世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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過程は美意識で

過程ばかりを重視してませんか? - 遥か彼方の彼方から

「結果がすべてか、過程が大事か」みたいなお話。
ぼくの答えとしては、「結果は他人のため、過程は自分のため」であると思う。
あるいは、「結果は他人が評価する、過程は自分が評価する」と言っても良い。
意識として、そのように考えておくとよいのではないかと思う。

過程というのは、ある種の美意識だと思う。
結果が同じならラクな過程を選びたいと思うのが人情だけど、そこで、ラクかどうかではなく、面白いかどうか、やりがいがあるかどうかで過程を選ぶ人間でありたい。
過程がのちのち役に立つとか、過程を誰かが評価してくれるとか、そんなことはどーでもいい。
というか、「役に立つ」や「評価される」を考えてしまうと、それは「結果」を求める気持ちになってしまうから。
たとえ役に立たなくても、誰も評価してくれなくても、それでも過程を重んずる心意気というのは、美意識以外にはなかろうて。

それで結果が出せなければ、単なる自己陶酔で終わってしまうのでカッコ悪い。
過程に美意識を込めるからには、結果を出すこと前提でなければならない。
そう思うから、過程を評価してくれとアピールするのは、ちょっとぼくの美意識に反する。
もちろん、他人が勝手に評価してくれるのは大歓迎だけど。

逆に言えば、他人の人となりを評価するには過程を見ろ、ということでもある。
能力の評価は結果で判断すればいいけど、人となりは過程で判断するといいんじゃないかな。
結果だけ出せれば過程なんかどうでもいいって人は、やっぱり「つまんねーヒト」って思っちゃうよね。

勘違いしてはいけないのは、「能力の評価」と「人間性の評価」とは別だということ。
ほとんどの場面で、結果というのは前者、過程というのは後者に関係してくる。
能力の評価で人間性を量ろうとしてはいかんし、人間性の評価を能力の評価に加算してくれと願うのも違う。
このへんをごっちゃにすると、ロクなことにならない。

無難なやり方としては、まずは結果を出すための最短ルートを考える。
あとは、自分の能力と余裕と美意識の許す限りで、その最短ルートをくねくねと面白ルートに延ばしていけばいいんじゃないかな。
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by kude104 | 2008-06-30 23:58

僕たちの終末

機本信司著の「僕たちの終末」が面白かった。
「神様のパズル」「メシアの処方箋」も面白かったけど、個人的には「僕たちの終末」が頭一つ抜きんでて面白く感じた。

2050年というちょっと未来の地球が舞台。
太陽の活動異常によって、あと数十年後には人類は絶滅しちゃうんじゃないかという状況にある。
地下シェルターやスペースコロニーを作って退避しようという計画はあるのだけど、おそらく一部の限られた人たちが入るのにいっぱいで、とても自分は入れそうにない。
そこで主人公が考えたのは、別の恒星系へ航行できる宇宙船を自分たちの手で作って、それで地球を脱出しようというもの。

この小説がユニークなのは、ここから延々と宇宙船の作り方について話が進んでいくところ。
設定はちょっと未来だけど、宇宙船を作る技術については、だいたい今の技術ベースで考えられています。
なので、問題山積。
「架空の新技術で一気に解決」というわけにはいかない。

技術だけの話じゃなくて、資金面、法律面、政治面などなど、いろんな問題が絡んできます。
他にもたとえば、「巨大な宇宙船を建造するための場所はどうする?」「資材はどうやって運ぶ?」みたいなこととか、言われてみれば確かにそうだ。
当たり前だけど、宇宙船なんて、アニメや漫画のように簡単に作れる代物じゃない。
しかも、素人に。

そんなふうに、あーでもない、こーでもないと主人公たちが悪戦苦闘する様が面白い。
全体の半分以上を読み進んでも、まだ宇宙船の基本設計すら固まっていない状況には、さすがに「おいおい、大丈夫かい」と思ったけど。

