世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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On Off and Beyond: 海外で勉強して働こう

最近、原丈人さんの「新しい資本主義」を読んだこともあって、「日本はもう立ち直れない」という感じは、ぼくにはあまりありません。
もっとも、原さんの「日本は希望の大国だ」という見方にも、それはそれで「ちょっと大げさでは」という気はするのですが。
楽観はできないにしても、そう悲観したもんじゃないでしょ、という思いはあります。

そもそも、今の日本って、そんなに閉塞感漂っていますでしょうか。
たしかに、ニュースなどを見ていると、政治も経済も澱んでいる感はありますが、それでも諸外国に比べればずいぶんましなほうだと思うのだけれど。

たとえば、貧富の差は、アメリカのほうが深刻なイメージがあります。
上記エントリーで挙げられている「貧富の差は激しく、一部の著しい金持ちと、未来に希望を持てない多くの貧困層に分離、金持ちは誘拐を恐れて暮らす」というシナリオなら、日本よりもアメリカのほうがあり得る気がするのは、ぼくが彼の国をよく知らないからでしょうか。
現地の雰囲気は違うのかな。


とはいえ。
これからのことを考えると、日本だけにしがみついていてはダメだというのは、まったくその通りで。
日本人がどんどん海外に出て学び働くのは、とてもいいことだと思います。

ただ、「日本はもうダメだから海外に逃げましょう」というメッセージには、なんというか、志がない。
みんな、なんだかんだいって、やっぱり自分の国が好きだと思うんですよね。
親兄弟や友だちなどなど、全員は連れてはいけませんよね。
ならば、そうした多くの人たちを沈みゆく船に残して、自分たちだけ逃げましょうと言われても、なかなか心は奮い立たないでしょう。
上記エントリーを読んで、「よし、自分も海外に行こう!」というひとを、ぼくはあまり好きになれそうにない気がします。

そうじゃなくて。
もし日本が本当にやばいなら、なんとかして救うべきだと訴える。
そのためには、日本の中にいてはダメだ。
一度海外に出て、そこで広い視野を得て、知識と経験を蓄えよ。
そうして力を得たのちに、日本に戻って、あなたの大切な人たちのために力を使いましょう、と呼びかけるならば、心奮わす人も多々現れるんじゃないかなぁ。

人を動かすには、嘘でも、何かしらの「大義」が必要だろうと思います。
自分自身のことだけでもって海外に行こうという人は、なにも言わなくても行くでしょう。

そうか。
みんなダメだダメだというばかりで、誰も大義を語らないから閉塞感が広がるのかな。
ぼくもはやく何がしかの力をつけて、「日本は希望の大国だ」とか言えるようになりたいです。
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by kude104 | 2009-04-28 19:10
戦争を知らないぼくたちに戦後責任は存在するか? - Something Orange

この記事で言及されている山本さんの発言の要旨は「日本とか中国とか在日とかそういったラベリングの集団論で片付けていると、『個人の責任』を見失いますよ」というところにあるのではないかと思います。
ただ、その話の枕に「日本は中国に謝罪すべきか?」というデリケートな話を持ってきてしまったがために、本題よりも枕のほうがメイントピックになっちゃった感がありますね。

少なくとも、「謝罪する必要はない」とする山本さんの発言は、言うならば「戦中責任」について述べたものであり、kaienさんの仰る「戦後責任」とは、また別のお話になるように思います。


それはそれとして。
この記事を読んで、「戦後責任」についてのぼくの考えはというと。

国家として、今の日本に「戦後責任」があるかというと、あるでしょう。
国家にあるということは、その主権者である国民たる我々にも「戦後責任」がある、ということでよいかと思います。

今の日本という国が、大日本帝国、あるいはそれ以前と「同一」であるかというのは、厳密なところはよく分かりませんが、まぁいちおう日本は大和朝廷くらいからずっと天皇家が治める単一王朝ということになっているのかな。
別の王朝が打ち建てられたわけでもないし、異民族の国家に変わったわけでもないし、まぁ諸外国の扱いとして「同じ」と考えるべきだろうと思います。
せいぜい、政権や政治体制の交代レベルの認識でしょう。
われわれの意識としても、「日本」の誕生が戦後からという感じではありませんし。

