世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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自転車マナー

道交法違反:無灯火の自転車運転に違反切符 20歳女を検挙--千葉の路上 /千葉:MSN毎日インタラクティブ

ザマアミロ。
私事で恐縮ですが、ぼくは自転車の無灯火運転をしているやつが嫌いです。
なにをケチってるんだか面倒くさがってるんだかカッコつけてんだか知らないけど、点けりゃええやん、ライト。

自転車のライトは、自分の前方が見えにくいから点けるんじゃない。
対向者に「ここに自転車がいますよ」と知らせるために点けるのです。
それを点けない人間というのは、相手に対する配慮が足りない人間、想像力が足りてない人間ということなんで、どうせろくな人間じゃない。
ぼくの中では、煙草のポイ捨てなんかと同じレベルの行為ですね。

自転車の乗り方でもうひとつ嫌いなのが、携帯電話でしゃべりながら、あるいはメールなどを打ちながらの運転です。
あれも、電柱にでもぶつかれば良いのにと思う。
注意力散漫で危なっかしいんですよ、近くを走るこっちが。

今日も、車一台分の狭い道を、無灯火の自転車に乗った女が携帯電話でしゃべりながらこっちに近づいてくる場面に出くわしまして。
しかも、女の後ろからは、車が近づいてきているという状況です。
その女、後ろから車が来ていることにたぶん気づかず、右に寄るでもなく左に寄るでもなく、中途半端な位置取りでちんたらと近づいてきやがって。
車と女の位置関係が定まらない以上、ぼくとしては止まってやり過ごすしかなくて、それで止まって待っていたら、女はこちらに一瞥することも無く何やら大声でキャハキャハとしゃべりながら通りすぎて行きやがった。

ムカツク。
そんな女は呪われろ。
呪われて、サドル無くなれ。
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by kude104 | 2006-09-30 23:58
昨日の続き。

「フラガール」は、他に候補がなければちょっと観てみたい映画ですね。
福島県いわき市にあるリゾート施設「常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)」の誕生のドラマを映画化したという、実話を元にした映画です。

昭和40年。不況の炭鉱町。田舎のリゾート施設。町の未来をかけた町興し。
なかなか集まらない踊り手たち。あの時代ですから、「まるでストリッパーだ」と白い目で見られる日々。でも、ひたむきに努力するうちに、いつしか人々の理解が得られ、そして迎えるショー本番。

・・・みたいな。
まぁたぶん、想像通りの映画だろうと思います。
でもって、ぼくはそういうお話は嫌いじゃない。

実際にいまなお盛況のリゾート施設の「知られざる誕生秘話」ってところの興味と、フラダンスという素材の新鮮味とも合わせて、まぁよほどへたくそじゃなきゃ、想像通りの面白さは味わえるんじゃないかと思います。

でも、それよりも今回ぼくが観たい映画は「キンキーブーツ」のほうです。

これも実話を元にした映画なんですが、こっちは倒産寸前の靴工場を相続した主人公のお話。
倒産寸前の会社をどうしたものかと頭を悩ませている主人公が、ひょんなことからドラッグクイーン(「派手な衣装とメイクで女装した人」かな)のローラと出会い、誰も作らない男性用のキンキーブーツ(エナメルにスーパーヒールのSEXYブーツ。いわゆる「女王様ブーツ」)を作ろうと思い立ちます。
周りの偏見と嘲笑にも負けず、懸命に「自分たちらしいブーツ」を作ろうと奮闘する靴職人とドラッグクイーンの物語です。

ね。同じ実話を元にした映画でも、こっちのほうが、より突き抜けてそうじゃないですか。
「フラガール」がスポコンものっぽいにおいがするのに対して、こっちはコメディのにおいがするところも、より面白そうです。

もうひとつ興味をそそられるのは「もしも昨日が選べたら」です。
これは実話じゃないです。
なにしろ、「人生さえも自在に操れるリモコン」のお話ですから。
実話だとたいへんです。

これはまぁ、「小粒でよくできた佳作」という類の作品だろうと思います。
仕事人間で家族を顧みない主人公が、ひょんなことから「人生さえも自在に操れるリモコン」を手に入れ、家族との面倒な時間や出世までの道のりを早送りしたりしているうちに・・・、というお話。
コメディっぽく楽しませて最後は家族愛でほろりとさせる、みたいな感じでしょう、きっと。
そういう映画は嫌いじゃない。
まぁ、家でくつろぎながらDVDで観るのが適している映画かもしれませんが。