そして、地球を離れて宇宙に出るということが、「人間とは何か」「生きるとは何か」という問いにつながっていくところが、なかなか読ませます。

不満を言えば、表紙のイラストがねー。
なんでこんな“媚びた”感じなんだろうねー。
もうちょっと、大人っぽいデザインにすれば、もうちょっと一般層にも売れると思うんだけどなー。
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by kude104 | 2008-06-29 23:59 |
気がつけば今年ももう折り返し地点ですよー。
――ということで、次の映画サービスデーの話でも。
今回はなかなか豊作で選ぶの迷っちゃうな。

本命はやはり、「ミラクル7号」だろうか。
じつはどんな映画か内容ほとんど知らないんだけど、チャウ・シンチー作品というだけで「たぶん面白かろう」と。
チャウ・シンチー作品といえば「少林サッカー」や「カンフーハッスル」など、基本コミカルとはいえ、そこそこエグいアクション映画というイメージがあるけど、今回のはちょっと雰囲気が違っていそうなところが興味津々。
チャウ・シンチーの新境地が見られるか!?てな感じで、とりあえず見ときたい。

「ミラクル7号」がなければ本命は「ザ・マジックアワー」だったところ。
こちらも、三谷幸喜作品ということで、「まぁ面白かろう」と。
三谷幸喜作品は、若干小さくまとまるというか「良く出来た佳作」レベルにとどまる印象が無きにしも非ずだけど、それでも平均レベルの面白さは保障されている安心感がある。
それに、今作はなかなかの自信作っぽいし。
まぁ、見て損はなかろう。

べつに、それほどファンというわけではないけど、それでもやはり「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」も気になる。
なんつーか、面白い云々は置いといて、「とりあえずイベントだから」みたいなノリで。
それに、どうせ見るなら映画館でという類の映画だしね。

今回はとりあえずこの3本あれば、ぼく的には材料として十分といったところだけど、他にも「隠れた良作」系の作品がいくつかあるし、これから夏に向けて話題作がどんどん出てくるし。
しばらく、映画豊作期間が続きそう。
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by kude104 | 2008-06-28 22:46 | 映画
我々が音楽に払うもの:Paying Money or Attention - P2Pとかその辺のお話@はてな

一時期――まだCCなんて言葉もなかったころ、ネット上のアマチュア音楽を漁るように聴いていたぼくだけど、今じゃすっかり遠のいてしまった。
その頃と今とでは状況もずいぶん違っているのだろうけど、ぼくがなぜネット上のアマチュア音楽から耳が遠のいてしまったかを書いてみようと思う。

ぼくの場合、音楽というものは基本「ながら聴き」をするものだ。
パソコンに向かって作業をしながら聴くというのが、機会として一番多い。
しかし、「ながら聴き」で自分のお気に入りの音楽を発掘するのは、かなり難しい。

ネット上のアマチュア音楽というものは、まぁ玉石混交で。
もちろん、石のほうが多い。
このへん、今はかなり改善されているのかもしれないけど、10曲聴いたら9曲は開始1分ほどで「はい、次」となっちゃう感じだった。
そんなふうに、「はい、次・・・はい、次」と曲切り替えてたんじゃ、ちっとも「ながら聴き」にならないわけで。

ネット上のアマチュア音楽は、「音楽を聴く」という時間をプロと奪い合っているわけだ。
たとえば、普通の人が音楽を聴く時間というのは一日にどのくらいあるのだろう。
もしそれが、ひと月にCDを1枚レンタルすれば事足りるくらいの時間だとしたら、ネット上のアマチュア音楽の「無料ですぐにダウンロードできる」という強みは、「月にCD1枚のレンタル」と比べて、それほど大きなアドバンテージになるとは思えない。

じゃあ、どうだったら、ぼくは再びネット上のアマチュア音楽を聴くようになるだろうかと考えてみる。
たとえば、ぼくがリピーターになっているブログのブログ主さんが「これオススメ」と紹介している。
オススメ曲は1曲だけよりも、10曲ぐらいあって、それを連続で再生できるとBGMとしてながら聴き出来ていい。
その10曲がどれもたしかにいい楽曲である。
くわえて、その10曲の中に同じアーティストの楽曲が2~3曲以上あれば、ぼくの中でそのアーティストに興味がわく。
そのアーティストのサイトに行くと、他にも楽曲がたくさんあって聴ける。
これも連続再生でながら聴きが出来るとよい。
そのどれもがいい曲だ。
それらの楽曲が収録されたアルバムCDがAmazonで1980円くらいで買えれば、買うかも知れない。
――みたいな感じかな。

