世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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カテゴリ:本( 49 )

新書

ネット上ではかなり以前に話題になっていて、いまさら感がありますが、先日ようやく噂の「グーグル Google」と「ウェブ進化論」を読み終えました。
いやあ、噂通り面白かった。

その感想をこれからまた何日かかけて書きたいと思っているのですが、その前に、今回はちょこっと新書というものについて感じたことを書いておきたいと思います。

世間じゃ新書ブームだなんて言われていますが、ぼくはもっぱら小説派だったものですから、新書のほうはとんと興味が無くて。
今回この二冊を手に取ったのは、ネットでちょっとしたブームになっていたことと、本の内容が自分の関心分野であったためです。
事実、新書を読むのは大学生のとき以来です。

とまぁそんなふうに、実に久方ぶりに新書を読んでみてまず驚いたのは、めちゃくちゃ読みやすくなっているってことです。
もちろん、この二冊で新書全体について語るのは乱暴ですが、少なくともこの二冊で、ぼくの中にあった「新書って小難しくて退屈な読み物」というイメージは払拭されました。

なるほど、これは新書ブームと言われるのも分かる気がする。

値段的にもだいたい700円程度で、非常にお値打ち感があります。
おそらく、一文字当たりの値段に換算すれば小説のほうが安いんでしょうけど、新書には、「この内容でこのお値段は安い」という気にさせるものがありますね。
読むとなんだか賢くなったような気がするというか、知的好奇心を刺激されるというか。

人間、勉強は嫌いだけど、自分をより高めたい欲求ってものがあります。
成長したい願望というか。
自己投資なんて言葉も、そういう気持ちの現われでしょう。
新書は、それをうまくくすぐってくれる。
しかもたった700円で。

昔の新書だってそのへんは同じですが、如何せん読みづらかった。
なんか、大学の先生が論文調で書いた読み物といったイメージです。
難しい、読みにくい、面白くないなどなど、結局読めなかったというのでは、いくらテーマが面白くても知的満足感は満たされません。
読んでもらえなければ、本も単なる紙と文字ってな感じです。

この新書ブームとは、「いかに読んでもらうか」というところに力点を入れた結果だろうと思います。
そこを素直に評価したい。
背景には、「本が売れない」時代の到来というものも、おそらくあるでしょうね。

読みやすく、読んで面白い新書というのは、小説よりも面白いかもしれない。
これからは、ちょっと面白そうな新書を探して読んでみようと思っています。
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by kude104 | 2006-05-22 23:59 |
星新一著「声の網」を読了。
電話が高度に発達&普及した社会を舞台にした物語です。

面白いかというと、エンターテインメント性はあまり高くないと思う。
星新一特有の、落ちの”カタルシス”がないので。
が、"entertaining"ではないかもしれないが"interesting"ではある。
なにかこう、「興味深いものを読んだ」という満足感というか、考えさせられるというか、読んで損したという気はしない。

冒頭にも述べたように、舞台は電話が高度に発達&普及した社会。
読んでいると、「ははーん、インターネット社会を電話に置き換えて風刺した、これは一種の寓話だな」と思う。
物語の中の「電話」を「パソコンとインターネット」に置きかえれば、今の社会を多少オーバーに描写した物語といった印象です。
「このくらいのSF的発想なら、ありがちだなぁ。星新一らしくもない」と一瞬思いそうになるけど、いやいやとんでもない。

この小説が書かれたのは、巻末の解説によると、1970年だという。

まじで?
ぼくの生まれる前ですよ。
インターネットはおろか、電話ですらプッシュフォンじゃなくてダイヤルを回す”黒電話”の時代じゃないですか?

