世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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On Off and Beyond: アメリカのロースクールに留学して弁護士になった堀本さんの話

自分のことをよく知っている人に意見を求めると、通常彼らは、自分(=相談者)の今の状態が続いた方がリスクが少ない人たちなので、とりあえず現状維持がいいのでは、というアドバイスを受けがち。(上司やら、配偶者など)

だから、そういう「信頼おける人」にアドバイスを求めても意味がない、と。
たぶん、意味がないのは、「自分のことをよく知っている人」に意見を求めることではなく、「相談対象のことをよく知らない人」に意見を求めることではないかな、と思います。

たとえば、海外で働いたことのない人に「海外で働きたいと思うのだけど、どう思う?」と尋ねたら、十中八九、「やめたほうがいい」と答えるでしょう。
なぜなら、「自分が海外で働きたくない理由」を言ってしまうから。
逆に、海外で働きたいと思っている人に相談すれば、「ぜひそうするべき」というアドバイスが得られるでしょう。
なぜなら、「自分が海外で働きたい理由」を語ってくれるから。

それならば、今まさに海外で働いている人、もしくは過去に働いたことのある人に相談すれば、賛成するにせよ反対するにせよ、その人の経験に基づいた意見が聞ける分、参考になるかと思います。

アドバイスといっても、その人の知識や経験の範囲内でしか答えられないのだから、アドバイスをくれた人のプロフィールを念頭に置いて話を聞くことが重要かと思います。
あくまでも、その人の知識と経験をもとに考えた場合は・・・、という意見のひとつとして聞くのが正しいアドバイスの聞き方ではないでしょうか。

もしも自分の中で「やる」とすでに決めているのなら、「上手くやっていくために気をつけるべきことは何ですか?」というふうにアドバイスを求めるのがいいのではないかと思います。
「やるか、やらないか」のアドバイスは要らん。
もうこちとらやると決めたんだから。
つきましては、成功の可能性を少しでも高めるアドバイスがもしあればください。
なければ黙ってろ、と。

だいたい、先のことについてのアドバイスを求めてもあまり意味がないように思います。
先のことなんて誰にも分かんねーもん。
たとえば、5年前や10年前に、今の世の中をどれだけ予想できていた?

アドバイスは、いま解決すべき具体的な事柄について求めるのがよろしいかと思います。
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by kude104 | 2009-05-28 23:59

信仰と宗教

「救われない魂」を、信仰を持たずに救うことが、どういうことなのか分からない - どんなジレンマ

信仰を持たない人間の魂も救われることはあるのだろうか。
おそらく、「ない」だろうと思います。
なぜなら、「魂」が「救われる」ことを願う時点で、それはある種の「信仰」だろうと思うからです。

「魂」という漠然としたものを救うためには、「魂」を定義する「世界観」が必要になります。
そして、それを「救済してくれるもの」を求める時点で、これはもう立派な信仰でしょう。
もし、そうした信仰を微塵も持たない人間ならば、「魂」というものを「救済してほしい」などと、そもそも考えもしないのではないでしょうか。

もしそれが信仰であるなら、救われるためには「納得すること」が必要になるかと思います。
どんな無茶苦茶なロジックでもいい、「そういうものか」と納得することでひとは救われるのだと思います。
逆に言えば、なぜ救われないかというと、納得できないからでしょう。
なぜだか分からない、どうしてだか分からないから、心のもやもやが収まらず、救われない。
それを誰かに「それは、こうだ!」とすぱっと快刀乱麻を断ってもらえれば、「なるほど、そうだったのか!」と心が晴れて救われる。

宗教というものは、そうした「もやもやした信仰」をロジカルに体系化し説明したものであると考えます。
なので、納得できさえすれば、信仰の対象は宗教でなくても構わない。
科学に救われる人もいれば、愛に救われる人もいるでしょう。
そうした人たちは、科学を信仰し、愛を信仰するのでしょう。