つまり、ぼくにとってはシームレスなのが理想的。
Amazonで云々はまぁないとしても、こんな感じなら、ネット上のアマチュア音楽に再び戻ってみたくもあるけど。
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by kude104 | 2008-06-23 23:17 | PC&ネット
『いい学校・いい会社・いい人生』という物語 - アンカテ

「ブランド」の有無で対立項を作ろうとするから、おかしなことになるのだと思う。
それでは、「いい学校を出ていい会社に入って専門性を獲得すればいいだけのこと」と言われて終わりだろう。

「ブランドつきのいい子」という表現に、肩書きだけ立派で中身の伴わない人というイメージを含ませ、「いい学校を出ていい会社に入った人」=「ブランドつきのいい子」というイメージ操作をしているところがいやらしいというか安っぽい印象を与えている。
いい学校を出ていい会社に入った人が、そうでない人に比べて能力的に劣るというわけでもあるまい。
「いい学校を出ていい会社に入ったからといって優秀とは限らない」というのはその通りだけど、じゃあ、いい学校を出た人間とそうでない人間と、どちらに優秀な人材が豊富かという話になると、たぶん前者だろうと思う。

「いい学校を出ていい会社に入ったからといって、いい人生が送れるとは限らない」というのも、同じ。
だいたい、「いい人生かどうか」なんて主観的すぎて、一般論として語りようがないし。

この話。
要するに、「ブランドつきのいい子」のまま育てば、幸せが約束されている――というわけではない、ということが言いたいのだろうと思う。
ここまでは特に異論はないというか、多くの共感を得られる主張だろうと思う。

で、じゃあどうすればいいの?という次のステップで、「ブランドなんて要らないんだ」という話をするから相手が離れて行っちゃう。
なぜなら、なぜブランド――分かりやすく学歴とするけど、なぜ学歴があっても幸せが約束されないかというと、みんながそこそこの学歴を持つようになって、学歴の希少価値が薄まったからだと思う。
つまり、学歴は要らなくなったんじゃなくて、必須というか「あるのが前提」になったのだ。
そんな時代に「学歴は要らない」なんて言っても、それは共感されないだろう。
だって、「ある」のが前提の時代に「ない」なんて、ハンデにしかならないじゃないか。

そうじゃなくて。
学歴は「あるのが前提」な時代であるということ。
それゆえ、生半可な学歴では、水戸黄門の印籠にはなりえないこと。
この2点を理解すれば、取るべき戦略は2通りになる。
すなわち、突き抜けた学歴を手に入れるか、学歴は平均レベルをキープして、それ以外の「武器」を磨くか。

そうすると、突き抜けた学歴を手に入れるというのは、狭き門を争う競争になるからけっこうリスキーだという話に自然となってくる。
まぁ、感覚としては、甲子園目指して野球するようなもんじゃないですかね。
だったら、うちの子はどうせそこそこの学歴しか望めないから、それ以外の「武器」を磨かせたほうがいいかしら・・・という方向に心が傾くんじゃないかなぁ。

それ以外の「武器」としても、それを磨けばこういう職業に就けるというビジョンが見えるものを提示してあげるといい。
そのビジョンにしても、新しすぎるものはダメ。
「コンピュータスキルを身に付けてネットベンチャーを起こす」などと言うとお母さんがた引いちゃうけど、「有名IT企業への就職にはコンピュータスキルが必要」というと、それは習得させておかないとという気持ちになるんじゃないだろうか。
そうして身につけたコンピュータスキルで何を成すかは、その子供次第だ。

古い「物語」を否定するのではなくて、そこに新しい「物語」を接ぎ木してやるのが巧いやり方なんじゃないかと思う。
そうやって、ある種だまくらかして、社会をシフトさせていくのがいいんじゃないかな。
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by kude104 | 2008-06-21 19:14

報道とは道に報いること

同じ空間を共有できていたのか--秋葉原事件の撮影について:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

たぶん、事件現場を撮影するといったことは、基本「不謹慎」なのだろうと思う。
報道だろうがなんだろうが、自分が、身内が、被害に遭っている映像を全国のお茶の間に流されて気持ちのいいはずがない。

