世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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カテゴリ:ゲーム( 48 )

宮本茂氏、Wiiのゲームに搭載する“ヘルプ機能”の存在を認める - Game*Spark
プレイヤーがゲーム中で行き詰まりステージの先に進めなくなった際に、(コンピューター)が自動でそのステージをクリアしてくれる
さすがは任天堂。
難易度調整とかイージーモードとかじゃなくて、「いっそ、コンピュータにクリアさせればよくね?」という発想は、まさにコロンブスの卵的発想。

たとえば、ジグソーパズル。
ジグソーパズルは組み立てる過程が楽しいのだから、たとえ誰かが手伝ってくれるとしても、自分でやりたいですよね。

とはいえ、「どうしても、ここのピースが見つからない」というときもあります。
何時間も何日も、そのピースを探さなければならないとしたら、それはさすがにうんざりし、疲れもします。
そんなとき、「これ」と教えてもらうのは、ぜんぜん嫌じゃない。
むしろ、ありがたい。

そうして完成させたジグソーパズル。
なんならばらして、もう一度はじめから遊んでもいい。
そのときは、教えてもらったピースも、今度は自力で探し当てることができるかもしれません。

一方、組み立てることに興味のない人もいるでしょう。
完成した「絵」をインテリアとして飾りたい、といった人もいて、初めから完成された状態で売られているケースもありますよね。
だったら絵を買えばいい------ではなく、そこはやはりジグソーパズルならではの味があるんでしょう。
楽しみ方は人それぞれ、といったところです。

テレビゲームも、それと同じですよね。

「いっそもう最初から最後までムービーで見せてくれよ」という類のゲームなんかは、コンピュータにプレイしてもらってストーリーだけ鑑賞したい。
でも、プレイすることが楽しいゲームなら、自分でプレイしたい。
一度クリアするとつまらなくなる類のゲームは、コンピュータにクリアしてもらうのは味気ない気もするけど、何度も繰り返して遊べる類のゲームは、コンピュータに手伝ってもらってもいいかも。

この機能があれば、開発者は難易度調整の苦労から大いに解放されるでしょう。
いままでは初心者から上級者までを楽しませる絶妙の難易度が求められていたけれど、これからは、上級者向けに調整して、初心者はコンピュータに助けてもらってね、で良くなる。
上級者にとっては、この機能の導入で、むしろ遊び応えが増すかもしれません。

また、ゲームに行き詰る時間が短くなるということは、ゲームの消費時間が早くなるということです。
たとえば、今まで年2本だった人が年3本ゲームを遊ぶようになるとしたら、ゲームの売り上げがアップしますよね。
作り手側としては、当然、そのあたりのことも期待しているでしょう。

他にも、「ながらゲーム」という楽しみ方も現れてくるかもしない。
テレビを見ながら、とか、本を読みながら、とか。
そうして、おいしいところだけを遊ぶゲームスタイル。
これなんかも、ゲームで遊ぶ時間が増すということで、売上アップに繋がるかもしれません。
もう「積みゲー」に悩まされる必要はなくなるかも。

といった感じで、開発者、初心者、上級者、どれもに恩恵がありそうなこの機能。
さすがは任天堂。
成功失敗いずれになるにしても、今後のゲームの在りようはこうですよといち早く示して見せる姿には感心する。
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by kude104 | 2009-06-18 23:39 | ゲーム

24時間テレビ

今年の24時間テレビの内容。

・誓いのタスキをつなごう!津軽海峡縦断リレー(15歳の盲目のスイマーが泳ぐらしい)
・24時間テレビ ドラマスペシャル「みゅうの足(あんよ)パパにあげる」
・櫻井翔ZEROリポート 難病と闘う少年と巨人上原投手 約束のキャッチボール
・「野生のイルカと泳ぎたい!」相葉雅紀と障害のある紘作君 夏の大冒険
・両腕がなくても泳げるんだ! 四肢欠損の水泳少年「誓いの100mチャレンジ」
・世界のダンス甲子園~天才障害者ダンサーと嵐 奇跡のコラボ
・「ごくせん」 課外授業 ヤンクミと障害のある子供たちの誓い
・ハイテク義手の小さな音楽家  浅田真央と奇跡の共演!
・仲間由紀恵と絆の誓い 世界で唯一の病と闘う双子姉妹
・松本潤カンボジアに行く HIV母子感染の子供たちと明日への誓い
・SPEED再結成ライブ(ボーカルの人のお子さんが聴力障害らしい)