「1+1=2」というルールを「そういうもの」として飲み込んで、世の中のあらゆる数式を理解することと、「神」というルールを飲み込んで、世の中のあらゆる事象を理解することと、信仰のレベルとしては、それほど大きな違いがあるとは思えない。
魂の救済を求めて苦しむことも、解けない数式を前に悩むことも、どちらも「解き方」としては同じなのではないでしょうか。
片や公理から定理を導き計算して答えを出し、片や神から教義を導き信仰して答えを出す。
数式を解くのには数学が適していて宗教が適さないように、魂を救済するには宗教が適していて数学は適さないでしょう。
そうした違いはあるけれど、どちらも「世界の成り立ちを説明するための体系」であるのは同じじゃないでしょうか。

そう考えれば、たぶん、信仰を持った人が強いのではなくて、「式の解き方を知っている」ひとが強いのだろうと思います。
信仰だけあってもダメで、それによって問題が解けないと救われない。
その解き方が正しいか間違っているかはどうあれ、本人が「解けた」と思っているならば、心は晴れやかでいられましょう。

解き方は、何度も言うように、宗教である必要はありません。
ですので、冒頭の問いを「宗教を持たない人間の魂も救われることはあるのだろうか」とするならば、それはYESと言えましょう。
YESはキリスト教だけのものではないですよ、と。
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by kude104 | 2009-05-23 15:54
民主党嫌いの正体: 大石英司の代替空港

ぼくの印象としては、ネット上の「民主党嫌い」のベースは、アンチマスコミにあるのではないかという気がします。
もしマスコミがこぞって自民党支持の論調を展開すれば、今度は逆に反自民が増えるだろう、と。

というのも、ネット上で何事か意見を発しようという場合、「私もそう思う」という賛成意見より、「私はそうは思わない」という反対意見のほうが書きたくなるから。
賛成意見というのは、たいてい「私もそう思う」という一言で済んでしまうので、わざわざ書くほどじゃないなと思ってしまうのに対して、反対意見というのは、「それは違う。なぜなら──」と書き甲斐があります。

政治の話題というのは、新聞やテレビなど、マスコミの発信する情報をネタ元とするケースが多い。
そのネタ元が民主党寄りなら、対するネットは反民主に傾く・・・と、まずはそうした理由が考えられるのではないでしょうか。

だいたい、マスコミの論調に敢然と異を唱えるというのは、正直、気持ちがいい。
マスコミの嘘を暴く、マスコミの無能を世に知らしめる──みたいなことは、やっぱりわくわくしますよね。
知的興奮はもとより、ある種の正義感や使命感のようなものが満たされますし。

マスコミに政府批判が多いのも、ネットにマスコミ批判が多いのも、マスコミのネタ元が政府なのに対して、ネットのネタ元がマスコミなだけで、構図としては同じなんじゃないかなぁ。
ぼくは単にそういうレベルの話だと思っています。


付け加えるなら、民主党が「お粗末」というのも、もちろんあるでしょうね。
上の理由に加えて、民主党自体がネタの宝庫というか、いじり甲斐があるというか。

民主党という組織は、政治的な能力もそれはそれとして、イメージ戦略に関してまるでセンスがないように感じてしまいます。
ネット、民主、イメージ戦略といえば思い出すのは、ニコニコ動画。
小沢さんや鳩山さんが出てきて炎上して評判下げて、いったいなにがしたかったんだ、と。
無垢といえば無垢なのかもしれませんが・・・。
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by kude104 | 2009-05-19 22:14 | PC&ネット

オタク文化の原点回帰

オタクの本当の危機 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

個人のたしなみ方としては大いに共感しますが、それでもコンテンツの供給過多は止まらないかと思います。
なぜなら、原因はコンテンツビジネスの構造的変化のほうにあると思えるからです。

ビジネス的に言えば、おそらく、短いサイクルで次々に新しいコンテンツを消費してもらったほうが、業界全体としての売上は上がるでしょう。
だから、供給者側は過剰とも思えるほどにどんどんコンテンツを供給しているわけで。

