世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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気がつけば4月も終わり、世間はゴールデンウィーク突入ですよ。
そんな最中の映画サービスデーは、きっと客が多いから嫌だなぁ。
――というわけで、なんだか久々な気がするけれど、次の映画サービスデーに観る映画の検討でもしてみましょう。

GW話題の映画と言えば、『少林少女』でしょうか。
超映画批評で、100点満点中4点をたたき出したという超話題作。
(これはきっと過去最低点だなと思ったら、『デビルマン』は2点だった)
他にもブログなどで評判を見るに、どうやら間違いなくダメダメらしい。

「少林少女、なかなか期待できそうじゃん」と実は秘かに思っていたので、なんともがっかりというか、やっぱりというか・・・。
フジテレビプロデュースの映画って、テレビと連動して話題性だけで押し切ってしまう印象あるからなぁ。
つまり、決して内容はよくないという。

「怖いもの見たさ」的な感じで興味が沸かないわけでもないけど、ま、ネタで費やすには金と時間がもったいないのでパス。
ということで、本命は――。

『ぼくたちと駐在さんの700日戦争』
『うた魂♪』
『チェスト!』

あたりかな。
こうして並べると、ぼくの嗜好傾向が分かりやすいね。
この手の、ちょっとコメディタッチの青春ムービーが好きなんすよ。

それにしても、一昔前は、ぼくの中で邦画は「つまらない」の代名詞みたいなもんだったのに。
どんなに面白そうに思っても、昔は邦画を選択するのは「賭け」だったのに。
最近は、邦画にネガティブなイメージは、まったくなくなったなぁ。
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by kude104 | 2008-04-28 22:48 | 映画

死刑と終身刑

死刑と終身刑についての追記 - モジモジ君の日記。みたいな。

「死刑に賛成する人には、その人自身が執行人になるということまで含めて賛成してもらいたい」というロジックで行くならば、「終身刑に賛成する人には、その人自身が終身看守することまで含めて賛成してもらいたい」ということになりはしまいか。

「終身刑」というとき、ぼくらは本当にその人間を一生刑務所に閉じ込めて、寿命をまっとうさせるまで生かし続ける覚悟を持っているのだろうか。
「放り込んで終わり」という思考停止になってはいないだろうか。

殺す覚悟というのは、言ってしまえば簡単だ。
大切な人を殺されてしまった場合、ぼく自身がその犯人の死刑執行人になることはできそうな気がする。
でも、ぼく自身がその犯人を看守し死ぬまで生かし続ける覚悟は、ぼくにはたぶん持てそうにない。
死刑賛成の声が強いのも、こうした当事者意識からだろうと思う。

たぶんぼくらは、刑を課すことの責任であったり後味の悪さというものを、社会を構成する一人一人としてそれぞれ背負っているのだと思う。
すごく薄まっているから、気付かないけど。
でも、死刑というものは濃いから、否応なく気付かされてしまう。
(それでも気付かない人もいるけど)
死刑を廃止したいという気持ちの何割かは、たぶん、この背負うものを少しでも軽くしたいという気持ちがあるんじゃないかな。
薄めて、気づかずに暮らしていたい・・・と。

ぼくも、できれば気付かずに暮らしていきたい一人だから、死刑なんてなくなればいいのにと思うけど、もしそうなったら、本当に何かいろいろ気付かずに暮らしていきそうな気もする。
さりとて、「気づくために死刑は必要」というほど、気づきたいわけでもない。
難しいなぁ。
まぁ、やっぱり、気づかずに暮らせるのが良いのだろうと思うけど。


そもそも犯罪が起こらなければ死刑もないということで、これが一番理想的なんだけど。
厳罰化の是非を巡る議論はそれとして、防犯強化についての議論ももっとあっていいと思うのだけど、実行性および実効性として、難しいのかなぁ。
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by kude104 | 2008-04-25 16:58 | 時事・社会

