世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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AKB48「ポスター44種類コンプでイベント招待」企画、「独禁法違反」のおそれで中止 - ITmedia News

「CD特典のポスター44種類をそろえるとイベントに招待」
→ 「ポスターはCD1枚につき1種類」
→ 「ポスターは選べない」
→ 「ポスターがもらえるのは、東京・秋葉原のAKB48劇場での販売分」

「搾り取る」以前に、これ、まともにコンプリートできる人がいるとはとても思えないんですけど。
できるとすれば、ファン同士でのトレードやヤフオクなどで・・・ということだろうけど、普通に考えれば、ヤフオクなどで売買されたんじゃ、要するに他人が利益をせしめるわけで、販売元としては面白くないと思うんだよね。
「販売元が自らこっそりヤフオクに流す」というシナリオも考えられるけど、わざわざそんな手の込んだことをするかなぁ。

なにか、ファンだけが知るシステムがあったんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう。
たとえばパチンコの景品交換所のように、AKB48劇場の隣にAKB48グッズの売買専門店があるとか。

***

時代のトレンドとしてはどうやら、薄利多売から、少数でも富裕層に高く売るという高利少売になっているようで、その意味で、こうしたふうに熱狂的なファンから「搾り取る」やり方は方向性として間違っていないと思う。
超高級料亭で何万円と使うのも、AKB48に何万円と使うのも、そう大差ないでしょ。

ただ、たぶんCD自体は同じだよね?
それを44枚も買わせるというのは単純に無駄だから、それはよろしくない。
CD1枚1,250円らしいので、44枚で55,000円か。
じゃ、イベントの招待券を6万円くらいで販売すればいいじゃん。

そうしないのは、CDを数多く買わせることに意味があるからだろう。
つまり、オリコンチャートなどに載せるため、だよね。
AKB48のようなアイドルであっても、オリコンチャートの順位が重要なのかと、ちょっと意外。
ニッチでコアなファン層をターゲットにしているように思えるので、オリコンチャートの順位を上げるために策を弄するより、秋葉原でイベント打ったほうがはるかに費用対効果高そうに思えるのになぁ。

「音楽鑑賞用としてのCD」という認識で売るつもりがないのなら、AKB48劇場の入場チケットをCDにすればいいのに。
そうすれば、少なくとも入場者数と同じ枚数のCDが売れることになるから、まぁ、それなりに効果あるんじゃないかな。
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by kude104 | 2008-02-29 21:37 | 時事・社会
はてなの近藤社長はシリコンバレーでどんな問題に直面したのか? - 分裂勘違い君劇場

「はてな京都帰還」に対する言説の中で、一番エッジが効いてると思う。
これ、ものすごく強烈な「皮肉」「ほめ殺し」だと思うんだけど、最後の一文がなんだか煙幕になっちゃってるのかな?


はてなの話はさておき。
ぼくがこのエントリーで「なるほど」と思ったのは、

『たとえ日本のはてなが大成功しても、はてなの社員は自己資本を手にすることはできない。自己資本がないということは、「自分のビジネス」を立ち上げるのが難しいということだ』

という部分。
これはなにも「はてな」に限ったことではなくて、要するに

『ベンチャーが成功するとき、たくさんのストックオプション長者が生まれるということは、多くの人間が自己資本を手にするということだ。自己資本を手にした社員たちは、こんどは「自分の」ビジネスを創業したり、エンジェルとして別のベンチャープロジェクトを育てるだろう。そうして、次々に新しいビジネスが花咲いていく、という生態系がシリコンバレーなのだ』

という視点は、これまでのぼくにはなかったなぁ。

「いい企業」というものを、「そこから多くの起業家を輩出している企業」と捉える視点は、とてもいいんじゃないかな。
「多くの起業家を輩出する企業」とはどんな企業であるかと考えれば、社員に充分な報酬を与える企業であり、社員をスキル面や精神面で成長させる企業であり、なにより、その企業の活動内容が社員に「自分も起業したい」と思わせるくらい「善」なるものであると言えるんじゃないだろうか。

いくら企業として儲けていても、社員をいわゆる「飼い殺し」にしている企業は尊敬できない。
人材が巣立つのではなく、辞めていく企業も同様だ。

「この起業家(によって興された企業)を輩出した企業」の系図を作ると面白そう。
それを見れば、一発で「いい企業」が分かるんじゃないかな。
逆に、まるで起業家を輩出できていない企業も一目瞭然だし。