でも、じゃあ、不謹慎だから禁止しましょうということができるだろうか。
大衆はきっと、「いま、そこで、何が起きているか、我々は知る権利がある!」と叫ぶだろう。
本心は野次馬根性だとしても、でもたしかに、万に一つくらいは「知るべき情報を隠蔽される」危険性がないとは言えない。

そうしたジレンマのようなものを解決する装置として、マスコミがあるのかも知れない。
禁止はできないが、かといって、みんなが自由に好き勝手やっては困る。
だったら、代表して執り行う機関を設けてそこに任せましょう、と。

マスコミとは何か、報道とは何かと考えたとき、ひとつには「自らの活動について、社会的な責任を負う」ということじゃないかと思う。
マスコミは、いちおう法人として継続的に活動しているので、あまりモラルから逸脱する行動はとれないという自制が働く。
一方、ネット上の一般人の活動には、そうした自制は期待できない。

これを極端に言ってしまえば、訴えられる覚悟の有る無しだ。
ネット上の個人の活動であっても、本名晒して「問題があれば訴えて下さい」という覚悟があれば、それは立派な報道だと思う。
(報道の内容はともかくとして、意識として)
目的はどうあれ、不謹慎なことをするのだから、それが報じる側のフェアというものじゃないだろうか。

そしてもうひとつには、やはり「公共性」というものじゃないかと思う。
公共性の有無は、べつに、それを伝える人数の多い少ないで決まるものじゃないだろう。
公共性があるとは、それが多くの人にって有益であるということだ。
「有益である」というところが大切。
無益なものを大多数にばらまいても、公共性があるとは言わまい。

姿勢としては、責任を負うということ。
内容としては、公共性があるということ。
それが報道というものじゃないかと思う。

それにしても、「報道と野次馬の境界線が消失し、一般人の情報発信とマスメディアの取材・報道の境界線がなくなっている」と言われてしまうマスコミって・・・。
マスコミの能力と社会的意義の低下を如実に物語っているね。
たしかに、ワイドショーなんか添加物と着色料でギトギトのケーキのようで食べる気しないもんなぁ。

一方、ネットもあんまり無節操に不謹慎ばら撒いてると、いずれ規制されちゃうだろうから気をつけろ。
参加者が増えたときの劣化の激しさは、たぶんマスコミの比じゃないだろうから。
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by kude104 | 2008-06-14 22:50 | PC&ネット
【このブログがすごい!】BLOG:トラックバックはなぜ流行らなかったのか

TBが有用か無用かと言えば有用なのでしょうが、それを実感できる人はそう多くない。
ゆえに、「流行らなかった」のだと思います。

まず、TBのアクセス誘導効果についてですが、これはもちろんあるでしょう。
でも、そうして誘導したアクセスを定着させられるかどうかは、書き手の実力次第。
実力ある書き手なら、TBでどんどん読者数を伸ばしていける。
でも、そうでない書き手のブログは、TBで一時的にアクセスが増えても、読者数はさほど変わらない。
どちらが多いかと言えば、後者のほうが圧倒的に多い。
ゆえに、流行らない。

次に、TBによって議論が深まる効果について。
Aさんのエントリーに対してBさんがエントリーを書く。
そのBさんのエントリーを読んで、Aさんがさらにより突っ込んだエントリーを書く。
そのエントリーを読んでBさんが・・・と議論が深まっていく。
TBがそれをもたらす。
――というのが、TBに期待されていた“可能性”じゃなかったでしょうか。

でも、こうしたことも滅多に起こらない。
なぜなら、日本にはひとつのテーマに特化したブログというのが少ないから。
同じテーマについて二度三度と回を重ねてエントリーが書かれるケースはあまり多くない。
せいぜい補足エントリーが書かれるくらいでしょうか。
仮に起こっても、有益に議論が深まるケースはごく稀です。
多くは、両者の論点がかみ合わずに、泥仕合のようになってしまうだけの印象です。

