世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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404 Blog Not Found:ネタvsメタ、手際vs要領

以前、アクセスが欲しけりゃ紹介記事を書けを書いたときに、なんだかモヤモヤしてうまく言語化できなかったことを、すっきり言語化していただきましたという感じです。

「情報はネタからメタへと流れるが、報酬はメタからネタへと流れる」

まさに、この一文に尽きるかと。
「報酬 -- ここでは金銭だけではなく、欲求を満たすもの全てを指す --」とありますが、「報酬はメタからネタへと流れる」というと、一読しただけではなんだかメタがネタにお金を支払うみたいに思えちゃったので、ぼくなりに言いかえれば、「アクセス(あるいは、アテンション)はメタからネタへと流れる」でしょうか。

料理に例えるなら、ネタが素材で、メタが調理でしょうか。
調理された素材は、通常調理分の付加価値がつくので、素材よりも高価値になります。
したがって、当然その分だけ、農家の人より料理人のほうが得られる報酬が多くなります。

紹介サイトやまとめサイトも料理人と同じで、上手く調理してくれれば、それなりの報酬を得ていることにも納得できます。
でも、素材そのまま並べただけとか、逆に下手な調理で味が不味くなっているとか、それで素材以上の報酬を得ているようだとなんかムカツクって感じですかね。
気持ちとして。

ただ、そこから先の、弾さんのおっしゃる気前の良さというものは、古い価値観が染みついているからか、あるいはぼくが貧乏根性だからか、いまひとつピンとこないのですが。
たしかに、ネタが気前がいいからこそメタが成り立つわけで、気前の良さというのは大切だというのは分かります。
でも、何となく感覚的に、ネタを気前良くさせておくために、メタのおこぼれを分け与えようじゃないか――みたいなイメージが湧いてしまうんですよね。
王を王たらしめるために、庶民にもそれなりに裕福な気持ちにさせてやろう、みたいな。
ちょっとひねくれ過ぎかな。

上手く言えないけれど、メタの気前の良さに頼らなくとも、ネタとメタがうまく価値交換する方法はないものだろうかと夢想する次第です。
通常の貨幣経済のように、気前の良さでも何でもなく、ある程度システマチックに価値と貨幣が交換されるような形で。
アテンションを貨幣と見立てて、ネタとアテンションが交換されるような形になればひとつの理想かなと思うのだけど、どうすればそんなことが実現できるのか皆目見当もつきません。


ところで、ネタ元と紹介サイトの関係性についてのみ言えば、ネタがメタを、さらにネタとして取り込むといいのではないかと思います

ネタ元より紹介サイトのほうが多くのアテンションを集める理由の一つには、ネタ元のサイトよりも紹介サイトの情報のほうが価値が高いということでしょう。
往々にして、ネタ元のサイトでは情報が適量にうまくまとめられていないので、紹介サイトに付加価値が生じるのだと思います。
つまり、ネタ元よりアテンションを集めている紹介サイトの情報というのは、ネタ元に不足している情報ということです。
だったら、それを取り込んじゃえばいいですよね。
取り込むといっても、そのままパクって来るのは(紹介サイトさんの気前がよくないと)やばいので、うまく調理する必要はありますが。

そうして紹介サイトの紹介情報を本家ネタ元に取り込むことで、本家ネタ元の紹介情報が紹介サイトに並べば、「同じブックマークするなら本家ネタ元にしとこう」と思ってもらえるんじゃないでしょうか。
そうすれば、初めは紹介サイトに集まったアテンションも、やがて本来のネタ元に収束していくのではないかと思います。
これでWin-Winみたいな感じになりませんかね。
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by kude104 | 2007-02-28 23:59
2月は逃げるというけれど、やっぱり過ぎるの早いな。
もう月末だよ。
31日まである月と比べると3日少ないわけで、このたった3日が体感的にものすごく2月を短く感じさせるね。
――という前置きはさておき、毎月恒例、次の映画サービスデーに見る映画の選定をば。

とはいえ、次に見たい映画はもう決まっています。
「それでもボクはやってない」です。
「痴漢冤罪」というテーマも面白いし、世間の評判もなかなかいいし、まぁ外さないだろうってことでこれで決まり。

