世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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大企業は蓄えてる「内部留保」の一割でいいから社会還元してみては? - 木走日記

同意。
ただ、やはり企業の“良心”に訴えたところで無理だろうな、という感は強い。
企業が社会貢献──今回はメインとして、雇用の安定・促進化──に積極的になるような、あるいはならざるをえないような仕組みを制度として作ってしまわないとダメだろうな、という気がする。
良心的なプレイヤーを想定したルール作りではなく、打算的なプレイヤーを想定したルール作りでなければダメだろうと思う。

たとえば、「設備投資をすれば税金が優遇される」といった制度で設備投資を促すように、「雇用すれば税金が優遇される」といった制度で雇用を促すというのはどうだろう。
それでなくても、単純に人件費で考えれば、国内じゃなくて海外で生産したほうが得ということになりがちなので、物にある程度関税をかけるように、国内外の賃金格差もある程度税金で吸収してやる必要はあるんじゃないかと思う。

あるいは、経営者の給与を全人件費の何パーセントまでといった具合に、規制なりガイドラインなりを定めるというのはどうだろう。
これだと、経営者は自分の給与を増やそうと思ったら、社員の給与を増やさざるを得なくなるので面白いんじゃないだろうか。

とはいえ、こうした「法律で定める」といったことは政治の範疇になっちゃうので、正直あまり期待できそうにない。
もう少し、民間レベルでできることを考えてみよう。

賛同者が多く集まり、それによって資金が多く集まるのであれば、社会貢献度の高い企業に積極的に投資を行うファンドを作るというのも面白いかもしれない。
以前にも触れた「原丈人さんの公益資本主義」の考え方だね。
高い利回りよりも世の中のために投資したいという人はわりといると思うのだけど、個々人が独自に調べて投資するのはなかなか難しい。
それに、力(お金)は分散させるより結集させたほうが強い。
もしこれが巨大ファンドになって影響力を発揮するようになれば、企業の社会貢献度が株価に影響することになって面白くなる。

とはいえファンドもそう気軽に作れるものではない。
もっとハードルの低い方法はないだろうか。

企業の雇用状況を総合的に調べて分かりやすくデータ化してネットで公開するNPOのような活動はどうだろう。
どの企業が雇用の安定化に積極的でどの企業が消極的か。
この企業とあの企業とでは、どちらが雇用の安定化に積極的か。
雇用の安定化に積極的な企業の大株主はどこで、消極的な企業の大株主はどこか。
様々なデータをもとにランキングや格付けを行う。
そうしたデータが公表されると、ちょっとは企業の意識に影響を与えないだろうか。
就職先や投資の判断材料にもなってくると、面白い。

などといろいろ考えてはみるけれど、けっきょく今のぼくにはどれも自ら実行する力がないのが残念だ。
ああ、地位か名声か金が欲しい。
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by kude104 | 2008-12-25 23:59 | 時事・社会

子ども用ケータイ

小寺信良の現象試考:「ケータイ持たせない論」に見る大人教育の困難 (1/3) - ITmedia +D LifeStyle

「子ども用のケータイ」を作ったらいいんじゃないかな。
特徴はこんな感じ。

1)
子ども用ケータイは、基本、子ども用ケータイ同士か、保護者によって登録されたケータイでしか通話やメールのやり取りができない。

2)
子ども用ケータイは、月々の使用可能時間・料金の上限が設定でき、それを超えて使用できない。

3)
子ども用ケータイは子ども用サイトにしかアクセスできない。
(子ども用サイトの運営・作成は許認可制にする)


現状一番の問題は、物心つかない子供が大人と同じフィールドに放り込まれることにあると思うのです。
なので、PCも含めて、子どもにはまず子ども用ネット空間を用意してやり、そこでネットのルールやマナーやリテラシーを養い、成長するに従って徐々に大人用ネットに移行していけるようなシステムを用意してやればいいんじゃないかと思います。

利用者の年齢に応じて、利用できるサイトや利用時間・金額が増えるなど、自由度が高まる仕組みにしておいて、高校卒業したくらいで一通りのリテラシーが身に付いていれば理想的じゃないでしょうか。

