世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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<   2009年 03月 ( 13 )   > この月の画像一覧

前回の続き。
のび太、しずか、ドラえもん、リルル、ジュド(球体)でジュドの身体を組み立てるという展開で。

パーツの組み立てが完成するまでに、物語内時間でだいたい1週間くらいでしょうか。
その間、当然「今日はもう遅いから家に帰って、作業はまた明日」ということになります。
でも、リルルたちには帰宅するべき家がありません。

のび太「あれ、キミたちは家に帰らないの?」
リルル「ワタシの家は遠いから」
のび太「そうか、外国から来ているんだもんね(のび太はリルルを外国人だと思っている)」
しずか「じゃあ、ごはんやお風呂はどうするの?」
リルル「(鏡面世界の)そのへんの家を使うわ」
しずか「それじゃさびしいでしょ。そうだ、私のうちにいらっしゃいよ」

リルルとしても、人間社会を詳しく調査できるし、のび太たちが秘密を漏らさないか見張るためにも好都合です。
そこで、リルルはしずかの家に、ジュドはのび太の家にて、パーツ完成まで一緒に暮らします。

パーツを組み立てるだけじゃなく、一緒に生活もすることで、彼らの親密感はより一層深まることでしょう。
のび太たちと共に過ごす時間を長くとればとるほど、リルルの変化もより説得力を持つし、観客たちもリルルに深く感情移入し、ラストの別れがより一層ドラマチックになるというものです。

また、鉄人兵団と言えばリルルとしずかの交流の物語でもあるのだけれど、オリジナルでは親しくなる前に別れが来てしまい、一緒に過ごす時間はそれほど長くありません。
だからせめてリメイク版では、彼女たちが仲良く過ごすことのできる時間を作ってあげたいというファン心でもありますね。
リルルとしずかが一緒にお風呂に入るサービスショットも、ぜひ用意してあげたいものです(全国の男子に)。
尺に余裕があれば、しずかのパパとママがリルルに暖かく接するシーンを入れておくと、さらに効果的かと思います。

そうした時間も、組み立てが完成することで終わります。
完成して、とりあえずは巨大ロボとなったジュドのお披露目(空を飛んだりとか)をひととおり済ませた後、リルルとジュドはいよいよ基地の建設を開始します。
名目は、ジュドのための基地とかなんとか。

ジュドのビームで鏡面世界のビルを次々と破壊し基地の建設を始めるわけですが、のび太たちからしてみれば、いくら鏡面世界とはいえ、自分たちの町をドカドカ破壊されて平静ではいられないでしょう。
友だちがいきなり豹変するというか、「○○ってこんなやつだったんだ。思っていたのとは違うぞ」というときの居心地の悪い感じ、皆さんにも経験あるんじゃないでしょうか。

そんな感じで、のび太たちはリルルたちに近寄りがたいものを感じ、以後、鏡面世界から足が遠のいてしまいます。
しばらくして、「そういえば、リルルたちどうしているだろう」とふと気になったのび太が、久しぶりに鏡面世界を訪れてみると──オリジナルの、のび太がふたたび鏡面世界を訪れたら、ロボットがわらわらいて町がSFみたいになっていたというシーンに繋がります。

ちなみに、この展開だと、巨大ロボに「ザンダクロス」と名付ける機会がないのが残念です。
せっかくだから、この名前は使いたいんだけどなぁ。
強いて考えれば、巨大ロボとなったジュドに、のび太が勝手に「ザンダクロス」と名付けちゃうとかかなぁ。

続く。
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by kude104 | 2009-03-29 23:59 | 映画
前回の続き。
メカトピアの地球侵略が明らかになる前の部分を、のび太・ドラえもんたちとリルル・ジュドとの交流をメインに作り変えてみましょう。

