世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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明日観る映画

そうか。今日で2月は終わりなんだ。
というわけで、明日の映画サービスデーに見る映画を選ばねば。

今回の主軸は『セルラー』でしょうか。

高校教師ジェシカは突然、自宅に侵入した見知らぬ男たちに拉致される。監禁された部屋には粉々になった電話が一台。電話線を復旧させ、やっと繋がった相手は全く知らない若者ライアンだった──公式サイトより。

なぜ自分は拉致されたのか、この状況からどうやって脱出するかというサスペンスに加えて、ポイントはやはり「助けを求める電話の相手」ですね。
修理が不完全でリダイアルできず、切られたらおしまいという状況で、つながった相手は能天気ないまどきの若者。
イタズラ電話と思って切ろうとする彼に、どうやってこの状況を理解してもらうのか。
また、若者は電話の会話の情報だけから、どうやって彼女を救い出すのか──といったあたり、考えるだけで面白そうです。

次いで気になるタイトルは、『Uボート 最後の決断』です。

「潜水艦モノ」というのは、それだけで「限定された密室空間と人間関係」「いつ沈むとも限らない死の恐怖と隣り合わせ」「戦争の中の個人」といった面白さを備えた素材で、まぁ料理の仕方を間違わなければ不味くなるはずがない──と個人的には思っています。

この作品が数ある「潜水艦モノ」のなかでも「面白そうだな」と思うところは、「敵味方が協力してUボートを動かす羽目になる」ところです。

ドイツ軍潜水艦Uボートに捕虜として連れ込まれた米軍潜水艦の乗組員たち。
敵同士である両軍兵士たちは当然互いに激しく憎悪し合うわけですが、そんなとき、Uボートに伝染病が蔓延し、乗組員が激減してしまいます。
Uボート艦長は、生き残るために敵である捕虜をクルーに加える決断を下すのだが──。

生き残るために敵と手を結ばなければならない、しかも、それによって本来味方であるはずの友軍から狙われる羽目になる。
敵が味方に味方が敵に──みたいな逆転のシチュエーションが面白そうです。

そしてきっと、敵同士いがみ合っていた男たちが、運命共同体となって生死を共にすることで固い絆で結ばれるようになり、でも最後、本来の敵味方としての立場をつき付けられた時にさあどうするか──みたいなドラマがあるんでしょう。

ただ心配なのが、この映画の位置付けが「低予算のB級映画」とされていることです。
ま、そのへんのギャンブル性もそそるわけですが。

あとは、『ボーン・スプレマシー』なんかも面白そうですが、前作観てないからなぁ。
とりあえず、この2本で決まりかな。
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by kude104 | 2005-02-28 19:22 | 映画
森氏発言:ゲームで自閉症になる(ゲーム業界ニュース:All About)

忘れた頃に話題を振り撒いてくれる日本大学文理学部教授、森昭雄氏。
「テレビゲームが原因で自閉症になる」とは、またえらく飛ばしたなぁ。

今やあちこち引っ張りダコで「ちょーしのってんだろうなぁ(失礼)」と思うと、ゲームを愛する者としては少し不愉快な気持ちにもなりますが、これはむしろ、「時代が彼を求めている」と考えたほうがいいのだろうなと思い始めてきました。
「彼」というより、「ゲーム脳の恐怖」を、ですが。

ゲーム脳が真実正しいかどうかなど、おそらく重要じゃない。
「最近の子供はキレやすい」という不安に対して、いかに安心できる「答え」を与えてあげられるかという話であり、それにはやっぱり「ゲーム脳」が一番ニーズに合っていると思わざるを得ない。

まず、「最近の」ということですから、新しく登場したなにかで、親の世代には馴染みが薄く、子供の世代が熱中しているものでなければなりません。

もちろん、昔はあったのに今は失われたもの──たとえば「親子の会話」なんかを持ってきてもキーワードとしては当てはまるでしょう。
でも、こういうのは世のお母さん方には受け入れられない。
「核家族」とか「専業主婦」なんて、もってのほか。

朝食は家族そろってきちんと食べましょうとか、子供と過ごす時間を増やしましょうとかいくら言っても、「そんなことは分かっている!」と怒らせちゃうに違いない。
それが出来ないから、もっと別の「理由」を欲しているんですから。

そこで「ゲームを禁止すればいいんですよ」と言われれば、そりゃあ飛びつく。
だって、ゲームを禁止することは、自分の不利益にはなりませんから。

それに、「有益なものが足りない」よりも「有害なものがある」ほうが、受け入れ易いもんです。
ないものを補う行動は、それなりに前向きで具体的な行動を求められます。
でも、有害なものを排除しようという行動は、とりあえず批判しているだけで胸のモヤモヤは晴れますし、何か「戦っている」気持ちになれますから。