ビジネス的にも、「子ども用ケータイ」は、まず端末を作る企業にとって新たな市場となります。
子ども用ケータイならではの可愛らしいデザインや使いやすさで勝負できるし、一口に子ども用ケータイと言っても、当然小学校低学年と高学年とで同じデザインで良しとするわけがないので、買い替え需要が大いに期待できます。

キャリアにとっても、「子ども用ケータイプラン」を用意して、それで商売すればいいでしょう。
「子どもにケータイを持たせない」となることを思えば、多少面倒でも「子ども用ケータイ」を用意して安心・健全をアピールするほうが企業としてもお得なのではないかと思います。

コンテンツ業者にとっては、自由勝手にサイトが作れなくので困った話になってしまいますが。
まぁ、そこは泣いてもらいましょう。
どのみち、きちんとした企業なら、許可を得てきちんとサイトを運営できるので問題ないでしょう。
むしろ、有象無象のサイトが減ることで、逆に商売がやりやすくなる可能性もあります。

とまぁ、そんな感じで。
学校教育に任せるとか、法律で規制とかされる前に、業界でそのへん上手いこと話をまとめてやっちゃうほうがいいと思いますね。
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by kude104 | 2008-12-20 16:46 | PC&ネット

非コミュ > 非モテ

最後に残された差別 - Hopeless Homeless

「非モテ問題」の多くが、恋愛に限らずコミュニケーション全般に対する劣等感問題であるという捉え方は、なるほどと思います。
では、「コミュニケーション全般に対する劣等感問題」がなぜ「非コミュ問題」ではなく「非モテ問題」という、いわば「恋愛」にスケールを落として語られるのかという点についてですが。

「非モテ」という言葉が実際にどのような使われ方をしているのかをぼくはよく知りませんが、イメージとしては、自称で使われることが多いように感じます。
コミュニケーションに劣等感を抱えている人が、自らを評して「どうせ自分は非モテだから」といった具合に。

で、自らを評すときに「非コミュ」ではなく「非モテ」を選択したということを、多少うがった見方をするならば、自らの劣等感問題を「恋愛問題」として語ることで、ある種の自己防衛をしているのではないでしょうか。

「友だちがいない」というのと「恋人がいない」というのと、どちらが精神的にキツいかと考えてみれば、ぼくなら前者のほうがキツいです。
恋人がいないことは、ぜんぜん平気にネタにもできる。

なんというか、恋人がいないことには、言い訳と言うか逃げ道が立つんですよね。
コミュニケーション能力が高くても恋人のいない人はたくさんいるし。
そもそも自分は恋愛に興味などないと嘯くこともできるし。
恋人のいない人はたくさんいて、その人たちと思いを共有することができる。
でも、友だちがいないってのは、現状、表面的には、恋人がいないことよりもマイノリティーです。

多くの場合、「非コミュ」は「非モテ」だけど、「非モテ」は「非コミュ」とは限らないという非対称性が成り立ちます。
この非対称性──つまり、「非モテ」を自称していても「非コミュ」とは限らないという逃げ道──が、「非コミュ」ではなく「非モテ」を自称する動機になりうるのですが、同時に、この非対称性によって、「非コミュ」な人々も「非コミュ」ではない人々もひとまとめに「非モテ」で語られるという事態をも招くこととなります。
それが混乱のもとになっている気がしますね。

ま、実際のところはどうか知りませんけど。

とりあえずぼくのイメージでは、「非モテ」にそれほど強い差別意識は感じません。
どちらかというと、「非コミュ」のほうがきつい気がしますね。
なので、自らを「非モテ」と称する人に「あなたは非モテじゃない、非コミュだ」と教えてあげることは、せっかく鎧った自己防衛を無理やり剥がしてしまうことのようにも思えます。

「非コミュ」をもう少しやわらかく自称する言葉が、「非モテ」以外になにかあるといいのにね。
たとえば、「リア充」に掛けて「リア貧」とか──と書こうとして、その響きになんだかすごく悲しくなった。
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by kude104 | 2008-12-14 16:52
美少女キャラの“非処女発覚”にファン暴走! 人気漫画「かんなぎ」無期限休載 - ZAKZAK

以前見たテレビ番組で、「未来少年コナン」や「カリオストロの城」で作画監督を務めた大塚康生さんが仰っていたことを思い出した。
いわく、「キャラクターとは見た目じゃない。しぐさなんだ」と(うろ覚え)。