ただ、供給者側が攻めの姿勢でそうしているかというと、違うのではないかと思います。
そうやって次から次へとコンテンツを供給し回転率を上げなければ売上が確保できない状況にあるという、守りの姿勢からそうせざるをえないのではないか。
もしそうなら、オタクな人々が良かれと思ってコンテンツの消費量を落とすことは、逆に、業界をより一層衰退へと導くことになるのでは、という気がします。

たとえば極論として、ひとつの作品につき5年間楽しむなら、生涯で20本もいらない計算です。
過去の名作から20本用意すれば済むなら、もう新しいコンテンツは要らないということになりましょう。
ならば、現在駄作が量産されようと、明日業界が滅びようと、問題はないということになります。
怪獣映画好きは、過去のゴジラ作品を愛でていればいいということになる。
が、もちろんそんなことはなくて、怪獣映画好きなら常に新しい怪獣映画が観たいと思うでしょう。
それには、怪獣映画がビジネスとして成立しないことには難しい。

アニメについて言えば、素人考えとしては、テレビの衰退が大きく影響しているのではないかと考えます。
テレビ自体の視聴率も低下している中、テレビアニメだけが例外でいられるはずもなく。
いまや、ゴールデンタイムに放送しているアニメといえば、ドラえもんとサザエさんくらいですか?
(あとは、ちびまる子ちゃんとクレヨンしんちゃんくらいかな?)
もはや、テレビアニメ黄金期は、過ぎ去った遠い過去の栄光なのではないでしょうか。

となると、製作費自体も削減されているでしょう。
実態を知らないので分かりませんが、いったいどれくらい削減されているのでしょうね。
その減った製作費分をDVDの売上等で賄おうとすると、どうしても回転率を上げざるを得ないでしょう。
消費者側がその回転の速さについていけなくなったときに、テレビアニメは完全に終了するのではないでしょうか。
「1クールのアニメ」どころか、アニメ自体「作るのは、もうやめましょうや」となりかねません。
(もっとも、完全になくなることはないでしょうけど)

あるいは。
考え方を変えれば、業界が衰退すればコンテンツの供給量は下がりますから、そうなるといやでも消費速度を落とさざるを得なくなります。
そのとき、ファーストフード的消費の仕方に慣れた「軟弱なオタク」は去り、数少ないコンテンツを味わいつくせる「真のオタク」だけが生き残る。
まさにオタク文化の原点回帰が成されるのかもしれません。
オタクの練度は、業界がマイナーであればある程鍛えられるように思います。

その意味では、今、オタクの皆さんがその消費量を抑えるという戦略は、業界を適正に衰退させるとともに、来るべき原点回帰の時に備えて今から練度を高めておくために、とても有効なのかもしれません。
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by kude104 | 2009-05-18 14:54 | テレビ
誰がこんな事を教えるんだ!(植松) カムイスペースワークスブログ-CURURU

こないだ、こんな意見をもらいました。

仕事は収入のためにするものです。
自分の好きなことを仕事にするとか、人の役に立ちたいとか、きれいごとです。
夢を持って成功した人はいいですが、失敗したらどうするんでしょうか?
夢に向かって努力して、失敗して、何もかも失ったら、どうするのでしょうか?
現実を考えれば、夢をかなえるのは不可能なはずです。
理想ばかりを追ってはいられません。
こうした意見は実のところ

私にとって、仕事は収入のためにするものです。
自分の好きなことを仕事にするとか、人の役に立ちたいとか、私にはきれいごとです。
夢を持って成功した人はいいですが、失敗するのは私はいやです。
夢に向かって努力して、失敗して、何もかも失ったら、私はいやです。
現実を考えれば、私が夢をかなえるのは不可能です。
私は理想ばかりを追ってはいられません。
主語を「私」にすると、意見としてはまったく正しいわけで、「あなた」がそう考え好きなことを仕事にしなかったのは全く正しい選択だったと、そう思うわけで。
「そうですか、今のお仕事がんばってください」としか答えようがない。