そういう存在として、ゲーム以上にピッタリくるものは、いまのところ見つからないですね。
パソコンやケータイも、ゲームに比べると弱いですし。
だって、あっちには「便利な道具」という一面がありますから。
ゲームはねぇ・・・「ゲームにも心を動かされるようなものがあるんだ」みたいな擁護をしようものなら、「あ、このひとゲーム脳だわ」って空気になっちゃいますからねぇ。

ま、ゲーム脳なんてものは、あと10年もすれば言われなくなるでしょうけど。
でも、10年あれば森さんがたんまり稼ぐには十分な時間だと思うと、やっぱり腹立つ。
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by kude104 | 2005-02-27 22:59 | ゲーム

男女には能力差ある

「男女には能力差ある」ハーバード大学長 差別発言で学内大揺れ(Yahoo!ニュース:産経新聞)

ハーバード大学の学長さんが「科学や工学の分野で秀でた業績を残した女性が少ないのは、男女間に生まれつきの素質の差があるからだ」と発言したところ、「女性差別発言」という非難が噴出し、辞任を求める騒ぎにまで発展したという。

科学や工学の分野でどうかというのは分かりませんが、男女間に生まれつきの能力差があるかといえば、あるでしょうきっと。
たしか脳の成長課程とか、男女で違っていたんじゃなかったでしょうか。
ただまぁ、そういった差がどれくらいクリティカルに効いてくるかといえば、まぁそれほどではないだろうと思いますけど。

一般的に外国人は日本人より身体能力が高いとされるけど、だからといって、それが人種差別だなんて騒ぐ人は、まぁあんまりいない。
「日本人は生まれながらに身体能力が低いので、スポーツするだけ無駄だ」なんて誰も言わない。
むしろ「体格で劣る中、よく頑張った」みたいな感じになる。

なのに、これが男女間の話になると、どうしてこうも神経質になるのだろう。
人種間の身体能力の差より、男女間の学力差のほうがきっとずっと小さいに違いないのに。

べつに、男女間に素質の差があることはちっとも問題ではない。
問題は、同じ能力でありながら性別によって評価に差を付けられてしまうことでしょう。
それが差別です。

おそらく、同じ能力でありながら「女性だから」ということで低く評価されてしまう事例がたくさんあるということなんでしょう。
でもって、「男女間に素質の差がある」と聞いて「ほらみろ、やっぱり男のほうが偉いんだ」と思う人間も少なからずいそうな気がするし。
多少神経質になるのは、致し方のないことなのかもしれませんが。

ただまぁ、男性と同じ能力を示している女性は、なんだかんだ言っても、それなりにきちんと評価されるんじゃないかと思うんですが。
そうでもないのかなぁ。
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by kude104 | 2005-02-26 19:54 | 時事・社会

美容整形

時代の流れとしては、あと10年もすれば美容整形が一般的になるんじゃないかという気がします。

技術の進歩により、どんどん安くて手軽で安全にできるようになるでしょうし、そうするとどんどんやる人も増えるでしょう。
いまは芸能人の整形疑惑なんかが面白おかしくウワサされますが、いずれ、芸能人は整形していて当たり前という認識になるでしょう。
そのころには、整形に対するタブー感もなくなって、化粧と同じ "身だしなみ" になっても不思議じゃない。

そうなったら世の中どうなるかなーと考えると、ちょっと興味深い。

「人は見た目じゃない、中身だ」などとことさら強調するのは、多くの場合、見た目が大きく物を言うからです。
でも、見た目が悪けりゃ直せばいいとなると、見た目で大きなハンデを背負うことはなくなりますから、「中身で勝負」が当たり前になる・・・かも知れない。
もしそうなったら、人間の価値観も大きく変わるような気がします。

あるいは、そうは言っても整形にそれなりのお金が掛かるとなると、貧富の差が醜美の差に直結することになるかも知れません。
この場合は、持たざる者は貧乏+ブサイクという二重苦を味わう羽目になるんでしょうねぇ。

はたまた、見た目の優劣が、たとえば身長などといった整形の及ばない部分にシフトするだけかも知れません。
人間って、やっぱりどこかに "稀少価値" を見付けたがるもんですから、見た目をめぐる苦悩とは永遠にオサラバできないような気もします。

