世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
カレンダー

<   2006年 07月 ( 27 )   > この月の画像一覧

asahi.com:子どもら57人死亡 レバノン空爆で最悪の被害 - 国際

国連って、ぼくらが思っている以上に存在感ないのかもしれないなぁ。
昔はもう少し国連に対して絶対感を抱いていたのだけれど。
あれですね、騒音おばさんにどうすることも出来ない町内会みたいなものですかね。

イスラエルにも言い分はあるし、正義もあるんでしょうけど、このやり方はアカンわ。
これでまたひとつ、憎しみが憎しみを呼び、報復が報復を産む憎悪の連鎖が始まったことが、記事越しにも分かります。
たとえヒズボラを殲滅できても、ちっとも「めでたし、めでたし」で終われないじゃないですか。
将来に禍根を残しまくりです。

人の恨みを買うということを甘く見ては行けないと思う。

イスラエル人とレバノン人との間にできた憎悪の連鎖は、容易には経ち切れませんよ。
下手したら、永久に断ち切れないかもしれない。
だとすると、この先も延々いがみ合って殺し合うのか・・・と思うと暗澹たる気分になるので、なんとかして、憎しみ合う民族を融和させる方法は何かないものか考えてみよう。

ひとつあるとすれば、遠回りのようだけど、個人と個人が交流して相互理解を深めて行くほかはないと考えます。

「ナニナニ人」といった捕らえ方では対象が漠然としすぎていて、親近感を持ちづらいですよね。
「ナニナニ人」が好きになる前には、まず、個人を好きになることだと思います。
民族関係なく個人と個人の付き合いの中で、「あの人はイスラエル人だけど好きだ」となれば、憎悪と民族との結び付けが揺らぎます。
民族単位で憎悪の対象としていたものが、「イスラエル人が悪いのではなく、悪いのは○○だ」というふうに、個人単位、個別単位に詳細化すればしめたものです。

問題は、どうやって個人と個人の交流を深めるかです。
いま、イスラエル人とレバノン人が交流を深めることなど、それすら夢物語です。
そこで、国連の登場ですよ。

まず、どこかに国連の管理・保護のもとに、居住区を作ります。
たぶん、どちらの民族の中にも、「憎しみより友愛を」と考える人が少しは居るのではないかと思いますので、彼らにこの居住区に移住してもらいます。
そこで民族関係なく、お互い融和して生活してもらうわけです。

お互いに理解し合いましょうという人たちが集まるわけですから、お互いに安心です。
そして、お互いに相手のことを理解しようと努めるので、融和もスムーズに進むのではないでしょうか。

彼らには、融和イベントや融和キャンペーンといったプロモーション活動を積極的に展開してもらいます。
それは、自分たちが仲良くなるためでもあり、対外的なアピールのためでもあります。
そうした活動がコミュニティに住む条件であり、それに対して「お給料」を支払ってもいい。
彼らの仕事は「融和すること」と言い切っても良いくらいですから。

完全に融和できた人は自分の国に戻って、そこで種になってもらいたい。
そうして新しい人をどんどん入れては融和させて本国に返すということを50年も続ければ、かなりの成果になるのではないかと思うのですがどうでしょう。
まぁ、融和した人、しようとした人が迫害される危険性がありますから、そのへんは何か対策を講じなければならないでしょうけど。

自分でも、「何とも夢物語な・・・」と思いますが、武力で殲滅する案よりは「まし」だと思います。
[PR]
by kude104 | 2006-07-31 23:59 | 時事・社会
季節柄、靖国問題についての言説をよく目に耳にするようになってきました。
せっかくなので、ぼくも便乗してつらつらと思うところを書いてみよう。

