世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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Twitterに飽きてきた

最近世間的にはぐっと注目度が高まっている雰囲気のTwitterですが、個人的には飽きてきた感じもしていて、はてさてどうしたものかなー。
アカウントを削除するほどでもないのだけど、このまま放置で良いものかな?という気もして。

改めて気付くまでも無く、ぼく、どうも他人とのコミュニケーションにあんまり興味がないらしい。
もっといえば、コミュニケーションどころか、他人にさほど興味ないかもしれない。
まったく興味ないわけじゃないけど、ずっとつながってウォッチしていたいほどの興味はないかなぁ。
Twitterに限らず、SNSにもハマらないのは、きっとそこに原因があるんだろう。

加えて、ライフログ的に、あるいはメモ的につぶやくのも面倒くさくてできないし。
基本、オンのときはプログラミングしているので、なにかアウトプットしたい気分の時はプログラムを書く。
一方、オフのときはアウトプットしたい気分もオフになるので、Twitterにつぶやく気分になれない。
オフの状態でアウトプットしたい気分のときもあるけど、その場合は140文字程度じゃなくてもっとがっつりアウトプットしたくなるから、ブログ書くしね。

やっぱり、ぼくにはブログくらいのテキスト量、更新性、つながりがちょうどいいかなぁ。
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by kude104 | 2009-11-23 23:55 | PC&ネット
まっとうな男女交際って、それなりに修練しないと無理じゃね? - シロクマの屑籠(汎適所属)

まっとうなコミュニケーションのスキルがあれば、男女交際も大丈夫なんじゃね?
根本は人と人との付き合いなわけだから、恋愛とて、そう特別なものではないように思うんだけどなぁ。

恋愛のテクニックを磨いて行けば、たしかにスマートに恋愛できるようになるだろうけど、それがなに?って気がする。
スタイルとしての恋愛をするには、それは役立つスキルだろうけど。
“まっとう”に付き合って、お互いの関係を築いていく過程においては、結局一般的なコミュニケーション能力が物を言うんじゃないかなぁ。

なので、男女交際を義務的に教育する必要はないとぼくは思う。
それより、広く一般的なコミュニケーション能力を磨く教育のほうが望まれるんじゃなかろうか。
ある程度は自然と身に付くものであるとはいえ、社会生活を送る上で極めて重要な能力である割には、その習得が自然に任せられているのはどうにも心許ない。

一般的なコミュニケーションの学習であれば、「修練のために、とりあえず友だちになる」とか「教育機関が推奨する友だち付き合い」とかいうのも、さほど抵抗ないだろうしね。
それで学習したことを、あとは個々人で恋愛に応用してもらえばいいんじゃないかと思う。
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by kude104 | 2009-09-27 17:32 | 時事・社会

非コミュ > 非モテ

最後に残された差別 - Hopeless Homeless

「非モテ問題」の多くが、恋愛に限らずコミュニケーション全般に対する劣等感問題であるという捉え方は、なるほどと思います。
では、「コミュニケーション全般に対する劣等感問題」がなぜ「非コミュ問題」ではなく「非モテ問題」という、いわば「恋愛」にスケールを落として語られるのかという点についてですが。

「非モテ」という言葉が実際にどのような使われ方をしているのかをぼくはよく知りませんが、イメージとしては、自称で使われることが多いように感じます。
コミュニケーションに劣等感を抱えている人が、自らを評して「どうせ自分は非モテだから」といった具合に。

で、自らを評すときに「非コミュ」ではなく「非モテ」を選択したということを、多少うがった見方をするならば、自らの劣等感問題を「恋愛問題」として語ることで、ある種の自己防衛をしているのではないでしょうか。

「友だちがいない」というのと「恋人がいない」というのと、どちらが精神的にキツいかと考えてみれば、ぼくなら前者のほうがキツいです。
恋人がいないことは、ぜんぜん平気にネタにもできる。