いやはや、なんかすごいな、これ。
できれば、この情熱でパラリンピックのテレビ放送も頑張ってほしい。
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by kude104 | 2008-08-28 23:36 | ゲーム
せめて、彼らのゲームの思い出がいつまでも色褪せませんように。 - シロクマの屑籠(汎適所属)

まさに。
ぼくもゲームに飽いた者の一人ですが、その最たる理由は、「ゲームで遊ぶのがしんどくなったから」ですもん。

「昔のゲームは面白かった」という物言いは、正確には、「俺にとって、昔のゲーム体験は面白かった」ということになるでしょうか。
つまり、「昔のゲームと今のゲームを、昔の自分が遊んだらどっちを面白く感じるか」ではなくて、「同じゲームを昔の自分と今の自分が遊んだら、どっちの自分のほうが楽しめるか」という話なのでしょう。

かつては最高に面白かったゲーム体験が、成長するとともに色褪せていくのはなぜか――

1.飽きる。

基本的に、人間とは飽きる生き物なので、仮に、ゲームの面白さの絶対値がずっと同じレベルであったとしても、飽きが入る分、ぼくの中での娯楽としてのゲームの相対的な面白さは低下します。

2.他の新しい娯楽が登場する。

たとえば、ネットやケータイとか。
ぼくでいえば、ネットが登場しなければ、今もゲームを遊んでいたかも知れません。

3.趣味や嗜好の変化。

ゲーム以外にも面白いことが増える。
たとえば、異性とのデートやおしゃれなどは子供の頃にはまるで関心がないけど、大人になると興味を持つことのひとつでしょう。
新たに興味対象が増えると、そのぶん、古い興味対象への関心が薄れてしまう。

4.友人との会話のネタがゲームから別のものになる。

子供同士の会話で、仕事の愚痴とか誰々が結婚したらしいとか昔の思い出話とかで盛り上がってたら、いやだろう。
政治の話とか経済の話とか、そういうのも大人になると面白くなってくるんだよね。

5.時間と気力が少なくなる。

大人になると、自由時間が圧倒的に目減りする。
やることなくて時間が有り余っていた子供の時のようには遊べなくなる。

――と、そんなところでしょうか。
基本的には、娯楽に費やすことができるエネルギーの総量は減るのに、娯楽の数は増えるという傾向があって。
それで、娯楽の取捨選択が行われる結果、ゲームが次第に切り捨てられていく・・・と。

でも、そこで切り捨てられるのが、なぜゲームなのか。
たとえばぼくなら、読書なんかは昔も今もずっと面白いです。
世間的にも、「昔の小説は面白かった」とか、あんまり聞きませんよね。
小説なんて、娯楽としての発展は多分もう止まっちゃってると思いますけど、でも、ぼくはまだまだ読書という娯楽に飽きる気配はありません。

「なぜゲームなのか」という理由を考えると、やはり、5.の影響を一番受けるのがゲームだからということになるでしょうね。
ゲームって、「楽しい」と感じるまでの手間暇が多いんですよ。

たとえば本なら、ページ開いて読めば終わりです。
これがゲームなら、ゲーム機引っ張り出してきて、ゲームソフトセットして、テレビつけて、ゲーム機起動して、タイトル画面が起動するのを待って、メニュー選んで・・・みたいな。
実にめんどい。
本一冊読み終わるのとゲーム一本遊び終わるのとでも本のほうが早いだろうし、本のほうが安いし、本のほうが手軽に持ち運べるし、ぱっと読んでさっと止められるし。