われわれはキャラクターというとついつい「絵」だと思っちゃうんだけど、そうじゃないんだと。
そのキャラクターのしぐさ──つまり、行動こそがキャラクターを形作るのだ、と。
アニメーターらしい考え方ですが、なるほどなと思ったものです。

「キャラクターとは絵ではなく、行動だ」という視点で捉えれば、「実はヒロインに男がいた」というのは、そのキャラクター性を破壊するに足る出来事であるように思う。
ぼくらはどうしても、「そのキャラクターが好きなら、その行動も受け入れろよ」と思ってしまうけど、逆なんだろうね。
「その行動を取ったが最後、それは私の好きなキャラクターではない」ということなんだろう。

2次元と3次元の違いはあれど、そうしたことは、アイドルのファンも同じじゃないかと思う。
モー娘。ファンにもジャニーズファンにもペ・ヨンジュンファンにも、程度の差はあれ、「恋人発覚!」と聞いて「裏切られた!」と感じる人は少なからずいるのではないかな。
べつに肩を持つわけじゃないけど、この一件を「アニオタの処女信仰」で片付けるのは、(正しいのだろうけど)ちょっと表面的すぎる気がする。

「アイドル」とはよく言ったもので、いわゆるひとつの偶像崇拝なのだろうと思う。
2次元も3次元も。
ただ、2次元のほうがたぶん、偶像度合いが強まるだろうことは想像に難くない。
生身のマリア様と聖書の中のマリア様とでは、たぶん後者のほうが偶像度合いが強いだろう。

アイドルで商売するということは、本来、かなり覚悟がいる行いであるのだろうと、この一件を見ているとそう感じる。
考えてみれば、他人の感情を操作するわけだからね。
人間の「好き」という感情を、ある種意図的にこちらに向けさせるわけだからね。
それも、何千人何万人に対して。
そうして集めた「崇拝」のエネルギーは、だから、コントロールを誤るととんでもないことになってしまうのも分からないではない気がする。

個人的には、そうは言っても「過剰すぎるだろ」と思ってしまうわけだけど。
「たかが漫画のキャラクターに対して、なんでそこまで」って思ってしまう。
ぼくなど、生身の人間に対しても、そこまで強烈に好きになったことなどないというのに。
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by kude104 | 2008-12-11 23:39 | PC&ネット
mixiは日本で最も本音が言えないコミュニティになってきたのかもしれない - VENTURE VIEW

「どうしてみんなそんなに本音を語りたがるんだろう?」と思いつつ読んだら、どうも、mixiはコメントのやりとりに疲れるから日記を書くのに躊躇する、ということのよう。

これってつまりは、「mixiが」というよりも、根本的なところでは、「人間関係が」疲れるということではないかと思う。
簡単な話で、「友達の友達は皆友達」とは限らないということだ。
本当に親しい友人たちとだけマイミクでいられたらまた違うのだろうけど、「知り合いだけど、そんなに気の合うわけでもない人」というのが、いわゆる芋づる式にマイミクになっていく。
それがmixiの恐ろしさなのではないかと思う。

初めは親しい友人たちだけの楽園だったところに、一人また一人と現実世界の面倒くさい人間関係が持ち込まれて、気がつけば現実世界以上に面倒くさいところになってしまった──と。
現実世界なら「Aさんと会って、Bさんとは会わない」という選択肢があるけれど、mixiだとそれがない。
ログインすると全員に会わざるをえないし、ログインしないと全員に会えない。
mixiの疵はここにあるのではないかと思う。

mixiもついに招待制をやめるみたいだし、結局日本人には、現実社会の人間関係をネットに持ち込むというのは合わなかったということだろうか。
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by kude104 | 2008-12-09 19:17 | PC&ネット
最近、NHKの「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」という番組を観るようになりました。
人間、歳をとるにつれて、動物モノの面白さがじわじわ来ますよね。
やはり、大人になると、自然界の不思議さとか「生きる」ということについて、子どもとは違った視点で観るようになるからだろうね。

第127回で放送された「ジュウイチ」という鳥は、自分では子育てをせずに他の鳥の巣に卵を産みつけて育ててもらう鳥なのですが、ジュウイチの雛は卵からかえるとすぐに、育ての親のひな鳥たち(つまり、巣の本来のひな鳥たち)を巣から捨ててしまいます。
そうやって巣を独占し、餌を独り占めするんですね。
巣から捨てられたひな鳥たちは、当然死んでしまいます。

