世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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ジオターゲティング [geotargeting] : ツール : ブログパーツ

ぼくが制作に携わりましたブログパーツが本日公開されました。
例によってこのエキサイトブログにはブログパーツ貼れないんで、自分で作って自分で使えないパターンですが。

このブログパーツは、ジオターゲティングという技術を使ってアクセスしてきたユーザの都道府県を判別し、どの都道府県からのアクセスが多いかを色分けして表示するというものです。
おかげさまで結構注目を集めているようで、なによりです。

開発裏話というか、「ここを作るのが大変だった」という話でも。
ひとつ目は、日本地図ですね。
元となる地図データはあったのですが、データサイズを小さくするために形を単純化する作業を手作業でやったもので。
自動処理では、どうも気に入った感じに上手く単純化できなかったんですよねぇ。
くねくねと入り組んでいる海岸線や県境を、ちまちまとひとつひとつ単純化していく作業は、まるでお米に文字を書く作業のようでした。

ふたつ目は、アクセス数に応じて都道府県が色分けされるのですが、その10色を決めるのが難しかったです。
ブログパーツでは各都道府県の大きさがすごく小さくなるので、それでも色の違いが分かるように。
かつ、赤から青への色の変化が、なるべくグラデーションのように自然になるように。
ということで、特に緑の3色がなかなか決まらなかったんですよ。

とまぁ、そんな感じで。
気に入ったら、どうぞ使ってみて下さい。
そして、もし不具合などがあれば、こっそり教えて下さいね。
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by kude104 | 2008-05-29 22:59 | PC&ネット
アクセスアップ・人気エントリー・アフィリエイトという概念が、インターネットから面白い文章を奪った - 地球のイロハ

基本的に、参加者が増えれば全体のレベルが下がるので、面白くないコンテンツが多く目につくようになり、結果「全体として面白くなくなった」ように感じるのだろうと思う。
なので、この問題の本質は、「玉石混交する中から玉を掬い上げるシステムが、まだまだ不完全である」というところじゃないだろうか。
ホットエントリーなどは、本来であれば面白いエントリーを浮上させるシステムであるはずなのに、「それ目当てのつまらないエントリーが増えた」と言われるようでは本末転倒だ。

美人投票をしているのは、おそらく書き手ではない。
検索エンジンにヒットすることを目的としたようなエントリーは、書き手の美人投票と呼んでいいかと思うけど。
つまらないエントリーがホットエントリーになるのは、書き手ではなく、読み手の美人投票の結果じゃないだろうか。

あるいは、読み手自身は、確かに自分が面白いと思ったものをチョイスしているのかもしれない。
ただ、不特定多数の「面白い」を寄せ集めたら、「みんなにとって面白い」ものではなく、「誰にとっても面白くない」ものになってしまうのかもしれない。

また、ソーシャルブックマークというものを「面白いエントリーを浮上させる装置」と考えるのは、正しくないのではないかと思う。
なぜなら、ブックマークというのは、必ずしも「面白いから」するのではない。
「あとで読む」タグなんて、それを端的に表している。

総じて、「面白い文章」のような、判定が個人の趣味嗜好に大きく左右されるものを不特定多数の集合知でふるい分けようというやり方が、たぶん間違っているのではないかと思う。
集合知でふるい分けるなら、たとえば鉄道好きにとっての面白い文章は鉄道好きコミュニティの集合知で、映画好きにとっての面白い文章は映画好きコミュニティの集合知でふるい分けるのが正しいやり方だろう。

ソーシャルブックマークの次の段階は、おそらくそのへんがポイントになるんじゃないかと思う。
あるいは、読み手の趣味嗜好にマッチした文章を探してきてくれるエージェントのようなものが登場するかな。
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by kude104 | 2008-05-28 23:59 | PC&ネット

心の健康を大切に

てんこもり。 【生活】自殺した人と最後に会った時どんな感じだった?

