世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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昨日は映画サービスデーということで、例によって映画観てきました。
観たのはこれ、『カールじいさんの空飛ぶ家』
・・・どうしても、つい、「カールおじさん」と言いたくなってしまう。

それにしても、さすがはピクサーと感心せずにはいられない。
かつて、「アニメは子供のもの」というイメージを壊し、大人の鑑賞に耐えうるものだと示したのは日本のアニメだったけど、今やアメリカのCGアニメがその役を担っている感があるね。
だって、『カールじいさん』、冒頭10分ほどで主人公が少年から大人へと成長し、妻と出会い結婚し年老いて、そして妻に先立たれる――そこから物語がスタートするんだもん。
この時点で、あやうく泣きそうになったよ。

子どもの頃の夢。
妻と交わした約束。
いつか叶えようねと笑い合ったけれど、その「いつか」は永遠に来ることなく色あせて行く・・・。
それでも私たちは幸せでした。
――みたいなね。
なにこれ切ない。

で、じいさん追い詰められて、夢であり妻との約束だった冒険の旅に出かけるわけだけど、ひょんなことからその道連れになるのが太っちょで可愛くないガキと来たもんだ。
たぶん、中国か韓国系の子どもって設定だろうね。
見た目的に。

主人公は偏屈なじいさんとアジア系の太っちょなガキで行きましょうなんて企画、よく通ったよなー。
日本だったら、とりあえず子どもは可愛い女の子になっちゃうよねー。
あ、そういえばこのアニメ、萌え系のキャラクター一切出てないや。

技術的にも、CGの質感みたいなものって、今やすごいレベルになっているんだね。
動きにしても。
CGなんだけど、一昔前のCG臭さが全然ない。
実写でもない、アニメでもない、CGアニメという表現映像が、ごくごく自然に成り立っているところまで進化したんだなぁ。

そのために、ピクサーはずーーーーっと、CGアニメの研究を、おそらくけっこうなコストを掛けてやって来たのだろう。
もしかしたら、他のスタジオも負けず劣らずなのかも知れないけど、「こりゃ一朝一夕には追いつけない高みにまでピクサーは行ってしまった」と思わずにはいられないよ。

なんか、日本が萌え萌え言っているうちに、こんなに差が開いちゃった・・・という気がしてなりません。
いやわかってる、同じ「アニメ」と言ってもぜんぜん違うものだから、比べるもんじゃないってことは。
でも、「日本が世界に誇るアニメーション」って、もうそろそろ言うの恥ずかしくなってきた気がしてしょうがないんだ。
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by kude104 | 2010-02-02 21:30 | 映画

0巻

「ONE PIECE FILM STRONG WORLD」を観てきました。
観に行ったのは月曜日なんだけど、平日なのに超満員だったのには驚いた。
やっぱり、みんな来場者プレゼントの『0巻』目当てなのね。
かく言うぼくもそう。
「ま、無くなることはないだろう」と余裕こいていたけど、この様子だと絶対とは言い切れない感じだね。
とりあえず、無事にゲットできて良かったです。

今回は漫画原作者の尾田栄一郎さんが自らストーリーを書き下ろし、製作総指揮も担当したということで、かなり期待して行きました。
主題歌もミスチルだしね。
なにこの力の入れようは、みたいな。

結論から言うと、ま、期待しすぎた感はある。
言ってもやっぱり、『ジャンプ漫画の劇場版』だなぁ。
ティーンエイジャー向けな感は否めない。
というか、そもそも元からティーンエイジャー向けの映画に、「おっさんが何期待してんだよ」という話なので、間違っているのはぼくのほうだ。
それでもまぁ、それなりに楽しく最後まで鑑賞できたという点で、「かなり出来がいい」と言って良いのかもしれない。
『0巻』のおまけでこの内容なら、充分満足できる。

もっとも、劇場内の客層としては、ティーンエイジャーよりもう少し上の方々が主流だったけど。
女性客が多かったのがちょっと意外でしたが、上映終了後に、そこかしこで彼女たちの「〇〇(登場キャラクターの名前)がチョーカッコよかったぁ!!」というテンション高めな声が聞こえてきて、なんか納得。
基本的には、ワンピース好きが観て楽しむ映画だろうなぁ。
「ワンピース知らないけど人気だし観てみよう」という人には、ま、特にどうということのない映画かと思います。

