世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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カテゴリ:ゲーム( 48 )

応募した

連日選挙の話ばかりなのもどうかと思うので、今日は、かなり記憶のすみっこに追いやられているであろうNINTENDO DS "asobi project"の話でも。

本当に応募してやったぜ。

ただ、正直、真剣にアイデアを考えたのは最初だけでした。
日が経つにつれ、だんだん関心が低下してしまいました。
もうちょっと真剣に取り組んでいれば、もっといいアイデアが思い浮かんだんじゃないかと思いますが、まぁ、しょせんはお遊びチャレンジだし、こんなもんだろ。

とまぁ、会心の出来栄えではないものの、あわよくば200万!みたいな気持ちはあります。
200万は無理でも、せめて20万くらいは・・・みたいな。

というのも、だってこれ、本当に応募する人間なんて、そうそういないでしょ。
たぶん、みんな考えるところまではすると思うんですよ。
でも、そこから実際に紙にプリントアウトして郵送する人間は、そう多くはないと思います。
だって、面倒臭いし。

でもって、この企画。
プロ、あるいは、プロを目指すような人は、おそらく応募してこない。

というのも、募集要項に、応募した時点で応募作品に含まれる知的財産権は任天堂に譲渡されると書いてあるから。
もし仮に、自分のアイデアが商品化されたとしても、応募者にはなんのリターンもありません。

この取り決めは、自分のアイデアに誇りを持つ人にとって、かなり厳しいものと思われます。
だから、そういう人は、もし仮にすごいアイデアを思いついたとしても、応募してこないでしょう。

だって、考えてみれば、賞は大小合わせて7つしかありません。
ってことは、8つめ以降のアイデアは、任天堂に無料進呈ってことですからね。
任天堂からすれば、実に安上がりにアイデアを集めることが出来ます。
それは面白くないって思う人は、けっこういるんじゃないかなぁ。

といったことを考えると、ライバルはそんなに多くないんじゃないかと思うんですよね。
運次第でどうにかなる競争率なのではないかと思って、期待しています。

賞金取ったら、テレビとパソコンを買い換えるぞー。
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by kude104 | 2005-08-10 18:44 | ゲーム
次世代ゲーム機、「プレステ3」が圧倒的人気――インフォプラント調べ(Japan.internet.com)

ネットユーザ千人を対象とした「もっとも期待している次世代ゲーム機」というアンケートの結果について。
1位が SCEI の「プレイステーション3」の6割。
2位が任天堂の「レボリューション(仮)」で8%。
3位がマイクロソフトの「Xbox360」で2%。

Xbox360、あんなに頑張っているのに2%って・・・。

いやまあ、これが実際の購入にどれほど結びつくかというと、たいして関係無いでしょうけど。
好きなタレントランキング、みたいなもんじゃ無いかなぁ。
データ的な有用性としては。

それよりもちょっと思ったのは、「プレーしたいタイトル」で「人気シリーズタイトル」が8割という結果。
よく、最近のゲームは続編ばかりでつまらないなんてことを言いますが、なぜ続編ばかりなのかというと、「ユーザがそれを望んでいるから」という答えになりそうですね。

PS3が人気第1位というのも、「現行機でトップシェアだから」という理由が大きいと思うんです。
その結果が圧倒的に第1位となると・・・。
なんというか、ユーザって、やっぱりけっこう保守的なんだなぁと思わされます。

個人的には、任天堂の「レボリューション」がイイトコ行くと踏んでいます。
これはまぁなんというか、半分が判官びいきというか、順当にPS3じゃつまらないって野次馬根性で、残る半分がファミっ子特有の任天堂好きって理由になるわけですが。

でも、たとえばPSPとニンテンドーDSの対決は、DSに軍配が上がったと言っていいでしょう。
下馬評はPSP圧倒的有利だったと思いますが、「ゲーム機として」という但し書きをつければ、DSの圧勝とも言える状況です。
同じことが、据え置き機でも起きるんじゃ無いかなーと思う次第です。

任天堂は今の経営陣になって、明らかに変わったと思う。
その結果の現れがDSの成功だとすれば、その延長線上でレボリューションも「来る」と見ていいんじゃないでしょうか。
対するPS3がPSPの延長線上に乗っけて来るなら、この勝負、携帯機の再現になるんじゃないかなーと。