そんな時代に書かれた小説が、今の時代に読んで、「これ、ネットを電話に置き換えただけじゃん」くらいに思われそうな”未来像”を描いているというのは、すごいというのを通り越して何か神がかったものを感じてしまいます。
「これは小説というより、予言書なのではないのか?」という。
現状があまりにこの本のとおりになっているので、ならば未来もこのとおりになるのではないかという気がしてきてちょっと怖い。

読んでいて、「Googleは神?」みたいな話題が連想されました。
これこそが、最古のGoogle本と言っていいんじゃないでしょうか。

星新一というのは、恐ろしい人だなぁ。
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by kude104 | 2006-04-27 21:40 |
浅倉卓弥著「君の名残を」を読み終わりました。
途中で厭きて1ヶ月間ほど放置してしまいましたが、なんとか持ちなおして読了。
トータルでは、まぁまぁ面白かったと言っていいかな。

現代に生きる高校生、白石友恵と原口武蔵、そして友恵の親友の弟・北村志郎の三人が平安末期の源平合戦の時代にタイムスリップするという物語。
源平物語はわりと好きだし、タイムトラベルものって設定も面白くて期待できる──と思って読み始めたのですが、ちょっと肩透かしを食らった気分となりました。

友恵と武蔵は幼馴染で、互いに少し相手のことが気になっている。
そんな二人が過去にタイムスリップしたら、これはどう考えたって、二人の愛の物語だと思うじゃない。
タイムスリップによって二人は離れ離れとなり別々の場所に送られるわけですが、この先の展開としては、お互いがお互いを探して源平の戦いを生きぬき、最後には見事再会して愛が成就するんだろうなと予想していたわけです。
ある種、そういう展開を期待していたといってもいい。

ところが、いきなり友恵がその時代の別の男と結婚してしまって唖然。
「え? 武蔵くんはいいの?」みたいな。
ここでまぁ、物語に対する期待度が一段階下がる。

早い話が、友恵は木曾義仲の妻・巴御前に、武蔵は源義経の従者・武蔵坊弁慶になって、時代を動かす重要な役割を担うことになるというストーリーです。
もうひとりの北村志郎は鎌倉の北条四郎義時になるのですが、こいつの扱いはまぁオマケみたいなもんですから、以下省略。

そうなると次の期待としては、未来を知る者がなんとかして時代を変えようとする物語でしょう。
パターンとしては、その時代には無い知識やスキルを利用して戦いに勝利するとか、待ち受ける危機を事前に知り得ているがゆえに、あの手この手で回避しようとするんだけど、でも、結局やっぱり歴史通りになってしまう──といったストーリーが思い浮かびます。
もちろん、歴史を作り変えてパラレルワールド出現!というストーリー展開もありえますよね。
なのに本書では、こういったタイムスリップものの醍醐味がほとんど味わえないときたもんだ。

巴御前こと友恵は、木曾義仲が滅ぶことは知っているんだけど、どういう経緯でそうなるかを知らないという設定。
知らないから回避のしようが無くて、結果、歴史通りに事が進んでしまう。
知っていても変えられないという展開が熱いのに、知らないので変えられないという展開は、タイムトラベルものでは致命的だ。
しかもほら、先の大河ドラマが「義経」だったし、木曾義仲がどういう経緯で滅んで行ったかを知っている人はわりと多のではないか。
自分が知っていることを主人公が知らない、だから歴史のIFを楽しめないというのは、歴史好きとしてはイライラする。

武蔵坊弁慶こと武蔵のほうは、なんだかもう早い段階で諦めちゃって論外。
この、タイムトラベルものということへの期待をスカされたのは、大きかったなぁ。
これでかなりぼくの中での評価を下げた。

と、かなりマイナス感情を抱きつつも、トータルでは「まぁまぁ面白かった」に落ち着いたのは、「源平物語」そのものが持つ物語としての面白さです。
特に、木曾義仲ファンなぼくとしては、源平物語としてはなかなかの満足感でした。

本書の主人公は、明らかに友恵でしょう。
友恵と義仲の恋愛物語と言っていいと思う。
この物語は、けっこう読ませる。

結末しか知らないとは言え、自分の愛する人の最後を知っている友恵の苦悩。
どうにかして運命に立ち向かおうとするけど、決められた歴史をなぞるしかないという無力感と絶望にさいなまれる。
もし自分の運命がすでに決められているとしたら、そこに希望はあるのか。
選択することに意味はあるのか。
そんな運命論的な問いかけが本書の一番のテーマであり、タイムスリップという設定を用いた理由でしょう。