で、大丈夫だと思うけど、いちおう「それでもボクはやってない」が時間の都合や満席等で見られない場合の予備候補も考えておこう。
あまり「これ」というのがないけど、でもまぁ、アカデミーショーを受賞した「ディパーテッド」「ドリームガールズ」あたりでしょうか。

本当は、「世界最速のインディアン」がかなり評判いいんで観たいなぁと思っているんですが、でも、上映時間が朝10:00からの1回しかないんですよ。
なので、今回は断念かな。
ただ、きっと評判いいからだろうと思いますが、3日からは10:00と14:50の2回上映になるようです。
これを上映する劇場は珍しく火曜日に男性サービスデーなるものを設けていて、その日も1000円で観られるので、機会があればそこを狙って観に行ってもいいかな・・・と思っています。
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by kude104 | 2007-02-26 23:59
「ヒゲ」記入票で当選、有効です 高松高裁-事件ですニュース:イザ!

「ヒゲ」という表記が有効か無効かじゃなくて、自分が一票を投じる候補者の名前に「ヒゲ」と書くようなやつの判断など、無効にしてしまえって気がする。
真面目に考えて選んだとは思えないじゃない、「ヒゲ」なんて書くやつがさ。
そんなやつでも一票の参政を認められるのなら、子供にだって認めてやってもいいんじゃねーのとさえ思う。
候補者の名前がきちんと書けているかどうかで、有権者としての最低限の資質をチェックするってことでいいんじゃないかと思うけどな。

まぁ、名前なんて投票用紙にプリントして、○を付けるとかにすりゃいいと思うんだけど。
そうすれば、「ヒゲ」は有効か無効かなんてくだらないことにエネルギーを費やさなくて済むじゃない。
電子投票制になれば、そういうふうになるのかな。
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by kude104 | 2007-02-24 23:59 | 時事・社会
asahi.com:キヤノン請負労働者「生身の人間。正社員と同じ賃金を」 - 暮らし

「非正社員にも正社員と同等の待遇を」というのは、気持ちはわかるし、そうあればいいなと思うけど、でもそれじゃあ非正社員じゃなくて正社員として雇用するのと同じことで、でも実際問題として、正社員として雇用しない/されないから非正社員なわけで、つまりどうにもならないような気がします。
むしろ、非正社員が直接所属する請負会社だか派遣会社だか、そちらのほうに待遇の改善を要求するほうがまだ筋が通るのかなぁという気がしないでもないですが、そのへんどういう雇用形態でどういう契約になっているのかよく分からないので何とも言えない。

ふと思いついたのは、「どれだけ従業員にお金を支払っているか」というのを企業価値を測るポイントのひとつにできないものかな。
人を資産として捉え、人件費を設備投資のような形で計上する――みたいな考え方になるのでしょうか。
経営や会計のことはよくわかりませんので頓珍漢な話かもしれませんが。

要するに、消費者を豊かにし従業員を豊かにする企業は社会を豊かにする企業ですから、それは企業価値として評価すべきじゃないかと思う次第です。
「いかに儲けたか」だけでなく、「いかに使ったか」も評価しましょう、と。
そのへんをうまい具合に数値化して、それを投資家が参考にして株価に影響を及ぼすようになれば、企業の雇用待遇も改善されるんじゃないかなぁ。
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by kude104 | 2007-02-22 23:59
ブログのオリジナリティ:アルファブロガーの日記

上記エントリーで触れられているためしてガッテンのカレー特集がすごい! : akiyan.comについては、ぼくもはてなブックマーク経由でこのエントリーをみたときに、「こんなエントリーがはてブでは人気あるのか」とちょっと呆れました。
というのも、ぼくはたまたまですが、リアルタイムでこの番組を見ていたので。
他のブックマーカーさんたちがこのエントリーに見出した情報価値を、ぼくはほとんど感じなかったというのが大きかろうと思います。

「ブログのオリジナリティ」で問題提起されている「オリジナリティ」ですが、まずもって、紹介記事やまとめ記事にオリジナリティがないとはぼくは思いません。
それらは喩えるなら、ニュース番組のようなものではないでしょうか。
ニュース番組の報じる「ニュースそのもの」にオリジナリティがないからといって、ニュース番組にオリジナリティがないとは普通言わないですよね。
ニュース番組のオリジナリティは、どのニュースをどのように報じるかという部分で発揮されるものであり、それで言えばネットの紹介記事やまとめ記事にもオリジナリティは発揮されうると言っていいでしょう。