まず、前回、鏡面世界の出入り口を閉じられない設定としたので、のび太の部屋から「おざしきつり堀」で鏡面世界に入るくだりは変えなければなりません。
「巨大なロボットのようだから、どうせなら、鏡面世界への出入り口は大きいほうがいい」とかなんとかいって、初めから最終防衛戦の舞台となる湖に出入り口を作ってしまいましょう。
でないと、あとから湖に出入り口を作る理由がありませんから。

次に、オリジナルではジュドの頭脳である球体が巨大ロボのパーツを呼び寄せる設定になっていますが、これを変更します。
頭脳とは別に、パーツを呼び寄せる「転送装置」を登場させよう。
のび太が拾うのは、この転送装置とします。
転送装置を鏡面世界に持ち込むことで、それ以降、パーツはダイレクトに鏡面世界に届きます。
こうしておけば、のちに鏡面世界に作った基地の転送装置でメカトピア軍が現れるという設定が理解しやすくなるでしょう。

で、いよいよ今回の本題です。
オリジナルでは、のび太とドラえもんの二人だけでロボットの組み立てを行いますが、これを変更します。
まず、組み立てを開始してすぐに、のび太はしずかにそのことを話して鏡面世界に誘います。
このとき、いきなりですが、その話をリルルに聴かれてしまうという展開に持っていきます。

──したがって、リルルの初登場はこの少し前。
のび太が北極から帰ったあたりか、初めて鏡面世界に入ったあとくらいになりますね。

話を聞いた時点でリルルとのび太たちを接触させていっしょに鏡面世界に行ってもいいし、ここでは一旦リルルはこっそりのび太たちの後をつけるにとどめて、後日接触する展開に持っていってもいい。
しずかが加わり、すぐにリルルが加わるとちょっと展開がバタバタしすぎる気もしますが、とはいえ、映画の時間尺を考えると、ここはテンポよく進めたいところでもあるし。
いずれにしても重要なのは、ロボットの組み立てが完成する前に、鏡面世界に、のび太、ドラえもん、しずか、リルル、ジュドを集めることです。

ジュド(の頭脳)は、オリジナルではママに物置にしまわれてしまいますが、普通にパーツと一緒に鏡面世界に持ち込むということで。
リルルが加わった時点で、球体がジュドの頭脳であることが明らかになり、ドラえもんの道具によって会話できるようになればよいかと思います。

この5人(2人と3体)で、ジュドの身体の組み立て作業を行います。
つまり、ジュドの身体を組み立てている間を、彼らが親しくなるための交流期間とするわけです。
やはり、仲良くなるには、一緒に協力してひとつの物を作るのが一番ですからね。

これにより、リメイク版のジュドは、前半が球体キャラクター、後半が巨大ロボキャラクターという、ちょっと面白いキャラになります。
球体のときにはいじられキャラのような立ち位置にしておくと、巨大ロボになった時にギャップが生まれて面白かろうと思います。

──といったところで、まだまだ続きます。
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by kude104 | 2009-03-28 21:08 | 映画
前回の続き。
鏡面世界の出入り口を壊してしまえば、戦わずにメカトピア軍を鏡面世界に閉じ込めることができてしまう点について。

たとえば、「現実世界の人間もしくは物質が鏡面世界にいる状態で、鏡面世界の出入り口を閉じることはできない」という設定を付け加えるというのはどうか。
あるいは、「鏡面世界の出入り口を閉じると、現実世界から鏡面世界に持ち込まれた人や物質はそのまま現実世界に戻る」でもいい。
いちおう未来の道具なんだし、使用者が誤って鏡面世界に閉じ込められてしまう事故が想定される以上、こうした安全装置が設けられていても不思議はない。

「出入り口を無理矢理広げようとして大爆発」のくだりに多少の変更が必要になりますが、それはどうとでもできるでしょう。
とりあえず、これで最後の地球防衛戦につながります。

