世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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そして「ウェブ時代をゆく」を読了したわけですが、終章に関してはまるっきり100%共感します。

冒頭に出てきた「もうひとつの地球」という表現が、ぼくには少々違和感あったのですが、終章に出てきた「アメリカという人工国家がもたらす希望」の話を読んで、ああそういうことかと腑に落ちました。
あの時代、閉塞感を抱えていた人々の目の前に突然開けた「新大陸」という名の希望。
それを今の時代に再現しようということなのですね。
ならばさしずめ、「ウェブ時代をゆく」はメイフラワー号への乗船券でしょうか。

読んでいると、梅田望夫さんがまるで迷える人々を救わんとする宗教者のように思えてきました。
ウェブの中にある「約束の地」に至るための「戒律」を説く指導者であり、同時に、ただひたすら人々を救う道を探し求める求道者であるかのような。
宗教に例えると日本ではなにやらアヤシイものという意味合いになっちゃいますが、もちろんそういう意味合いではなく、いい意味で。
言うなれば、「純真」なものに対する感動・・・でしょうかね。

全体を通して、ぼくは自分自身が「実例」により強く反応する傾向にあるらしいと気付きました。
だから、本で言えば、前半より後半のほうが面白かったです。
やっぱり、「理論は実践されてなんぼ」ってところはあると思うので、「ウェブ時代をゆく」を読んで勇気づけられた人々が何を成すか・・・そこに興味がわきますね。
もちろん、ぼくもその候補の一人として何かを成したいところです。
ただ、「何かを成すとしても、とりあえず来年だな」と思っている時点で、お前ホントに「ウェブ時代をゆく」を理解してんのか?と自分で自分につっこみたい。
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by kude104 | 2007-11-29 22:14 |
「ウェブ時代をゆく」の第七章は、「ウェブ時代」の明るい可能性を感じさせる内容で、素直にちょっと感動した。

「若い友人Sを題材にした思考実験」とやらは、ちょっと思惑が透けて見えていやらしい――多くの人が一瞬くらいは「新しい職業」を選ぶ人生に興味や共感を持つことを見越しながら、『彼が「新しい職業」を選んだと仮定したときの人生に、一瞬も興味を持たず共感することもなかった人は、ルールががっちりと決まっている「古い職業」に進むことをお勧めする』みたいな書き方をするテクニックがいやらしい――けど、そのあとに続く実例の紹介は興味深いものでした。

たとえば、オープンソースが生んだ新しい「雇用のかたち」として紹介されているまつもとゆきひろさんの例。
まつもとさんを雇用しているネットワーク応用通信研究所とやらは、まつもとさんに給料を支払いながら、でも、時間の使い方はまつもとさんの好きにしていいですよと、つまり、好きなようにオープンソース活動をして下さいと、それが「仕事」ですよというカタチをとっているらしい。
このネットワーク応用通信研究所というのが企業なのか学術機関なのか分かりませんが、仮に企業だとすると、企業がそんな言うなれば“働かない”社員を雇ってどうするのと普通思いますよね。
でも、要するに、「うちにはあのまつもとゆきひろが居ます」ということが、それだけで十分価値を持つとしたら、そうした雇用形態は“あり”なわけです。
言わば、オープンソースで名を挙げたプログラマーがいるということが企業のブランドになるということ。
たとえば、なにかのソフトウェアの開発を発注しようという企業があるとして、数ある開発企業の中から一社を選ぶ際に、あそこの企業にはあの有名な○○氏がいるというのは、その企業を選ぶ大きな理由になりうるでしょう。
あるいは、○○氏の人脈を活用できたり、○○氏と同じ職場で働きたいというプログラマーが集まってきたり・・・などなど、直接的な仕事はしていなくても波及効果が大いに期待できれば、○○氏を雇うメリットは大いにあるというわけです。
そう考えると、オープンソースプログラマーには、こうした雇用の形はたしかに今後ますます現実的にありうる話だという気がしてきます。

また、その次に紹介されていたコールトンさんの実例も興味深かった。
「毎日ブログを書き、少しずつ増えていくファンからの反応を眺めながらコールトンは、ファンはアーティストと友達になりたいのだという重要な発見をしたのである」という部分には、なるほど!と感じ入りました。
これは、ビジネスにおけるひとつの大きなヒントである気がしますね。
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by kude104 | 2007-11-25 22:40 |
「ウェブ時代をゆく」、第四章からは素直に「なるほどなぁ」と思いつつ読んでいます。
第四章は特に、著者の梅田望夫さんご自身がどのような人生戦略で生きてこられたかを具体的に書いていらっしゃって面白かったです。
どうすれば「好き」なことを仕事にできるのか、どうすれば自分の仕事を戦略的に高めていけるのかという問いに対する、ひとつの実例として参考になります。

