世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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ホームページ作成の悩み、若者の「アクセス数」と中高年の「ネタ切れ」(Yahoo!ニュース:japan.internet.com)

ぼくも、かれこれもう4年近くWeb日記を書いていますが、継続のコツを挙げるとすれば、ひとつには「定期更新」。
日記系なら毎日、コンテンツ系でも週一とか月一とか、とにかく「絶対更新する日」を決めること。
決めたら、よほどのことがない限り貫く。
これが大事。

そもそも、普通の人間にそうそう発信するネタなんてあるはずがない。
だから、「ネタを思いついたときに更新しよう」と思っていると、なかなか更新できません。
更新されない状態が長く続けば続くほど、どんどん更新するのが億劫になって、結局そのまま開店休業状態になるのがオチです。

そうじゃなくて。
まず「更新ありき」で行きましょう。
絶対更新するんだという意識でいると、自然と更新のためのネタを探すようになります。
継続には、「ネタがあって更新」じゃなく、「更新のためのネタ探し」という心構えが必要です。
探さずに、ネタがコンスタントに見つかるはずがない。

また、気分的に、不定期更新の場合は「ホームラン狙い」になりがちです。
それが結構プレッシャーになるんですよね。
「この程度のネタなら、わざわざ更新するほどでもない」みたいな。

それに対して定期更新なら、「安打狙い」と言いますか。
しかも、更新頻度が高ければ高いほど、「たまにヒットが出ればいいや」的な気分になってきますんで、そういう意味では精神的に楽です。

あとはモチベーションの問題になってくるわけですが。
アクセス数をやる気の拠り所とするのは、あまりよろしくない。
もちろん、「思うように増えない」というのもありますが、日々のアクセス数なんて、いずれ必ず頭打ちになるときが来ます。
そうなるともう、アクセス数は刺激的じゃなくなりますから。

それに、アクセス数ってあるレベルを超えると、単なる数字になっちゃうんですよね。
その数字の向こう側に、人の顔が見えなくなります。
アクセス数をやる気の拠り所とする更新は、おそらくこのへんでガス欠になるんじゃないでしょうか。

それよりは、誰か一人でもいいですから、その人が確実に読んでくれている、楽しんでくれていると思うほうが、よっぽどやる気を掻き立てます。
この「誰か一人」は、友達なり家族なり、現実世界の知り合いがいいですね。
更新時に顔を思い浮かべられる人間がいい。

大勢の人を前に講演するようなときも、その中から誰か一人、「この人は自分の話をちゃんと聞いてくれている」という人を探して、その人に向かって話すのがコツだって言うじゃありませんか。
それと同じようなもんですね。

・・・とまぁ今日のこの更新自体が、ネタが無い状態でどうにかこうにか捻り出して書きました。
今日も無事更新できて、ヤレヤレです。
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by kude104 | 2005-01-31 19:23 | PC&ネット

魅惑のドキドキ2人鍋

あら。
昨日はなんか小人さんが勝手に日記書いてる。
うーむ、酒の飲みすぎでとうとう別人格が現れたか・・・。

というのは冗談で、昨日は書いてあるとおり、「初対面の人をウチに招いて鍋をつつく」というクレイジーでケンバンドなイベントをしてしまいました。

初対面とは言え、いちおう友人の友人にあたりまして、まったくの「知らない人」ではないんですが。
でも、以前にメールを数回やり取りしただけという、実質ほとんど「知らない人」です。
なんだか初めて「メル友」に会うような、「オフ会」をやるような、変なドキドキ感がありましたねぇ。

ことの発端は、先々週。
昨日一緒に鍋を突ついた人物を仮にJさんとしますと、共通の友人に当たる人物から電話がかかってきまして、「Jが鍋を突つきたいと言っているが、どうか?」と。
普通、電話してきた友人も含めた3人でという話だと思うじゃないですか。
それならなんの問題もなく「いいよ」という話です。

でも、よくよく話を聞いてみれば、その友人は都合がつかないので、Jさんとぼくの2人きりでという話なんですね。
いやいやいや、有り得ないでしょ。

友人の友人とはいえ、初対面の人間を家に招くのはどうよ?という話でもありますし、そもそもぼく自身、あまり社交的な性格じゃないですから。
むしろ引きこもりですから。
初対面の人間と、なに話せっちゅーねん!って感じですわ。

沈黙の2人鍋って、嫌すぎるぅー!