その観点で、「ためしてガッテンのカレー特集がすごい!」にニュース番組的なオリジナリティがあるかないかですが、その判断は人それぞれということで。
個人的には、分かりやすくよくまとまっていると思いますので、そういった編集の創造性のようなものはあると言っていいのかなと思う一方で、番組を見たぼくからすれば、そこにプラスアルファの情報量が特に感じられませんでしたので、「元ネタそのまま」な印象を持ってしまいます。

で、「アルファブロガーの日記」さんもそうなんじゃないかと勝手に想像するのですが、この一件、紹介記事やまとめ記事にオリジナリティが有るか無いかというよりも、紹介記事やまとめ記事に(下手をすると元ネタよりも)多くのアクセスが集まるという状況に対して、「なんだかんぁ」という気持ちが湧いてくるのです。
なにかしら、他人のふんどしで相撲を取っているような感じに思えちゃうというか。

アクセス数を集めたければ、ネタ元になるようなエントリーを書くより、紹介記事やまとめ記事を書くほうがよっぽど効率がいいよな――って(ちょっとやっかみ的に)思ってしまう。
もちろん、実際にアクセス数を集める紹介記事・まとめ記事を書くのは、傍で思うよりずっと大変なんだろうと分かっているつもりですけど。
でも、比較的容易にアクセス数を集める記事を量産したいという目的でブログを書くのであれば、紹介記事やまとめ記事のスタイルで書くことをお勧めするよ――とは言えるでしょう。
ニュース番組は毎日できるけど、スクープ番組を毎日やるのは大変だ、みたいなことです。

現実世界でもインターネットでも、結局やっぱりというか、大もとの情報源よりもそれをうまく編集して発信してくれる存在のほうが重宝がられるのかなという気がしています。
それは当り前の現象なので「そんなことは当たり前だ」と割り切っていいはずなのに、なぜだかちょっぴり「なんだかなぁ」という気持ちになるのは、なぜなんだろう。
うーん、やっぱりただ単に、やっかみなだけかなぁ。

ちなみに、ためしてガッテンのカレー特集での一番の見どころは、4人の素人が作ったカレーを比較する実験に登場したDさんだったと思います。
カレーの箱の説明書きを一生懸命読みながら、慣れない手つきでもたもたと調理する姿は、けっこう「萌え」でした。
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by kude104 | 2007-02-21 23:59 | PC&ネット
以前に書いた「どうして勉強しなきゃいけないの?」に答えるTBをいただいたので、ネタもないしこれ幸いとばかりに反応してみる。

TB先で「なので当然、天才は勉強しなくてもよい」という一文をピックアップしていただいているのですが、いま読み返すとこの一文、自分でもちょっと言葉足らずな気がしないでもないので補足しておこうかと。

「勉強」を学校での勉強という意味で言うなら、天才は頭がいいので、さして勉強しないでもいい点数が採れる――という意味合いがまずひとつ。
教科書を一読しただけでいい点数が取れちゃうくらいの人間は、「どうして勉強しないといけないの?」なんて疑問すら思い浮かばないのではないかと思う。
なぜなら、勉強をストレスに感じるほどのコストを必要としないから。
「なんでこんな程度の低いことをやらされるのだ?」という疑問なら持つかもしれないけど。

次に、あのエントリーでぼくは「勉強」を「選択肢を広げるため」と書いたので、天才は自分の天才を発揮できる分野を一点突破すればいいので、選択肢を広げる必要がない――という意味合いがふたつめ。

TB先では「天才にも努力は必要」といった意味のコメントを添えていただいていますが、それはぼくも同感です。
たしか昔そんなエントリーを書いたよなと過去ログを漁って見つけた天才とは99%の努力と1%のひらめきであるとかね。

ただ、「勉強」を「嫌々やらされる学習」といった意味合いで言うなら、天才のする努力は「勉強」じゃないように感じます。
エジソンは、学校の「勉強」はしないけど、自分の研究にまつわる「勉強」はたぶん嬉々としてやるでしょう。
周りの人に「そんなに勉強ばっかりしてないで、たまには遊んだら?」と言われても、「この『勉強』以上に面白いことなんてあるの?」みたいな感じで。

