世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
カレンダー

<   2006年 04月 ( 24 )   > この月の画像一覧

Amazon APIで英語学習

「Amazon APIとは、いったいどれほどのものか?」という知的好奇心に導かれて手を出してみました。

まずはアカウントの取得から始まるわけですが、すべて英語。
アカウントの取得からしてこの有り様ですから、ドキュメントの類も当然英語。
うーむ、ヘヴィーだ。

日本法人だってあるんだから、そこにサポートさせればいいのに。
他言語サポートなど、端から眼中にないって感じですね。
「調べりゃ分かるでしょ?」みたいな。
なんか、ネット企業らしい文化を感じました。

ネットの先端情報はたいてい海外発だし、そうすると当然英語だし、それが誰かの手で翻訳されるのを待っていては乗り遅れてしまう。
欲しい情報は英語で無ければ手に入らないという状況は、今後ますます増えることはあっても減ることはないでしょう。
となると、やっぱり英語は苦手だからと避けてばかりもいられないなぁ。

と思い、一念発起で英語のドキュメントに挑むことを決意したわけですが、やってみると意外と読めるもんですね。
「おお、意外と読めるじゃん、俺」とちょっと嬉しくなっちゃいました。

まず、文章自体がおそらくわりと平易な文章で書かれている。
なんせ、一般ユーザ向けのサービスの説明ですから、書くほうとしても、できるだけ分かりやすく、読みやすく書いてくれているのでしょう。
わざわざ、回りくどい言いまわしや難しい言いまわしを使ったりしませんもんね。
この辺が技術書や文学書などと違う。

次に、だいたい何について書かれているか分かっているから、訳しやすい。
たとえば、テレビのリモコンについての説明を訳す場合、「だいたい、どのボタンを押せばチャンネルが変わるとか、そういう事が書かれているんだろう」と予想できる。
ですから、単語の意味さえ拾って行ければ、どう訳していいかわからない文章というのも、そうそうない。

そして、分からない単語やちょっとした文章などは、ネットの辞書サイトや翻訳サイトで調べればいい。
いちいち辞書で単語を調べるとなると面倒だけど、辞書サイトなら楽チンです。

ぼくはかなり英語嫌いですけど、そんなぼくの英語レベルでも、けっこうどうにか読めるもんだなぁと、変に感心してしまいました。

ただ、そうは言っても、英語の文章を読むのは骨が折れますけど。
日本語だと、ざっと流し読みをしただけでだいたいの内容は頭に入ってきますが、英語だと単語一つ一つを拾い上げて意味を考えてつなぎ合わせないと内容が頭に入ってこない。
このへんは、慣れでしょうね。

自分の興味のあることを英語で調べるというのは、興味のある内容も調べられて、英語も上達して、一石二鳥なのではなかろうか。
もしこれが仕事でやっているなら、楽しさよりもストレスのほうが大きくなっちゃうでしょうけど。
趣味でやっている分には、いついつまでにどれだけ読まなければならないとか、そういうノルマがありませんから。

そういうコンセプトの英語学習法ってのを考えて商売にすれば、けっこう人気でたりして。
[PR]
by kude104 | 2006-04-30 23:51 | PC&ネット
窓の杜 - 【NEWS】米Google、3Dモデリングソフト「Google SketchUp」を無償公開

Googleが無償で利用可能な3Dモデリングソフトを公開したという話題。
興味を引かれたのは、『本ソフトで作成した3Dモデルを「Google Earth」上で眺めることもできる』という点。
「こともできる」というより、むしろそちらがメインではないのか?と。

Google Earthの次なるステージとしては、"3D表示" が当然挙がる。
でも、地球上の主だった建造物だけに限っても、それを3Dモデル化するのは途方もない手間と時間を要するでしょう。
仮にどこかの会社に発注したら、いったいどれくらいのお金が掛かることやら。

「だったら、ユーザに作ってもらえば良いんじゃない?」ってのが、Google SketchUpのねらいじゃないだろうか。
「なるほど、"Web2.0" とはこういうことか」と、少し理解できたように思います。
「労働をレジャーにする」とでも言いましょうか。