ひとつ目の作り変えはこんな感じでいいとして、次、ふたつ目。
ふたつ目として個人的に気になるところは、メカトピア軍を迎え撃つにあたって、ザンダクロスことジュドの頭脳を改造して味方につけることろです。
いくらロボットとはいえ、脳みそ改造して味方につけちゃうのはどうだろうねぇ。
なにしろ、かたやリルルがロボットでありながら人間の心を獲得していくだけに、ロボットだから脳みそ改造してもOKと処理するには、ちと苦しい気がします。

加えて、鉄人兵団で、ロボットと人間の友好を唱えるのはリルルだけです。
人間側から見れば「リルル正しい」でOKなのですが、メカトピア側から見れば、たった一人(一体)の考えだけで最終的には歴史を書き換えられて消滅させられてしまうことになります。
たとえばここにもう一体、リルルの考えを支持するロボットがいるだけでも、ずいぶんと印象が違ってくるのではないか。
リルル一人だけがイレギュラー的にそう思ったのではなく、他のロボットたちも機会があればリルルと同じ考えに至ったはずだと思わせるには、もう一人誰か必要でしょう。
その役目をジュドに担ってもらうのはどうだろう。

つまり、ジュドもリルルと同様、のび太たちと接するうちに親しい感情が芽生え、最後は自らの意思でのび太たちに味方する、という展開です。
のび太たちのピンチにジュドが自らの意思で助けに現れるという展開は、きっとリメイク版の新たなドラマチックポイントになり得るでしょう。

ただ、自らの意思でのび太たちに味方することをジュドに決意させるためには、ジュドとのび太たちとの交流の機会を作らなければならない。
それには、ザンダクロスにジュドの頭脳を初めから、もしくはかなり早い段階で収めなければならず、この作り変えは少々難しいやもしれません。

もうひとつ。
リルルがロボットと人間の友好を考えるにあたって、ドラえもんの存在を上手く使えないものでしょうか。
同じロボットであるドラえもんとのび太たちとの関係に、人とロボットのあるべき姿を見る──と。
ドラえもんというお手本を置くことで、リルルの変化により説得力が生まれると思うし、鉄人兵団の中におけるドラえもんの立ち位置がより面白くなるのではないでしょうか。

といったあたりを考えると、物語の前半部分、メカトピアの地球侵略が明らかになる前の部分を、のび太・ドラえもんたちとリルル・ジュドとの交流をメインに作り変えてみたい。
これを大きくふたつ目の変更点としよう。

といったところで、またまた次回に続く。
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by kude104 | 2009-03-22 22:52 | 映画
さて、映画も観たことだし、先日コメント欄にてりゃりゃさんより「もしも鉄人兵団をリメイクするとしたら?」というお題を頂いたので、それについて考えてみよう。
今まさに考えながら書くので、無事に話がまとまるかは神のみぞ知るということで。

とりあえず、鉄人兵団ってどんな話だったっけ?という人もいらっしゃるでしょうし、ぼく自身記憶が薄れがちなところもあるので、「見てるか、B級!?  ドラえもん のび太と鉄人兵団」を参考資料に。
・・・ああ、これ読むだけで泣ける。
もうこのままで良くね?と思いつつ──。

まず最初に、鉄人兵団をリメイクするにあたり、作り変えるべきところはどこかという点を考えよう。
個人的に思い当たるひとつ目は、メカトピア軍を鏡面世界に誘い込むところですね。
いくらなんでも、湖に飛び込む時点で気付くだろう、と。
また、鏡面世界に入ってくるまでは大量のロボットたちが普通に宇宙空間を飛来してくるわけだから、人間たちが気付かないはずがないとも思うし。

そこで、メカトピア軍が無理なく鏡面世界にやってくる展開に作り替えてみよう。
そのためのアイデアとして、こんなのはどうだろうか。

メカトピア軍は遠い宇宙の果てからやってくるわけだから、当然ワープを使うだろう。
ならば、そのワープの出口が鏡面世界にあれば、メカトピア軍は人知れずダイレクトに鏡面世界にやってくることになる。
つまり、リルルたち先遣隊が地球で作る基地は、兵団のためのワープの出口である、という設定です。
ワープというか、いわゆるひとつの「転送装置」と考えたほうがしっくりくるかな。