「靖国問題を解決しようと思ったら、どうすればいいか?」というのは、思考ゲームとして面白い。
今回は象徴的な例として、首相の靖国参拝について考えてみます。

解決策として、ひとつには「参拝を禁止する」という解がありますが、これはまぁ下作というか、あまりエレガントじゃない気がします。
解決と言うのは、問題が問題でなくなることですから。
禁止するというのは、単に「臭いものに蓋をする」ようなものですよね。
「首相が参拝しても、誰も気にも留めない」という状況こそが、「解決」と言えるのではないでしょうか。

「参拝したけりゃ勝手に参拝すりゃいいし、参拝したくなきゃ参拝しなきゃいいし、好きにすれば?」って言える状況。
首相が参拝しようがしまいが、政治にも外交にもお茶の間にもなんの影響も話題も及ぼさない状況。
そうなれば、これは完璧に「解決」です。

それには、反対の理由をひとつひとつ潰して行くのがいいでしょう。
賛成の理由を潰すのは難しいというか、賛成の理由ってほぼ精神的満足感なので。
理屈で潰しやすいのは反対の理由のほうかと思います。

まず、政教分離の問題。
首相が特定の宗教施設を参拝するのは問題だという意見。
これは基本的に、公人としての参拝はアウト、私人としてならオッケーというところでラインを引くのが現実的な落とし所かと思います。
「首相となった人間に公私の区別は無い、すべてアウトだ」というと、「あれもダメ、これもダメ」で身動き取れなくなりそうですし。
葬式とか初詣とかクリスマスとか。
まぁ、なんなら、同日にお寺や教会も訪れて、「特定の」という部分を薄めてやればいいんじゃないでしょうか。

次に、A級戦犯が祭られているから駄目だという意見。
これに対しては、「人間、死ねば皆ホトケ」ということで理解して頂きましょう。
反対派の感情がそれで収まるかどうかは分かりませんが、理屈としては、それほど強引な主張でもないはず。
「人間、死ねば皆ホトケ。生前の罪を問うことと、死者の魂を弔うことは別」という主張に対して、「いーや! 罪人は死んでも罪人、弔う必要などなし!」と反論してくる人はそうそう居ないでしょう。
もし居たとしても、日本人の生死観からして、たいていの人は「死ねば皆ホトケ」のほうがしっくり来るのではないかと思います。

また、靖国神社に参拝することが軍国主義を賛美することにつながるという意見に対しては、「死者の魂を弔い、死者の魂に不戦の誓いを立てる」という名目でクリアできるでしょう。
「我が国が過去に悲惨な戦争を引き起こしたことを忘れないため、そして、二度と同じ過ちを繰り返さないために、こうして参拝しています」とはっきり言えば、それに対して「軍国主義を賛美している」と非難するのは難しくなるのではないでしょうか。

そして、対中韓関係を悪化させるという意見に対しては──。

中韓だけに限らず、とどのつまりは、日本は(日本人は)プロモーションが下手なんだと思います。
たとえば、首相が靖国神社を参拝するなら、それとセットにして、先の戦争の反省と不戦の誓いをもっともっとアピールするべきだと思います。
せっかくマスコミが大勢押し寄せて、首相のあるいは政府の話を聞きたがっているんですから、ここぞとばかりに「日本は反省している。もう二度と戦争はしない」って言えばいい。
「平和を愛する日本」を知ってもらう、絶好の機会じゃないですか。

マスコミを避けるように参拝するんじゃなくて、堂々と参拝して、堂々と平和の誓いを述べればいいと思うんですよ。
上に挙げたように、いかようにも大義名分は立つんですから。

もちろん、靖国だけじゃなく、いろんな平和式典に積極的に参加することが大切ですよ。
また、折々に触れて、アジアの諸外国に謝罪と平和のメッセージを発信することも大切です。
他にも、国際的な紛争や対立に、日本が積極的に平和への活動を行ったり。
そういった積み重ねがあれば、中韓だって下手に非難できなくなるでしょう。

これまで日本がどのくらいの謝罪をした、賠償をしたと主張しても、回数や金額じゃないんですよね。
プロモーション効果がどうだったかが重要です。
未だに中韓に「謝罪と賠償を要求する!」とか言われちゃうのは、日本のプロモーションが下手だからですよ。