たとえば、梨狩り。
「梨を枝からもぐ」という行為は、梨園の人が出荷のために行えば、労働です。
でもそれを、やりたい人にやらせてあげれば、「梨狩り」というレジャーになる。
梨狩りをした人は、見方によっては、お金を払って労働させられて梨を買わされているとも言える。
労働として捉えれば「そんな無茶苦茶な話」となるけれど、レジャーとしてなら成立する。
大雑把に言えば、そういうイメージ。

ネットでやり取りできて、緊急性・機密性を有さず、多少のエラーが含まれても問題なく、人海戦術による作業が有効なもの。
こういった作業は、タダでユーザにやらせるというのが、Web2.0的な発想なのではないかと思う。
もちろん、それを "レジャー" として提供できるか?という点が一番大きな要素になるわけだけれど。

このへんのやり方が上手い企業が、これからの時代の波に乗って行くんだろうなぁと思います。
その点、Googleはさすがです。
[PR]
by kude104 | 2006-04-29 21:49 | PC&ネット
さて、毎月恒例、次の映画サービスデーに見る映画の巻。
今回はとくに迷うことなく決まっている。

カンフーアクションムービー好きなぼくにとって、今回は「トム・ヤム・クン!」で決まりだね。
前回の「マッハ!」も面白かったし。
ただ、「マッハ!」を超えるアクション!と謳われているけれど、あれ以上やっちゃったら、死人が出ていないか心配です。
それを思うと、今からドキドキです。

とまぁ、候補はこれ一本でいいんですけど、心配なのは、時あたかもゴールデンウィーク!
そんなもん、ひと多に決まってる。
最近、満席で見られませんというケースが続いているので、今回も・・・という不安がよぎります。
ということで、「トム・ヤム・クン!」が駄目だったときのことを考えて、他にも候補を絞っておこう。

その次に見たい映画はというと、「アイス・エイジ2」でしょうか。
前作がけっこう面白かったので。
前作は、サーベルタイガーが裏切り要因としてパーティの中にいることで、ストーリーが常に緊張の予感をはらんでいて面白かった。
ただ今回は、サーベルタイガーはもう仲間になっちゃってるし、それに代わるプロットをどう練り上げてきたのか、興味があると共にちょっと不安でもあります。
ま、そのへんの興味も含めて、見てみたい。

とはいえ、一般的には「トム・ヤム・クン!」よりもむしろ「アイス・エイジ2」のほうが人気があるのではないかと思われます。
「すべり止めのほうが競争率が高い」みたいな感じで、これじゃああんまり意味がないかも。
ということで、それも駄目なら、まぁ、「ナルニア国物語」かなぁ。
あるいは、「プロデューサーズ」のほうが面白そうかも。
──とまぁ、こんだけチェックしておけば、どれかは見られるだろう。

実は、前回見逃した「かもめ食堂」を、今回再チャレンジするという方向も考えていました。
でも、上映時間を調べたら、このゴールデンウィークの期間中だけ、初回と最終回の2回上映になっていた。
この期間を過ぎれば、普通に5回上映なのに。
・・・嫌がらせ?
[PR]
by kude104 | 2006-04-28 23:59 | 映画
星新一著「声の網」を読了。
電話が高度に発達&普及した社会を舞台にした物語です。

面白いかというと、エンターテインメント性はあまり高くないと思う。
星新一特有の、落ちの”カタルシス”がないので。
が、"entertaining"ではないかもしれないが"interesting"ではある。
なにかこう、「興味深いものを読んだ」という満足感というか、考えさせられるというか、読んで損したという気はしない。

冒頭にも述べたように、舞台は電話が高度に発達&普及した社会。
読んでいると、「ははーん、インターネット社会を電話に置き換えて風刺した、これは一種の寓話だな」と思う。
物語の中の「電話」を「パソコンとインターネット」に置きかえれば、今の社会を多少オーバーに描写した物語といった印象です。
「このくらいのSF的発想なら、ありがちだなぁ。星新一らしくもない」と一瞬思いそうになるけど、いやいやとんでもない。

この小説が書かれたのは、巻末の解説によると、1970年だという。

まじで?
ぼくの生まれる前ですよ。
インターネットはおろか、電話ですらプッシュフォンじゃなくてダイヤルを回す”黒電話”の時代じゃないですか?

