世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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大学院に進む人の9割は死んでいい

日本の科学を飛躍的に発展させたいんなら、カネとヒトを集めてくりゃ済むだけの話で。
というか、それが一番重要な事柄で。
べつに大学院生の9割が自殺したって、なんの意味もないだろうさ。
「死ぬ気で研究しろ」という精神論は、たしかに日本人お得意のものだけど、戦前じゃあるまいし。

優秀な1割の人間だけをピンポイントで集めることはできなくて、10人集めて研究させてみて、優秀な1人が見つかるかどうかだろう。
10人しか集められなければ優秀な人材は1人しか見つからなくて、100人集められれば10人見つかる。
つまりは、いかに母数を大きくするかが重要なわけで。

となれば。
9割が自殺してしまうようなところに人が集まるはずがない。
そんなやり方はダメに決まっている。
自分が命懸けで事に臨むのは良いけど、他人に命懸けを強要するのはダメでしょ。
そんなやり方で上手くいった例を、歴史上ぼくは見たことがない。

それと。
「結果」の出せなかった研究であっても、「この方法では望む結果が出ない」という結果を残すことはできる。
たしかに自分には望む結果を出すことはできないけれど、後に続く研究者のために、ひとつ間違いルートをつぶしてあげることはできる。
そうした積み重ねで科学は進歩していくんじゃなかろうか。

企業なら結果結果にならざるを得ないだろうけど、せめて大学くらいは、ひとつひとつ間違いルートをつぶすような研究をやってほしいと思う。
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by kude104 | 2009-02-25 23:54

恋愛は面倒くさい

「恋愛は面倒くさい」、低体温なアラサー女子たち:日経ビジネスオンライン

2ページ目以降は読んでいないけど──というか、ほぼタイトルだけを読んで。
コンピュータゲームのことが思い浮かんだ。

昔はあんなに面白かったのに、最近じゃまるでゲームに興味がなくなった。
いや、興味がないわけじゃないんだけど、いざ遊ぶとなるとどうにも面倒くさい。
一度遊び始めたら面白くて熱中するんだろうなとは思うんだけど、電源を入れるまでが面倒くさい。
時々「お、このゲーム面白そうだな」とトキメクことはあるけど、でもすぐに、どうせ毎度のパターンでレベル上げしてアイテム集めて世界を救うんだろうなと思うと、面倒くさい。
昔はゲームが一番楽しい娯楽だったけど、いまはゲーム以外にもやりたいことややるべきことがたくさんあって、昔のようにゲームにばかりエネルギーを注いでいられない。
もし、本当に心ときめくゲームに出会えば、いままで面倒くさいと言っていたのがウソみたいにゲームにのめりこんだりするんだろうけど、でも、そんなゲームに出会うために、いちいちファミ通買ったりゲームショップに通ったりなんかしていられない。

──みたいな?

「恋愛」をゲームに見立てるならば、「恋愛」もゲームと同じように近年どんどんフクザツになってきているのではないかな・・・と思う。
テレビや雑誌なんかで理想な恋愛スタイルを年々年々積み上げてきたものだから、いまさら喫茶店でお茶して手をつないだだけでぽっと赤らむような恋愛などしていられない。
デートはおしゃれなどこそこで、ファッションはおしゃれな何それで、記念日にはあれしてこれして、うんぬんかんぬん。
好きな人とあれをしたいこれをしたいじゃなくて、あれをしてこれをするのが恋愛のお約束みたいになっちゃっうと面倒くさいよね。

ま、個人的には、恋愛を無理やりする必要性を感じないので、べつに低体温で良いと思う。
高体温って、それつまり発情?って感じだし。
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by kude104 | 2009-02-19 22:47

R-1ぐらんぷりの採点方法

で、今日のR-1ぐらんぷり2009 決勝ですが...... - splash!!