これはまぁ、「願望」の類いですけど。

で、そうなると、やっぱりXbox360が微妙なところですよねぇ。
いまのところ、PS3派がXbox360に心移りするシーンが思い浮かばない。
今後の展開しだいかなぁ。
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by kude104 | 2005-07-11 22:08 | ゲーム
日常開拓史のユウさんから「ゲームバトン」を頂きました。

このバトンなるもの。
なんか流行ってるなーと思っていたんですが、まさか自分にも回ってこようとは。
中には「チェーンメールと同じだ」と否定的な意見も目にしますが、我が事として受け取ってみると・・・やっぱりけっこう嬉しいもんです。

まず、日記のネタが労せず手に入る。
これはかなり嬉しい。
そしてなにより、自分にバトンを回してくれる人がいるということの喜び。
お父さん、お母さん、ぼくにも友達ができました──みたいな。

なるほど、流行るわけだ。
質問に答える楽しさもさることながら、送り、送られるというコミュニケーションに魅力があるのだな。

とまぁ、そんなこんなで。
さっそく質問のほうに答えてみたいと思います。


コンピュータに入ってるゲームファイルの容量

さあ。
これまでにダウンロードしてきたフリーウェアがいくつか入っていますが、散在しているので、調べるのが面倒です。
たぶん、数十MBくらいだろうと思いますが。

今進行中のテレビゲーム

強いてあげれば、『信行軍団3』でしょうか。
進行中というか、暇な時にちょこちょこ遊んでいるってかんじですけど。
FLASHを使った、タイムクライシスのようなガンシューティングゲームです。
よく出来てます。

最近遊ぶゲームは、ほとんどFLASHゲームですね。
なんか、暇つぶし程度に手軽に遊べるのが嬉しいです。

最後に買ったテレビゲーム

えーと。
たぶん、初代プレステの「ギレンの野望」じゃないかと思います。
ガンダムのシミュレーションゲーム。
もう、何年前の話でしょう。

昔は、それこそ月に一本くらいの割合でゲーム買って遊んでいたんですけど。
PCを買った頃からかなぁ、ゲーム買わなくなったのは。
ゲームする時間をPCが食ったって感じですね。

よく遊ぶ、または特別な思い入れのある 5作

よく遊ぶゲームは、これといってありません。
実家に帰った時に、友達とファミコンで遊ぶくらいです。
というわけで、思い入れのあるゲームということで、挙げてみたいと思います。

『スーパーマリオブラザーズ』(ファミコン)

やはり外せない。
これはもうなんでしょう、リアルタイムでその出現を体験したファミっ子にとっては、忘れ得ぬ一本じゃないでしょうか。
なんというか、ぼくの中でスーパーマリオ以前/以後と区別しちゃうくらい、エポックメイキングなゲームです。

『ドラゴンクエスト』(ファミコン)

これも外せない。
まだドラクエがまったく無名だった時代。
RPGという言葉すら、まだ誰も知らないような時代。
たまたま店頭で目にして、鳥山明のパッケージの絵に惹かれて買ったんです。

今思えば、内容も知らずにゲーム買っちゃうような、つまり、ゲームなら何だって楽しいという、そんな時代だったんですねぇ。
ちなみに、ドラクエを買うか、こっちを買おうかと最後まで迷ったのは、『東海道五十三次』でした。

ダンジョンを歩くのが心細くて怖くてしょうがなかったり、太陽の石の在り処がわからず途方に暮れたり、「竜王楽勝じゃん」と思った瞬間に竜王が正体をあらわした時の恐怖と、エンディングの感動、などなど。
いまでも忘れない。

『信長の野望』(ファミコンほか)

あえて全国版と言わずにおこう。
初めて遊んだのが、近所のお兄さんが持っていたパソコンでした。
まだ全国版じゃない初代も初代のやつ。
遊びに行った時に遊ばせてもらって、面白くて面白くて、お兄さんに頼んでパソコンごと貸してもらって遊んだんです。

ちなみに、このとき「パソコンごと貸してもらった」ことにより、親が「パソコンまで借りてきたら、ファミコン買ってあげないとしょうがない」と諦めたというエピソードも含めて、印象的。