そうして、「優秀な起業家を輩出すること」が企業の重要なステータスになれば、企業はせっせと優秀な起業家を輩出しようと努めるだろうから、日本にもどんどん優れた起業家が生まれ、彼ら/彼女らが優れた企業を作り、そこからまた優れた起業家が生まれ、優れた企業が生まれるという具合に、正のスパイラルで爆発的に日本の社会は活性化するんじゃないだろうか。

「へんな会社」でアピールする時代から、「起業家を輩出する会社」でアピールする時代へ。
はてなにもぜひそうなって欲しい。
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by kude104 | 2008-02-27 23:59 | PC&ネット

その行動、まさにはてな

米国から京都へ はてな近藤社長の真意は (1/2) - ITmedia News

はてなユーザではないぼくにとっては、はてなの動向にさほど関心はないのですが、「京都よ、私は帰ってきた!」みたいなノリはちょっと面白い。
生まれも育ちも関西なんで、関西がにぎわうのは嬉しい。

ただ、はてながGoogleみたいになれないのは、ひとつにはこのへんの「ビジネスにシビアじゃない」ところだろうな。
なんというか、サークル活動はどこまで行ってもサークル活動のレベルを超えない、というか。
上のインタビュー記事を読んでいると、はてなという会社は、社長である近藤さんの目と手の届く範囲が成長限界点になっちゃうんだろうなという印象を受ける。
ま、はてな的にはそれでいいんだろうけど。
はてなから「へんな会社」の魅力を取ると、可もなく不可もなくって感じになっちゃうもんね。

せっかくだから、なにかもう全く新しい、ものすごくインパクトのあるサービスを作り出してほしいな。
世界初で、その登場以前と以後とでネットライフが大きく変わっちゃうくらいのやつを。
アメリカにあるのを日本に持ってきましたとか、マッシュアップですとか、それはそれで悪くないんだけど、あんまりわくわくしないから。

「今年、1~2種類の新サービスを投入する計画」ってことなので、そこで真価が問われましょう。
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by kude104 | 2008-02-22 23:02 | PC&ネット
RSSリーダーがフツーの人に普及しなかった訳 - Core

書かれているけれども、やはり、「フツーの人は、そもそもそんなにブログとか読まないから」ってことだろうと思う。
チェックするブログの数が片手で足りるくらいなら、RSSリーダーとか要らないよね。
まず、第一段階の理由がそれとして。

第二段階。
ある程度チェックするブログの数が増えてきた人が、なかなかRSSリーダーに移行しない/できない理由を考えてみる。

これも方々で指摘されているけど、名前とかが直感的じゃないから、「なんか難しそう」ってイメージが先行しちゃうからだと思う。
フィードとかRSS1.0とかRSS2.0とかATOMとかXMLとか・・・。
フツーの人には分かんねっての。

RSSリーダーをフツーの人用に設計するとしたら。
まず、ブラウザ組み込みにする。
RSSリーダーを別途インストールするとか、面倒くさいからやんないでしょ。
Webアプリケーションにしても、わざわざユーザー登録しなきゃダメとか面倒くさいでしょ。

で、「いま見ているサイトをRSSリーダーに登録する」という作業をボタン一発でできるようにする。
ブラウザ組み込みなら、ツールバーにボタン設置できるから、都合がいい。

ぽちっとなとボタンがクリックされたら、いまユーザが見ているページをブラウザ内部で解析してRSSフィードのURLを検出し、それをRSSリーダーに登録する。
フツーの人用のサービスなら、こうした作業はソフトが自動でやるのが当たり前。
ユーザにいちいちフィードのURLを入力させるとかしない。
「RSS1.0にしますか? それともRSS2.0にしますか?」などと訊くのは、もっての他。
訊いたって、どうせフツーの人にはよく分かんないんだし、いたずらに混乱させるだけだ。

どうせなら、「RSSリーダー」というネーミングも変えよう。
「RSS読み取り機」というネーミングじゃ、フツーの人はぴんと来ないでしょう。
フツーの人にとっては、要するに、ブログの更新をチェックする機能がメインになるだろうから、そのまんま「更新チェッカー」でいいんじゃないかな。