だとすると、日本という国家には戦争を行った過去がある、ということになります。
ならば当然、今の日本に「戦後責任」はあるだろうと思うのです。

ただ、ぼくの思う「戦後責任」というのは、「過去の戦争で犯した罪に対する直接的な責任」ではなくて(それはまた別の責任のお話)、「かつて戦争をした」ということを踏まえて、今、そしてこれから、日本という国家がどうあるべきかということについての責任、という意味です。
kaienさんの仰る「戦後責任」というのも、たぶん同じ意味だろうと思います。

「戦後責任を持つ」=「謝罪と賠償」ではない。
戦後責任というのは、そんな小さなものではない。

ある人にとっては、「もう二度と戦争を起こさない」ことが戦後責任になるでしょう。
またある人にとっては、「もう二度と負ける戦争はしない」ことが戦後責任であるかもしれません。
言論の自由を守ることが戦後責任である人もいるでしょうし、参政することが戦後責任である人もいるでしょう。
国際貢献であるとか、そうしたことも戦後責任とは無関係ではありません。

要するに、あの戦争を教訓として、これからの日本にどう活かすかということですね。
何も学ばず、同じ失敗を繰り返すなら、それこそが「無責任」な行為じゃないでしょうか。

なので、戦後責任のまず第一歩は、あの戦争について知ること、考えることであろうと思います。
今回のこの記事も、戦後責任のひとつなのだ。
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by kude104 | 2009-04-25 22:23

今日のテレビ雑感

テレビのチャンネルザッピング中に「クイズ!ヘキサゴン II」の番組終わりをちらっと見たのだけど、なんか、出演者が唄うCDの宣伝がやたらと流れて面白かった。
どんだけCD出してんねん、と。
お前、テレビショッピングかと。

最近のテレビ業界は広告収入が激減していると聞くけれど、なるほど、なりふり構っていられない感じがする。
今までのテレビが番組の合間にスポンサーCMを流すというスタイルだったのに対して、これは、番組自体を番組グッズのCMと位置付けて商売しているような気がする。
いやまあ、番組自体は見ていないので、知らないんですけどね。

「広告収入が激減」つながりで言えば、「1億人の大質問!? 笑ってコラえて!」について。
この4月から放送時間が変わったのですが、引っ越し後、番組の内容自体はほとんど変わっていないようなんだけど、ゲスト出演者の数が半分くらいになっていて笑った。
なんという分かりやすい人員削減。
「引っ越してリニューアル!」みたいな顔で、こっそり削減しているところがカワイイ。
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by kude104 | 2009-04-22 23:59 | テレビ
男たちの反乱が始まった こういう女はやめとけ

先日、ある女からこんな事を言われた。

「女は、恋愛におけるアプローチ、誘うことも、デートのセッティングもする心づもりがある。もちろんワリカンで。しかし、女からの積極的なアプローチには、男は引いてしまう。結局、『男は女を養わないと』『女をリードしないと』といった『男らしさ』『男役割』に、男は自らしがみついているのだ」
はたしてそれは「女」から「男」に限った話なのだろうか?

たとえば、「女からの積極的なアプローチには、男は引いてしまう」という発言から性別を表す単語を抜いてみると、「積極的なアプローチに引いてしまう」となる。
「積極的なアプローチ」というのがどれくらいのレベルかにもよりますが、男女に限らず、恋愛に限らず、こちらにとって興味のない相手からぐいぐい来られたら、そりゃ引くよね。
男も女も関係ないと思うのですが。

それとも、男からの積極的なアプローチには、女は引かないのでしょうか?
・・・ほんとかなぁ。
それって「ただしイケメンに限る」とか、単にちやほやされるのが嬉しいだけとか、そういうことじゃなくて?

ワリカンは──まぁたしかに、ちょっと「ここは俺が払うから」ってカッコ付けたくはなるね。
たとえばいいレストランとかそれなりの場所で女に払ってもらうのはカッコワルイという価値観は、たしかにある。
相手が同じくらいの稼ぎで、しかもワリカンでいいっていうなら、強いて「俺が払う」を貫こうとも思わないけど。
個人的には、「今回は俺が払うから、次は君が払って」って感じで、交互に奢り奢られるのが好きだけどね。


J-CASTニュース : 好きな男性は「俺についてこい」型 女性は意外に「上から目線」が好き?