靖国に参拝するかしないかは問題の本質じゃなくて、いかにして日本が世界に向けて平和へのメッセージを発信するか、それこそが問題だと思います。
[PR]
by kude104 | 2006-07-30 21:52 | 時事・社会
先日「時をかける少女」を観たばかりですが、そろそろ次の映画サービスデーが迫っています。
さて、今回はどんな映画を見ようかなっと。

話題性で言えば、やっぱり「ゲド戦記」でしょうか。
前評判がびっくりするくらい悪いので、面白さという点では期待できそうに無いな・・・と思います。
でも、とりあえず、「意外と面白かったよ」となるにせよ、「やっぱりダメダメだった」となるにせよ、この夏一番の話のネタになることは間違いないんじゃないでしょうか。

ただ、おそらく満席で観られないんじゃないかなと思うので、他の候補も検討してみよう。

ゲド戦記とは逆に、ネットでの評判がかなりいいのは「ゆれる」です。
心理サスペンス的な内容のようですが・・・うーん、現時点ではあまり食指が動かない。
いえね、まずゲド戦記の混み具合をチェックして、駄目ならこっちという流れになると思うんですけど、そうなると劇場がちょっと離れているので面倒くさいなぁという、しょーもない理由なんですけど。

これだけ評判がいいと「ゆれる」も満席で観られない可能性があります。
そうなると、行って帰ってしなきゃならないから、うんざりです。
ですから、できれば同じ劇場で上映している作品でまとめたいと思う次第です。

ただ、そうなると、かなりベタな候補になってしまいますね。
「M:i:III」「パイレーツ・オブ・カリビアン」「ブレイブ ストーリー」か・・・みたいな。
デートムービーっぽいものを除くと、まぁこのあたりでしょ。

この中では、「ブレイブストーリー」は無いか。
ちょっぴり興味が無いわけじゃないけど、そんなにアニメ映画ばかり観ていられないやって感じ。
あと、客層が家族連れでしょうから、その中に野郎一人ってのは肩身が狭いし。

となると、残り二つのどちらかだけど、「パイレーツ・オブ・カリビアン」はパート3に続くって感じで終わるそうじゃないですか。
そういうのは、ちょっと萎える。

ってことで、「M:i:III」になっちゃいますが、なんだろうこのワクワク感の無さは。
たぶん、普通に面白いんだろうけど、なんか「けっきょくM:i:IIIかよ」みたいなテンションです。
[PR]
by kude104 | 2006-07-29 23:35

俺の心を勝手に測るな

Yahoo!ニュース - フジサンケイ ビジネスアイ - ブリーズウェイ「キモチ分析トーク」 携帯通話するだけで相手の本心をズバリ

思わず年寄りじみた感想を述べてしまいそうです。
いわく、「機械に頼り、生身のコミュニケーションが失われて行くのは悲しいことだ」と。

いやまあ、まずは精度の問題があります。
どこまで信用できる分析結果が出てくるのか。
たしか嘘発見器ですら、まだ実用レベルに至っていないんじゃなかったかと思います。
嘘か本当かさえ見抜けないのに、それ以上の細かい感情など分析できるものかなぁ・・・。

おそらくは心理テストに毛が生えたレベルだろうと思うのですが、だとすると、罪作りなサービスになるのではという気がしてなりません。
パーティゲーム的に遊ぶぶんには面白そうですけど。
でも、絶対まじで依存するやつが出てくるに決まってます。
血液型性格占いでさえ、あの影響力ですからね。

こんなもんで勝手に分析されて、勝手に「ラブラブ度」とか測られたら、迷惑も良いところですよ。
男友達との会話で「ラブラブ度」がMAXになったら、どーしてくれる。
それ以降、その友達がぼくを避けているみたいです・・・なんてことになったりして。

