世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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カテゴリ:本( 49 )

もうひとつの地球

梅田望夫さんの「ウェブ時代をゆく――いかに働き、いかに学ぶか」を購入してただいま読んでいます。
で、どうせなら、読み終わった後に全体としての感想を書くのではなく、読み進めながら、そのときそのときに感じたこと思ったことをメモしていこうかなーと思い立ちました。
そうすることで、ぼくのものの見方考え方が変わるのか、あるいは変わらないのかがログされて面白いんじゃないかな、と。
ブログ更新のネタにもなるしね。

で、さっそくなんだけど、本書冒頭に登場する、ネット空間をリアル空間に対して「もうひとつの地球」とする捉え方について、ぼくには少々しっくりこないものがあります。
もちろん、見方や表現の仕方によって、「もうひとつの地球」と呼べるものがネット空間にあることは、ぼくにだって実感として感じるところです。

でも、結局のところ、ネットってツールだと思うんですよね。

リアル世界、ネット世界と切り分けて別々に考えるのはなんだかオールドタイプな気がしていて、ネットが当たり前にある世代の人間にとっては、ネットもリアルの一部分なんじゃないかと思います。
「本の中の世界」とか「テレビの中の世界」といった表現と同じで、「ネットの中の世界」というだけのことなんじゃないかなぁ。

それでも、その影響力の大きさを表現すべく「もうひとつの地球」と呼ぶのは悪くないけど、文字通り、リアルから独立した別の世界がネットにあると捉えてしまっては、ことの本質を見誤るような気がするのです。
ネットは非常に強力であるけれど、でも単なるツールであると捉えておいたほうが、変に気負わなくていいんじゃないかなぁ。

少なくとも、人間は今のところ、リアル世界でしか飯を食えない。
リアル世界でしか飯が食えない以上、活動の基盤はリアル世界が中心となる。
それゆえたぶん、経済の中心は、この先もずっとリアル世界に有り続けるでしょう。
たとえば今ネットビジネスを支えている広告だって、その大部分はリアル世界でモノが売れることで発生するお金です。
経済の中心がリアルにあるということは、活動の中心もリアルにあるということです。

それゆえぼくは、ネットを「もうひとつの地球」と捉えるよりも、ネットはリアルを補完したり増幅したりする位置づけにあるとするのが正しいように考えています。
ネットを使って、いかにリアルを豊かにするかという発想が、たぶん正しいように思う。
ネットのあちら側が豊かになることは、それをこちら側で使っている人間が豊かになることだから。
だから、ネットは単なるツールとして捉えたほうが良いように思うのだけど、でも、「単なるツール」より「もうひとつの地球」のほうがバズワードとしては優れているね。
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by kude104 | 2007-11-20 14:15 |
痛いニュース(ノ∀`):【携帯小説】“女子中高生携帯作家”の小説、「感動して一晩中泣いた」と同世代は絶賛…「援交・ホストネタばかりでバカバカしい」との批判も

ぼくは携帯小説を読んだことがないので想像でしかないですが、携帯小説を読む“女子中高生”たちは、たぶん、携帯小説をBBSへの投稿や友達とのメールのやり取りと同列のものとして読んでいるのではないかと思う。
だから、文章のクオリティは高いと逆に“リアル感”がなくなってしまうから低いほうがいいし、内容も教室のゴシック噂話的なものが好まれるのじゃないかな。
そうしたものは、たとえば、少女たちの交換日記など大人が真面目に読むものでないように、彼女たちの間でのみ共有される何かで成り立っているものなんだろうと思う。

その点はぼくの中で説明可能なので良しとして、それを書籍化して、果たしてそんなものが売れるのかという点はとても疑問です。
書籍化書籍化というけれど、実際、ほんとに売れてんの?
携帯小説は携帯電話上で読むから成立するものだと思うのだけど。

上の例で言えば、女子高生のメールのやり取りを書籍化するようなものだと考えればいい。
そんなものを書籍化して一般の書籍と同列に並べれば、そりゃ、「『小説』なんて言葉で呼ぶのもおこがましいほどヒドい」ものになるでしょう。
女子中高生たちと共有する何かを持たない大人が間違って買っちゃうと、そりゃ、読めたもんじゃねぇってことになる。
じゃあ、当の女子中高生たちが書籍化された携帯小説をわざわざ買うかって言うと、買わないでしょ。
彼女たちは本ではなく、もっぱら携帯で小説を読むから携帯小説が盛り上がっているんですから。
書籍化された携帯小説を読むなんてのは、感覚としては、メールをプリントアウトして読むようなもんじゃないでしょうかね。

