世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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カテゴリ:テレビ( 131 )

不快なCM

「金麦のCMが女性に嫌われている理由」 ネットで議論に - にゅーす特報。

ぼくもあのCMの女性いいなーと思っちゃうんだけど、女性から見たらムカツクものなのか。
ぼくが思うに、女性からしたら「幸せそうな表情」がムカツクんじゃなくて、「男に見られて嬉しい」という女の表情が、「男に媚を売るヤラシイ女!」ってな感じの不快感を刺激するんじゃないかと思う。

作り手側としては、このCMを見た世の奥さま方が「私も今日は可愛い奥さんしちゃうぞ」てな感じになって、金麦買っちゃうぞ!みたいな?
ないない。
そんなウブなヨメ、いないっての。
世の奥さま方にウケるCMは、ダンナがせっせと金麦で節約して、ヨメが浮いたお金でホテルでディナーみたいなやつだろうにさ。

不快なCMで言えば、ぼくはモバゲーのほうがひどいと思うんだけど。
時任三郎や柳沢慎吾らが出演しているドラマ仕立てのやつ。

http://rokumusai.dtiblog.com/blog-entry-1298.html
↑ これなんか明らかに“不倫”を匂わせる作りになっていると思うのだけど。
バカなおっさんやおばさんに「俺も / 私もモバゲーで大人の出会いがあるかも」みたいな気にさせてユーザー集めよう、みたいな思惑を透かし見てしまって胸くそ悪くんだよね。
そもそもぼく、安易に不倫を扱う輩嫌いだし。
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by kude104 | 2010-11-30 23:41 | テレビ
テレビで広州アジア大会を観ていてひとつ気になるのは、選手の”名前”です。

日本人の場合は、一般的な英語表記の要領で、名が前で姓が後になっています。
でも、中国人や韓国人なんかは、母国での表記の通りに、姓が前で名が後になっているようです。
それを見ていると、日本人も同じように、姓を前、名を後にすればいいのになーと思うんですよね。

名前の表記まで欧米のルールに合わせるようなスタイルは、もう古いんじゃないか。
今の時代は、それぞれの国がそれぞれの国の文化で国際社会に出ればいいんじゃないか、と。
自分たちは普段「姓 名」なので国際社会でもそれで行きますという方が、ぼくには自然体で好ましく思えます。

大会では、姓を大文字、名を小文字(Taro YAMADA)のように表記していて、これだと姓と名が分かりやすくていいなーと思いました。
これに「姓 名」のスタイルを加えて、これからぼくは YAMADA Taro のように表記しようと思います。

もうひとつ気になるのは、日本人のアナウンサーや解説者などが、中国人(韓国人もかな?)の名前を漢字読みすることです。
「王」さんのことを「ワン」さんじゃなくて「おう」さんと呼ぶんだりする。
画面上にはアルファベット表記で「WANG」と表記されているんだから、そのように発音すればいいのに。
本来は漢字表記で、その漢字は日本語ではこう呼ぶからって、人の名前を勝手に「翻訳」するのはどうだろう。
日本人の山田さんが「マウンテン ライス フィールド」って呼ばれるようなもんじゃない?

海外では自分たちの名前を「名 姓」にして、国内では中国人の名前を日本語読みする。
まさに、郷に入らば郷に従えだね。
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by kude104 | 2010-11-22 17:28 | テレビ
最近BSで『刑事コロンボ』の再放送をしていて、子どもの頃好きでよく見ていたぼくとしては嬉しい限りです。
それで、週一のペースで『刑事コロンボ』を観ていると、昔は気付かなかった『犯人の行動パターン』ともいうべき事柄に気付きます。

コロンボの捜査方法と言えば、愚鈍でお人よしっぽく見えるコロンボが、犯人に事件の不審な点について「あれが疑問だ、これが不自然だ」と相談して回る、というものです。
それに対して、犯人でない人は、たいてい「たしかに。それは奇妙ですなぁ」といった反応をします。
一方の犯人はというと、ほとんどが「なんだそんなことか。それなら簡単に説明が付くよ」といった反応をするんですねぇ。

昔はよく、「コロンボはどの時点で、あの人が犯人であると分かったのか」と不思議に思ったものですが、つまり、こういうことじゃないかと。
画面には描かれていないけど、コロンボは毎回とりあえず容疑者全員に「あれが疑問だ、これが不自然だ」と相談して回っているのではないか。
そうすると、上で書いたように、犯人とそうでない人とで反応が違うわけです。
そうやって怪しい人物を絞り込んでいるのではないか。
で、最終的には、コロンボのプレッシャーに耐えきれなくなった犯人が、彼の疑惑を逸らそうとして何か新たな行動に出たところを、コロンボが狙い撃って捕まえるという流れでフィニッシュとなります。