まとめると、ブラウザに「このサイトを更新チェッカーに登録する」ボタンがあって、それをクリックすると、いま見ているサイトが「更新チェッカー」に登録される。
ほらね、簡単でしょ。
これならフツーの人でも、RSSリーダーを使うんじゃないだろうか。
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by kude104 | 2008-02-21 21:49

宗教の勧誘の人

久々に「ポストされた宗教冊子を読んでみた」の続きでも書いてみようか。
実は、年を越えても、勧誘の人との交流はまだ続いています。
ついには聖書そのものをもらうまでに至りました。
タダであんなのくれちゃうんだから、気前いいよね。
・・・これってやっぱり、順調に捕り込まれているのかなぁ。

とはいえ、話し相手は、初めに勧誘に来た人から別の人に代わっています。
言わば、2代目。
最初の人は女性で、今の人は男性なので、こっちとしてはちょっとがっかりというか。
やっぱ、どうせ会話するなら男よりも女のほうが多少なりとも気分的に楽しいじゃない。

交代の理由として、「男性のお宅に、たびたび女性が訪問して誤解されて、ご迷惑をおかけしてもいけませんから」などと言われましたが、本当かなぁ。
いつもインターフォン越しで会話していたので、顔も知らないくらいでしたから、「変なことに気を使うなぁ」と思ったものです。
でもまぁ、悪い宗教なら、そこは敢えて男性には女性の勧誘員を充てて、いわゆるハニートラップを仕掛けてくることも考えられるので、それをしなかったという点は評価してもよいかと。

たぶん、ぼくがいつもあれこれ疑問を投げかけるので、あの女性では手に負えなくて交代したんじゃないかと思うのだけど、それは考え過ぎかな。
交代したとき、「よし、1面のボスを倒して、次、2面のボスが出てきた」などと思ってしまったのは秘密です。

ただ、交代してやってきたこの男性も、今のところ、さほど強くないんだよなぁ。
前の女性とあまりレベルが違わないように感じるので、やっぱり「1面のボスを倒して、2面のボスが出てきた」わけではないのだろうか。

ぼくは別に宗教信じている人をバカにするつもりは全然なくて、「強い弱い」「レベルが高い低い」というのは、単純に論理的な説明能力が高いか低いかということです。
ぼくの疑問に対して、その宗教内のロジックでいいので論理的に答えを返してくれると「なるほど!」と思えるのだけど。
信仰なんてものは最終的には信じるか信じないかに行きつくので、そこは別に構わない。
ただ、せめてぼくみたいな素人が思いつく程度の疑問くらいは、理論武装していろよと思う次第です。

どうも、物心ついたときから信仰しているので、そういう疑問があるということを考えたことすらない、ということみたいだけど。
うーん、勧誘員として派遣するにあたって、教団としてそのあたりの勉強会とかしないのだろうか。
まぁ、そもそもぼくみたいに、きちんと冊子やら聖書やらを読んで、その上で質問する人など滅多にいないんだろうけどさ。

あるいは、敢えてレベルの低い様を装い、ぼくをいい気にさせて油断させておいて捕り込む作戦だとしたら、見事だけど。
気が付いたらやばい状況に陥っていた、なんてことになりはしないかと、ちょっとだけ不安もあるけど、この先どういう展開になるのか楽しみです。
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by kude104 | 2008-02-17 23:38

眠れる運命の奴隷

仏滅上等: ゲーマーのための佛教講座
仏滅上等: 「ジョジョ好き」のための佛教講座

「輪廻」というものをゲームやジョジョで説明してみました、というエントリー。
実に分かりやすくて面白いね。

ぼくなんかは仏教についてほとんど知らなくて、「輪廻」と言えばまさに「生まれ変わり」というくらいの認識しかなかった。
なので、輪廻の虚しさであったり、輪廻の輪から抜けんとする気持ちというのが、いまひとつピンとこなかったわけです。
「生まれ変わり」って、どちらかというと、「もっとましな人生に生まれ変わりたい」という希望になりうるから。

でも、輪廻というものを「レクイエムの発動」と考えると、ちょっと分かる気がする。
生きることが苦しみであるならば、輪廻というのは苦しみを何度も何度も無限に繰り返すことになる。
「ああ、ようやく死ねる。これで苦しみが終わる」と思って死んでみたら、また生き返って、再び同じような苦しみの人生を送る。
それが延々終わらない・・・。
これはたしかに、「空しい繰り返し」であり、「真実に到達することの無い絶望」だと思う。

