わせることになるので具合が悪い。
そこで、2体のドラえもんを解消するためには、

(2-1)このあと「救出時」のドラえもんはタイムマシンで10年後に帰って行った。

(2-2)じつは、「家出時」と「救出時」のドラえもんは同じ。すなわち、「家出時」のドラえもんがタイムマシンで10年後に行き、のび太を救出して帰ってきた。

のどちらかだろうと思う。
素直に考えれば(2-1)だろうけど、そうすると、帰って行ったドラえもんのその後が気になってしまう。
「救出時」ののび太を「家出時」に連れてきたということは、「救出時」に帰っても、そこにのび太はいないことになる。
「救出時」の世界では、依然のび太は行方不明のままなのだ。

まさか、のび太がいない世界にドラえもんが帰っていくとも思えないので、この場合は、家出をなかったこととして過去を変えたことで、「救出時」の世界も変わってしまった──つまり、のび太行方不明の10年間がそっくりなかったことになると考えるのが妥当だろう。
でも、そうすると、もう一人ののび太はどうなるのだろう?
消滅するのだろうか?

消滅するとしたら、未来ののび太のほうと考えるのが自然だ。
でも、未来ののび太が「家出時」に存在することで家出がなかったことになるのだから、彼が消滅しては具合が悪い。
一方、過去を変えて未来の人間が消滅するという話はあるが、過去を変えて過去の人間が消滅するという話は聞いたことがない。
なので、消滅することなく、2人ののび太が存在すると考えるべきだろう。

となると、「救出時」ののび太が「家出時」に戻ってきて、家出自体が「なかったこと」になったことで、本来の「家出時」ののび太は救出する必要がなくなる。
というか、救出すると2人ののび太が存在してしまうことになって都合が悪い。
ただし、「救出時」ののび太として存在を許されるようになる10年後になったら、救出してもよいということになる。
この場合、救出したら10年前の「家出時」に戻してやらなければならず、それによって一応時間のループはきちんと閉じることになるね。

・・・うーむ、結論考えずに見切り発車でここまで書いたけれど、この調子だとまだまだ続いちゃうね。
この辺でやめておこう。
続きは気が向いたらということで。
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by kude104 | 2008-09-19 22:38 | テレビ
昨日のTVアニメドラえもんの「ベロ相うらないで大当たり」がなかなか味わい深かった。

話の導入は、手相占いでキャーキャー言われているスネオに嫉妬したのび太が、タイムマシンで未来を見てきて、それを「ベロ相うらない」で当てるというもの。
で、その様子を見ていた冴えない中年のおっさんが、「私の未来を占ってくれ」とのび太に泣きつくところからドラマが動いていく。

このおっさん、実は作家を目指しているのだけど、まったく芽が出ず、続けようかやめようか悩んでいるわけ。
で、仕方なくのび太はドラえもんとタイムマシンでおっさんの未来を見てくるわけですが、やっぱり作家にはなれていなかった。

ボロ家、夕焼け、風鈴の音、ひぐらしの鳴き声をバックに、作家にはなれないことを告げられたおっさんは、落胆して忍び泣くのね。
でも、すぐに精一杯強がって「よし、こうなったら商売でも始めて大儲けするか。なにも文学ばかりが人生じゃなし」と笑ってみせるのです。
切ない。
じつに切ないシーンだ。

そんなおっさんに同情したのび太たちだけど、考えてみればこれでおっさんの人生が変わったわけだし、もしかしたら本当に大金持ちになっているかもしれないぞと、わくわくしながら再び未来のおっさんを見に行きます。
でも、未来のおっさんは近所の弁当屋で働いていて、相変わらず貧乏なままだった。
うわ、なんてリアルで切ないお話。

で、ここからがいいところです。
もう小説は書いていないのかと尋ねると、おっさんは恥ずかしそうに、「実はねぇ、ずっと書き続けているよ」と答えます。
「せっかく占ってもらったんだけど、やっぱり、ぼくの生きがいは文学以外にないとわかった。売れても売れなくても、もう構わない」
「アルバイトを始めてね。文学に固執するあまり、ぼくは今までまともに働いたことがなかったんだ。そして気づいたんだよ、文学と同様、どんな仕事にも難しさややりがいがあるんだってね」
「文学も仕事も苦労が同じなら、なにも一つに絞ることはない。両立することだってできるわけだよ」
「そしたらね、最近になって、ようやく自分でも満足できる作品が書けるようになってきたんだ」
「たとえ世の中が認めてくれなくても、ぼくはぼくの小説が優れていることを知っている。それだけでいまは幸せだよ」
ものすごく穏やかな表情でそう語るおっさんは、これはもう悟りの境地に至っているね。

