世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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カテゴリ:ゲーム( 48 )

ファミコンゲーム

昨日は友人と飲みつつ、ファミコンゲームで盛り上がっていたんですが。

久しぶりに『スーパーマリオ』を遊んだら、クリアできませんでした。
初めは余裕綽々で、「よーし、敵を1匹も殺さずにクリアしちゃうゾ☆」とかなんとか言っていたのに、途中でガチンコプレイに切り替えて、ワープして、何度かリトライして、でも8-3で力尽きた。

アイテムの場所や入れる土管や敵の配置など、すっかりきれいに忘れてしまっていて、よく言えばとても新鮮な気持ちで遊ぶことができました。
プレイしながら「うおっ」とか「あぶねっ」とか「よっしゃ!」とか、なんか久しぶりに「あのころの自分」にもどって遊んでいる自分がいましたね。
いやあ、やっぱり面白いわ、スーパーマリオ。

でも、脳が「危ない!」と指令を出してから指先が動くまでに、一瞬のタイムラグが発生することを、悲しいかな自覚せざるを得ませんでした。
昔は出来たことが出来なくなる・・・歳をとるというのは、こういうことなんだなぁ。

他にも、昔のアクションゲームを(ええ歳したおっさんが)二人同時プレイでキャーキャー言いながら遊んで大いに盛り上がったわけですが、こうして遊ぶと、昔のゲームってやっぱり面白いなぁと実感します。
・・・と同時に、いわゆるクソゲーは、ほんとにクソゲーだなぁということも実感します。
中学生がプログラム実習で作るサンプルゲームのようなものを4800円とかで売っていたんですからね、いまの感覚で考えると、ひでぇ商売だ。

子供にゲームを与えるとしたら、最初からいきなりPS2だなんだと与えるよりは、まずファミコンから入るのがいいかもしれませんね。
どーせゲーム未経験なら、ピコピコ動いているだけでもじゅうぶん刺激的で楽しめるもんですから。
そこから子供の成長に合わせてゲーム機を進化させていけば、ゲーム体験が豊かになっていいんじゃないかなー。
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by kude104 | 2005-04-05 17:34 | ゲーム

Touch! NintendoDS.

昨日は時間つぶしにヨドバシカメラをうろうろしていたところ、ゲームフロアにお試しプレイ用のニンテンドーDSが展示されていました。

ニンテンドーDS。
ファミっ子のぼくとしては心情的にかなり応援している携帯ゲーム機ですが、じつのところ、この時が触るのはおろか実機を見るのも初めてです。

春休みの、砂糖に群がる蟻のようなお子様たちの隙をぬっての一分程度のお試しプレイだったので、これをもってニンテンドーDSを語るには不充分にもほどがありますが、いやあ、実際に見ると聞くとでは大違いってやつですね。

まずね、ゲーム画面の小ささに驚いてしまいました。
そういやぼく、携帯ゲーム機自体を今まで遊んだことねーや。
(あ、ゲームウォッチは別だけど)
ケータイ電話すら持っていないんで、携帯機のモニタサイズというものが、まったくイメージできていなかったんですね。
それがまぁ、想像の一回り二回りも小さかった。

今までは、DSとPSP比べたらDSの圧勝だよねと思っていたぼくですが、もしPSPの画面が大きくて見やすいなら、ちょっとPSPを見直してあげてもいいかも?と思っちゃうくらいです。
というかPSPにしても、こんな小さな画面で映画とか観て楽しいのか?という疑問が沸くなぁ。

で、もうひとつがタッチペン・タッチパネルによる操作感。
これも想像では、まぁ十字キープレイがマウスプレイに変わる程度だろうと思っていたんですね。
PCでマウス操作に慣れた俺が、違和感など感じるはずがないと。
いやあ、ゼンゼン違った。
タッチペンでゲームを遊ぶというのが、まさかこれほどの違和感とは。

マウスの場合は、マウスを動かすことでマウスカーソルを動かし、ボタンクリックでアクションといった操作系です。
一方のタッチペンは、ポイントをタッチペンで突っつくとアクションという操作系です。

