世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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<   2010年 03月 ( 7 )   > この月の画像一覧

どうにも気になったので買ってしまった。
「ドラえもん のび太の人魚大海戦」の漫画版。
で、読んでみたところ、やっぱりね。
ストーリーのあらすじは同じなんだけど、映画版と漫画版とで細部がかなり違っている。
漫画版ならば、まぁそれなりに、きちんとまとまっている印象だ。

おそらく真保裕一さんの脚本というのは、この漫画版のことだろう。
というか、そもそも「脚本」という肩書表現が違っているんじゃないだろうか。
真保さんが担当されたのは、おそらく、「ストーリー原案」とでも呼ぶものじゃないかと思う。
一般的な意味での「脚本」に当たるものは、アニメ映画で言えば絵コンテだろうね。

この絵コンテの作成について、真保さんはノータッチなんじゃないかと推測する。
印象としては、どうも「ストーリー原案を元に勝手に絵コンテ作りました」という感じだ。
なので、今回の映画の場合、正しくは「ストーリー原案・真保裕一、脚本・楠葉宏三」として捉えるべきで、それならばあの仕上がりも納得できようというものだ。

映画版と漫画版との違いをいくつか挙げてみよう。
当然のことながらネタバレになるので、気になる人はスルーしてね。

最大の相違点は、物語のキーアイテムである「人魚の剣」の入手方法というか出現条件。
剣の在処を示す「謎」が、漫画版ではそれなりにきちんと謎解きになっているのに対して、映画版では正直謎のていをなしていない。
おそらく、漫画版の謎は子どもには難しい、もしくは映像では伝えきれないと思って変更したのだろうけど、結果、ひどいことになってしまった。
五角形とか、マナティアの像とか、人魚の鎧とか、そうした設定がぜーんぶ意味なくなっとるからね。

もうひとつは、人魚族が故郷の星を追われたのがいつか?という設定。
映画版では、たしか何世代も前の出来事となっていたように思う。
一方漫画版では、ソフィアが生まれたての頃の出来事となっている。
映画を観ていて、ソフィアの両親が出てこないことを「なぜ?」と思っていたのだけど、漫画版だと、怪魚族に攻められたときに両親を亡くしたという設定になっている。
これについても、「人魚族と地球人とで時間の経過が違う」という設定が子どもには分かりにくいと判断したのだろうけど。

根本的に、子どもをなめすぎなんだよね。

たしかに、子どもには難しいという判断はそのとおりなのかもしれない。
でも、「じゃあ、どうすれば子どもにも分かりやすく伝えられるか?」といったことを検討したのか、と。
また、「今は分からなくても、後々そうだったのか!と気づいてくれればいい」という判断もあっていいんじゃないかと思う。
そもそも、上記の謎や設定が難しくてダメという子ども――ダジャレや顔芸で喜ぶ子どもには、普通の短編やったほうが喜ぶんじゃねーの?って話だ。
だったら、ドラえもんズでいいやん。

最後に、映画版でもっともシラケるシーン。
怪魚族との決戦を前に、唐突に、祖母がソフィアに「今まで辛くあたってごめんなさい。あなたを愛しています」とか言い出して、全権をソフィアに譲るシーン。
漫画版には、一切そうしたシーンはない。
どーせ、「家族愛も欲しいよね」みたいなことで付け足したシーンだろうけど、こういうことを平気でやってしまうからダメなんだよ。
現場でも「これは無いな」と思いながらも会社の指示で仕方なくとかだったら同情もするけど、本気で「これで良し」と思って作ったんなら、もうダメだ。

昔のドラえもん映画が面白かったのは、当時は映画の脚本も藤子・F・不二雄さんが手がけていたからに違いない。
真保さんも、そこまで引き受けてくれたら良かったのに。
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by kude104 | 2010-03-26 18:31 | 映画
今更感があるけれど、なんとなく「東京都青少年健全育成条例改正問題」が気になったのでつらつらと。
といっても、あまり良くわかっていないんだ。