このアニメを作っている人間も、作り手として、たぶんこのおっさんと同じような葛藤を抱えたことがあるのだろう。
そして、いままさにそうした葛藤の中にある人や、これからそうした道を歩くであろう人に向けて、ひとつの理想の境地をおっさんに語らせたのだろうと思う。
応援歌でもあり、レクイエムでもあるのだろうね。

ここで終っていたらぼくとしてはパーフェクトなんだけど、この後おっさんの小説が文学賞を受賞してハッピーエンドで話が終わる。
このへんはまぁ、子供向けアニメとしてしょうがないか。
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by kude104 | 2008-09-13 23:59 | テレビ
コンビニでふと「ドラえもん のび太と緑の巨人伝」の漫画を発見して、思わず買ってしまいました。
映画版と漫画版とではストーリーがけっこう違うという話を聞いていたので、興味を引かれた次第です。
映画はそれはもうひどい内容でしたが、漫画はどうなのだろう・・・と。
多少なりとも救いはあるのか。

で、漫画版を読んでみた感想ですが、あらら、悪くないじゃん。
これなら十分許容範囲内ですよ。
映画でひどいと感じた個所は、おおむね修正されているように思います。
これなら鑑賞に耐えうると言っていいんじゃないでしょうか。
映画版は、それはもうひどいものでしたから。

映画の脚本を元に漫画化したのだろうから、映画のひどい所を漫画で修正したと見るべきか。
あるいは、もともとの脚本は漫画の通りで、映画化する際に映画的な表現に合わせる形で書き換えられたのか・・・。

そういえば、「緑の巨人伝」は短編の「さらばキー坊」と「森は生きている」を原案にしていると聞いていたのですが、映画を見る限りでは、「森は生きている」の要素がまったく感じられなかったのです。
おかしいな~と思っていたのですが、漫画を読んで納得しました。
あれならなるほど、「森は生きている」を原案にしたと分かる。

ということは、もともとの脚本は漫画の通りで、映画化するにあたって大幅に書き換えられたと見るべきでしょうね。
となると悪いのは監督か。

むろん、漫画と映画と、メディアが違うので漫画の通りに映画化できるとは思っていない。
でも、もともとの脚本が漫画の通りだったとしたら、いくら映画的なアレンジが必要とはいえ、あれはないわ。
削った箇所と新たに加えた個所と、その判断はないわ。

まぁ、確かに漫画のまま映画化したら2時間余裕で超えちゃう感じはありますから、どの要素をカットするか・・・という問題だったのかなぁ。
で、それをカットしたらこれを書き換えて・・・とやっているうちに、あんなふうになっちゃったのかなぁ。
いや、でも、それにしたって、あれはないよな。
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by kude104 | 2008-03-15 18:58 |
つい数日前まで真冬の寒さに震えていたのに、なんだかもうすっかり春気分です。
春と言えば?
そう! 春だ一番ドラえもん祭り――じゃなかった、ドラえもん映画です。
今年もやっぱり観に行っちゃいましたよ。

今年の『映画ドラえもん のび太と緑の巨人伝』は、一言で言うと、「これは無いな」と。
毎年多かれ少なかれ「ひどいひどい」言ってますけど、今年が一番ひどいわ。
たぶん、過去最低。
これで、オリジナルシナリオはやっぱりもうダメだということを証明した形になったのではないかと思います。
来年は宇宙開拓史のリメイクのようだけど、もうこの先ずっとリメイクでいいじゃん。

なんか、ツンデレなアミダラ女王とか、スーパーサイヤ人なキー坊とか、緑の巨神兵とか、どこかで見たようなビジュアルイメージ満載でさ。
内容的にも、「風の谷のナウシカをドラえもんでやってみました」みたいな感じでさ。
もちろん、面白さは雲泥の差だけどね。