つまり、たとえるならば、水中に潜む魚を捕まえるために、水面に小石を投げて、それが作る波紋を調べるようなものでしょう。
波紋の乱れがあれば、そこに重点的に小石を投げて、徐々に徐々に範囲を狭めて行く。
魚にしてみたら、投げ込まれる小石のポイントがどんどんどんどん近付いてきて、かつ、引っ切り無しになってくるわけです。
そして最後は、小石の雨にいら立った魚が動いたところを、がばっと捕えるって寸法ですね。

もし自分が犯人だったら、どうやってコロンボと対峙すればいいだろうってのは、毎回考えるのだけど。
結論としては、コロンボに対して必要以上に反応しないってことでしょうか。

心にやましいところがある者は、えてして、急所から敵の目を逸らそうとして偽の情報を与えて煙に巻いてやろうと思うのだけど。
偽の情報には「偽」という情報が含まれるから、優れた敵に対しては、単に新たな情報を与えていることになっちゃうんだなぁ。
情報が足りなくて困っている相手に対して、わざわざ情報をあげているようなものです。

でもなぁ、コロンボのあのプレッシャーに耐えてじっとしていられる自信はないなぁ。
見ていて、ほんっとにいやらしいもん。
となるとやはり、ロス市警の管轄外で犯行を行うのが一番か。
でも、そんなときに限って、休暇でたまたまコロンボが来ていたりするんだろうな。
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by kude104 | 2009-11-17 18:25 | テレビ

オタク文化の原点回帰

オタクの本当の危機 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

個人のたしなみ方としては大いに共感しますが、それでもコンテンツの供給過多は止まらないかと思います。
なぜなら、原因はコンテンツビジネスの構造的変化のほうにあると思えるからです。

ビジネス的に言えば、おそらく、短いサイクルで次々に新しいコンテンツを消費してもらったほうが、業界全体としての売上は上がるでしょう。
だから、供給者側は過剰とも思えるほどにどんどんコンテンツを供給しているわけで。

ただ、供給者側が攻めの姿勢でそうしているかというと、違うのではないかと思います。
そうやって次から次へとコンテンツを供給し回転率を上げなければ売上が確保できない状況にあるという、守りの姿勢からそうせざるをえないのではないか。
もしそうなら、オタクな人々が良かれと思ってコンテンツの消費量を落とすことは、逆に、業界をより一層衰退へと導くことになるのでは、という気がします。

たとえば極論として、ひとつの作品につき5年間楽しむなら、生涯で20本もいらない計算です。
過去の名作から20本用意すれば済むなら、もう新しいコンテンツは要らないということになりましょう。
ならば、現在駄作が量産されようと、明日業界が滅びようと、問題はないということになります。
怪獣映画好きは、過去のゴジラ作品を愛でていればいいということになる。
が、もちろんそんなことはなくて、怪獣映画好きなら常に新しい怪獣映画が観たいと思うでしょう。
それには、怪獣映画がビジネスとして成立しないことには難しい。

アニメについて言えば、素人考えとしては、テレビの衰退が大きく影響しているのではないかと考えます。
テレビ自体の視聴率も低下している中、テレビアニメだけが例外でいられるはずもなく。
いまや、ゴールデンタイムに放送しているアニメといえば、ドラえもんとサザエさんくらいですか?
(あとは、ちびまる子ちゃんとクレヨンしんちゃんくらいかな?)
もはや、テレビアニメ黄金期は、過ぎ去った遠い過去の栄光なのではないでしょうか。

となると、製作費自体も削減されているでしょう。
実態を知らないので分かりませんが、いったいどれくらい削減されているのでしょうね。
その減った製作費分をDVDの売上等で賄おうとすると、どうしても回転率を上げざるを得ないでしょう。
消費者側がその回転の速さについていけなくなったときに、テレビアニメは完全に終了するのではないでしょうか。
「1クールのアニメ」どころか、アニメ自体「作るのは、もうやめましょうや」となりかねません。
(もっとも、完全になくなることはないでしょうけど)