そんな時代に書かれた小説が、今の時代に読んで、「これ、ネットを電話に置き換えただけじゃん」くらいに思われそうな”未来像”を描いているというのは、すごいというのを通り越して何か神がかったものを感じてしまいます。
「これは小説というより、予言書なのではないのか?」という。
現状があまりにこの本のとおりになっているので、ならば未来もこのとおりになるのではないかという気がしてきてちょっと怖い。

読んでいて、「Googleは神?」みたいな話題が連想されました。
これこそが、最古のGoogle本と言っていいんじゃないでしょうか。

星新一というのは、恐ろしい人だなぁ。
[PR]
by kude104 | 2006-04-27 21:40 |
PCを起動しようと思って電源をONにしても、うんともすんとも言わない。
すわ、ご臨終か!?と一瞬絶望的な気分になりました。
なにしろ、いつお迎えが来ても不思議ではないPCですから。

しかし、なんと言うかこう、起動しようとして起動できないという気配ではなく、まったくのノーリアクション、無反応という気配だったので、すぐに「停電か?」という可能性に思い至りました。

確認してみると、他の電化製品は普通に動いていたので、停電でないことはすぐに判明しました。
となると、残る希望はあれしかない。
あれが原因で無ければ、PCの故障ということになる。

その”あれ”とは、そう、延長コード&たこ足配線に使用している電源タップです。
調べてみると、案の定、こいつが原因でした。
別のものに交換すると、無事正常に起動して一安心です。
起動したときには、ほんと、思わずガッツポーズでしたよ。

断線したのか、あるいは、スイッチひとつで電源タップレベルでON/OFFにできるものを使用していたので、そのスイッチがバカになったのかは定かでは有りませんが、こんなものが壊れることもあるんだなぁと、ちょっと驚いた。

原因が判明したその足で新しい電源タップを購入。
やはり、電源タップのスイッチでOFFにできるやつが便利でいい。
節電になりますし。
800円の出費でしたが、たかだか電源タップとはいえ、新しくなるとちょっと嬉しいもんですね。
今度の電源タップはスイッチをONにするとランプが光るのがカッチョイイ。

それにしても、「PCで作業中」といったときに故障しなくて良かった。
不幸中の幸いというやつです。
[PR]
by kude104 | 2006-04-26 23:38 | PC&ネット
というわけで、今度はlivedoor Wikiを試してみました。
なるほど、やはり餅は餅屋。
腐っても鯛。
名のある企業が運営しているだけのことはあって、@wikiに比べてかなり良い。
Wiki初心者でも、livedoor Wikiなら@wikiよりは入っていきやすいかも知れないなぁという気にさせられた。

@wikiではいろいろあった編集モードだけど、livedoor Wikiではいわゆる「Wikiモード」だけに絞っている。
やはり、このほうが分かりやすいし、使いやすい。

ページのデザインテンプレートも、おそらくプロのデザイナーに作らせているだけあって、いい。
種類が豊富とは言えないけど、@wikiよりはダンゼン充実している。
もちろん、スタイルシートを直接いじることも可能です。

ただ、いわゆる有名人の顔写真があしらわれたテンプレートがいくつか用意されているのですが、このラインナップがかなり変です。
みうらじゅん、ギャル社長、インリン 、蒼井そら、南波杏の5名(敬称略)。
なんでしょう、このラインナップは。

他にたくさんいらっしゃる中にこの方々が混じっているというのなら特に違和感もないのですが、「選りすぐりの5名」でこの面子を揃えてくる人間がいたら、ちょっと正気を疑いますよね。
一応、一般人向けに運営しているサービスのラインナップで、エロテロリストとAV女優で過半数を占めるとは。
livedoor恐るべし。

@wikiと比較した場合のlivedoor Wikiの不満点としては、まず、容量が100MBと決められていること。
@wikiは無制限ですから、その点は@wikiのほうが太っ腹。

次に、アカウントの取得も、@wikiのほうが気軽です。
livedoorのほうは、livedoorIDを取得しなければなりません。
すでにお持ちの方ならむしろ手間が掛からなくて良いでしょうけど、ちょっとWikiを使ってみたいというだけにlivedoorIDを取得するのは、なんか心理的に抵抗がある。
ま、些細なことだけど。