タッチペンでは、「マウスカーソルを目的のポイントに動かしてボタンをクリックする」という操作がワンアクションで済むわけですが、特に、マウスカーソルを目的のポイントに動かすという「過程」の部分の操作がなく、直接ダイレクトにアクションを起こすという感覚が独特ですね。

十字キーで操作する従来の操作系と比べると、違和感は歴然です。
なんというか、ゲームにおけるプレイヤーの立場というか、プレイヤーがゲームの世界を「弄る」感覚がまるで違っている。
インターフェイスひとつでこうも変わるものか。

これはもしかすると、タッチペンを使ったゲームは、ぼくが思う以上に従来とは異なるゲームにならざるを得ないのではないかと思います。
少なくとも、タッチペンでスーパーマリオは遊べないし。

今回ぼくが遊んだゲームは『メテオス』だったんですが、DSのお試しプレイに『メテオス』ってのは、あまりいい選択じゃなかった気がします。
まず、画面の小ささが「ブロックが小さい」ということで強調される。
でもって、タッチペンの操作に慣れない状態で、忙しいアクションゲームはやっぱり無理。
2画面使う面白さってのも、堪能できないし。

おかげで、DSの面白さも『メテオス』の面白さも分からぬまま、中途半端にファーストコンタクトを終えてしまいました。
ただ、DSの画面の小ささが嬉しいのは、ヘタクソなプレイを他人に見られない事ですな。

ま、一分程度のお試しプレイでは、こんなもんでしょう。
できればもっとじっくり触ってみたいものです。

でも、『メテオス』は、対戦プレイやら携帯性を除いて、シングルプレイのゲームシステムだけで考えれば、テレビサイズの画面でふつうに十字キーで遊んだほうが楽しいのではないかしらん?
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by kude104 | 2005-04-02 22:28 | ゲーム
残虐ゲームを有害図書類指定に/神奈川県(カナロコ)

正直、「ふ~ん、ま、いいんじゃない?」という感じです。
なんだかもう、いちいち反発するのに疲れちゃった。

"有害" ゲームを禁止して、それで世の中が平和になるんならそれで良し。
ならないなら、別の問題が炙り出されるだろうから、それも良し。

個人的には、もうある程度「ゲームは有害だ」という主張を認めてあげて、どっかで線を引いてしまったほうが楽なんじゃないかと思います。
これはもう「血液型で性格がわかる」や「マイナスイオンは身体にいい」などと同じレベルで、理屈より「それっぽい」気持ちのほうが優る典型でしょうから。

なので、"健全" なゲームと "有害" なゲームを切り離すことで、いまのところゲーム全体に向けられている悪意を "有害" なゲームだけに押さえ込めるなら、それはそれでゲーム業界にとっても悪くないんじゃないでしょうか。

これでもし、問題を起こした青少年の家から "有害" ゲームが見つかっても、「家庭や社会に問題があった」という主張が成り立ちますし、批判の矛先も "有害" ゲームを販売したお店に向かうでしょうし、対策も「18歳未満に売らないよう徹底させる」というところで落ち着くでしょうし。
悪くないんじゃないの。

禁止される側の子供は多少不満でしょうが、酒やタバコやエロ本と同じようなもんだと思って、大人になるまで我慢して下さい。
「あー、早く大人になって、思う存分『バイオハザード』がしてぇ!」なんていうイライラも、それはそれで平和っぽくていいんじゃないでしょうか。
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by kude104 | 2005-03-05 19:40 | ゲーム
森氏発言:ゲームで自閉症になる(ゲーム業界ニュース:All About)

忘れた頃に話題を振り撒いてくれる日本大学文理学部教授、森昭雄氏。
「テレビゲームが原因で自閉症になる」とは、またえらく飛ばしたなぁ。

今やあちこち引っ張りダコで「ちょーしのってんだろうなぁ(失礼)」と思うと、ゲームを愛する者としては少し不愉快な気持ちにもなりますが、これはむしろ、「時代が彼を求めている」と考えたほうがいいのだろうなと思い始めてきました。
「彼」というより、「ゲーム脳の恐怖」を、ですが。

ゲーム脳が真実正しいかどうかなど、おそらく重要じゃない。
「最近の子供はキレやすい」という不安に対して、いかに安心できる「答え」を与えてあげられるかという話であり、それにはやっぱり「ゲーム脳」が一番ニーズに合っていると思わざるを得ない。