改正の目的はなんだろう。
なんとなく、大筋は児童ポルノへの対策強化であるように思える。
その象徴的なものとして、「非実在青少年」という話が出てきているのだろう。
マンガやアニメなどの架空のキャラクターでも児童ポルノと見なすぞ、と。
「子どもに見えるけど設定上は18歳以上なんです」という言い訳は通用せんぞと。

ぼくとしては、架空のキャラクターを児童ポルノに含めるのは、やはり違和感を覚える。
児童ポルノ自体は根絶して良いと思うのだけど、それは実在の生身の子どもがポルノの対象となるのを防ぐためだ。
ロリコンという性癖を罪悪とせんがためではない。

ロリコン自体は、まぁ個人的にはキモいと思うのだけど、それこそバーチャルな世界で楽しんでいるぶんには構わんだろう。
ロリコンもマザコンも、バーチャルな世界ではどちらも同じく趣味嗜好という扱いで良いと思う。
「キモいから犯罪」というのは、気持ちはわかるけど、やっぱり通らんだろう。

考えようによっては、ロリコンは実在の世界では絶対にその欲望を満たすことが許されないのだから、むしろバーチャルな世界に活路を求めてもらったほうが良いではないか。
よくアニメ好きな方々が、「女は二次元が最高」などと仰るけれど、そんなふうに、「二次元のロリこそが最高!三次のロリなど要らん!」というくらいまで洗脳できればそれに越したことはない。

一方、表現者側も、表現は確かに自由なんだけど、でも、発表の場はやっぱりそれなりに配慮せなアカンよね。
「子どもに見えるけど設定上は18歳以上なんです」みたいなエロ作品が、PTAのおばちゃんたちの目にとまるような状況は、やっぱりダメだろ。
世の中には棲み分けってもんが必要だ。

表現者(というより主には出版者か)が18禁だなんだとゾーニングをきっちりやっていれば、まぁ、こんな話もそうそう出てはこないわけで。
テメエらには任せておけないから、条例でゾーニングやるよってことでしょ?

表現の自由を守るために表現者は戦わなければならないのだけど、戦う相手というのは何も「規制」だけではないという話だ。
野放図に表現の自由を行使したくなる己の欲とも戦わなければならないという話でもあろうと思う。
自由自由というけれど、自由って何かね?と。

本来であれば、アニメだろうと漫画だろうと表現の自由だろうとなんだろうと、エロい作品はきちんとゾーニングして販売すべし、という話であると思うのだ。
「ロリコンキモイ」という感情が紛れ込んでややこしくなっているけれども。

表現者側が自分たちできちんとゾーニングするんで、「非実在青少年」とかバカなこと言わんでくださいと、それで決着できればそれがベストなんだろうけど。
「テメエらには任せておけないから、条例でゾーニングやるよ」って流れだと思うので、きちんとやるったってなかなか信じてはもらえないだろうね。
そのへんは身から出た錆。
なので、条例でゾーニングしますということでの決着は、おそらく避けられないだろう。

問題は、じゃあ条例ならきちんとゾーニングできるのか?ってところだろう。
言うまでもなく、無理だ。
それがエロかそうでないかの判断基準を明確に規定することは不可能だから、本質的に、自主規制はゆるゆるになりがちだし、他者による規制は過度になりがちだ。

ならば。
条例によるゾーニングが避けられないとしたら、その対抗というか救済として、当局によって不当に不健全図書に指定されたと思う場合には、表現者側がきちんと異議申し立てできる制度を合わせて整えるよう主張することが有効なんじゃなかろうか。
当局の規制が不適切に行われた場合は、それによって被ったであろう損害を賠償すべきだ。
そういう制度を整えておけば、ある程度規制する側とされる側がフェアな立場に立てるし、過度な規制への抑止にもなるだろう。

