世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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せめて、彼らのゲームの思い出がいつまでも色褪せませんように。 - シロクマの屑籠(汎適所属)

まさに。
ぼくもゲームに飽いた者の一人ですが、その最たる理由は、「ゲームで遊ぶのがしんどくなったから」ですもん。

「昔のゲームは面白かった」という物言いは、正確には、「俺にとって、昔のゲーム体験は面白かった」ということになるでしょうか。
つまり、「昔のゲームと今のゲームを、昔の自分が遊んだらどっちを面白く感じるか」ではなくて、「同じゲームを昔の自分と今の自分が遊んだら、どっちの自分のほうが楽しめるか」という話なのでしょう。

かつては最高に面白かったゲーム体験が、成長するとともに色褪せていくのはなぜか――

1.飽きる。

基本的に、人間とは飽きる生き物なので、仮に、ゲームの面白さの絶対値がずっと同じレベルであったとしても、飽きが入る分、ぼくの中での娯楽としてのゲームの相対的な面白さは低下します。

2.他の新しい娯楽が登場する。

たとえば、ネットやケータイとか。
ぼくでいえば、ネットが登場しなければ、今もゲームを遊んでいたかも知れません。

3.趣味や嗜好の変化。

ゲーム以外にも面白いことが増える。
たとえば、異性とのデートやおしゃれなどは子供の頃にはまるで関心がないけど、大人になると興味を持つことのひとつでしょう。
新たに興味対象が増えると、そのぶん、古い興味対象への関心が薄れてしまう。

4.友人との会話のネタがゲームから別のものになる。

子供同士の会話で、仕事の愚痴とか誰々が結婚したらしいとか昔の思い出話とかで盛り上がってたら、いやだろう。
政治の話とか経済の話とか、そういうのも大人になると面白くなってくるんだよね。

5.時間と気力が少なくなる。

大人になると、自由時間が圧倒的に目減りする。
やることなくて時間が有り余っていた子供の時のようには遊べなくなる。

――と、そんなところでしょうか。
基本的には、娯楽に費やすことができるエネルギーの総量は減るのに、娯楽の数は増えるという傾向があって。
それで、娯楽の取捨選択が行われる結果、ゲームが次第に切り捨てられていく・・・と。

でも、そこで切り捨てられるのが、なぜゲームなのか。
たとえばぼくなら、読書なんかは昔も今もずっと面白いです。
世間的にも、「昔の小説は面白かった」とか、あんまり聞きませんよね。
小説なんて、娯楽としての発展は多分もう止まっちゃってると思いますけど、でも、ぼくはまだまだ読書という娯楽に飽きる気配はありません。

「なぜゲームなのか」という理由を考えると、やはり、5.の影響を一番受けるのがゲームだからということになるでしょうね。
ゲームって、「楽しい」と感じるまでの手間暇が多いんですよ。

たとえば本なら、ページ開いて読めば終わりです。
これがゲームなら、ゲーム機引っ張り出してきて、ゲームソフトセットして、テレビつけて、ゲーム機起動して、タイトル画面が起動するのを待って、メニュー選んで・・・みたいな。
実にめんどい。
本一冊読み終わるのとゲーム一本遊び終わるのとでも本のほうが早いだろうし、本のほうが安いし、本のほうが手軽に持ち運べるし、ぱっと読んでさっと止められるし。

もちろん、ゲームはゲーム、本は本、それぞれの楽しさがあるわけですが、「どの娯楽を削るか」という一点で比較する場合、ゲームの手間暇の多さは不利だと思う。
得られる娯楽満足度を費やしたエネルギーの量で割った数値がもし計算できたら、多くの大人にとってのゲームの値は、他の娯楽と比べてそんなに高くないんじゃないかな。

「昔のゲームは面白かった」という物言いがそのままの意味で理解できるとしたら、一点、昔のゲームは「楽しい」と感じるまでの手間暇が少なかったから、というのはあるんじゃないだろうか。
カセット差して電源入れればすぐタイトル、スタートボタンですぐゲームが始まって、キャラクターを動かすとすぐそのゲームの醍醐味が味わえる。