たしかにテーマとしては面白いし、メッセージ性としても悪くない。
が、友恵が腹を括るタイミングがひとつもふたつも早い印象があって、共感するところまでは至らない。
こういうのは、なんとか歴史を変えようと知恵と勇気を総動員し、最善を尽くしてなお運命に弄ばれ、絶望の果てに辿りついた境地じゃなきゃぐっと来ない。
なのに、友恵が歴史を知らないために、最善を尽くしてもダメだったと思えるほど悪あがきをさせられない。
これはけっこう勿体無いことをしていると思う。

そもそも、なぜタイムスリップという設定を用いたかという必然性が、あの奇妙な坊さんの存在によって崩れている。
物語の中の理由付けとしても、あんなふうに歴史を動かせるなら、わざわざ未来から人を呼ばんでもええやんということになるし、結局、「これから起こることを知っている」という条件はタイムスリップじゃなくてもええやんという気にさせる。

要するに、この物語は、敢えてタイムトラベルものにする必要はなかったのではないかと思えてならない。
タイムトラベルという設定を使わなくても、書くことは十分可能だったのではないかと思います。
そのほうが、おそらく無理の無い物語になっただろうと思う。
あるいは、使うならもっと上手い使いようがあったのではないか。

これだけ不満点があっても、悔しいかな感動させられたわけで、それだけに勿体無いなぁと思えてしょうがない。
「面白かった、感動した」という人がたくさん居ることを知りつつ、でも、ポテンシャル的にはさらにその上を目指せる作品だったろうということで、敢えて失敗作と言わせていただこう。
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by kude104 | 2006-04-19 23:59 |

星新一は天才

今日もネットへの接続状況が悪い。
もしかして、週末になると悪化するとか?
うーむ、いつからうちのADSLは週休2日制になったのであろう。

それはさておき。
なんとなく、本棚にあった星新一のショートショートを読み返してみたら、実に面白かった。

ぼくが星新一にハマったのは中学高校のあたりで、実家には今でも、全集とは言わないまでも、星新一さんの文庫がずらりと並んでいます。
今手元にある一冊は、たぶん5年かもっと前か、帰省からのUターンのときに電車の中で読もうと思って持ってきたものです。
そんなことはすっかり忘れていたのですが、たまたま本棚を整理していて発見し、たまたま今現在読んでいる本もなくて、「ま、暇つぶしに読んでみるか」と手に取った次第です。

読み返してみて驚いたというか思い出したというか、「星新一のショートショートってこんなに面白かったのか!」と。
いや、「そうそう、こんなに面白いんだった!」といった感じでしょうか。
とにかく、そのすごさを再認識させられました。

知的でひねりが利いていてユーモアがあってシンプル。
なにかこう、物語の結晶を味わっているようなそんな感じ。
これは誰にでも書けるものではないなぁ。

単に短いお話を書くだけなら、そう難しいことではないでしょう。
だけど、その短いお話の中で、きちんと伏線を張って、それをきれいに回収して、あっと言わせるオチやなるほどねと感心させるオチで、お客さんを楽しませることがどれだけ難しいか。
それを何百何千と作り出すなんて、もはや神業としか思えない。

天才だ。
紛れもなく天才。

自分も、べつにショートショートを書こうというわけではありませんが、物事に対する視点に星新一のショートショート的なセンスを持ちたいなぁと憧れます。
物事の本質を捉えて、それをユーモアで語る、みたいな。
そういう知性を身に付けたい。
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by kude104 | 2006-02-03 23:59 |

つきのふね

森絵都著の『つきのふね』を読みました。

買って、実質一日で読んでしまった。
216ページしかないんだもん。短けーよ。
もちろん、面白かったので一気に読んでしまったというのもありますが。

ジャンルとしては、そういう分類があるとは知らなかったけど、ヤングアダルト小説というものになるそうな。
いわゆる、ティーンエイジャー向けってことのようです。
そういう読み易さみたいなものは、たしかにあった。
そのせいもあって、思っていた以上に、一気に読み終えてしまったなぁ。