あるいは。
考え方を変えれば、業界が衰退すればコンテンツの供給量は下がりますから、そうなるといやでも消費速度を落とさざるを得なくなります。
そのとき、ファーストフード的消費の仕方に慣れた「軟弱なオタク」は去り、数少ないコンテンツを味わいつくせる「真のオタク」だけが生き残る。
まさにオタク文化の原点回帰が成されるのかもしれません。
オタクの練度は、業界がマイナーであればある程鍛えられるように思います。

その意味では、今、オタクの皆さんがその消費量を抑えるという戦略は、業界を適正に衰退させるとともに、来るべき原点回帰の時に備えて今から練度を高めておくために、とても有効なのかもしれません。
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by kude104 | 2009-05-18 14:54 | テレビ

今日のテレビ雑感

テレビのチャンネルザッピング中に「クイズ!ヘキサゴン II」の番組終わりをちらっと見たのだけど、なんか、出演者が唄うCDの宣伝がやたらと流れて面白かった。
どんだけCD出してんねん、と。
お前、テレビショッピングかと。

最近のテレビ業界は広告収入が激減していると聞くけれど、なるほど、なりふり構っていられない感じがする。
今までのテレビが番組の合間にスポンサーCMを流すというスタイルだったのに対して、これは、番組自体を番組グッズのCMと位置付けて商売しているような気がする。
いやまあ、番組自体は見ていないので、知らないんですけどね。

「広告収入が激減」つながりで言えば、「1億人の大質問!? 笑ってコラえて!」について。
この4月から放送時間が変わったのですが、引っ越し後、番組の内容自体はほとんど変わっていないようなんだけど、ゲスト出演者の数が半分くらいになっていて笑った。
なんという分かりやすい人員削減。
「引っ越してリニューアル!」みたいな顔で、こっそり削減しているところがカワイイ。
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by kude104 | 2009-04-22 23:59 | テレビ

Answer堀北

堀北真希さんが出演されているドコモのTVCMがなんか気になる。
たとえば、今やっている「バイトはじめる」篇だけど──。

堀北さんのバイト先の先輩(男性)がいきなり彼女に「かわいいじゃん。そのケータイ・・・と、君もね」と話しかけるというもの。
いやいやいやいや、初対面かどうかは分からないけど、少なくともそんなに親しくなさげな女性に対して、平気でこんなセリフを言うやつってどうなの?
気持ち悪くない?
もしぼくがこんなこと言われたら、引くわー。
と思うのに、言われた堀北さんは「かっこいいかも」とか言っちゃってるのね。
えぇ~、女性って、そーゆーもんなの?

だって、これを男性と女性とを置き換えて考えてみるとだな。
バイト先のさほど親しくない美人先輩にいきなり「かっこいいじゃん。そのケータイ・・・と、君もね」って言われるわけでしょ?
・・・あれ、悪くないね。
うむ、それは惚れてまうかも。
惚れてまうかもー!

このCMシリーズで言えば、「STYLE実感」篇はけっこう好きだった。

その前の回で堀北さんが彼氏にフラれるシーンがあって。
「自分でこたえを見つけて、自分のスタイルを作っていくしかないんだ」という内容を受けてのこの回です。
で、さっそく「自分のスタイル」を披露する彼女に、友人たちは「新しい恋に、新しいケータイってわけだ」と感想を述べるのね。

付き合う相手に合わせて趣味やファッションまでがらりと変わっちゃう人っていますが、この一言が彼女のそういう性格を端的に表していておもしろい。
「そんなワタシと決別する!」とばかりに、自分なりのスタイルに一新したつもりなのに、友だちには「はいはい、またオトコが変わったのね」と軽くあしらわれてしまうという。
友人にそんなふうに思われている彼女って。

だから、最後の「似合ってるね、ソレ」というセリフは、オトコに合わせたスタイルじゃなくて、あなた自身のスタイルとして「似合っている」という意味合いを持つわけだ。
そんなふうに評価してくれる人がいて良かったね──と思っていたら。

「恋の先輩」篇で、たぶん相も変わらず「彼氏が出来たらメールしまくりだよ」とか話している堀北さんを観て、「ダメだこいつ」と思った・・・という話。
そりゃ友人に「新しい恋に、新しいケータイってわけだ」って言われるわけだ。
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by kude104 | 2009-03-10 19:47 | テレビ
ABlog テレビって面白い!!!       ただし20年前の