かたや、どだい好きなことを仕事にしようという人間は、「他人がどうだろうと自分だけは成功する」と思っている自信家か、「たとえ失敗してもやる」と思っている情熱家だから。
そういう人たちに上のような意見を、主語を「あなた」もしくは「世間一般」にして言ったところで、「だが、俺は違う」「それでもいい、俺はやる」くらいの反応しか得られないんじゃなかろうか。

個人的には、好きなことを仕事にするかしないかは、単に「戦略」の違いと見る。
ガチガチの本命に賭けるか、大穴に賭けるか、そもそも賭けなどしないか。
配られたカードのよし悪しや、目標として掲げる勝利条件の違いでもって採るべき戦略も変わってくるのだけど、それ以上に、そのひとの性格というものも大いにかかわってくる。

どんなにいいカードが配られても攻めないひともいれば、ゴミ手でも盛んに攻めるひともいる。
どっちが勝つか負けるかは結果でしか語れない。
統計的や確率的に語ることはできるだろうけど、理論は結果を越えないから。
さらに、どの戦略がいいか悪いかは、結果でも語れない。
結果は客観的に測れるけど、その結果をよしとするかどうかは、本人の主観にゆだねられるから。

なので、本人が自分の掛け金で勝負している限りは、他人の賭け方にあーだこーだ言うのは、おせっかいというものだろうと思う。
どのみち、「あなたの戦略を私の価値観で測ると──」という話以上はできないもの。
もちろん、心から相手のことを思っての助言であるとか、「私はこう思いますがあなたはどう思いますか?」という議論であるとか、そうした意図ならいいけどね。
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by kude104 | 2009-05-16 21:42
解説委員室ブログ:NHKブログ | 時論公論 | 時論公論「議員世襲 制限は必要か」

原則論としては、世襲であろうがなかろうが、能力のあるなしで語ればよいということになる。
が、そうはいっても実際問題として、能力のあるなしとは別のところで当落が決まってしまう。
もし、有権者が候補者の能力をきちんと測って、それをもとに票を投じ、当落が決まるのであれば、世襲であろうが無かろうが大した問題にはならないだろう。
ということはつまり、世襲議員の問題というのは、「有権者は正しく候補者を選ぶことができません」という認識の上に生じる問題であるといえるのかもしれない。

だが、そもそも政治家に必要な資質や能力とは何だろう。
それらは選挙期間中に見極められるものだろうか?
また、それらの違いが、政治家としての活動成果の違いとして、どれだけ現れ得るものなのだろう。
つまり・・・概ね誰を選んでも大差ない、ということであるなら、世襲であろうとなかろうと大差ない、と言えるかもしれない。
あるいは、大差ないなら、世襲である弊害のほうが大きいと言えるのかもしれない。

あるいはもし、政治家に必要な資質や能力が、「地盤、看板、かばん」であるなら、世襲議員こそが正しい選択になるだろう。

考えてみれば、政治家に必要な資質や能力というものが不明のままに、われわれは民主主義政治というものを運用しているような気がする。
それらが不明であるために、優れた政治家になるための教育やトレーニングというものが確立しないままなのではなかろうか。
もしかしたら、それらは政治家を志す人々の間では自明であり確立しているのかもしれないけど、世間一般に知られるほどには至っていないだろう。
経営者にとってのMBAのような、あるいは英検何級みたいな、能力を示す分かりやすい「肩書」があると便利な気がする。

いっそ、選挙活動をバラエティ番組みたいにしてみるとか。
選挙区ごとに候補者を一堂に集めて、政治家常識クイズ対決とか、朝まで生討論とかやるの。
もちろん、その模様はテレビでお茶の間に届けます。
名前を連呼するだけの選挙活動などより、よっぽど一票を投じる参考になるだろう。
番組としても、けっこうスリリングで面白いと思うけどなー。


