世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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カテゴリ:時事・社会( 203 )

痛いニュース(ノ∀`):“4日間で80時間労働の時期も”…「SHOP99」元店長、残業代不払いと長時間労働による鬱病で提訴

「名ばかり管理職」の話はクローズアップ現代だったかNHKスペシャルだったかで見て衝撃を受けました。
この清水さんはたしかその時出演されていたように記憶しているので、「ああ、あの時の」という感じ。

「7:45に出社、24時間勤務した翌日7:24に退社
1時間半後に出社、そしてまた24時間勤務
さらにその10分後に出社」
とかね、ほんとひどい。
死ぬって。
「よくぞ死なずに生き延びた」って感じ。

こうしたことは経営者側のモラルの欠如ではあるのだけど、そうしたモラルの欠如をもたらしている要因として、たぶん、日本の経済力が本当にどんどん悪くなっているんだろうな。
「貧すれば鈍する」だ。

東京新聞:反発と絶望 極論生む フリーター『戦争を希望』:社会(TOKYO Web)

こうした絶望感を抱えた人たちがある一定数に達して、何かの折に着火して爆発すると、暴動やら革命やらが起きるんだろうな。

そろそろ、日本はなにか手を打たないといけないんじゃないかという気がする。
なにか新しい産業を興して、また「目覚ましい成長期」を作り出さないとやばいんじゃないかという気がする。
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by kude104 | 2008-05-10 23:59 | 時事・社会

死刑と終身刑

死刑と終身刑についての追記 - モジモジ君の日記。みたいな。

「死刑に賛成する人には、その人自身が執行人になるということまで含めて賛成してもらいたい」というロジックで行くならば、「終身刑に賛成する人には、その人自身が終身看守することまで含めて賛成してもらいたい」ということになりはしまいか。

「終身刑」というとき、ぼくらは本当にその人間を一生刑務所に閉じ込めて、寿命をまっとうさせるまで生かし続ける覚悟を持っているのだろうか。
「放り込んで終わり」という思考停止になってはいないだろうか。

殺す覚悟というのは、言ってしまえば簡単だ。
大切な人を殺されてしまった場合、ぼく自身がその犯人の死刑執行人になることはできそうな気がする。
でも、ぼく自身がその犯人を看守し死ぬまで生かし続ける覚悟は、ぼくにはたぶん持てそうにない。
死刑賛成の声が強いのも、こうした当事者意識からだろうと思う。

たぶんぼくらは、刑を課すことの責任であったり後味の悪さというものを、社会を構成する一人一人としてそれぞれ背負っているのだと思う。
すごく薄まっているから、気付かないけど。
でも、死刑というものは濃いから、否応なく気付かされてしまう。
(それでも気付かない人もいるけど)
死刑を廃止したいという気持ちの何割かは、たぶん、この背負うものを少しでも軽くしたいという気持ちがあるんじゃないかな。
薄めて、気づかずに暮らしていたい・・・と。

ぼくも、できれば気付かずに暮らしていきたい一人だから、死刑なんてなくなればいいのにと思うけど、もしそうなったら、本当に何かいろいろ気付かずに暮らしていきそうな気もする。
さりとて、「気づくために死刑は必要」というほど、気づきたいわけでもない。
難しいなぁ。
まぁ、やっぱり、気づかずに暮らせるのが良いのだろうと思うけど。


そもそも犯罪が起こらなければ死刑もないということで、これが一番理想的なんだけど。
厳罰化の是非を巡る議論はそれとして、防犯強化についての議論ももっとあっていいと思うのだけど、実行性および実効性として、難しいのかなぁ。
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by kude104 | 2008-04-25 16:58 | 時事・社会

被害者の救済

本村洋さんにその質問をしないで、いったい何を聞くの? - (元)登校拒否系

本村さんご本人が答えていらっしゃるように、この判決で死刑のハードルが上がるとか下がるというのは、司法の慣例主義に則った見方であり、本村さんはまさにその慣例主義と戦ってこられたのだから。
「慣例主義を覆したことをどう思いますか?」という質問なら分かるけど、「新たな慣例を作ったことをどう思いますか?」と尋ねるのは、やっぱり筋が違うように感じるのだな。
これが慣例となるかどうかは司法の問題だから、司法に聞けよと。