メカトピア軍としては、地球を容易に制圧するために、大量のロボット兵を一気に送り込みたい。
そのためには、ワープの出口となる基地を建設する必要がある。
基地は、人間に見つからない場所に建設しなければならない。
基地建設場所として、当初は北極を考えていた。
リルルが鏡面世界の存在を知り、そちらに建設することに。
しかし、そこが鏡面世界であることを伝える前に、リルル離脱。

──といった感じでどうだろう。
で、メカトピア軍が、そこが鏡面世界であることを知る方法については、

隊長、地形が逆であることに気付く。
先遣隊として基地を建設していたロボットの記憶データを調べる。
鏡面世界であることを知る。

という流れでOKでしょう。
ただ問題は、メカトピア軍がダイレクトに鏡面世界にやってくる場合、鏡面世界の出入り口を壊してしまえば彼らを鏡面世界に閉じ込めることができてしまう点です。
これでは、最後の地球防衛戦が要らなくなってしまって困ります。

そこで──の先は、次回に続くということで。
書きはじめてみると、けっこう楽しいんだけど、意外と長くなりそうだな。
はたして、着地点は見つかるのか?
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by kude104 | 2009-03-20 18:29 | 映画
ということで今年も観てきました。
『映画ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』

感想としては、悪くなかった。
ここ近年で一番劇場で一緒に見ていたお子様たちがだれずに最後まで鑑賞していたんじゃなかろうか。
去年の『緑の巨人伝』がひどかっただけに、これで「もうずっとリメイクでいいじゃん」という印象をますます強くする結果に。

とはいえ、リメイク版にて今回新たに加えられていた変更点は、無くてもよかったんじゃないかという気はする。
特にモリーナ。
あれは要らないでしょ。
リメイクにあたって何か変えなきゃという事情は分からんではないけど、「余計なもの足しちゃったな」という印象のほうが強い。

あと、皆が皆同じ感想を持つであろうと思うけど、声優がね・・・。
特にクレム役のアヤカ・ウィルソンさんがひどかった。
モリーナ役の香里奈さんも上手くはなかったけど、クレムのまえにはかすんでみえる。
それくらい圧倒的だった。
クレムがしゃべるたびに、おれ苦笑、みたいな。
いったい、誰のどういう思惑でこういう人選になったんだろうか。

対して、こちらも皆が皆同じ感想を持つであろうと思うけど、チャミーが実にかわいい。
オリジナル版でもかわいかった記憶があるけど、リメイク版のチャミーは実に可愛らしいね。
われわれドラえもんファン一同は、チャミーがアヤカ・ウィルソンじゃなかったことを神に感謝せねばなるまい。

『宇宙開拓史』の魅力というものを改めて再確認するに、特に大長編ドラえもんの魅力というのは、子どもたちの「こんな世界に行ってみたい」という夢をかなえて見せるところにあると思う。
その点に置いて、『宇宙開拓史』というのは素晴らしい。
「のび太自身に訊く、大長編で旅した世界のうち、もう一度訪れてみたい世界ベストワンは?」という質問をしたならば、たぶんコーヤコーヤ星じゃなかろうか。
記憶では、オリジナル版のほうがコーヤコーヤ星の描写時間が多かったような印象があるけど、リメイク版でもまずまず十分その魅力は描けていたと思う。

あと、物語の中盤部分で、ジャイアンやらスネオやらといったいつものメンバーが登場しないというのも大きな特徴だね。
その代わりにチャミーやロップルといったゲストキャラとの交流が、大きなウェイトでもって描かれる。
普通ならジャイアンやらスネオやらもコーヤコーヤ星に連れて行って一緒に遊ばせたくなるところを、敢えてそうしないところが、さすが藤子・F・不二雄だ。
下手をしたら、ジャイアンスネオの影が薄くなりかねないのだが、最後の登場シーンが印象的だから、そうは感じさせないあたりもさすがだね。