ぼくは漫画は読んでいるけどTVアニメなどは観ていないので、今回はじめてワンピースのアニメというものを観たのだけど、漫画ではさほど違和感を覚えないボケ・ツッコミや必殺技の名前を、セリフとして聴くとなんかちょっと恥ずかしいのね。
そこが一番「ティーンエイジャー臭」を感じたところです。

などと否定的なことばかり書いていますが、カッコいいことはカッコいい。
へんてこな生き物たちが暴れまくる感じも迫力あるし、敵のアジトに殴り込みに行くシーンなんかは、男の子のハート鷲掴みですよ。
『ジャンプ漫画の劇場版』の期待値で観にいけば、大満足の一品であることは間違いなかろうと思います。
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by kude104 | 2009-12-23 16:54 | 映画

サマーウォーズ

さて、先日の映画サービスデーの話でも。
今回観たのは「サマーウォーズ」です。
いやー、とても面白かったですよ。

なんというか、「ザ・エンターテインメント」と言うか。
設定や展開やキャラクターなどなど、どれも「新鮮」と言うよりは正直「ありがち」ではあります。

デジタル上の仮想世界という設定も「ありがち」だし、それが乗っ取られる展開も「ありがち」だし、後半の「世界の危機」も「ありがち」だし。
「ザ・日本の田舎」とでもいうべき風景も「ありがち」だし、都会の核家族な少年と田舎の大家族的な話も「ありがち」だし。
うぶな主人公がほのかな恋心を寄せる女の子に振り回されるシチュエーションも「ありがち」だし。
まぁ、8割方「ありがち」なお話だとは思う。

でも、「ありがち」な要素をきちんと組み合わせれば、それはやはり面白いということですよ。
面白い要素だから「ありがち」なんだもん。
これを変な自意識で「ありがち」を回避しようとしていたら、たぶん、駄作になっちゃってたろうと思う。
自信を持って気持よく「ありがち」なお話を作った監督さん以下は、だからさすがだと思います。

この映画、仮想世界と現実との対比がメリハリ効いてて面白いですね。
デジタルなほうでは、アニメチックでポップな映像。
そこをアバター(仮想世界のキャラクター)がびゅんびゅん飛びまわり、格闘ゲームさながらのアクションシーンでスピーディに映画を盛り上げます。
現実のほうでは、やはり日本人の琴線に触れる絵にかいたような(絵だけど)自然の風景。
そこで青春の甘酸っぱい恋心とか、大家族のドタバタがコミカルに映画を盛り上げます。
「ありがち」だけど、でも、それをここまで効果的に描くのはやはり見事です。

特にぼくはネットに片足突っ込んでいるような人間ですから、仮想世界の映像見ながら「今度作るアプリに、あんなデザインのUI(ユーザインターフェース)できねーかなー」とか考えてわくわくしてました。
やはり、プログラマーの考えるデザインと、デザイナーの考えるデザインとはまるで違っているので面白いですね。

とまぁ、そんな感じで。
ターゲット層は、中高生の友だち同士とかカップルとか、そのあたりでしょうか。
そのへんであれば、好き嫌いが分かれるようなことはなく、まず間違いなくみんなで「面白かったねー」と言いながら劇場を後にできる映画だろうと思います。
そういう映画って、ありそうで無いんですよね。
まさに、夏休みにうってつけの映画だと思います。
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by kude104 | 2009-08-03 16:58 | 映画

オタク文化の原点回帰

オタクの本当の危機 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

個人のたしなみ方としては大いに共感しますが、それでもコンテンツの供給過多は止まらないかと思います。
なぜなら、原因はコンテンツビジネスの構造的変化のほうにあると思えるからです。

ビジネス的に言えば、おそらく、短いサイクルで次々に新しいコンテンツを消費してもらったほうが、業界全体としての売上は上がるでしょう。
だから、供給者側は過剰とも思えるほどにどんどんコンテンツを供給しているわけで。

ただ、供給者側が攻めの姿勢でそうしているかというと、違うのではないかと思います。
そうやって次から次へとコンテンツを供給し回転率を上げなければ売上が確保できない状況にあるという、守りの姿勢からそうせざるをえないのではないか。
もしそうなら、オタクな人々が良かれと思ってコンテンツの消費量を落とすことは、逆に、業界をより一層衰退へと導くことになるのでは、という気がします。