たぶんだけど、テレビ局は面白い番組を作ることが仕事じゃない。
視聴率が稼げる番組を作ることが仕事なんだ。
なぜなら、テレビ局のお客様はスポンサーだから。

スポンサーがお金を出すか出さないかの基準は番組の面白さじゃない。
どれだけの宣伝効果が見込めるかだ。
だから、面白い番組を作ることは視聴率を上げるための手段であって目的じゃない。

昔の番組が視聴率を気にせずにやれたのは、昔はテレビという媒体そのものの広告価値が高かったからじゃないかと思う。
スポンサーになりたい企業など、いくらでもいた時代だろう。
言うなれば、客のほうを向いて商売しなくても売れる時代だったというわけだ。

なぜテレビ番組は視聴率という「その番組の全体的な価値を計るにはあまりにも情報量の少ない数字」で測られるのか。
おそらく、ひとつには先ほど言ったように、昔はテレビ自体の広告価値が高かったので、その程度の情報量で充分だったのだろう。
でも今、視聴率の有効性はかなり薄れた。

じゃあ、視聴率に代わる新たな指標を導入しましょうとなると、困るのはおそらくテレビ局だろう。
スポンサーが欲しい指標は、番組の実際の広告効果を測る数値だ。
でも、そんなものは容易に計測できないし、仮にできたとしたても、下手をしたら「テレビには思ったほど広告効果はない」という結果が出て、自分で自分の首を絞めかねない。

視聴率の代わりに、たとえば「視聴満足度」のようなものを導入したとしても、それが広告効果とどう結びつくのかを説明しなければ、スポンサーにとって意味がない。
でも、「視聴満足度がこれくらいのとき、広告効果はこれくらいになる」というのを示そうものなら、先ほどと同様、下手をしたら「テレビには思ったほど広告効果はない」という結果が出て、自分で自分の首を絞めかねない。

だからたぶん、テレビ局側は動けない。
泥舟と知りつつ、視聴率に乗っかっていくしかないのだろう。

幸か不幸か、テレビの広告収入はどんどん下がっているみたいだから、いずれそのうち視聴率を気にして番組を作ったところでペイできない状況になるかもしれない。
そうなれば、ペイ・パー・ビューやパッケージ販売など、番組をコンテンツとして販売して収益化を測らなければならなくなるだろうから、そこでようやく「視聴者のほうを向いた面白い番組作り」ができるかもしれない。

あるいは、地方の地元ケーブルテレビのような番組ばかりになっちゃうかもしれないけど。
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by kude104 | 2009-03-06 22:26 | テレビ

R-1ぐらんぷりの採点方法

で、今日のR-1ぐらんぷり2009 決勝ですが...... - splash!!

たしかに。
観ていておもしろかったですが、それは個々のネタの面白さであり、コンテスト的な面白さはあまりなかった気がします。
「ぐらんぷり」というひらがな表記からも見てとれるように、あまり仰々しいコンテストにする気はない、ということなのでしょうけど。

上記エントリーでも書かれていますが、採点をきちんと行おうと思ったら、「全組のネタを見てから各審査員がまとめて採点する」のが一番です。
ネタの良し悪しを100点満点の「絶対評価」で採点できるのであれば、順次採点を行う方式でも問題ないですが、そんなことは不可能でしょう。
お笑いの採点はどうしたって相対評価にならざるを得ない。
で、相対評価を100点満点で順次採点するなんてことは、本来無理な話です。

でも、「番組として起伏があって続きが気になるように見せるためには、やっぱり1組ずつ点数を発表したほうがいい」という縛りで考えるのであれば。
100点満点で採点するという方法をやめてはどうだろう。

ひと組ずつネタを披露し、その都度審査員が採点し、結果を発表するというスタイルはそのままで。
ただし、審査員の採点のし方を変えます。
100点満点で採点するのではなく、審査員それぞれが現時点でのネタの順位を自分なりに付けます。
これなら、各審査員は自分の審査基準にしたがって、現時点での相対評価で正しく評価することができます。
で、1位は何点2位は何点と点数を決めておいて、各審査員の順位による点数を足し合わせて、その合計得点で全体の順位を決めます。

この方法だと、現時点での最高得点はあくまでも現時点での暫定得点であり、後でより面白いネタが出てくれば、その都度順位が入れ替わり、点数も変動します。
100点満点での採点方式だと後から点数を付け直すことはできませんが、順位での採点ならその都度順位を付け直すことが可能ですので、順次採点方式にはうってつけだと思います。

また、この方法だと、各審査員のネタの評価順位が一目瞭然になるので、そちらも見ていて面白いんじゃないでしょうか。
「この審査員はこっちのネタのほうが好きなのか」といったことが丸分かりで。
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by kude104 | 2009-02-18 19:25 | テレビ