でも、「レクイエム」ならまだいいかも知れない。
「生まれ変わり」なら、そうは言ってもまだ「ましな人生」というものがあって、それに生まれ変われるんじゃないだろうか・・・という希望が持てる。
でも、輪廻が「バイツァ・ダスト」だったら、その絶望感は半端じゃない気がする。

「バイツァ・ダスト」な輪廻とは何かというと、生まれ変わりもせず、自分の人生を延々繰り返すというもの。
ぼくらは時間は不可逆だと思っているから、まさか自分自身に「生まれ変わる」なんて普通想像もしないけど、「魂」の世界のことだから分からないよ~。

この虚しさを、たとえば「自殺」で考えてみると分かりやすい。
苦しい人生に耐えかねて、自ら命を絶つ。
ああ、これでようやく楽になれたと思ったら、また同じ人生がスタートするわけだ。
そうして同じ人生をたどり、同じように自殺して、また最初に戻って、同じ人生をたどり、同じように自殺して・・・。
これの何がたちが悪いって、本人に同じ人生を延々繰り返しているという自覚がないこと。
自覚がないから、抜けだせない。
その様子を「外」から見たならば、これ以上に「空しい繰り返し」であり、「真実に到達することの無い絶望」はないだろうね。

もし輪廻が「バイツァ・ダスト」なら、そこから抜け出す方法はあるのか・・・。
佛教的な「解脱」については知りませんが、テツガク的に考えるなら、答えはたぶんこうじゃないかな。
つまり、死ぬ瞬間に、「自分の人生はいい人生だったな。もう一度生まれ変わっても同じ人生を送りたい」と心から思えること。
その瞬間、輪廻は「苦痛」ではなく、幸福の繰り返しとなるので、なんというか輪廻自体が無効化する。
輪廻から抜け出したいと思わなくなった時が、輪廻から抜け出たときとでも言うか。


『プレーヤー(佛教徒)はリセット(自殺)を禁止されてるから仕方無しにプレイする(生きる)のでは無くて・・仮に反吐が出るような厳しい状況にあっても
「今回のプレイ(人生)で ゲームクリア(悟りに到達)したる!」
と思って プレイしている(生きている)わけです』

これぞまさにジョジョが描く人間賛歌ですね。
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by kude104 | 2008-02-14 17:35

ブログのゲームバランス

BLOG15.NET : ブログはこれからおもしろくなるのかな? - livedoor Blog(ブログ)

Web日記の時代から言えば、かれこれ8年近く続けて、未だに一日50アクセス程度のぼくが来ましたよ、と。
(読んでくれている50人の皆さんありがとう)

まず、資本の有るところに資本が集中するのは、ブログに限らず、世の中のあらゆるものがそうであると思う。
無能でなければ、基本的に金持ちはより一層金持ちになっていくものだし。
そうした世界で裸一貫から一財産築くには、それなりの才能と努力と運が必要なのはしょうがない。
たとえば、タレントブログが人気を集めているのを「あいつら、テレビの知名度利用しやがって」と羨んでみても、よくよく考えたら、テレビで知名度獲得するほうが難しいじゃん・・・みたいなね。

それはそれとして。
ブログという「娯楽」を考えたとき、ブログを書くことのご褒美であり快感は何によって発生するかというと、ひとつには「アクセス数が増えること」じゃないかな。
それがモチベーションという人は少なからずいると思う。
で、「トラフィックを集めるコツはひたすら内容のあるエントリを書き続けることだ」というのは至極真っ当だけど、すごく地道すぎる気がするのですよ。
娯楽としては、ストイックすぎるというか。

たとえば、ストイックにブログ道を極めんとする人とか、あるいは本当に内輪だけに向けて書いている人とか、そういう人はいいけど。
そうじゃない、「娯楽としてのブログ」というものを考えると、実はあんまりゲームバランス良くないのかもな・・・と思う。
ライトゲーマー受けするゲームじゃない気がする。
「ブログをはじめて3か月以内で半分以上の人がやめる」のは、たぶんそういうことだろう。