後に発売されたファミコン版は、発売延期につぐ発売延期と、たしか9800円だったと思いますが、当時でも破格の高価格により、ぼくをキリキリさせることになるのですが。
それに見合うだけ、遊び倒したなぁ。

ちなみに、友達がこのゲームのことを『信玄の希望』と言ったのは、今も忘れない。

『イース1,2』(MSX2)

そしてぼくは、ファミコンからMSXの時代へと突入するのです。
そのMSX期に非常に思い入れのあるゲームといえば、やはり『イース1,2』。
ファミコンに比べて、圧倒的なビジュアルの美しさ、音源の良さ。
そりゃあ、ウットリするくらいでした。

当時のイースの存在って、本当に頭ひとつ抜きん出て、ミステリアスで美しくて面白かった。
ゲームミュージックを、出力をラジカセにしてテープに録音して聴いたのも、イースが初めてでした。
今でも口ずさめます。

『メタルギア2』(MSX2)

そして最後に挙げるのは、これ。
メタルギア。
ゲームで表現しようとするものが、ストーリー性やゲーム性を含めて、これほど綺麗に形になったゲームもそうないでしょう。
当時のゲームの中にあって本当にすげぇーと思います。
MSXゲームの最高傑作と言っても良いんじゃないでしょうか。

後にプレステでメタルギアの新作が出たときには、本当に興奮しました。

・・・以上で5本ですか。
まだ挙げたいタイトルがいくつかあるんですが、まぁ、とりあえずこんな感じで。
見事に古いゲームばかりになってしまいましたね~。


いやあ、なんか楽しかった。
思い出のゲームについて語るのは、楽しいですね。
楽しすぎて、これ書くのに2時間くらい経っちゃってるよ。

えーと、次に5人にバトンを回すそうなんですが・・・。
5人・・・5人ねぇ・・・。
5人どころか、ひとりも思いつきません。

まさかのストッパー毒島。
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by kude104 | 2005-07-07 23:59 | ゲーム
脳は暴力ゲームを現実として認識――独研究(ITmediaニュース)

たとえばまぁシューティングゲームで考えると、自機や敵機や弾なんかを丸や三角や四角といった抽象的な記号に置き換えても、やっていることは同じです。
でも、それじゃあ味気なくて面白くない。
そこで、カッコイイ戦闘機のデザインにして記号に意味を持たせるわけです。
そうすることで臨場感が高まり、ぐっとゲームが面白くなる。

臨場感を高めるというのは、つまり、脳に「本物っぽい」と思わせることでしょう。
ですから、この手のゲームは、面白くしようとすればするほど、『本物』っぽくなっていくわけです。
(もちろん、現実世界のシミュレーターに近づけるという意味ではない)

ですから、『暴力的なテレビゲームをプレイしている人の脳は、その暴力が本物であるかのように反応する』のは、まぁー当然かなと。
たぶん、プレイするゲームが面白くない場合は、脳もそれほど反応しないのではないかという気がします。


・・・と、ここまで考えて。
ということは、ゲームの『面白さ』を測るのに、脳の測定データが使えるってことになりませんか?

ほら、よく『ゲーム性』という言葉がゲームの面白さを語る際に使われますが、何をもってゲーム性とするかという定義はあいまいです。
結局は、評価者の主観的評価軸が『ゲーム性』として語られたりして。

考えてみれば、ゲームには『面白さ』を表すのに使える客観データの類いがまるでありません。
面白い/面白くないは、ひとそれぞれの好みだね、で済まされます。

それをたとえば、レースゲームで。
このレースゲームのプレイヤーの脳を測定したら、実際のレースドライバーの脳の測定データと何パーセント一致しましたとか言われたら、一致率が高いほど「面白そう!」って判断材料になるじゃないですか。
(実際に一致率が高くなるほど面白いかどうかは知らないけど)

あるいはもう少し汎用的に。
人間が面白いと感じている、熱中している、集中している、といったときに、脳のどこがどれくらい活動するかというデータが採れるのであれば、それをもってゲームの『おもしろ度』を測ることができるのではないでしょうか。
なんかこう、快感の種類とその強度で多角形グラフを表示する・・・みたいな感じ?