一言で言えば、「自覚的に生きよ」ということになるでしょうか。
常にアンテナを張り巡らし、自分の興味を引いたものに対して、どこになぜ興味を持ったのかを分析し整理して積み重ねることで、自分の志向性を把握すること。
そして行動すること。

たしかに、24時間365日そのように自覚的に生きていれば、どんな時代にもサバイバルできるだろうと思います。
分かっちゃいるけど、正直「めんどくせっ」と思ってしまったぼくは、だから勝てないんだなぁ。

それはさておき。
第四章を読んで思ったのは、ある人々にとっては、この第四章から先に読んだほうが理解が早いかも知れないってことです。
この第四章というのは、取り立ててインターネットがどうこうという話は出てきません。
インターネットの「あちら側」と「こちら側」という言葉で言うなら、「こちら側」の話として読める。

ウェブ時代のなんたるかがよく分かっていない人々にとって、ネットのあちら側のことっていまいちピンと来ないと思うのです。
彼らが知りたいのは、いま自分のいる世界で、どうすれば上手くサバイバルしていけるのかということでしょう。
世間一般でよく売れている「できるビジネスマンのなんたら」とかいう類のビジネス書なんかも、読んだことないですけど、たぶん「転職のススメ」とかじゃなくて、今いる職場でどうすれば上を目指せるかみたいな話なんじゃないでしょうか。

で、第四章というのはまさに、今いる世界でどうすれば上を目指せるかという話として読めます。
なので、読み手の「今いる世界」に軸足を置きつつ、「なるほど、インターネットというのは、それを実践するにあたって強力なツールとして使えるのだな」とか、「なるほど、ウェブ時代というのは大きな変革期なのかもしれないな」といった具合に理解していけるのではないかと思います。

ネットのあちら側に抵抗感のある人々を啓蒙するにあたっては、ネットのあちら側の世界観をこちら側に紹介するというアプローチだけではなく、ネットのこちら側の世界観であちら側を使うための手引きが有効なのではないかと思います。
多くの人にとってのアプローチというのは、理解してから使うのではなく、使っているうちに理解が進むというものじゃないでしょうか。
インターネットにしても、それは同じでしょう。
難しいのは、まず最初、手に取らせることだと思います。
それには、その人の今の価値観でその有用性を語ってあげるのが一番てっとり早い。
これだと、「まず新しい価値観を理解して・・・」というフェーズをすっ飛ばせるので。
人間、自分にとって益になると思えば使うわけで、使っているうちに理解が進むわけで。

そういうアプローチとして、第四章から理解する「ウェブ時代をゆく」もありかと思います。
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by kude104 | 2007-11-24 19:39 |

好きじゃなきゃ貫けない

梅田望夫さんは一貫して「好きを貫け」と主張されているわけですが、この「好きを貫け」という言葉、一見すると「好きなことだけして生きていけばいいじゃん」的な甘い言葉かと思いきや――。
「ウェブ時代をゆく」を読んでいるうちに、どうもそうではないらしいと、ようやく分かり初めてきました。

これ、実は「好きじゃなきゃ貫けない」って意味ですね。
きっと。

インターネットによって、競争条件がフラットになる――たとえば、今までは一部の人間しか知り得なかったことがネットを介して誰でも知り得るようになり、今までは地理的な制約で奪われていた機会がネットによって誰にでも与えられるようになる。
誰かにとってのハンデがなくなるということは、誰かにとってのアドバンテージもなくなるということです。
そうして、すべての人が同じ条件で競争するようになったときに、勝敗を決するのは何かというと――。

まず、生まれ持った才能。
でも、これは論じてもしょうがないので無視するとして。
それ以外の人為的なもので何が勝敗を決するかと言うと、結局のところ、「どれだけの時間と情熱をそれに費やしたか」ということだろうと思います。
で、その結果、寝食を忘れるほどにそれに没頭する人が勝つという、そういうことですね。
24時間365日それのことだけを考えるなんてことは、好きじゃなきゃできないことです。
好きの度合いによって、このひとは20時間300日、このひとは10時間150日とグレードが下がっていく。
つまり、インターネットによってフラット化された競争世界の実力のピラミッド構造というのは、おおむね、好きの度合いで序列化したピラミッド構造と同じになるんじゃないでしょうか。

