世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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HDDレコーダーによるCMスキップで“損失”540億円(ITmediaニュース)

さあ、いよいよテレビの大変換期が始まろうとしていますよ。
テレビCMの価値は今後下がることはあっても上がることはない。
当然、スポンサーからの広告料で番組を作るという現在の仕組みは、どんどん先細りになって行くでしょう。

これでテレビ関係者の給料も下がらざるを得ないだろうと思うと、ザマーミロなんて気持ちにもなりますが、それは単なるやっかみですね。
そんなことより、製作費の削減で番組がどんどんつまらなくなるのではと、それが心配です。

と言いつつ、この話の行く先はたぶんもう見えている。
テレビは概ね有料放送化するだろうってこと。
思えば、じきに始まる地上デジタル放送が、ねらったのかどうか知らないけど、絶妙のスルーパスになるんじゃないでしょうか。

地デジの受信チューナーを買わせてしまえば、そこから有料放送にランクアップさせるのは、そう難しい話ではないでしょう。
そういう下地を整えておいて、あとは徐々に良質の番組を有料放送のほうに重点的に投下していけば、視聴者はじわじわと有料放送に移行していくでしょう。

もちろん、「金払ってまで観ねーよ」という人もたくさん出るでしょうけど。
ですから、あとは、そういう人たちを無料放送でつなぎとめて広告料を集めるのと、金払ってでも観たいという人を集めるのと、どちらが儲かるかという話になる。
いずれにしても、テレビ局側の儲けは(何もしなければ)減っていくだろうと思いますね。

あと、CMについていえば。
前々から疑問に思っているのは、どうして電車の中にモニター付けて、そこにCM流さないんだろうってこと。

電車の中って、基本的に暇じゃない。
ただ、ずーっと立つか座っているだけだし。
なので、CM流れていたら、とりあえず暇つぶしに観ちゃうと思うんだけどなー。

主要都市の主要路線だけでも、毎日何百万何千万という人が利用しているわけでしょ?
しかも、この時間帯のこの路線にはこの客層が多い、みたいな傾向もあるに違いない。
だったら、朝の通勤時にはサラリーマン・OL向けのCM、日曜の行楽地への電車にはファミリー向けのCM、みたいにやれるじゃないですか。

上手くやれば、けっこうな広告料が稼げると思うんですけど。
それで運賃下げてくれりゃ、ぼくらとしてもバンバンザイなのに。
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by kude104 | 2005-05-31 21:17 | テレビ
EU憲法、フランス国民がノン(Yahoo!ニュース:読売新聞)

ぼくがEUの話をはじめて耳にしたのは中学生のときだったろうか。
とにかく、まだまだ子供だったとき。
で、子供心に興奮したのを覚えている。

国境を越えて、たくさんの国と人がひとつになろうという夢物語。
本当に子供心の無邪気さで、そこに「世界はひとつになれる」という夢を見た気がします。

その後、EUのことなんてたいして気にも止めていなかったけれど、このニュースで久々にあの頃EUに感じた夢の気持ちを思い出しました。
その時の気持ちが、いかにピュアな夢物語であったかということを。

残念ながら、ぼくには背景や事の顛末など詳しいことは分かりませんが、なんとなく感じるのは、やっぱり人はどうしようもなく『国』に囚われてしまうのだなぁということです。
良い悪いではなく、『国』がアイデンティティなんだなぁと。

そんなに簡単に、世界はひとつにはなれませんね。

・・・いやまあ、そもそもというか、やっぱりどう考えてもEUが途方もない夢物語で、それをよくまあここまで持ってきたなという、そのことが十分驚きなんですけどね。
同じことを、たとえばアジアでやれるかって考えたら、まず無理だろうと思ってしまいます。
日中韓が同じ憲法を持つなんて、想像できない。

やはり、経済の統合から始めたのが巧いというか、それ以外に道筋の付けようがないなと思います。
経済活動は、たしかに国境を越えるから。
政治は・・・その逆というか、地元の利益をいかに守るかってのが政治の基本だもんなぁ。

今回の件で、EUはたしかに危機的状況なんでしょうけど、でも、だからといってこの先EUが崩壊しちゃうとか、そんなことはたぶんないでしょう。
というのも、すでに経済的に統合されちゃってますからね。
ここに来て、後戻りは出来ません。
進むしかない。