なんというか、恋人がいないことには、言い訳と言うか逃げ道が立つんですよね。
コミュニケーション能力が高くても恋人のいない人はたくさんいるし。
そもそも自分は恋愛に興味などないと嘯くこともできるし。
恋人のいない人はたくさんいて、その人たちと思いを共有することができる。
でも、友だちがいないってのは、現状、表面的には、恋人がいないことよりもマイノリティーです。

多くの場合、「非コミュ」は「非モテ」だけど、「非モテ」は「非コミュ」とは限らないという非対称性が成り立ちます。
この非対称性──つまり、「非モテ」を自称していても「非コミュ」とは限らないという逃げ道──が、「非コミュ」ではなく「非モテ」を自称する動機になりうるのですが、同時に、この非対称性によって、「非コミュ」な人々も「非コミュ」ではない人々もひとまとめに「非モテ」で語られるという事態をも招くこととなります。
それが混乱のもとになっている気がしますね。

ま、実際のところはどうか知りませんけど。

とりあえずぼくのイメージでは、「非モテ」にそれほど強い差別意識は感じません。
どちらかというと、「非コミュ」のほうがきつい気がしますね。
なので、自らを「非モテ」と称する人に「あなたは非モテじゃない、非コミュだ」と教えてあげることは、せっかく鎧った自己防衛を無理やり剥がしてしまうことのようにも思えます。

「非コミュ」をもう少しやわらかく自称する言葉が、「非モテ」以外になにかあるといいのにね。
たとえば、「リア充」に掛けて「リア貧」とか──と書こうとして、その響きになんだかすごく悲しくなった。
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by kude104 | 2008-12-14 16:52
ネット上で誰かと「理解しあおう」としても無駄な理由 - Vomit Comet

ネット上での“コミュニケーション”には、そもそも、「理解しあおう」という気が端からないケースが多い気がする。
「自分はこう思う」という主張を発して終わり、というケースがほとんどじゃないかな。

その理由として、上記エントリーに挙げられているように、文字だけのコミュニケーションでは情報量が圧倒的に少ないということもあるけど、もうひとつ重要なのは、アクション~リアクションのタイムラグがものすごく長いからじゃないだろうか。

いわゆる、チャット(同期)ではなく掲示板(非同期)ベースのコミュニケーションでは、言葉のキャッチボールをしながらお互いにお互いの理解を深めていくということができない。
1回の言葉の往復に1日とかかかっていたのでは、とても理解し合うところまで進めない。

ならば言葉のキャッチボールの回数を少なくしようとすると、必然、1回あたりの言葉の分量が多くなる。
あれもこれもと話題を盛り込まざるを得ない。
そうすると論点がぼやけてしまい、議論は拡散してうやむやのうちに終わるというパターンに陥りがちだ。

ちなみに、SMSのコメントが「偉そう」になりがちなのは、タイムラグどころか、アクションに対するリアクション自体がないからだろうと思う。
言葉のキャッチボールどころか、投げっ放し。
コミュニケーションにおけるキャッチボールというのは、強く投げれば強く返ってくるもので。
相手のボールを受けなくていいとなると、ついつい自分の投げるボールの強さに無自覚になってしまうものだ。

ネット上でのコミュニケーションというのは、基本的に、「自分はこう思う」という主張を一方的に投げ合うことしかできないのだと、そう思っていたほうがいいように思う。
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by kude104 | 2008-03-08 21:31 | PC&ネット

でんぞう

でんぞう:自分のオモイとあの人のオモイがマッチするかもしれないサービス

つまりは、こういうサービスだろうか。

「あの人ステキ」とかいう気持ちを直接伝えてキモ悪がられてもあれなんで、ワンクッション入れましょうと。
「でんぞう」を使うと、まずは「どこかの誰か」があなたのことをステキだと思っていますよというおおざっぱな情報だけを伝えることができる。
それでもし、幸運にも、その相手も自分のことを「あの人ステキ」と思っていたなら、その思いを同じように「でんぞう」を使って伝えようとしたならば、そこで初めて「両思い」が成立し、お互いに「誰々さんがあなたのことをステキだと言ってますよ」という情報が伝えられる――ってことですね?