ぼくもまぁ素人に毛の生えたようなレベルですがプログラミングとかしますけど、「あるプログラムを書きつつ、息抜きに別のプログラムを書く。そして家に帰れば趣味でプログラムを書く」みたいな人には絶対に敵わない。
ぼくは、そこまでプログラムのこと好きじゃないもん。

なので、たしかに、没頭できるくらい好きなものがあるなら、それを貫かない手はないと思います。
「好き」ということが、才能と同等か、あるいはそれ以上の資質になるのがウェブ世界なんでしょう。
それが好きで好きでしょうがないという、そういうものがある人にとって、ウェブ世界に生きることはまさに水を得た魚に違いない。
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by kude104 | 2007-11-22 19:07 |
「ウェブ時代をゆく」で語られるオープンソースであったりウェブ2.0であったり、そうした世界というものは“趣味的世界”であると捉えるとしっくりくるのではないか。

企業なんかだとインターネットをどうビジネスに結び付けようかなんてことを考えざるを得ないわけだけど、普通の個人にとってインターネットは「趣味の活動を行う世界」と考えていいような気がします。
オープンソースにしても、年齢国籍性別などなどバラバラな人たちが「共通の興味対象」という一点でつながるところも趣味的世界っぽいし、その興味対象に関する知識であるとかスキルでもって評価され、その評価こそが活動の醍醐味であったり報酬であるところも趣味的世界っぽいし、活動の成果を無償で公開するところも趣味的世界っぽいし。

オープンソースがビジネスになるだとかそういったことは、趣味が高じて実益を兼ねるみたいなことだと考えればいいのではないでしょうか。
リアル世界の趣味活動にもそうした“成功例”はありますし。
でも、大部分の趣味活動は、本当に単なる趣味として、楽しみとして、お金儲けとは縁のないところで行われているものでしょう。
お金儲けどころか、むしろ、趣味に一番お金を使うくらいですよね。
インターネット上での個人の活動も、それでいいような気がします。

本業は別に持っておいて、ネット上での活動は100%趣味だと割り切る。
趣味だから、自分の好きなことを思う存分貫いて、その活動内容を惜しげもなく公開して、それで楽しい――ってのが、理想形なんじゃないでしょうか。
中には趣味が高じてプロになる人もいるだろうし、あるいは初めからプロを目指して趣味活動する人もいるだろうけど、そうしたケースの成功例がそれほど多くはない点はリアル世界と同じだろうと思います。
趣味を単なる趣味として楽しんでいる人のほうがずっと多いわけです。

インターネット時代に人々はどう向き合えばいいかと言えば、「インターネット上で思いっきり趣味的活動を楽しみましょう」って答えは、ひとつの正解なんじゃないかと思います。
それが飯の種につながるとかって、あんまり考えなくていいんじゃないかなぁ。
それを考えると、なんだか窮屈になる気がします。
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by kude104 | 2007-11-21 15:02 |

もうひとつの地球

梅田望夫さんの「ウェブ時代をゆく――いかに働き、いかに学ぶか」を購入してただいま読んでいます。
で、どうせなら、読み終わった後に全体としての感想を書くのではなく、読み進めながら、そのときそのときに感じたこと思ったことをメモしていこうかなーと思い立ちました。
そうすることで、ぼくのものの見方考え方が変わるのか、あるいは変わらないのかがログされて面白いんじゃないかな、と。
ブログ更新のネタにもなるしね。

で、さっそくなんだけど、本書冒頭に登場する、ネット空間をリアル空間に対して「もうひとつの地球」とする捉え方について、ぼくには少々しっくりこないものがあります。
もちろん、見方や表現の仕方によって、「もうひとつの地球」と呼べるものがネット空間にあることは、ぼくにだって実感として感じるところです。

でも、結局のところ、ネットってツールだと思うんですよね。

リアル世界、ネット世界と切り分けて別々に考えるのはなんだかオールドタイプな気がしていて、ネットが当たり前にある世代の人間にとっては、ネットもリアルの一部分なんじゃないかと思います。
「本の中の世界」とか「テレビの中の世界」といった表現と同じで、「ネットの中の世界」というだけのことなんじゃないかなぁ。

それでも、その影響力の大きさを表現すべく「もうひとつの地球」と呼ぶのは悪くないけど、文字通り、リアルから独立した別の世界がネットにあると捉えてしまっては、ことの本質を見誤るような気がするのです。
ネットは非常に強力であるけれど、でも単なるツールであると捉えておいたほうが、変に気負わなくていいんじゃないかなぁ。