「好きこそものの上手なれ」とか「努力する才能」などの言葉がありますが、「天才」とは何かをぼくなりに考えたときに、それが好きで好きでたまらなくて、だからそれに関する努力を苦に感じない才能のことではないかと思います。
そういう才を持った分野があるなら、そこを一点突破すればいいと思う。

そうでない普通の人――というか、まだ一点突破したいと思う分野が見つからずにいる子供は、とりあえず学校の勉強ができるに越したことはないというお話。
極端に言えば、大学に進学できないくらいの人と東大に進学できる人とでは、チャレンジできる職業の選択肢が全然違う。
そういうことをロマンチックに説明すると、「勉強するのは選択肢を増やすため」になるというお話。
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by kude104 | 2007-02-18 23:59

たい焼きとさつま芋

電子レンジで40秒間チンして食べるたい焼きを購入。
スーパーの特売品で見かけて、なんか無性に食べたくなったもので。
あんまり食べる機会ないですよね、たい焼きって。
そうでもないのかな。

で、はじめは普通にレンジで温めて食べていたのですが、ふと思いついて、温めた後にガスコンロの魚焼きグリルで焼いてみたら、めちゃくちゃ美味かった。
表面がパリッと香ばしく焼けて、美味いのなんのって。
まさに、「あの屋台のたい焼きを手軽にご自宅で」って感じです。
こりゃあちょっとハマっちゃいそうだなー。

同様に、さつま芋も魚焼きグリルで焼くと美味いです。
晩御飯はともかく、昼ご飯って作るの面倒くさいんですよね。気分的に。
かといって食べないとお腹すくし、コンビニ弁当なんかだとお金もかかるし健康的にもあまりよろしくないですやん。
で、さつま芋ならいいんじゃないかと。
値段も手頃だし、栄養的にもそこそこありそうだし、少なくとも毒にはならんでしょ。

調理の手間もかかりません。
まず茹でる。
ちなみに、さつま芋の種類もいろいろあるようですが、ぼくは細いものを選びます。
すぐに熱が通るので調理が簡単だから。
鍋にさつま芋を入れて、半分くらい浸る程度に水を入れて蓋をして沸騰させます。
水が多いと沸騰するまでに時間がかかるし、ちょっと少なめにして蓋をしておけば、なんとなく「ふかし芋」ふうになって美味いような気がするので。
だいたい20分くらいでOKでしょうか。

で、このまま食べてもいいのですが、ゆで芋よりも焼き芋のほうが美味いので、ここで魚焼きグリルの登場です。
表面を焼くわけですね。
初めから魚焼きグリルで芯まで焼こうと思ったらたぶんすごい大変だろうと思いますが、茹でてあるので、表面を焼くだけでそれなりに焼き芋ふうになるというわけです。
本物の石焼き芋なんかにはさすがに及びませんが、専用の道具を使うでもなく、コンロに掛けて放っておくだけで調理OKというお手軽さと味のバランスは悪くないと思います。
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by kude104 | 2007-02-17 23:59
たけくまメモ : ザ・たっちの何が面白いのか

ザ・たっちの”人気”はなんとなく分かる気がするけど、ぼく個人としてさほど面白く思わないという点で同感です。

お笑い芸人の才能には、大きく分けて、ネタとフリートークの2種類あると考えていいでしょう。
あ、リアクション芸を別にして、3種類にしたほうがいいかな。
ともかく、ザ・たっちのネタの才能――「物まねネタが面白い」とか――は、ぼく自身が見たことがないのと、今回のたけくまさんの感想はテレビでのなんというんでしょう、アドリブ的なフリートークでの才能についてだろうと思いますので、そちらに絞って話を進めます。

で、まずは「ちょっと、ちょっとちょっと」という一発ギャグが面白くないという感想なんですが、ぼくも同感です。
でも、それはなにもザ・たっちに限ったことではなく、そもそも「面白い一発ギャグ」なんてあったかしらと思う次第です。
なんでもいいですけど、吉本新喜劇の各種ギャグにしても、往年の著名なギャグにしても、面白いですかね。
ギャグ単体で見た場合に、です。