生まれてすぐ、まだ目も開いていない状態で、よちよちと他の雛たちを自分の背中に乗せては巣から捨てていくジュウイチの姿を観ていると、なんという業の深い生き物かと思わずにはいられません。
壮絶というか、恐ろしいというか、憐れというか。
それが生き残るための最善の戦略であるとしても、他人の子殺しが本能にインプットされた状態で生まれてくるというのは、自然界というところは容赦がない。

昨日放送の「ダチョウ」の回では、ダチョウのお母さんは夫に浮気をさせ、浮気相手に卵を産ませて、その卵を敵からの身代わり要員として利用することで自分の産んだ卵を守ろうとします。
また、ダチョウの子供たちも、実の母親よりも「強い母親」に付いていきます。
「強い母親」のほうが守ってもらえるという理由もあるでしょうが、それ以上に、「強い母親」のもとにはたくさんの子供が集まるので、数が多くなればなるほど、他の誰かが犠牲になってくれるので自分が敵に狙われる危険が低くなるという戦略です。

まぁ、見事なまでに、男女の愛とか親子の愛よりも「生存!」という価値観の世界です。

こうした動物の世界を見れば見るほど、「人間に生まれてよかったぁー!」と思います。
動物の世界というのは、生きること、子孫を残すことが唯一絶対の正義です。
他人の子供を殺そうと、そんなことはちっとも悪いことじゃない。
生き残ることが正義。

そうした動物の世界を観ながら、ふと思ったりするんですよね。
人間の世界もそうだよなぁ、と。
生きることが厳しくなればなるほど、自分が生き残るためにシビアにならざるを得なくなる。
人間が、いわゆる人間性を獲得したのは、豊かさあってのことなんじゃないだろうか──と、そんなことを考えながら動物番組を観るようになったのは、大人になったればこそだと思うのです。
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by kude104 | 2008-12-08 22:58 | テレビ
そこにはクリエイターもコンテンツも存在せず、ただうp主と神動画が存在するのみ - E.L.H. Electric Lover Hinagiku

個人的には、UGC(ユーザー生成コンテンツ)やCGM(消費者生成メディア)というものは、コンテンツビジネスの延長線上ではなく、サークル活動の延長線上で捉えたほうがしっくりくるような気がする。
かつては半径何メートルかの同好の士によって行われていたそららの活動が、インターネットによって、『メディア』と呼ばれるまでの大規模なものになった、と。

UGCやCGMをサークル活動(の成果物)として捉えれば、それをビジネスに乗っけるのがいかに難しいことか分かる。
サークル活動を事業化しようとしても、「自分はサークル活動という気楽さが好きなんだ」と反対するメンバーが必ず現れ、挫折するに違いない。
文化祭の模擬店のように販売するところまでをサークル活動とすれば(同人誌活動なんかは、こうした感じが強いのかな)、多少はビジネスに乗っけられるだろうけど、これだって基本的には「儲けは二の次」の域を超えないだろう。
なので、コンテンツビジネスとしては、自由にサークル活動をさせておいて、そこから生まれる成果物の中からこれはというものをピックアップして商品として販売するという、つまりは現状のやり方以外に手はないように思う。

ということで、個人的には、UGCやCGMにコンテンツビジネスの未来を期待するのはやめておいたほうがいいだろうと思っている。
「そこ」にクリエイターもコンテンツも存在せず、JASRACモデルも通用しないのは、「そこ」がビジネスの場じゃないからだろう。
どうにかして「そこ」を商業地として開拓したい気持ちはわかるけれど、「開拓したら土地が枯れた」なんてことになったりしてね。

そんなことよりも、「これからの時代、プロの作品をいかに売るか」というところを真正面から考えることでしか、コンテンツビジネスの未来は切り開けないだろうとぼくは思う。
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by kude104 | 2008-12-04 23:59 | PC&ネット
窓の杜 - 2008年 窓の杜大賞