おそらく、世間がまだ書籍化された携帯小説というものに馴染みのないうちに、「携帯小説サイトで人気の○○がついに書籍化!」という話題性で売れるうちに売ってしまおうという商売じゃないでしょうかね。
携帯小説というものを知らない人に売りつけようという。
で、読んだ人は十中八九「なんだこれ」となるから、次からは買わない。
だから、最初の一つを売りつけて終わりの商売な気がします。

べつに、携帯小説を楽しんでいる女子高生のレベルが低いとは思わない。
何度も言うように、あれは「小説」じゃなくて「メール」に分類するべき代物だろうと思うからです。
ただ、それを書籍化する出版社は、それがもし上記参照先の言うように『小説』なんて言葉で呼ぶのもおこがましいほどヒドいものであるのなら、出版社こそがレベルが低いと言われてしかるべきだと思う。
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by kude104 | 2007-08-13 23:59 |

ひろゆきさんと梅田さん

扶桑社新書「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」を読みました。
2ちゃんねるの秘密とかネットの世界の何かすげー話とか、そういうのはありませんでしたけど、2ちゃんねる管理人のひろゆきさんの考え方と人となりがよくわかる本ですね。
やっぱりすごい人だ。
なにか超越してる。

ひろゆきさんと「Web進化論」の梅田さんとを比較すると、梅田さんはオプティミスト、ひろゆきさんはリアリストかなーと感じました。
たぶんお二人とも現状認識という点では、さほど違いはなかろうと思います。

たとえば、沈みゆくタイタニック号にお二人が乗っているとして。
救命ボートの数を数えて何人が助かるというところの現状認識までは、お二人とも違わないでしょう。
そのあと梅田さんは、「全員は無理でも、救命ボートで助かる命がたくさんあります」「救命ボートに乗るために、○○しましょう」「救命ボートで誰を救うのがベターか考えましょう」と皆を励まし勇気づける。
一方で、ひろゆきさんは、「でも、助かるのって結局○人ですよね」と身も蓋もないことを言って終わり、みたいな。

「それ(現状認識)を踏まえた上で、どうしたいか、どうすべきか」という部分をほとんど表に出さない人だと感じました。
敢えて表に出さないのか、そういったことに端から興味がないのか、それは分かりませんけど。
でも、WANTやMUSTなしで平然といられるってのは、ひとつの資質であることは間違いないですよね。
とはいえ、聴いて面白いのは、WANTやMUST、HOWTOの話なんですよねぇ。
だって、現状認識だけじゃ、見も蓋もないもん。

本書はその身も蓋もなさっぷりが面白かったですけど。
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by kude104 | 2007-07-09 22:31 |
前回の続き。
中古本屋に侵食されて、新品本の売り上げが落ちる~と嘆くなら、出版社自身が中古本屋を営んで、落ちる売り上げをカバーすればどうだろうというお話。
これなら、自分のところで売った分だけとはいえ、中古本の売り上げデータがきちんと手元に残るので、それも含めて作家に原稿料を支払えます。

ただ、自ら中古本屋を営もうとも、いずれにしても新品本を売らないといけないのは変りのないことで、そのための工夫が要ります。
出版社自身が「新品本売れないし、これからは中古本販売専門でやろう」なんて結論に到達しちゃったら、本末転倒も甚だしいですし。

これはたとえば、新品本の発売から3ヵ月~6ヵ月くらいでしょうか、その間は中古本としての販売を行わない、という対処法が考えられます。
さらに言えば、すでに中古本市場に流通している本が何かの拍子で注目され、突然大きな需要が湧くケースもあるでしょう。
そんなときは、意図的に中古本屋でのその本の販売量を制限することで、普通の店頭での新品本としての売り上げを期待するという手も考えられます。

こういったコントロールが可能なところが、出版社自身が中古本屋を営むことの強みです。

もちろん、強力なライバルとなる中古本屋がいるとそのへんのコントロールは鈍りますから、ライバルつぶしの策が必要です。
これにはたとえば、本にはよく他の新刊本の案内などの広告チラシが挟んでありますが、自身の営む中古本屋の広告チラシを同様に挟むという手がなかなか有効ではないでしょうか。
出版社自身が営む純正(?)の中古本屋というブランドと知名度は、大きなアドバンテージになりうるでしょう。