被害者の救済

本村洋さんにその質問をしないで、いったい何を聞くの? - (元)登校拒否系

本村さんご本人が答えていらっしゃるように、この判決で死刑のハードルが上がるとか下がるというのは、司法の慣例主義に則った見方であり、本村さんはまさにその慣例主義と戦ってこられたのだから。
「慣例主義を覆したことをどう思いますか?」という質問なら分かるけど、「新たな慣例を作ったことをどう思いますか?」と尋ねるのは、やっぱり筋が違うように感じるのだな。
これが慣例となるかどうかは司法の問題だから、司法に聞けよと。

本村さんは戦っている人だから、これくらいの質問は大丈夫だろうというのは、まさに見事に大丈夫だったわけだけど、戦えるからといって戦いを挑んでもいいということではないだろう。
本来であれば戦わなくてもいいはずの人が戦っている姿というのは、どうしても切なさを覚えずにはいられない。

被害者の救済というものをどうしていけばいいのだろうと、思わずにはいられない。
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by kude104 | 2008-04-23 17:13 | 時事・社会

任天堂栄えて本屋潰れる

ニューストップ > 政治・社会 > 社会 > 任天堂栄えて本屋潰れる 旭屋書店閉店の衝撃度 - Infoseek ニュース

「書店は、任天堂DSやWiiなどのゲーム機、携帯電話に完全に客を奪われた。新刊を買うお金があったらゲームやケータイに回す。任天堂ばかりが栄える時代ですよ」(流通関係者)

流通関係者なのに。
あるいは、流通関係者だからか。
「DSやWiiやケータイに客を奪われた」とか言っている時点でおめでたいよね。
書籍は、流通販売システムがダメなんだと思う。
委託制と再販制はもう時代遅れでしょ。

「ただ私もネットで本を買うケースが増えているのは事実です」
「中古本のブックオフやコンビニにも客を奪われ続けている」
とか自分で書いておきながら、締めの言葉が「知の荒廃でなければいいが」って。
「活字離れを憂う」――みたいな記事にしとけばそれっぽいとか思ってんじゃねーぞと。

だいたい「知の荒廃」とかなんとか、本を高尚なものにしたがる人は、普段あんまり本読まないんじゃないかと思っちゃう。
まぁ、町の本屋さんに行って平積みされている本を手に取ってみればいい。
どのへんが「知」かと。
読書なんてのは、娯楽ですよ娯楽。
「文化的教養として本を読め」みたいな態度で商売やっているのなら、そりゃ本屋つぶれるって。
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by kude104 | 2008-04-21 22:09 |
いま文春新書の「昭和陸海軍の失敗―彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか」という本を読んでいるんですが、これがなかなか面白い。
「どうして日本は勝ち目のない戦争に突入したのか」というのは、ぼくにとって知りたい謎のひとつなのですが、本書を読んでいると「なるほど、だからか」と大いに頷ける。

答えは、一言で言うならば、「無謀な戦争を回避できるだけの優秀な人材がいなかったから」ということになるのだけど。
なぜ優秀な人材がいなかったのか――それが本書を読めばよく分かる。

能力ではなく、人間関係によってポストが決まる。
失敗しても、責任を取らない、問われない。
うーむ、まるでどこかの企業かお役所のようだ。

また、軍人を育てるためのエリート教育システムというものの弊害も大きくあるようです。
たしかに優秀な人材を集めてエリート教育を施しているわけだけど、サッカーに例えるなら、ドリブルとシュートばかりを徹底的にたたき込んでいるようなもので。
パスであるとかフォーメーションであるとかセットプレーであるとか、要するに、ゲーム全体を見通してチーム全体としてどう戦うべきかというところは、まったく教育されていない。

日清日露のあたりまでは、実戦経験者がいたことと、戦争というものがまだ単純であったおかげで問題が表面化しなかったけれど、昭和になって、実戦経験者はいなくなり、戦争も国家総力戦で複雑になってしまい、対応できなくなったんだなぁ。
近代サッカーが高度なチームプレーになったのに、日本には一度も試合をしたことがないドリブルとシュートだけの選手しか居なくなっちゃったって感じです。
そりゃ負けるよ。