少なくとも、人間は今のところ、リアル世界でしか飯を食えない。
リアル世界でしか飯が食えない以上、活動の基盤はリアル世界が中心となる。
それゆえたぶん、経済の中心は、この先もずっとリアル世界に有り続けるでしょう。
たとえば今ネットビジネスを支えている広告だって、その大部分はリアル世界でモノが売れることで発生するお金です。
経済の中心がリアルにあるということは、活動の中心もリアルにあるということです。

それゆえぼくは、ネットを「もうひとつの地球」と捉えるよりも、ネットはリアルを補完したり増幅したりする位置づけにあるとするのが正しいように考えています。
ネットを使って、いかにリアルを豊かにするかという発想が、たぶん正しいように思う。
ネットのあちら側が豊かになることは、それをこちら側で使っている人間が豊かになることだから。
だから、ネットは単なるツールとして捉えたほうが良いように思うのだけど、でも、「単なるツール」より「もうひとつの地球」のほうがバズワードとしては優れているね。
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by kude104 | 2007-11-20 14:15 |

人件費削減の時代

本日放送のNHKクローズアップ現代「悲鳴あげる“名ばかり”管理職」はなかなか興味深い内容でした。
“名ばかり”管理職とは、要するに肩書きだけ管理職で、権限も報酬も一般社員並み。
そうすると、管理職なんで残業代やら休日やらが要らなくなる(労働基準法は“労働者”の基準なので、管理職は除外される)んで、低賃金で長時間労働をさせてもOKってことになり、企業にとって超お得というもの。
いやぁ、いろいろ上手いこと考えるねぇ。

で、この“名ばかり”管理職をやめて、きちんと残業代を支払うことにした企業の例が紹介されていたのですが、これがまた興味深い。
企業側としては、“名ばかり”管理職をやめることで増加する人件費をどこかで切りつめたいわけです。
そこで、これまで管理職がしていた仕事をマニュアル化してバイトやパートでもできるようにすることで、管理職の仕事量を減らし、人件費を抑えることにした――というものでした。

これ。
“名ばかり”管理職の問題はたしかに解消したかも知れないけど、今度は新たに、非正規雇用の増大という問題が発生していますよね。
その瞬間はたと気が付いたんですけど、“名ばかり”管理職も非正規雇用も、つまりは「人件費の削減」ってことです。
ああ、日本の社会はいま紛れもなく人件費を削減する方向に動いているんだなぁと、なんだかすごく実感してしまいました。

そうか、人件費削減の時代なんだ、と。
しかも、今がたまたまそうで、これを凌げば将来人件費拡大の時代が来るわけではなく。
おそらく、この先ずーっと人件費削減の時代が続くのだと思います。

今さら何を言ってるんだという話なんですが、なんだか妙に「はっ」としたので。
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by kude104 | 2007-11-19 22:44 | テレビ
前回からだいぶ日が空いてしまいました。
冊子のほうはしばらく前に読み終わっていて、それで一段落して興味が失せたというか飽きたというか・・・。

冊子に書かれている内容について総じての感想を述べるなら、ひとつ。
よく、「信じる者は救われる」と言いますが、宗教と言うのは、初めは「信じる者は救われる」から始まるのですが、それがやがて「信じない者は救われない」に変質していくのではないか――というのが、ぼくの印象です。
このふたつは一見表裏一体に見えて、実はそうではない。
両者は、目的とするところが違う。

「信じる者は救われる」という言葉が目的とするのは、人を「救う」ことです。
一方、「信じない者は救われない」という言葉は、つまり何を言いたいのかと言うと、「だから神様を信じろ」ということですよね。
つまり、前者は救済が主で信仰が従なのに対して、後者は信仰が主で救済が従になっています。

どんな宗教も、初めは苦しんでいる人々を救いたいというところからスタートする。
でも、現実的な解決方法で苦しみを救えればいいのだけど、多くの場合それは無理で、結果的に物理的な救済ではなく精神的な救済という手を採らざるを得ない。
それには、神様を語るのが一番です。
そうして始まった信仰が宗教になって組織を持つようになると、教団の維持みたいなものが目的化してくる。
そうすると、救うことよりも勧誘が教団にとってはより重要な目的になるので、「信じる者は救われる」が「信じない者は救われない」になっていくわけだ。