一発ギャグの面白さって、子供の感覚での面白さレベルだと思うのです。
なので、基本的には子供に受ける一発ギャグが「面白いギャグ」という認識でいいのではないかと考えます。
「ちょっと、ちょっとちょっと」にしても、ぼくにはまるで笑えませんけど、でも他の流行りもしない一発ギャグと比べれば、たしかにキャッチーだと思います。

なにしろ、耳に残る。
真似しやすい。
流行る一発ギャグの条件って、要するに、それを見た人が日常生活で思わず真似して使っちゃうことだと思います。
それを言う、やるのが感覚的に気持ちいい。
そして、それを使う場面が分かりやすい。
その点で、「ちょっと、ちょっとちょっと」は、たしかに優れているように思います。

で。
まぁ、「ちょっと、ちょっとちょっと」はギャグとして「たしかに流行るわな」でいいとして、ではザ・たっちのフリートークの才能はどうやねんと。
たいして面白くないじゃないかと。

これに関しても、テレビに出ているタレント(お笑い芸人以外も含めて)の8割はたいして面白いことを言っているわけではない、という理解でよろしいのではないかと思います。
つまり、ザ・たっちだけが例外ではないのだと。

とりあえず、普通レベル、可もなく不可もなくというレベルのコメントができれば、あとは他の要素が加算されて、トータルとしてのタレントの「面白さ」になるのだと思います。
歌がそれなりでも、ルックスでCDが売れるアイドル、みたいな。
歌手としてみるとそれはどうやねんということですが、トータルの商品価値というかエンタテインメント性という観点で見れば、そいういうのも有りだろうと思います。
ですから、さして面白いことを言わないのにバラエティ番組に引っ張りだこな芸人がいることは、そう不思議なことではない。

では、ザ・たっちのコメント以外の加算ポイントは何かというと、ひとつにはたけくまさんも書かれているように、コロコロしたヌイグルミが声を合わせて動いているカワイさでしょう。
そしてもうひとつが、やっぱり「ちょっと、ちょっとちょっと」などの持ちギャグだと思います。

ザ・たっちが「ちょっと、ちょっとちょっと」と言ってみんなが笑う。
その様を見ていてぼくが感じるのは、なんというか、水戸黄門の印籠のカタルシスのようなものがそこにあるのかなということです。
お約束の面白さ、みたいな。
「言うんだろうな言うんだろうな・・・ほら、やっぱり言った!」と嬉しくなる感じ。

あるいは、俳優さんでも、たとえばその俳優さんが演じた役柄の有名なセリフを言うとお客さんが喜ぶ、みたいなのってありますよね。
「あ、あたしこれ知ってる!」とか、「本物を生で見られた!」とか、そういう面白さもあるのかもしれません。

加えて言えば、ある種の「記号性」のようなものも、あるのかもしれないと感じます。
「ちょっと、ちょっとちょっと」というギャグは面白い、という記号になっている、というか。
どこで笑っていいか分からない人も安心です、「ちょっと、ちょっとちょっと」が出たら笑っていいんですよ、みたいな。
これは「お約束の面白さ」を通り越した「お約束の世界」ですな。
もしこれがけっこう大きなウエイトを占めているとすると、お寒い状況ですねと嘆きのひとつも言いたくなりますが。

とまぁ、そういった要素がいろいろ絡み合って、テレビ芸人としてのザ・たっちの「面白さ」を作っているのかなぁと、ぼくなりに解釈しています。
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by kude104 | 2007-02-14 23:59 | テレビ

暗い所にコンピュータを

「暗いところで待ち合わせ」を読んでいて改めて思ったわけだけれど、目の見えない人のために、コンピュータができることってもっとあるんじゃないかなぁ。
ハードウェア的に視力を回復させたり、なにか便利な機械を開発したりということは別な人に任せるとして、PCとネットを使って視覚障害者の方が今より快適に生活を送れるような何かってないものだろうかと考えます。