携帯ゲームやカジュアルゲームが人気なのも、やはり手軽さゆえだと思うわけで。
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by kude104 | 2008-03-30 23:59 | ゲーム
プログラムを覚える魅力がいまいちわかりません… - ZAPAブロ~グ2.0

ぼくの場合は、やっぱり「面白いから」ですかね。
プログラムを覚えること自体は特に面白いわけじゃないけど、それを使ってモノを作るのは面白い。

単純に、創作って面白いじゃないですか。
作らされるのは面白くないけど、自分の作りたいものを作りたいように作るのは面白い。

ぼくは、「こんなのがあったらどうだろう」とか「この不便さをどうにかする手はないものか」とか空想するのが好きですけど、たとえばそれがネットサービスなら、プログラムが組めると(ある程度までなら)空想するだけじゃなくて実際に自分で作ってみることができます。

小学生チックに言えば、「夢のスーパーカー」なんかを空想するのは楽しいですが、「キミが考えたスーパーカーが現実のものになる!」と言われると、空想することそれ自体もより楽しくなりますよね。
で、スーパーカーなんてものは自分一人ではまず作ることができませんが、ソフトウェアやネットサービスなら、自分一人で作れちゃう(大規模なものは難しいけど)。

たとえば、「世の中を変えたい」と思ったとして。
実際に世の中を動かそうと思ったら、すごく大変じゃないですか。
「自分一人の力で、何ができるだろう・・・」と思ってしまいます。
でも、たとえば Google や YouTube は、世の中を大きく変えました。
もしかしたら、ぼくの作るネットサービスが世の中を大きく動かすかも知れない――と、空想できるところが面白いですね。
ある種、宝探しというかトレジャーハンターに似た気分でしょうか。
まだ見ぬ財宝を求めて、山に上ったり海に潜ったり地面を掘ったり、そんな気分です。

プログラミング自体は、パズルちっくな面白さだと思います。
「こういう動作をさせたい」という完成形があって、プログラムの命令語などがパズルのピースです。
ピースをああでもないこうでもないと弄っているうちに、ある形でピタリと組み合わさって、見事完成形が現れる快感。
プログラミングって、ジグソーパズルに近い気がしますね。


プログラムを覚えるのはたしかに大変ですが、趣味レベルでいいなら、「習うより慣れろ」くらいの気持ちでいいんじゃないかと思います。
はじめに、とりあえず基礎的な(プログラムの解説本なら1章~2章あたり)ことだけ学習すれば、あとは実際にプログラムを組みながら、その都度「どうやればいいか」を調べつつやっていけばいいんじゃないかな。
初めに全部覚える必要はなくて、必要なものを必要な時に必要なだけ覚えていくつもりでいいと思う。

ただ、ネットサービスを作る際には、セキュリティにだけは気を付けて。
基本的には、ユーザの入力など他人のデータを自分のところに取り込んでなんやかんやするときには注意して。
そこさえきちんとしていれば、あとはテキトーでも稚拙でも美しくなくても、楽しければいいと思います。
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by kude104 | 2008-03-29 17:10 | PC&ネット
お金を払うものが「勝ち組」だって? - reponの日記

お金を払って手に入れた物と、無料で手に入れた物とでは、その物に対するときの気持ちに少ながらぬ違いがあるように、ぼく自身は感じています。

たとえば音楽。
ぼくの場合、自分で買ったCDとレンタルしたCDとでは、聴き込み度が明らかに違う。
自分で買ったCDは、大げさに言うと、支払った金額分のもとを取ろうとして、好きになるまで聴き込むようなところがある。
対してレンタルだと、1~2回聴いて気に入らなければそれまでとなりやすい。

ぼく自身の感覚としては、物があふれるようになると、ひとは味わうのではなく、ただ消費するだけに陥りやすいような気します。
消費者は、お金を払って消費してくれるうちは良いけど、お金を払わなくても消費できるようになったら、本当にただの消費者になってしまうのではないかな。
たとえセンスが養われても、ほとんどの消費者は、より効率よく消費するためにそれを使うだけじゃないだろうか。