うーん、「緑を大切に」というメッセージ性に酔っちゃったんだろうか。
大作志向が暴走したんだろうか。
完全に、「ドラえもん映画」であることを見失っている。
よくあれでゴーサインが出たなと。
誰か止めるやつはいなかったのか。

えー、お子様をお持ちのお父様方、お母様方。
「ドラえもんの映画が観たい~」とお子様にせがまれたら、悪いことは言いません、ケロロ軍曹のほうにしましょう。
ケロロ軍曹が面白いかどうかは知りませんけど、少なくとも、今回のドラえもん映画よりはましだと思うので。

悲しいけど、これ現実なのよね。
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by kude104 | 2008-03-12 21:47 | 映画

ドラえもん、侮りがたし

「映画ドラえもん のび太の新魔界大冒険 ~7人の魔法使い~」を観ていて、旧作と比べて、「なんでこんな変更を施したのだろう」と疑問に思う部分がいくつかありました。

そのひとつが、現実世界においても謎のブラックホールが接近していて地球が危ない、というシーンが冒頭に描かれていることです。
しかも、のび太たちが魔法世界で地球の危機を救って戻ってくると、現実世界の危機も解決している――といったシーンがエンディングにて提示されます。
旧作にはないエピソードですし、「あれ? これってどうなっているのかな?」とちょっと混乱したんですよね。

また、旧作でのび太が魔法世界を去る前に美夜子さんとお別れをするシーンがあるのですが、新作ではエンディング中にそれらしいシーンがワンカット映るだけで、セリフなどはありません。
別れのシーンなんてのは恰好の泣かせどころなわけで、どうしてこれをカットしたのだろう、きっと時間の都合だろうな、などと思っていたわけです。

その疑問が今日、テレビアニメのドラえもんを観て氷解しました。

今日のテレビアニメドラえもんのお話は、魔法にあこがれたのび太がもしもボックスで魔法世界を作るという映画のストーリーと同様に、魔法世界ののび太が科学にあこがれて「もしも箱(というネーミングだったと思う)」で科学世界を作る、という内容でした。
この場合、作るという表現は相応しくないですね。
つまり、新作においては、科学世界と魔法世界はパラレルワールドとして存在していて、科学世界にのび太がいるように魔法世界にものび太がいて、同じようなことを考えて、同じタイミングでもしもボックスを使って、お互いに入れ替わった、という解釈になっているようです。

なるほど、だから、「現実世界にも満月博士と美夜子さんがいるよ」というシーンが描かれていたり、のび太と美夜子さんとの別れのシーンを省略したんだな。
だとすると、現実世界の危機が解決していたのはもちろん、魔法世界ののび太とドラえもんが、科学世界の仲間たちと冒険した結果だろうということになります。

まさか、そんな解答が用意されているとは思わなかったので、「なるほど!」と思わず感心してしまいました。
旧作を知っていて、すでに映画を観ていて、その内容に「なんでだろう?」と疑問を感じていて、さらに今日テレビアニメを観るという、これは言わばドラマニアのための仕掛けなのではなかろうか。
自分がドラマニアだと言うつもりは全然ないけど、この仕掛けは普通の人は気付かんだろうって。

DVDには、今日のテレビアニメも映像特典としてぜひ納めるべきだと思います。
じゃないと、映画だけでは気付かないって。
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by kude104 | 2007-03-23 21:01 | 映画
今年も結局、なんだかんだでドラえもん映画を観てしまいました。
なんかもう毎年恒例の行事みたくになってしまっているので、観終わったあとには「今年も一年無事に過ごせました」みたいな気持になりますね。

さて、そのドラえもんですが。
今年の「のび太の新魔界大冒険 ~7人の魔法使い~」は、1984年に公開された『のび太の魔界大冒険』のリメイクです。
リメイク作というのは、評価するのが難しいですね。

ドラえもん映画が好きで、でも旧作をまだ見たことがないという人は幸いです。
安心して観に行ってください。
とびっきり面白いかどうかはさておき、とりあえず合格点はクリアしていると思います。
「魔界大冒険」はお話としての素材がいいので、どう味付けしても美味いって感じです。