もちろん、ゲームはゲーム、本は本、それぞれの楽しさがあるわけですが、「どの娯楽を削るか」という一点で比較する場合、ゲームの手間暇の多さは不利だと思う。
得られる娯楽満足度を費やしたエネルギーの量で割った数値がもし計算できたら、多くの大人にとってのゲームの値は、他の娯楽と比べてそんなに高くないんじゃないかな。

「昔のゲームは面白かった」という物言いがそのままの意味で理解できるとしたら、一点、昔のゲームは「楽しい」と感じるまでの手間暇が少なかったから、というのはあるんじゃないだろうか。
カセット差して電源入れればすぐタイトル、スタートボタンですぐゲームが始まって、キャラクターを動かすとすぐそのゲームの醍醐味が味わえる。

携帯ゲームやカジュアルゲームが人気なのも、やはり手軽さゆえだと思うわけで。
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by kude104 | 2008-03-30 23:59 | ゲーム
「マリオ時代」の黄昏 (デジタルエンタメ天気予報):NBonline(日経ビジネス オンライン)

DSが爆発的に売れたのは、脳トレなどの「いいソフト」があったからではないかと思う。
この人の言わんとしているのは、おそらく、旧来の「ゲームらしいゲーム」が売れなくなったということだろうと思うのだけど。
ぼくはプレイしていないので想像ですが、ヒットした「ゲームらしくないゲーム」も、おそらく、楽しくプレイさせるためのゲーム的なノウハウがきちんと作り込まれているのではないかと思います。

マリオやゼルダが本当に売れていないのかどうかぼくは知りませんが、それほど売れていないのだとすれば、それはおそらく嗜好の細分化によるものでしょう。
ゲームに限らずどの分野においても、技術の進歩が一段落付くと嗜好の細分化が起こり、爆発的大ヒットは生まれにくくなります。
たとえば車の世界でも、今の時代に国民的大衆車など現れないのと同じように。
ですから、「マリオ」や「ゼルダ」の神通力も失われたという意味では、その通りかと思います。

大ヒットするゲームの条件は、会社や学校で話題になるかどうかではないかと思います。
そのゲームが、友達や同僚との話題のネタになっているシーンをイメージできるかどうか。
かつて爆発的にヒットしたゲームを思い浮かべれば、まさにその時代の話題の中心にあったように思い出されます。

嗜好が細分化された現代で、会社や学校での話題の中心になるのはかなり難しいので、代わりにネットを使って・・・という道がこれから模索されるだろうと思います。
Wiiなんかは、このへん着々と進めているような気がしますね。
いずれ将来的には、「Wiiでゲームのプレイ動画を世界中のみんなと共有」みたいなところへ行くんじゃないかな。
ニコニコ動画的なものをゲーム機のオフィシャルサービスとして運営するようになるのではないかと予想します。
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by kude104 | 2007-12-28 23:09 | ゲーム
ゲームらしいゲームよどこへいく - [ゲーム業界ニュース]All About

従来型のゲームらしいゲームが衰え、代わりにツール系のいわゆる実用ゲームが台頭してきた――ように見えるのには、いろいろな理由があると思う。

従来型ゲームの衰えた理由として、まず、マンネリでしょう。
ゲームというものが十分成熟して、もうちょっとやそっとじゃ「新しいゲーム」が生まれえなくなってしまったということ。

次に、たぶんゲームユーザの中心層というものが、基本的にファミコン世代がそのまま歳とって推移してきたのではないかと思う。
もしそうなら、中学高校大学と進むに従ってゲーム以外の時間が増え、最終的に社会人になってしまったら、結婚して家庭を持ったら、それこそ「ゲームしている暇がない」ということで、ゲーム人口はどんどん減少していくでしょう。