また、TBするほうも、べつに毎回「議論しましょう」という意図でTBするわけでもないですしね。
というより、ほとんどのケースは、単に「話題にしました」「リンクさせてもらいました」という挨拶代わりだったりします。
ぼくの場合も、ほとんどこれです。
それですら、TBするとなんだか「見て見て、俺のブログ」とアピールするようで躊躇われるという人は、日本人には多いかもしれないですね。

そして、読み手の立場に立つと、TBリンクをチェックするのは、けっこう面倒臭い。
今でこそTBスパムは少なくなったとはいえ、TBしてきたエントリーはまったく玉石混交です。
当然、石のほうが多い。
そうすると、だんだんTBリンクをチェックするのが面倒になってくるんですよね。
それが読むべき価値のあるエントリーなら、どうせSBSなり別のブログなりでリンクされるだろうから、そのとき読めばいいやと思ってしまいます。

ただ、そうは言っても、ブログの書き手としては、自分のエントリーに送られてくるTBは嬉しいものです。
TBの効果とか有用性とか関係なく、単純に嬉しい。
これはたぶん、先ほどの挨拶TB含め、コミュニケーションとしてのTBなんだろうと思います。
コミュニケーションのTBというのは、それはそれで、見ず知らずの人にするのは躊躇われたりするものなんですよねぇ。
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by kude104 | 2008-06-09 21:29 | PC&ネット
本の買い方のリテラシー - 【海難記】 Wrecked on the Sea

本の「ランキング依存」を嘆く気持ちは分からないではないけど、実際問題として、読む価値のある本は読める本の数より多い。
ランキングではなく、本の目利きの推薦にしたところで、読む価値のある本の多くはその推薦リストから漏れ、読まれずに消えていくことに変わりはない。

ランキング1位の本が“良い本”とは限らないと言うけれど、そもそも“良い本”とは何か。
買って読んだ人が面白かったと思ったならば、それはその人にとって“良い本”だったと、それでいいのではないかと思う。
「どうせ読むなら、それよりもっと面白い本がある」というのは、余計なおせっかいというものでしょう。
それは、幸せな気持ちでいる人に、「でも、あなたはあの人より不幸です」と囁くような行為じゃないのか。

結局、「ランキング依存」に対する嘆きというのは、自分が良いと思う本がランキングに入っていないことに対する嘆きなのではないか。
本屋大賞がランキングになったように、誰がなにをどう選んだところで、読める本の数が限られている以上、変わりはない。
今までランキング依存で月1冊読んでいた人が、本屋大賞が出来たから、合わせて2冊読むようになるわけないのだから。

本当はみんな分かっているんだろうと思う。
本の数が多すぎることが原因なのだと。
ただでさえ、本はストックされるメディアなのに。
その上に毎日220タイトル以上の新刊が出るんだから、キャパシティー超えて当然でしょ。

「売れるべき価値ある1冊」の周りに、自ら大量のダミーをばら撒いて、それで売れるべき本が売れないと嘆いているようなもので。
売れるべき本が売れないのは、ダミーの中から売れるべき本を見つけられない読者が悪いのか。
ダミーをふるい分ける仕組みが悪いのか。
せっせとダミーをばら撒きながら考えたって、しょうがないと思うけどね。

多くの人にとって、本は数ある娯楽の中の一つだから。
リテラシーの必要な娯楽って、そりゃ趣味道ですよ。
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by kude104 | 2008-06-06 16:24 |

JOY JOY JOYPOLIS

毎年虫歯予防デーを祝してブログデザインを変更しているわけですが、今年のデザインはこれで。
文章の表示幅が広いのが気に入りました。

先日は20年来の友人が虫歯予防デーを祝いに梅田くんだりまで来てくれたのですが、あいにくの雨で「なにしようかなぁ・・・」と。
「そういえば、HEP FIVEにジョイポリスがあったよなぁ。まだつぶれてなければ」ということで、男二人で平日の昼日中にジョイポリスまで行ってきた次第。
まだつぶれてなかった。

ちなみに、ジョイポリスはこんなところ
ゲームセンターに毛の生えたようなところというか、テーマパークの毛を剃ったようなところというか。

「どーせ子供だましのしょぼいアトラクションに600円とかありえへんわ」と思いつつも、まぁ、他にすることもないし、時間つぶしのつもりでやってやろうじゃないかと。
まずは「スカイクルージング」という、ふたりでハンググライダーを操作しながらタイムを競う体感ゲームを遊んでみることにしました。