そんなわけで、「娯楽としてのブログ」は今後どんどん衰退していくんじゃないかと思う。
「娯楽としてのブログ」などむしろ減ってせいせいするわ、という人もいるだろうし、一理あるけど、ブログ人口の縮小が吉と出るか凶と出るかは何とも言えないな。

あるいは、「アクセス数」以外にブログの娯楽としての快感を得られるゲームシステムが開発されるかどうか。
なにがいいだろう。
たとえば、「どれだけ読まれたか」で評価するとゲームバランス悪くなるので、「どれだけ書いたか」で評価するとか。
人工無能的なマスコットキャラを用意して、エントリー更新するとそいつがそのエントリー内容を元に言葉を覚えて、コメント欄にコメントしてくれたり・・・みたいな、「どこでもいっしょ」的発想なんてのは、まぁありなんじゃないかな。
ただ、そんなブログはローカルでやれという意見はごもっとも。
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by kude104 | 2008-02-13 23:58 | PC&ネット
すぐに結果が出ないと我慢ならないメンタリティ - シロクマの屑籠(汎適所属)

企業が即戦力を求める理由は簡単だ。
人員に余裕がないからだろう。
5人で出来る仕事に10人を充てられるのなら、5人で仕事を回して残りの5人は育てましょうとできるけど、今は5人で出来る仕事を4人でやらなきゃいけないような時代です。

もちろん、企業としても人材を育てなきゃいけないことは分かっているだろうけど、人を多く雇うとその分人件費が嵩み、短期的な視野で見た場合、企業の利益率が下がる。
そうするとたぶん株価も下がって株主に文句を言われると、そういう事情はあるだろう。
設備投資の多い少ないで企業の将来性を判断するという話はよく聞くけど、人件費の多い少ないで企業の将来性を判断するという話は聞いたことがない。

このへんは、経済学者か誰かが、ある程度余剰人員がいたほうが長期的に見て企業の収益性が上がる・・・みたいなことを、理論的にはじき出すことで解決するんじゃないかな。

一方学生側のほうはこれと断言できるものはないけど。
ひとつには、生き方の選択肢がたくさんある――ように思えるから、というのはあるんじゃないだろうか。
ファミコンを例にとると、まだゲームの数自体が少なかったころと言うのは、スペランカーでも延々遊べたものだ。
でも、ゲームがたくさん発売されて、あれもこれもと遊べるようになると、ちょっと遊んで面白くなければ次のゲームを遊べばいいやとなる。

昔の新入社員が我慢強かったのは、終身雇用的な考え方が当たり前だったこと、職業選択の自由がそうなかった、高度経済成長期で勤め続ければ貧乏から脱出できるという希望があった・・・などの理由からじゃないだろうか。
今の時代じゃ、どれももう成り立たない。

「昔は良かった」という話とは逆で、ぼくは、企業が社員に我慢強さを強いるようなやり方は古いと思う。
給料払ってんだから馬車馬のように働けって、古いよ。
これからの企業は、心理学的なテクニックなどを駆使して、いかに社員の自発的なやる気を引き出すか――そのノウハウの優劣が企業間の勝敗を分けるんじゃないかな。

私自身――という話で言えば。
世の中のほとんどは、とかく結果を求められがちだ。
だから、仕事なんかで結果!結果!となっちゃうのはしょうがないと思う。
それだけだと人間疲弊しちゃうので、趣味を持つのがいいんじゃないかなぁ。
趣味の世界と言うのは、結果じゃなくて、過程こそが醍醐味じゃないですか。
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by kude104 | 2008-02-11 22:26
「自然な疑問」を持たないように訓練されている - 発声練習

上記エントリーにあるような『考える力』のない学生に、1年に満たない短期間で最低限卒業研究ができるまでにするにはどうすればいいか。
ぼくが指導教官なら、さてどうしよう・・・。

とにかく、今までとは評価のルールが変わったんだということを、身に沁みて分からせる必要があるように思う。
言うなれば、今までは答えが正しいか間違っているかが採点対象だったのが、これからは答えを導く過程が採点対象になるのだということ。
『結果』ではなく『過程』という価値観のシフトを、まず起こさせる。
加えて、『過程』の評価は、正解/不正解のゼロイチ評価ではないということを分からせる必要があるだろう。