まず、「最近の」ということですから、新しく登場したなにかで、親の世代には馴染みが薄く、子供の世代が熱中しているものでなければなりません。

もちろん、昔はあったのに今は失われたもの──たとえば「親子の会話」なんかを持ってきてもキーワードとしては当てはまるでしょう。
でも、こういうのは世のお母さん方には受け入れられない。
「核家族」とか「専業主婦」なんて、もってのほか。

朝食は家族そろってきちんと食べましょうとか、子供と過ごす時間を増やしましょうとかいくら言っても、「そんなことは分かっている!」と怒らせちゃうに違いない。
それが出来ないから、もっと別の「理由」を欲しているんですから。

そこで「ゲームを禁止すればいいんですよ」と言われれば、そりゃあ飛びつく。
だって、ゲームを禁止することは、自分の不利益にはなりませんから。

それに、「有益なものが足りない」よりも「有害なものがある」ほうが、受け入れ易いもんです。
ないものを補う行動は、それなりに前向きで具体的な行動を求められます。
でも、有害なものを排除しようという行動は、とりあえず批判しているだけで胸のモヤモヤは晴れますし、何か「戦っている」気持ちになれますから。

そういう存在として、ゲーム以上にピッタリくるものは、いまのところ見つからないですね。
パソコンやケータイも、ゲームに比べると弱いですし。
だって、あっちには「便利な道具」という一面がありますから。
ゲームはねぇ・・・「ゲームにも心を動かされるようなものがあるんだ」みたいな擁護をしようものなら、「あ、このひとゲーム脳だわ」って空気になっちゃいますからねぇ。

ま、ゲーム脳なんてものは、あと10年もすれば言われなくなるでしょうけど。
でも、10年あれば森さんがたんまり稼ぐには十分な時間だと思うと、やっぱり腹立つ。
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by kude104 | 2005-02-27 22:59 | ゲーム
コナミ、同社初となるMMO型コミュニティゲームWIN「ときめきメモリアルOnline」を発表(GAME Watch)

ぼくは「ときメモ」を遊んだことがないし、どちらかというとその手のゲームに心理的な距離感を置いて見てしまう人間で、かつMMORPGなんかも未体験なんですが、「ときメモOnline」は来るべくして来たな、という印象ですね。

ネットの対人恋愛ゲームからリアルな恋愛感情に落ちる割合は、RPGなんかの比ではないと思うわけですが、そのへん、廃人が大量に生産されなければいいがなぁとちょっと心配です。

可愛い(カッコイイ)キャラクターを画面の中央に大きく表示し、常にプレイヤーを見つめながら会話をさせることで、プレイヤーの心を惹き付けるという恋愛ゲームの手法を採り入れたチャットなんて、考えるだけで恐ろしい。
下手をすると、リアルでの恋愛よりも簡単で刺激的で楽しいんじゃないだろうか。
足りないのは肉体的な接触だけ、というくらいに。

恋愛の楽しさをゲームの中だけで味わえるなら、リアルで恋愛相手を探す必要なんてないと考える人もきっと現れるに違いない。
そりゃ、最初は「実際に会って・・・」と思うだろうけど、会えばおそらく幻滅する。
だって、ゲームは現実世界よりも楽しいからゲームとして成り立つわけだし。
そんな幻滅を何度か繰り返し、幻滅が肉体の誘惑を上回ったなら、もうゲームの中だけでいいやと思う人間の出来あがりだ。

まー、実際のところ、どういうふうにゲームとして成立させるのか、難しそうですけど。
100%プレイヤーの好きにさせたら、なんかドロドロしたコミュニティになりそうですし。
そして、ゲームの中でもモテない人間は、どうなるんでしょうねぇ・・・。
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by kude104 | 2005-02-24 18:15 | ゲーム
漫画の雑誌連載のシステムをゲームに持ち込んだら、面白くないかなーとふと思う。

通常、ゲームはオープニングからエンディングまですべて完成してからリリースされますが、これをたとえば月刊連載の形で小出し小出しにリリースしていくわけ。

で、そんな連載ゲームを10本ほどまとめて一冊の雑誌にして販売する。
さらに、連載が無事にエンディングまで到達した作品は、単行本化よろしく、1本の通常のゲームソフトの形にまとめて販売すると。