いやまあ、面白いとは思うしニーズもあるだろうけど、なんだかなぁ。
自分の思いを相手に伝えることに、そこまで臆病にならねばならんものかね。

気持ちが一方通行のときは、スルーして「無かったこと」にしてほしい。
本気で気持ちを伝える前に一方通行だと分かれば、自分からだとバレなければ、そんなに傷つかなくて済む。
で、両思いだと分かったときだけ名乗り出たい。
――って、そんな安全志向なコミュニケーションって、気持ち悪くない?・・・と思うのは、ぼくがオールドタイプだからだろうか。

もしこのサービスを日常的に使いこなす人々がいるとすれば、そういう人たちはおそらく上記のように「傷つきたくない」からこのサービスを使うのとは違うんだろうな、という気がする。
たぶん、感覚的にはスパムのように手当たり次第に「good!」と送って、相手からも「good!」と帰ってきたケースに対して、初めてもう少し意識的なコミュニケーションを取ろうとする、という感じじゃないだろうか。
ソナーを打つように、まずはレーダーに反応する光点を調べるために「でんぞう」を打つ、みたいな。
もちろんそれは、大きくは「傷つかないため」の行動ではあるのだけど、そうしたダメージの回避行動以上に、無駄を省く効率的なコミュニケーションの志向であるような気がする。

そんなコミュニケーションされたら、オールドタイプはますますついていけなくなるだろうなぁ・・・ということで、このサービスがあまり流行りませんように。
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by kude104 | 2007-06-29 23:01 | PC&ネット
OKWave ミクシィで読み逃げするマイミク!

基本読み逃げのワタシが来ましたよ。
今日も片っぱしから読み逃げしてやったぜ! グヘヘヘヘ~。

・・・って、いやいや。
mixiで日記にコメントを付けないことが、人によっては「読み逃げ」と非難される行為だとはつゆにも思わなかったなぁ。
こういった考え方がレアケースなのか、あるいは一定の市民権を得ているのかは分かりませんが、とりあえず連想したことをいくつか。

もしかしたら、ケータイからmixiを利用している人間とPCで利用している人間とで、mixi内でのコミュニケーションの仕方が違うのかも知れない。
ケータイでそれこそほぼ常時接続のようにmixiを利用する人間と、ぼくのように基本的に1日1回しかログインしない人間とでは、コメントに対する身軽さが全然違う気がします。

たとえば、相手の日記に対して即コメントを付ける、ある意味反射的なコミュニケーションって、ケータイっぽい。
まるでフェイスtoフェイスでの会話のように、気軽にポンとコメントを書き込む。
対してぼくなんかは、mixiのマイミクの日記へのコメントですら推敲してしまうような人間です。
で、「わざわざ書きこむほどのことでもないか」と、やめてしまうこともしばしばです。
そのへんの感覚の違いは、PCメール文化とケータイメール文化の間にもあるように感じます。

また、「読み逃げ」という発想は、ブログをやっている人間にはないように思います。
ブログなんてのは、ほとんどが読み逃げですから。
コメントが付くほうが珍しい、という感覚です。
ブログ書きなら、もしコメントがないことを気に病む場合でも、「自分の内容がつまらないからだ」という発想になるんじゃないでしょうか。
コメントしてくれないほうが悪いという発想は、無いわ。

おそらく、mixi日記がマイミクのみんなに向けた「会話」だと捉えるのか、あるいはブログのように書き手の「独り言」や「コラム」だと捉えるのか、その認識の違いがありそうですよね。
ぼくなんかは後者ですが、上記のリンク先の人々にとっては前者なんでしょう。