これならけっこう客観的な評価データとして機能するんじゃないかなぁ。
それによって、客観的にゲームの良し悪しが語られるようになると、けっこう面白い気がする。
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by kude104 | 2005-06-24 19:11 | ゲーム

200万円への道

以前に取り上げたNINTENDO DS "asobi project"のアイデアをひとつ考えてみました。
で、思いついたアイデアというのが・・・自分で言うのも何ですが、けっこうふつーで「うーむ」って感じ。

いや、ゲームのアイデアとしては、そんなに悪くないと思うんですよね。
ちゃんとタッチペンと二画面を有効に使えていると思うし。
遊べば、たぶんそれなりに面白いと思うし。

でも、ふつーだ。
このくらいのアイデアなら、誰でも思いつくよなぁ。

やっぱり思うに、ゲームの枠の中で考えたのではダメなんでしょうね。
どうしても、今あるゲームに上手くタッチペンなり二画面なりを導入しましたって方向の発想になってしまって。

商品化を前提としたアイデアなら、それでいいと思うけど。
今回のテーマが「新しいアイデア」ってことなんで、求められているものが違う。

たぶん、これまでゲームの枠に入らなかったものを、DSの機能を絡めてなんかゲームっぽく見せる感じのアイデアが受けるんじゃないかって思う。
たとえば、『DS楽引き辞典』みたいな。

これなんて、単なる電子辞書じゃーんって思うわけですよ。
普通の『ゲームアイデア募集』ってのにこんなの送ったって、スルーされて終わりでしょう。

でも、「辞書を引くのが楽しくなります」という味付けをほどこすことで、単なる電子辞書を『ゲームソフト』のラインナップに乗っけてしまえるところがDSの凄いところで、今回はまさにそういうアイデアを求められているに違いないって思うんですよね。

分かっちゃいるけど、これがなかなかに難しい。
だってさー、もし『DS楽引き辞典』がリリースされていなくて、いまぼくが思いついたとしても、ぜったい「あ、これはダメだ」ってスルーするに違いないもん。
「DSで辞書引いたって、面白くもなんともない」って思うよねぇ。

200万円への道はまだまだ遠い。
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by kude104 | 2005-06-22 23:06 | ゲーム

目指せ200万円

NINTENDO DS“asobi project”

「NINTENDO DS」ならではの2画面、タッチスクリーン、内蔵マイク、ワイヤレス通信などの豊富な機能を使った新しい「asobi」を提案していただきたいと思います。斬新でオリジナリティにあふれたアイデアをぜひ送ってください。

大賞●1名200万円  審査員特別賞●4名各20万円  優秀賞●2名各10万円

──公式サイトより

よーし、いっちょ狙ってみますか!
だって、リスクゼロ、コストほぼゼロで、200万円のチャンスだよ?
やらいでか!

ゲームの企画を・・・という話ではなく、アイデアだけで良いらしい。
たとえば、『ニンテンドッグズ』みたいな企画を考える必要は全然なくて、単に「タッチパネルを使って犬と触れ合えるゲーム」程度のネタでいいってことでしょう、きっと。
それって、すんげー敷居が低い。

が、敷居が低いぶん、難しい。

ぼくみたいなゲームっ子には、「ゲームとはこういうもの」という固定概念が否応なくあって、知らず知らずその中で考えてしまいます。
それに比べりゃ、なんつーか、たとえば小さな子供の思い付きには勝てないような気がします。

これがもしゲーム企画の勝負であれば、アイデアをどうゲームとして形作るかという作業がものを言うので、ゲームっ子有利になるんですけど。
アイデア勝負となると、ゲーム素人のフリースタイルな発想にゃ勝てない気がするなぁ。

審査員も、宮本さんはともかくとして、アメリカザリガニ、眞鍋かをり、宇恵さやか・・・(敬称略)。  
何がウケるか、皆目見当がつきません。

とりあえず、自分が応募するしないはともかくとして、どんなアイデアが大賞を取るのかは、非常に興味深いですね。
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by kude104 | 2005-06-09 22:32 | ゲーム
asahi.com:WEB投票『次世代ゲーム機に何を期待する?』

次世代ゲーム機に何を期待するかと問われ、半数が『もうゲーム機で遊ばなくなった』と回答している状況は、やっぱりちょっとショッキング。
いやまあ、回答者の属性が分からないから、これだけじゃ何も言えないんだけどさ。