そうは言っても、現実問題として、音楽にしろ文章にしろ動画にしろ、デジタルコンテンツは突き詰めればいずれ無料になるだろうという気はしますね。
たとえば音楽というものが、録音メディアの登場で売れるものになったのであれば、ネットの登場で売れないものになるのは、時代の流れというものでしょう。
そうなったときに、今までと同じ規模でクリエイターにお金を還元させる方法なんてものはないのではないかと、漠然と思ったりもします。
たとえば今の時代に、紙芝居屋さんにお金を還元させる方法を探すのが難しいように。

産業の栄枯盛衰は、勝ち組とか負け組なんて意識ではどうにもできないと思うのです。
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by kude104 | 2008-03-27 23:59 | PC&ネット

永遠のマンネリズム

最近ふと「水戸黄門」を見るようになったんだけど、なかなかどうして面白いのね。
永遠のマンネリズムと言われるとおり、毎回毎回同じパターンなので、しばらく見続けると飽きるんだろうけど。
今はその「パターン」こそが面白く感じています。
なんというか、展開に無駄がないんですよ。

パターンとしては、
1.ご老公一行がどこかの町に立ち寄って、そこで「今週のキーパーソン」とふとしたことで知りあう。
2.一方その頃、老中やら城代家老やらが悪事を働いている。
3.その悪事に、「今週のキーパーソン」が巻き込まれる。
4.ご老公、暴れる。
みたいな。

筋としては本当にただこれだけなんだけど、毎回「キーパーソン」の職業や人となりを変え、キーパーソンとご老公一行との関わり方を変え、悪事の内容を変え、キーパーソンの巻き込まれ方を変え、ときにイレギュラーなイベントをちょっと盛り込んで、飽きさせない。
毎回ちょっとした人情話を盛り込み、ご老公一行の登場人物全員に一通りキャラクター性の分かる見せ場を作っている。
それを40分くらいの尺にきれいに納める手腕は、なかなかどうして大したものだ。
もう何年続いているのか知らないけど、その長い歴史で磨き上げられた、まさに黄金パターンと呼ぶにふさわしいものだと思う。
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by kude104 | 2008-03-24 22:52 | テレビ

宇宙怖い

CNN.co.jp:75億光年の彼方で星が爆発、肉眼でも観測

宇宙怖い。
「太陽の約40倍の大きさに膨れ上がっていた」
「近くにあった惑星は蒸発した」
ってのも怖いけど、一番怖いのはやっぱり

「爆発が起きたのは、宇宙ができてから現在までの年月の半分に満たず、地球もまだ誕生
していない75億年前」

ってところ。
なんか、時間のスケールが途方もなさ過ぎて、えずきそう。

なんというか、「無」の世界を覗きこんでしまったような恐怖。
75億年前だよ75億年前。
地球もなければ人間もいないんだから、「世界」を認識する者がいない。
つまり、「世界」がない――「無」の世界の出来事だよ。
想像は当然未来に向かって、地球が消滅して人類が滅亡して、「世界」を認識する者がいなくなった「無」の世界がやっぱり確実に訪れるだ・・・と思い知らされる恐怖。
怖ぇぇ。

それにしても、75億年って。
地球が存在する前の出来事が、今ようやく地球に届いたって、なんだろうねこれ。
でもって、75億年もの間ず~~っと飛びつつけていた光ってのも、なんだろうね。
想像したら、なんかクラクラするわ。
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by kude104 | 2008-03-22 23:22 | 時事・社会

PHP Rampart リリース

PHP でセキュアな Web アプリケーションを作るためのテンプレートエンジン PHP Rampart を公開しました。

PHP Rampart

「PHP はダメな言語」とよく批判されます。
その理由のひとつに、PHP は初心者でも比較的簡単に Web アプリケーションが作れてしまうので、セキュリティ対策についてあまり詳しくないまま脆弱な Web アプリケーションを作ってしまうケースが多いことが挙げられます。

だったら、そうした人でも簡単にセキュリティ対策が施せるツールがあれば、PHP がダメな子呼ばわりされることも少なくなるのではと思い、作ってみました。

とはいえ、ぼく自身、セキュリティ対策についてはあまり詳しくないので、見よう見まねで作りました。
PHP Ramaprt の使用実績という点でも、当然これからです。
今後自作する Web アプリケーションで実際に使用してみながら、いろいろブラッシュアップしていこうとは思っていますが、ぼく一人の力ではおのずと限界があるでしょう。
できれば、多くの方々に使って頂いて、改良・改善・アドバイス等々をいただければ嬉しいです。