自殺しちゃう人というのは、きっと、「命よりも大切なもの」をなくしちゃったんだろうな。
それはなんだったんだろう。

「心と身体」というように、人が生きるためには、身体の健康と同じくらい心の健康が必要なのだろう。
「そりゃそうだ」と分かっているのに、ぼくらは、心が風邪をひいたり傷ついたり疲労したり病気になって弱ってしまっても、滅多に医者にかからないよね。
心の治癒力を過信し過ぎてやいませんか。
心だって身体の器官の一部なのに、心だけなにか別扱いに考えてしまっているような気がします。

「ちょっと心の調子が悪いな」と思ったら、すぐに医者に診てもらう。
そうしたことが当たり前になると、少しは自殺も減らせるんじゃないだろうか。
まずは、学校や会社の健康診断に、心の健康診断も取り入れてはどうだろうね。
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by kude104 | 2008-05-26 23:59

生理的に受け付けない

生理的に受け付けないのでエロゲーは規制すべきだ - P2Pとかその辺のお話@はてな

このエントリーの趣旨に同意する一方で、「生理的に受け付けないのでエロゲーは規制すべきだ」という気持ちも分からないではない。
「分からないではない」であって、賛同するものではないけど。

凌辱系というのですか、そうしたエロコンテンツに女性のひとが嫌悪感を抱く気持をぼくなりに想像してみるに、たとえば、どこかの国で日本人を惨殺して惨殺して惨殺しまくるゲームが人気です、という話を聞いたとき、たぶんぼくらはぞっとするんじゃないかと思うんですよね。
もちろん、その国の人は言うでしょう。
「いや、日本人を惨殺して遊んでいるのは、あくまでもゲームの中だけですよ」
「現実では惨殺できないから、ゲームの中で惨殺して発散しているのです」
「惨殺ゲームで発散しているおかげで、むしろ、日本人が殺されずに済んでいるのです」
それはその通りなのだけど、ゲームの中で日本人を惨殺して快感を覚えている人たちを、ぼくらはやっぱり生理的に気味悪く思うんじゃないかな。
もしそれがお隣の国で発売されているなんて話になれば、「これはひどい」タグ付きまくりじゃないでしょうか。

そう考えれば、「生理的に受け付けないので規制すべきだ」と言いたい気持ちは分からんではない。

でもって、こうした「生理的に受け付けないので規制すべきだ」という、言わば感情的な言動が正義として通ってしまうことが、世の中往々にしてある。
たとえば、18禁であるとかモザイクであるとか、ああしたものに「データに基づく客観的な根拠」があるとは思えない。
「生理的に受け付けない」という人が多数を占めて、「規制すべきだ」に共感が集まれば、それで正義がまかり通るのだから。

なので、「規制したけりゃデータを出せ」と余裕を見せていないで、エロゲー支持者のほうが「エロゲーは無害です」という客観的なデータを揃えて権利を勝ち取るつもりでいたほうが良かろうと思います。
不公平だけど、マイノリティーのほうが闘争して勝ち取らなければ潰されちゃうので。
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by kude104 | 2008-05-25 21:00

夢見て恋、覚めても愛

多分夢見ることが悪いんじゃない - pouda::memo

ぼくは自分のToDo リストの中で恋愛の優先順位がけっこう低いのですが、この文章を読んで、そう言えば、ぼくは恋愛で「自己承認」を満たそうと思ったことがないよなーと気付いた。

もちろんぼくにも「他人に認められたい」という欲求は多分にあるのだけど、そのエネルギーは恋愛に向うよりも、「すごいソフトウェアなりネットサービスなりを作って認められたい」という方向に向かう。

ドラマなんかでよくキャリアウーマンが「いまは恋愛よりも仕事」なんて言うシーンがありますが、ああしたことも、「何によって自己承認を得ようとするか」という視点で捉えると面白いね。
一昔前の(今でも、かな)女性というのは、あまり社会進出できなかったので、仕事で自己承認を得られる機会がほとんどなかったわけで。
そうすると、恋愛で自己承認してもらうしかないじゃないですか・・・と。
「男は仕事、女は恋愛」となりがちなのも、そうしたことが理由のひとつにあるのかもしれない。

それにしても、そうか、「恋愛に自己承認を求める」なぁ。
言われてみれば、その発想は無かったわ。
ぼくの恋愛がだいたい上手くいかないのも、そのへんに原因があるのかもね。