本村さんは戦っている人だから、これくらいの質問は大丈夫だろうというのは、まさに見事に大丈夫だったわけだけど、戦えるからといって戦いを挑んでもいいということではないだろう。
本来であれば戦わなくてもいいはずの人が戦っている姿というのは、どうしても切なさを覚えずにはいられない。

被害者の救済というものをどうしていけばいいのだろうと、思わずにはいられない。
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by kude104 | 2008-04-23 17:13 | 時事・社会

自由自由というけれど

誰か教えて (内田樹の研究室)

圧力をかけたほうでなく、圧力に屈したほうに憤る不思議。
「いじめられるほうにも問題がある」みたいな?

日教組の件はさておき、映画の件については、ぼくは映画館側のほうに同情的です。
そもそも、『靖国YASUKUNI』という映画を上映して儲けが出るとは思えない。
どんな映画か知らないですけど、客呼べる素材じゃないでしょう。
たぶん映画館側としては、配給元との付き合いとかなんとかで上映決めたんじゃないかな。
ただでさえ儲けにならん上に、いろいろ対応にコストがかかるとか面倒に巻き込まれるとかなった日にゃ、やってらんねぇでしょそんなもん。
映画館側の本音を言えばそういうことだと思うんですよね。
「金にならねーのにメンドくせぇことやりたくねぇ」と。

映画館はどだい営利目的ですから、「採算度外視で言論の自由を守れ」と強いるのは酷というものです。
もちろん、営利目的であっても法の範囲内で守るべきものは守らないといけないですけど、この場合、「何を上映するかしないか」を決めるのはそれこそ映画館の「権利」であるので、外野が強いるのはちょっと横暴だという気がします。
言論の自由を守る有志の方々が力とお金を持ち寄って、自分たちで『靖国YASUKUNI』を上映するのが一番いい解決方法じゃないでしょうか。

ちなみに、右翼の方々も言論の自由の範囲内で活動していらっしゃるが故に、法的に手が出せないんでしょうね多分。
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by kude104 | 2008-04-04 15:57 | 時事・社会

宇宙怖い

CNN.co.jp:75億光年の彼方で星が爆発、肉眼でも観測

宇宙怖い。
「太陽の約40倍の大きさに膨れ上がっていた」
「近くにあった惑星は蒸発した」
ってのも怖いけど、一番怖いのはやっぱり

「爆発が起きたのは、宇宙ができてから現在までの年月の半分に満たず、地球もまだ誕生
していない75億年前」

ってところ。
なんか、時間のスケールが途方もなさ過ぎて、えずきそう。

なんというか、「無」の世界を覗きこんでしまったような恐怖。
75億年前だよ75億年前。
地球もなければ人間もいないんだから、「世界」を認識する者がいない。
つまり、「世界」がない――「無」の世界の出来事だよ。
想像は当然未来に向かって、地球が消滅して人類が滅亡して、「世界」を認識する者がいなくなった「無」の世界がやっぱり確実に訪れるだ・・・と思い知らされる恐怖。
怖ぇぇ。

それにしても、75億年って。
地球が存在する前の出来事が、今ようやく地球に届いたって、なんだろうねこれ。
でもって、75億年もの間ず~~っと飛びつつけていた光ってのも、なんだろうね。
想像したら、なんかクラクラするわ。
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by kude104 | 2008-03-22 23:22 | 時事・社会
AKB48「ポスター44種類コンプでイベント招待」企画、「独禁法違反」のおそれで中止 - ITmedia News

「CD特典のポスター44種類をそろえるとイベントに招待」
→ 「ポスターはCD1枚につき1種類」
→ 「ポスターは選べない」
→ 「ポスターがもらえるのは、東京・秋葉原のAKB48劇場での販売分」

「搾り取る」以前に、これ、まともにコンプリートできる人がいるとはとても思えないんですけど。
できるとすれば、ファン同士でのトレードやヤフオクなどで・・・ということだろうけど、普通に考えれば、ヤフオクなどで売買されたんじゃ、要するに他人が利益をせしめるわけで、販売元としては面白くないと思うんだよね。
「販売元が自らこっそりヤフオクに流す」というシナリオも考えられるけど、わざわざそんな手の込んだことをするかなぁ。