と、思ったんですが、だんだんそのシチュエーションが面白く思えてきてですね。
ちょっとオイシイし、ありかな?みたいな。

聞けば、鍋をしようという日がJさんの誕生日だというではありませんか。
しかも、数日前に合コン?に失敗し、このままでは誕生日を一人寂しく迎えることになってしまうという、可哀想な身の上なのです。

そんな話を聞かされたなら、もう断れない。
よし、ここはひとつJさんの希望をかなえてやろうではないか!と、男トシヒロ、腹括りました。

でも、本当はこのイベント、28日の金曜日に行われるはずだったんですよ。
Jさんの誕生日がその日なんで、じゃあその日にってことで。
ところがその数日前、Jさんからメールが来ましてですね。

「28日に女の子とデートの予定が入りましたんで、土曜日に延期してもらえますか?」と。

「うっそぉーん!!」みたいな。
いやいやいや、見事にやられた。
一人身の誕生日に同情して腹括った俺の決意はどうしてくれよう!

とまぁ、そんなこんなでネタ師の素養があると思われるJさんとの初対面2人鍋は、意外とけっこう和気あいあいと楽しくつつけました。
いやあ、人間、初対面同士でも結構どうにかなるもんですねー。
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by kude104 | 2005-01-30 18:00

104は・・・

行軍記ジャックします。
初めまして。
今夜は初対面の人と二人きりで鍋をするという
クレージーでクレバーな企画をしています。

で、このブログが開設されたときから言いたかったことを言います。
brogのクデさんの表記のkude104の104は
クデトシヒロのト(10)シ(4)をシャレているんだと。
それをずっと叫びたかった。
多分、クデさんも誰かに突っ込んで欲しかったんだと、そう思います。
でも、開設して3ヶ月たって誰も突っ込んでくれずにいたので、
今更言うに言えない状況になってしまったんじゃないかと。
そう思います。
閲覧者も気付いているのかも知れないけど、
今更言うに言えないと。
この機会にその言うに言えない状況を丸く治めようと、そう思います。
104はトシヒロの104!!

初対面で二人きりなんで
間がもたなかったらどうしようかと。
今夜の行軍記は間がもたなくなったら
行軍記ジャック更新する方向で行きたいと思います。
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by kude104 | 2005-01-29 23:26
さて、毎月恒例、映画サービスデーに見る映画選びでも。
といっても、今回は迷うことなくすでに決定済み。
『Mr.インクレディブル』『カンフーハッスル』の2本。

今回はどちらも話題作だし、単純に「面白そうだから観たい」映画ということで、とりたててコメントすることもありません。

まぁ、若干欲を言えば、どちらも「だいたいこのくらいの満足感だろうな」という予想が立つんで、ドキドキ感がないのがちょっと物足りない。
(『カンフーハッスル』は多少ギャンブル感がありますけど)

やはり映画選びで一番面白いのは、あまり話題になっていないけど観た人の評判がいい「隠れた名作」か、「駄作か傑作か」という当たり外れの大きい「ギャンブル作」を掘り当てることでしょう。

で、さすがに2本も観れば十分なんで今回はパスということになりますが、もし3本目を挙げるとするなら、『レイクサイド マーダーケース』がけっこう気になりますね。
東野圭吾さんの小説を原作とするミステリーということで、なかなか期待できそうです。

以前に観た、同じく東野圭吾さんの小説を原作とした映画『g@me』もなかなか面白かったですし、機会があれば観てみたいなと思いますが、でも、おそらくすぐに上映終了するんだろうなー。
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by kude104 | 2005-01-29 18:31 | 映画