とまぁ、なんだかとりとめのない話になったけれど。
「世襲制限」というのは、現行の選挙システムの根本に不備があるのだけど、そちらは手直しできないので、とりあえず対処療法的に世襲だけ制限してはどうか、という話のように思える──と。
だからどうすりゃいいというアイデアもないのだけどね。

とりあえず、世襲制限はやってみてもいいとは思う。
少なくとも害はなかろう。
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by kude104 | 2009-05-11 22:20 | 時事・社会

サヨナラLingr

LingrとRejawサービス終了のお知らせ:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan
Lingrの失敗から学べることはもっとあるはず - Keep Crazy;shi3zの日記

Lingrがサービスを終了するということで。
LingrのAPIを使って、恥ずかしながら"LingrBBS"というサービスを作ったぼくとしても、感謝するとともに、なにか一言述べておきたいと思います。

ちなみに、「そうか、Lingr終わっちゃったのか」と、さきほどLingrBBSを閉じたのだけれど、よく読むとまだ今月いっぱいは稼働しているのですね。
ちょっと勇み足で早く閉じてしまいました。
もし不都合出た人がいらっしゃいましたらすみません。


さて。
とりあえずLingrについてご存じない方のために簡単に説明すると、ブラウザ上で行うテキストベースのチャットサービスといったところでしょうか。
旧来のブラウザチャットはサーバに対して非常に高負荷だったものを、Cometという技術を使って劇的に改善したところが大きな特徴でした。

今回、「なぜLingrは成功しなかったのか」という点について、ぼくなりに考えてみたいと思います。

江島さんご本人は人件費コストをひとつの理由として挙げていらっしゃいますが、他の方も指摘していらっしゃるように、「それはそれとして、最大の理由は利用者が伸びなかったからでは?」という気はします。
Lingrから「技術的優位性」を取っ払って単純にネットサービスとして見た場合、「チャットサービス」としての勝負になろうかと思います。
でも、チャットサービス自体に目新しさがあるわけではないというか、それだけで人々が飛びつくものではなかろうという気はしますよね。

Lingrの一番の優位性はと言えば、Cometを活用したサーバ側の技術ではないかと思います。
しかし、これは言わば裏方の技術なので、これによって利用者を集めるというふうには使えません。
ならば。
Lingrの売りがサーバ側の技術にあるのなら、それを商売にするという手はなかったのでしょうか。

たとえば企業のお客様サポートにチャットシステムを活用するとか。
たとえばFlashゲームのようなもので、チャットシステムをベースにしたユーザ対戦システムを構築するとか。

Lingrというチャットサービスを売るのではなく、Lingrのチャットシステム技術を売るという戦略ですね。
オーダーメイドで売るもよし、レンタルサーバのような感じでホスティングするもよし。

まぁ、そうした需要が本当にあるかどうかは分かりませんが、チャットサービスそのものを商品にするよりはビジネスになりそうな気がします。
安価なリアルタイムコミュニケーションシステムへの需要というのは、企業側には、掘り起こせばありそうな気がするのだけど。

そっちで稼げれば、Lingrというチャットサービス自体は、技術を売るための言わばサンプルというかプレゼンとして運用しておけばよいので。


今回改めてLingrをリリースされた時のエントリー(Lingr(リンガー)をリリースしました:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan)を読み返してみましたが、その中で江島さんは「ウェブはリアルタイムへと向かう」という未来像を思い描いていらっしゃいます。
ぼくも、その未来像は今でも十分「あり」だと思うのですが、その第一歩としてチャットを選んだのは戦略ミスだったのではないかと──まぁ今になって思います。

「妄想レベルで言えば──」として語っていらっしゃる、新しくてわくわくするようなサービスのアイデア。
それを第一歩目に持ってくるべきだったんじゃないだろうか。

「まずはチャットから」という現実的なところから始めるのではなく、第一歩目こそ全力で、この一撃で世界を変えるんだ!というくらいのつもりで行くべきなのだと、それをぼく自身の教訓として心にメモっておこうと思います。