かく言うぼく自身も、『もうゲーム機で遊ばなくなった』と答えるうちの1人なんですけどね。
ゲームというメディアは好きだけど、とんと遊ばなくなったなぁ。

今回のE3のニュースを見ていても、ぼく個人としては、ゲーム機の単純なスペック向上にはもうまるで魅力を感じなくなっています。
演算処理能力が何倍になったとか、グラフィック性能が何倍になったとか言われても、わかんねーもん。

そりゃまあ、性能は高ければ高いほどいいわけですが、それがハードの決定的な魅力となる段階は、もう超えてしまったのではないか。
ネットの声を聞いていても、そんな感じがします。

じゃあ、そんなぼくが『これからのゲーム機』に期待するものは何かと言うと、ずばり、ゲームソフトの値段を安くすることです。
新作1本2,980円くらいが理想的。

しょーじきね、超大作RPGとか遊ぶの、もうしんどいんですよね。
クリアまでの平均プレイ時間が60時間とかって、正気の沙汰とは思えない。
せいぜい5~10時間が妥当なラインじゃないかと思うのです。

言うなれば、いまは「クリアまでのプレイ時間は長く、でも1度クリアしたら終わり」というゲーム設計になっています。
それを、「クリアまでのプレイ時間は短く、でも何度でも遊ぶ」という方向にシフトして欲しいわけ。

ただ、現在のゲームソフト1本6800円といった設定で考えると、お値打ち感のあるゲームボリュームとしては、『超大作RPG』という方向にならざるを得ない部分がある。
だったら、『短編RPG』でもじゅうぶんお値打ち感が発生する程度まで、基本価格を下げましょうと。

ゲームソフトがコンパクトで安くなると、ゲームユーザひとりあたりの購入タイトルは増える。
それによって、多様なゲームが売れる状況になる。
そうなれば、現在の『マンネリ』と言われているような状況も、改善するのではないかと。

問題は、どうやってゲームソフトの価格を下げるかです。
日々ますますゲーム開発費の高騰が叫ばれているこの時代に。

このへんのことは門外漢なので、まるで的外れな意見かもしれませんが。
ひとつには販売形態を変える手があるのではないかと思います。
手っ取り早く言や、パッケージ販売を止めてダウンロード販売にする、みたいなこと。
それでかなりのコストダウンが図れると思うんですが、どうでしょうね。

ゲーム機がネットに繋がると話は早いですが、個人個人の環境によっては難しい面もあるでしょうから、ゲーム屋さんにダウンロード販売用の機械を設置するとかね。
懐かしのディスクライターやロッピーみたいな感じに。

DVD-ROMとかそういう『パッケージ』としての販売って概念自体をなくして、データの直販売って形にすることで、中古ゲームの問題が解決します。
だって、中古屋に売る『物』がないんですから。

昨今のゲームに大作が多いもうひとつの理由が、クリアまでの時間を長くすることで中古屋に出回る時期をできるだけ遅らせ、それによって利益を確保しようというメーカーの思惑が絡んでいる。

それがダウンロード販売となると、中古市場に出回ることによる損失はなくなるし、品切れといった問題も解決するし、旬の時期が過ぎて店頭から消えるといったこともない。
ロングランが期待できる。
それによって、価格低下分をカバー出来れば・・・そう悪くない考えだと思うんですけどねぇ。

もちろん、違法コピーの問題が出て来るだろうから、それはそれで難しい話ですが。
でも、ゲーム機ってPCよりもハードウェア的(あるいはソフトウェアの規格的)に、そのへんの対策はどーにかできそうな気もするのですが。

映画のDVDくらいの気軽さでゲームが買えるといいなぁと思うのです。
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by kude104 | 2005-05-24 23:34 | ゲーム
このところゲームの祭典E3のニュースでゲーム界は盛り上がっております。
ぼくもまぁそれなりの興味を持ってウォッチしているわけですが、めっきりゲームをやらなくなったせいもあって、流し読み程度の関心度合いです。

そんな中、唯一「おおっ」と反応したのは、任天堂の次世代機(レボリューション)では過去20年間の任天堂ゲームがすべて遊べるという話でした。
次世代機に反応するポイントとして、それでいいのか俺。
・・・まぁ、根っからのファミっ子ですから。