あとは、いかに国民が納得する形でそこに到達するかでしょう。
ですから、国民が納得して賛成してくれるまで、結局何度でも国民投票をやり直すに違いない。

えー、為替でユーロが値下がりしているそうですけど、もしかして、これってチャンス?
数年後にはきっとEU憲法の発効まで漕ぎ付けるでしょうから、今が買い時かもよ?!
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by kude104 | 2005-05-30 23:59 | 時事・社会
ここ数日、ちょっと精神活動が鈍り気味。
5月の終りに五月病か。
はたまた、迫り来る誕生日への憂うつか。

それはさておき。
とくにこれといった脈絡もなく、最近つらつらと考えていることなど。

若者が思い描く『将来の夢』って、九割九分九厘、職業についてのことだよなぁってことが、最近ちょっと「興味深いなぁ」と思っている。
『将来の夢』=『将来就きたい職業』って感じ。

もっとも、『将来の夢』を語るような状況ってのは、たいてい『職業』について語ることを求められているわけで、当然といえば当然ですけど。
たとえば、ニートやなんやの話でよく耳にする「やりたいことが分からない」ってフレーズ。
この場合の『やりたいこと』も、『やりたい仕事』ってことですよね。

そのあたりで、つらつらと思うわけです。
『やりたいこと』と『やりたい仕事』を一致させる必要は、はたしてあるのだろうか?と。
どうしてぼくらは、『やりたいこと』はやりたいこととして、『仕事』は仕事として、切り離して考えないのだろうと。

分かりやすく言えば、どうしてぼくらは『やりたいこと』を『仕事』にしようと考えるんでしょうね。
それがどんなに大変かってことは、重々分かっているのに。
『やりたいこと』なんて、『趣味』としてやればいいじゃないかって思う。

思うんだけれど、でも、一方でその答えも分かっている。

ぼくらは生きている時間の大半を仕事に費やす。
時間だけでなく、仕事で稼いだお金が生活の基盤になることも合わせれば、人生における仕事の重要性はかなり高い。

言うなれば、ぼくらは人生の大半を仕事で消費している。

やりたくない仕事で消費するには、あまりにも消費量が大きすぎるのでしょう。
だから、せめて自分の好きなこと、やりたいことを仕事にしたいと願うわけだ。

『夢』と『仕事』の関係性って、そういうことじゃないかと思うんですよね。
で、そこに何か加えるなり引くなりして、『夢』と『仕事』の関係性を再構築できないかなー、みたいなことをつらつらと考えているんですが。
当たり前ですが、それ以上はなーんにも思い浮かびません。

人生における仕事の重要性がもう少し低くなればいいと思うんですけど。
それができれば、苦労しないよねぇ。
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by kude104 | 2005-05-29 22:57
今日は特にこれと言って書く気がしないので、毎月恒例のあの企画で。

今回は、『キングダム・オブ・ヘブン』『ザ・インタープリター』と。
さてどちらを観に行こうか、といったところです。

・・・と言いつつ、内心、『キングダム・オブ・ヘブン』かな。
なんとなく、久々に歴史スペクタクルものを観たい気分でして。
大スクリーンでどどーんと歴史に浸りたい、みたいな。

もうひとつ、気になる映画があるにはあるんですが。
『機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者』ですね。

Zにはほとんど思い入れのないぼくではありますが、それでもガンダムっ子として、やはり多少は気になります。
なりますが・・・うーん、どうなんだろう?
いわゆる『ダイジェスト版』としての出来が、あまりよろしくなさそうな雰囲気がそこはかとなく漂っているんですよね~。

いやまぁ、「スクリーンでガンダムを観られるだけで十分価値がある!」とか、「内容など二の次で、ネタとして観ておくべし!」みたいな誘惑の声が聞こえなくもないですが、それをやると『負け』って気もするしなぁ。
べつに信者じゃねーんで。

そもそも、なぜいまZなのか?って疑問は大いにあります。
ガンダムSEEDの余波でってことではあるんだろうけど。
「あの手この手でガンダムビジネス」ってのにも、もうそろそろ厭きてきたなぁ。
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by kude104 | 2005-05-28 22:01 | 映画
「旧日本兵2人 比で生存」ミンダナオ島 引き揚げできず山岳に(SankeiWeb)

なにやら、歴史がひょっこり現代に顔を出したような眩暈感を覚えます。

『戦線から離脱したことで日本での軍法会議にかけられることを強く恐れている』って。
今の日本で軍法会議にかけられる事を恐れるっていう感覚からして、眩暈を感じるくらいに遠い。
遠いのに、歴史としてとても近い部分で繋がっている。

こうして、現役のかたがまだ生きて戦争を引きずっていらっしゃる中、ぼくらはさっさとそれを歴史の年表の中に収めてしまっているんだなぁ。
そのへんのギャップに、なんだかクラクラと来ますね。