加えて、もし可能であれば、全国の一般書店と提携できると理想的です。
本の買い取りを、近所の本屋さんに代行してもらうわけです。
買い取りにおいて難しいのは本の買い取り価格の査定ですが、これはブックオフ方式というか、基本的に一律な買い取り価格を設定することで作業的に買い取れるようにしておきます。
よって、本屋さんは客から本を受け取って、作業的に買い取り価格を計算して、買い取るだけです。
買い取った本は、すぐさま出版社に送ることで、在庫管理等のコストも必要ありません。
それできちんと出版社からマージンが出れば、これはそう悪くない話じゃないでしょうか。

なにより、客が本屋に足を運んでくれるだけでも、本屋さんとしてはチャンスです。
買い取ってもらって得たお金で、新しい本でも買おうという客もいるでしょう。
また同じように買い取ってもらえばいいやと思えば、財布のひもも緩むでしょう。

中古本の購入も、ネットで注文して近所の本屋さんで受け取るようにすれば、従来の書店販売網をそのまま中古本販売網として活用できるので、一気に全国展開が可能となります。
そして、客は書店で新品本を買い、読み終わると書店で買い取ってもらい、購入した中古本を書店で受け取るという具合に、書店を中心にした本のライフサイクルというかリサイクル循環が生まれます。
これはおそらく、本屋さんにとって、そう悪い状況ではないでしょう。

出版社は中古本市場からの売り上げが自社に入って嬉しい、作家は中古本市場での売り上げも原稿料に反映されて嬉しい、本屋さんは中古本市場との共存共栄がなって嬉しい――という具合に、売り手側にとって悪くないアイデアじゃないかと思うのだけどどうだろうか。
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by kude104 | 2007-05-15 23:21 |
MORI LOG ACADEMY: 中古品の著作権

森さんもおっしゃるように、どんなものにも中古品市場はあります。
それでも、他の中古車や中古品販売ではそうでなくとも、本については「中古品でも売るときには、コンテンツに対する著作権料を支払うのが道理ではないだろうか」という話が出てくるのは、本という商品の特殊性によるものだろうと思います。

本という商品が真に売っているのは「本」という物品ではなくて、中身たる「物語」です。
加えて、1冊の本がもたらす読書体験は、ほとんどの場合1回限りのものです。

つまり、一般的には、本という物品を「所有」するために本を買うわけではない。
本に書かれている物語なり情報なりを「読む」ために買う。
そして、読み終わると、多くの本は「用済み」です。
もちろん、中には何度も読み返したくなる本というものもあり、そういった「本」は所有していたいと思いますが、逆に言えば、2度読まない本は所有する必然性がないのです。

所有願望さえなければ、新品を買って本棚の肥やしにするのも、中古で買って読み終わったら売り払うのも、読書体験としては同じです。
しかも、経済的には後者のほうがお得です。

本が持つそうした商品的欠陥(売り手から見た欠陥)について、売り手側が無自覚なはずがありません。
かつては流通面で新品市場と中古品市場とに圧倒的な差があったので、それ込みで新品の価値が保たれているところがありましたが、今やそれも危うくなりつつあります。
そうした現状にあって、売り手側の危機感たるや容易に想像がつきます。

その危機感が「中古品でも売るときには、コンテンツに対する著作権料を支払うのが道理ではないだろうか」という主張になるのではないかと思うのですが、当の森さん自身は、「自分の本が中古で売られようが、図書館でただで読まれようが、まったく気にならない」と仰っているので、違うのかも知れません。
でも、一般的には、中古品市場に新品市場が侵食されることの危機感が、「中古品市場にも補償金制度を」みたいな発言になるのだと見て間違いないでしょう。

だったら、出版社自身が自分のところの本を専門に扱う古本屋を営めば面白いんじゃないだろうかと思いついたんだけど、これについてはまた別にエントリーを立てて書こうと思います。
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by kude104 | 2007-05-13 16:34 |

暗いところで待ち合わせ

幻冬舎文庫出版、乙一著の「暗いところで待ち合わせ」を読了しました。
相変わらず情感のある文章を書くなぁ、このひと。

あらすじを簡単に書くと、会社の同僚を駅のホームから突き落として殺害したとして警察に追われている主人公の青年が、目の見えない一人暮らしの女性の家に隠れ住む、というもの。
このプロットから、もっとスリリングでサスペンスフルなストーリーになるか、ラブストーリーになるかと予想していたのですが、実際にはかなり「静」の物語でした。