なまじエリートコースを歩いていない軍人のほうが、軍の傍流に追い出されることで逆に外の世界と触れる機会を持つことができ、それで視野が広くなり、有能な人になっている。
でも、エリートコースを外れると中枢には入れないから、国家の大計を担うことができないという皮肉。
前線の指揮官を見ると優秀な人が多くて、なるほど開戦当初の破竹の快進撃も頷けるのだけど、これも逆に言えば、そういう人たちが中枢に行けなかったということでもあるのでしょう。
短期的には現場の能力でどうにかできても、中長期的には経営陣の経営戦略がものを言うのは、ビジネスだけの話じゃない。

また、これは軍人だけの話ではなく、世の中というのは、慎重派と行動派が対立すると、たいてい行動派が勝っちゃうんだなぁ。
行動派のほうが熱量が高いし、毅然として勇ましく映るから。
あと、武力に訴えるという選択肢は、だいたい行動派のお家芸でもありますし。
で、良識派というのはだいたい慎重派になるので、慎重派と行動派が対立すると、結果として良識派が駆逐されていなくなってしまう。
そうなったら、あとは暴走して自滅するのを待つだけです。

とまぁ、こうして見ると、旧日本軍が特別どうこうという話ではなくて、普遍的な組織論のお話であると思います。
いまの政治の官僚機構とか、大丈夫なんだろうかと思ってしまいますよね。
また、世論がイケイケになると、それは「危険」のシグナルだと思って用心したほうがよさそうです。
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by kude104 | 2008-04-19 23:59 |

新鮮な水戸黄門

いやあ、今日の水戸黄門はいつもと感じが違っていて、大変面白うございました。

まず、ご老公様が昔の学友を訪ねるところから話がスタートします。
でも、当の学友は病に伏せていて、看病している孫娘の言うには「ご老公様のことも分からない状態で・・・」。
てっきり、「久々に学友を尋ねたら痴ほう症でがっかり」という設定かと思って、「うわぁ、ご年配向けの番組で思い切ったことを」とドキドキしてしまいました。
実際には、何者かに襲われて危篤状態ということだったんですけどね。

ご老公様が、まるで叱るかのように学友の名前を呼ぶと、学友はかすかに意識を取り戻して何かをつぶやきます。
それを孫娘が耳を口元に近づけて聴き取るのですが、「うら、てんぷく」というメッセージを聴きとったあとの孫娘のセリフがすごい。
「ご老公様、息が止まりました」
学友、開始ものの5分ほどで死んじゃった。
いつも、なんだかんだ言って死人が出ない水戸黄門にあって、こうもあっさりキーパーソンを死なせるとは思いませんでしたよ。

物語は、家康公の御落胤かも知れませんという設定の風魔なんとやら(ふう様と呼ばれていました)が、幕府転覆を計画しているというもの。
いつもは悪代官のせこい金もうけレベルの話なのに、今日はまた壮大な悪巧みを持ってきたものです。

で、情報を仕入れるべく、弥七が伊賀の里に向かうわけですが、そこでなんか頭領の娘とか言うのが出てきてですね。
どうやら、かつて弥七とその娘(お春)ってのは許婚だったんだけど、弥七が里を抜けて出て行ったという設定らしい。
お春はいまでも弥七のことが大好きで結婚する気満々なんだけど・・・、いやぁ~出演者の平均年齢高いなぁ。
正直、弥七に色恋話は似合わないっていうか、キツイというか・・・。
なにより、弥七には女房と娘がいたはずでは。

そうそう、この頭領。
かなりのじいさんなのですが、「さっきまでしっかりしていたと思ったら、とつぜん呆けたようになる」という設定でした。
ご年配向けの番組で、なにをそんなに果敢にチャレンジする必要があるのかと。

見どころはまだまだ続きます。
今回はほんとすごい。

なんと、由美かおるの入浴シーンがありました。
水戸黄門と言えば、昔は毎回必ず由美かおるの入浴シーンがあって、お風呂と言えば「しずかちゃんか由美かおるか」というくらいのものでしたが、さすがに年齢的に厳しくなったのか、今期ぼくが観ている限りでは一度もなかった入浴シーンが、です。