先の戦争と言えば、最近またぞろ『靖国問題』がヒートアップして来ています。
これなんかも、戦争は終ったとする日本とまだ続いているとする中韓とのギャップである、とも言えるのかもしれません。

ただ、個人的には、『靖国問題』は外交問題と考えます。

この問題において、靖国神社を参拝することが法的にどうとか歴史的にこうとか、そういったことはあまり重要ではないのではないか。
「重要ではない」というと語弊がありますが、どちらの言い分にも一理あるので、それで白黒付けようとしても埒が明かない、といった意味で。

よく、「中韓が『靖国問題』を外交カードにしている」と忌々しげに言う人がいますが、中韓にとっての外交カードなら、日本にとっての外交カードでもあるわけで。
靖国神社を参拝することで中韓に不快感を与えるか、参拝を取り止めて中韓の態度を軟化させるかは、外交上の戦略に則って判断すべき事柄でしょう。

ぶっちゃけ、個人の思想や歴史認識なんて、どーでもいい。
それが国益に適うなら、内心と正反対の行動でも平気でやって見せるのが政治家ってもんじゃないでしょうか。

といった線で考えると、今のところ、ぼくとしては参拝を取り止める理由はそれほど無いのではないかと思っています。
止めるなら、中韓側から交換条件を引き出してから、くらいのことをやっても良いんじゃないかと。

逆に言えば、止めることが日本の国益につながるのなら、すっぱり止めればいい。
そのときに、「個人の信条だから止めない!」と言って国益を損なうようでは困る。

この問題はどうも感情論の応酬になっているようで、どなたかにきっちり国益の観点で、どっちが望ましいか論じて欲しいなぁ。
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by kude104 | 2005-05-27 23:59 | 時事・社会

接続障害

昨日あたりからネットの接続状況がよろしくない。
頻繁に接続が切れる。
原因はよく分からない──というか、おそらく調べたところで『原因不明』となるに違いないから、調べようともしていないけど。

とりあえず、すぐにも調子が戻ることを信じてしばらく様子を見るかなぁといった感じですが。
それにしても、ネットへのアクセスを妨害(?)されると、けっこうストレス溜まります。

Webページを閲覧していて、興味を持ったリンクをクリックして・・・ああ、断線かよ!みたいな。
Web上のプログラムを書いていて、動作チェックしようとすると・・・ああ、断線かよ!みたいな。

まるで頻繁にエンストする車を運転しているような感じ・・・って、ぼくは運転しないけどね。
カクンカクンとストップさせられてリズムが崩れるのが、すごく気持ち悪い。

普段はつながって当たり前と、ことさら意識しませんが、こうなるとその有り難味がよく分かります。
・・・なんて優しく言ってもらえるとでも思ったかADSLめ!
さぼってんじゃねーぞ!
キリキリ働けーい!

──いやほんと、お願いしますADSL様。
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by kude104 | 2005-05-26 22:37 | PC&ネット
2050年、人間は「不死身」に=脳の中身をPC保存(livedoorニュース)

『2050年、テクノロジーの発達により、人間の脳の持つ全情報をコンピューターにダウンロードすることが可能になり、肉体は滅びても人間の意識は永遠に残る』

「自分が死んでも、自分とまったく同じクローンが生き続けるなら、自分という存在は生き続ける」みたいな話って、たとえ現実になっても、それは不死なのか?という違和感を感じます。

ぼくが死んだなら、ぼくの人生はそれまで。
クローンがいくらあとを引き継いでくれたとしても、それはクローンの人生であってぼくの人生ではないように感じます。

ぼくは、『ぼく自身』が死にたくないんですよね。
ですから、むしろ「新しい肉体に脳を移し替えて寿命を延ばす」といった話のほうが、不死のイメージに近い。

と考えたところで、ふと疑問が沸いてきます。
ぼくの身体から脳を取り出し、別の身体へと移し替える。
これは肉体という『器』が変わっただけで、精神という『中身』──つまり、ぼくという存在──は変わっていない。
感覚的に、そういうイメージがあります。

でも、考えてみれば、脳という器官だって肉体の一部で、精神を入れる『器』ですよね。
ぼくをぼくたらしめているのは、突き詰めれば、脳の中の電気信号・・・なわけですよね?

だとすると、その電気信号をそっくりそのままPC上に再現したとき──言い方を変えると、『器』としての脳という器官をPCに置き換え、そこに『中身』である精神を注いだとき──ぼくという存在はどうなるのだ?

PCに移したときに、元もとの脳にあった精神が消滅するのであれば、すなわち、ぼくという存在の一意性が保たれるのであれば、『器』が変わっただけという感覚で捉えられる。
でも、これがコピーになるとすると、どうなるんだろう?