というわけで、『新』である必要性はないけど、『宇宙開拓史』自体が面白いから『新』もまぁ悪くないよということで、小さなお子様をお持ちのお父さんお母さんは、今年はどうぞ安心して劇場に連れて行ってあげてください。
ま、強いてどちらかを挙げるなら、やはりオリジナル版のほうが完成度高いと思うけどね。
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by kude104 | 2009-03-18 21:52 | 映画
【家裁GJ】息子への輸血を「宗教上の理由」から拒んだ両親に対し、即日審判で親権を停止:アルファルファモザイク

ぼくも教義を重んじ輸血を拒否して死ぬのはバカらしいと思うくちですが、ここに寄せられているコメントの多くは「偏見」であるように思います。
ぼくもそうですが、コメントを寄せている多くの人も、おそらくその宗教に対してきちんとした知識を持っての発言ではなかろうと思います。
無知な批判は無知な信仰と五十歩百歩ではないかな。

ということで、無知なぼくの素朴な疑問を少々。
だれか答えご存知の方はいらっしゃいませんか?


エホバの人たちが輸血を拒否する理由というのは、たしか、神様が「動物の肉を食べてもいいけど、でも、血の付いた肉は食べちゃダメよ」と仰ったと聖書に書かれているから、だったと思う。
いちおう科学的な理由づけとして、輸血の危険性を挙げたりもしているようだけど、本命は「聖書に書かれているから」だろう。

ま、ぼくが思うに、「血のついた肉を食べちゃダメ」ってのは、たぶん、「肉は生で食べると腹下すぞ」的な生活の知恵じゃないかな。
昔の宗教って、たぶん、そうした生活の知恵や共同体のルールを「神の教え」ということで皆に守らせる役目を持っていたんじゃなかろうかというのがぼくの考え。

それはさておき。
そうは言っても、「血が付いた肉は食べちゃダメ」から「輸血ダメ」までには、えらく飛躍があるように思う。
「血が付いた肉は食べちゃダメ」→「血を食べちゃダメ」→「他人の血を体内に摂取してはダメ」→「輸血ダメ」になるのだろうけどね。
でも、聖書で神が禁止しているのは「血のついた肉を食べちゃダメ」である。
ダメなのは「血のついた肉」であって「血」じゃないし、「輸血」じゃなくて「食べること」だ。

「聖書のどこに神様が輸血を禁じるくだりがありますか? 神様は一切輸血を禁じてなどいないですよね」と問えば、彼らはどうこたえるのだろう。
おそらく、「血が付いた肉は食べちゃダメ」のくだりを持ち出してくるだろうけど、じゃあ、「肉」はなぜ良いのだろうか。
「血のついた肉」というものの主体はどう考えても「肉」にある。
肉は良いとする根拠はなんだろう。
肉を良いとするロジックで、血も良しとできる気がするのだけど。
知識がないので、良く分からん。

もし神様が明確に「輸血ダメ」と言っているなら、分かる。
そんな神様を好きになれるかどうかは別として、神様がそう言っているから従うというのは信仰として分かる。
でも、神様が言ってもいないことを、「血が付いた肉は食べちゃダメ」→「輸血ダメ」と勝手に解釈するのは、神に対する不遜であると考えたりしないのだろうか。

仮に、なるほど聖書に輸血を禁止する記述があるとしよう。
でも、たしかイエスも言われているではないですか。
「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない」と。
──などと、ぼくの半端な知識で論じても隙だらけかもしれないけれど。