しかも、そのあと悪役の屋敷に忍び込んだ由美かおるが、捕まって縛られて拷問されるというシーンまでありましたよ。
これはサービスショットと言っていいのだろうか。
いいのかな。

そして、水戸黄門と言えば正体を隠してのお忍びの旅ですが、今回は最初から正体バレバレで話が進みます。
今回は柳生兵庫とかまで出てくる豪華っぷりだったのですが、その兵庫にも「水戸のご老公様ですよね」ってあっさり見破られてるし。

そんな調子ですから、最後の大立ち回りでも、いつもは一通り暴れたあとで、「助さん角さんもういいでしょう」「控え控え控えよろう! この紋処が~」てな感じですが、今回は違った。
最初からいきなり印籠出して、「控えよろう!」とやっちゃうのよ。
でも、敵役であるふう様は家康公の御落胤で幕府転覆を謀っている人ですから、控えないの。
印籠を見ても控えないふう様を見て、助さんが「うそ!?」てな感じで驚く様が面白かったです。
でも、結局そのあと大立ち回りをして、ご老公一行が勝って終わりです。

いやあ、永遠のマンネリズムな水戸黄門にも、こんなチャレンジャブルな回もあるんだねぇ。
てっきり最終回かと思っちゃいましたよ。
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by kude104 | 2008-04-14 22:42 | テレビ
Google App Engine - これこそ「Google OS」だ - Zopeジャンキー日記

ネットサービスを作る上で一番難しいのは、サービスをスケールアウトすることです。
初めは1台のサーバで運用していたサービスでも、人気が出て利用者が増えてアクセス数が増えると、1台のサーバでは処理しきれなくなります。
そうなると、サーバを2台3台と増やすことになるのですが(これを「スケールアウト」といいます)、これは、ただ単純に数を増やせばいいというものではありません。
たとえば、AのサーバとBのサーバとで保存されているデータが違うなんてことになると、場合によってはサービスが無茶苦茶になってしまいます。
どのデータを分割し、どのデータをどのサーバに持たせて、どのデータを共有するか・・・などと、けっこう頭を悩ませることになります。

それが、「Google App Engine(GAE)」を使えば、このスケールアウトを GAE のほうで勝手にやってくれるというのですから、こんなに魅力的な話はありません。
作り手にとっては、スケールアウトのことなど何も悩むことなく、まるで1台のサーバで動かしているかのようにシステムを作ればいいわけです。

ネットでいろいろな新サービスの話を目にしますが、「これは世の中を変える!」という気分にさせられるものって滅多にありません。
でも、GAE の話には、久々に「すごい!」と興奮させられています。
やっぱり、なんだかんだ言っても、さすがは Google だなぁ。

「Google はいずれ "Google OS" をリリースするんじゃないか」という話は前からちょくちょくありました。
あらゆるアプリケーションがすべてネットサービスとなってブラウザ上で利用できるようになる――そういう未来を Google は描いていて、そうした "Google OS" で Microsoft を妥当する気だ・・・みたいな話。

"Google OS" と聞いて、なにかWebサイトにアクセスすると、そこはデスクトップみたいなデザインでアイコンが並んでいて、アイコンをクリックするとメーラーやオフィスソフトなんかが起動して・・・みたいなものを想像していたぼくの前に出てきたのが、GAE ですよ。
「うわぁ、やられた!」と思いましたね。

言われてみれば、そんなアイコンがどうたらとか、そんなものは全然本質的じゃない。
GAE の「Webアプリのプラットフォーム」という思想設計こそが、まさに "OS" ですよね。
言われてみれば確かにそれ以外に考えられないけど、「Webアプリのプラットフォーム」という思想にいったいどれだけの人がたどり着いていたのだろう。
まさに、検索サービスの本質に Google 以外だれも気付かなかったように、今度もまた、Google 以外だれも気付いていなかったんじゃないだろうか。
いやあ、ネットの世界は着々と Google 帝国が支配権を獲得しつつありますねぇ。