わりと問題に思えたのは、ページのキャッシュをブラウザに保存しないように配慮されていないこと。
このおかげで、「設定を変更したつもりがぜんぜん反映されていないじゃないか、なんだよこれ!」と、けっこうイラつかされた。
「なんだ、キャッシュか」と気づいたからよかったものの、気づかなくて途方にくれる人もいるんじゃないかなぁ。

また、アップロード可能なファイルが、画像・音楽・PDFのみというのも残念。
アプリケーションファイルの配布場所には使えないということですね。
@wikiにはそのへんの制限はないようですので、その点ではあちらのほうが使い勝手が良いと言えましょう。

他にも、細々したところで使い勝手が悪かったり分からなかったりでイラっとさせられたけど、概ね、まぁ許容範囲内といったところか。
@wikiのときは、正直不満のほうが大きかったけど、livedoor Wikiなら、まずまず満足できそうです。

まとめれば、@wikiのほうが上級者向け、livedoor Wikiのほうが初心者向けと言えるのではないでしょうか。
wikiの扱いに慣れていて、ページデザインも自分で作れるという人なら、@wikiのほうがお得な気がします。

他にも無料Wikiレンタルサービスはありますが、とりあえず、現時点ではこのふたつのどちらかという選択肢でいいんじゃないでしょうかね。
あるいは、他にもっといいサービスってあるのかな?
[PR]
by kude104 | 2006-04-25 23:26 | PC&ネット

@wikiを使ってみた感想

ちょいとWikiでも使ってみようと思って、@wikiを利用してみました。
今日はその雑感でも。

その前にWikiとは何ぞやという話からですが、簡単に言うと、ブラウザからWebページが作れちゃう仕組みのことです。
ブログみたいなもんですが、ブログが主に日記サイトに使われるのに対して、Wikiはもうちょっと汎用的なサイトに使えます。
汎用的と言うか、ブログが基本的に時系列のログを扱うのに対して、Wikiは項目ごとに情報を整理するのに適しています。
無料の百科事典Wikipediaが良い例ですね。

で、Wikipediaが良い例のように、WikiはひとつのWebサイトをみんなの共同で作成・編集することを想定した作りになっています。
このページを更新できるのは、「運営者のみ」「メンバーのみ」「全員」という具合に、設定できるわけです。
したがって、グループウェア的な使い方が一般的です。

で、今回そのWikiを使ってみた感想としては、これはまぁ、無料Wikiレンタルサービス「@wiki」の感想ということにもなるでしょうが、思ったより扱いづらいなというのがまずありました。

「ブログの次はWikiが来る」みたいな話がありましたが、感触としては、まずないだろうと思います。
アカウントを取得したあと、初めて文章をアップするまでに要する手間が、ブログとWikiとではかなり違う。
やはり、ブログのほうが圧倒的に簡単です。

慣れてからならWikiのほうが何かと便利でしょうが、慣れるまでに要するコストがなかなか高そうなので、ちょっと触って放り出すというケースが多そうです。
ほとんどの人はブログで事足りるので、ターゲット層的に、Wikiはブログより一回りも二回りも狭いと思われます。

また、Wikiでは基本的にWiki独自の「整形ルール」を用いるということになっているのですが、このへんの扱いがちょっとややこしく思える。
@wikiでは、そのへんに配慮を見せてくれているのですが、そのことが余計に扱いづらくしているような気もする。

たとえば、文章を記入するときに「何モード」で記入するかというのに、「wikiモード」「ワープロモード」「テキストモード」とあり、「ワープロモード」にはさらに「高機能」「通常」「HTML直接」とある。
正直、なにがなにやら良く分からん。

「使いやすいモードでどうぞ」という親切心は、ときとして、初心者にとって混乱の元になる。
はじめから「wikiモードで」と固定されていたほうが、逆に初心者には親切かも知れない・・・と思ったりもする。

というか、この「編集モード」をページ単位で設定して、しかも設定できるのがページを新規に作成するときだけというのが、使いにくくしている主因だと思うが。
いや、じつはあんまり使い方の説明を読んでいないので、もしかしたら違うかもしれないけど。
普通はその都度自由に変更できるようにするよな。

全体として、ブログより自由度は高いけど、細かいところまで自分の思い通りに出来るほど自由度は高くないという印象がある。
なんかこう、狭い部屋の中で放し飼いにされているような気分です。

コメントやトラックバック機能をOFFにする方法もわからない。
ヘルプを読めば、書いてあるのかな?