まぁ、世間にはこーゆー情報があふれているので、お互いに相手の価値観を探り探りしている段階では、とりあえず「男がリードする」ということで進めるのが一番スムーズにことが運ぶだろうとは思います。
「あなたがリードする? それとも私がリードする?」という探り合いをやらなくていいぶん、楽でしょう。

でも、そうして第一段階をクリアしたら、あとは「対等に付き合いたい」という意思表示をすればいいんじゃないかと思います。
それに対して相手が「いや、俺がリードする」と主張するなら、そこから先は、お互いの価値観の違いにどう折り合いをつけるかという話でしょう。
恋愛に限らず、人と人との付き合いというのは、相手の価値観をどう尊重するか、自分の価値観をどう尊重してもらうかという、そのすり合わせだろうと思います。
それがうまくできない相手とは、どの道うまく付き合えないのですから。

そこで、「男って」「女って」などと男女論に逃げて価値観のすり合わせを放棄すれば、そりゃ上手くいかないのは当たり前じゃないでしょうか。
なのに、恋愛になると、そういうひと多いですよね。
愛があればどうにかなると思っちゃうからかな。
それこそ「恋愛らしさ」にしがみついているだけじゃなかろうか。

あなたが相手にすべきなのは、「男(あるいは女)」じゃなくて「○○さん」という個人ですよ、と。
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by kude104 | 2009-04-18 23:40
このエキサイトブログというのは、独自のFlashコンテンツであるとかJavaScriptといったものを設置できません。
「いまどき・・・」という気もしますが、まぁ、安全性(および安定性)を考えてのことだろうと思えば、それはそれで納得できるのですが。

ただ、独自のアクセス解析ツールを設置できないのは、なかなかに不満である。

標準機能としてのアクセス解析は、単に日々のユニークユーザ数を確認できるだけのものです。
で、このブログの右っかわに「ネームカード」というものがありますが、これを設置すれば、より高機能なアクセス解析ができるようになりますよ、というのですが。

この時点で、やり方として「姑息な」という気はします。
高機能なアクセス解析を釣り餌に「ネームカード」を使わせようというわけですから。

とはいえ、それもまぁ良い。
運営側としてそうしたい気持ちはわかるし、無料で使っている身としては、その程度の「協力」は「利用料」としてしょうがないことだと思うし。

でも、このネームカードのアクセス解析が役にたたねーのは、ちょっとどうかと思う。

ネームカードのアクセス解析で確認できるデータは、まずは日々のページビュー。
これも、ページごとのデータなどもちろんなくて、全体のページビューのみ。

ブログを更新すると、けっこうページビューが上がるので、設置した当初は「ふむふむ。なるほど。やはり更新すると読んでもらえるんだなー」と喜んでいたのですが、しばらくして、標準機能のほうのアクセス解析(こちらはユニークユーザ数)では、さほど変化がないことに気付きまして。
ということは、これってもしかして、ブログを書くときに、ぼくはけっこう頻繁にプレビューを確認するのだけど、それがカウントされているだけではないのか?とか。
更新を検知して検索エンジンのクローラーがアクセスしてくるのをカウントしているのではないか?とか。
ページビューの内訳が分からないから、数字だけを見せられても、ぜんっぜん役に立たない。

ページビュー以外には、「リンク元ランキング」が確認できます。
でも、こちらもイマイチ使えない。
「リンク元」をドメイン単位でまとめているものだから、まず、ランキングの上位は検索サイトが占める結果になります。
「www.google.co.jp」や「search.yahoo.co.jp」をリンク元として表示して、なんの意味があるのかと問いたい。

そして、それ以上に致命的なのは、ドメイン単位でまとめているものだから、たとえばどこかのブログからリンクを貰っても、こちらに表示されるのはドメインだけなので、実際にどの記事でリンクしてもらっているのか分からないのですよ。

こちらのどの記事に対してのリンクかというのも、当然分かりませんし。
この「リンク元ランキング」をもとに当ブログへのリンクを実際に確認できたのは、今のところ1~2件くらいしかないですねぇ。