ゲーム制作って、完成しなければゼロと同じ、みたいなところがありますよね。
しかも、開発期間は長いし、開発コストも大きいので、けっこうギャンブルです。
その点漫画の雑誌連載→単行本化のシステムって、上手く出来てるなぁと思うわけです。

連載形式なら、従来で言うところの「開発中」の段階で、いくらかのお金を回収できます。
加えて、「開発中」に人気のあるなしがある程度分かりますんで、これは売れないとなれば早々に打ち切ることで、被害を最小限に抑えることもできるでしょう。

また、複数の作品を一冊の雑誌という場にまとめてリリースすることで、わりと保険が利くというか、ひとつふたつコケても他が売れてくれればなんとかなる、みたいな安定感も得られます。

ユーザにしても、月々数百円で面白いゲームがいくつも遊べれば嬉しいんじゃないだろうか。
従来どおり「単行本」だけ買うという人にとっても、このシステムが上手く回って多少なりともゲームソフトの値段が安くなれば恩恵を得られます。

それに、普段なら手に取らないようなゲームも、雑誌に連載されてりゃ「ちょっと遊んでみようかな」という気になるでしょうし、それで「面白いじゃん」となれば、ユーザにとっても作り手にとってもメリットは大きい。
RPGやADVを長中期連載とし、読み切り的にアクションゲームやシューティングゲームなんかを扱えば、けっこう面白いんじゃないかと思います。

ま、実際にやるとなると、いろいろ難しいでしょうけど。
むしろ、雑誌をネット配信のフリーペーパーにして、そこにアマチュアのフリーゲームを連載し、最後に単行本化したものをシェアウェアとして販売するなら、多少は実現性もあるかな。
いずれにしても、あまり儲けは出なさそうですけど。
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by kude104 | 2005-02-23 22:17 | ゲーム
「人付き合い少ない、おとなしい子」 教師刺殺の17歳(asahi.com)

上の記事、ぼくが最初に目にしたときの見出しは「TVゲーム好き、おとなしい子」だったんですが、どうして「TVゲーム好き」の部分が修正されたんでしょうね。
・・・さすがに、あまりにも露骨に過ぎると判断したのか。

それにしても、こういうのって、なんだか切ない気持ちになりますね。

ゲームが好きで、将来はゲーム関連の仕事につきたい──それはきっと、世間から見ればオタクで幼稚で子供じみた夢なんでしょうけど。
でも、好きなものを「好き」といい、将来の夢を語る姿は、ぼくにはとても微笑ましくて愛しいものに映ります。

もちろんぼくは直接この少年を知らないけど、でも、人間、自分の好きなことや夢を語るときって、多少なりとも希望の匂いがするでしょう?
そりゃあ、いくら好きでも犯罪めいたものはマズイけど、さすがにゲームもそこまでは有害視されていないと思いたい。

オタクで幼稚で子供じみた夢だっていいじゃないか。
どうして、それに向かって真っ直ぐ進んで行けなかったのかなぁ。
どこでこんなふうに、人生歪んでしまったんだろう。

もちろん、いろいろな原因、理由があるんでしょう。
そして少なからず、「ゲームの悪影響」も叫ばれるでしょう。
ゲームに悪影響があるかどうかはともかく、少なくとも、この少年を救うものには成り得なかった。
こんなにもゲームが好きでも、ゲームは救いには成らなかったんだなぁ。

もちろん、テレビだってマンガだって、親や友達だって、なにもこの少年を救えなかったんだから、取りたててゲームがどうこうという話じゃない。
そもそも、誰もゲームにそこまでのことを期待してはいない。

でも、それでも、ゲームがこの少年の救いになれていればなぁと思ってしまうのは、ぼくもゲームが好きだからでしょうか。
そんな、人を救うようなゲームが、ひとつくらいあっても良いんじゃないかと思います。

こういう事件が起きるたびにゲームゲームといわれるのは、なんかもう忍びないんで。
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by kude104 | 2005-02-15 20:26 | ゲーム

ソニーショック

「それがPSPの仕様だ」、久多良木SCE社長がゲーム機不具合騒動を一蹴(nikkeibp.jp)