他に気になったのは、用意されているデザインテンプレートの種類が少なくて、気に入ったものが見つからなかった点。
その代わりに、@wikiのいいところとして、スタイルシートを直接編集できるので、じかにいじればある程度自分の思い通りのデザインにすることは出来る。
でも、普通スタイルシートを直接変更しようなんて思わないですよね。
これは、ライトユーザの取り込みという点で、大きな問題点と言えるでしょう。

と、以上が数時間ほど使ってみた感想です。
正直、いまいち。
@wikiがこうなのか、それともWikiというものがこうなのか、他のサービスも試してみたいところだけど何気に面倒くさいよなー。
[PR]
by kude104 | 2006-04-24 23:59 | PC&ネット
先日のテレビCMの話は、地デジとワンセグが普及すればテレビCMの有り様は否応なく変わるんじゃないかと思えば、たいした問題でもないと思えてきました。
それより面白いのは、「もしも、ネット広告をカットするブラウザが登場したら」という妄想のほうです。
これ、非常に妄想のし甲斐がある。

たとえばいま、GoogleがMicrosoftを脅かしているとか、両者が次代の覇権をかけて争っているとかそんな見方があります。
Googleのほうが優性だと見る向きが多いでしょう。
ぼくもそうです。

しかしここで、Microsoftが次のIEに「広告カット機能」を乗っけてきたらどうか。
たったこれだけのことで、Google帝国は大きく勢力を後退させるのではないか。
もちろん、Googleの収入源は広告だけではないとしても、「Googleピンチ!」となれば株価は大きく下がるだろうし、かなり痛いことは間違いないはず。

考えてみれば、Googleがいくらあちら側に強大な帝国を築いても、それをこちら側につなぐ窓をMicrosoftが握っている以上、閉められたら終わりです。
もしGoogleを倒そうと思ったら、まさにここが急所なのではないかと思える。

体裁はあくまでも、見たくない広告をユーザが自分の意思で非表示に出来る機能としてリリースする。
でなければ、Microsoftが自身に都合の悪い情報をブラウザに表示させないようにしているとして、非難されてしまうから。
しかし、ユーザが自分の意思で非表示にしているとなれば、Googleはそれに対して文句を言うことは出来ない。
広告の表示を強要すれば、逆にGoogleのほうが非難されてしまう。

もっとも、Google広告だけを非表示の対象とするのはあまりにも露骨です。
よって、バナー広告など、すべての広告を非表示の対象とするべきでしょう。
しかしそうなると、影響はGoogleだけに留まりません。
おそらく、ほとんどのWebサービスが壊滅的な打撃を被ることになる。

「だから、そんなことはできっこないでしょ?」と思うのはちょっと早い。
面白いのはここからですよ。

ネット広告をカットして、代わりに、Microsoftがブラウザ広告サービスを始めるというシナリオはどうだろう。
ブラウザに広告枠を設けて、そこに広告を表示するサービスです。

ちょっと考えただけでも、これが途方もない可能性を持っていることに気がつく。

ブラウザでユーザが何をどのように閲覧しているかという情報を握れるということが、広告ビジネスにとってどれだけ決定的か。
それは、Webページを解析して最適な広告を配信することの比ではない。
なにしろ、直接ユーザに最適な広告を配信できるのだから。

ブラウザに広告を表示するというビジネスモデルはこれまでにもありましたが、その時代には無かった発想というのが、膨大な情報をストレージし、解析することで、有意な情報を生み出すという手法です。
単にブラウザにバナー広告を表示するだけの広告サービスと、ユーザのネットサーフ履歴を蓄積し解析することで、最適な広告を表示する広告サービスとでは、まったく違う。
単なるバナー広告とGoogle広告との違い以上に違う。