で、問題は旧作を知っている人間がこれをみてどう評価するかというところ。
こういうのって、たいてい昔の思い出が美化されているので、「旧作のほうが良かった」という気持ちになるのは否めません。
実際に今両方を見比べてみると、もしかしたら「新作のほうが面白いではないか」となるのかもしれませんが。

旧作と比べて新作のアレンジポイントはどこかといえば、まずはアクションシーンの迫力は新作のほうが圧倒的に上だろうと思います。
なかなかカッコよかった。
悪魔族に襲われるシーンなど、旧作でもけっこう怖かったように思うけど、新作だとさらにスリルと迫力が増しているので、小さいお子様にはちょっと刺激が強すぎるかも知れない・・・と心配しちゃうくらい。
大人にはこれくらいでちょうどいいですけどね。

他には、大きく言えば、美夜子の母親のエピソードを新たに加えたのと、旧作の都合良すぎる展開を修正したことの2点。
旧作の修正のほうは、あの修正がベストかどうかはともかくとして、まぁいいんじゃないかと思います。
旧作ファンでも、「リメイクするならあれは修正しとかないとな」というところですから。
問題は、新たに加えたエピソードのほうです。

うーん、別に悪くはないとは思うんですよ。
ただまぁ、今回の脚本担当は真保裕一さんという作家さんで、ぼくもけっこう好きで読んでいた作家さんだけに、かなり期待したという部分はあります。
「あの魔界大冒険を真保裕一の脚本でリメイクしたら傑作にならないはずがない!」くらいに。
で、実際には、悪くはないけどそこまで期待するほどでもなかったな・・・と。
トータルとして、旧作のアップグレード版ではなくて、旧作の別アレンジバージョンといった印象を受けました。
「旧作がより一層面白くなったね!」というのではなく、「そういうアレンジもありだね」という程度。
それは期待値が大きかっただけに、ちょっと残念でした。
なるほど作家さんらしいアレンジではありましたけどね。

まぁでも、そんなこんな言いつつも、やっぱりドラえもん映画っていいもんだなぁと思います。
今回は昔見た思い出の映画のリメイクということで、ちょっとセンチメンタルな気持ちにもなりつつ・・・みたいなところがありました。
考えてみれば、ぼくが子どものころからずーっとドラえもん映画やってるんですもんね。
大人の目から見るとあーだこーだ言ってしまいますが、毎年毎年たくさんの少年少女をワクワクドキドキさせているんだと思うと、ただただすごいなぁと思います。
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by kude104 | 2007-03-17 22:35 | 映画

ドラえもん愛

アマ・ジャナ: 「ドラえもん」の呆れた制作裏事情

たぶん同年代の平均よりもドラえもんアニメを見ている(テレビは毎週見てるし、映画も毎年見ている・・・と改めてこうして書くとまるでドラマニアみたいだけど、違うんですよ)ぼくとしては、ひとことコメントせねばなるまい。

ぼくは別に、「視聴率稼ぎ」と批判されているこれらのやり方を、歓迎はしないまでもさほど不快感もない。
この安達元一さんのブログでの発言は、まぁ、「調子に乗って自画自賛している様子が鼻につく」という部分での不快感は多少あるけど、彼の仕事は「ドラえもんの視聴率を上げること」なんだから、そのためのあの手この手を講じるのは当然といえば当然だよね、というくらいの感想でしかない。

その視聴率を上げるための方法が不愉快だという意見はわかりますけど。
秘密道具コンテストや、たまにドラマの俳優やヨン様が登場するくらいは、まぁ可愛いもんだと思うけどなぁ。
ドラミちゃんの声も、千秋さんでべつにいいんじゃねーかと思ってるし。
皆さんは、そんなに不快なのかなぁ。

「原作の世界観を壊す」とか「天国の藤子先生が泣いている」とか、そう思ってしまうファンの気持ちは分からんではないですよ。
でもどうだろう。
少なくとも、たぶん藤子先生は泣いてなどいらっしゃらないと思う。

ぼくも昔は、自分の好きなマンガや小説が映像化されたときに、「原作の世界観を壊す」と憤っているくちでしたが、その後だんだんとわかってきたのは、一流の作家さんほど「小説と映画は別ですから」といった発言をされるんですよね。
たぶんそうなんでしょう。
メディアが違うということは表現方法が違うわけですから。
マンガならマンガのドラえもん、アニメならアニメのドラえもんがあっていいと思う。