たとえば極論として、ひとつの作品につき5年間楽しむなら、生涯で20本もいらない計算です。
過去の名作から20本用意すれば済むなら、もう新しいコンテンツは要らないということになりましょう。
ならば、現在駄作が量産されようと、明日業界が滅びようと、問題はないということになります。
怪獣映画好きは、過去のゴジラ作品を愛でていればいいということになる。
が、もちろんそんなことはなくて、怪獣映画好きなら常に新しい怪獣映画が観たいと思うでしょう。
それには、怪獣映画がビジネスとして成立しないことには難しい。

アニメについて言えば、素人考えとしては、テレビの衰退が大きく影響しているのではないかと考えます。
テレビ自体の視聴率も低下している中、テレビアニメだけが例外でいられるはずもなく。
いまや、ゴールデンタイムに放送しているアニメといえば、ドラえもんとサザエさんくらいですか?
(あとは、ちびまる子ちゃんとクレヨンしんちゃんくらいかな?)
もはや、テレビアニメ黄金期は、過ぎ去った遠い過去の栄光なのではないでしょうか。

となると、製作費自体も削減されているでしょう。
実態を知らないので分かりませんが、いったいどれくらい削減されているのでしょうね。
その減った製作費分をDVDの売上等で賄おうとすると、どうしても回転率を上げざるを得ないでしょう。
消費者側がその回転の速さについていけなくなったときに、テレビアニメは完全に終了するのではないでしょうか。
「1クールのアニメ」どころか、アニメ自体「作るのは、もうやめましょうや」となりかねません。
(もっとも、完全になくなることはないでしょうけど)

あるいは。
考え方を変えれば、業界が衰退すればコンテンツの供給量は下がりますから、そうなるといやでも消費速度を落とさざるを得なくなります。
そのとき、ファーストフード的消費の仕方に慣れた「軟弱なオタク」は去り、数少ないコンテンツを味わいつくせる「真のオタク」だけが生き残る。
まさにオタク文化の原点回帰が成されるのかもしれません。
オタクの練度は、業界がマイナーであればある程鍛えられるように思います。

その意味では、今、オタクの皆さんがその消費量を抑えるという戦略は、業界を適正に衰退させるとともに、来るべき原点回帰の時に備えて今から練度を高めておくために、とても有効なのかもしれません。
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by kude104 | 2009-05-18 14:54 | テレビ
たけくまメモ : WEBマンガの新展開「HACK TO THE BRAIN」で紹介されていたWEBマンガ「HACK TO THE BRAIN」を鑑賞しての感想です。

個人的には、こうしたいわゆる「動くマンガ」は、試みとしてとても興味深いのですが、現段階ではまだマンガとアニメの「悪いとこどり」な印象を持ってしまいます。

紙のマンガだと自分のペースでぱぱっと読み進められるのに、こうした動くマンガだと、いちいちコマごとの演出が終わるのを待たなければいけないのがうっとうしい。
ただのせっかちというだけではなくて、マンガを読んでいて面白くって熱中してくると、読者は知らず知らずにコマを読み進めるスピードが速くなると思うのですが、それにブレーキをかけられると不快ですよね。
あるいは、じっくり味わいたいコマはゆっくり読んだりもするでしょう。
動くマンガは、こうした紙マンガが持つ「コマを読むスピードの調整機能」を読者から奪ってしまいます。

一方、自分のペースで進められないということではアニメも同じですが、アニメの場合、一旦再生したらあとはアニメの進行に身をゆだねてしまえばいい。
対して、動くマンガの場合は、ちょっと進むたびにいちいちクリックしなければならないのが面倒くさい。
1分ごとに停止して、再生ボタンを押さなければならないアニメを見せられている気分です。
これもただの面倒くさがりというだけではなくて、アニメでも映画でも、盛り上がってきたところで停止して「再生ボタンを押してください」なんてことになったら、せっかくの没入感が醒めてしまいますよね。

なので。
とりあえず、ぼくが動くマンガを作るとしたら、まずはクリックの手間を省く方向で考えてみるかな。
「なぜ動くマンガは一定間隔で再生を停止し、読者のクリックを待たなければいけないのか」を考えてみると、

1.再生スピードが早すぎてセリフが読めない(あるいは絵が把握できない)読者のための配慮。
2.ページ(画面)がコマでいっぱいになったので、クリアしてまっさらなページに戻すため。
3.紙マンガのページまたぎ演出(振りのコマでページを終わり、次のページにどんと印象的なコマを置く、とか)を表現するため。