さらに、従来のネット広告では、早い話、リンクがクリックされたという一点、ページが表示されたという一点でしかユーザの行動を把握できない。
しかし、ブラウザ広告なら、ブラウザ側でユーザの行動をトレースすることで、どのリンクからどのページに移動し、そこでどのくらいの時間を費やして別のページに移動したかといったことが、連続した線として把握できる。
加えて、ユーザの年齢や性別といったプロフィールデータをブラウザに登録させることで、ユーザの属性ごとのアクセス状況まで把握できる。
これが広告の世界で、どれほどの価値を持つかは考えるまでもない。

もちろん、そのような個人情報の提出をユーザが快く思うはずがない。
なので、ユーザにも個人情報を提出するのに見合うメリットを用意する。
ブラウザ広告は、だれがどの広告をどれだけ見たかというデータを把握できるのだから、閲覧した広告に応じてユーザに謝礼を支払うシステムを作ることも可能です。
つまり、これまでのように、メディアが広告料を受け取るのではなく、ユーザが直接広告料を受け取る仕組みが作れるということです。

ユーザに広告を見てもらうために、広告を見てもらえるようなコンテンツを作るメディアに広告料を支払うというのは、広告主の立場で考えれば回りくどい。
だったら直接、広告を見てくれたユーザに広告料を支払えばいい。

だが、このような”中抜き”をされると、今ある無料Webサービスが壊滅するというのは、改めて言うまでもない。
そうなったら、ブラウザ広告も成り立たない。
そこで、対策としては二通りが考えられる。

ひとつは、ブラウザ広告で手に入る莫大なお金を使って、壊滅して行く無料Webサービスを片っ端から買収して回る方法。
かなり安く買い叩けるだろうけど、これはさすがに悪者になるな。

もうひとつは、ページビューや訪問者数などに応じて、サイト運営者にコンテンツ料を支払う方法。
ユーザの行動をトレースできるということは、サイトの”視聴率”を測定できるということです。
だったら、その視聴率に応じて、コンテンツ料を支払えばいい。

現行の、主にクリック型の広告システムだと、広告収入の多少とサイトの良し悪しとは必ずしも一致しない。
一見さんが多く、そのサイトに求める情報がないほうが、広告がクリックされる可能性が高かったりする。
その点視聴率型なら、常連が多く、サイト内滞在時間が長いサイトほど、より多くの収入を得ることが出来る。
こちらのほうが、明らかに理想的だ。

つまり、ブラウザ広告サービスとは、広告主からサービス運営者が広告料を集め、それをユーザとサイト運営者に分配する仕組みである。
自らの意思でこのサービスを利用するならば、広告主もサービス運営者もユーザもサイト運営者も、全員がWin-Win-Win-Winな関係を築くことが出来る。

──なんて妄想は、どうだろう。
ブラウザ広告サービス、かなり良いとこ突いてるんじゃない?
事業化の際は、ぜひぼくも混ぜてください。
[PR]
by kude104 | 2006-04-22 22:30 | PC&ネット
コデラ ノブログ: コマーシャル視聴は強要できるか [ITmedia +D Blog]

機械的に、そして強制的に、CMをスキップできないようにしてしまおうというこのような考え方には、かなりの抵抗を覚える。
CMスキップ問題がテレビ局にとって大きな脅威であることは分かるが、だからといって、これはひどい。

「かつてはスキップできなかったCMをスキップできるようになった」というのが技術的な進化方向であり、人間の欲求に合致する方向でもある。
それを再びスキップできなくするするというのは、明らかに進化の流れに逆行する行いだ。
時代が変わっているというのに、あの手この手で旧来のビジネスモデルにしがみ付こうとする様は、実に浅ましくていやらしい。

──と、思うわけだけれど、では、こういう思考シミュレーションをするとどうかと自分に問うてみる。

Webページにあるすべての広告を非表示にするブラウザ登場!みたいな。
あるいは、記事部分だけを抽出して表示してくれるRSSリーダー登場!でもいい。
要するに、テレビ番組におけるCMカットを、Webの世界に置き換えて考えてみようということだ。