たしかに。
観ていておもしろかったですが、それは個々のネタの面白さであり、コンテスト的な面白さはあまりなかった気がします。
「ぐらんぷり」というひらがな表記からも見てとれるように、あまり仰々しいコンテストにする気はない、ということなのでしょうけど。

上記エントリーでも書かれていますが、採点をきちんと行おうと思ったら、「全組のネタを見てから各審査員がまとめて採点する」のが一番です。
ネタの良し悪しを100点満点の「絶対評価」で採点できるのであれば、順次採点を行う方式でも問題ないですが、そんなことは不可能でしょう。
お笑いの採点はどうしたって相対評価にならざるを得ない。
で、相対評価を100点満点で順次採点するなんてことは、本来無理な話です。

でも、「番組として起伏があって続きが気になるように見せるためには、やっぱり1組ずつ点数を発表したほうがいい」という縛りで考えるのであれば。
100点満点で採点するという方法をやめてはどうだろう。

ひと組ずつネタを披露し、その都度審査員が採点し、結果を発表するというスタイルはそのままで。
ただし、審査員の採点のし方を変えます。
100点満点で採点するのではなく、審査員それぞれが現時点でのネタの順位を自分なりに付けます。
これなら、各審査員は自分の審査基準にしたがって、現時点での相対評価で正しく評価することができます。
で、1位は何点2位は何点と点数を決めておいて、各審査員の順位による点数を足し合わせて、その合計得点で全体の順位を決めます。

この方法だと、現時点での最高得点はあくまでも現時点での暫定得点であり、後でより面白いネタが出てくれば、その都度順位が入れ替わり、点数も変動します。
100点満点での採点方式だと後から点数を付け直すことはできませんが、順位での採点ならその都度順位を付け直すことが可能ですので、順次採点方式にはうってつけだと思います。

また、この方法だと、各審査員のネタの評価順位が一目瞭然になるので、そちらも見ていて面白いんじゃないでしょうか。
「この審査員はこっちのネタのほうが好きなのか」といったことが丸分かりで。
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by kude104 | 2009-02-18 19:25 | テレビ
たけくまメモ : WEBマンガの新展開「HACK TO THE BRAIN」で紹介されていたWEBマンガ「HACK TO THE BRAIN」を鑑賞しての感想です。

個人的には、こうしたいわゆる「動くマンガ」は、試みとしてとても興味深いのですが、現段階ではまだマンガとアニメの「悪いとこどり」な印象を持ってしまいます。

紙のマンガだと自分のペースでぱぱっと読み進められるのに、こうした動くマンガだと、いちいちコマごとの演出が終わるのを待たなければいけないのがうっとうしい。
ただのせっかちというだけではなくて、マンガを読んでいて面白くって熱中してくると、読者は知らず知らずにコマを読み進めるスピードが速くなると思うのですが、それにブレーキをかけられると不快ですよね。
あるいは、じっくり味わいたいコマはゆっくり読んだりもするでしょう。
動くマンガは、こうした紙マンガが持つ「コマを読むスピードの調整機能」を読者から奪ってしまいます。

一方、自分のペースで進められないということではアニメも同じですが、アニメの場合、一旦再生したらあとはアニメの進行に身をゆだねてしまえばいい。
対して、動くマンガの場合は、ちょっと進むたびにいちいちクリックしなければならないのが面倒くさい。
1分ごとに停止して、再生ボタンを押さなければならないアニメを見せられている気分です。
これもただの面倒くさがりというだけではなくて、アニメでも映画でも、盛り上がってきたところで停止して「再生ボタンを押してください」なんてことになったら、せっかくの没入感が醒めてしまいますよね。

なので。
とりあえず、ぼくが動くマンガを作るとしたら、まずはクリックの手間を省く方向で考えてみるかな。
「なぜ動くマンガは一定間隔で再生を停止し、読者のクリックを待たなければいけないのか」を考えてみると、

1.再生スピードが早すぎてセリフが読めない(あるいは絵が把握できない)読者のための配慮。
2.ページ(画面)がコマでいっぱいになったので、クリアしてまっさらなページに戻すため。
3.紙マンガのページまたぎ演出(振りのコマでページを終わり、次のページにどんと印象的なコマを置く、とか)を表現するため。

といった理由からでしょうか。

2については、動くマンガには紙マンガで言うところの「ページ」の概念が要らないのだから、「ページがコマでいっぱになる」という発想が縛られている。
すべてのコマが収まるような巨大なページをスクロールしつつコマを置いていくという方法や、「HACK TO THE BRAIN」の作者さんの「空間的なマンガ」を使って、古いコマは順に遠ざかって消えていくといった方法を試してみるのはどうだろう。