他でも皆さん言及されていますが、任天堂の目論見としては、携帯電話のゲーム市場に対抗しようという一手でしょうね。
レボリューション経由でゲームボーイミクロに落として遊ぶんでしょう。

音楽コンテンツは、携帯電話 vs iPod。
携帯ゲームコンテンツは、携帯電話 vs ゲームボーイミクロ。
という図式になるのかな。

携帯電話のコンテンツメーカーにとっては、ちょっと気になる動きかもしれませんが。
レボリューション抜きで、直にミクロに落とせたらスゲェ!って思うんだけどなー。

一方、レボリューションで、つまり普通に家庭用ゲーム機のゲームとしてファミコンゲームを遊ぶのってどうなんだろう?
ぼくのようなファミっ子世代にはそれもそれなりに楽しいでしょうけど、世代じゃないユーザに魅力的かと考えると、ちょっと疑問。

しょーじき、ファミコンゲームって、いまのゲームクオリティから考えれば信じられないくらい、ひどいものはひどいからね。
いまのゲームしか知らないユーザが、いきなりそんな地雷のようなゲームに遭遇したらと考えると・・・ちょっとワクワクする。

まぁ、それはともかく。
こういった過去のゲームはダウンロード販売するらしいですが、この販売網を過去のゲームだけじゃなく、新作ゲームにも解放すればけっこう面白いことになりそうな気がします。
数百円規模のミニゲームって、なにも過去のゲームの専売特許じゃないですから。
いまの感性で、そういうゲームがもっともっと作られていいと思う。

今のところ、そういったミニゲームの受け皿が携帯電話しかないですから。
そこを任天堂ががっさり攫っていくってのも、悪くないんじゃないかな。
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by kude104 | 2005-05-21 22:17 | ゲーム
ゲームと監禁事件についての前回の続き。

アダルトゲームがある種ガス抜きの役目を果たし、むしろ性犯罪の抑止に寄与しているという主張があります。
でもぼくは、これについてもあまり共感しません。
もちろん否定はしませんが、ゲームを弁護するための主張としては弱いと思うのです。

犯罪を促進する効果と抑止する効果、とりあえずこれらふたつの側面があるとすると、両者はかなりの部分で表裏一体に思えます。

犯罪を抑止するほどの力があるのなら、その力が逆に働けば促進もするでしょう。
つまり、アダルトゲームが持つ力がプラスに働けば抑止効果、マイナスに働けば促進効果、と考えるのが自然です。

この場合、ゲームを弁護するためには、「アダルトゲームが持つ力はプラスに働くことが多い」という主張でなければなりません。
いくら抑止力があると主張しても、それ以上に促進力が強いかも知れないじゃないかという反論の余地があっては、マイナスイメージは拭えない。

しかしながら、「プラスに働くことが多い」と世間を納得させるだけの論なり説なりデータなりを、残念ながらぼくはまだ見たことがありません。
もちろん、「マイナスに働くことが多い」とするデータも見たことがないわけで、本来であれば“引き分け”なんですが・・・現状がこうである以上、引き分けは負けと同じでしょう。

個人的には、アダルトゲームで発散できる程度の犯罪衝動であれば、アダルトゲームがなくても発散できるのではないかと思う。
それこそ、ゲームを弁護するときに、「アダルトゲームがなくても、犯罪を犯すやつは犯す」と言うのと同じで。
ですから、これを大義名分に掲げても、あまり効果はないように思えます。

本当に個人的な印象・思い込みで話をすれば、ぼくはやっぱりなんだかんだ言っても、抑止効果よりも促進効果の影響のほうが大きいと考えています。

単純に、一人のごく普通の人間に対する抑止効果と促進効果のバランスという意味で言えば、どちらもほとんど影響がないか、若干抑止効果が勝るかもしれません。
しかし、世の中にはそれこそいろんな人間がいます。
中には、圧倒的に促進効果が勝る人間もいるでしょう。

そういう特異なケースは、それこそ1000万人に1人あるかないかという、ごく小さな割合でしょう。
普通なら無視していいものです。
これを無視すれば、ゲームは無害ですという主張も普通に受け入れられる気がします。

でも、社会で問題となるのは、まさにこの特異ケースに対してどうか?という点ではないでしょうか。

仮に、映画や小説が1億人に1人の割合でこういった特異ケースにジャストフィットするとして、ゲームが1000万人に1人だとすると、ゲームは一桁「危険度が高い」と言えはしないだろうか。