テレビ番組の視聴者よろしく、Webページの訪問者とて、別段広告を見たいわけではない。
無いなら無いに越したことはないだろう。
おそらく広告なんて無いほうが、見やすいページになるはずだ。
アフィリエイトがメインコンテンツな場合を除けば。

そのようなツールが登場し普及すれば、おそらく、今ある無料Webサービスのほとんどは壊滅的なダメージを被るだろう。
そうなったとき、人々はいったいどういった反応を見せるだろうか。

たとえば、GoogleAdsenseがカットされるとなれば、Googleが強権を発動し、そのツールをGoogle八分の刑に処すなんてことも、有り得ない話ではない。
それはけっこう浅ましくていやらしい行動だけど、でも、大部分の人はある程度の理解を示すのではないかと思う。
GoogleAdsenseを利用している人は本音では支持するだろうし、そうでない人も、無料Webサービスが次々と壊滅して行く様を見れば、支持せざるを得ない。

そう考えれば、この不快感は、時代に逆行するとか強権を発動するとかそういうことではなく、単純に自分にとってメリットデメリットどちらが大きいかということでしかないと気づく。

テレビCMが無くなれば民放テレビ局が壊滅的なダメージを被るというところではWebサービスの話と同じだけど、明らかに違うのは、テレビCMが圧倒的に邪魔だということ。
ネット広告も邪魔なものは、その広告収入で運営していますうんぬん関係無く、排除される運命にある。
ポップアップ広告が良い例だ。

そう考えれば、ネット広告は、いかに邪魔にならずに広告効果を上げるかという工夫を凝らして進化してきたように思う。
アフィリエイト広告やGoogleAdsenseは、その進化の先頭にある。
対するテレビCMはと言えば・・・おそらく、まったく進化していない。
番組の途中にCMを挟むという形そのままだ。
(最近になって、番組の中で商品を紹介するといったことがされるようになってきたけど)
ビジネスモデルが古いというなら、まずその前に、CMスタイルが古いという点に工夫の余地が有るのではないか。

CMスキップ禁止なんて対策が、いつまでも通用するはずがない。
いずれ決壊する。
かといって、番組を有料化するのも難しい。
となれば、結局やっぱり広告料に頼らざるを得ないわけで、だったら、新しいCMのスタイルを探すしか選択肢はないのではないか。

もちろん、今のCMスタイルをやめるとなると、おそらく広告効果は下がらざるを得ないし、スポンサー料も下がらざるを得ないだろう。
ですから、血のにじむようなコスト削減や、新しい収入源の開拓が必要になるだろうけど。
そのくらいの企業努力はやっていただきたい。
それをやらずにCMスキップ禁止というのは、安易な増税論にも似たりって感じで腹が立つ。
[PR]
by kude104 | 2006-04-20 23:59 | テレビ
浅倉卓弥著「君の名残を」を読み終わりました。
途中で厭きて1ヶ月間ほど放置してしまいましたが、なんとか持ちなおして読了。
トータルでは、まぁまぁ面白かったと言っていいかな。

現代に生きる高校生、白石友恵と原口武蔵、そして友恵の親友の弟・北村志郎の三人が平安末期の源平合戦の時代にタイムスリップするという物語。
源平物語はわりと好きだし、タイムトラベルものって設定も面白くて期待できる──と思って読み始めたのですが、ちょっと肩透かしを食らった気分となりました。

友恵と武蔵は幼馴染で、互いに少し相手のことが気になっている。
そんな二人が過去にタイムスリップしたら、これはどう考えたって、二人の愛の物語だと思うじゃない。
タイムスリップによって二人は離れ離れとなり別々の場所に送られるわけですが、この先の展開としては、お互いがお互いを探して源平の戦いを生きぬき、最後には見事再会して愛が成就するんだろうなと予想していたわけです。
ある種、そういう展開を期待していたといってもいい。

ところが、いきなり友恵がその時代の別の男と結婚してしまって唖然。
「え? 武蔵くんはいいの?」みたいな。
ここでまぁ、物語に対する期待度が一段階下がる。

早い話が、友恵は木曾義仲の妻・巴御前に、武蔵は源義経の従者・武蔵坊弁慶になって、時代を動かす重要な役割を担うことになるというストーリーです。
もうひとりの北村志郎は鎌倉の北条四郎義時になるのですが、こいつの扱いはまぁオマケみたいなもんですから、以下省略。