といった理由からでしょうか。

2については、動くマンガには紙マンガで言うところの「ページ」の概念が要らないのだから、「ページがコマでいっぱになる」という発想が縛られている。
すべてのコマが収まるような巨大なページをスクロールしつつコマを置いていくという方法や、「HACK TO THE BRAIN」の作者さんの「空間的なマンガ」を使って、古いコマは順に遠ざかって消えていくといった方法を試してみるのはどうだろう。

3の「ページまたぎ演出」については、動くマンガにはページの概念がないと割り切って、諦めてはどうだろう。
その代わりに、動くマンガならではの演出方法を探して磨くことが、紙マンガではなく動くマンガにしかできない表現を生み出すことにも繋がります。

問題は1です。
原則としては、映画の字幕のように、無理なく読めるセリフ(無理なく理解できる絵作り)の研究が必要になるだろうと思います。
あるいは、考え方を変えて、セリフは声優使って音声で読み上げても良いのではないかとも思います。
動くマンガとはいえマンガだから、セリフに音声を使ってはいけないなんてことはないでしょうから。
まぁ、制作コストが上がるのが悩ましいところですが。

もしくは、クリックで再生するのではなく、クリックで停止するという発想はどうか。
つまり、スピードに付いてこられない読者のために一定間隔で停止して待つのではなく、基本最初から最後までノンストップで再生するのだけど、クリックすると再生を一旦停止、もう一度クリックすると停止を解除するという仕組みですね(クリックしている間中停止のほうが良いかも)。

さらに言えば、どうせなら再生スピードを可変にするという手もある。
プログラミングが多少高度になりますが、再生スピードをパラメータにして、それを読者が自分好みに調節できるようにすると良いのではないかな。
画面の下部にでもマウスカーソルを動かすとコントローラが表示されて、再生スピードの調整ができると。
-10~0~10で調整して、マイナス値は巻き戻し、0は停止、プラス値が大きくなるほど再生スピードが速くなる、みたいな。

クリックをなくし、ノンストップ再生にすると、概念としては「マンガを動かす」というのではなく「アニメにマンガ的手法を取り入れる」ということになるでしょうけど。
──ああ、そうか。
「なぜクリックが必要か」の理由その4は、「ノンストップだとアニメになるから」かもしれない。
でも、ぼくとしては、そちらのほうが形になるような気がします。

クリックを入れるなら、インタラクティブコミックな方向性に行くべきだろうと思いますが、どうでしょうねぇ。
ノベルゲームの世界でも、選択肢がなくなる方向に進化していますしねぇ。
とりあえず、クリックを入れるなら毎コマごと、もしくは毎セリフごとくらいにクリックさせるほうが、いっそクリックするという行為自体に何かしらのリズムというか快感というか意味が発生して良いかもしれない。

中途半端が一番良くないですよね。
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by kude104 | 2009-02-14 23:59 | PC&ネット

宮崎駿という人

昨日の「NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿のすべて」は見応えありました。
一言で言うなら、「壮絶」。
当たり前だけど、楽しんで映画作ってるわけでは無いんだなぁ。

こんなこと言うと「おまえ何様やねん」という話ですが、宮崎さんを見ていて可哀想というか痛々しさを覚えてしまいました。
「人を楽しませられなければ、自分の存在理由がない」という焦燥感が、宮崎さんの創作のエネルギーだという。
それで、苦しんで苦しんで映画を作っている姿を観ると、「大丈夫、あなたはもう承認されているから!」と言ってあげたい気持ちになっちゃう。
その苦しみから解放してあげたい気持ちになる。

傍からは、あれだけ成功しているように見えても、まだ満たされないとは・・・。
それもそのはずというか、宮崎さんが承認されたい相手はただ一人、亡くなられたお母さんなのでしょう。
だから、きっと、たぶん、彼の渇望は永遠に満たされることはないのだろうなと思います。

でもというか、やはりというか、それくらい大きな承認欲求がなければ、あれだけの作品を作ることはできないのでしょう。
創作の世界では、結婚してぱっとしなくなっちゃうケースが多々あるような気がしますけど、あれって承認欲求が満たされてしまって、創作へのエネルギーが弱まっちゃうからなんでしょうね。
その点宮崎さんの場合は永遠に満たされることのない承認欲求を抱えていらっしゃるわけですから、「強い」というか並の人間では太刀打ちできないわけです。