なにか、ファンだけが知るシステムがあったんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう。
たとえばパチンコの景品交換所のように、AKB48劇場の隣にAKB48グッズの売買専門店があるとか。

***

時代のトレンドとしてはどうやら、薄利多売から、少数でも富裕層に高く売るという高利少売になっているようで、その意味で、こうしたふうに熱狂的なファンから「搾り取る」やり方は方向性として間違っていないと思う。
超高級料亭で何万円と使うのも、AKB48に何万円と使うのも、そう大差ないでしょ。

ただ、たぶんCD自体は同じだよね?
それを44枚も買わせるというのは単純に無駄だから、それはよろしくない。
CD1枚1,250円らしいので、44枚で55,000円か。
じゃ、イベントの招待券を6万円くらいで販売すればいいじゃん。

そうしないのは、CDを数多く買わせることに意味があるからだろう。
つまり、オリコンチャートなどに載せるため、だよね。
AKB48のようなアイドルであっても、オリコンチャートの順位が重要なのかと、ちょっと意外。
ニッチでコアなファン層をターゲットにしているように思えるので、オリコンチャートの順位を上げるために策を弄するより、秋葉原でイベント打ったほうがはるかに費用対効果高そうに思えるのになぁ。

「音楽鑑賞用としてのCD」という認識で売るつもりがないのなら、AKB48劇場の入場チケットをCDにすればいいのに。
そうすれば、少なくとも入場者数と同じ枚数のCDが売れることになるから、まぁ、それなりに効果あるんじゃないかな。
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by kude104 | 2008-02-29 21:37 | 時事・社会
本当は今日がクリスマス当日なはずだけど、日本じゃイブのほうが“本番”ですよね。
どうしてクリスマスはイブのほうが盛り上がるのか、考えてみた。

まず、サンタクロースがプレゼントを運んでくる時間帯が、大人の事情により、真夜中でなければならないというのがひとつ大きな理由じゃないかと思います。
子供がクリスマス本番にプレゼントを受け取るためには、サンタさんが各家庭に訪れるのは24日の深夜ということになります。
日本じゃクリスマスというとカップルのためのイベントというイメージが強いですが、まずその前に、子供たちにとっての一大イベントであることを忘れてはいけない。
そして、子供たちにとってのクリスマスの最高潮は、プレゼントを手にした瞬間でしょう。
手にした後は、正直、興味の対象がクリスマスからプレゼントに移りますから。
そこでクリスマス終了ってな感じになります。
つまり、子供たちにとってのクリスマスは、24日の夜から25日の朝にかけてが本番なのですね。

キリスト教の信者さんたちは、たぶん、25日は教会に行ったりして、宗教的に特別な気分で一日を過ごすのではないかと思います。
これならば、25日の朝に終わるのはクリスマスパーティであって、クリスマスの本番は25日という認識になろうかと思います。
でも、日本人のほとんどはこうした宗教的な気分等々を持ち合わせていませんから、クリスマスパーティの終わりがクリスマスの終わりになるわけですね。

もしサンタさんが子供の活動時間中に堂々とプレゼントを運んでこられるなら、クリスマスは日中は教会、夜はパーティ、その席でプレゼントという流れで、25日の本番のみのイベントとして行われる形になっていたのではないかと思います。
これなら日本でも、クリスマスの本番は25日の夜ということになっていたんじゃないかな。

べつに日本でも、24日にクリスマスパーティをして、25日も(宗教関係なく)クリスマス気分でいればいいじゃないかと思うのだけど、なかなかそうもいかないでしょうね。
まず、二日続けてハレの日とするのは、財布がちと痛い。
そして、海外はクリスマス気分のまま新年まで突入しますが、日本はそうじゃない。
クリスマスが終わったら、大晦日に向けてさっさと気分を切り替えなければなりません。
洋のクリスマスから和の正月へという、気持ち的に不連続な切り替えをしなければならないという点と、やっぱり日本は仕事第一なんじゃないかな。
仕事納めが間近にあるので、だらだらとクリスマス気分じゃいられないのでしょう。
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by kude104 | 2007-12-25 23:45 | 時事・社会
生活保護引き下げ:受給者、悲鳴と不安 - 毎日jp(毎日新聞)

「食費、光熱費など生活費について、低所得世帯の支出額と保護世帯の受給額を比べ、保護世帯の方が高い、との結論を出し、引き下げを容認した」とありますが、むしろ、保護世帯よりも切り詰めた生活を強いられている低所得世帯ってどうなん?って気が。
それは、生活保護を引き下げるのではなくて、低所得世帯を保護せなあかんっちゅう話じゃないのか?