・・・とまぁ、特にこれといったオチはないんですが。
ちなみに、芸能人の「整形疑惑」を目にすると、ぼくなんかはちょっとホッとしてしまいます。
なんつーか、「神の造りたもうた芸術品」から、同じこっち側の人って感じで、親近感が沸くというか。

まあ、芸能人の整形率が今後ますます高まるのは、間違いないでしょう。
でもって、一般人の平均値も高まって行くだろうから、アイドルなんかは大変だろうなと思います。
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by kude104 | 2005-02-25 22:01
コナミ、同社初となるMMO型コミュニティゲームWIN「ときめきメモリアルOnline」を発表(GAME Watch)

ぼくは「ときメモ」を遊んだことがないし、どちらかというとその手のゲームに心理的な距離感を置いて見てしまう人間で、かつMMORPGなんかも未体験なんですが、「ときメモOnline」は来るべくして来たな、という印象ですね。

ネットの対人恋愛ゲームからリアルな恋愛感情に落ちる割合は、RPGなんかの比ではないと思うわけですが、そのへん、廃人が大量に生産されなければいいがなぁとちょっと心配です。

可愛い(カッコイイ)キャラクターを画面の中央に大きく表示し、常にプレイヤーを見つめながら会話をさせることで、プレイヤーの心を惹き付けるという恋愛ゲームの手法を採り入れたチャットなんて、考えるだけで恐ろしい。
下手をすると、リアルでの恋愛よりも簡単で刺激的で楽しいんじゃないだろうか。
足りないのは肉体的な接触だけ、というくらいに。

恋愛の楽しさをゲームの中だけで味わえるなら、リアルで恋愛相手を探す必要なんてないと考える人もきっと現れるに違いない。
そりゃ、最初は「実際に会って・・・」と思うだろうけど、会えばおそらく幻滅する。
だって、ゲームは現実世界よりも楽しいからゲームとして成り立つわけだし。
そんな幻滅を何度か繰り返し、幻滅が肉体の誘惑を上回ったなら、もうゲームの中だけでいいやと思う人間の出来あがりだ。

まー、実際のところ、どういうふうにゲームとして成立させるのか、難しそうですけど。
100%プレイヤーの好きにさせたら、なんかドロドロしたコミュニティになりそうですし。
そして、ゲームの中でもモテない人間は、どうなるんでしょうねぇ・・・。
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by kude104 | 2005-02-24 18:15 | ゲーム
漫画の雑誌連載のシステムをゲームに持ち込んだら、面白くないかなーとふと思う。

通常、ゲームはオープニングからエンディングまですべて完成してからリリースされますが、これをたとえば月刊連載の形で小出し小出しにリリースしていくわけ。

で、そんな連載ゲームを10本ほどまとめて一冊の雑誌にして販売する。
さらに、連載が無事にエンディングまで到達した作品は、単行本化よろしく、1本の通常のゲームソフトの形にまとめて販売すると。

ゲーム制作って、完成しなければゼロと同じ、みたいなところがありますよね。
しかも、開発期間は長いし、開発コストも大きいので、けっこうギャンブルです。
その点漫画の雑誌連載→単行本化のシステムって、上手く出来てるなぁと思うわけです。

連載形式なら、従来で言うところの「開発中」の段階で、いくらかのお金を回収できます。
加えて、「開発中」に人気のあるなしがある程度分かりますんで、これは売れないとなれば早々に打ち切ることで、被害を最小限に抑えることもできるでしょう。

また、複数の作品を一冊の雑誌という場にまとめてリリースすることで、わりと保険が利くというか、ひとつふたつコケても他が売れてくれればなんとかなる、みたいな安定感も得られます。

ユーザにしても、月々数百円で面白いゲームがいくつも遊べれば嬉しいんじゃないだろうか。
従来どおり「単行本」だけ買うという人にとっても、このシステムが上手く回って多少なりともゲームソフトの値段が安くなれば恩恵を得られます。

それに、普段なら手に取らないようなゲームも、雑誌に連載されてりゃ「ちょっと遊んでみようかな」という気になるでしょうし、それで「面白いじゃん」となれば、ユーザにとっても作り手にとってもメリットは大きい。
RPGやADVを長中期連載とし、読み切り的にアクションゲームやシューティングゲームなんかを扱えば、けっこう面白いんじゃないかと思います。

ま、実際にやるとなると、いろいろ難しいでしょうけど。
むしろ、雑誌をネット配信のフリーペーパーにして、そこにアマチュアのフリーゲームを連載し、最後に単行本化したものをシェアウェアとして販売するなら、多少は実現性もあるかな。
いずれにしても、あまり儲けは出なさそうですけど。
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by kude104 | 2005-02-23 22:17 | ゲーム