そこで任天堂が採った戦略というのは、まず携帯ゲームへの注力。
家じゃないと遊べないゲーム機と、通勤通学の合間にも遊べるゲーム機と、どちらのゲーム時間が多くなるかは考えるまでもない。
これにより、ゲームで遊ぶ時間のないユーザに戻ってきてもらおうという戦略です。

そして、インターフェイスの大転換。
タッチペンやWiiリモコンなどの新しいインターフェイスで遊ぶゲームを作ることによって、「新しいゲーム」を生み出そうというわけですね。
これによってマンネルを打破し、ゲームに飽きていたユーザに戻ってきてもらうとともに、新しいユーザにも来てもらおうという戦略です。

実用ゲームのリリースも、新しいユーザを呼び込むための戦略のひとつと考えられます。
それが大ヒットした理由は、ひとつには新鮮だったこと。
ふたつには、書籍もそうだと思うけど、消費者が広く一般層になると、エンタメ系より実用系のほうが売れるんですよね。
人は、単純なエンタメより、なにかしら役に立つこと、自分への投資に対してお金を使いたがるものですから。

ただ、だからといって、従来型ゲームは売れない、実用ゲームは売れるということでは、もちろんないでしょう。
従来型ゲームでも、上記のようなユーザ層の変化というかユーザニーズの変化をきちんと踏まえて作られたゲームは売れる。
実用ゲームでも、安易に実用ソフトをそのままゲーム機に持ってきたのでは売れない。
いま、実用ゲームが売れているというけれど、バブル的側面も多分にあって、実用ゲームだろうと本質的には楽しくなければ売れないんだろうと思う。

ですから、ゲームらしいゲームが衰え、実用ゲームが売れているように見えるのは、ゲーム的な要素が不要になったのではなく、むしろ原点回帰の表れではないかと思うのです。
操作するのが楽しいとか、シンプルなゲーム性とか、そういったゲームらしいゲームの面白さに、ごちゃごちゃと過剰なボリュームをデコレーションしちゃってる「従来型ゲーム」が敬遠されているだけと見るべきではないでしょうか。
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by kude104 | 2007-08-23 22:47 | ゲーム
不倒城: 魔王のマネジネント能力について。

RPGで「なぜ魔王は世界を征服できないのか?」という思考遊びが盛り上がっているので、便乗。
ぼくとしては、「そもそも魔王に世界を征服する気はない」説を主張したい。

たとえば現代において、森を切り拓き、獲物を狩り、己の活動圏を貪欲に広げる我々人間は、動物たちから見れば「世界を征服しようとしている」ふうに映るのではないか。
あるいは現状で既に、我々人間自身、世界を征服し終わった気でいるのかも知れない。

つまり、なにを持って世界征服完了とするかという問題になってしまうわけだけど、少なくとも、人間をすべて根絶やしあるいは奴隷化することが魔王の目的かというと、どうだろう。
人間は今動物たちと共存しているつもりでいるけど、動物たちからしてみれば征服されていると見るかもしれない。

RPGにおけるモンスターと人間の関係も、同じなのではないか。

まぜ魔王は勇者旅立ちの地には弱いモンスターしか配備しないのかという問題も、なぜ人間は動物たちとの境界付近に強力な軍隊を配備しないのかと考えれば納得がいく。
そりゃ、人食い虎が出たとなれば軍隊を派遣して退治することもあるけど、基本的に、人間は動物と共存しているつもりでいるからね。
軍隊を配備するというのは、魔王にとっての人間が、人間にとっての動物が、敵対関係かつある程度以上の脅威になって初めて行われることです。

魔王の城近くに強力なモンスターが集まり、人間社会との境界付近に近づくに従って弱いモンスターばかりになる理由は、たぶんモンスター社会の弱肉強食のせいじゃないかと思います。
モンスターたちだって何かしらの経済活動を行っているわけで――それは単純に獲物の取り合いということでもいいですけど――そうすると、魔王の城近くはハイリスク・ハイリターンな経済圏ゆえに力の有るモンスターが集まり、人間社会との境界付近は、モンスターにとってローリスク・ローリターンであるがゆえに弱いモンスターが集まるということじゃないかと思います。