ただただ規制反対!では「ロリコンキモイ」という世の大半のお母さんがたの支持を集めるのは難しそうなので、規制はかまいませんけど、公権力が好き勝手自由気ままに規制できるとしたら表現の自由とか脅かされて怖いんで、その防止策として同時に異議申立制度を整えさせてくださいねと訴えれば、どうにか対抗できないかなぁ。
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by kude104 | 2010-03-24 22:29 | 時事・社会

アバター

ようやく噂の「アバター」を観てきました。
前回「コララインとボタンの魔女」で3D体験に失敗したこともあり、また、どうせ観るならと言うことで、IMAXで観てきました。
なんでも、IMAXシアターは日本に4館しかないそうで、そのうちの一館が幸いにも近くにあるならば、観に行かねば勿体無いよね。

で、観たわけですが、いやあすごかった!
まさかこれ程とは。

ぼくがこれまでに観た3D映像というと、途中リタイヤしたコララインと、あとはUSJのアトラクションくらいです。
なので、アバターの3Dも同じようなものだろうと思って観に行ったんですが、ぜんぜん違った。
これ、同じ3Dと言っていいの?ってくらい違う。

コララインなんかは、言うなれば、飛び出す3Dだ。
平面の映像を基本として、要所要所にキャラクターなりオブジェなりを手前に浮かび上がらせることで、3Dの映像を作っている感じ。

対するアバターは、奥行きを表現することで3D映像を作っている。
まるでスクリーンが窓で、その向こうに映画の世界が実際に存在しているかのような立体感だ。

3Dの映像というと、たいていは飛び出す映像を作りたがるというか、無意識にそういうものだと思ってしまうよね。
それに対して、「3Dの映像とは奥行きの表現である」という、この着眼点はまさに天才的!
こういうところが、天才と凡人の違いなんだなぁ。

アバターが映画として面白いか面白くないかは人それぞれだとしても、この3D映像の「発明」は間違いなく映画史上のエポックメイキングとして歴史に残ることだろう。
サイレントからトーキー、モノクロからカラー、そして2Dから3D。
なにかこう、そういう時代の転換に立会ったような気分になるね。
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by kude104 | 2010-03-19 16:44 | 映画
今年も観てしまった。
ドラえもん映画。
今年のは「鬼岩城」のリメイクかと思いきや、「深夜の町は海の底」を元にしたオリジナルストーリー「のび太の人魚大海戦」でした。

今回は記念すべき30作目ということで、さぞ気合が入っているに違いないと期待したのだけど、特にそうでもなかった。
挿入歌として武田鉄矢さんの歌が流れるあたりは、30作目ならではスペシャル企画としてオールドファンには嬉し懐かしなところではあったけれど、いかんせん、楽しそうな場面に物悲しい歌が流れるというミスマッチな事態に。
ちゃんと「こういう場面で流すので、こういう雰囲気の曲にしてください」とオファーしたのか?

脚本は真保裕一さん。
この人の小説はけっこう面白いとぼくは評価しているので、今回も「彼の脚本ならば」と期待していたんですが・・・。
うーん、どうしてこうなった。
これ、本当に真保裕一さんが脚本書いたの?
名前だけで、別の人が書いたんじゃなくて?

ドラえもん映画としては特別駄作という程ではなく、近年のドラえもん映画と同じようなレベルだったと思うのだけれど。
仮にも江戸川乱歩賞や日本推理作家協会賞など、数々の賞を受賞した作家が作ったお話にしては、テンポ悪いは、キャラクター活きてないわ、「謎」はチープだわ、矛盾や突っ込みどころ満載だわで、これ本当に真保裕一さんが脚本書いたの?
信じられない。
元の脚本と出来上がった映画の内容が全然違うというのはよくあることで、今回もきっとそうだったんだと思いたい。
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by kude104 | 2010-03-16 23:32 | 映画
ニュー速で暇潰しブログ 朝日 「朝鮮学校が北朝鮮と繋がってることは事実だ。が、除外はやはりおかしい。差別する理由はない」

高校無償化法案の目的が、「高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与する」ことにあるのなら、「北朝鮮とつながりがあるから」といって除外するのはおかしかろうと思う。