3の「ページまたぎ演出」については、動くマンガにはページの概念がないと割り切って、諦めてはどうだろう。
その代わりに、動くマンガならではの演出方法を探して磨くことが、紙マンガではなく動くマンガにしかできない表現を生み出すことにも繋がります。

問題は1です。
原則としては、映画の字幕のように、無理なく読めるセリフ(無理なく理解できる絵作り)の研究が必要になるだろうと思います。
あるいは、考え方を変えて、セリフは声優使って音声で読み上げても良いのではないかとも思います。
動くマンガとはいえマンガだから、セリフに音声を使ってはいけないなんてことはないでしょうから。
まぁ、制作コストが上がるのが悩ましいところですが。

もしくは、クリックで再生するのではなく、クリックで停止するという発想はどうか。
つまり、スピードに付いてこられない読者のために一定間隔で停止して待つのではなく、基本最初から最後までノンストップで再生するのだけど、クリックすると再生を一旦停止、もう一度クリックすると停止を解除するという仕組みですね(クリックしている間中停止のほうが良いかも)。

さらに言えば、どうせなら再生スピードを可変にするという手もある。
プログラミングが多少高度になりますが、再生スピードをパラメータにして、それを読者が自分好みに調節できるようにすると良いのではないかな。
画面の下部にでもマウスカーソルを動かすとコントローラが表示されて、再生スピードの調整ができると。
-10~0~10で調整して、マイナス値は巻き戻し、0は停止、プラス値が大きくなるほど再生スピードが速くなる、みたいな。

クリックをなくし、ノンストップ再生にすると、概念としては「マンガを動かす」というのではなく「アニメにマンガ的手法を取り入れる」ということになるでしょうけど。
──ああ、そうか。
「なぜクリックが必要か」の理由その4は、「ノンストップだとアニメになるから」かもしれない。
でも、ぼくとしては、そちらのほうが形になるような気がします。

クリックを入れるなら、インタラクティブコミックな方向性に行くべきだろうと思いますが、どうでしょうねぇ。
ノベルゲームの世界でも、選択肢がなくなる方向に進化していますしねぇ。
とりあえず、クリックを入れるなら毎コマごと、もしくは毎セリフごとくらいにクリックさせるほうが、いっそクリックするという行為自体に何かしらのリズムというか快感というか意味が発生して良いかもしれない。

中途半端が一番良くないですよね。
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by kude104 | 2009-02-14 23:59 | PC&ネット
asahi.com(朝日新聞社):小学校に「学級委員長」不在の鳥取県、20年ぶり復活へ - 教育

ん?
一読して「平等の意味をはき違えているんじゃなかろうか」と思ったのだけど、よく読んでみると、ここで言っている「学級委員長」は、ぼくの思っている「学級委員長」とは違う存在なのだろうか。

昭和40年代ごろまでは勉強ができる子などを先生が指名して決める形が全国的に多かった。それが、「民主的な教育」が唱えられた昭和50年代以降、クラスのみんなに役割を経験させようという考え方が広まったという。

立候補を募ったり、輪番制で回したりといったやり方が進む中で「学級内のヒエラルキーが薄まり、新聞係、生き物係といったその他の担当と『同格』になる学校が増えた」
という記述を逆算すると、ここで言う「学級委員長」とは、立候補を募ったり、輪番制で回したりといったやりをせず、勉強ができる子などを先生が指名して決める、他の担当とは別格の役職ということになるね。
・・・うん、そりゃ問題あるかもしれんね。

『運動会の徒競走で、児童の能力にあわせてコース内に「近道」を作ってゴール付近で接戦になるように調整する』というのも、一読すると、なにやらエセ平等主義のように読めるけど、もしかしたらパラリンピックで障害の程度に合わせてハンデを付けるがごとく、個々の生徒の能力に合わせたハンデを設定しているということなのかもしれない。