ソニーショック

「それがPSPの仕様だ」、久多良木SCE社長がゲーム機不具合騒動を一蹴(nikkeibp.jp)

ぼくにとっては「対岸の火事」なんで、不具合でも仕様でもどっちでも良いっちゃあ良いんですが。
ほら、言いますでしょ? 対岸の火事は面白いって。

ボタンが戻らないのは不具合でいいとして、問題は「反応が鈍い」点。
聞くところによると、□ボタンだけ検知部分が真下になくて、ちょっとズレているらしい。
なので、ボタンから検知部分に伸びるパーツも真っ直ぐじゃなく、「└┐」こんなふうに曲がっており、結果、ボタンを押した圧力が上手く検知部分に伝わらないことがあるらしい。

それについて社長さんが「これは僕が作ったもので、そういう仕様にしている」「世界で一番美しいものを作った」「著名建築家が書いた図面に対して門の位置がおかしいと難癖をつける人はいない」「対応するゲームソフトを作る会社や購入者が、この仕様に合わせてもらうしかない」などと発言していらっしゃるわけですが・・・。

前後の文脈は分かりませんが、こうしてここだけピックアップされると、なにもわざわざ反感を煽るような物言いをしなくても良いのになと思ってしまいます。
むしろもっと、「頑張ったんですが、これが精一杯でした」という方向でアピールしたほうが、「しょーがないなぁ」と納得してもらえそうな気がするんですけど。

それにしても。
天下のソニーに出来ないくらい、└┐ボタンの検知が難しいとは驚きでした。
いや、素人なんでそれがどのくらい難しいことか分からないんですが、プロジェクトXとか見ていたら、つい日本企業だったらそのくらいなんとか出来るんじゃないかと思ってしまいます。

きっと、時間があればなんとかできたんでしょうけど、ニンテンドーDSのせいで開発期間を延長するわけにいかなくなり、「間に合わせ」で発売したんじゃないかなぁ。

そうじゃなくて、社長さんの言うようにこれがソニーの「ベスト」なんだとしたら、いろんな意味でちょっと心配になりますね。
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by kude104 | 2005-01-28 19:05 | ゲーム

血を流すマリア像

血を流すマリア像:人間では解明できない奇跡!(MSN-Mainichi)
昨日の今日でこの話題というのが、自分の中でちょっと面白かったりするわけですが。

よく、「この世には、科学では解明できないことがある」なんてことを言いますが、世の中には、まだまだ科学で解明できていないことのほうが多いわけですから。
科学で解明できない事象があること自体は、べつに驚きでもなんでもない。

「血を流すマリア像」にしても、科学的なアプローチがまったく不可能な事象なのか、それとも、いずれは科学で解明できるだろうけど、まだその理論体系が発見されていないのか、あるいは単に観測データが不足しているだけなのか・・・。
もし「神の奇跡」であることが科学的に証明されたのだとしたら、そりゃ驚くけど。

ま、とりあえずここは「オカルト」で話を進めるにしてもですね。

調査結果によると血は男性のものだったそうですが、それを素直に受けとめると、「え! マリア様って男だったの?」となりはしまいか。
なるほど、それなら処女受胎なんて話が出てくるのも頷ける・・・なんてことに。

はたまた。
「神の奇跡」というけれど、「血の涙」なんて、イメージ的には「悪魔の仕業」に近いような・・・。
本当に「神の奇跡」かどうか分からないものを有り難がって、宗教的に大丈夫なんでしょうか。

仮に「神の奇跡」だとしても、「いったい何がしたいんだ?」という疑問が生じます。
おそらく何らかのメッセージなんでしょうけど、だったらもう少し分かりやすいパフォーマンスをお願いしたいものです。
マリア像に血の涙を流させて、「どうだ、畏れよ」と言いたげな神様って、なんかスケール小さいと思うんですけど。