といったところで、次の映画サービスデーは「キンキーブーツ」ですね。
余力があれば「もしも昨日が選べたら」も観るかもしれない。
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by kude104 | 2006-09-28 23:56 | 映画
ちょっと早いけど、他にネタも無いし、10月の映画サービスデーに見る映画の選定でも。

今回はわりと粒ぞろいな印象がありますね。
さすが秋映画シーズンといったところでしょうか。
今回は「これを観よう」という映画はすでに決まっているのですが、ちょいとだらだらと上映タイトルを眺めてみましょう。

たとえば「涙そうそう」とか。
妻夫木聡と長澤まさみの組み合わせって、なんか「おっ」って思いますよね。
映画としての出来栄え関係なく、ただ二人の姿がスクリーンに映っているだけで絵になるというか客を呼べるというか。
ま、といいつつぼくは観ないですけど。
あまりお涙ちょうだいものは好きじゃないし、なにより劇場で泣いたらやばいんで。
最近、涙腺が弱くなってきていてねぇ。
歳ですかねぇ。

それにしても、長澤まさみさんって最近やたらと見掛けますね。
ちょうど今「一番売れている」というところなんでしょうね。
NHKの朝ドラの「さくら」に出ていたあの子がねぇ~と、ちょっと感慨深い気分です。
まるで近所のおじさんのような心境ですが、もちろん、ぼくと彼女との間にはブラウン管越しのつながりしかありません。

他には「夜のピクニック」とか。
小説が面白かったんで、どんなふうに映画化したのかちょっと興味あります。
だって、基本的にただ歩くだけのお話ですからね。
二時間ただ人が歩いてしゃべっているだけの映像って、絵的に大丈夫なんでしょうか。
もともと映像化によって面白さが増す類のお話でもありませんし。
でも、それを見事映画化しているなら、ちょっと観てみたい気もします。

とはいえ、現時点で観る気はないですけど。
上に挙げたような不安と、それ以上に、たぶんものすごい照れくさいと思うから。
小説のあの青春青春したやりとりを映像でやられたら、観ている自分が「うわー、はっずかしー!」みたいな気持ちになっちゃう気がする。
「ピュアすぎて、不純物が混ざったぼくには直視できません」みたいな感じ。

──などと書いているうちにけっこうな分量になったので、続きはまた次回!
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by kude104 | 2006-09-27 23:59 | 映画
Sankei Web > 経済 > 「再チャレンジ」年長フリーター対策で官民に温度差(09/25 07:59)

日本経団連のある会員企業の人事担当者の一言。
「ずっとフリーターだった若者を一から教育する考えはない」

まさに仰る通りです。
久々に聴く、「まさに正論」と言うべき発言です。
そりゃそーだ。
同じ採用するなら、新卒のほうが良いに決まってる。
新米が買えるのに、敢えて古米を買おうと思わないのといっしょですよね。

いくら国がフリーターを正社員化したいと思ったって、採用する企業のほうに新卒を採用する以上のメリットがない限り、まず上手く行かないでしょう。
フリーター雇用促進法でも作って、雇用を義務化するか助成金を出すかしない限り、無理だよなぁ。

フリーター問題を解消しようと思ったら、フリーターがフリーターのままで人生設計が立つような社会作りを目指したほうが、まだ見込みがあるのではないかと思います。
正社員を固定労働力、フリーターを流動労働力として捉えれば、上手く棲み分けできるのではないでしょうか。
戦国時代風に言えば、正社員が常備兵、フリーターが農民兵みたいな感じ?

企業としても、変化の激しいこのご時世、常備兵を雇うことにはそれなりのリスクが伴います。
正社員は、景気の風向きが変わったからといって「はい解雇」と言うわけには行きませんからね。
よって、企業の核となる人材は正社員で堅め、わりと単純労働力な職務にはフリーターを使うというのが望ましいように思います。
企業側も、正社員のようにボーナスや退職金、社会保険や福利厚生などが必要ない代わりに、バイト代をもうちょっと上げてあげれば、フリーターの生活も成り立つでしょう。

なんでしょうね、派遣社員のような感じで、アルバイトよりも立場がしっかりしていて、でも正社員ほどではないという区分を整備して、そこにフリーターを流し込もうみたいな。
いわゆる「準社員」を整備すれば良いのではないかと思います。
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by kude104 | 2006-09-26 23:59 | 時事・社会
発熱地帯: 草の根映像の今後?