なんとまぁ、プリントマジックが作品部門にノミネートされたようで。
先日リリースしたばかりなのにと、ちょっとびっくりです。

あるいは、逆にむしろ、リリースされたばかりで、しかも年賀状作成シーズンという、今がまさにプリントマジックにとって一番話題性の高いときです。
ちょうどこのタイミングで窓の杜大賞が開催されるという幸運が、ノミネートに大きく作用したのかもしれない。
(リリースが1週間遅くてもダメだったろうから、まさにラッキー)

自分の作ったソフトウェアが窓の杜大賞ノミネート作品26本のうちのひとつに選ばれる日がまさか来ようとは、夢にも思っていなかったわけですけども。
こうしてノミネートされて今一番強く感じていることは、もしこのプリントマジックをぼくが個人的にリリースしていたら、おそらくノミネートされていないだろうな、ということ。

それは上で書いた「話題性」の話にも通じるのですが、もしぼくがリリースしていたら、ネットのどこか片隅でひっそりとリリースして終わりだったろうと思うわけです。
ソフトウェアの良し悪し以前の問題として、その存在を知られることなく、ノミネートから漏れていたであろうと。
ソフトウェアに限らず、世の中、「宣伝が大事」「アピールが大事」と言うけれど、その大事さのほどを今回ちょっと身をもって知った気分です。

ま、そんなこんなで。
ノミネートされたからには、あわよくば、なにか賞など受賞してみたい。
賞品でいえば、ネットブックかDSiが欲しいです。
──ん? 受賞したからと言って、賞品はぼくがもらえるわけじゃないのか。
そりゃそうか。

いずれにせよ、もしプリントマジックを使ってみて気に入っていただけたなら、ぜひプリントマジックに一票を投じて頂けたらと思います。
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by kude104 | 2008-12-02 21:56 | PC&ネット

ハッピーフライト

気がつけばもう師走ということで、行ってきました、毎月恒例映画サービスデー。

今回観た映画は、「ハッピーフライト」です。
「ウォーターボーイズ」の矢口史靖監督作品ということで、それが今回この作品を選んだ理由です。
ぼく、好きなんですよ、「ウォーターボーイズ」。

で、「ウォーターボーイズ」のようなコメディ色の強い作品だろうと思っていたら、意外と普通のというか、王道的な内容の作品に仕上がっていて意外でした。
随所にくすぐり笑いが仕掛けられてはいるけれど、基本としては、航空機を飛ばすためにさまざま人たちがプロフェッショナルに仕事をしているんですよ、という内容。
ある種、「空港で働く人々に完全密着」的な面白さがメインでした。
それと、飛行機といえば、やはり墜落のスリル。
後半は結構手に汗握る展開でした。

総評としては、なかなか面白かったです。
重すぎず軽すぎず、笑いとシリアスとがバランスよく、きれいにまとまっている作品だな、という印象です。

で。
映画の内容とは関係ないけど、映画館での出来事について一言二言。

前の座席の人の座高が、微妙に高くて残念だった。
通常の人の1.25倍くらいあった。
こういう人に限って姿勢いいのはナンデダロ~。

映画を観ながら物を食べるのは映画観賞の醍醐味ではあるけれど、ナゲットやフライドポテト系の食い物は匂いがきついよね。
特に冬場は暖房が入るからだろうか、夏場の1.25倍ほど匂う気がする。
ぼく自身は映画館では飲み食いしないので、他人のそうした匂いが気になってしまいます。
あれ、もう少しどうにかならんものかなぁ。

となりに座ったカップル。
女の子のほうが敬語で話していたので、初デートか、まだデート以前の関係なのでしょう。
で、映画が終わった後。
男の子のほうが「どうだった?」と映画の感想を尋ねたのに対して、女の子が答えて曰く。
「うーん・・・ふつう」
いや、そこは嘘でも「面白かった」と答えてあげてほしかった。
たぶんね、男の子のほうが女の子を映画に誘ったんだと思うんだ。
ここで「面白かった」と言ってくれたら、「また観に来よう」って誘えるじゃない。
でも、「ふつう」って言われたら、これ、次のデートに映画はないな・・・て感じだよね。
もしかしたら、デート自体ないなって感じかもしれない。
遠回しにそれを伝えるための「ふつう」だったとしたら恐るべしだけど、素の感想である場合は、そこは「面白かった」と言ってあげる優しさが欲しい。
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by kude104 | 2008-12-01 23:11 | 映画