なにはともあれ、Lingr、お疲れさまでした。
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by kude104 | 2009-05-07 18:20 | PC&ネット
日本の政治をよくするために必要なただ二つのこと - Tech Mom from Silicon Valley

前回「日本って、そんなに閉塞しているのか」を書いたあとで、例のブログエントリーに対して寄せられている様々な発言を読んで感じたのは、日本の政治に対する見事なまでの諦めムードです。

今の(そして未来の)政治家たちに対する期待値もゼロならば、「自分たちの手でそれを変えて行こう」あるいは「自分たちの手で世の中を良くしていこう」といった意識も、限りなくゼロに近いんじゃないかという印象を受けました。
ま、あまり「自分たちの手で!」という意識が強いと「憂国騎士団」みたいなのが現れてきそうなので、それよりはましだと思いますけど。


ぼくもそうですが、政治というものはなにか自分とは縁遠いところにあって、自分とは無関係な誰かがどうにかしているもの、という認識があるように思います。
政治家になろうなんて思ったこともなければ、誰か政治家なり候補者を応援したこともない。
ロビー活動をしたこともなければ、政治集会に参加したこともない。
政治献金なんて、悪いお金くらいのイメージしかない。
やることと言えば、せいぜい選挙に行くくらいですが、それだって自分の一票が政治を変えるなんて信じちゃいない。
国民主権とは言うものの、実際問題、信じている人どのくらいいるんでしょうね。

だから、このままでは日本はダメだと言われても、誰かがどうにかしてくれるのを待つだけだし、それが期待できないとなると逃げるか諦めるしかないわけです。
そりゃ、閉塞感も漂うよなぁという気がします。

というわけで。
「日本の政治をよくするために必要なただひとつのこと」と銘打って考えるなら、いかにして国民の政治への参加意識を高めていくか──ではないかと思います。
以下、その観点からつらつらと。


ぼくはこれでけっこうネットの可能性を信じている人間ですので、政治もインターネットの活用によって変わりうるという期待を持っています。
情報と思考を共有することで、人々の知的レベルというのかな、社会の認識水準は向上すると思っているので、政治においてもそれを実現できればよいのではないかと考えます。

たとえば、政治家についてのデータベースがあると面白いんじゃないか、とか。

過去・現職含めて、プロフィールはもとより、どのような活動を行い、どのような成果を挙げたか。
どのような立場でどのような発言をし、どの政策にどういう態度を示したか。
そうしたデータベースがあると、選挙の際に、新人候補者は無理としても、再選を狙う候補者に対しては、事前にささっとデータベースをチェックして、その良し悪しを判じることができるのではないか。

現状では、そうした情報へのアクセスが不便すぎますよね。
それで有権者に正しい判断をせよと求めるのは、ちょっと無茶じゃないかなーと思います。

政治家を選ぶ投票だって、言うなれば国の未来に対する「投資」なのだから、株式市場と同じかそれ以上の「投資家保護」の観点があってよいと思う次第です。
会社に有価証券報告書の提示を義務付けているみたいに、政治家にも活動報告書のようなものを義務付けてもいいと思うけどなぁ。
会社四季報みたく政治家四季報とかあったら読んでみたい。

そうした体制を国に作れと言ってもあまり期待できそうにないので、民間でやれないものかと考えます。
NGO的な組織を作って。
うーん、とりあえず資金力と組織力が要りますね・・・。


あるいは、ネットを活用し、ロビー活動をエンターテインメントにするというのはどうでしょう。

解決を目指す問題──なんでもいいですけど、たとえば雇用問題であったり年金問題であったり、とりあえずなにかひとつ解決を目指す問題を掲げます。
で、その問題を解決するにはどうすればいいか、ネット上で議論していきます。

もっとも、議論自体はネット上じゃなくてもいいですけど、解決策を導く過程をオープンにし、それに対する人々の意見を広く募りながら解決策を練り上げて行くという過程、それは立派なエンターテインメントになり得ると思うので。