ぼくも最近、Flashアニメはめっきり見なくなりましたねぇ。
その理由を皆さんあれこれ分析していらっしゃいますが、ぼくもその尻馬に乗っかって一言いうなら、「ブログが出現したからじゃないっすかね」とか言ってみるテスト。

・・・いやほら、後出しジャンケンは、ちょっとは奇抜なことを書かないと面白くないから。
といいつつ、半分くらいはマジです。

まぁ、それを言うなら皆さんご指摘のようにYouTubeを挙げる方がよりふさわしいと思いますが、結局、すべての娯楽はお客さんの時間を奪い合っているわけですよ。
その、Flashアニメ全盛期の頃って、ネットでFlashアニメが一番ホットな娯楽だったように思うのです。
ですが、今じゃたとえばブログを読む時間が増えた、YouTubeを見るようになったとなると、その分Flashアニメに向き合う時間が減るわけで。

「見る側の目が肥えてきて、新しい人にとって敷居が上がってしまった」というよりは、他に面白い娯楽が出現したというほうがより本質的なんじゃないかなーと思う次第です。
もちろん、他の新しい面白い娯楽に負けた要因として、皆さんの分析されている事柄が理由として挙げられるとは思いますが。

まぁ、なんだかんだ言って、やっぱり「YouTubeがなかりせば・・・」というのが一番大きいとは思いますけどね。

個人的な好き嫌いで言うと、そもそもネットで見る動画ってもの自体、ぼくは好きじゃありません。
ラジオなどの音声作品もそうだけど、再生されている時間、PCの前に座って鑑賞するのが非常に面倒くさい。

文章だと、はじめにざっと目を通せば、全体の分量と、だいたいどういった内容か(つまり、読むに値するかどうか)、どの辺りが山場か、といった事柄がおおよそ見当がつきます。
その上で、これは面白そうだと思ったものだけ、じっくり鑑賞すればいい。
でも、動画って、見てみないことには分からない。
はじめに10倍速くらいでキュルキュル全体を流し見でもできりゃ多少は違うでしょうけど、面白いかどうかも分からんものを、頭から5分くらいかけてじっくり見る気にはなかなかならないです。

なので、iPodなどの携帯端末で空き時間に暇つぶしに見るというのが、一番理想的な鑑賞の仕方じゃないかと思います。
PCで見るのは、ぼくにとっては少々かったるいですね。

といったことを考えると、Flashアニメを再び盛り上げるには、「ケータイでFlashアニメを鑑賞する」というスタイルを定着or開拓するのが一番じゃないでしょうか。
いまのケータイのFlash事情がどうなっているのか知りませんが、小さなデータ量でアニメできるというFlashの特性を考えても、ケータイこそFlashアニメの新天地なのではないでしょうか。
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by kude104 | 2006-09-24 21:57
痛いニュース(ノ∀`):【命がけ】 骨髄ドナー、辞退相次ぐ

寄せられているコメントのとおりだと思う。
これは制度として、ちょっと上手くないのではないか。

ドナーが負担するコスト(金銭的なものだけでなく、肉体的、精神的なものも含めて)は、見た感じ、明らかにボランティアの域を越えているように感じる。
「ボランティアじゃないだろ、サクリファイスだろ」というコメントは、言い得て妙だ。
顔も名前も知らない他人に、完全なる善意で出来る行いとしては、募金と献血くらいが相場だろう。
それ以上の負担を“ボランティア”で求めても上手く行かないし、「それくらいボランティアでどうにかなるだろう」という考え方は、むしろ不遜だとさえ思えてくる。

福祉関連でもそうだけど、「人助けは善意で行われなければならない」という考え方が嫌いだ。
もちろん、個人が自身の行動理念としてそれを掲げるのは構わないし尊敬もするけど、それを土台にシステムを設計するのは間違っていると思う。
システムが機能するギリギリのラインまでは、普通の人が合理的な判断で行う行為を土台に設計するのが正しいやり方だろう。
“善意のボランティア”がいなくてもなんとかシステムはまわるけど、ボランティアが居てくれるお陰で余裕を持って運営できますという形が望ましい。