生きる目的

「生きる目的」について真剣に考えた経験は、ぼくにもあります。

ぼくは小さい頃から「自分が死ぬ」ということがものすごく怖くて、ときどきふいに死について考えては「うわぁぁぁぁ~」と叫び出したくなるような恐怖に襲われていました。
ま、いまでもまだ何気に怖いんですけど、あるとき、怖がっていてもしょうがないと腹を括りまして。

こんな恐怖と引き換えに生きているんだから、自分が生まれてきた意味がきっとあるはずで、それを見つければきっと満足して死ねるんじゃないかと。
死の恐怖に打ち勝つにはそれしかないと子供心に考えたわけです。

で、しばらく「自分が生まれてきた意味」とか「人はなんのために生きるのか」とか、そんなことを考えては答えの出ない日々を送っていました。

そんなある日、詳しい状況は忘れてしまったんですがおそらく授業の合間の雑談だったんじゃないかと思います。
中学校のとある先生に、「生きる目的などない」と断言されたんですね。
生き物は「生きる」ことがすべてで、それ以外の「なにか」をするために生きているのではないと。

いや、本当にそういう内容だったのか、実はあんまり良く覚えていないんですが。
とにかく、「生きる目的などない」という断言があまりにもインパクトが大きくて。
なにしろ、ずっと「生きる目的」について考え悩んでいたのに、「そんなものはない」と断言されたんですから。

でも、その瞬間に、「ああ、なんだ。それでいいのか」とストンと腑に落ちた。

ぼくらはよく、なにかしら「神様が用意した正解」があるような気がしてしまいます。
「生きる目的」だとか「人生の岐路」だとか「才能」だとか。
占いもそういう考えの上にあるものでしょう。

だから、なんとかしてその正解を見つけようとして、でも見つからなくて、なまじ正解があるものと思っているから間違いを選択するのが怖くて、身動きが取れなくなってジリジリと焦りだけが募ってしまいます。

でも、「正解」なんてないということになれば、「不正解」もなくなります。
間違うことを怖れて身動きが取れないなんて雁字搦めからも抜け出せます。

少なくとも、自分が生まれてきた意味などないと悟ったことで、ぼくはすごく楽になりました。
「ない」ってことは、つまり、自分の好きなように作ればいいってことなんだと。
ハッピーに生きて、悔いなしと思える人生が送れたなら、それは確かに満足して死ねそうだ。

ぼくが思うに、何のためにと問うなら、人は幸せになるために生きるのではないでしょうか。
そして、「この道を選べば、あとは道なりで幸せに辿り付ける」のではなく、道なき道を幸せに向かって歩くのだと。
いついかなるときも、踏み出す足が常に幸せに向かう方向であれば、たとえ何かの拍子で道を外れたとしても、目指す幸せが変わってしまったとしても、すぐに軌道修正できるでしょ。

とまぁそうはいっても、ついつい神様が用意した正解を探してしまったりもするし、進むべき方向はこれでいいのだろうかと迷いもするし、死ぬのはやっぱり怖いですけど。
でも、幸せになるために生きるというところは揺るがない。
こういうのはシンプルなのが一番ですね。
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by kude104 | 2005-02-22 16:57
拳銃くださいと交番に侵入 下田市で無職男を逮捕(Yahoo!ニュース:共同通信)

いつもなら失笑するニュースなんですが、切り込み隊長BLOGで容疑者と思われる人の日記サイト『宿命を超えて、自己を超えて』を知り、笑うに笑えなくなりました。

※本当に、この事件がこのサイト運営者によるものかどうか分かりませんので悪しからず。

ぼくには「自殺するやつの気がしれない」わけですが、このサイトにざっと目を通して、「なぜ」かは分からないけど「どのように」そこに至るのかは、少し分かったような気がします。

日記の初めの方では、文章からまだなにかしら生命力めいたものが感じられるのに、先に進むにしたがって、それがどんどん失われて行く。
じわじわと「選択肢」が狭められ、息苦しくなってくる感じ。
ある日あるとき、決定的な何かがあってそこに瞬間移動してしまうのではなく、向かうまい向かうまいと思いつつも、気がつけば引き寄せられるように一歩一歩そこに向かって歩を進めている感じ。

「嗚呼、この人は確かに、ここに辿りつく他なかったんだろうなぁ」と思えてしまう。
そんなふうに納得できてしまうことが、とても悲しく切ない。
ぼくらにとっての「救いのない結末」が、彼にとっての「救い」であるなら、ぼくらにいったい何ができるというのか。