「そうは言うけど、ゲームの中の魔王は世界征服する気満々じゃん」と思うかもしれない。
でも、そもそも、魔王が世界を征服しようとしているという情報は、誰が語るものですか?という疑問がありますでしょう。
魔王自身が語っているケースも多いかと思いますが、根源的な疑問として、人間とモンスターとで言葉通じるんでしょうかね。
魔王がモンスター語で「ガオガオ」言っているのを聴いて、人間が勝手に「俺は魔王だ。人間どもは皆殺しだー(意訳)」と受け取っているだけかもしれないですよ。

さらにいえば、RPGが「ドキュメンタリー」ではなく「物語」だとするなら、皆さんご存じのとおり、物語というのは勝者の都合で書かれるものです。
たとえば日本でも昔々の蝦夷討伐の物語は、悪い魔物を勇者が討ち払う物語だったんじゃないですかね。
もし動物たちの中から勇者が現われ人間を打ち滅ぼしたとしたら、その物語は「魔物退治」の物語になるでしょう。

といった感じで、「魔王の目的は世界を征服すること」という前提を取り除いて見れば、RPGの中の世界も、わりと普通の生態系のお話で説明がつくんじゃないかという気がします。
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by kude104 | 2007-07-21 16:10 | ゲーム

まるで実写のようでした

昨日は友人と久々に大阪は日本橋の電気屋街をぷらぷらと歩きました。
年に数回行く程度なので、行くたびに「うわー、変わったなぁ」と驚くことしきりですが、前回訪れたときはシャッターの下りた店が目立ち「寂れたなぁ」という印象だったのですが、今回はそのときと比べれば、わりと活気が戻っているのではないかという印象を受けました。

PCパーツ屋が減ってフィギュア店やらメイドカフェやらが増えている状況は相変わらずでしたが、それに負けず劣らず、普通の食べ物屋がけっこう増えているらしき状況は意外でした。
数年後には、「食い倒れの街でんでんタウン」になっているんじゃねーの?って思っちゃうくらい。

それはさておき。
今回一番驚いたというか感動したのは、店頭で見たプレステ3用のレーシングゲーム「グランツーリスモHD」のデモムービーでした。
これには本当に、びっくりした。
だって、最初、本気で実写映像だと思ったもん。
ゲームのプレイ画面があのムービーのクオリティで動くのかどうかは分からないけど、もしそうだとすると、ただただ素直にすごいなぁと思います。

「いくら高性能な方がいいと言っても、もうプレステ2レベルで十分やん」と思っていたのですが、あれ見てちょっと考え変わった。
「すごいすごいと言っても、実際のゲーム画面なんて、プレステ2と大して変わらんだろ」と高をくくっていたぼくの認識は間違ってた。
やっぱ、言うだけあってすごいや。

なんというか、テクノロジーの進歩に単純に「すげぇ!」と感動することって最近久しく味わっていなかったものですから、かなり嬉しい体験でした。

ただまぁ、高性能だからゲームが面白くなるかどうかはまた別問題です。
ゲームとして面白い面白くない、買う買わないで言えば、ぼくにはやっぱりWiiのほうが魅力的に映ります。
現に、その後立ち寄った梅田のヨドバシでは、「PS3、大量在庫あります」に対して「Wii売り切れ。予約にも応じられません」の貼り紙が切なかったです。
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by kude104 | 2007-01-19 23:11 | ゲーム
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <米ディズニーランド>子供肥満対策乗り出す ポテト止める

日本人の感覚からすれば、ディズニーランドでの食事なんていうのは年に数回あるかないかという特別な食事なので、そこを“健康食”にするのは違うんじゃないの?という印象を受ける。
普段の食事のほうを健康食にして、たまのディズニーランドくらいはパーっと行きましょう、ってのが正しい感覚じゃないでしょうか。