「ハンググライダーゲームごとき、このファミっ子のゲームテクをもってすれば余裕。前の親子連れ、後ろのカップル、俺たちのタイムにひざまづけ!」と舐めてかかっていたら、このハンググライダー、すんげぇ速いの。
あの速度はジェット機並み。
しかも、ハンググライダーの操作ってば、左に曲がりたいときはバーを右に移動させる。でも、上に上昇するときはバーは上に――みたいな感じだから。
おじさん、頭の中こんがらがっちゃって。
崖やら木々やらにガシガシぶつかり、そのたびに座席はガクンガクン揺れるから。
ええ歳したおっさん二人が、ギャーギャー言いながらプレイしている姿は、たぶん見られたものじゃなかっただろうと思う。
でも、おかげで二人の距離はぐっと近づきました。

バカにしていたジョイポリスでしたが、このアトラクションで一気にテンション上がっちゃいまして。
勇んで選んだ次なるアトラクションは、「ワイルドリバー ~スプラッシュ!~」
激流下りのアトラクションですね。
こちらも、隣に座った小学生のお子さんに負けず劣らず、きゃっきゃと楽しんでしまいました。

アトラクション券3枚で1400円というチケットを購入したので、残るアトラクションはひとつ。
さてどれにしようかな、と。
「スカイクルージング」も「ワイルドリバー」も予想以上に楽しくて、ちょっと妙なテンションになっちゃってたんでしょうね。
ここは「スペースゲーニンズ」しかないやろ、と。
絶対面白くないだろうけど、あえてこれをチョイスせずして、なんの男かと。

アトラクションが終わった後、さっきまでのテンションの高さが嘘のよう。
このアトラクションの担当になってしまったスタッフのお姉さんの気持ちとか、何も知らずに並んでいる子供たちの数分後とかを思うと、なんだかすごく悲しい気持ちでジョイポリスを後にすることとなりました。

「すべる」ということを舐めたらアカンと思い知った誕生日前の一日でした。
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by kude104 | 2008-06-04 17:56
ちょっと日が経ってしまいましたが、映画サービスデーの話など。

今回は『アフタースクール』で決まりだね!と勇んで出かけたものの、満席で撃沈。
うすうす「そうじゃないかなー」と思ってはいたんですけどね。
日曜日の映画サービスデーだし。
いま上映しているものの中では『アフタースクール』の評判が抜きんでて高いし。
その割に、上映劇場は小規模なところだし。
でも、残りあと3回の上映がある状況で、すべて満席になっていたのにはビビった。

で、『アフタースクール』がダメだった場合の代替案を考えていなかったので、上映時間のタイミングと、空席があるものと、あとフィーリングとで選んだのが『Mr.ブルックス 完璧なる殺人鬼』です。
事前のリサーチはほとんどしていなかったので、まぁ、「何も観ずに帰るよりは」といった程度の期待しかしていなかったわけですけど。
蓋を開けて見れば、ちと刺激が強くはありましたが、なかなか面白かったです。

主人公は殺人依存症(アルコール依存症のように、本人は「やめたい、やめなきゃ」と思っているのだけど、どうしても殺人をやめられない)という設定なんですが、まるで天使と悪魔が綱引きをするかのように、「我慢せずに殺しちゃえよ」と囁く“もうひとりの自分”を、「もう殺人はしない」と抑制しようとする主人公、といった感じに描かれます。
この“もう一人の自分”が、実際にもう一人の登場人物として映像化されているのが、なかなか画的に面白い。

で、これが言わば善と悪との人格の対決物語になるのではなく、どちらかと言うと、“善なる人格”のほうも本当のところは殺人したくてしょうがないわけです。
“悪なる人格”を言葉では否定しているのですが、実際のところは、とても頼りにしているというか「仲がいい」感じなんですよね。
それが面白いなーと思いました。

ただ、最後の落ちはどうなんだろうなぁ。
個人的には、いっそそのまま○○される落ちで終わったほうが良かったんじゃないかなぁと思うんだけど。
続編を作るときのために、逃げを打ったのだろうか。
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by kude104 | 2008-06-03 23:48 | 映画