隠れている青年は気付かれないよう極力じっとして動かない。
目の見えない女性のほうは、誰かが潜んでいることに徐々に気づいていくのだけど、気づいていることを気付かれて変に刺激してはいけないと、努めて何もないようにふるまう。
――とまぁ、そんなかんじで、二人の間にアクションらしいアクションは起こりません。
ただ、それでも一緒に暮らすうちに、徐々に、じわじわと、関係性が近づいていくのですが、そのへんの物語性がなんだか優しくてよかったです。

というのも、主人公の青年は他人とのコミュニケーションが苦手というか、慣れ合いを拒否して生きてきたという男で。
それゆえ会社でもうまく人間関係を築けず、社会に居場所がなく、孤独です。
本人は、他人と関わるくらいなら孤独でいい、独りで生きていけると思っています。

一方の女性のほうも、もともと自分に自信のない性格に加えて失明したことで、自分の殻に閉じこもるようになります。
日がな一日何もせず、ただじっと家の中で横になっているだけ。
視力を失い、人並の幸せが望めない自分は、そうして独りで生きていくのが一番傷つかず幸せだと思っています。

そんな孤独を良しとする二人が、否が応でも相手の存在を意識して暮さざるを得ないシチュエーションに置かれることで、自分の”孤独さ”を知るようになっていきます。
ああ、実に巧い構成だなぁ。
ぼくも多少なりとも孤独を良しとするところがあるので、ちょっと感情移入してしまいました。
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by kude104 | 2007-02-12 22:53 |

講談社文庫出版、ルイス・サッカー著、幸田敦子訳の『穴 HOLES』を読了しました。
面白かったのと、読みやすかったのとで、一気に読んじゃいました。

主人公はさえない少年で、ある日ひょんなことから無実の罪で少年矯正キャンプに送られてしまいます。
そこは雨も降らない干からびた大地で、少年たちは”人格形成”のために、毎日一人ひとつの穴を掘らされます。
──みたいなお話。

『無実の罪』『矯正キャンプ』『過酷な労働』というキーワードが並ぶと、ハードボイルドなにおいがして来ますよね。
加えて、『友情』『脱走』なんてキーワードも加わるので、『大脱走』なストーリーにしか思えなくとも無理はありません。
でも、読書感はまるで違います。
なんというか、けっこうのほほ~んとしているというか。

この小説の対象年齢は、どうだろう、小学校3~4年生くらいでしょうか。
いわゆる児童文学です。
なので、読書感はまさに児童文学っぽいといえば伝わるでしょうか。
『宝島』とか、そんな雰囲気ですね。

とりわけ面白かったのは、伏線の巧みさです。
いや、伏線というとちょっと大げさでしょうか。
「あのときのあのエピソードがここにつながるのか」というネタが随所に盛り込まれています。
さながら巧妙な童話のようとでも言いましょうか、「あのとき善いことをしたので救われました」とか「あのとき悪いことをしたので罰が当たりました」とか、そういった因果関係の伏線が大いに楽しませてくれます。

なんかこう息抜きにかる~い物語でも読んでみたい、ちょっとセンスの良さげなやつをというときに、ぴったりだと思います。
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by kude104 | 2007-02-06 21:52 |
今、新潮新書の「ウェブ人間論」を読んでいるところなのですが、読んでいて梅田さんの考え方の傾向がちょっと見えたような気がして「面白いなぁ」と思ったので、メモ代わりに。

たとえば、「この先世の中はこうなるのではないか」という予測を立てたとして。
ほとんどの人は、今現在を立脚点として、そこから来たるべきその未来像への変化を考えるんじゃないでしょうか。
するとどうしても、「世の中がこんなふうに変わったら、今のこれは立ち行かなくなるのではないか」という方向に思考が向きがちです。
基本的に人は保守的だから、環境の変化によって得られるプラスよりも失うマイナスの方への警戒心が強く働きます。
で、「じゃあ、そうならないためにどうすればいいか」という、予防策についてより強く頭を巡らせてしまいます。
なんとなれば、少しでもマイナスの少ない未来像に修正は効かないものか・・・なんて考えたりして。

でも、梅田さんの場合はどうやら違うようです。
「予想した未来像は来る」という前提にたち、そこを立脚点にして、「じゃあ、そういう世界でうまく立ち回るにはどうすればいいか」という発想をされるようです。
少々乱暴にいうなら、「その未来像に問題があろうがなかろうが、抵抗しようが足掻こうが、それは否応なくくるんだから、四の五の言ってないで、その未来で少しでも上手く立ち回る方法を考えた方が賢いでしょ」といった感じ。

その未来像が今と比べてどうか、良いのか悪いのかというのは考えない。
思考をぽんと未来に飛ばして、いま自分がその未来にいるとして、どんなプラスを創造・享受できるか、という風に考える。
たしかにこの発想で物事を考えると、思考が前向きになりますね。