ぼくにとっては「対岸の火事」なんで、不具合でも仕様でもどっちでも良いっちゃあ良いんですが。
ほら、言いますでしょ? 対岸の火事は面白いって。

ボタンが戻らないのは不具合でいいとして、問題は「反応が鈍い」点。
聞くところによると、□ボタンだけ検知部分が真下になくて、ちょっとズレているらしい。
なので、ボタンから検知部分に伸びるパーツも真っ直ぐじゃなく、「└┐」こんなふうに曲がっており、結果、ボタンを押した圧力が上手く検知部分に伝わらないことがあるらしい。

それについて社長さんが「これは僕が作ったもので、そういう仕様にしている」「世界で一番美しいものを作った」「著名建築家が書いた図面に対して門の位置がおかしいと難癖をつける人はいない」「対応するゲームソフトを作る会社や購入者が、この仕様に合わせてもらうしかない」などと発言していらっしゃるわけですが・・・。

前後の文脈は分かりませんが、こうしてここだけピックアップされると、なにもわざわざ反感を煽るような物言いをしなくても良いのになと思ってしまいます。
むしろもっと、「頑張ったんですが、これが精一杯でした」という方向でアピールしたほうが、「しょーがないなぁ」と納得してもらえそうな気がするんですけど。

それにしても。
天下のソニーに出来ないくらい、└┐ボタンの検知が難しいとは驚きでした。
いや、素人なんでそれがどのくらい難しいことか分からないんですが、プロジェクトXとか見ていたら、つい日本企業だったらそのくらいなんとか出来るんじゃないかと思ってしまいます。

きっと、時間があればなんとかできたんでしょうけど、ニンテンドーDSのせいで開発期間を延長するわけにいかなくなり、「間に合わせ」で発売したんじゃないかなぁ。

そうじゃなくて、社長さんの言うようにこれがソニーの「ベスト」なんだとしたら、いろんな意味でちょっと心配になりますね。
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by kude104 | 2005-01-28 19:05 | ゲーム

ADVというゲーム

「A.B.」さんの『ひぐらし』記事その後で、先日の「ゲームの進化」が取り上げられてビックリ。
長年Web日記を書いてきて、こんなふうに他所様の文章に登場したのは初めてです。
しかも、あんな有名所に・・・いいのかしら?

あのときはまさかこんなことになるとは思わず、けっこう適当に書いてしまいましたので、この機にもういちど自分の思うところをきちんと書いておこうと思います。

かなり長くなりますんで、興味のある方だけどうぞ。


とりあえず今回は、ADVやノベルゲームなど、ストーリー性の高いADV系ゲームに絞って話を進めます。
RPGなんかの場合は、またちょっと話も違ってくるかと思いますので、今回は無視。

ADVは、クリアを目的にプレイするゲームと考えます。
というのも、クリアのないADVというのはまず存在しないだろうし、あってもきっと面白くないだろうから。

では、ADVのクリアとは何か。
マルチシナリオの場合は、トゥルーエンドを見るとか、すべてのシナリオを見るとかありますが、いずれにせよ、「作者が用意したストーリーを最後まで鑑賞した」時点がクリアと言えるでしょう。

正確には、ストーリーの進行を停止させる「障害」を、正しいコマンドあるいは選択肢によって回避しつつストーリーを先に進め、エンディングに到達すればクリアということになるでしょうか。

ADVが、「正しい選択肢で障害を回避する」要素(以下、ゲーム性)と「ストーリーを先に進め、エンディングに到達する」要素(以下、ストーリー性)から成り立っているとするならば、はたしてどちらがよりADVの魅力──プレイの原動力──となっているのでしょうか?