主人公は、中学二年生のさくら。
あるとき、万引きをしているところを店の店長に見つかります。
その場を助けてくれた店員の智さんと仲良くなり、彼の部屋に入り浸るようになります。
その事件以来、親友の梨利とは関係がギクシャクしていて、また、学校でも仲間外れになった彼女にとって、智さんのところは唯一安らげる場所でした。
でも、智さんは、全人類を救うための宇宙船を設計することが自分の任務であると思い込んみ、日夜せっせと設計図を描いています。
一方、梨利は、彼女から離れどんどん非行グループへと引きずり込まれて行くのですが、彼女にはどうすることもできません。

──と、あらすじを説明すると、なんだか鬱々と気が滅入る話のようですが、実際はそれほどでもありません。
智さんの存在感が、まるでおとぎの世界の住人のように、穏やかな空気を作り出しているからでしょう。
そしてもうひとりの登場人物である同級生の勝田くんが、やたらと行動的でコミカルだから。
こういうキャラクターを配置する辺りが、上手いなぁと思います。

物語は、「はたして彼女は親友と仲直りできるのか?」「設計図は完成するのか?」といった興味で進んでいくのですが、途中から、智さんの症状がどんどん進行し始め、町に放火魔が出没するに至って、にわかに緊張し始めます。

そして、緊張が臨海に達し、弾けてからの展開は、まさに怒涛の展開というにふさわしい。
いやー、すげい。
これだけのスピード感でこれだけ心温まるラストに着地されたら、感動せずにいられようか。

登場人物は皆なにかしらに逃避している。
そこから抜け出そうというとき、あるいは、そこから追い出されて、もうダメだと思ったときに、踏みとどまらせるものは何か・・・という物語であると見た。

物語の最後の二行がずーんと来るね。
そうありたいと心から思います。
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by kude104 | 2005-12-12 23:59 |

誘拐の果実

真保裕一著の『誘拐の果実』を読みました。
誘拐事件を扱ったミステリーで、なかなか楽しめました。

「大病院の院長の孫娘を誘拐し、身代金として、入院患者の命を要求する」というアイデアがまず面白い。
誘拐事件というと身代金の受け渡しが最大の駆け引きとなるのですが、これなら「受け渡し」が存在しないので、犯人側にとってかなり安全です。

構造としては「人質事件」なんですが、それを「誘拐事件」に見せかけるところが面白いですね。
事件としてもですが、小説としても。

これだけでも、「おっ、目新しいね」と思うのですが、本書では更にもう一件、別の誘拐事件が前後して発生します。

この第二の誘拐事件に用いられるアイデアは、「身代金を株券で要求する」というものです。
作中で、「この身代金受け渡し方法が公になると、模倣犯が次々現れるぞ」と警察が焦るシーンがありますが、「たしかに、これはいいアイデアだ」と思ってしまいました。
もしぼくが身代金を要求するときは、これで行こう。

ま、「本当に悪用されるとシャレにならないアイデアは使わない」といった話を聞いたことがありますので、おそらく実際には使えないんでしょうけど。

で、言うまでもなく、ストーリー展開としては、この2つの事件が実は関連していて・・・となるわけです。
ひとつひとつバラバラに使っても、それで一本小説が書けちゃいそうなアイデアを、惜しげもなく組み合わせて使ってくるあたりにシビれます。
貪欲だなぁ。

ただ、個人的には、最後の「動機の解明」がいまひとつだったかな・・・と思わないでもありません。
いちおう「最後のどんでん返し」として配置されているのでしょうが、残念ながら、さほど上手く機能していないように思う。
なんとなく、取って付けた感が否めません。

ま、個人的な好き嫌いの問題でしょうけど、ぼくとしては、「見事、大金をせしめました」というオチの方が好きですね。
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by kude104 | 2005-12-09 21:11 |

ライラの冒険

以前に「読書がつまらなくなった」と書きました。
その状況を打破するために選んだのが、いわゆる「ライラの冒険」シリーズと呼ばれるファンタジー小説でした(はてなダイアリーキーワード参照)。

ようやく昨日、全6冊を読み終わったのですが、久々に読書が楽しかった。
実に面白い小説でした。

思えば、ずっと国産ミステリーばかりを読んでいた気がします。
それでマンネリになっちゃった部分があるのかなと思って、読む本を180度変えてみたんですが、これが正解。