ぼくはやはり、人は健康で文化的な生活を送るべきだと思うし、それが自力で叶わない人には、最低限の保護は国がなすべきだと思います。
国がなすということは、すなわち、国民みんなでお金を出し合って、そういう人たちを助けましょうということです。
おそらくだけど、貧困で荒んだり命を落としたり、そうした人が増えることで社会にのしかかる負担であったり損失であったりよりも、生活保護で支えることで社会を安定化させるコストのほうが安く上がるんじゃないかという気がするのです。
そうじゃないとしても、多少高くつくくらいなら、人助けだと思えば許容範囲内じゃない。

ただ、そうは言っても、生活保護のために用意できる予算は限られているし、あまり厚遇しすぎて生活保護を当てにして自ら働こうとしない人が増えても困る。
ですからその辺は、いかに必要な人のところに効果的・効率的に届けるかという問題になろうかと思います。

漠然と考えるのは、生活保護を、基本、現物支給にするというのはどうだろう。
健康で文化的に生活できる最低限の衣食住を現物で支給し、それプラス、多少の現金が支給できるといいのではないか。

生活保護者用のアパートを用意して、対象者はそこに住んでいただく。
食事は食堂を設けて、そこで提供する。
イメージとしては、寮生活用のような感じですね。
基本的な衣服や生活用品等々も、支給します。
そうしてひとまとめにして現物支給することで、たぶん、大幅にコストを抑えられると思うんですよね。
個別に現金で支給するより、同じ費用でより良い生活を支給することができるんじゃないでしょうか。

そんな寮生活のようなことは自由がなくて嫌だと反発する人もいるでしょうけど、そこは贅沢言わずに我慢して頂くということで。
言っても生活保護ですから、100%満足快適な暮らしは望むべくもない。
好きなところで好きなように暮らしたいという望みを優先するか、衣食住足りた生活を優先するかという話なら、後者だろうと思う。

生活保護対象者がある程度固まっていたほうが、物質的な面だけでなく、たとえば仕事の斡旋であったり職業訓練であったり様々なケアであったり、そうしたこともやりやすいだろうと思います。
発想の方向性としては、悪くないと思うんだけどな。
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by kude104 | 2007-12-15 22:02 | 時事・社会
今度は“ゴキブリラーメン”騒動 元バイト学生書き込み、バーミヤン激怒 - ITmedia News

もはやバカとしか言いようがない。
どういう思考回路になっているのか、まったく分からん、
ご両親、かわいそうに。

ま、大学生のほうは「言うことなし」として。
ITmedia Newsの『もはや新手のサイバーテロと言うべきか』という見出しの通り、店側にとっては「いたずら」や「バカ」で済まされる話ではない。
信用やブランドイメージへの打撃、対応に費やすコストなど、かなりの実被害が出ているだろうと思われます。
飲食業界はこれから早急に、こうした事態への対応策というかずばり予防策について、真剣に考える必要に迫られるでしょう。

根本的には雇う人間をきちんと見極めることですが、これは「言うは易し、行うは難し」です。
傾向としてたぶん、人件費のコストダウンを図ると、従業員のレベルであったりモラルが低下するはず。
でも、だからといって、人件費は切り詰めざるを得ない。
応募してきたアルバイトの中から適当に雇って仕事を回さざるを得ない。

そこでぼくの提案としては、厨房にカメラを設置して、それをインターネットでライブ中継するのはどうか。
これなら、もしどこかのバカがブログにいたずらで「ゴキブリラーメンを作った」と書いても、店側は堂々と否定できるし、その言葉に十分な説得力を持たせることができます。