戒律というのは人のためにあるのであって、人が戒律のためにあるのではない。
「神は愛です」と彼らは言うくらいだから、もし仮に神が輸血を禁じているとしても、生き死にの場面で戒律と人の命のどちらを神様が大切に思われるかといえば、「それはもちろん人の命です」と答えないと嘘でしょ。
たぶん、イエスさんなら「そりゃ人だろ常識で考えてw」って答えるだろう。
人の命より戒律を重んじる神様連れてきて「愛」を語らせるなと言いたい。

それでも、輸血禁止を貫くというのなら。
たとえばどうだろうね、もしものときのために、普段から自分の血をストックしておくというのは。
輸血に使用する血液の保存期間がどれくらいあるのか知らないけど、保存期間と献血(というか自分の血を抜く)量と周期とが釣り合うのならば。
教義的にも「自分の血なら輸血OK」くらいの譲歩はできるんじゃなかろうか。
自分の命をいたわることは、神の愛にもかなうんじゃないかな。

しょせん宗教だって解釈次第で白にも黒にもなるんだから(というと怒られるけど)、できる最大限で信者さんたちがハッピーになれるような解釈をしてあげてほしいものだと思う。
あの時代にそれをしたからこそ、イエスはメシアになれたんだろうと思う。
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by kude104 | 2009-03-15 23:59 | 時事・社会

Rの刻印 解決編

ようやく、待ちに待った読者参加型犯人当てミステリー「Rの刻印」の解決編が届きました。
ということで、今日はその答え合わせです。
例によって、未読の方やネタばれ無用な方はスルーしてください。


ざっくり言うと、見事9割方正解といったところでしょうか。
なんだかんだで犯人含めて大筋はすべて当たってたし。
トリッキーな引っ掛け等はなく、素直な問題だったというのが率直な感想です。

これはおそらく、たぶん基本的に「全員が正解しても構わない」というスタンスで問題が作成されたのだろうと思います。
安楽椅子探偵なんかだと、「いかに視聴者を引っ掛けて正解させないか」といった感じで作成されているように感じるけど。
このへんは、推理小説家(安楽椅子探偵のほうね)とミステリーイベントの企画者との違いでしょうね。

さて。
解決編で明かされた謎のうち、ぼくに解けていなかったものを挙げてみます。

1)
バンダルの殺害方法にて、「首吊りで死亡したように見せかける殺し方をした」という部分は、そこまで考えていなかった。

2)
バンダルと昇平のトリック工作にて、クレーンを使ったのだろうというところまでは考えていたけれど、あそこまでの詳しい手順は考えていなかった。

3)
「NIRE R」を「岸」と解読するというのは、全然思いつかなかった。
今回の解答で、これが一番「目からうろこ」だったなぁ。
石川県輪島市も思いつかなかったけど、これはさすがに「こじつけ」に過ぎると思うので。
「37IN」と見せかけて、実は「岸」でした!という回答だったら、完全にやられていた。

4)
ミックのアリバイについては、強いて考える必要性はないだろうと思っていたからというのもあるけど、確固たるアリバイがあった点は見落としていた。

──ざっとこんなところかな。

ところで、伊野部の死体を車でエスナに運ぶ件について、ブログのコメント欄でhimeさんから「実際には難しいのではないか」という情報を頂いていました。
解決編を読むと、そこのところはさらりと「距離や交通規制のことを考えると、運転手を金で雇った可能性もあります」と言及されていましたね。
これってたぶん、読者から寄せられた解答を読んで交通規制のことを知って、あわててフォローとして書き加えたんじゃないかなぁ。
だって、もし事前に知っていたら、実行可能であることを示す情報を忍ばせておいたはずだと思うから。

といった感じで、真相に意外性はなかったけれど、「そんなん分かるか!」という無理矢理感もなくて、良かったです。
面白かった。
ぜひまた第二弾をやってほしいです。

ちなみに。
エジプトナイルクルーズツアーが貰えるという「最優秀名探偵賞」ですが、残念ながらというか当然ながら、獲れませんでした。
4)を書けていたら、あるいは・・・と思ったりもするけどねー。