海外の翻訳ものって、やっぱり文章の感じが違いますね。
日本語と英語の言語的な違いだと思いますが、ずっと日本語の文章ばかりを読んでいたので、けっこう新鮮でした。
加えて、いちおう児童文学ということもあってか、難しい言い回しや過度に凝った表現のない、シンプルでリズミカルで小気味良い文章で、とても読みやすかったです。

でもって、少年少女の冒険物語ってのは、やっぱり理屈抜きに面白い。
「シンプルにドキドキワクワクしたい」と思って選んだんですけど、まさに期待を裏切らずといった感じです。

なんかもうあれだ、サイコキラーだとか幼い頃のトラウマだとか愛憎劇だとか、そーゆーゴチャゴチャしたのって疲れるんですよ。
もっとこう、壮大で、命がけで、真っ直ぐで、ハラハラドキドキするような物語が読みたかったんだ俺は!みたいな。

ただまぁなんというか、この小説。
その魅力を語るのはかなり難しい。

いちおう児童文学だし、ファンタジー小説だし、少年少女冒険ものだし、たしかにそういう分類に納まる小説ではあるのだけれど。
子供向けかというと、違うだろう。

体裁はたしかに子供向けだけど、「子供向け」という遠慮がない。
かなり、登場人物がリアルに死んでいくし。
主人公である少年が人を殺すシーンがあったりして、けっこう驚いた。
普通の小説でも躊躇するだろうに、児童文学でそれを描いちゃうの?みたいな。

だいたい、小説を貫くテーマが「神を殺して、人間の尊厳を勝ち取ろう」みたいな話というか、わりと過激にキリスト教的なものを否定する物語になっている。
これ、日本人からすれば「ふ~ん」ってなもんですけど、キリスト教文化圏でこの物語は受け入れられるの?ってちょっと心配に思ってしまうくらいです。
ま、文学賞とか取っているから、大丈夫なんでしょうけど。

そういう難しいことは抜きにして、話の展開だけでも存分に面白い。
最後の最後まで、物語がどこに着地するか読めない。
物語が壮大で、あっちこっちに風呂敷が広がっていって、いったいどう畳むつもり?と心配になるくらいだし、人間関係が濃密で複雑で、どの登場人物の行動がどの登場人物に影響を及ぼして、それが物語をどう展開させるのか読めない。

発売時期やジャンルがかぶっているので、『ハリーポッター』と並べて語られることも多いようだけど、『ハリーポッター』の面白さが大人も子供も同じく楽しめるものなら、この小説の面白さは、大人と子供とでかなり違うのではないかと思う。

その点では、ビジネス的には、商品の市場でのターゲット層と実際のターゲット層とにずれがあるのではないかと思える。
それゆえ、これが『ハリーポッター』のようにベストセラーになることはなさそうです(日本では)。

でもまぁ、ぼく個人が「出会えた」から、それで良し。
いやー、最後の巻なんてもう、心震えっぱなしだったもんね。
年甲斐もなく、感動した。
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by kude104 | 2005-11-18 23:16 |
最近──というか、しばらく前からだけど、なんか本屋でワクワクしなくなった自分がいる。
昔は、あのずらりと並んだ本の山を見ると、その中にまだ見ぬ最高の一冊が眠っていて、ぼくに発見されるのを待っていると思えてしょうがなかったけれど、いつの間にやら、それがだたの“たくさんある本”になってしまったような気がする。

もちろん、いまでも読書はする。
月に一冊程度だろうか。
昔に比べてペースは落ちた。

でも、落ちたのはペースじゃなくて、ワクワク感のほうだ。
最近、どの本もなんだかマンネリに思えてしまう。
もちろん、読めば面白い本はたくさんあるのだけれど、なんというか、どの面白さも自分の中で整理分類できるような気がしてしまうのだ。