唯一、「検索ワードランキング」は、まぁ使えるかな。
これも10個しか確認できないとか、そのキーワードで実際にヒットした記事が分からないとか、いろいろ不満点はありますが。
最近の傾向で言えば、更新に合わせて上位の検索ワードが「Rの刻印」から「鉄人兵団」に移っていく様が確認できておもしろかったです。

とまぁ、そんな感じで。
ぼくとしては、このネームカードのアクセス解析で「標準」くらいの位置付けだろうと思います。
「高機能アクセス解析」を期待してわざわざネームカードを利用しただけに、がっかり感は否めない。

エキサイトブログの有料サービスにも「高機能なアクセス解析」は謳われてないので、たぶん、エキサイトブログのアクセス解析はこれしかないのだろうと思います。
「高機能なアクセス解析が欲しければ有料サービスをご利用ください」という商売なら分かるんだけど。
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by kude104 | 2009-04-17 19:23 | PC&ネット

できない自分を認める

出来ない自分を認める人達|ヨコオタロウの日記

なぜ、できない自分を認める事で気持ちが楽になるのかをぼくなりに考えてみると。

ブログ主さんも書かれているように、「出来ない自分を認めると、気持ちが楽になる」という言葉の裏には、「なんで俺は出来ないんだろう!苦しい!」という状況がある。
では、なぜ苦しいのか?という点について、ブログ主さんは「周囲に謎のプレッシャーでもかけられているんだろうか?」と考えておられますが。

「なんで俺は出来ないんだろう!苦しい!」という言葉の裏をさらに読み解くと、そこには「俺ならできるはずだ!」という思いが隠れているように思う。
できるはずだと思うのにできないから苦しいのだ。

できるはずなのにできない。
なぜだ?
運が悪いから?
あいつが悪いから?
もしかして、本当は、俺が無能だからじゃないのか・・・?
いやいや! そんなはずはない!
俺はできるはずだ!
今回はたまたま運が悪かっただけだ!

できない自分を認めないということは、自分の能力不足ゆえにできない物事の理由が分からないということだ。
理由が変わらないから、何度やっても上手くいかない。
「俺はできるはず。なのにできない」という失敗を何度でも何度でも何度でも繰り返すことになる。
それはまさに、無間地獄。
苦しくなかろうはずがない。

そこでようやく、できない自分を認めることができたとしよう。
そうか、自分の能力値が足りていなかったんだと。
今までずっと「なぜダメなんだ、どうして出来ないんだ」と延々悩んできたけれど、なんだそんな簡単なことだったんだと。
分かってしまえば、いままであれだけ彷徨っていたのがウソのように、いともあっさりと無間地獄を抜け出すことができるので。
だから、楽になるのだろうと思う。

どうやって抜け出すか──諦めるのか、努力するのか、他人の助力を仰ぐのか──は、人それぞれで。
重要なのは抜け出す方法が「楽」かどうかではなく、いままでの堂々巡りが終わることにある。


もしくは、虚勢を張る必要がなくなるから、というパターンもあるだろう。

自分でも自分の能力不足は認識しているのだけど、相手にそう思われたくはないというケース。
思われたくないから、無理をするわけだ。
プライドの高い人に多いケースだね。

この場合「できない自分を認める」とは、「できない」と他人に評価されることを認める、ということだ。
認めてしまえば、虚勢を張る必要が無くなる。
ゆえに楽になる。

K-1のたとえで言うなら、本当は弱いのに「強い」と思わせるのは疲れる、ということだ。
八百長試合を組んだり、負けそうな試合はうまくスルーしたり、負けた時にはそれっぽい言い訳を用意したり、「いかにも強そうなやつ」を演じたり。
いつボロが出るかとびくびくしながら生きるのは、しんどいだろうと思う。


自己啓発っぽい話になってしまうけれど、結局はよくある「ありのままの自分を認める」という話になるのだろうなと思う。
自分を偽るとしんどいよと。
無意識に偽ると現実とのギャップに苦しむことになるし、意識的に偽ると偽ることにエネルギーを必要とするし。

でも、そうと分かっていても、なかなか偽ることをやめられないのが人間だよね。
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by kude104 | 2009-04-13 18:54