いやまぁなんというか、要するに、こんな機械で誤解されるのだけは、ご免被りたいってこと。

でもって、もし仮に分析精度が100%だとしても、やはり気に入らない。
そもそも分析精度関係無く、端っからこんな機械で分析されたくなどないわけで。
「俺の心を勝手に測るな」って感じ。
測られたと分かった時点で、相手に対するぼくの信頼感はかなり低下するでしょう。

機械じゃなくて、自分の心で測るのはべつに構わないんですよ。
それはなんというか、とても「不確か」だから。
不確かだから、もっと知りたいと思うし、理解しようと努めます。
その「理解しようと努める」ことが大切だと思うのです。

理解する努力を放棄して、外部の評価に委ねてしまうのは、言うなれば「手抜き」ですよね。
手抜きなコミュニケーションをしてくる相手に、真剣に付き合う気にはなれないです。

まぁ、もし仮に分析精度が100%だとすると、この分析結果を知ることが「結果」になってしまいます。
たとえば、告白してフラれるのと分析結果でフラれるのと、同じことになる。
そうすると多分、分析結果を知るのが怖いから、その前にそれより低い精度で分析結果を分析して予想するようになったりしてね。
人間って、「真実を知りたい」と言いつつも、そんなもんだろうと思います。

だからまぁたぶん、心理テストに毛が生えたレベルなんだろうと思います。
そんなもんに、加入料2000円、基本料月400円、通話料1分40円も払うのは、ご苦労なこったと思います。
[PR]
by kude104 | 2006-07-28 23:59

時をかける少女

先日、アニメ映画「時をかける少女」を観て来ました。
この映画、やたらと評判が良いので気になっていたんです。
ちょうど男性サービスデーだったし。

筒井康隆さんの同名小説を原作にして、原作とは違った内容になっているようです。
ぼくは原作を知らないので分かりませんが。

偶然、タイムリープという時間と空間を飛び越える超能力が使えるようになった少女のコミカルな日常を描いた物語といったところでしょうか。
「時間旅行」というと、何やら壮大な物語が始まりそうですが、このヒロインのやることといえば、妹に食べられたプリンを過去に戻って食べるとか、カラオケを1時間(?)の料金で10時間分歌うとか、遭遇したトラブルを過去に戻って回避するとか、そういうしょーもないことばかりです。

そんなコメディ映画のような展開の中に、高校生の淡い恋愛の物語が進行します。
ヒロインと男子二名の仲良し三人組。
古い言い方をすれば「ドリカム状態」ってやつですな。
ずっとこのまま三人で仲良く居られたら──と思っているヒロインですが、ある日、その片方の男子に告白されてしまいます。
で、驚いて、タイムリープを使って、その告白を「無かったこと」にしてしまいます。

とまぁ、前半はこんな感じで物語が進んでいき、コミカルでほのぼのした映画だなぁと思って観ていると、後半になるにつれて徐々にシリアスな展開に変わっていきます。
どうやら、タイムリープによってヒロインがトラブルを回避するたびに、回避されたトラブルが誰かのもとに降りかかっているらしい。
自分の都合だけで気楽にやっていた行為が、誰かに影響を及ぼしている──そのことにヒロインが気づいたときには、状況は「取り返しのつかない結末」の一歩手前まで来ていて・・・。

「時間を戻して何度でもやり直せる」能力を持った少女が、最後には「やり直しの効かないこと」「取り返しのつかないこと」を知るという、なんともまぁ見事な展開です。
作り手がなんとなく「時をかける少女」という題材を選んだのではなく、こういうメッセージを伝えたくて選んだのだ──ということが良く伝わるいい作りでした。

雰囲気は、なんとなくOVAっぽいというか、ジブリ映画なんかと比べると(比べるのが間違っていますが)、スケールも小さいし予算も安い感じは否めません。
でも、作りはめちゃくちゃ丁寧で、細かいところまで気を配って作られている。
スケール感やダイナミックさはありませんが、丁寧に作られた良作と言えるでしょう。
観終わって、素直に「良い映画だ」と思える作品です。