そのためのトレーニングとして、たとえばこういうのはどうだろう。
学生数人をひとグループとして、彼らに同じ問題を出題し、解かせる。
そして、その解を導く過程を一人ずつプレゼン形式で発表させる。
まず、なにを考え、どこから手を付けたか。
どのように計算を進めて行ったか。
その結果、解にたどり着いたか、着けなかったかを発表させる。

ここで重要なのが、解にたどり着けたか着けなかったかは評価対象でないということ。
このプレゼンの評価はただひとつ。
解を導く過程が面白ければ面白いほど良しとする。
ユニークであればある程、ドラマチックであればある程、評価する。
なので、「解にたどり着けなかった」という発表であっても、その過程が面白ければ大いに褒める。
逆に、解を導き出していても、まるで面白みのない解き方をしていれば「つまらない」と評価する。

おそらく、初めは必要最小限の最短距離で正解を導くのが良いと思い、そういうプレゼンをしようとするだろう。
正解が導けなかった学生は、まったく何もプレゼンできないかも知れない。
そうしたプレゼンに対して、「なぜそういう解き方を選んだのかが分からない」とか、「他の解き方についての考察がない」とか、「試行錯誤した様子を発表しろ」とか、少しずつ辛抱強く矯正していくことで、彼らも今までとは評価のルールが変わったんだということが、身に沁みて分ってくるんじゃないだろうか。
同時に、プレゼンのスキルも身について、一石二鳥です。

とまぁ、そんなことを考えながら。
世の中を見渡せば、安易なハウツー話が溢れていて、けっこう人気がある。
ネットでも「○○するための10の方法」みたいなネタが人気だったりするしね。
子供も大人もお姉さんも、すぐに正解を知りたがるのは同じかなぁと思わないでもない。
社会全体が、無駄なことを嫌う傾向にあるのかもね。
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by kude104 | 2008-02-09 22:43

夢が叶うまで頑張る

痛いニュース(ノ∀`):【論説】「頑張れば夢はかなう」は幻想、成功者の傲慢だ。そんなにうまくいかないのが普通。「可能性のよき断念」こそ必要ではないか…脚本家・山田太一氏

そりゃもちろん、定員が決まっている椅子取りゲームならば、みんな「頑張れば叶う」というわけにはいかないのは当たり前だし、持って生まれた才能や身体能力が大きくものを言う分野では、頑張ってどうにかできる余地と言うのは極めて小さいだろう。

でも、それ以外の世の中のたいていのものと言うのは、頑張ればどうにかなるんじゃないかとぼくは思う。
ただ、ほとんどの人は、様々な理由で、どうにかなるまで頑張れないという事情はある。

頑張れない事情の一番は、銭だろうと思う。
多くの人は『夢』を仕事にしようとする。
よって、夢がかなわなければお金が稼げない。
お金が稼げなければ生活していけないから、「どうにかなるまで頑張る」というわけにはいかない。

頑張れない事情の二番は、そもそも人はそんなに言うほど頑張れないからだと思う。
「頑張ったけどダメだった」という人に、じゃあどのくらい頑張ったの?と問うてみると、意外と毎日8時間たっぷり寝て、テレビ見て、ゲームして、友達と遊んだり、デートしてたりするんじゃないかな。

三番は、つまりは「頑張れば夢は叶う」と信じ切れないからだと思う。
たとえば、「10年努力すればあなたは成功します」と分かっていれば、けっこう人は頑張れるかも知れない。
でも、20年かかるかも知れない、30年かかるかも知れない、もしかしたら一生かかってもダメかも知れないという状況で、人はなかなか頑張り続けられやしない。

「頑張れば夢は叶う」という言葉にウソはない。
ただ、「頑張り続ける覚悟はありますか?」という問いが隠されているようには思う。

なんにしても、"それ" が好きで好きでしょうがない人と言うのは、挫折などしないだろう。
プロのミュージシャンになるために音楽を作っている人は、プロになれなかったという挫折があるけど、ただ単に好きで音楽を作っている人は、ただ好きで作っているだけだから挫折のしようがない。
多くの人が前向きに生きるには、「可能性のよき断念」というよりは、「趣味と職業の分離」だと思う。
趣味を職業にしようとすると苦労する。
趣味が職業になるのが一番いいのだと思う。
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by kude104 | 2008-02-07 23:14