今までは、自殺を思い留まらせることなんてわけないと思っている自分がいたけど、自惚れも甚だしかった。
これは無理だ。
もしかしたら一時の延命はできるかも知れないけど、救ってあげることなんてできやしない。
・・・そんな無力感というか、「自分の力が及ばない世界」を久々に痛感させられてしまいました。

とはいえ、「死にたいやつは死ねばいい」とまでは思えない。
もちろん死ぬのは本人の勝手なんだけど、「無事、死ねて良かったね」と思う気持ちにはなれない。
できることなら、こっちの世界で幸せになって欲しいなぁと思ってしまうのは、ある種の寂しさなんだろうか。

人は何のために生まれてくるのか?
ぼくは、人は幸せになるために生まれてくるんだと思いたい。
死ぬことでしか幸せになれない人生なんて、やっぱり悲しいよねぇ。

でもって、報じられる「犯行の動機」ですが。
「自殺したい。そのために拳銃が必要だった」なんていう供述の裏っかわに、こんなにも膨大なプロセスがあるんだなぁという、当たり前だけど気付かない真実を目の当たりにした気分です。
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by kude104 | 2005-02-21 22:12 | 時事・社会
ライブドア株下落 調達分価値失う ニッポン放送株大量取得(Sankei Web)

正直くわしいことはよく分からないんだけど、こうなるとなんだか、「メディア持てるよ」と言われて「えっマジで? よっしゃ!」と喜び勇んで飛び出したら、きれいにオフサイドトラップをしかけられたような印象です。

ライブドアのことを旧勢力と戦うヒーローのように見る向きもあるけど、ぼくには武力を背景に「開国シテクダサーイ」と迫る「黒船」に映ります。

「日本の幕府制度では人々が幸せになれない」なんて理由はどうでもよくて、あくまでビジネスとして「俺に門戸を開け」ってことで、そのために幕府が邪魔なら潰してしまえってだけでしょう。
それは別に間違っちゃいないし、そのおかげで新しい社会が生まれて人々が幸せになることもあるだろうから、「黒船」を「悪」だなんて思わないけど。

ただ、「黒船」は潰した後のことなんて、きっと「知ったこっちゃない」に違いない。
そんなもんをヒーロー視しても、なにも出ませんよ。

いまや飛ぶ鳥落とす勢いのライブドアですが、逆にぼくには、なんだか「攻め続けていないと死んでしまうんじゃないか」というイメージを抱いてしまいます。
膨らんで膨らんで、膨らむ力で今はどうにか形を保っているけど、その力が失われたら、途端にペシャンと潰れてしまうんじゃないかという危うさを感じます。

ま、潰れるかどうかはともかく、強引なやり方ってのは勢いのあるうちは有効に働くけど、勢いに翳りが出たときには、すぐに見限られるのがオチですから。
それまでにライブドアがどこまで強固な地歩を築けるかが勝負ですね。

ぼくはライブドアのこと、あんまり好きじゃない(というより、あまり興味がない)ですけど、この騒動の成り行きは気になりますねー。
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by kude104 | 2005-02-20 22:01 | 時事・社会

日本アカデミー賞

最優秀作品賞「半落ち」…主演女優賞に鈴木京香(Yahoo!ニュース:読売新聞)

毎度のことながら、日本アカデミー賞に漂うこの微妙感はいったいどこからくるのだろうか。
やはり本家に比べて、あまりにも権威がないのが問題なのだろうか。
とりあえず、外国作品賞「ラスト サムライ」がいちばん笑った。

ま、そもそも邦画自体あまり人気がないので、受賞作をずらりと眺めてみても、なんだか「ふーん」という感想しかない。
賞の権威がどう、選考方法がこうという以前に、邦画自体が(内容がどうこうではなく、ネームバリュー的に)ショボイというのはいかんともしがたい。

加えてやっぱり、「なんでそれが選ばれたの?」というところが分からない。
いちおう、映画関係者で構成される日本アカデミー賞協会の会員による投票で決まるらしいのだが、これがどうにも胡散臭く思えてしまう。
なんか、業界のなぁなぁで投票してるんと違う?って感じで。

せめて誰がなにに投票したのかがオープンになれば、なぜそれが選ばれたのかが多少は分かって面白いんだけど。
あるいは本家アカデミー賞みたく、数千人による投票にするとか。
選考がなるほどと納得できるものなら、賞の権威もそれなりに付こうというものです。

脚本賞で、「笑の大学」が「スウィングガールズ」に負けるのは不思議だなぁ。
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by kude104 | 2005-02-19 19:30 | 映画