そうして練り上げた解決策を持って、議員なり官僚なりに面会を申し込みます。
そして、「これを実行してくれませんか」とお願いしようという作戦です。

協力してもらえればいいですが、世の中そんなに甘くはないでしょう。
門前払いを食らうかもしれませんし、適当にあしらわれたり、ダメ出しをされるかもしれません。
でも、そうした様子を克明にレポートすれば、コンテンツとして十分面白いと思うのですね。

話をすることで、議員なり官僚なりの事情、考え、人となり、そういったものが分かります。
素人目で良しと思った解決策でも、専門家の目から見て、その問題点が明らかになることもあるでしょう。
そうしたレポートによって、政治というものが少しずつ分かってくるのではないかと思います。

そうして、まかり間違って見事解決策を通すことができたなら、その成功体験は人々の政治意識を変えるのに十分な役割を果たすのではないか・・・。

これなら目的意識を共にする数人のグループで実行できそうですから、政治に興味のある学生さんとか派遣村の方々とか、よかったらチャレンジしてみて欲しいなー。
自分でやるには、ちょっとぼくのモチベーションが足りてませんので。


──などと、結局他人任せを露呈して夜も更けて行くのでした。
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by kude104 | 2009-05-06 21:38 | 時事・社会
新型インフルエンザがにぎにぎしいこの時に、なにも好き好んで不特定多数の密集空間に赴くこともないかなーという気もしましたが、せっかくの月に一度のイベントですんで、行ってきました映画サービスデー。
お目当ては、『スラムドッグ$ミリオネア』

ゴールデンウィークの映画サービスデーなので混んでいるだろうと覚悟して行ったのですが、劇場に着いてみると、意外や意外。
もしかしたら普段よりも人少ないんじゃねーの?といった印象。
もしかして、これってやっぱり新型インフルエンザの影響?
と思ったのだけれど、いざチケット買おうと電光掲示板を見ると、『スラムドッグ$ミリオネア』、すでに最終上映回を残してすべて満席でした。
行ったの、お昼前だったのに。
さすがは『スラムドッグ$ミリオネア』!

『スラムドッグ$ミリオネア』がダメだとなると、これはひょっとして『おっぱいバレー』コースになるのか?と、頭の中でチケットを買うシミュレーションを行いながら、でも、他にも『スラムドッグ$ミリオネア』を上映している劇場があったので、念のためにそちらにも行ってみました。
そしたら、そっちは結構空いてた。
小さな劇場だったので、みんなノーマークだったんだね。
ふふふ、こういうところで、経験の差が出るのだよ。


と、前置きはこのくらいにして。
感想としては、さすがに評判通り、面白かったです。
ただ、予想以上に、観終わった後にモヤモヤとした気持ちが残りますね。

というのも、スラムの厳しい現実が生々しすぎて、ミリオネアで賞金獲ったところでそれがなに?!ってな気持ちになってしまったから。
みんなたぶん、厳しい現実にも負けずに愛と誠実さを貫く主人公の姿に感動するのだろうけど、いや、ぼくもそれはそうなんだけど、それ以上に「貧困とはなんと悲惨な!」という感情のほうが強くて。

基本、おそらくファンタジーとして観るべき映画なのだろうけど、この「スラムの現実」が生々しすぎて、ファンタジーを楽しむ気分になれないよ。
かといって、「スラムの現実」を生々しく描いたドキュメンタリーもの、あるいは社会派ドラマとして観るには、ファンタジーの部分がある種のご都合主義的に思えてしまう。

このキメラ的な収まりの悪さが、素直に「面白かった!」と言えない原因でもあるし、この映画の深みの理由でもあるのでしょう。
単純なエンターテインメント映画でない一方で、非常にエンターテインメントな映画であるという・・・まぁ、フクザツな映画ですね。

貧困、怖い。
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by kude104 | 2009-05-01 22:02 | 映画