PC内のぼくと、脳内のぼく。
2人のぼくが存在することになるのか。
脳内のぼくは、自分という存在に特に変化はない。
一方、PC内のぼくは『器』が変わっただけという認識でしょう。

で、PC内のぼくは、これで不死の肉体を手に入れるわけですよね。
PC内のぼくにとっては、クローンの人生ではない、まぎれもなく自分の人生ってわけだ。

うーん、考えるとなんとも奇妙な感じです。
感覚として、しっくり来ないなぁ。

あるいは、物理的に2つに別れても、なにかしら超自然的なところで、1つの精神としてつながるのでしょうか?
それとも、精神は肉体に宿り、不可分なのでしょうか?

わかりませんが、ま、それはそれとして。

『感情を持ったコンピューターの応用例として、航空機制御プログラムへの導入を提唱。「墜落を前にしたコンピューター制御プログラムは恐怖を覚え、何としてでも墜落を回避しようと全力を挙げるだろう」と語った』

と言いますが、そのコンピュータがものすごいドジっ娘だったらどーします?
萌え~とか言ってる場合じゃないですよね。
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by kude104 | 2005-05-25 20:56 | PC&ネット
asahi.com:WEB投票『次世代ゲーム機に何を期待する?』

次世代ゲーム機に何を期待するかと問われ、半数が『もうゲーム機で遊ばなくなった』と回答している状況は、やっぱりちょっとショッキング。
いやまあ、回答者の属性が分からないから、これだけじゃ何も言えないんだけどさ。

かく言うぼく自身も、『もうゲーム機で遊ばなくなった』と答えるうちの1人なんですけどね。
ゲームというメディアは好きだけど、とんと遊ばなくなったなぁ。

今回のE3のニュースを見ていても、ぼく個人としては、ゲーム機の単純なスペック向上にはもうまるで魅力を感じなくなっています。
演算処理能力が何倍になったとか、グラフィック性能が何倍になったとか言われても、わかんねーもん。

そりゃまあ、性能は高ければ高いほどいいわけですが、それがハードの決定的な魅力となる段階は、もう超えてしまったのではないか。
ネットの声を聞いていても、そんな感じがします。

じゃあ、そんなぼくが『これからのゲーム機』に期待するものは何かと言うと、ずばり、ゲームソフトの値段を安くすることです。
新作1本2,980円くらいが理想的。

しょーじきね、超大作RPGとか遊ぶの、もうしんどいんですよね。
クリアまでの平均プレイ時間が60時間とかって、正気の沙汰とは思えない。
せいぜい5~10時間が妥当なラインじゃないかと思うのです。

言うなれば、いまは「クリアまでのプレイ時間は長く、でも1度クリアしたら終わり」というゲーム設計になっています。
それを、「クリアまでのプレイ時間は短く、でも何度でも遊ぶ」という方向にシフトして欲しいわけ。

ただ、現在のゲームソフト1本6800円といった設定で考えると、お値打ち感のあるゲームボリュームとしては、『超大作RPG』という方向にならざるを得ない部分がある。
だったら、『短編RPG』でもじゅうぶんお値打ち感が発生する程度まで、基本価格を下げましょうと。

ゲームソフトがコンパクトで安くなると、ゲームユーザひとりあたりの購入タイトルは増える。
それによって、多様なゲームが売れる状況になる。
そうなれば、現在の『マンネリ』と言われているような状況も、改善するのではないかと。

問題は、どうやってゲームソフトの価格を下げるかです。
日々ますますゲーム開発費の高騰が叫ばれているこの時代に。

このへんのことは門外漢なので、まるで的外れな意見かもしれませんが。
ひとつには販売形態を変える手があるのではないかと思います。
手っ取り早く言や、パッケージ販売を止めてダウンロード販売にする、みたいなこと。
それでかなりのコストダウンが図れると思うんですが、どうでしょうね。

ゲーム機がネットに繋がると話は早いですが、個人個人の環境によっては難しい面もあるでしょうから、ゲーム屋さんにダウンロード販売用の機械を設置するとかね。
懐かしのディスクライターやロッピーみたいな感じに。

DVD-ROMとかそういう『パッケージ』としての販売って概念自体をなくして、データの直販売って形にすることで、中古ゲームの問題が解決します。
だって、中古屋に売る『物』がないんですから。

昨今のゲームに大作が多いもうひとつの理由が、クリアまでの時間を長くすることで中古屋に出回る時期をできるだけ遅らせ、それによって利益を確保しようというメーカーの思惑が絡んでいる。