そうなると次の期待としては、未来を知る者がなんとかして時代を変えようとする物語でしょう。
パターンとしては、その時代には無い知識やスキルを利用して戦いに勝利するとか、待ち受ける危機を事前に知り得ているがゆえに、あの手この手で回避しようとするんだけど、でも、結局やっぱり歴史通りになってしまう──といったストーリーが思い浮かびます。
もちろん、歴史を作り変えてパラレルワールド出現!というストーリー展開もありえますよね。
なのに本書では、こういったタイムスリップものの醍醐味がほとんど味わえないときたもんだ。

巴御前こと友恵は、木曾義仲が滅ぶことは知っているんだけど、どういう経緯でそうなるかを知らないという設定。
知らないから回避のしようが無くて、結果、歴史通りに事が進んでしまう。
知っていても変えられないという展開が熱いのに、知らないので変えられないという展開は、タイムトラベルものでは致命的だ。
しかもほら、先の大河ドラマが「義経」だったし、木曾義仲がどういう経緯で滅んで行ったかを知っている人はわりと多のではないか。
自分が知っていることを主人公が知らない、だから歴史のIFを楽しめないというのは、歴史好きとしてはイライラする。

武蔵坊弁慶こと武蔵のほうは、なんだかもう早い段階で諦めちゃって論外。
この、タイムトラベルものということへの期待をスカされたのは、大きかったなぁ。
これでかなりぼくの中での評価を下げた。

と、かなりマイナス感情を抱きつつも、トータルでは「まぁまぁ面白かった」に落ち着いたのは、「源平物語」そのものが持つ物語としての面白さです。
特に、木曾義仲ファンなぼくとしては、源平物語としてはなかなかの満足感でした。

本書の主人公は、明らかに友恵でしょう。
友恵と義仲の恋愛物語と言っていいと思う。
この物語は、けっこう読ませる。

結末しか知らないとは言え、自分の愛する人の最後を知っている友恵の苦悩。
どうにかして運命に立ち向かおうとするけど、決められた歴史をなぞるしかないという無力感と絶望にさいなまれる。
もし自分の運命がすでに決められているとしたら、そこに希望はあるのか。
選択することに意味はあるのか。
そんな運命論的な問いかけが本書の一番のテーマであり、タイムスリップという設定を用いた理由でしょう。

たしかにテーマとしては面白いし、メッセージ性としても悪くない。
が、友恵が腹を括るタイミングがひとつもふたつも早い印象があって、共感するところまでは至らない。
こういうのは、なんとか歴史を変えようと知恵と勇気を総動員し、最善を尽くしてなお運命に弄ばれ、絶望の果てに辿りついた境地じゃなきゃぐっと来ない。
なのに、友恵が歴史を知らないために、最善を尽くしてもダメだったと思えるほど悪あがきをさせられない。
これはけっこう勿体無いことをしていると思う。

そもそも、なぜタイムスリップという設定を用いたかという必然性が、あの奇妙な坊さんの存在によって崩れている。
物語の中の理由付けとしても、あんなふうに歴史を動かせるなら、わざわざ未来から人を呼ばんでもええやんということになるし、結局、「これから起こることを知っている」という条件はタイムスリップじゃなくてもええやんという気にさせる。

要するに、この物語は、敢えてタイムトラベルものにする必要はなかったのではないかと思えてならない。
タイムトラベルという設定を使わなくても、書くことは十分可能だったのではないかと思います。
そのほうが、おそらく無理の無い物語になっただろうと思う。
あるいは、使うならもっと上手い使いようがあったのではないか。

これだけ不満点があっても、悔しいかな感動させられたわけで、それだけに勿体無いなぁと思えてしょうがない。
「面白かった、感動した」という人がたくさん居ることを知りつつ、でも、ポテンシャル的にはさらにその上を目指せる作品だったろうということで、敢えて失敗作と言わせていただこう。
[PR]
by kude104 | 2006-04-19 23:59 |