アメリカでは成人の60%が肥満だなんて言いますが、その理由をぼくが勝手に思いつきで考えるなら、まずひとつには、たぶん自炊しないんじゃないですかね。
こちとら「映画で見るアメリカ」な知識しかありませんので、両親共働きで食事はピザをチンして食べる、みたいなイメージが強い。
あと、やたらと間食しているイメージが強い。
あいつら、テレビを見るときは必ずスナック食ってやがるぜ。

そういえば、日本ではおやつは3時と決まっていて、それ以外の時間にはあまり食べませんが、この習慣はどこから来ているのだろうか。
英国の午後のティータイムとかから来ているのかな。
だとすれば、アメリカでももっと定着していても良さそうだけど。

あるいは、日本が豊かになったのなんて本当にここ最近のことであり、要するに、おやつにも金がかかるから1日1回厳守というルールが強く定着したのだろうか。

とりあえず、もうひとつ理由を挙げるなら、アメリカにはお茶がないんじゃないのかな。
麦茶、あるいはウーロン茶。冬なら録茶とか。
つまり、日本人がお茶を飲む感覚でコーラなんぞを飲んでいたら、そりゃ太るよって思う。

でも、お茶の習慣がない国がみんな肥満で困っているかというと、そんなことはないな。
やはり、根源的には、安いジャンクフードが大量に溢れている豊かさに要因があるのだろうね。

以前にどこかで耳にした話では、アメリカ人に肥満が多いのは、日本人だと死んじゃうところを奴らは丈夫なので死なないからだという。
なるほど一理ある。
「肥満が社会問題」という裏っかわには、そこまで肥満になれるすごさみたいなものがあるよね。
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by kude104 | 2006-10-19 23:59 | ゲーム
ITmedia News:美少女ゲームは「ゲーム」なのか

ニンテンドーDSの「お料理ナビ」ですら“ゲーム”として捉える向きがある昨今、美少女ゲームなんて実にゲームらしいゲームであると言えるかもしれない。

「ゲームにまつわるコミュニティー空間まで含めてゲーム性」などと、無理にゲーム性を探すことが、もはやこれら“新しいゲーム”の捉え方としてずれているのではないかという気がします。
だってそれなら、漫画「デスノート」もゲームになりませんか?

ゲームと呼ばれるかどうかは、単に、ゲームの流通経路でユーザの手元に届くか否かでしかないのではないかと思う。
たとえば、読むだけのノベルゲームを、ゲームとしてリリースすればゲームになるし、デジタルノベルやFlashアニメとしてリリースすればゲームじゃなくなる。
つまり、“新しいゲーム”におけるゲームという呼び名は、メディアの分類名くらいの意味合いで考えればいいのではないかと思います。
このへんはなんか、SFの定義に通じるものがあるような気がしますが詳しくないので分かりません。

一方、ユーザが美少女ゲームに求める面白さは、主にストーリーの面白さやキャラクター性の面白さだと思うのですが、それはなにも「ゲームじゃなきゃ得られない面白さ」ってわけでもないでしょう。
漫画やアニメなどでも代用可能だと思います。

ちなみに、美少女ゲームって遊んだことがないので、実はよく知りません。
参照エントリーが美少女ゲームをテーマにしているので「美少女ゲーム」と言ってますが、ぼくの中では「ノベルゲーム」くらいのイメージで書いています。
「ゲームらしいゲームとは何か」と考えるときに、「ゲームじゃなきゃ味わえない面白さが味わえるゲームは、ゲームらしいゲームである」という答えは、そう違和感ないかと思います。
一般的なニュアンスとしては、ゲーム性とはこの「ゲームじゃなきゃ味わえない面白さ」(あるいは、その面白さを発生させるメカニズム)のことを指しているように感じます。