ぼく自身、外食するときには、厨房が見える店を優先します。
「見えなきゃ嫌」とまでは拘らないけど、厨房を見せるということは自信があるということですから、やっぱり安心できますよね。
実際のところはそれでなにが見抜けるわけではないとしても、働いている人間の意識の問題として、見られていると思うとやはりある程度の緊張感は維持されるでしょう。

「うちは絶対大丈夫」という自信がなければできない手ですが、自信があるならかなり有効な手じゃないかと思います。
コストだって、たぶんそんなに大きな負担にはならないでしょうし。
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by kude104 | 2007-12-13 23:11 | 時事・社会
ガ島通信 - 朝日・日経・読売、業務提携の意味

この「朝日・日経・読売、業務提携」のニュースを見て真っ先に思ったのは、新聞業界もついに統合が始まるのか――というものでした。
ネットの影響で新聞の売り上げが落ちているのは明らかで、しかも今後、売り上げは落ちることはあっても回復することはないでしょう。
縮小した業界で何が起きるかと言えば、そりゃ企業の統合ですよね。
新聞業界とて、例外ではないでしょう。

そうして新聞社が大統合されて、たとえば、日本の主要な新聞社が朝日新聞だけになっちゃったりしたら、世の中どーなるんだろう?なんてことを想像してみたりして。
もちろん、実際に一社独占になるなんてことはまずあり得ないだろうけど、少なくとも、数が減ればそれだけ多様性は失われるわけで、立場を異にする新聞社が減れば、それだけ世の中に報じられるニュースの多様性なりバランス感覚なりが失われるんじゃないか・・・という危惧は感じます。
そうなったとき、ネット上のニュースはどうなるんでしょうね。
新聞と連動して多様性を失うのか、それとも、ネット独自の情報源によって多様性は保たれるのか。

なんというか、囚人のジレンマのように、みんなが新聞を購読しないという戦略を採ることで、全体的に損をする仕組みになっていなければいいがなぁと思う次第です。
とはいえ、かく言うぼくも新聞は購読していないですし、「みんなのニュースを守るために新聞を購読しよう」とか言うのもナンセンスだと思います。
ですから、もしこれが囚人のジレンマなら、新聞社がそのルール(ビジネスモデル)を転換するべきだろうと主張したい。

では、そうは言うけど、いったいぜんたい新聞社はどうすればいいのだ?
ということで考えてみたのですが、まず、これまでのように一般消費者に新聞を購読してもらうというやり方は、もう諦めるしかないでしょうね。
ネットで無料でニュースが読める便利さを知ってしまった以上、もはや後には戻れない。
どう頑張ったところで、今ネットで済ませている消費者が新聞購読に帰ってくることはないし、もちろん、ネット上での有料購読が成功するはずもない。

ですから、一般消費者に売るのはすっぱりあきらめて、代わりに、企業にニュースを売りゃいいんじゃないでしょうか。

たとえばネットなら、ヤフーやらグーグルやらmixiやらいろいろありますよね。
サイトのコンテンツとして、買ってでもニュースを掲載したいというサイトは。
新聞社はそうしたサイトにニュースを売って収益にする。
ユーザはそうしたサイトで無料でニュースを読む。
サイトはそうしてユーザを集めて、広告なりなんなりで収益を上げる。
――という構造はどうだろうか。
もちろん、おそらく今だってそうしたニュースの売買はしているんでしょうけど、要するに、本格的に軸足をそちらに移してやればどうだろう?というお話。

ネットだけじゃなくて、たとえばテレビのニュース番組へのニュースの提供とかも、現状がどういう仕組みになっているのか分かりませんが、新聞社がテレビ局にニュースソースを売ればいいんじゃないでしょうか。
テレビ局からすれば、取材のアウトソーシング化、みたいな感じになるわけ。

つまり、新聞社は新聞を売るのではなく、ニュース・記事・情報を売るビジネスに転換してはどうかという話です。
新聞はあくまでも情報を売るチャンネルのひとつとして捉えるのが正しいように思います。
新聞社の取材能力やら記事にまとめる能力やらが、新聞という形でしかお金にできないかといえば、そんなことはないだろうと思うわけで。
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by kude104 | 2007-10-04 22:18 | 時事・社会