その代わり、「優秀名探偵賞」として「陶器製マグカップ」貰っちゃいました!
今日郵送で送られてきてびっくりした。

包みを解いて開けてみたら、なんかほんとにエジプトの町の雑貨屋で買ったような、新品感のかけらもないくたびれたパッケージが出てきてちょっと笑った。
スタッフの人が取材の時にお買いになったんでしょうねー。
もったいなくて使えないから、記念として大切に保管しておきます。
どうもありがとうございました。
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by kude104 | 2009-03-13 22:24 |

Answer堀北

堀北真希さんが出演されているドコモのTVCMがなんか気になる。
たとえば、今やっている「バイトはじめる」篇だけど──。

堀北さんのバイト先の先輩(男性)がいきなり彼女に「かわいいじゃん。そのケータイ・・・と、君もね」と話しかけるというもの。
いやいやいやいや、初対面かどうかは分からないけど、少なくともそんなに親しくなさげな女性に対して、平気でこんなセリフを言うやつってどうなの?
気持ち悪くない?
もしぼくがこんなこと言われたら、引くわー。
と思うのに、言われた堀北さんは「かっこいいかも」とか言っちゃってるのね。
えぇ~、女性って、そーゆーもんなの?

だって、これを男性と女性とを置き換えて考えてみるとだな。
バイト先のさほど親しくない美人先輩にいきなり「かっこいいじゃん。そのケータイ・・・と、君もね」って言われるわけでしょ?
・・・あれ、悪くないね。
うむ、それは惚れてまうかも。
惚れてまうかもー!

このCMシリーズで言えば、「STYLE実感」篇はけっこう好きだった。

その前の回で堀北さんが彼氏にフラれるシーンがあって。
「自分でこたえを見つけて、自分のスタイルを作っていくしかないんだ」という内容を受けてのこの回です。
で、さっそく「自分のスタイル」を披露する彼女に、友人たちは「新しい恋に、新しいケータイってわけだ」と感想を述べるのね。

付き合う相手に合わせて趣味やファッションまでがらりと変わっちゃう人っていますが、この一言が彼女のそういう性格を端的に表していておもしろい。
「そんなワタシと決別する!」とばかりに、自分なりのスタイルに一新したつもりなのに、友だちには「はいはい、またオトコが変わったのね」と軽くあしらわれてしまうという。
友人にそんなふうに思われている彼女って。

だから、最後の「似合ってるね、ソレ」というセリフは、オトコに合わせたスタイルじゃなくて、あなた自身のスタイルとして「似合っている」という意味合いを持つわけだ。
そんなふうに評価してくれる人がいて良かったね──と思っていたら。

「恋の先輩」篇で、たぶん相も変わらず「彼氏が出来たらメールしまくりだよ」とか話している堀北さんを観て、「ダメだこいつ」と思った・・・という話。
そりゃ友人に「新しい恋に、新しいケータイってわけだ」って言われるわけだ。
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by kude104 | 2009-03-10 19:47 | テレビ

ビジネスと文化

最近の若者は日本の文化を殺そうとしているのではないか

ビジネスと文化の話は、分けて考えたほうが良いのではないかと思う。
文化にお金を払うということと、商品に対価を払うこととは違う。
個人的には、商品に文化的価値を訴えてお金を払ってもらうようになったら、ビジネスとしてお仕舞いだと思う。
そうなってしまった「文化」は、伝統芸能みたく、国からお金を貰ったり有志の保存会で保存に努めたりして存続させるしかないだろうな。

「音楽はタダでいい」というのは、ビジネスの枠組みで考えるなら、要するに「胡椒一粒に黄金一粒の価値はなくなった」ということだろうと思う。
昔は胡椒はなかなか手に入らない貴重品だったので高い値がついたけど、技術の発達により容易に手に入るようになって稀少性が失われてしまった、と。
あるいは、「塩の専売」のたとえのほうがいいかな。