明るくて楽しくて爽やかで淡くて切ない物語。
なんというか、おじさんにはちょっと照れくさい感じが無きにしもあらず。
メインターゲットは、ティーンエイジャーの女の子でしょうね。
でも、おじさんだって、DVDコレクションに加えて、たまに思い出したように見てみたい──そんな映画です。
[PR]
by kude104 | 2006-07-27 23:48 | 映画

完璧なる「DIVE!!」

角川文庫出版、森絵都著「DIVE!!」を読了しました。
これは文句なしに面白い。

一言で言えば、飛込競技を題材にしたスポコン青春物語ってことになるでしょうか。
とにかくまず、「飛込競技」って題材が新鮮でいい。
もちろんぼくは、飛込競技のことなんてほとんど何も知らないわけで。
それだけに、自分の知らない世界を見せてくれるんじゃないか・・・という好奇心が刺激されます。

実際、本書で描かれる飛込競技というのは、実にドラマチックです。
10メートルの高さからプールに向けてダイブする。
その間、わずか1.4秒。
気が遠くなるほど練習して練習して練習して、すべてを懸けて練習したその成果が、わずか1.4秒で決する。
なんてドラマチックな競技でしょう。

そしてなにより、個人競技ってのがいい。

スポコンものといえば、たいてい団体競技ですよね。
主人公がいて、チームメイトがいて。
彼らはときに支え合い、ときに反発し合い、ときにはお互いをライバルとして切磋琢磨しながら、友情を育みチームの絆を強くして、そしてチームとして試合に臨み、みんなで勝利する──ってのが、スポコンものの黄金パターンでしょう。
つまり、全員が勝利者になれる。

でも、個人競技では、勝利者はたった一人だけです。
主人公がいて、仲間がいて。
彼らはときに支え合い、ときに反発し合い、ときにはお互いをライバルとして切磋琢磨しながら、友情を育み仲間の絆を強くして、でも、個人として試合に臨み、勝つのはただ一人だけ。
なんいう残酷なドラマ性!

本書には、要一、飛沫、知季という3人の主人公が登場します。
彼らはまるでトライアングルの形に配置されているかのように、性格も違えばダイブも違う。
でも、三人が三人ともそれぞれに魅力的な個性として描かれています。

ですから、読んでいると三人ともに気持ちが入っちゃうんですよ。
「DIVE!!」は四章構成になっていて、一章が知季、二章が飛沫、三章が要一の物語となっています。
そこで読者は、彼らの飛込みにかける情熱と血の滲むような努力、そして葛藤と覚悟を見せつけられます。
そうして三章をかけて三人の主人公の物語を描いた後、まとめとなる四章が、彼らの夢であるオリンピックへの出場権をかけた代表選考会の試合です。

もうね、憎たらしいくらいに上手い構成ですよ。
オリンピックに出場できるのは一名だけ。
つまり、三人の主人公のうち、勝つのは一人だけで、残りの二人は負けるんです。
言いかえるなら、これは「主人公が負ける物語」なんですよ。
スポコンもので、「努力、友情」ときて、その先に「敗北」が待ち受けている物語なんて・・・。

しかも、三人は同じダイビングクラブの仲間で、とても仲がいい。
お互いにお互いを認め合っている。
でも、敵なんです。
仲間であり、同士であり、戦友であり、ライバルであり、敵でもある。
自分の勝利は仲間の敗北を意味するし、仲間の勝利は自分の敗北を意味する。
──そんな容赦のない直球のドラマが、面白くないはずがない。

そして、何より脱帽したのは、こんなにヒリヒリするような展開なのに、ラストは実に爽やかに終わることです。
ワクワクして、ドキドキして、感動して、涙ぐんで、そして爽やかに終わった。

完璧です。
[PR]
by kude104 | 2006-07-26 23:59 |
世に倦む日日 : 朝鮮総連への免税廃止制裁 - ユダヤ人化する在日朝鮮人権利