とはいえ、予算の都合上、地球上のすべての子どもの教育の機会均等に寄与することはできない。
なので、どうしても、どこかに「適用する」「除外する」の線引きをしなければならない。
問題は、その線引きをどのように行うかだ。
線引きをすることが差別なのではなく、差別的な線引きをしてはいけないと言うことだ。
それで言えば、「朝鮮学校だから」という線引きは、ぼくの印象としては少々差別的に思える。

高校無償化法案の目的には、「誰の」という部分が明示的に書かれていないが、これはおそらく、暗黙的に、「日本国民の」と考えて良いだろう。
であれば、公立だ私立だ朝鮮学校だということではなく、「日本国籍を有する子どもの学費を無償化する」という方向でまとめればよいのではないかと思う。
これだと、議論の焦点が「北朝鮮人差別」ではなく「外国人差別」になる懸念はあるけど、大きな枠として、日本政府(そして日本国民)が費用負担して支援しましょうという対象が日本国民に限られることは、別段おかしなことではない。
日本国憲法の対象が日本国民であるのだから、日本国憲法に基づく「教育の機会均等」が日本国民に対して成されるのは理にかなっているように思う。

心情として朝鮮学校を除外したい気持ちはわかるが、それを行うのに、まんま「朝鮮学校だから」というのでは、あまりに幼稚すぎるだろう。
たとえば、対象を「学校教育法で定める1条校」とするだけで朝鮮学校は外れるんだから。
「それだと中華学校も外れるから」みたいなことは、知らん。
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by kude104 | 2010-03-08 18:36 | 時事・社会

無料と有料

グーグルの存在する世界にて (内田樹の研究室)

「グーグルがすでに存在する世界」においては「デジタル・コンテンツに課金する」ビジネスモデルは「デジタル・コンテンツそのものには課金せず、無料コンテンツが簡単な操作で簡単にダウンロードできるシステムがデファクト・スタンダードになった結果たまたま生じるバイプロダクツで小銭を稼ぐ」ビジネスモデルに必ずや駆逐される。

ぼく個人としては、あるいは逆の目が出るのではないかと思ってる。
テクノロジーが、デジタルコンテンツそのものに対して容易に課金できる方向に進化すれば、デジタルコンテンツに課金するビジネスモデルがバイプロダクツで小銭を稼ぐビジネスモデルを駆逐するだろう。

お金を儲けたいという欲求と、自分の著作物に対して何らかの権利を有していたいという欲求は、わりと一般的で強力なものであろうと思う。
特に、コンテンツでビジネスしましょうという人たちにとっては、これが無ければ始まらない。
ならば、こうした欲求をより満たす方向にテクノロジーを進化させようという流れも、当然あるわけで。

iTunesで音楽データを購入する人がいるように、妥当な値段で簡単にそれを購入・利用できるなら、従来的な著作権ビジネスも十分成立するように思う。
今はまだ、「妥当な値段で簡単に」というところが不十分であるために、無料コンテンツに遅れを取っているだけで。

JASRACうんぬんというのは、個人的には商売のやり方がヘタというレベルの話であると思っている。
同様に、コンテンツを無料にしてうんぬんという話も、商売のやり方の話であろう。
著作権が絡むと、商売の話がどうも面倒くさい話になってくる気がする。

いずれにしても、「コンテンツを無料にするとこんないいことがあります」という話なら夢があっていいのだけど、「コンテンツは無料にするしかない」という話になると悲壮感漂ってよろしくない。
「無料にもできる」というのと、「無料にしかできない」というのとでは、大きな違いだ。
なので、テクノロジーの進化としては、「妥当な値段で簡単にコンテンツを購入できます」という世界を夢見る方が健全でいいかなーと思っている。