恋愛相手に自己承認を求めるという発想がないので、相手の「あなたを承認していますよ」というシグナルに気付かず、相手の「わたしを承認して」というシグナルにも気付かない。
そりゃ駄目だわ。

「恋愛に」というのは勘違いしてるとしても、「恋愛相手に」救済してもらうくらいの甘えがないと、恋愛などできはしないのだろう。
次は失敗しないように、ちゃんとメモしておかなきゃ。
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by kude104 | 2008-05-24 19:19
小中学生の「ケータイ所持禁止」に一言 | WIRED VISION

個人的には、子供にケータイなんて持たせんでええやろという点で同感だけど、そんなことまでオメーらに指図されたくないという気持ちも強くするね。

ただまぁ、そうは言っても、たとえば「ケータイの使用について親子でしっかり話し合いましょう」とか、どれくらい期待できるんでしょっていう気はする。
しっかり話し合える親子関係にない人たちに「話し合いましょう」と言ったって効果は期待できないわけで、でもって、トラブルに巻き込まれる子供の多くはそういう家庭の子供なんじゃないかと思うわけで。

学校でケータイの利用について指導してもらうのがベターかなと思うけれど、何でもかんでも学校に押し付けておけばいいという発想は、あまりよろしくない気もする。
それに、学校で指導するとなると、文部科学省だか教育委員会だか知らないけど、どこかが指導要綱みたいなものを定めなきゃならないわけで。
それ、結局「ケータイは持たないように」という指導になっちゃったりしてね。

それだったら、業界で「ケータイのつかいかた」みたいな楽しく学べる学習プログラムを作成して学校に配るとか、ケータイのメニューの一番目立つところからそれにアクセスできるとか、そういうことをすればいいんじゃないかしら。

「トラブル源はケータイではなく、ネットだ」というのも、たしかにそうなんだけど。
ケータイの場合、ネットリテラシー+ケータイリテラシーが必要な気がする。
ケータイって、PCより依存性というか中毒性が高そうな気がするんで。
「メールの返信が遅れるとイジメにあう」みたいなこと、PCメールではないんじゃないかなぁ。

「幼児にテレビを見せすぎてはいけない」みたいに、「子供にケータイをさせすぎてはいけない」みたいなことが、科学的に言えたりしないのかな。
発達が十分でない子供はケータイ依存症になりやすい、みたいな。

起きてる間ずっと友達とつながってなきゃいけないなんて、ぼくには絶対耐えられない。
トランシーバーくらいしかない子供時代でよかった。
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by kude104 | 2008-05-22 23:50 | PC&ネット

ぼくはせんとくんに1票

ねとらぼ:「せんとくん」対抗キャラ、ネットで投票受け付け中 - ITmedia News

これによって、逆に、“せんとくん”がいかに強力なキャラクターであるかが顕わになっているような気がする。
新キャラ候補30点はたしかにどれも可愛いけど、せんとくんの前では、どれもなんだか「ありがち」なキャラクターに見えてしまうね。

可愛いけどワン・オブ・ゼムなキャラクターと、キモいけどオンリー・ワンなキャラクター。
つまりはマスコットキャラクターにどういう役割を持たせるかなんだけど。
たしかに、せんとくんの着ぐるみが近づいてきたら、子供は泣く(ミジンコの微生物的視点 - [画像] トラウマになる「せんとくん」)。
だから、「子供に愛されるキャラクター」の役割はまったく果たせないだろうけど、でも、「話題性を振りまく」という役割は大いに期待できる(J-CASTニュース : 奈良の「せんとくん」宣伝効果 なんと15億円)。
「なまはげ」みたいな、子供に愛されないキャラクターもありだと思うんだけどなぁ。