などなど。
考えれば考えるほど、「神の奇跡」と呼ぶのは躊躇われます。

いや、だから「イカサマだ」といいたいわけじゃなくて、「不思議」は不思議として不思議がっていればいいんじゃないかなぁと思うわけで。
安易に「神」を持ち出すのは、神の安売りになる危険がありますから。

でもって、「不思議」に対して堂々と「分からない」と言える科学ってステキ。
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by kude104 | 2005-01-27 21:38 | 時事・社会

死人は生き返る

15・4%が「死人は生き返る」 長崎で小中学生調査(Sankei Web)
これはまた、なかなかセンセーショナルなネタではありませんか。

「ゲームでリセットできるから」って、ほら出たしゲームバッシング。
わざわざこんな選択肢を用意するところに悪意めいたものを感じるわけですが、ま、テレビや本や映画の方が圧倒的に「有害」という結果が出て残念でした。

だいたい、ゲームのリセットは「時間を戻す」行為であって、死者が復活することじゃないんだけど。
むしろ、「ゲームに死者蘇生の魔法があるから」とかのほうがしっくり来るんじゃないでしょうか。
設問を考えた人間は単純に「ゲーム無知」だろうからいいとしても、回答した7.2%の子供がこれを選んだ理由が知りたい。

それはさておき。
このネタ、『15.4%の子供が「死人は生き返る」と思っている』という数字だけが一人歩きしそうな印象がありますが、調査結果の詳細(長崎県ホームページより)を見ると、わりと妥当な結果に思えますけどね。

ざっと見ても、「転生、生き写し」「科学の進歩(蘇生やクローン)」「霊として"生きる"」「思い出の中で"生きる"」「宗教的な復活」「生き返ると思いたい(願望)」などなど。
それらをひっくるめて「死人は生き返る」とカウントするのは、ちょっと強引じゃないでしょうか。

この程度のことは、「今の子供」じゃなくても思っているはずです。
ためしに敬虔なキリスト教徒の方にでもアンケートしてみてはいかがでしょう。

こういう調査は「ちょっと調べてみました」的なノリでやるぶんには構わないけど、この結果を受けてどうのこうのというつもりなら、せめて専門家のアドバイスを聞くなどして「まとも」な設問を用意して頂きたいなと思う次第です。
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by kude104 | 2005-01-26 18:25 | 時事・社会

ADVというゲーム

「A.B.」さんの『ひぐらし』記事その後で、先日の「ゲームの進化」が取り上げられてビックリ。
長年Web日記を書いてきて、こんなふうに他所様の文章に登場したのは初めてです。
しかも、あんな有名所に・・・いいのかしら?

あのときはまさかこんなことになるとは思わず、けっこう適当に書いてしまいましたので、この機にもういちど自分の思うところをきちんと書いておこうと思います。

かなり長くなりますんで、興味のある方だけどうぞ。


とりあえず今回は、ADVやノベルゲームなど、ストーリー性の高いADV系ゲームに絞って話を進めます。
RPGなんかの場合は、またちょっと話も違ってくるかと思いますので、今回は無視。

ADVは、クリアを目的にプレイするゲームと考えます。
というのも、クリアのないADVというのはまず存在しないだろうし、あってもきっと面白くないだろうから。

では、ADVのクリアとは何か。
マルチシナリオの場合は、トゥルーエンドを見るとか、すべてのシナリオを見るとかありますが、いずれにせよ、「作者が用意したストーリーを最後まで鑑賞した」時点がクリアと言えるでしょう。

正確には、ストーリーの進行を停止させる「障害」を、正しいコマンドあるいは選択肢によって回避しつつストーリーを先に進め、エンディングに到達すればクリアということになるでしょうか。

ADVが、「正しい選択肢で障害を回避する」要素(以下、ゲーム性)と「ストーリーを先に進め、エンディングに到達する」要素(以下、ストーリー性)から成り立っているとするならば、はたしてどちらがよりADVの魅力──プレイの原動力──となっているのでしょうか?