番組の中で、宮崎さんの映画作りの手法が紹介されていました。
まず、思いつくままにスケッチを描くわけですね。
たぶん、頭の中に「こんなシーンを描きたい」というイメージがあるのでしょう。
それをスケッチする。
で、そうこうしているうちに、“描きたいシーン”をつなげるストーリーがおぼろげに形になってくるのでしょう。
この段階で、製作にゴーサインを出しちゃう。
はっきり言って、「無茶するなぁ」と思います。
見切り発車もいいところです。
こんな映画作り、宮崎駿とジブリ以外、まずやらないでしょう。
やったところで、普通なら、こんなやり方で上手くいくはずがないもの。

で、宮崎さんが絵コンテを描いて、それを元に映画が製作されていくわけですが。
絵コンテを描いているうちに、ストーリーがどんどん変化してしまうようです。
絵コンテ描きながら、スタッフに細かい指示を出しながら、セル画というのでしょうか、動きの1枚1枚を描いた絵をたぶんすべて自分でチェックされているんでしょうね、あれ。
それで、気に入らないと自分で直接直してしまう。
そこまでしていたら、身体が持たんだろうにと思うのですが。
ただ、そうして自分でチェックして自分で直してしているうちに、キャラクターの存在感が宮崎さんの中でどんどんリアルになっていくという話には、なるほどと思いました。

「このキャラクターはこうじゃない」「このキャラクターはこう動く」
そういうことを、細かい修正作業を積み重ねることで、自分の中に定着させていくというか、積み重ねるたびに、それまで曖昧だった部分がはっきり見えてくるのでしょう。
そうすると、「キャラクターが勝手に動き出す」ようになる。
キャラクターが勝手に動くから、ストーリーも宮崎さんの思い通りに進まなくなるというわけですね。

面白いなぁと思ったのは、ワンシーンの絵コンテを描いたら、下の余白に「つづく」と書くというエピソード。
その先どう物語が続くのか、描いている宮崎さん自身も分からないといいます。
本当に、まるで週刊漫画の連載のようです。
あるいは、テレビアニメの制作手法に近いのでしょうか。

最近の宮崎作品はストーリーの完成度が低いと感じていましたが、そりゃそうだよな、と。
こんなやり方でストーリーが破綻しない方がおかしい。
週刊漫画の連載のようだといいましたが、漫画で言うところの編集者もいないんですから。
たぶん、相談する相手も、一緒に考えてくれる人もいないんじゃないかな。
ましてや、宮崎さんがうんうん唸ってひねり出した絵コンテに、ダメ出しをする人など誰もいない。
彼ひとりが神で、彼ひとりが正解なのでしょう。
それであれだけのレベルのものを作れるのは、やはり宮崎さんの実力ということだろうなぁ。

同様に、なぜ宮崎アニメはあれほどキャラクターが活き活きとして心躍るシーンが満載なのかも、上に書いたとおり、よく分かりました。
宮崎さんが圧倒的に強いのは、「自分で絵が描ける」という点でしょうね。
自分の描きたい絵を、自分で描ける。
しかも、誰よりも上手く。
(そりゃ、後進が育たないのも頷けます)

宮崎さんのようなアニメ監督は、おそらくもう出現しないだろうなと思います。
あの能力と、ジブリのような製作環境と、そしてあの渇望感と。
ふたつまでなら揃いそうだけど、みっつ揃えた人はもう出ないでしょう。

こりゃ、やっぱり「ポニョ」は観とかないとな、という気になりました。
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by kude104 | 2008-08-06 22:03 | テレビ
痛いニュース(ノ∀`):アニメ製作者が、アニメの違法アップロード&ニワンゴに問題提起

たとえニコニコ動画に宣伝効果があるとしても、「俺達が作った物をお前が上げる権利はどこにも無い」という一点に尽きると思うんだよね。
小さな親切大きなお世話というか、本人嫌がっているのに「お前のためにもなるから」と言って無理やり勝手にやっちゃうのは、誉められたことではないでしょう。

一番いいのは、ニコニコ動画側がお金払って権利関係きちんとして「アップしてOK」という状況を作ることだと思います。
権利者側からすれば、もちろん他にもいろいろな問題があるとはいえ、とどのつまりはお金の問題ですから。
儲かるとなれば、許可してもいいですよとなってくるでしょう。