北朝鮮のミサイル発射に端を発するように、各地で朝鮮総連への税の減免措置を廃止する動きが出ているようで。
上記ブログでは、そのことを批判するエントリーが書かれています。

だが、ぼくには減免措置の廃止を「いじめ、嫌がらせ」とするロジックが、いまひとつピンと来ない。
それはたぶんに、ぼくの無知なるゆえだと思うけど。

もしこれが、「朝鮮総連だけに(制裁的な)特別税を課す」ということなら、「いじめ、嫌がらせ」だという批判も理解できる。
でも、今回の話は「今まで優遇していたものを、止めにしましょう」ということですよね。

たしかに、「いきなり一方的に廃止するのはどうよ?」とか、「北朝鮮のミサイル発射を理由に廃止するのはどうよ?」と思わなくも無い。
でも、それは裏を返せば、今までの減免措置の根拠・正当性が、それくらいあやふやだったからだとも言えるのではないか。
誰が聞いても納得するロジックがあれば、堂々とそれを主張して異を唱えればいいのだから。

そもそも、どういう理由で朝鮮総連が減免されているのか、ぼくは知らない。
朝鮮総連自体がどういう組織でどういう活動をしているのかも、よく知らない。
減免された分のお金が、どのように使われていたのかを知らない。
おそらく、ほとんどの人が知らないのではないかと思う。

そのことを不勉強だと非難する人が居るとすれば、それはちょっと違うと言いたい。
ぼくはむしろ、今まで朝鮮総連が自分たちの公益性ですか? 自分たちが減免されることの正当性を周知させる努力を怠って来たこと、それこそが非難されてしかるべきだと思います。

減免は優遇措置です。
優遇措置というのは、ともすると嫉まれ、隙あらば廃止しようと狙われるものです。
それゆえ、優遇措置を受けている者は、そのことに対しては常に腰を低くし、感謝をし、その優遇措置がいかに正当で社会の役に立っているかをアピールし続けなければならない。
それが優遇措置を受けている者の採るべき戦略です。
まちがっても、「優遇されて当然」などという顔をしては行けない。
たとえ心でそう思っていたとしても、表向きは感謝しているふうを装わなければ行けない。

朝鮮総連はそれを怠っていたのではないか。
だとしたら、そのツケを払わされるのは致し方の無いことです。
今回の北朝鮮のミサイル発射は、優遇廃止の格好の口実を与えてしまい、それに対して朝鮮総連は口実を打ち消すだけのものを築いていなかった。
それだけのことです。

で、朝鮮総連の減免措置を廃止することを、まるで在日朝鮮人の人権を侵害するかのように非難するのは違うのではないかと思う。
まるで、酒税が上がったからと言って、酒飲みの人権が侵害されていると非難するようではないか。

減免措置による経済的負担がどの程度在日朝鮮人の方々に圧し掛かるのか知らないですが、それは朝鮮総連の「経営」の話だ。
経営努力で乗り切って下さいねとしか言えない。
でなければ、きちんと財務状況を公開して「このように苦しいので、優遇措置を続けてください」と訴えるのが筋だと思う。

減免措置の廃止を非難するなら、訴えるべきは減免措置がいかに必要かということでしょう。
「これは弱者に対するいじめだ!」と主張しても、多くの人は「だれが弱者なの?」「どのへんがいじめなの?」と思うだけで、あまり効果的とは思えません。
ましてや、あまり安易に「ナチスのユダヤ人迫害」になぞらえないほうがいいと思います。
[PR]
by kude104 | 2006-07-24 23:59 | 時事・社会

立てよ、クリエイター!