でも、多くの人は、思考をぽんと未来に飛ばせないんですよね。
ぽんと飛ばすためには、「必要とあらば今のやり方はいつでもすぐに捨てて、新しいやり方を試すよ」という心構えが必要です。
これがなかなか難しい。
人間どうしたって、今のやり方をできるだけ使い続けたいものだから、だから、今現在を立脚点にして未来を考えてしまうのでしょう。
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by kude104 | 2007-01-13 19:26 |
以前になにかの折に目にした「となり町戦争」というキーワードというか『設定』が頭の隅っこに引っかかっていて、今回本屋で文庫化したそれを見つけて早速購入・読了しました。
というわけで今回は集英社文庫出版、三崎亜記著の「となり町戦争」の読書感想文です。

ある日突然、主人公の住む町と隣町とが戦争を始める──ということで始まるこの物語。
町同士というスケールの小ささと、戦争という重大事とのちぐはぐな感じが面白いですよね。

それでも本を手に取る前のイメージでは、やっぱり戦争ものということで、主人公が否応なく戦争に巻き込まれて、危険な目にあったり、命のやり取りをしたり、大切な人が死んで涙したりといったスリリングでドラマチックで重厚な物語を予想していました。
身近な「わが町」が「戦場」になるというところでの、日常と非日常とのギャップが読みどころかな、と。
でも、ぜんぜん違った。

本書で描かれる戦争は、まるで現実感がないものとして展開します。
まずもって、戦争自体がまるで公共工事のように、役所手続に則って行われます。
戦争をする町同士は、べつに遺恨があるわけではなく、抜き差しならない利害対立があるわけでもなく、「この戦争という事業をともに手と手を携えて推進していきましょう」といった趣です。
戦争をする意義や目的でさえ、まるで「ここに高速道路を作る意義は──」というのと変わりません。
なぜ戦争をしなければならないのかよりも、「戦闘時間は通勤時間と重ならないように九時から五時まで」とか「窓ガラスが割れたときの保証金はいくらか」とか、そっちのほうが重大事である──この物語の中で戦争はそういうものとして描かれています。

そういう”ずれ”がとにかく淡々と描かれます。
この「淡々さ」が、なんともいえずしんみりと切なく、そしてひたひたとした不気味さを感じさせます。

この物語の中の戦争は、銃声を耳にすることもなければ、兵士や死体すら見ることはありません。
ただ、発表される戦死者の数が増えていくだけです。
でも、見えないどこかで確かに誰かと誰かが殺し合っている。

それは、「見えない戦争」という不気味さやミステリーを描くものではなく、いうなれば、僕らにとっての「地球のどこかで起こっている戦争」を描いたものと言っていいんじゃないでしょうか。
わが星で起きている戦争なのに、まるで現実感がない・・・みたいな。
町と地球とのスケールが違うだけです。

でも、だからと言って、この物語が「地球のどこかで起きている戦争に無関心ではいけない!」というメッセージ性を発しているわけではありません。
ただただ「今この瞬間も誰かと誰かが殺し合っているのに、まるで現実感がないよね~」という感覚を描いたものという気がします。
どこか諦観と、それでいて途方に暮れる感覚を持って。

戦争を題材にしていながら、なかなか変わった味わいで面白かったです。
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by kude104 | 2007-01-08 23:59 |

ご冥福をお祈りします

「兎の眼」「太陽の子」の灰谷健次郎さん死去 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

ショック!
お亡くなりになっただなんて・・・。

中学生の頃だったでしょうか、一時期、灰谷さんの小説にどっぷりはまっていました。
この時期のぼくは児童文学的なものにはまっていて、その流れで灰谷さんの小説を読むに至ったわけですが、いわゆる子供向けの甘くデコレーションされたファンタジーとはまるで違った、容赦なく苦い──でも根底にあるのはやさしさです──という作風が、とても衝撃的で刺激的でした。

ちょうど多感な時期でもありましたから、小説の登場人物たちの生き様に強く魅かれると同時に、「こんな生き方はしんどいなぁ・・・」とも思ったものです。

気が付けば、あのときからもう15年以上が過ぎてしまった。
今じゃ正直、強く心を揺り動かされたはずの小説たちの、その内容がよく思い出せんのです。
あんなに夢中になって読んだのに。

今あらためて読んだら、大人になった僕はどんな感想を抱くのかなぁ。
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by kude104 | 2006-11-24 23:07 |