ぼくの考えとしては、ストーリー性だろうと思っています。
ADVは「ストーリーを楽しむことを目的とするゲーム」と言ってもいいくらいです。

なぜなら、ADVからゲーム性だけを抜き出した場合と、ストーリー性だけを抜き出した場合とで比較して、どちらが面白いかと考えれば、たいてい後者でしょうから。

もちろんその前に、ゲーム性とストーリー性がそもそも対立項なのか?というところから考える必要があるでしょう。

たしかに、両者を「対立項だ」と断定するのはちょっと躊躇われます。
「没入感」というのでしょうか、「正しい選択肢で障害を回避する」ことがストーリーをよりよく楽しむことに貢献しているのではないかとも思えます。

しかし、ないと断定は出来ないけれど、あると断言できるほどにその効果は大きくないのではないかと思うのです。

なぜなら、ADVの変遷を見ると、ゲーム性の面での衰退が明らかに見て取れじゃありませんか。
必要なら、発展こそすれ衰退しないでしょうに。

ならばせめて、両者が「独立項」──ストーリー性とゲーム性、それぞれ別々に最大化し得る──と考えることはできないか?

もし両者が有限の何かを取り合う関係にあるなら、ストーリー性を高めればゲーム性は低くならざるを得ないし、逆もまた然りです。
すなわち、「対立項」になります。

この「有限の何か」を、ぼくは「プレイヤーのプレイ時間」であると考えています。

普通に考えれば、1時間のプレイ時間を取り合うのではなく、ストーリー性に1時間、ゲーム性に1時間なら、プレイ時間は2時間と加算していけばいいじゃないかと思いますよね。

でも、ADVの場合、ゲーム性が生じるポイントがストーリーの進行を停止させる「障害」にあるところが問題です。

どういうストーリーが面白いかはともかく、面白いストーリーというのは、「早く先の展開が知りたい」と思うものではないでしょうか。
であるならば、ADVのストーリー性を高めることは、すなわち、プレイヤーを「早く先の展開が知りたい」状態にすることになります。

そこに、ストーリーの進行を停止させる「障害」が発生すれば・・・?

プレイヤーの心理としては、「早く先の展開が知りたい」わけですから、とうぜん「早く障害を回避したい」と思うはずです。
それはつまり、「障害の回避に費やす時間を少しでも短くして、そのぶんストーリーを進めたい」ということではないでしょうか。

これって、ゲーム性とストーリー性がプレイ時間を取り合っていると言えませんか?

ストーリー性を高めることが「早く先を知りたい」という推進力をもたらす行為で、ゲーム性を高めることが「簡単には正解が分からないようにする」という停滞をもたらす行為だとすれば、ゲーム性がストーリーの進行を停止させるポイントで発生する以上、対立項に成らざるを得ないと思うのです。

そして、ADVがストーリーを楽しむゲームで、ゲーム性とストーリー性が対立項なら、ADVの進化方向として、ストーリー性が肥大しゲーム性が衰退するのも頷けます。

その究極の形として──ジャンルの進化の究極形というのではなく、ゲーム性とストーリー性のバランスの究極形として──「読むだけ」に到達する作品が現れても不思議ではありません。

・・・というのが、前回の「ストーリーを味わうゲームが、究極、読むだけのゲームに到達するのは当然のことかも」といったあたりです。


さて、ここからは付け足しですが。
せっかくなので、『ひぐらし』についてももう少し突っ込んで考えてみたいと思います。

『ひぐらし』には「選択肢」がない。
「選択肢」がないなら、ストーリーの進行を停止させる「障害」が必要ないということになります。

でも、『ひぐらし』にもストーリーの進行を停止させる「障害」があるようです。
未プレイなので間違っているかもしれませんが、目にした情報から察するに、おそらく章立てされ、各章の終わりでいったんストーリーの進行が止まる構成になっているんじゃないでしょうか。