一番簡単なのは、骨髄提供者に謝礼を渡すことだ。
患者が負担するのでもいいし、ドナー基金みたいなものを作ってそこから出してもいい。
たとえば、ドナー登録するときに一万円を払うわけ。
で、見事自分が提供者に選ばれたら、宝くじで言うところの当選です。
その確率がどれくらいか知りませんけど、仮に100人に1人なら100万円が手に入る──みたいなやり方で良いじゃない。
それに、患者の家族の謝礼を上乗せする、みたいな形でどうだろう。
金ですべてが解決するわけじゃないけど、金で解決するのなら安いもんじゃない。

患者と提供者をお互いに秘密にするというのも、どうしてなんだろうね。
たぶんいろいろ不都合があるのだろうけど、メリットとデメリットのどちらが大きいかという点でどうなんだろう。
「ドナーなんて、金を貰わなきゃやってられん」というコメントが多いけど、べつにドナーになって金を稼ぎたいわけじゃない。
自分を納得させたいだけなんだと思う。
患者を見て「自分はこの人を救うんだ」と納得できれば、べつに金なんてどうでもいい。
それができないなら、金でも貰わなやってられんよなぁ。
自分が負担したコストに見合うメリットがあったのだという実感が得られないもの。

骨髄の提供が献血並みになればボランティアでまわるだろうけど、今のままでは厳しいですね。
詳しく知らないけど、へその緒も骨髄移植に使えるって言うし、それならボランティアレベルで提供できそうです。
そんなふうに、科学の進歩で骨髄の提供がもっと容易になればいいのですが。
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by kude104 | 2006-09-23 21:08
著作権関連16団体、著作権の保護期間を「死後70年」に延長を求める共同声明

ぼくは基本的に著作権を尊重すべしというスタンスだけど、こういう話には、「バカじゃなかろうか」と思ってしまう。
ぼくが著作権を尊重するのは、作家のクリエイティビティに敬意を持っているからであって、著作権ビジネスを運用している人たちを食わせたいためではない。

「死後50年じゃ短いから、70年にして欲しい」と主張する作家本人がいったいどれだけいるのか。
自分の死後のことなんて、50年だろうが70年だろうが関係無いもの。
あの世にはお金も権利も持って行けないんですから。

50年間でも長いと思うけど、70年間って。
どの産業で、ひとつの製品が70年間も商品価値を失わずにいられようか。
それを無理やり制度で保護しようとすると、却ってその産業は駄目になってしまうでしょう。

ぼくが思うに、著作権の保護期間が短いほうが(むろん短すぎても駄目で、これは「過度に長くないほうが」という意味です)、その著作権関連団体とやらは次々に新しい“名作”を生み出す必要に迫られるので、新人や新作の発掘・開拓に力を入れるようになり、結果として創作活動が活発化するのではないかと思います。

日本が知財立国を目指すなら、知財を生み出す態勢作りこそが重要でしょう。
過去の遺産にしがみ付いて、それでどれだけ長く食えるだろうなんてことをやっている知財立国より、どんどん回転率を上げていって、「著作権の切れた作品はどんどん利用して良いですよ。うちはそれ以上に、もっといい作品を生み出しますから」という知財立国のほうが、だんぜんカッコイイ。

ま、ぶっちゃけ、50年だ70年だと言っているうちに、作家が自分の著作権を自分で管理する時代がやってくるでしょう。
そうなると著作権ビジネスも変わらざるを得ないでしょうから、こういう主張も今のうちかなって気がしますね。
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by kude104 | 2006-09-22 23:59
昨日の続きで、YouTubeとワーナーとの提携についての話ですが。

YouTubeのユニークなところって、動画再生用の「窓」をユーザが自分のブログなりWebページなりに自由に貼り付けちゃえるところですよね。

で、YouTubeとワーナーとの提携の話を読んで思いついたのは、“音楽番組ブログ”みたいなものができるなぁということです。
「今日のお薦めの一曲はこれ」みたいな感じで、ブロガーがDJになって、お気に入りの曲や注目曲を紹介するブログというものが、簡単に作れてしまう。
しかも、合法的に。
選曲のセンスが良ければわりと人気の出そうなコンテンツだと思うのですが、もしこの音楽番組ブログが有名になったら・・・?と想像してみます。