ドラえもん愛を語る皆様は、きっとマンガ版ドラえもんのファンだろうと思います。
なので、皮肉でも何でもなく、マンガ版ドラえもんが面白かったらそれでええやん、と。
マンガはマンガ、アニメはアニメと割り切って、「俺はマンガ派だね」と言っている方が、よっぽど「本物のドラえもん愛」な感じがしませんか。
アニメ版ドラえもんをマンガ版に近付けるべし!と叫ぶのは、ほら、宗教などにおける原理主義の方々の行いっぽくて、ちょっと引いちゃう。

もちろん、視聴率稼ぎのためのあざといやり方は、ぼくも嫌いです。
ドラえもんに速水もこみち登場させて、何がしたいの?って思う。
腹は立たないけど、失笑するよね。
でも、それで実際に視聴率が上がっちゃうっていうんだから、不思議だ。
あれにつられて見る人がいるってことだもん。
「今日、ドラえもんにもこみち出るんだって」
「きゃー! 見る見る! 絶対見る!」
みたいな感じ?
これで視聴率が上がらなかったら非難されて当然だと思うんだけど、上がるってんじゃなぁ・・・。
上がった分の誰かにとっては、「ナイス、安達」ってことだもんね。

まぁ、いろいろ意見もあろうかと思いますが、ドラえもんのメインターゲットはやっぱり子どもだと思うので、子供が喜んで見ていたらそれでいいんじゃないかと思います。
子供たちがね、安達さんのやり方に対して「ドラえもん愛が足りない!」って憤っているなら、テレ朝側は考え直さないといけないと思いますけど。
子供なんて、面白いか面白くないかだけですから。
どんなに策を弄しても、面白くなければ見なくなるだけです。

その結果、アニメ版ドラえもんが終わったって、ちっとも困らないし。
ぼく、そんなにドラえもん愛ないもの。
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by kude104 | 2006-12-23 23:07 | テレビ
来年のドラえもん映画は、「魔界大冒険」のリメイクらしい。
それを聞いて、一瞬「なんだ、またリメイクかよ」とガッカリしましたが、すぐに「ということは、来年再来年と、あれもこれもリメイクされるのだろうな」と思い直すと、それはそれでちょっと嬉しい。

宇宙開拓史、大魔境、海底鬼岩城、宇宙小戦争、鉄人兵団・・・どれもこれも、名作です。
これらを再びスクリーンで観られると思うと、やっぱりちょっと嬉しいです。

とはいえ、今年が大長編第1作目の「のび太の恐竜」で、来年が第5作目の「魔界大冒険」ということで、必ずしも順番にリメイクしていこうということではないらしい。
まぁ、そのほうが融通が利くというか、リメイク作品のチョイスと、いつリメイクシリーズを止めるかという判断に気を使わなくていい。
だって、公開順にリメイクしていって、あの作品だけ飛ばされたり、この作品の手前でリメイクシリーズが終了したなんてことになったら、感じ悪いもんね。

いずれにしても、「魔界大冒険」。
「のび太の恐竜」も多少のアレンジが加えられていたので、いったいどんな風にリメイクされるのか興味津々です。
オリジナルがかなり良く出来た作品だけに、下手なアレンジは命取りです。

Yahoo!ニュース - スポーツ報知 - 「ドラえもん」に真保マジック…人気作家が「新魔界大冒険」脚本

──って、ぎょえぇぇぇ!!
脚本は、真保裕一さんですか?!
まじで?!

真保裕一さんは、ぼくの好きな作家のひとりなんですが、いやはやまさか、大長編ドラえもんの脚本を担当されるとは。
・・・まじで?
あの真保さんが脚本を書くとなったら、そりゃあ、かなり期待しちゃいますね。

前々から、外部の人間に脚本書かせたら良いのにと思っていたので、リメイクとは言え、これは大きな前進だと思います。
ぜひ成功させて、この流れを確かなものにして欲しいです。

じゃあ、再来年は「鉄人兵団」を福井晴敏さんで。
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by kude104 | 2006-07-14 23:59 | 映画