昔は違った。
読む本読む本が、未開の地への冒険のようだった気がする。
でも今じゃ、どんなに面白い小説でも、「もうすでに知っている面白さ」な気がするのです。

そりゃあ、二十年も本を読んできていれば、新鮮味は失われて当然だよな・・・とは思う。
あるいは、問題はそういうところではなく、総合的な気力の衰えみたいなものかなぁとも思う。
読書に限らず、全般的に、好奇心のアンテナが鈍化しているような気がしないでもない。
つまるところ、ぼくも歳を取ったのかなぁって話なのかもしれない。

いやまぁ、べつに結論めいたものはない、ただの雑感なんですが。

なんかもう、諸手を挙げて「おもしれぇー!!」って大絶賛しちゃうような、そんな本と出会えないものかなー。
「こんなおもしれぇ本、読んだの初めてだよ!」って興奮しちゃうくらいのやつ。

ま、そこまでは望まなくても、寝食を忘れて没頭しちゃうくらいの面白さでいいや。
なんだかんだ言って、そういう本が無いとは思わない。
見つけられないだけで。
ただ、それを探す気力が最近のぼくには低下しているけど。

読書の秋。
ちょっと意識して本読んでみようかなと思った今日この頃。
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by kude104 | 2005-10-11 23:59 |
先日、いきつけの本屋で本を購入した時のこと。

買ったのは文庫本一冊で、いつもならカバーをかけた文庫本をそのままお持ち帰りなのですが、この日はなぜか、店員さんがわざわざ袋に入れて手渡してくれたのです。

「あれ? 文庫本一冊になんで袋を?」という違和感がふと頭によぎったのですが、それ以上さして気にも止めず、帰宅しました。
で、家に帰って、いざ袋から本を取り出そうとしたときになって初めて、袋の中に文庫本以外の何かが入っていることに気がつきました。

この時点では条件反射的に、何かの広告チラシだろうと思ったわけです。
ほら、よくある「英語力を身に付けたい人のための○○」とか、「結婚チャンスカード」とか、ああいうやつ。

ちなみに、本屋でやたらと「結婚チャンスカード」を貰うようになったときって、ちょっぴりショックですよね。
以前はまるでもらわなかったのに、ついに、そういう年齢(&独身+相手なし)に見られるようになってしまったのか・・・みたいな。

だがしかし!
袋から出てきたのは、広告チラシなんてものではなくて・・・マヨネーズでした。

・・・え? なんでマヨネーズ???
みたいな。

正確に言えば、それがマヨネーズであると認識するまでに、ものすごい時間が掛かったわけですけど。

最初にぱっと目に飛び込んできたのは、アニメのガッチャマンの絵がプリントされた、ホッカイロの袋みたいな物体。
そこにでかでかと書かれた文字は、「ガッチャマンが魔を打ち払う 魔よねえーず」です。

・・・意味が分からない。
まったく分からない。

まずもって、本屋の袋からマヨネーズが出て来るという状況が、ぼくの常識の範囲外のことです。
しかも、これが仮に「キューピーマヨネーズ」とかなら、状況は分からないながらも、とりあえず「マヨネーズなんだね」ということは理解できます。
でも、「ガッチャマンが魔を打ち払う 魔よねえーず」では、それがマヨネーズだとはなかなか思えませんって。

「ナニ!? この電波ゆんゆんはっ!?」って思っちゃったもん。
はっきり言って、ちょっと気味が悪かった。

袋の下のほうに「立場ない人に たちばな出版」と書かれているのを発見して、ようやくこれが「たちばな出版」とやらの宣伝用グッズで、だから本屋の袋から出てきたのかと状況が飲み込めた次第です。

ちなみに、そのキャンペーンのWebページがこれですね。
(ぼくが貰った現物は、左下の絵のやつ)

なんつーか、はしゃいだギャグのつもりなんでしょうけど・・・あまりにも突っ走りすぎているのではないかと思わなくも無い。
そもそも、マヨネーズ貰っても困るし。
そりゃまあ使うけどさ。

店員さんも、ひとこと言ってくれりゃいいのに。
黙ってこんなん入れたらアカンやろ。
ビックリするやん。

だいたいさ、ぼくが買った文庫本、講談社だったんですけど。
・・・さては店員、とっととマヨネーズさばいちゃおうと思ったな?
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by kude104 | 2005-08-05 23:25 |