どうでもいい話

NHKを観ていると、環境広告と言うのでしょうか、「明日のエコでは間に合わない」というキャッチコピーとともに、芸能人の方々がひとことメッセージを述べるというCMが流れることがあります。

たとえば、「夜寝るとき電気を消します」とか、「水の無駄遣いをしない」とか、うろ覚えですけど、そういうちょっとしたエコを心がけていますというメッセージを芸能人の方々が述べられるわけですが。

そのCMを観るたびに、毎回心の中で、「そんなエコでは間に合わない」というフレーズが浮かぶ──という話。

いやね、「明日のエコでは間に合わない」という逼迫したキャッチコピーを掲げているわりに、やってることしょぼいなーという。
明日のエコで間に合わないものが、その程度のエコで大丈夫なの?と。

* * *

綾瀬はるかさんが主演する「おっぱいバレー」という映画がもうじき公開されます。
ぼく、この手の青春スポコンコメディ系ってけっこう好きなんですが、これはさすがに、観にいけない。
チケット売り場で、受付のおねーさんに「おっぱいバレー、大人一枚」って、恥ずかしくてとても言えない。

これってたぶん、ぼくだけじゃないはず。
思春期の男子とかも、まず無理でしょ。

ということは、この映画、チケットを買う段階で客が敬遠してしまい、結果、内容の良し悪しに関わらずヒットしないのが目に見えているのではなかろうか。
マーケティングの人とか、誰かそのへん考えなかったのかなぁ。

でも、おっぱいバレーのチケットを買えば、受付のおねーさんに「おっぱいバレー」と言わせることができる、というマニアックな楽しみはあるよね。
と期待して行ったら、受付のおにーさんに当たってしまうというオチが目に浮かびます。
オトコに「おっぱいバレー」って言われたくないよな。
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by kude104 | 2009-04-11 18:39
前回の続き。

鉄人兵団にあえて「疵」と呼べるものがあるとするなら、それは「過去を作り変えることで危機を乗り切る」ラストであろうと思います。

その理由として、ひとつには、今回この手を使ったなら、次回あるいは前回、言ってしまえばすべての危機は、これと同様過去を作り変えることで乗り切ればいいじゃないかと観客に思われてしまってはいけないということ。
過去の作り変えというのは禁じ手に近いくらいの万能策なので、できることなら使わないのが無難です。

ふたつには、タイムパラドックスが発生してしまうこと。
もちろん、SFにおいてタイムパラドックスが発生すること自体は問題ではありません。
が、これはひとつ目の話にも通じますが、鉄人兵団の場合、タイムトラベルが危機を乗り切るためだけに伏線もなくラストでいきなり使用されます。
それゆえ、ご都合主義的な印象を与えてしまっているように思います。

みっつには、ジュドのところでも書きましたが、いくら敵でありロボットであるとはいえ、こちらの正義でもって一方的に消滅させてしまって良しとすることに、多少の居心地の悪さを覚えること。
ちょっと独裁的な感じがしますよね。
ま、多かれ少なかれ物語は独裁的にならざるを得ないのですが、それなら武力でもって屈服させるほうがまだ健全に思えます。
過去を作り変えて消滅させるというのは、屈服のさせ方としては、なんかちょっと圧倒的すぎるやろと。

そうした理由から、ラストを「過去の作り変え」以外で締めるアイデアをいくつか考えたのですが・・・悔しいかな、「過去の作り変え」以上のアイデアを思いつくことができませんでした。

それほどに、あのラストの展開は神すぎる!

しずかとリルルが過去に戻ってからのリルル消滅→天使になったの展開は、まさに神がかり的と言うほかありません。
鉄人兵団を名作たらしめている要素の8割は、このラストの展開にあるといってもいいんじゃなかろうか。
これを壊してしまっては、なんのためのリメイクだか分からなくなってしまいます。

あのラストを保つためには、どう考えても、リルルはやはり消滅しなければなるまい。
単に壊れるとかではダメでしょう。
あの、握手を交わした瞬間に跡形もなく消滅するところがたまらない。
消滅して、そして、天使に生まれ変わらなければならない。
消滅するだけでは悲劇が勝ちすぎるところを、最後に「天使になった」という希望を残すバランスが素晴らしい。
メカトピアの建国神話はもとより、思えば序盤にリルルが空を飛ぶことすら、リルルが天使になることへの伏線だし。