でも、ニコニコ動画側は運営コストを賄うだけでアップアップな状況らしいから、これはあまり期待できそうにない。
そこで、ユーザが自らお金を出し合って解決する方法を検討してみてはどうだろう。

アニメの製作費ってよく知らないですが、1億円くらいあればいいでしょうか。
一人1万円を持ち寄って1万人集まれば1億円。
ニコニコ動画のユーザ数が200万人くらいいるそうなので、0.5%が賛同すれば資金が集まる計算です。

ニコニコファンドとかいう主体を作って、企画を立てて出資者募って、資金が集まればそれでアニメを製作。
出来たアニメはニコニコ動画内で無料配信。
もちろん、それを元にしたMADなんかも自由に作ってアップして良し――みたいな感じで。

いわば、ニコニコ動画の共有財産として、みんなでお金出し合ってニコニコ動画オリジナルアニメを作りましょうという話です。
それが理想的に充実すれば、もうテレビアニメなんて要らなくなるじゃん。
誰にうるさく言われることなく、自由にニコニコ動画を楽しめるってもんです。

ニコニコファンドのほうでDVDの製作販売も行い、そこで得られた利益は出資者に還元すればどうでしょう。
他にも、キャラクターグッズの販売など諸々、そのアニメが当たって儲けが発生したら、それも出資者に還元するってことで。

こうしたコンテンツファンドみたいなものが成功したという話はあまり聞きませんが、ニコニコ動画というコミュニティの特殊性を考えると、もしかしたら・・・?という気がしないでもない。
ニコニコ動画に本当に宣伝効果とやらがあるのであれば、DVDも売れるんじゃない?
最悪まるで収益上がらなくても、赤字は出資者が出資した1万円分だけなので、それはニコニコ動画共有財産に寄付したと思って頂くってことで、ダメでしょうかね。

それでもし万が一にも上手く行こうものなら、けっこう面白いことになりますよね。
だってそうなれば、テレビ局じゃなくて、ニコニコファンドに企画を持ち込むアニメ製作会社とかが出てくるでしょうから。
いずれ全部ニコニコ動画に移ってしまって、テレビからアニメがなくなったりして。

・・・まぁ、無理でしょうけど。
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by kude104 | 2007-10-28 23:59 | PC&ネット

時をかける少女

先日、アニメ映画「時をかける少女」を観て来ました。
この映画、やたらと評判が良いので気になっていたんです。
ちょうど男性サービスデーだったし。

筒井康隆さんの同名小説を原作にして、原作とは違った内容になっているようです。
ぼくは原作を知らないので分かりませんが。

偶然、タイムリープという時間と空間を飛び越える超能力が使えるようになった少女のコミカルな日常を描いた物語といったところでしょうか。
「時間旅行」というと、何やら壮大な物語が始まりそうですが、このヒロインのやることといえば、妹に食べられたプリンを過去に戻って食べるとか、カラオケを1時間(?)の料金で10時間分歌うとか、遭遇したトラブルを過去に戻って回避するとか、そういうしょーもないことばかりです。

そんなコメディ映画のような展開の中に、高校生の淡い恋愛の物語が進行します。
ヒロインと男子二名の仲良し三人組。
古い言い方をすれば「ドリカム状態」ってやつですな。
ずっとこのまま三人で仲良く居られたら──と思っているヒロインですが、ある日、その片方の男子に告白されてしまいます。
で、驚いて、タイムリープを使って、その告白を「無かったこと」にしてしまいます。

とまぁ、前半はこんな感じで物語が進んでいき、コミカルでほのぼのした映画だなぁと思って観ていると、後半になるにつれて徐々にシリアスな展開に変わっていきます。
どうやら、タイムリープによってヒロインがトラブルを回避するたびに、回避されたトラブルが誰かのもとに降りかかっているらしい。
自分の都合だけで気楽にやっていた行為が、誰かに影響を及ぼしている──そのことにヒロインが気づいたときには、状況は「取り返しのつかない結末」の一歩手前まで来ていて・・・。

「時間を戻して何度でもやり直せる」能力を持った少女が、最後には「やり直しの効かないこと」「取り返しのつかないこと」を知るという、なんともまぁ見事な展開です。
作り手がなんとなく「時をかける少女」という題材を選んだのではなく、こういうメッセージを伝えたくて選んだのだ──ということが良く伝わるいい作りでした。