とても優しくて子供好きで、一生懸命仲良くしようと頑張るんだけど、キモいからいつも嫌われてばかり――というキャラクター設定はどうだろう。
ちょっとこう、キュンとくるじゃないですか。
みんなを楽しませようと、カッコいいダンスとか一生懸命踊るんだけど、動きにキレがあればあるほどキモさが増す。
そんなふうに、みんなにキモいキモいと言われても、笑顔で手を振るせんとくん。
それがまた、キモい。
イベント終了後に、ひとり控室で寂しそうにうなだれているせんとくんの姿を想像すると、ひしと抱きしめてあげたくなるじゃないですか。
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by kude104 | 2008-05-20 18:11
だいたい、聖書なんて長い年月にわたって人間が書いて人間が取捨選択してきた文章の集合体なんだから、そりゃあ矛盾や破綻があって当然なわけで。
それを、「聖書には一字一句の間違いもない」とするから無理が生じる。

キリスト教が誕生したときに、旧約聖書をリファインしておけばよかったのにと思う。
そうすれば、もうちょっと無理なく神を語れただろうに。
まぁ、誕生時のキリスト教はユダヤ教の一派という位置づけなので、現実問題リファインなんて無理なんだけど、せっかくのチャンスだったのに惜しいことをした。

イスラム教については詳しく知らないのだけど、もしかしたら、ある程度のリファインに成功しているのかもしれない。
よく知らないけど、旧約聖書や福音書なんかを継承しつつも、「それらには間違いも含まれているので、正しくはコーランを参照のこと」という位置づけじゃなかったかしら。

いずれにしても、時代が変わり生活様式が変わり社会の常識や道徳基準が変わることで、教義も時代に即さなくなってくる。
そうなると、生活を教義に合わせるか、教義を生活に合わせるか、あるいは教義を捨てるか、いずれかを選択しなければならない。

多くは解釈を変えることでどうにか教義を生活に合わせているようだけど、いずれ限界が来るか、継ぎ接ぎだらけで見られたものじゃなくなるだろう。
「いっそ新たに一から作り直そう」という機運は、いずれ出てくると思うけどなぁ。
イスラム教が誕生してからだって、もう1400年にもなる。
そろそろ、次の世界宗教が出てきてもおかしくないと思うんだけど。
ある種、近代社会の政治・経済・科学の思想が、「新たな宗教」の位置づけを占めていたのかな。
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by kude104 | 2008-05-19 21:36
F速VIP(・ω・)y-~ たまに来るエホバの女勧誘員を家に連れ込んでヤっちゃ駄目?

宗教を信じる「無知」と、宗教を信じない「下衆」と、どっちがましかと言えば、前者だな。

うちにも宗教の勧誘の人が来るけど、話をしてると結構面白いよ。
べつに「特定の宗教を信仰している」というだけで、いたって普通の人だけどなぁ。
宗教を信仰している人と、信仰していない人とが、お互いにお互いを尊重すればいいだけのことじゃないかと思うのだけど。
無理に信仰を押し付けようとする人と、無理に信仰を否定しようとする人と、どっちも同じ穴の狢だろうに。

たしかに、聖書には論理的に見れば様々な矛盾や破綻があって、聖書に立脚する教えも当然そうした矛盾を引きずっているのだけど、そのことを指摘されて泣いたり動揺したり怒ったりするような信者なんて、たいしたことはない。
そういう指摘して相手が答えられないのを見て楽しむのは、まぁ、趣味が悪いねとしか言いようがない。
本物の信者は、たぶん、世界中のすべての人が神を否定し、神の不在が科学的に証明されたとしても、それでも神を信じるだろう。

なぜなら、信じることに、本来、論理性は不要だから。
彼ら信者にとって、教えを論理的に説明することは手段であって目的ではない。

たとえば、親しい人を亡くして悲嘆に暮れている人に、人間の感情はただの電気信号で、死ねば肉体はただの物質となって朽ち果て消滅するだけだと論理的に説明してなんになる。
それよりは、「あなたの親しい人は天国で幸せに暮らしています」という非論理的な説明のほうが、宗教としては正しい。

そして「科学」にしたところで、たとえば、宇宙はビックバンによって無から生まれたという。
これを論理的に説明できる人って、いったいどれくらいいるのだろう。
ぼくは正直よく分からない。
だけど、「宇宙はビックバンによって無から生まれた」という話を信じているわけで、これってつまり、「宇宙は神様が作った」という話を信じているのといったい何が違うのか。