リルルを消滅させ、しかも「天使に生まれ変わったに違いない」という希望を残す展開を可能にするアイデアなんて、過去を作り変える以外にぼくには思いつきませんでした。
でも、せっかくのリメイクごっこの完結編をオリジナルのままで終わりとするのも面白くありませんから、せめてもの一工夫を加えてみよう。
以下、「見てるか、B級!?  ドラえもん のび太と鉄人兵団」を参考に、オリジナル版のラストを思い浮かべながらどうぞ。

しずかとリルルは過去に戻り博士にロボットを改造してくれと頼むのだけど、それは無理だと断られてしまいます。
「優しさ」や「思いやり」のような複雑な感情は、とてもプログラムできるものではないこと。
また、もし仮にできたとしても、それで本当に未来が変わるとは限らないこと。
未来は人々(この場合はロボットたち)の選択の積み重ねで作られるものだから、いくら過去の一点を作り変えたとしても、そんなものはこの先連綿と続く人々の選択の前では無意味に等しい。
ロボットたちが自らの意思で平和な未来を選択しなければ、それは訪れないのだと博士は言います。

ならば、わたしの記憶をアムとイムにコピーしてほしいとリルルは博士に頼みます。
わたしの記憶には地球で学んだ優しさが詰まっているから、それをメカトピアの未来に託したいと。
のび太やしずかたちと過ごした日々の思い出がみんなにもあれば、メカトピアはきっと平和な未来を選択してくれると信じているから。

そんなことをして、もし本当に未来が変わったなら、きみは消滅してしまうかもしれないぞ。
それでもいいのかと博士はリルルに尋ねます。
かまわない。
「だって、静香さん、私、本当の天国を作るのよ。
 そして私は、メカトピアの天使になるの」

博士はリルルの記憶をアムとイムにコピーします。
はたして本当にメカトピアは平和な未来を選択してくれるのか──!?

「リルル!!」
「静香さん、うまくいったみたいね。良かった……。
 今度生まれ変わったら……天使のようなロボットに──」
「リルル、あなたは今、天使になってるわ」
「うれしい……涙なんか流すロボットなんて、変よね?」
「二人は、ずっと友達よ」
「おともだち……」
「リルルー!!」

リルル消滅。
ロボット兵団も消滅。
このとき、ジュドにもひとこと別れのあいさつをさせてあげたいですね。
そして日常に帰って、のび太がリルル(の幻?)を見て、「そうさ、リルルは、天使さ」で、おしまい。


以上、6回に渡ってお送りしてきました「ドラえもん のび太と鉄人兵団」リメイクごっこ、これにて終了とさせていただきます。
長らくのお付き合い、まことにありがとうございました。
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by kude104 | 2009-04-08 23:59 | 映画
前回の続き。

ジュドが鏡面世界の出入り口を無理やり広げようとして大爆発するくだりをどうしようか悩みましたが、あまりよい代替案は浮かびませんでした。
とりあえず、しずかがリルルの看病をするシーンは必須なので、リルルは負傷しなければならない。
しかし、のび太たちがリルルに危害を加えるわけにはいかないから、負傷は事故によるものとするのが望ましい。
となると、やはり「出入り口を無理やり広げようとして大爆発」とするのが、流れ的に無難かな、と。

ただ、出入り口である湖は無理やり広げずとも十分広いので、一工夫しておこう。
湖への逃げ道を先回りで塞がれたのび太とドラえもんは、「おざしきつり堀」なり何か別の水面なりを出入り口に変えて脱出──としておけば、「そこをジュドが無理やり広げようとして」につながりますよね。
このときついでに「鏡面世界の出入り口は閉じられない」という設定についても説明しておくと良いでしょう(つまり、爆発で出入り口は閉じない)。

他、変更点としては、ジュドの頭脳を改造して仲間に加えるくだりが無くなるので、かわりに大爆発の後、ジュドはのび太たちに捕獲されることにしましょう。
のび太たちとしては、ジュドはまだ敵側ですので放置しておくわけにはいかず、かといって破壊するのも心情的にできないでしょう。
捕獲しておくのが一番です。
リルル同様、一部故障しており、それを修理するためという理由でもいいですね。
巨大ロボの状態では捕獲するのも大変ですから、球体(頭脳)だけを取り出して捕獲する形がよいかと思います。
スモールライトで小さくして・・・というのは、絵的に面白くないですし。