ぼくの考えとしては、ストーリー性だろうと思っています。
ADVは「ストーリーを楽しむことを目的とするゲーム」と言ってもいいくらいです。

なぜなら、ADVからゲーム性だけを抜き出した場合と、ストーリー性だけを抜き出した場合とで比較して、どちらが面白いかと考えれば、たいてい後者でしょうから。

もちろんその前に、ゲーム性とストーリー性がそもそも対立項なのか?というところから考える必要があるでしょう。

たしかに、両者を「対立項だ」と断定するのはちょっと躊躇われます。
「没入感」というのでしょうか、「正しい選択肢で障害を回避する」ことがストーリーをよりよく楽しむことに貢献しているのではないかとも思えます。

しかし、ないと断定は出来ないけれど、あると断言できるほどにその効果は大きくないのではないかと思うのです。

なぜなら、ADVの変遷を見ると、ゲーム性の面での衰退が明らかに見て取れじゃありませんか。
必要なら、発展こそすれ衰退しないでしょうに。

ならばせめて、両者が「独立項」──ストーリー性とゲーム性、それぞれ別々に最大化し得る──と考えることはできないか?

もし両者が有限の何かを取り合う関係にあるなら、ストーリー性を高めればゲーム性は低くならざるを得ないし、逆もまた然りです。
すなわち、「対立項」になります。

この「有限の何か」を、ぼくは「プレイヤーのプレイ時間」であると考えています。

普通に考えれば、1時間のプレイ時間を取り合うのではなく、ストーリー性に1時間、ゲーム性に1時間なら、プレイ時間は2時間と加算していけばいいじゃないかと思いますよね。

でも、ADVの場合、ゲーム性が生じるポイントがストーリーの進行を停止させる「障害」にあるところが問題です。

どういうストーリーが面白いかはともかく、面白いストーリーというのは、「早く先の展開が知りたい」と思うものではないでしょうか。
であるならば、ADVのストーリー性を高めることは、すなわち、プレイヤーを「早く先の展開が知りたい」状態にすることになります。

そこに、ストーリーの進行を停止させる「障害」が発生すれば・・・?

プレイヤーの心理としては、「早く先の展開が知りたい」わけですから、とうぜん「早く障害を回避したい」と思うはずです。
それはつまり、「障害の回避に費やす時間を少しでも短くして、そのぶんストーリーを進めたい」ということではないでしょうか。

これって、ゲーム性とストーリー性がプレイ時間を取り合っていると言えませんか?

ストーリー性を高めることが「早く先を知りたい」という推進力をもたらす行為で、ゲーム性を高めることが「簡単には正解が分からないようにする」という停滞をもたらす行為だとすれば、ゲーム性がストーリーの進行を停止させるポイントで発生する以上、対立項に成らざるを得ないと思うのです。

そして、ADVがストーリーを楽しむゲームで、ゲーム性とストーリー性が対立項なら、ADVの進化方向として、ストーリー性が肥大しゲーム性が衰退するのも頷けます。

その究極の形として──ジャンルの進化の究極形というのではなく、ゲーム性とストーリー性のバランスの究極形として──「読むだけ」に到達する作品が現れても不思議ではありません。

・・・というのが、前回の「ストーリーを味わうゲームが、究極、読むだけのゲームに到達するのは当然のことかも」といったあたりです。


さて、ここからは付け足しですが。
せっかくなので、『ひぐらし』についてももう少し突っ込んで考えてみたいと思います。

『ひぐらし』には「選択肢」がない。
「選択肢」がないなら、ストーリーの進行を停止させる「障害」が必要ないということになります。

でも、『ひぐらし』にもストーリーの進行を停止させる「障害」があるようです。
未プレイなので間違っているかもしれませんが、目にした情報から察するに、おそらく章立てされ、各章の終わりでいったんストーリーの進行が止まる構成になっているんじゃないでしょうか。

通常のADVでは、「障害」ポイントには「選択肢」が現れ、プレイヤーに「正しい選択」を求めます。
一方『ひぐらし』では「選択肢」は現れず、代わりに「推理」する機会が与えられます。

ADVの「選択肢」と『ひぐらし』の「推理」の違いは何か。
『ひぐらし』の「推理」は、正解でも不正解でも、次なるストーリーの進行になんら影響を及ぼさない(たぶん)。

「障害」が解消されるのは、単純に次の章がリリースされたときという「時間待ち」となっています。
(すでにリリースされているぶんについては、プレイヤーが自分で納得したら進むという形になるのかな)

いずれにせよ、ストーリー性の対立要因となる「障害」は、ゲーム性(推理)とはなんら関係のない「次章に続く」という理由で発生します。
また、「推理」の結果とは関係なく、ストーリーは時間が至れば正解に向かって進行するため、ここでも「推理」というゲーム性がストーリー性と対立しません。