音楽配信メモ YouTubeコラムをNIKKEI NETに寄稿して思ったことなど

あえて、ものすごく乱暴に断言してしまうけど、一次クリエイターにとっての幸せというのは「多くの人に創ったものを見てもらう」ということに尽きる。だから、別にそれがYouTubeだろうが、対価の発生しない“違法”なファイル交換ソフトだろうが、ブログへのコピペだろうが、図書館で無料で貸し出されようが、人格権(というか氏名表示権かな)が守られている限りは「基本的に」大歓迎だよ、ってのが多くのクリエイターの当然の意識だと思うのだ。
あえて、ものすごく乱暴に断言してしまえば、「大歓迎だよ」とのん気に言えるのは「1→10」で金儲けしたい既得権益の連中がせっせと金儲けをして一次クリエイターに金を送ってくれるからだと思う。

だって、それならCDなど販売せず、ネットでただで配布すればいいじゃないかって話です。
一方では「二次」の連中にCD売らせてそこから取り分貰っておいて、他方ではそういう連中を悪し様に言う一次クリエイターなるものがもし居るとすれば、それは二枚舌もいいところだと思う。

とまぁ、これはあくまでも極論で、実際はバランスの問題だと思うんですけどね。
でも、常々思うのは、たとえば、ネットで音楽データを配信して、ネット通販でCD売って、コピーはどんどんして下さい、ひとりでも多くの人に聞いてもらえると幸せですってことをやれるクリエイターがいったいどれだけ居るのだろうかってことです。

もちろん居なくは無いけど、その大半は趣味でやっている(つまり、これで食えなくても構わない)人や、メジャーデビューのお声が掛かれば喜んでそっちに行っちゃう(つまり、プロモーション的にやっている)人なんじゃないかと思う。
プロで、本気でネットで生きて行こうとしているクリエイターがどれくらい居るのか知りたい。
そして、それがどれくらい成功しているのか知りたい。

そうじゃないクリエイターが、つまり、「二次」の連中からお金を貰ってメシ食っているクリエイターが「コピーは大歓迎だよ」って言っても、ぼくはそれを信じない。

だからこそ、クリエイターにはどんどんネットに進出して欲しい。
「二次」に所属して、彼らに既存の著作権ビジネスを続けさせるのではなく、自分たちがイニシアチブを持って新たなビジネスを切り拓いて欲しい。
その上で「コピーは大歓迎だよ」と言ってくれたら最高です。

状況は整った。
あとはクリエイターが挑むだけですよ。
[PR]
by kude104 | 2006-07-23 22:28 | PC&ネット
天皇A級戦犯発言報道に関する簡易まとめサイト

これを見ていると、「群集の叡智」とはこういうことかと思わずにはいられません。
むろん、今回のマスコミ報道を「誤報」「捏造」だとするに至ったこれら「群集の叡智」が正しいかどうかは、現段階では判断できません。
が、しかし。
名も無き人々が寄って集って報道の検証作業を進めていく、そのエネルギーとスピードのすさまじさを目の当たりにすると、これは確かに新しい時代が到来したのだと実感させられます。

このパワーには、マスコミといえども敵わない。
もし、今回の報道が誤報あるいは捏造だとすれば、そのことを象徴する出来事だと思います。
捏造した人間は、時代が変わったことに気づかず、これまでどおり上手く騙せると思っている。
報じたマスコミは、時代が変わったことに気づかず、これまでどおり自分たちの報道がそのまま事実として受け入れられると思っている。
この鈍感さは致命傷になりかねない。
1回「群集の叡智」に嘘を暴かれるたびに、そのぶんマスコミの権威は薄れ、やがてきれいさっぱり消え去ってしまうことになぜ気づかん。

かつては為政者が独占しコントロールしていた情報をマスコミが手にして、今、マスコミが独占しコントロールしていた情報を大衆が手にしようとしている。
「群集の叡智」が手放しで素晴らしいものだとは思わないけど、でも、テクノロジーの進歩によって情報のコントロール権が拡散するというのは、おそらく歴史の流れなんだろうと思います。
善い悪いは別にして。
それがようやくネットの出現によって、ここまで来たかという感じですね。