これで、しずかの看病を受けるリルルとそれを見ているジュド、という図式を作ることができ、リルルはもちろんジュドにも「人間の優しさ」を知る機会が得られます。
むしろ、看病されるリルルよりも、その様子をずっと見ているジュドのほうが、より詳しく知ることができるかもしれませんね。

このあとリルルが逃亡するとき、ジュドも一緒に連れて行きます。
リルルは司令官に計画中止を訴えて捉えられ、一方ジュドは「お前ははやく身体に戻れ」ということで、再び巨大ロボに戻ります。

そしていよいよ湖での最終決戦。
メカトピア軍を迎え撃つのび太たちですが、せっかく倒したロボットも仲間のロボットたちに回収され、修理されて再び現れるというふうにしましょう。
「もっと木っ端みじんにする道具ないの!?」
「無茶言うな、ぼくは子守ロボットだぞ!」
みたいなやりとりを入れておくことで、ドラえもんの道具が兵器ではないことを示しておくと良いのではないでしょうか。

そんなふうにアップアップしているところに、いよいよジュドが現れます。
「やっぱり敵として現れたか! でも、あんな巨大ロボに勝ち目ないよ・・・」と思ったら、なんとジュドがのび太たちの味方になって戦ってくれる!という展開は、べただけどアツいんじゃないかな。
ジュドには、これまでのうっ憤を晴らすがごとく、巨大ロボ状態で思いっきり暴れていただきましょう。

──と駆け足ですが、ようやくここまで漕ぎ着けて。
次回はいよいよラストです。
鉄人兵団最大のツッコミポイントである「過去の作り変え」について、乞うご期待。
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by kude104 | 2009-04-03 22:20 | 映画

ヤッターマン

4月1日はネットニュース見るのめんどくせー。
ページ開いてから「あ、ウソか」ってなるの、ほんとやめてもらっていいですかね。


──と愚痴から始まる今回は、毎月恒例映画サービスデーのお話。
今回観たのは、「ヤッターマン」です。
これ、ずっと観たかったんだよねー。
観たかったのは、正確には、ドロンジョ様だけど。

感想は、大満足です。

いやもうね、映画としては、バカバカしいですよ。
物語的には、「感動あり」とか言ってますけど、しょーもないですよ。
でもいい。
この映画は、とにかくドロンボー一味が映っていればそれだけで楽しいと、そういう映画だから。

あのただでさえ個性的なアニメのキャラクターを実写化して、一ミリの違和感も感じさせないんだからすごい。
なんというキャスティング。
まさに奇跡としか言いようがない。

まず何と言ってもドロンジョ様ね。
深田ドロンジョ。
すごくいい。
アニメのドロンジョ様はぼくの中では「セクシーなおばさん」というイメージなんだけど(たぶん、子どものころに見た記憶でそうなっちゃったんだな)、深田ドロンジョ様は「セクシーな女の子」って感じで良い。
声やしぐさが子どもっぽいところがまた、セクシーな見た目とのギャップで、いいね。

そして、生瀬ボヤッキー。
実写化するにあたって一番難しいキャラクターがこのボヤッキーだと思うけど、それを完璧になりきっているのだからすごいよね。
深田ドロンジョに目を奪われがちだけど、生瀬ボヤッキーこそが今回のMVPでしょう。

劇場には子供連れがけっこう見受けられましたが、この映画、ターゲットはどう見ても大人ですよね。
一応子どもにも配慮してありますが、大人が見るとそうとわかるエロネタや下ネタがけっこうあったりしますし。
あと、意外と(でもないのかな)女性客が多かった。
観終わって劇場でるとき、きゃっきゃと喜んでいる女性客が多かったのが、ちょっと意外でした。
ぼくの前にいた女性もそんな感じだったので、嵐の櫻井くんのファンなのかなと思っていると、ケンコバの魅力について熱く語っていたのが、なんとなく、「ああ、なるほど」という感じでした。
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by kude104 | 2009-04-02 17:43 | 映画