なので、美少女ゲームはゲーム性が低いと言っていいと思いますし、ゲーム性が極端に低いものは、ゲームじゃないというか「ゲームという表現手法である必然性が乏しい」ということになろうかと思います。
「美少女ゲームはゲームじゃない」という声は、この「ゲームらしさ度」の話と捉えれば分かりやすいのではないでしょうか。

そう考えれば、美少女ゲームはゲーム性を追求する必要が無い(ユーザが求める面白さがそこに無い)ので、「ただ読むだけのゲーム」への進化も当然の流れとして理解できます。
で、ストーリー重視のRPGなどでゲーム性が薄れて行くのも、同じように理解できます。
「コミュニティー空間まで含めてゲーム性」とか考えなくても。

で、その一方で、「ゲームらしいゲーム」の面白さを追求する方向が、いま、ニンテンドーDSで盛んになってきているように感じます。
「お料理ナビ」とかゲームらしくないゲームもたくさんありますけど、「ニンテンドーDSじゃなきゃ味わえない面白さ」をもったゲームはそれ以上にあるのではないでしょうか。

ここでも二極化じゃないですけど、そういう二つの流れが見えて面白いですね。
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by kude104 | 2006-09-02 23:59 | ゲーム

Wii are the champion!

メディアブリーフィング 社長スピーチ抜粋(日本語訳) : E3 2006 : Nintendo
深夜にコンテンツ追加など、24時間眠らないハードWii / ファミ通.com

断言しよう、Wiiは売れる。
これはすごい。
直感だけど、なにかゲーム業界、あるいはゲームそのものが、がらりと変わる予感がするよ。
任天堂すげぇ。

おそらく、次世代機対決はWiiの圧勝でしょう。
PS3とWiiは競合しないとか、PS3はゲーム機というより総合エンターテイメント機だから、勝ち負けを論じるのはおかしいといった見方もある。
でも、PSPとDSのときも同じようなことを言われていましたよね。
結果、DSの圧勝です。
ゲーム業界での勝ち負けでは文句なしに圧勝ですし、セールス的にもたぶん圧勝でしょう。
同じことが、PS3とWiiでも起きるに違いない。

特に、"Wii Connect 24" がすごい。
電源を切った状態でも24時間スタンバイ+インターネットに常時接続というものらしいけど、いやはや、すごいことを考える。
これまでは、あのリモコン型コントローラがWiiの核だと思っていたけど、"Wii Connect 24" を知った後では、あれは単なる煙幕だったのではとさえ思う。
Wiiの核はまちがいなくこっちですよね。

たぶん、いまDSでリリースされている「ゲームらしくないゲーム」よりも数段ゲームらしくないゲームが生まれるでしょう。
「さあ、ゲームを遊ぶぞ」というのではない、テレビを点けるように、音楽を聴くように遊ぶゲームが生まれるのではないだろうか。

もちろん、従来のゲームらしいゲームも、きっとすごく変わる。
単純に考えて、特に意識したり複雑な手間を要することなく、ネット対戦ができるようになるでしょう。
従来の一人遊びゲームから、対人プレイ・多人数プレイゲームへと転換するに違いない。
また、プレイヤーが作成したデータを配信したり共有したりといったことも、考えられる。

流通的にも、ゆくゆくはダウンロード販売にシフトするかもしれないし、そうでなくても、体験版をダウンロード配信するといった方向へは間違いなく動くでしょう。
これまでは大手パブリッシャーが圧倒的に有利だったものが、小さなところでも内容勝負で頑張れるようになるのではないか。

ITmedia +D Games:OperaのWii搭載を正式に発表

個人的には、この点にもすごく興奮する。
とりあえずFLASHが動くんなら、無料のネットゲームが家庭用ゲーム機にどわっと押し寄せることになるわけで。

などなど、実際にどうなるかはまだ分かりませんけど、現時点ですごくわくわくしています。
きっと、ゲームが変わるね。
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by kude104 | 2006-05-10 22:59 | ゲーム