PHP Rampart によって、少しでも危険な Web アプリケーションが減り、PHP のイメージが回復すればいいなーと思います。
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by kude104 | 2008-03-18 23:10 | PC&ネット

要は、情熱の問題でしょ

要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51

このエントリー自体も面白いのだけど、このエントリーを読んだ人たちのリアクションがまた面白い。
その列にぼくも加わろう。

「現状に不満がある」場合に採れる行動は、大きく分けると2パターンしかない。
ひとつは、自分で何とかしようとするパターン。
もうひとつは、誰かが何とかしてくれるのを待つパターン。
いろいろごちゃごちゃ言ってみても、大きく分ければ、この2パターンになると思う。

上記エントリーの例で言うなら、「恋人が欲しい」というときに、出会いの機会を自ら作ろうとするのは前者、機会が訪れるのを待つのが後者。

どちらの行動パターンが正しいかなんてことは一概には言えない。
人にも依るし、対象にも依るし、時と場合にも依る。
ただ、基本戦略としては、たぶんこうだろうと思う。

何が何でも、どうしても現状を変えたいと思うならば、自ら行動するほうが良い。
誰かが変えてくれる可能性に、プラス、自分の力で変えられるかも知れない可能性が加わるぶん、現状を変えられる可能性が高くなるから。
ただ、もちろん、そのためには自らのエネルギーを注ぎ込まなければならない。
膨大なエネルギーを注ぎ込んで、ついぞ無駄になる可能性もあるだろう。
「それでもいい、少しでも可能性が高くなるなら」と思えるなら、自ら行動するべきだ。

あるいは、自分の注げるエネルギーの範囲内で変えられるだろうという見通しが立つなら、自ら行動すればいいと思う。

一方、自分がどれだけエネルギーを注いでも無理だと思う場合や、エネルギーを注ぐほどの情熱がない場合は、誰かが変えてくれるのを待つほうがいい。
そのぶん他のことにエネルギーを費やせばいいと思う。
ただ、なにぶん他人任せにするわけだから、現状が変わるか変わらないかは運頼みって感じにはなる。
それでいいと、半ばあきらめるくらいの気持ちが必要だろう。

繰り返しになるが、必要となるエネルギーの量や情熱は人それぞれだし、対象にも依るし、一概には言えない。
だから、その時々で自分でやるか、人に任せるか、選べばいいと思う。
何でもかんでも自分でやってたらしんどいし、なんでもかんでも他人任せだと不自由するし。

ただ、個人的には、常にひとつくらいは「自ら行動するもの」を持っておくといいんじゃないかと思う。
それは仕事でもいいし、遊びでもいいし、恋愛でもいいし、なんでもいい。
全部何でも他人任せにする癖が付いちゃうと、いざというときに動けないから。
逆に言うと、それ以外――というか自分にとってどうでもいいことは、全部他人任せでいいと思う。
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by kude104 | 2008-03-17 17:31
コンビニでふと「ドラえもん のび太と緑の巨人伝」の漫画を発見して、思わず買ってしまいました。
映画版と漫画版とではストーリーがけっこう違うという話を聞いていたので、興味を引かれた次第です。
映画はそれはもうひどい内容でしたが、漫画はどうなのだろう・・・と。
多少なりとも救いはあるのか。

で、漫画版を読んでみた感想ですが、あらら、悪くないじゃん。
これなら十分許容範囲内ですよ。
映画でひどいと感じた個所は、おおむね修正されているように思います。
これなら鑑賞に耐えうると言っていいんじゃないでしょうか。
映画版は、それはもうひどいものでしたから。

映画の脚本を元に漫画化したのだろうから、映画のひどい所を漫画で修正したと見るべきか。
あるいは、もともとの脚本は漫画の通りで、映画化する際に映画的な表現に合わせる形で書き換えられたのか・・・。