要するに、技術的進歩により、音楽をCD等にパッケージングして販売するという商売が時代遅れになってしまったということだ。
音楽の、たとえばアルバム1枚3000円という値段設定は、インターネット以前のCDによる供給ということでの価格設定である。
決して、それが音楽そのものの価値というわけではない。
大航海時代に船で胡椒を運んでいた価格設定のまま、今の時代に据え置きでいられるはずがないのと同じことだ。

「違法コピー許すまじ」というのは、それはそれで正しいと思う。
いくら胡椒の価値が下がっているとはいえ、海賊行為で積み荷を奪ってよいわけではないからね。
が、その一方で、もはや「胡椒一粒、黄金一粒」の時代ではなくなったことも認めねばなるまい。

だから、もしまだ音楽をビジネスとして残したいならば、考えるべきはCDに代わる音楽の新たな商品化のアイデアだろう。
しかしながら、おそらくは、ビジネスとしての音楽は縮小せざるを得ないだろうなぁ。
でも、それで音楽文化が死ぬとは思わないけどね。
今までの音楽ビジネスが過剰だったのだと思う。

少なくとも、いつの時代も、消費者は文化的価値を鑑みてお金を払ってくれるわけではないと思う。
そんなものはあてにしちゃいけない。
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by kude104 | 2009-03-09 23:59
ABlog テレビって面白い!!!       ただし20年前の

たぶんだけど、テレビ局は面白い番組を作ることが仕事じゃない。
視聴率が稼げる番組を作ることが仕事なんだ。
なぜなら、テレビ局のお客様はスポンサーだから。

スポンサーがお金を出すか出さないかの基準は番組の面白さじゃない。
どれだけの宣伝効果が見込めるかだ。
だから、面白い番組を作ることは視聴率を上げるための手段であって目的じゃない。

昔の番組が視聴率を気にせずにやれたのは、昔はテレビという媒体そのものの広告価値が高かったからじゃないかと思う。
スポンサーになりたい企業など、いくらでもいた時代だろう。
言うなれば、客のほうを向いて商売しなくても売れる時代だったというわけだ。

なぜテレビ番組は視聴率という「その番組の全体的な価値を計るにはあまりにも情報量の少ない数字」で測られるのか。
おそらく、ひとつには先ほど言ったように、昔はテレビ自体の広告価値が高かったので、その程度の情報量で充分だったのだろう。
でも今、視聴率の有効性はかなり薄れた。

じゃあ、視聴率に代わる新たな指標を導入しましょうとなると、困るのはおそらくテレビ局だろう。
スポンサーが欲しい指標は、番組の実際の広告効果を測る数値だ。
でも、そんなものは容易に計測できないし、仮にできたとしたても、下手をしたら「テレビには思ったほど広告効果はない」という結果が出て、自分で自分の首を絞めかねない。

視聴率の代わりに、たとえば「視聴満足度」のようなものを導入したとしても、それが広告効果とどう結びつくのかを説明しなければ、スポンサーにとって意味がない。
でも、「視聴満足度がこれくらいのとき、広告効果はこれくらいになる」というのを示そうものなら、先ほどと同様、下手をしたら「テレビには思ったほど広告効果はない」という結果が出て、自分で自分の首を絞めかねない。

だからたぶん、テレビ局側は動けない。
泥舟と知りつつ、視聴率に乗っかっていくしかないのだろう。

幸か不幸か、テレビの広告収入はどんどん下がっているみたいだから、いずれそのうち視聴率を気にして番組を作ったところでペイできない状況になるかもしれない。
そうなれば、ペイ・パー・ビューやパッケージ販売など、番組をコンテンツとして販売して収益化を測らなければならなくなるだろうから、そこでようやく「視聴者のほうを向いた面白い番組作り」ができるかもしれない。

あるいは、地方の地元ケーブルテレビのような番組ばかりになっちゃうかもしれないけど。
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by kude104 | 2009-03-06 22:26 | テレビ