「信じても信じなくてもいずれにしても救われる宗教」なんてものがもしあれば、たいていの人は「じゃあ、信じなくてもいいや」となる。
当然、信者は増えない。
信者が増えないと教団として影響力を発揮できず、教えを広めることもできなければ、やがて消滅するだけとなるでしょう。
それじゃ困るから、「信じるとこんないいことがありますよ」「信じないと不幸になりますよ」と言って信者を集めざるを得なくなる。

だから、宗教には、すべての人は救えない。
宗教が救えるのは信者だけ、ということになる。
それが宗教というものの限界だと思う次第です。
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by kude104 | 2007-11-18 15:45

ケータイ小説と初音ミク

こどものもうそうblog | ケータイ小説の新しさと古くささ

ケータイ小説の新しさを

ケータイ小説は、とうとう「少女が書く→少女に届く」という構図にまで変化した。
大人がじょじょに排除された世界なのだ。
として理解するのは、まさに慧眼ではないかと思う。
なるほど、ひとつ腑に落ちた気分なり。

今どきの少女たちが――って実際のところはよく知らないのだけど、イメージとして――ケータイ小説に夢中になる感覚は、ぼくらが初音ミクに興奮する感覚に似ているんじゃないかと思う。
初音ミクだって、今はどうかわからないけど、火がついた時点では、まだまだとてもじゃないけど純粋に楽曲として聴くにはクオリティの低い代物だった。
だからたぶん、それなりに音楽に慣れ親しんだ人たちは、「あんなものは歌じゃない」って思ったのじゃないかな。
ケータイ小説が「あんなものは小説じゃない」と言われるみたいに。

ケータイ小説にしろ初音ミクにしろ、それらに熱中している人たちは、クオリティが(従来のものと比べて)優れているから熱中しているわけではない。
「自分たちが発信している」という部分で、熱中しているのではないか。
ケータイ小説なら「大人の編集を必要とせず」、初音ミクなら「レーベルや歌手を必要とせず」に、自分たちの力だけでそれなりのコンテンツを生み出している――って部分に熱中しているのではないか。
身内意識と言うのかな。
たとえば、外国人選手より日本人選手の活躍に興奮するように、身内意識があるのとないのとで、同じものでも受ける感動が何十倍も違ってくるように。

ケータイ小説は「自分たちと同じ女子中高生が書いた実話」的な背景それ自体がドラマなんだと思う。
編集されていない“奇妙”な文体も、そのドラマを盛り上げるリアル感なんだね。
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by kude104 | 2007-11-16 18:40 | PC&ネット

知ったことか

heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ

幸せを語れば、必ずその裏で誰かが傷ついているとしても。
一言で言うならば、「知ったことか」と。

もちろん、どこにラインを引くかという問題はある。
誹謗中傷で誰かを傷つけて「知ったことか」では通らない。
だから、すべての言動が「知ったことか」で許されるわけではないけど、逆に言えば、すべての言動について傷つく誰かに配慮しなければいけないのだとしたら、ぼくらは何もできないし何も言えなくなるでしょう。
そして、何もできない、何も言えないことでさえ、誰かを傷つけてしまうかも知れないから、身動きとれなくなるよね。
だから、幸せを語れば必ずその裏で誰かが傷ついているとしても、ぼくらは「知ったことか」で進むしかないのだよ。

「あなたが幸せを語ることで私が傷つくから、配慮せよ」と言う。
でも、私があなたに配慮しなければならない理由は、残念ながらたぶん何もない。
知人友人ならいざ知らず、不特定多数の中の一人であるあなたに。
「私に配慮せよ」「私に優しくあれ」と要求する。
そんな要求がホイホイ通るほど、世の中は優しくないのです。
求めれば与えられるのは乳幼児まで。
(それすら厳しい世の中です)

だから、結局、自分が変わるしかないのだと思う。
他人の幸せ話で傷つく自分がいるとして、傷つくのが嫌なら、他人を変えるか自分を変えるかしかないわけだけど。
他人を変えようと思ったら、誰かが幸せ話をするたびに、その誰かを変えていかなきゃならない。
会うたび会うたび、他人を変えて、他人を変えて、他人を変えて、他人を変えて・・・。
それは死ぬまで延々続くよ。
そんなふうに死ぬまで苦労して他人を変え続けても、当の自分は変わっていないのだから、それはせいぜい「不幸にならないように努力しました」というだけのことで、幸せになることはできないと思う。

同じ苦労するなら、自分を変える努力をするほうが、よっぽど希望があると思うわけだ。
「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」って言うじゃない。

「自分は変えられない」と言うのなら、それこそ「知ったことか」と。
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by kude104 | 2007-11-07 21:35