ブロガーとしては、大量のアクセスを無駄にする手は有りませんから、当然、グーグルアドセンスなりバナー広告なりを設置しますよね。
そして、もしこの音楽番組ブログがユーザニーズをかなり満たすものであるなら、多くのユーザはわざわざYouTubeにアクセスして楽曲を探さなくても、このブログで鑑賞すれば良いやと考えるようになるでしょう。

そうするとどうなるかというと、本来YouTubeにアクセスしてそこで広告をクリックするはずだったユーザが、その手前の音楽番組ブログで広告をクリックすることになります。
これでは、YouTubeとしては、インフラだけ提供して儲けは持っていかれるようなもので、ちっとも美味しくありません。
・・・まぁ、YouTube側の対策としては、動画の中に広告を埋め込んでしまえばいいだけですから、さほどクリティカルではないでしょうけど。

いずれにしても、ユーザ側としては、無料でブログを借りて、無料でYouTubeのインフラを使い、無料でワーナーのコンテンツを提供して広告代を稼げるという、夢のような道が開かれようとしているのではないでしょうか。

でも、考えてみれば、そういうブログはすでにもうありますね。
音楽番組ブログは知りませんが、普通に“YouTubeおもしろ作品紹介ブログ”みたいなやつが。
どうなんだろう、ああいうのって、それなりに広告収入が得られているものなんでしょうか。

まぁ、こういうのは、面白い動画を探す労力と広告収入とがペイするか否かというところが問題なので、ワーナーのミュージックビデオを紹介する音楽番組ブログというのは、そのへんのコストパフォーマンスが良さそうで、いんじゃないでしょうか。
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by kude104 | 2006-09-21 23:59 | PC&ネット

YouTubeとワーナーが提携

FIFTH EDITION: ワーナーのコンテンツ・プラットフォーム戦略?

やっぱり、こういうところでは、米国は一歩も二歩も先を行ってるなぁ。
こういう新進の気風には、ほんと敬意を表する。

ワーナーの数千におよぶミュージックビデオがYouTubeにアップされ、ユーザはそれらを合法的に利用できるようになるというお話。
利用の範疇には、YouTube上で鑑賞したり自分のブログに張りつけたりするのはもちろん、ユーザが自分で製作したオリジナルビデオの中でそのミュージックビデオを二次使用することも含まれる──かもしれません。

二次使用のほうは、リンク先の情報だけではまだ何とも言えないように思うのですが、一次使用できるだけでも十分すごいと言って良いんじゃないでしょうか。

もしこれが上手く行けば、当然他の企業も追従するでしょうから、YouTubeの著作権問題は一気に解決します。
逆に、失敗すれば、YouTubeは一転してピンチに立たされるでしょうけど。
いずれにしても興味深い動きであり、失敗するよりも成功したほうが面白い世の中になりそうなんで、ぼくもこの実験を応援したいと思います。

もしこれが成功すれば・・・ということでいろいろ考えてみましょう。

まずぱっと思い浮かぶのは、アーティスト(もしくは楽曲)の人気がかなり白日の元に晒されるのではないか・・・ということですね。
だって、ミュージックビデオのPVが、ほぼそのまま人気度を表すと考えられるでしょうから。

これまでは無名のアーティストたちが、有名でないためにメディアへの露出が少なくて、それゆえ有名になれなくてメディアへの露出が少なくなるという悪循環からなかなか抜け出せませんでしたが、なにしろ、ブログにミュージックビデオを直接張りつけられますからね。
その口コミパワーたるや、これまでの比ではないでしょう。

ただ、弊害ももちろんあって、より多くの口コミを集めるのは、けっきょくやっぱり話題性のあるミュージックビデオになるのではないかという懸念です。
楽曲の良し悪しよりも、アーティストの人気やビデオのネタ性がPVに直結するのではないかという気がします。

そしてもうひとつ。
これはYouTubeに対する不安材料としてですが、YouTubeの現在の優位性のかなり大きな部分を占めているのは、著作権的にやばいコンテンツがたくさん有るという点ではないかと思います。
もし仮に今回の実験が成功して、やばいコンテンツがすべて合法になる未来が来たとしたら?
おそらく他の動画共有サービスもYouTubeと同様の動きに出るでしょう。