だいたい、グーグルとて、自身のコアとなる情報や技術はがっちりガードしているわけで。
どこの世界も、本業を無料化してはビジネスは成り立たない。
見ようによっては、自分の本業を成り立たせるために、他人の本業を無料化するという戦争を仕掛けていると言えなくもないよね。
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by kude104 | 2010-03-07 16:39 | PC&ネット
今日は映画サービスデーということで、「コララインとボタンの魔女」を観てきました。
もちろん、3Dで。
前回「カールじいさん~」を観た際に、これの予告編を観て、「おもしろそうだなー」と思ってたんですよね。
こういう、ちょっとダークファンタジー的なアニメーションって、好きです。
また、初の3D映画体験としても、「アバター」だとなんかちょっといかにもな感じなので、これくらいがちょうどいいのではないかと思ったりして。
CGアニメーションと3Dって相性良さそうだし。

今回ぼくが観た3D方式はXpanDというやつ。
メガネにちょっとした装置が組み込まれていて、スクリーンからの信号を受けて、メガネの右目と左目の視界が交互に高速に閉じることで、強制的に片目パチパチ状態を作り出して立体視させるというものです。
ちょっとメガネがごついんですが、けっこうストレスなく3D映像が観られるもんですね。

上映前に、「ここでメガネをお掛けください。メガネに不具合があったらスタッフにお知らせください」みたいな映像が流れて、「おいおい、不具合なんてあるの? いやだなー。俺、こういうの引き弱いんだよなー」とドキドキしたけど、問題なく観られて一安心。
ぼく、映画観るときは視力用の眼鏡かけるんだけど、その上から3Dメガネかけても大丈夫だったので、それも安心した。

で、問題の3D映像だけど。
なんか自然に3Dな感じでした。
目の前にぐわっと飛び出してくるようなケースではあからさまに3Dって感じだけど、普段のシーンでは、ごく自然に実物の映像を観ているかのように3Dでしたね。
3Dであることを感じさせない3D。

途中で3Dメガネ外して観てみたんだけど、意外にも、だいたい普通に2Dとして観られた。
ときどき部分部分で映像がブレた感じになっているところがあって、きっとそこが立体的に見えている部分なのだろう。
あの感じだと、基本2Dで、要所要所に3D効果を加えているという感じかな。
だから「3Dであることを感じさせない3D」という印象だったのだろうと思う。

ちなみに、色合いはメガネなしで観た方がきれいに見えるね。
メガネかけると、ちょっとサングラス的な色が付く感じがある。

と、3D映像を楽しんでいたら、上映から30分くらいが経過した頃かなぁ。
突然、映像がチカチカし始めて。
どうも、ぼくのメガネの左右の目を閉じる機能がおかしくなったらしい。
「ええぇ、このタイミングで不具合?!」って感だよマジで。

これが上映前の「メガネに不具合があったらスタッフにお知らせください」ってときであれば、「はい、不具合です」とすぐ交換してもらえますよ。
でも、いま上映中だからね。
交換してもらおうと思ったら、ぼくは中央付近の座席で観ていたので、他のお客さんの前を「すみません、通してください」と謝りながら、ものすごい邪魔になりながら劇場を出て、スタッフ探して、メガネの不調を訴えて、交換してもらって、再び劇場に戻って、「すみません、通してください」と謝りながら、ものすごい邪魔になりながら座席に戻ってこなければなりません。

絶対、イヤ!

考えただけで、げんなりだ。
なので、しばらくの間、メガネをはずしてはかけて、直ってないかな・・・やっぱり駄目だ、このまま我慢して観てみようかな・・・やっぱり無理だ、ええいメガネなしで見てやろうか・・・やっぱりつらい、と散々悩んだ挙句、結局、もういいや、と。

「すみません、通してください」と謝りながら、ものすごい邪魔になりながら劇場を出て、スタッフ探して、メガネの不調を訴えて、お金返してもらって帰りました。

正直、劇場からの帰り道、ものすごい悲しい気分でした。
こんないやーな気分を味わうのも久しぶりですよ。
ぼく、こういうの引き弱いんだよなぁ。
次また3D映画観るの、怖いわ。
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by kude104 | 2010-03-01 20:54 | 映画