雰囲気は、なんとなくOVAっぽいというか、ジブリ映画なんかと比べると(比べるのが間違っていますが)、スケールも小さいし予算も安い感じは否めません。
でも、作りはめちゃくちゃ丁寧で、細かいところまで気を配って作られている。
スケール感やダイナミックさはありませんが、丁寧に作られた良作と言えるでしょう。
観終わって、素直に「良い映画だ」と思える作品です。

明るくて楽しくて爽やかで淡くて切ない物語。
なんというか、おじさんにはちょっと照れくさい感じが無きにしもあらず。
メインターゲットは、ティーンエイジャーの女の子でしょうね。
でも、おじさんだって、DVDコレクションに加えて、たまに思い出したように見てみたい──そんな映画です。
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by kude104 | 2006-07-27 23:48 | 映画
金曜ロードショーで「ハウルの動く城」を見ました。
公開時に劇場で1回見て、今回が2回目です。

初めて見たときには、「これはひどい、ストーリーが破綻している」と感じ、それゆえぼくの中での評価は低いものでしたが、今回改めて見てみると、不思議と違和感なくと言うか抵抗感なく見られて自分でも驚いてしまいました。
「あれ? 俺、どこにダメ出ししてたっけ?」みたいな。

免疫ができていると言うか、「この作品はこういうもんだ」という心構えが出来ているので、拒否反応が起こらなかったのかなぁ・・・とも思いますが、それ以上に、前回の自分は鑑賞のポイントを間違っていたのではないか?という思いが強いです。

ハウルの面白さって、アニメーションの面白さなんじゃないかと、今回強く感じました。
アニメーションの面白さと言うのは、端的に言えば、「映像の面白さ」と「動きの面白さ」です。
たしかに、ストーリーは破綻していると思う。
でも、アニメーションの面白さという点では、本当に上手い。

たとえば、王宮の長い階段をソフィーと荒野の魔女が登っていくシーン。
原作にあのシーンがあるかどうかは知りませんが、たぶん無いんじゃないかと思います。
初めは単に「二人が王宮に入る」というだけのプロットがあって、それをどんな絵にするかという段階で、宮崎監督がふと閃いたのではないか。
「長い階段があって、おばあさん二人がえっちらおっちら登っていくシーンがあったら面白いな」と。
「王宮に入る」というプロットで、普通に王宮に入らせちゃう人と、あのシーンを思いつく人と、この違いは決定的に大きい。

でもってまた、「おばあさん二人がえっちらおっちら登っていく」動きの演出も、絶品でしょ。
その上さらに、あの変な犬を絡ませて、そいつがやたらと重くて、それをソフィーが抱えて登るとなお面白いぞってな感じで、面白くなりそうな要素はがんがん盛り込んで行く。
そのあたりの貪欲さというか、「面白いアニメーション」に対する嗅覚の鋭さというものを感じずにはいられません。

動く城のデザインにしてもそうなんですけど、宮崎監督ってたぶん、世界を構築するのが楽しい人なんじゃないかと思う。
こんな世界があって、そこにはこんな人がいて、こんなものがあって、こんな文化があって・・・みたいなことを想像するのが楽しい人なんじゃないだろうか。
で、彼ら・それらが、活き活きと動いているシーンが見えるんじゃないかな。
つまり、ストーリーが先に見えるタイプではなく、シーンが先に見えるタイプなのではないかと。
宮崎監督にとってストーリーは、シーンを「映画」にするための方便なのではないかと思います。

ハウルを見ていると、ぶっちゃけ、大層なストーリーなんて要らないよなぁと思うのです。
ソフィーと愉快な仲間たちが、動く城で繰り広げるホームドラマで、十分面白かったはず。
宮崎監督なら、アニメーションの面白さだけで、十分2時間持たせられますって。

宮崎監督としても、近年、作風は脱ストーリー的なところに向かおうとしているのではないかと感じます。
でも、「映画にはドラマチックなストーリーが無ければならない」みたいな固定観念なのか外からの要求なのかがあって、無理やりストーリーを当てはめてシーンをつないでいるように思えます。
宮崎監督には、ぜひその固定観念を突き破って欲しい。
宮崎監督のイマジネーションが迸る、非日常世界での“日常”を描くアニメって、絶対面白いと思うんだけどな。

もし、そういうストーリーの無い映画に挑戦できない理由があるとすれば、それはおそらく、「ホーホケキョ となりの山田君」がジブリのトラウマになっているからに違いない。
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by kude104 | 2006-07-21 23:59 | 映画