女と男、アメリカと日本

NHKスペシャル|シリーズ 女と男 最新科学が読み解く性」が面白い。
こういう番組を作るから、NHKは受信料払ってやっても良いと思えるよね。
民放はもう、なんだか番宣とテレビショッピングみたいになっちゃってるけど。

で、今回の「何が違う? なぜ違う?」を観ていて思ったのは、やっぱり、アメリカってすげーってこと。
たとえば、アメリカの小中学校で男女別授業を行う学校が増えているという話。
あいつらは、「最新の研究で男女に違いがあることが分かってきた → 男女は別々に教育したほうがいいケースもある → だったら、男女別授業を採り入れるとがいいのではないか」で実行しちゃうんだもん。
日本じゃぜったい、こうはいかないもんね。

他にも、男女の違いを学んでビジネスに活かそうという取り組みとか。
たとえば、相手が男性か女性かでプレゼンの仕方を変えるみたいな話。
相手が男性なら役職の高い人間が結論をずばっと提案するのが効果的で、相手が女性なら担当者が問題を共有しながら提案するのが効果的といった具合に。

アメリカって言うと、なんだか唯我独尊的に自分たちのルールを押しつけるイメージがあるけど、意外と彼らは“違い”を尊重する人種なんじゃないかという気がする。
国や文化の違いも、それらを尊重したほうがビジネスがうまくいくという合理性があれば、きっと彼らは尊重する戦略を採るんじゃないだろうか。
逆に、日本人のほうがそのへん頑なな気がするなぁ。

こうしたアメリカの性質というものを見ると、まだまだしばらく彼らが世界をリードする時代が続くだろうと思えてならない。
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by kude104 | 2009-01-12 23:24 | テレビ
最近、NHKの「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」という番組を観るようになりました。
人間、歳をとるにつれて、動物モノの面白さがじわじわ来ますよね。
やはり、大人になると、自然界の不思議さとか「生きる」ということについて、子どもとは違った視点で観るようになるからだろうね。

第127回で放送された「ジュウイチ」という鳥は、自分では子育てをせずに他の鳥の巣に卵を産みつけて育ててもらう鳥なのですが、ジュウイチの雛は卵からかえるとすぐに、育ての親のひな鳥たち(つまり、巣の本来のひな鳥たち)を巣から捨ててしまいます。
そうやって巣を独占し、餌を独り占めするんですね。
巣から捨てられたひな鳥たちは、当然死んでしまいます。

生まれてすぐ、まだ目も開いていない状態で、よちよちと他の雛たちを自分の背中に乗せては巣から捨てていくジュウイチの姿を観ていると、なんという業の深い生き物かと思わずにはいられません。
壮絶というか、恐ろしいというか、憐れというか。
それが生き残るための最善の戦略であるとしても、他人の子殺しが本能にインプットされた状態で生まれてくるというのは、自然界というところは容赦がない。

昨日放送の「ダチョウ」の回では、ダチョウのお母さんは夫に浮気をさせ、浮気相手に卵を産ませて、その卵を敵からの身代わり要員として利用することで自分の産んだ卵を守ろうとします。
また、ダチョウの子供たちも、実の母親よりも「強い母親」に付いていきます。
「強い母親」のほうが守ってもらえるという理由もあるでしょうが、それ以上に、「強い母親」のもとにはたくさんの子供が集まるので、数が多くなればなるほど、他の誰かが犠牲になってくれるので自分が敵に狙われる危険が低くなるという戦略です。

まぁ、見事なまでに、男女の愛とか親子の愛よりも「生存!」という価値観の世界です。

こうした動物の世界を見れば見るほど、「人間に生まれてよかったぁー!」と思います。
動物の世界というのは、生きること、子孫を残すことが唯一絶対の正義です。
他人の子供を殺そうと、そんなことはちっとも悪いことじゃない。
生き残ることが正義。

そうした動物の世界を観ながら、ふと思ったりするんですよね。
人間の世界もそうだよなぁ、と。
生きることが厳しくなればなるほど、自分が生き残るためにシビアにならざるを得なくなる。
人間が、いわゆる人間性を獲得したのは、豊かさあってのことなんじゃないだろうか──と、そんなことを考えながら動物番組を観るようになったのは、大人になったればこそだと思うのです。
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by kude104 | 2008-12-08 22:58 | テレビ