よって、ストーリーを楽しむだけなら、『ひぐらし』のゲーム性はあってもなくても構わないように思えます。

しかし、ストーリーを楽しんでいるプレイヤーが「障害」に出会ったとき、当然「早く続きが知りたい」という欲求にかられます。
でも、知りたくても、(作者以外)誰も知りません。

大人しく次のリリースを待つしかないわけですが、それでもやっぱり続きが気になりますよね。
続きを推理ための材料は抱負にあり、また「先の展開を予想すること」を公式にも推奨しています。

そんな状況にあれば、「よーし、じゃあ推理してみるか」と考えるのは、ごく自然なことに思えます。

ストーリー性を高めることで生じる「推進力」を、実に見事に「推理」のエネルギーに変換する仕組みが見て取れます。
しかも、敢えてストーリーを堰き止めることで「推理」のエネルギーに変換する仕掛けなんて、まぁー巧妙です。

この仕掛けをもって、『ひぐらし』をゲームと言ってもいいんじゃないでしょうか。
コンピュータゲームと言えるかどうかは難しいところですけど。

通常のADVのゲーム性が「正しい選択肢で障害を回避する」ことであるのに対して、『ひぐらし』のゲーム性は「推理する」ことそのものにあります。
また、通常のADVのクリアが「作者が用意したストーリーを最後まで鑑賞する」ことであるのに対し、『ひぐらし』のクリアは「真相を見事見破る」ことにあります。

「正しい推理によって障害を回避する」ことでも、「真相を見破ってストーリーを最後まで鑑賞する」ことでもありません。
行為そのものが「本体」なのです。

ですから、ソフトウェアの内側に入れる必要はないし、また入れられない。

もし強引にソフトウェアの内側に入れるとしたら、ソフトウェアにタイマーを仕込んで、そのタイマーによってソフトウェア内部の情報が更新されるという形を採ることになるんじゃないでしょうか。

各章のリリースのタイミングや、掲示板などの周辺情報の更新を、そのタイマーによって擬似的にコントロールすると。
・・・まぁ、それでもネットで検索すると「真相」が分かってしまう状況はどうしようもありませんが。


といったところで。
拙いところや纏まっていないところもありましょうが、ひさびさにがんばって長文書きました。
お付き合い頂き、ありがとうございます。
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by kude104 | 2005-01-25 23:38 | ゲーム

ゲームの進化

先日の「選択肢」のないゲーム からつらつらと考えているのですが。

ADV系ゲームの変遷をたどると、初めはキーボードから直接英単語を入力する方式だったものが、やがて、予め提示されたコマンドを選択する方式になり、ノベルゲームになって、コマンドではなく選択肢そのものを選択する方式になり、そして『ひぐらし』で選択肢すらなくなった。

こうして見ると、システム的な「手間」がどんどん解消される方向に進化しています。

その代わりに発達した要素はといえば、ストーリー性でしょう。
つまり、ストーリー性がどんどん増すにつれ、システムはどんどん簡略化されてきたと言えるんじゃないでしょうか。

考えてみれば、当然かもしれない。
ストーリー性が増すことで「小説に近づいている」とするなら、「選択肢」といったゲーム性は、小説のページをめくる際に、いちいちクイズに正解しなければならないようなもんです。
煩わしいったらありゃしない。

ゲームは面白さを追及するものだから、進化の方向としては、面白い要素が肥大し、面白さを阻害する要素は縮小するのが自然です。
ですから、ストーリーを味わうゲームが、究極、読むだけのゲームに到達するのは当然のことかもしれません。

同じことが、RPGにも言えるかもしれない。
たとえば、RPGの戦闘(特にザコ戦)がどんどん「不要」になってきているのは、ストーリー性が増しているからじゃないだろうか。

ま、RPGの場合、戦闘システムがそれ単体でゲームとして遊べる程度に面白いので、「読むだけ」に行きつくことはないだろうとは思いますが。
でも、RPGも、そろそろ円熟期から衰退期にさしかかる頃じゃないかなーなんて思ったりもします。
とくに根拠はないですが、なんとなく。
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by kude104 | 2005-01-23 22:48 | ゲーム