たとえば、「文章を読む」ということにしても、ペーパーテキストは点字に変換しないとだめだけど、デジタルテキストなら音声読み上げソフトを使って読むことができます。
点字に翻訳する手間を必要としないのは、大きな魅力ですよね。
ぼくは読書を趣味とする人間ですので、「視力を失うと本が読めなくなる」というのは、けっこうつらい。
ですから、デジタルテキストが充実するといいなぁと思います。
なんなら、ペーパーテキストをスキャンしてデジタルテキストに変換し読み上げてくれる機械なんてのも、あっていいと思うくらいです。

で、気になるのは音声読み上げソフトの性能です。
全く使ったことがないので、現状でどれくらい自然に読み上げてくれるのか、ちょっとわかりません。
イメージとしては、CMで聴くニンテンドーDSのお料理ソフトの音声みたいなやつ――抑揚のないロボットみたいなやつなんですけど。
あれよりはかなり進歩しているんじゃないかと思うのですが、どうなんだろう。

とまぁ、どのくらいの性能かはわかりませんが、おそらくどんなに頑張ったって、固有名詞とか技術用語とかで上手く読み上げられない単語もまだまだあるんじゃないかと思います。
そういうのは最終的には人海戦術で辞書化するしかないと思うのだけど、そこの部分をネットを使ってやっちゃえばどうかなぁ・・・とか思うわけです。

読み上げソフトの辞書データをネット上のデータベースから定期的にダウンロードして更新するようにしておいて、上手く読み上げられなかったケースがあれば、誰かがそれを正しい読み方に訂正してデータベースに送ることで、辞書の精度が上がっていくという仕組み。
・・・もしかして、もうすでにそんなふうになっているとか?

考えてみれば、「目の見えない人のためのコンピュータ」についての情報をほとんどなにも持ち合わせていないことに改めて気付かされます。
ぼくは幸いにも今のところ見えているので、わざわざ探したり集めたりすることはないし、自然に目にしたり耳にする機会もほとんどないもんなぁ。

目の見えない人たちが自分たちでそういったツール等を開発できればいいのだろうけど、目が見えないとプログラミングなんかもなかなか難しいだろうと思うし。
とはいえ、目の見える人間はさしあたって必要としないので、本腰を入れて開発してくれる人もそう多くはないだろうし。
ちょっとしたジレンマですね。
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by kude104 | 2007-02-13 23:59 | PC&ネット

暗いところで待ち合わせ

幻冬舎文庫出版、乙一著の「暗いところで待ち合わせ」を読了しました。
相変わらず情感のある文章を書くなぁ、このひと。

あらすじを簡単に書くと、会社の同僚を駅のホームから突き落として殺害したとして警察に追われている主人公の青年が、目の見えない一人暮らしの女性の家に隠れ住む、というもの。
このプロットから、もっとスリリングでサスペンスフルなストーリーになるか、ラブストーリーになるかと予想していたのですが、実際にはかなり「静」の物語でした。

隠れている青年は気付かれないよう極力じっとして動かない。
目の見えない女性のほうは、誰かが潜んでいることに徐々に気づいていくのだけど、気づいていることを気付かれて変に刺激してはいけないと、努めて何もないようにふるまう。
――とまぁ、そんなかんじで、二人の間にアクションらしいアクションは起こりません。
ただ、それでも一緒に暮らすうちに、徐々に、じわじわと、関係性が近づいていくのですが、そのへんの物語性がなんだか優しくてよかったです。

というのも、主人公の青年は他人とのコミュニケーションが苦手というか、慣れ合いを拒否して生きてきたという男で。
それゆえ会社でもうまく人間関係を築けず、社会に居場所がなく、孤独です。
本人は、他人と関わるくらいなら孤独でいい、独りで生きていけると思っています。

一方の女性のほうも、もともと自分に自信のない性格に加えて失明したことで、自分の殻に閉じこもるようになります。
日がな一日何もせず、ただじっと家の中で横になっているだけ。
視力を失い、人並の幸せが望めない自分は、そうして独りで生きていくのが一番傷つかず幸せだと思っています。

そんな孤独を良しとする二人が、否が応でも相手の存在を意識して暮さざるを得ないシチュエーションに置かれることで、自分の”孤独さ”を知るようになっていきます。
ああ、実に巧い構成だなぁ。
ぼくも多少なりとも孤独を良しとするところがあるので、ちょっと感情移入してしまいました。
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by kude104 | 2007-02-12 22:53 |