たしかに、重要なのは足の速さを競うことではなく、子どもたちが自分の持てる力の精一杯で頑張ることにあるのだから、運動能力の優れた子供は優れた子供なりに、運動能力の優れない子供は優れない子供なりに、全力を競い合うルール設定は教育的に悪くないように思う。

実際のところがどうなのか分からないですけど。
一読して「平等の意味をはき違えているんじゃなかろうか」と思ったけれど、よくよく考えてみれば、実際のところはどうなのか分からないよなぁと思った、というお話です。
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by kude104 | 2009-02-10 17:59

データコンテンツの時代

先日の「なぜコンテンツにお金を払う気にならないのだろう」にトラックバックを頂いて、なるほどなぁと考えるところが多々ありました。

コンテンツはいかにして円盤からはがされたのか? - ビジネスから1000000光年

かつては円盤とその中身であるデータとは一体で、ひとまとめにコンテンツだったのだけど、円盤からデータを抽出再生できるようになって、今はデータのみでコンテンツ足り得るようになった、と。

おおざっぱにコンテンツの変遷というものを考えると、生コンテンツ→パッケージコンテンツ→データコンテンツと進化しているんじゃなかろうか。
たとえば音楽なら、ライブ→CD→MP3、みたいな。
コンテンツがパッケージからデータに進化したことで、CDが「コンテンツ」から「コンテンツ+円盤」に地位を下げたということ。

消費者の「音楽を聴きたい」という欲求は今も昔も変わらずにあるとして、それを満たすための手段がどんどん進化している。
音楽を聴くための物理的な縛りが、技術的にどんどんクリアされ、要らなくなってきている。
かつてはコンサート会場にいかなければ聴けなかったものが、CDがあれば聴けるようになり、CDがなければ聴けなかったものが、データがあれば聴けるようになった。

そして興味深いのは、物理的な縛りが小さくなればなるほど、価格も安くなるということ。
これはまぁ、需要と供給の話で説明できるだろうか。
物理的な縛りが小さくなればなるほどより多くの人に供給できるので、価格も下がると。
工業製品の場合は大量生産による生産コストの低下で価格が安くなる面もあるけど、もうひとつ人間の心理として、簡単に手に入るものにはあまり価値を感じなくなるという面もあるだろうね。

こうして考えると、多くの人にクリックひとつで供給できるデータコンテンツがその値段を下げていくことは、必然の流れであると思えてくる。
コンテンツにお金を払うことが定着しないのではなく、もしかしたら、データコンテンツの時代になって、コンテンツの価格が暴落していると捉えるべきなのかもしれない。
消費者の意識において、コンテンツが水や空気のように簡単に手に入るものになりつつあるのではないかというと、大げさかもしれないけど。

ぼくがDVDはレンタルするのにオンデマンドTVは利用する気にならないのも、蛇口をひねれば水が出る状況で、コップ1杯ごとに料金を支払う気持ちにならないのと同じなのかもしれない。
そう考えれば、個別課金より料金定額で見放題なモデルのほうが比較的ましというのも、うなづける。
水道料金の感覚だね。
パッケージ販売は、さしずめペットボトル入りの飲料水って感じだろうか。
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by kude104 | 2009-02-05 23:59 |

大阪ハムレット

というわけで観てきました、映画。
いろいろ事前に候補を挙げていましたが、結局観たのはそのどれでもなく、これ。
「大阪ハムレット」
なんやけっこう評判よさ気だったので。

で、観た感想としては、なるほどね。
いや、そんな大絶賛するような作品じゃないとは思う。
でも、たしかに面白かった。
この手の作品は、佳作というか、「ちょっといい映画」ってくらいに褒めるのがちょうどいい感じだね。

観ていると、なんだか「人生いろいろあるけど、ま、ええか」という気持ちにさせられました。
いろいろあるけど、一生懸命生きてたらええか、と。
映画を観てあまり感化されるということはないのだけど、この映画は観終わってなにかちょっと元気が出たというか、「そうだよなぁ。人生いろいろあるけど、ま、ええか」という気持ちになりました。

「ま、ええか」じゃなにも解決しないのだけど、どうせ悩んだって解決しないことは、「ま、ええか」で済ましてしまうのも生きる強さではあるよね。
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by kude104 | 2009-02-03 23:59 | 映画