どちらが正しいということでもないですし、ぼくとして前者のコミュニケーションに文句を付ける気はさらさらありませんが、上記リンク先でただ一点怖いなぁと思うのは、質問者がコメントをくれないというマイミクさんと「どうしてコメントくれないの?」というコミュニケーションを全然とろうとしていないところです。
なんか、相手の言動から勝手に相手の考えを推測して、勝手に憤って「こんな人とはお付き合いできない」とか結論出そうとしてますけど、ものすごい一方的だなぁと思います。
なにそのコミュニケーション不足はと呆れるその内容が、「彼女がコミュニケーションしてくれません」だというところに、何かの茶番のようなものを感じてしまいます。
日記にコメントしてくれるマイミクが欲しいということなら、まぁその反応は正しいのかなと思いますが。

半端に分かることは時に不幸だというのが、こういう話を聞くと実感されます。
足あと機能があるばっかりに、読み逃げに憤ることになるのですから。
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by kude104 | 2007-03-18 22:39 | PC&ネット

俺の心を勝手に測るな

Yahoo!ニュース - フジサンケイ ビジネスアイ - ブリーズウェイ「キモチ分析トーク」 携帯通話するだけで相手の本心をズバリ

思わず年寄りじみた感想を述べてしまいそうです。
いわく、「機械に頼り、生身のコミュニケーションが失われて行くのは悲しいことだ」と。

いやまあ、まずは精度の問題があります。
どこまで信用できる分析結果が出てくるのか。
たしか嘘発見器ですら、まだ実用レベルに至っていないんじゃなかったかと思います。
嘘か本当かさえ見抜けないのに、それ以上の細かい感情など分析できるものかなぁ・・・。

おそらくは心理テストに毛が生えたレベルだろうと思うのですが、だとすると、罪作りなサービスになるのではという気がしてなりません。
パーティゲーム的に遊ぶぶんには面白そうですけど。
でも、絶対まじで依存するやつが出てくるに決まってます。
血液型性格占いでさえ、あの影響力ですからね。

こんなもんで勝手に分析されて、勝手に「ラブラブ度」とか測られたら、迷惑も良いところですよ。
男友達との会話で「ラブラブ度」がMAXになったら、どーしてくれる。
それ以降、その友達がぼくを避けているみたいです・・・なんてことになったりして。

いやまぁなんというか、要するに、こんな機械で誤解されるのだけは、ご免被りたいってこと。

でもって、もし仮に分析精度が100%だとしても、やはり気に入らない。
そもそも分析精度関係無く、端っからこんな機械で分析されたくなどないわけで。
「俺の心を勝手に測るな」って感じ。
測られたと分かった時点で、相手に対するぼくの信頼感はかなり低下するでしょう。

機械じゃなくて、自分の心で測るのはべつに構わないんですよ。
それはなんというか、とても「不確か」だから。
不確かだから、もっと知りたいと思うし、理解しようと努めます。
その「理解しようと努める」ことが大切だと思うのです。

理解する努力を放棄して、外部の評価に委ねてしまうのは、言うなれば「手抜き」ですよね。
手抜きなコミュニケーションをしてくる相手に、真剣に付き合う気にはなれないです。

まぁ、もし仮に分析精度が100%だとすると、この分析結果を知ることが「結果」になってしまいます。
たとえば、告白してフラれるのと分析結果でフラれるのと、同じことになる。
そうすると多分、分析結果を知るのが怖いから、その前にそれより低い精度で分析結果を分析して予想するようになったりしてね。
人間って、「真実を知りたい」と言いつつも、そんなもんだろうと思います。

だからまぁたぶん、心理テストに毛が生えたレベルなんだろうと思います。
そんなもんに、加入料2000円、基本料月400円、通話料1分40円も払うのは、ご苦労なこったと思います。
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by kude104 | 2006-07-28 23:59