あるいは、公理とは 「証明する必要のない、明らかに自明な法則」だという。
信者の人たちにとって、「神」とは言わば公理なのではないだろうか。
ならば、科学の公理に疑問を抱いたことのない人が、宗教の公理に疑問を抱いたことのない人を笑うのは滑稽じゃないだろうか。

ぼくは宗教よりも科学を信じているわけだけど、科学にしたところで突き詰めれば「信じる」というレベルの話だと思うわけで。
理想的には、物質的なところでは科学を信じて、精神的なところでは宗教を信じる、そうしたハイブリッドな人というのが一番安定していそうな気がする。
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by kude104 | 2008-05-16 23:21

面倒な恋愛

痛いニュース(ノ∀`):「女性と付き合うのは様々なコストがかかるから面倒」にネットでさまざまな声

この2ちゃんな人々ほど絶望していないとはいえ、その感じ、分からないではない。

交際関係にも様々なフェーズがあって、「ライク → ラブ → ラブラブ」のあたりは楽しい。
「目が合うだけで幸せ」みたいな時期に、「でも、付き合うのは面倒」というひとは、まぁそうはいないでしょう。

一方、関係性(特に、精神的な関係性)が「パートナー」や「ファミリー」まで昇華すれば、これはもう付き合っている状態が日常なので、「面倒だから云々」ということでもないですよね。
加えて、この関係性にまでなると、面倒に感じない距離感であるとか、面倒をお互いに折り合いを付けることで解消するとか、面倒を「そういうものだ」として飲みこんじゃうとか、そうした技を身に付けているように思います。

よってつまり、「女性と付き合うのは面倒」という人のほとんどは、「ラブ」でも「パートナー」でもないフェーズにいる人なんじゃないかと思う。
「ラブ」フェーズに入る前であったり、「ラブ」フェーズと「パートナー」フェーズの窪みにいたり。

ところで、「面倒」という感情は、ひとつには、「飽きた」という感情からもたらされるのではないかと思います。
同じ行為でも、新鮮味があるうちは楽しいけど、飽きれば面倒になります。

たとえば、いま付き合っている女性との付き合いが面倒に感じるときというのは、ぶっちゃけ、その女性に「飽きた」ときじゃないでしょうか。
飽きたら別れて、また次の女性と付き合えば、楽しい楽しい「ラブ」フェーズばかりを味わえるので、たぶん「面倒感」は解消されることでしょう。
ただ、それすらも繰り返していると、次第に「ラブ」フェーズ自体の新鮮味が失われて飽きてくるわけですが。

一方、「面倒」という感情は、もうひとつには、「必要なコストに見合うリターンが期待できない」という判断からもたらされるのではないかと思います。

これには、「必要なコストが他に比べて高すぎる」というケースと、「リターンが少なすぎる」というケースがあります。
ここで重要なのは、実際のコストやリターンがいかほどかは問題ではなく、「面倒」と思っている人が「そう考えている」という点です。
実際のコストやらリターンやらは、実際に付き合ってみないと分かるわけがないですからね。

では、なぜそう考えてしまうのか。
これはおそらく、テレビや雑誌で形作られた「恋愛」が高コスト体質だからだと思います。
ドラマならドラマチックな恋愛を描くのはエンターテインメント上の当然ですし、雑誌なら「お金を使うこと」を促す作りになるのは資本主義の必然だし。

付き合うことが面倒だという声が、男性側から多く上がり、女性側からあまり聞かれない理由は、男性側のほうが費やすコストが高いというイメージがあるからじゃないでしょうか。
そのイメージはどこから来たのかと言えば、やはりメディアからと考えるのが妥当じゃないですかね。

男性側が恋愛から離脱していけば、必然的に女性が恋愛するためのコストが上がる。
そうなると、女性の側にも「恋愛離れ」が見られるようになるでしょう。
そうなったら、今の高コスト体質の恋愛が廃れて、「パートナー」志向のゆるやかな恋愛の形が主流になるんじゃないかな。

ま、それ以前に、生きていくのに精いっぱいで、愛だの恋だの言っていられない時代が来るかもしれませんけど。
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by kude104 | 2008-05-15 17:06