通常のADVでは、「障害」ポイントには「選択肢」が現れ、プレイヤーに「正しい選択」を求めます。
一方『ひぐらし』では「選択肢」は現れず、代わりに「推理」する機会が与えられます。

ADVの「選択肢」と『ひぐらし』の「推理」の違いは何か。
『ひぐらし』の「推理」は、正解でも不正解でも、次なるストーリーの進行になんら影響を及ぼさない(たぶん)。

「障害」が解消されるのは、単純に次の章がリリースされたときという「時間待ち」となっています。
(すでにリリースされているぶんについては、プレイヤーが自分で納得したら進むという形になるのかな)

いずれにせよ、ストーリー性の対立要因となる「障害」は、ゲーム性(推理)とはなんら関係のない「次章に続く」という理由で発生します。
また、「推理」の結果とは関係なく、ストーリーは時間が至れば正解に向かって進行するため、ここでも「推理」というゲーム性がストーリー性と対立しません。

よって、ストーリーを楽しむだけなら、『ひぐらし』のゲーム性はあってもなくても構わないように思えます。

しかし、ストーリーを楽しんでいるプレイヤーが「障害」に出会ったとき、当然「早く続きが知りたい」という欲求にかられます。
でも、知りたくても、(作者以外)誰も知りません。

大人しく次のリリースを待つしかないわけですが、それでもやっぱり続きが気になりますよね。
続きを推理ための材料は抱負にあり、また「先の展開を予想すること」を公式にも推奨しています。

そんな状況にあれば、「よーし、じゃあ推理してみるか」と考えるのは、ごく自然なことに思えます。

ストーリー性を高めることで生じる「推進力」を、実に見事に「推理」のエネルギーに変換する仕組みが見て取れます。
しかも、敢えてストーリーを堰き止めることで「推理」のエネルギーに変換する仕掛けなんて、まぁー巧妙です。

この仕掛けをもって、『ひぐらし』をゲームと言ってもいいんじゃないでしょうか。
コンピュータゲームと言えるかどうかは難しいところですけど。

通常のADVのゲーム性が「正しい選択肢で障害を回避する」ことであるのに対して、『ひぐらし』のゲーム性は「推理する」ことそのものにあります。
また、通常のADVのクリアが「作者が用意したストーリーを最後まで鑑賞する」ことであるのに対し、『ひぐらし』のクリアは「真相を見事見破る」ことにあります。

「正しい推理によって障害を回避する」ことでも、「真相を見破ってストーリーを最後まで鑑賞する」ことでもありません。
行為そのものが「本体」なのです。

ですから、ソフトウェアの内側に入れる必要はないし、また入れられない。

もし強引にソフトウェアの内側に入れるとしたら、ソフトウェアにタイマーを仕込んで、そのタイマーによってソフトウェア内部の情報が更新されるという形を採ることになるんじゃないでしょうか。

各章のリリースのタイミングや、掲示板などの周辺情報の更新を、そのタイマーによって擬似的にコントロールすると。
・・・まぁ、それでもネットで検索すると「真相」が分かってしまう状況はどうしようもありませんが。


といったところで。
拙いところや纏まっていないところもありましょうが、ひさびさにがんばって長文書きました。
お付き合い頂き、ありがとうございます。
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by kude104 | 2005-01-25 23:38 | ゲーム

「供給」を絶つ

都も淫行規定、金銭授受に関係なく処罰…4月施行目標(Yahoo!ニュース:読売新聞)

「買う」ほうを厳しく処罰するのに異論はないですが、やはり、「供給」のほうを絶つ努力も必要なのではあるまいか。
もちろん厳罰化で対処するのも手ですが、ここはひとつ別の手を考えてみましょう。

要するに、カネが欲しくてカラダを売るわけですよね。
で、そのカネを、まさか貯金しているとは思えない。
服かバッグか化粧品か知りませんけど、なにか欲しいものを買うためのカネが欲しくて売春しているんでしょう、きっと。