まともな人間がゲームを遊んで異常になるとは、おそらく誰も思っていない(と信じたい)。
でも、異常な人間に有害なゲームを与えると恐ろしいことになるのではないか──という不安を感じているひとは多いのではないか。
そういった不安は、他メディアに比べてゲームがずば抜けて高い。

それはまぁ、ゲームが産業的にも文化的にも地位が低いからということもあるだろうし、実際にゲームが受け手に与える影響力がずば抜けて強いということもあるかも知れない。

そのあたりを考えると、「ゲームがガス抜きになっている」とか「彼はもともと異常だったのだ」とか、そんな主張をいくら並べても無駄だろうなぁと思えるのです。
それで不安は取り除かれないでしょう。

・・・とまぁ、そんなこんなで。
まだ語り足りない気もしますが、あまりこの話題ばかりでもつまらないので、とりあえず終り。
続きは気が向いたときにでも。
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by kude104 | 2005-05-16 21:31 | ゲーム
アダルトゲーム1千点押収 「調教もの」動機か(Yahoo!ニュース:共同通信)

容疑者の自宅から、案の定、「調教もの」と呼ばれるものを含む多数のアダルトゲームが押収された件について。

ワイドショーとか見ていないので知らないですけど、世間ではおそらく「ゲームが原因で」といった論調で報道されているのではないかと想像します。
それに対してネットでは、ゲーム愛好家たちが反発の声を発しているわけですが・・・。

その声の多くに、ぼくとしてはあまり共感できないんですよね。
ぼくだってゲームを愛する者のひとりではありますが。

たとえば、「じゃあ、推理小説好きは殺人嗜好があるのかよ?」といった反論。
この反論はざっと見ただけでもいくつかのブログで目にしましたが、ゲームを弁護するのに、推理小説を持ち出してもあまり意味がないと思うんですよね。

推理小説好きは、『推理』を楽しんでいるのであって『殺人』を楽しんでいるわけじゃないからね。
それに対して『調教ゲーム』は、『調教』を楽しんでいるわけですよね?
これがたとえば、脱衣麻雀のご褒美に調教シーンが表示されるとか言うのであれば、「いや、調教はオマケで、あくまでゲームを楽しんでいるんですよ」という反論もまだ説得力がありますけど。

そもそも、映画や小説に対するゲームの優位性を語る際に、「ゲームはプレイヤーが操作することで、没入感や感情移入度が高まる」なんてことをゲーム側の人間は言う。
事実、小説に起こせばさほどでもないストーリーにも、ゲームとして体験することで感動させられることもしばしばです。

そのくせ、ゲームの悪影響がとりだたされたときには、「いや、ゲームも映画や小説と同じです。小説が悪影響を与えますか?」などと主張するのは、少々ずるい。
ゲームが他メディアよりも強い力を持つのであれば、それは誇るべきことであり、と同時に、ゲーム側の人間はその力に対して自覚的でなければならないと思う。

実験すればたぶん明らかになると思うんだけど、おそらく『調教小説』よりも『調教ゲーム』のほうが受け手に与える刺激は強いだろうと思う。
だったら、それはそれでいいじゃない。
ゲーム好きなら、ゲームがそれほどの影響力を持つこと、そのことは胸張って認めていいじゃないか──って思うんですよね。
(もし実験して、そんなことはないよという結果が出れば、それはそれでちょっとガッカリ)

「ゲームは無害です」って主張じゃ、世間にはたぶん届かない。
それは「有害です」って主張がぼくらに届かないのと同じで、単なる裏返しでしかない。
だからもっとこう、ゲームを清濁混沌としたものとして、その中の「清」をアピールするのがゲーム側の人間のやるべきことだと思うのです。
それには、ゲームの「濁」の面を、ゲーム側の人間がきちんと自覚して位置付けて行かないと。
「ゲームはなにも悪くないもん!」っていうのでは、ちょっと愛が先走りすぎ。


・・・とまぁ、ここからが本番!となるつもりが、この段階ですでに結構な分量になってしまいましたので、残りは次回、折を見てってことで。
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by kude104 | 2005-05-13 21:07 | ゲーム