そのとき、コンテンツを持つ企業は、べつにYouTubeに独占的にコンテンツを供給する必要はありません。
広告料を折半するというビジネスモデルや、動画共有サービスを商品のプロモーションに利用するという目的から考えて、コンテンツ企業としては、より多くの動画共有サービスにコンテンツを供給しようとするでしょう。
つまり、今現在YouTubeのキラーコンテンツとしてあるものが、どの動画サービスにもあるという状況になってしまい、YouTubeの優位性がなくなるのではないか。

最終的には、動画共有サービスのためのインフラ設備がお安くなれば、コンテンツ企業が自ら“ファンのための動画共有サービス”を運営するのが一番旨みがあるように思いますし。

なにげに、YouTubeはパンドラの箱を開いてしまったのではないかという気がしなくも無いですね。
とはいえ、いつまでもグレーゾーンでやってもいられませんから、YouTubeとしては、分かっていても進むしかないでしょうけど。

ま、我々ユーザにとっては、パンドラの箱だろうと何だろうと、開いて便利になればそれで良いので。
とはいえ、もし今回の実験が成功しても、日本にその波が来るまでには数年掛かるだろうなぁと思うと、なんか悔しいですね。
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by kude104 | 2006-09-20 23:59 | PC&ネット
新潮文庫出版、恩田陸著「夜のピクニック」を読了しました。
第2回本屋大賞を受賞したというだけあって、なるほど、とてもいい小説でした。

内容は、とある高校で行われている「歩行祭」というイベントを舞台にした青春物語です。
歩行祭というのは、全校生徒が朝の8時から翌朝の8時まで夜を徹して80キロを歩き通すという学校行事で、なんだか24時間テレビの100キロマラソンのようなイベントです。

そんな無茶苦茶な行事、いくらなんでも実際にはないだろう、作者の考えたフィクションだろうと思っていたら、作者の高校で実際に行われていた行事だそうです。
すごいね。
そんな過酷なイベント、よくやるよ。
参加する(させられる)生徒も大変だけど、運営するほうも大変そうです。
ぜったい何人か、途中で逃亡しそうじゃないですか。
よくきちんと統率できるもんだなぁと感心します。

で、物語としては、主人公たちがこの歩行祭をスタートしてゴールするまでの様子を、わりと淡々と描いたものとなっています。
べつに、なにかすごいドラマチックな出来事が起こるわけではないけれど、でも、そもそも歩行祭というイベント自体が十分ドラマチックですから。
高校三年という多感な時期に、友達と夜通し歩き通すというそれだけで、十分ドラマチックじゃないですか。

歩きながら見る景色や、友達とのたわいの無い会話。
それらを楽しみながら、あるいは歩き疲れて苦痛と戦いながら、ふと気がつけば、一歩一歩確実に「このとき」が終わりが近づいているという感じ。
この歩行祭というイベントは、青春そのものだよなぁと感じます。
うまいイベントを考えたものだと思いますし、うまい題材を小説に持ってきたなと思います。

この物語のもうひとつの軸として、二人の主人公の関係性が、この歩行祭の間にどう変化するのか、あるいはしないのかという物語が紡がれます。
その二人の主人公というのは男の子と女の子なんですけど、普通ならこれを恋愛話に持っていくじゃないですか。
でも、「夜のピクニック」では、この二人はクラスメイトの誰にも言えないある秘密(家庭の事情)を抱えていて、それゆえお互いがお互いを避けています。
顔も合わさない、口も聞かないような関係です。

この二人の関係性が物語にひとつの緊張感をもたらしていて面白いですね。

まぁ、青春小説というには美しすぎるというか、青春ってもっとドロドロしていたりスカスカだったりするもんだと思いますけど、その上澄みの美しいところだけを描いたような感があって、人によっては物足りないかもしれませんけど。
でも、ノスタルジーというか、大人になったぼくらがあの頃を振り返って憧憬する、そんな物語なので、それはそれでやっぱり心地いいです。

感動するというより、心が洗濯されてさっぱりするような、そんな小説でした。
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by kude104 | 2006-09-18 23:59 |