それがダウンロード販売となると、中古市場に出回ることによる損失はなくなるし、品切れといった問題も解決するし、旬の時期が過ぎて店頭から消えるといったこともない。
ロングランが期待できる。
それによって、価格低下分をカバー出来れば・・・そう悪くない考えだと思うんですけどねぇ。

もちろん、違法コピーの問題が出て来るだろうから、それはそれで難しい話ですが。
でも、ゲーム機ってPCよりもハードウェア的(あるいはソフトウェアの規格的)に、そのへんの対策はどーにかできそうな気もするのですが。

映画のDVDくらいの気軽さでゲームが買えるといいなぁと思うのです。
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by kude104 | 2005-05-24 23:34 | ゲーム
昨日の深夜に放送された『爆笑問題のススメ』は、前防衛庁長官の石破茂さんがゲストでした。
(関西は放送が遅いんですよ)

観ていてちょっと驚いてしまったんですが、あの爆笑問題の太田さんがカラ回りしていた。
わりと頭のいい(物事のポイントを捉える力が優れている)人だという印象があったので、ああいう『外している』姿はけっこう新鮮でしたねぇ。

テーマは『日本の国防について』といった感じで、リアリストの石破さんとロマンチストの太田さんといった構図になっていました。

太田さんが「中韓北の反日は、日本に責任がある」「軍備より、話し合いを」といった発言をされたこと自体がまず軽く意外でした(もっとリアリストかと思っていました)が、それ自体はまぁ個人の思想なんで良いとして。
それを、場の空気が引いていることにも気付かないくらいに熱く語る姿が驚きでした。

で、そのあと石破さんに、「じゃあ、実際問題どうするの?」と問われて答えに窮し、着地点を求めてトークが迷走しグダグダになって行く様も。
「え、太田光ともあろう人が、あれだけ熱く語りながら、その程度で詰まるの?」みたいな。

太田さんだけでなく、番組の作り自体もちょっと変でしたね。
『国防』について、そのへんの何も考えてなさそうなストリートミュージシャン(2人)にインタビューしたVTRを石破さんに見せて、「彼らはこう言ってますけど、どうですか?」って・・・。
「ラブ&ピースでハッピー」みたいなノー天気なコメントに対して、前防衛庁長官に何を言わせたいんですか?

なんか、番組自体がバカっぽく見えましたよ。
まぁ、おかげで石破さんがより賢く見えたから、そういう演出を狙ったのかもしれないけど。

たとえば、現場の苦労をまるで知りもしないで、景気のいい目標ばかりを口にする上司なんてのは、部下にバカにされる典型です。
理想論を語る人の多くが失笑を買うのは、そういうことだ。

「じゃあ、実際にどうするの?」と言われて途端に答えに詰まるのは、自分が「景気のいい話しかしていない」ことに気付かされるからでしょう。

理想を語る姿勢は、ぼくもけっこう好きです。
でもなんつーか、「自分は美しい理想を語り、汚い実務は他人に押し付ける」みたいなのは好きじゃない。

それにそもそも、『国防』の人をゲストに招いておきながら、その人の思想に敬意を感じさせない番組作りってのは、どーよ?
いつもはそのへんけっこう上手くやってるのになぁ。
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by kude104 | 2005-05-23 22:42 | テレビ
『魁!!クロマティ高校THE★MOVIE』

しょうじき、「なんかキタネーよなぁ」と思わないでもない。
こんなん映画にされたら、もう・・・ねぇ?
どーしたらいいの?って感じ。

おそらく、脱力するくらいのB級映画に仕上がるんでしょうね。
観たあと、「あ~あ」ってニガワライしちゃうくらいの。
張り切って劇場に観に来た自分が恥ずかしい、みたいな。

でも、そのくだらなさが作品世界の中に取り込まれ、『くだらない、それがクロマティ高校だ』という具合に完結するというこの構造が、実ににくたらしい。
分かっていてどうしようもなく乗せられるのが、くやしいなぁ。

だってさぁ、カットの中に普通にゴリラがいる絵とかさぁ、悔しいけど面白いもん。

いやまあ、「くだらなくても成立する」と言いましたが、その実、『成立するくだらなさ』とそうでないくだらなさとの境界線はひじょうに紙一重です。
よく映画化する勇気があったなぁと、感心します。
ぼくだったら、無理。
怖くて出来ない。

9割方コケるんじゃないかと思いつつ、1割にハマればめっちゃ面白い映画になりそうな、そんな振れ幅の大きさが魅力的。
観に行く行かないはともかくとして、とりあえず完成が楽しみです。
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by kude104 | 2005-05-22 18:37 | 映画