GAE はまだベータ版ということで、まだ未知数ですけど、十分使える感じで正式リリースされれば、ネットの世界は変わるだろうと思います。
もっとも、変わるのは作り手にとっての環境なので、表面的には特に変化は感じられないでしょうけど。
でも、ぼくにとっては、正式リリースが楽しみでしょうがない。
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by kude104 | 2008-04-13 22:07 | PC&ネット
どうして逃げないの? - 過ぎ去ろうとしない過去

「いじめを苦に自殺」といったニュースを目にするたびに、「死ぬくらいなら逃げればいいじゃん」と思うぼくですが、このエントリーを読んでちょっと考えを改めたというか。

「死ぬくらいなら逃げろ」というのは正しいアドバイスだと思うのだけど、それによって「いじめ」が解決するわけじゃないという当たり前のことを、ふと忘れてしまいそうになるのね。
逃げることでとりあえずの「死」は回避されるけれど、死が回避されればめでたしめでたしという話ではない。
本当に重要なのは、「逃げたあと、どうするか」です。
逃げるという選択肢は、そのあとに態勢の建て直しがあってこそ、有効な策と言えるのではないでしょうか。
なのに、ぼくら傍観者たちは、死が回避されたところでめでたしめでたしで「この話は終わり」とばかりに処理してしまっているような気がする。

「逃げたあとのアフターケアも考えて」という話をしようというのではない。
「いじめ」があったとき、その対処というのは誰がどう考えたって、いじめた人間に対する「裁き」だよなぁと、そう思うわけです。
言うなれば、正義が執行されること。
いじめた人間がきちんと裁かれ、学校に秩序が回復すれば、いじめられた人間は自殺することも不登校になることもないのではないか。

「それが出来れば苦労はない」という話であることは分かっています。
それが期待できないから、とりあえず「逃げろ」という話であるということも。

ただ、なんというかなぁ、「とりあえずやられているほうが対処しろ」という考え方が当たり前になってしまうのは、やっぱりまずい気がするのですよ。
ネットのことで言えば、「嫌ならコメント欄を閉じればいい」「嫌ならアクセス制限かければいい」「嫌なら別のブログに移ればいい」などなど、けっこうよく目にしますけど。
そういう物言いを見るにつれ、なんかモヤモヤしていたんですが、ようやく自分のモヤモヤの理由が分かりました。
つまり、「迷惑被っているほうが折れなきゃいけないなんて、おかしいだろ」ってことだ。
いじめているほうがそのままで、いじめられているほうが逃げるにせよ、態度を改めるにせよ、自分の生き方変えなきゃいけないのはおかしいよね。
そんなのは理不尽だ。
ましてや、いじめる側まで「逃げればいいじゃん」などと言うようになったら、おしまいです。
「逃げろ」と言うことで、そんな雰囲気づくりに加担してしまってはいないかと自らを省みる次第です。

「逃げろ」と言うとき、一番かっこいいのは、「ここは俺が何とかするから」ですよね。
「お前を逃がして、俺が敵と闘うぜ」というヒロイックな「逃げろ」ならカッコイイ。

それが無理なら、「逃げろ」は、逃げて態勢を立て直せという意味合いで使うべきでしょう。
そうなると、「逃げるのは簡単でしょ」というニュアンスでは使えない。
戦略が違うだけで、「闘え」というのと同じことだから。

そうでなければ、残る「逃げろ」は、「負け犬は去れ」ということだと思う。
相手を慮って言っているつもりでいても、何もないただの「逃げろ」は、意味合いとしては「負け犬は去れ」と同じなんじゃないかな。

いずれにしても、いじめっ子への非難が主で、いじめられっ子の避難が従であるべきで、それを踏まえての「逃げろ」でなければならぬと、今後は意識しようと思います。
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by kude104 | 2008-04-09 16:08
昨日深夜に放送された「NNN ドキュメント’08 兵士たちが記録した南京大虐殺」はなかなか興味深い内容でした。