そういえば、「緑の巨人伝」は短編の「さらばキー坊」と「森は生きている」を原案にしていると聞いていたのですが、映画を見る限りでは、「森は生きている」の要素がまったく感じられなかったのです。
おかしいな~と思っていたのですが、漫画を読んで納得しました。
あれならなるほど、「森は生きている」を原案にしたと分かる。

ということは、もともとの脚本は漫画の通りで、映画化するにあたって大幅に書き換えられたと見るべきでしょうね。
となると悪いのは監督か。

むろん、漫画と映画と、メディアが違うので漫画の通りに映画化できるとは思っていない。
でも、もともとの脚本が漫画の通りだったとしたら、いくら映画的なアレンジが必要とはいえ、あれはないわ。
削った箇所と新たに加えた個所と、その判断はないわ。

まぁ、確かに漫画のまま映画化したら2時間余裕で超えちゃう感じはありますから、どの要素をカットするか・・・という問題だったのかなぁ。
で、それをカットしたらこれを書き換えて・・・とやっているうちに、あんなふうになっちゃったのかなぁ。
いや、でも、それにしたって、あれはないよな。
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by kude104 | 2008-03-15 18:58 |
無料経済=お金が買える経済 - アンカテ(Uncategorizable Blog)

うーん、なんかピンとこない。
『評判や注目』を資産として貯めておいて、お金が必要になったときに、『評判や注目』でお金を『買う』・・・という話のようですが。

まず、『評判や注目』は他人のそれと交換できない。
なので、『評判や注目』は通貨にはなりえないと思うのだけど。

そもそも、『評判や注目』からお金を生むことはできるけど、『評判や注目』をお金に換金することはできないように思うのだけどなぁ。
換金ということは、手にしたお金の分、『評判や注目』が減るということだもん。
まぁ、提灯記事を書いて報酬を手にして、そのぶん評判を下げるという行為が換金に当たるのかも知れないけど、そうした行為で一度評判を下げると再び評判を上げるのはなかなか難しいので、経済活動としては現実的じゃないでしょう。

『評判や注目』からお金を生むという話なら、それだけでは、別段目新しい話でもないですよね。
「広告によって」という話は、個人的には、お腹いっぱいです。

「無料経済」というと何かすごく刺激的だけど、ぼくは逆に、ネットの世界(あるいは広くデジタルの世界)というのは、無料にしかなり得ないのではないかという危惧を抱きます。
創造物や労働を直接お金に換えることができないというのは、ぼくにはひどく不完全な世界に思えるのです。
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by kude104 | 2008-03-14 22:41 | PC&ネット
つい数日前まで真冬の寒さに震えていたのに、なんだかもうすっかり春気分です。
春と言えば?
そう! 春だ一番ドラえもん祭り――じゃなかった、ドラえもん映画です。
今年もやっぱり観に行っちゃいましたよ。

今年の『映画ドラえもん のび太と緑の巨人伝』は、一言で言うと、「これは無いな」と。
毎年多かれ少なかれ「ひどいひどい」言ってますけど、今年が一番ひどいわ。
たぶん、過去最低。
これで、オリジナルシナリオはやっぱりもうダメだということを証明した形になったのではないかと思います。
来年は宇宙開拓史のリメイクのようだけど、もうこの先ずっとリメイクでいいじゃん。

なんか、ツンデレなアミダラ女王とか、スーパーサイヤ人なキー坊とか、緑の巨神兵とか、どこかで見たようなビジュアルイメージ満載でさ。
内容的にも、「風の谷のナウシカをドラえもんでやってみました」みたいな感じでさ。
もちろん、面白さは雲泥の差だけどね。

うーん、「緑を大切に」というメッセージ性に酔っちゃったんだろうか。
大作志向が暴走したんだろうか。
完全に、「ドラえもん映画」であることを見失っている。
よくあれでゴーサインが出たなと。
誰か止めるやつはいなかったのか。

えー、お子様をお持ちのお父様方、お母様方。
「ドラえもんの映画が観たい~」とお子様にせがまれたら、悪いことは言いません、ケロロ軍曹のほうにしましょう。
ケロロ軍曹が面白いかどうかは知りませんけど、少なくとも、今回のドラえもん映画よりはましだと思うので。

悲しいけど、これ現実なのよね。
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by kude104 | 2008-03-12 21:47 | 映画