じゃあ、ひとつの方策として、カネの使い道を絶つという手はどうだろう。
使い道がなければ、わざわざカラダ売ってカネを稼ぐ必要性はなくなるわけだし。
「18歳未満に一万円以上の商品を売る場合、保護者の同伴または同意書が必要」とかね。

だいたい、ガキが一万円以上のお買い物をするなんて生意気でしょ。
ちょっとそのへん、企業側も子供からカネ搾り取り過ぎなんじゃないかと思ったりもするわけで。
子供用のブランド品とか、そんなもん要らんだろ・・・といいつつ、じつはこのへん詳しく知らないんですけど。
いったい、なににそんなにカネが要るんでしょう。

ま、「個人」を規制するよりも企業を規制する方が法の施行としては楽なんで、効果あるんじゃないかなーと思うわけですが、産業界からの強い反発が予想されますね。

じゃあ、もうひとつの方策として、学校がアルバイトを推奨するというのはどうでしょう。
楽なカネ儲けを覚える前に、まっとうにカネを稼ぐ習慣を身に付けさせてしまおうというわけ。

一般的に、学校側はバイトにあまりいい顔しません。
でも、売春に走られるくらいなら、いっそ「有効な社会勉強です」くらいに位置付けて推奨するのも、ひとつの手じゃないでしょうか。

ここなら生徒にバイトさせても安心というところをいくつか探して、バイト代を多少お安くしてもいいですから、学業に支障が無いように・・・みたいな協定を結ぶわけ。

学校側としては、変なところにバイトされることを思えば安心できる。
バイト先としても、変な人間を雇うことを思えば、身元がしっかりしているぶん安心できる。
あとは、地元密着とか青少年の健全な育成に貢献するとか、なんか良さげな大義名分をつけておけば、なんかいい感じにやっていけるんじゃないかなと。

それを「学校推薦のバイト先」みたいな感じで紹介・斡旋すれば、生徒側も、お金が欲しいなぁというときに、まずは「バイトで稼ぐ」というのを考えるんじゃないでしょうか。
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by kude104 | 2005-01-24 21:35 | 時事・社会

ゲームの進化

先日の「選択肢」のないゲーム からつらつらと考えているのですが。

ADV系ゲームの変遷をたどると、初めはキーボードから直接英単語を入力する方式だったものが、やがて、予め提示されたコマンドを選択する方式になり、ノベルゲームになって、コマンドではなく選択肢そのものを選択する方式になり、そして『ひぐらし』で選択肢すらなくなった。

こうして見ると、システム的な「手間」がどんどん解消される方向に進化しています。

その代わりに発達した要素はといえば、ストーリー性でしょう。
つまり、ストーリー性がどんどん増すにつれ、システムはどんどん簡略化されてきたと言えるんじゃないでしょうか。

考えてみれば、当然かもしれない。
ストーリー性が増すことで「小説に近づいている」とするなら、「選択肢」といったゲーム性は、小説のページをめくる際に、いちいちクイズに正解しなければならないようなもんです。
煩わしいったらありゃしない。

ゲームは面白さを追及するものだから、進化の方向としては、面白い要素が肥大し、面白さを阻害する要素は縮小するのが自然です。
ですから、ストーリーを味わうゲームが、究極、読むだけのゲームに到達するのは当然のことかもしれません。

同じことが、RPGにも言えるかもしれない。
たとえば、RPGの戦闘(特にザコ戦)がどんどん「不要」になってきているのは、ストーリー性が増しているからじゃないだろうか。

ま、RPGの場合、戦闘システムがそれ単体でゲームとして遊べる程度に面白いので、「読むだけ」に行きつくことはないだろうとは思いますが。
でも、RPGも、そろそろ円熟期から衰退期にさしかかる頃じゃないかなーなんて思ったりもします。
とくに根拠はないですが、なんとなく。
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by kude104 | 2005-01-23 22:48 | ゲーム