まずは、20年にもわたり南京大虐殺についての調査を独自に行われてきた小野さんに敬意を表さずにはいられません。
テレビで見る限りでは、特に政治的思想的な動機というものは感じられませんでした。
ただ真実が知りたいという気持ちと、知らなければという使命感によって、活動していらっしゃるように見受けられました。
その姿勢には感服するばかりです。
真の学問、ジャーナリズムとは、ああいう姿勢のことを言うのだろうな。

南京大虐殺については、「あった」「なかった」「被害者30万人」「数万人」とさまざまな意見がありますが、昨日のテレビを見た限りでは、小野さんの調査された部隊だけに限って見ても3日間で捕虜約2万人を殺害した、ということになりそうですね。

捕虜殺害があったことは疑いようがないとして、問題は規模ですね。
2万人というのはいくらなんでも多すぎるような気もするし、一方でそのくらいは十分考えられる数であるような気もする。
たとえば、捉えた捕虜の数というのはある意味勲章だったろうから、多少水増しして報告していたのではないかという疑問は、まぁ無くはない。
このへんは、当時の南京の人口であるとか日本軍の兵力であるとか、そのあたりから「2万人は妥当な数である」と言えるなら、間違いないと思えるのですがどうなんだろう。
いずれにしても、サバを読んでいたとしても2倍がせいぜいだろうと思うので、目一杯少なく見積もっても1万人は殺害しているだろうと思うわけですが。

それが一方面の3日間の殺害数なので、いわゆる南京大虐殺として言われるトータルでの殺害数はその4~5倍くらいになるのかな・・・という印象です。

「なぜ虐殺が起きたのか?」という点ですが、一番の原因は日本軍の食糧補給の拙さではないかという印象を受けました。
日本軍の兵站の稚拙っぷりは有名ですが、改めてひどいものだなと。
そりゃ、自分たちの食べるものでさえ現地調達しているような部隊が数万人の捕虜を養えるわけがない。
逃がすこともできないとなれば、殺すしかないという発想になるのも分からないではない。

あとひとつ感心したのは、陣中日記について。
どれもなかなか文章力が高くて驚いた。
言うなれば地方の農村の一兵卒が誰に見せるでもない日記として書いたものなのに、ちょっとした文才を感じさせるものまでありました。
殊更文章力が高いものをピックアップしたのかも知れませんけど、もしあれが当時の日本人の平均だとしたら、日本軍が強かった理由がなんとなく分かる気がするなぁ。
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by kude104 | 2008-04-07 17:05 | テレビ

自由自由というけれど

誰か教えて (内田樹の研究室)

圧力をかけたほうでなく、圧力に屈したほうに憤る不思議。
「いじめられるほうにも問題がある」みたいな?

日教組の件はさておき、映画の件については、ぼくは映画館側のほうに同情的です。
そもそも、『靖国YASUKUNI』という映画を上映して儲けが出るとは思えない。
どんな映画か知らないですけど、客呼べる素材じゃないでしょう。
たぶん映画館側としては、配給元との付き合いとかなんとかで上映決めたんじゃないかな。
ただでさえ儲けにならん上に、いろいろ対応にコストがかかるとか面倒に巻き込まれるとかなった日にゃ、やってらんねぇでしょそんなもん。
映画館側の本音を言えばそういうことだと思うんですよね。
「金にならねーのにメンドくせぇことやりたくねぇ」と。

映画館はどだい営利目的ですから、「採算度外視で言論の自由を守れ」と強いるのは酷というものです。
もちろん、営利目的であっても法の範囲内で守るべきものは守らないといけないですけど、この場合、「何を上映するかしないか」を決めるのはそれこそ映画館の「権利」であるので、外野が強いるのはちょっと横暴だという気がします。
言論の自由を守る有志の方々が力とお金を持ち寄って、自分たちで『靖国YASUKUNI』を上映するのが一番いい解決方法じゃないでしょうか。

ちなみに、右翼の方々も言論の自由の範囲内で活動していらっしゃるが故に、法的に手が出せないんでしょうね多分。
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by kude104 | 2008-04-04 15:57 | 時事・社会