それにしても、最終的に正しいか間違っているかはともかく、間違いの疑いがあるような報道でさえ、昔のぼくらは疑問の余地なくそのまま事実として受け取っていたんだなぁと思うと・・・。
[PR]
by kude104 | 2006-07-22 22:51 | PC&ネット
金曜ロードショーで「ハウルの動く城」を見ました。
公開時に劇場で1回見て、今回が2回目です。

初めて見たときには、「これはひどい、ストーリーが破綻している」と感じ、それゆえぼくの中での評価は低いものでしたが、今回改めて見てみると、不思議と違和感なくと言うか抵抗感なく見られて自分でも驚いてしまいました。
「あれ? 俺、どこにダメ出ししてたっけ?」みたいな。

免疫ができていると言うか、「この作品はこういうもんだ」という心構えが出来ているので、拒否反応が起こらなかったのかなぁ・・・とも思いますが、それ以上に、前回の自分は鑑賞のポイントを間違っていたのではないか?という思いが強いです。

ハウルの面白さって、アニメーションの面白さなんじゃないかと、今回強く感じました。
アニメーションの面白さと言うのは、端的に言えば、「映像の面白さ」と「動きの面白さ」です。
たしかに、ストーリーは破綻していると思う。
でも、アニメーションの面白さという点では、本当に上手い。

たとえば、王宮の長い階段をソフィーと荒野の魔女が登っていくシーン。
原作にあのシーンがあるかどうかは知りませんが、たぶん無いんじゃないかと思います。
初めは単に「二人が王宮に入る」というだけのプロットがあって、それをどんな絵にするかという段階で、宮崎監督がふと閃いたのではないか。
「長い階段があって、おばあさん二人がえっちらおっちら登っていくシーンがあったら面白いな」と。
「王宮に入る」というプロットで、普通に王宮に入らせちゃう人と、あのシーンを思いつく人と、この違いは決定的に大きい。

でもってまた、「おばあさん二人がえっちらおっちら登っていく」動きの演出も、絶品でしょ。
その上さらに、あの変な犬を絡ませて、そいつがやたらと重くて、それをソフィーが抱えて登るとなお面白いぞってな感じで、面白くなりそうな要素はがんがん盛り込んで行く。
そのあたりの貪欲さというか、「面白いアニメーション」に対する嗅覚の鋭さというものを感じずにはいられません。

動く城のデザインにしてもそうなんですけど、宮崎監督ってたぶん、世界を構築するのが楽しい人なんじゃないかと思う。
こんな世界があって、そこにはこんな人がいて、こんなものがあって、こんな文化があって・・・みたいなことを想像するのが楽しい人なんじゃないだろうか。
で、彼ら・それらが、活き活きと動いているシーンが見えるんじゃないかな。
つまり、ストーリーが先に見えるタイプではなく、シーンが先に見えるタイプなのではないかと。
宮崎監督にとってストーリーは、シーンを「映画」にするための方便なのではないかと思います。

ハウルを見ていると、ぶっちゃけ、大層なストーリーなんて要らないよなぁと思うのです。
ソフィーと愉快な仲間たちが、動く城で繰り広げるホームドラマで、十分面白かったはず。
宮崎監督なら、アニメーションの面白さだけで、十分2時間持たせられますって。

宮崎監督としても、近年、作風は脱ストーリー的なところに向かおうとしているのではないかと感じます。
でも、「映画にはドラマチックなストーリーが無ければならない」みたいな固定観念なのか外からの要求なのかがあって、無理やりストーリーを当てはめてシーンをつないでいるように思えます。
宮崎監督には、ぜひその固定観念を突き破って欲しい。
宮崎監督のイマジネーションが迸る、非日常世界での“日常”を描くアニメって、絶対面白いと思うんだけどな。

もし、そういうストーリーの無い映画に挑戦できない理由があるとすれば、それはおそらく、「ホーホケキョ となりの山田君」がジブリのトラウマになっているからに違いない。
[PR]
by kude104 | 2006-07-21 23:59 | 映画