世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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カテゴリ:本( 49 )

任天堂栄えて本屋潰れる

ニューストップ > 政治・社会 > 社会 > 任天堂栄えて本屋潰れる 旭屋書店閉店の衝撃度 - Infoseek ニュース

「書店は、任天堂DSやWiiなどのゲーム機、携帯電話に完全に客を奪われた。新刊を買うお金があったらゲームやケータイに回す。任天堂ばかりが栄える時代ですよ」(流通関係者)

流通関係者なのに。
あるいは、流通関係者だからか。
「DSやWiiやケータイに客を奪われた」とか言っている時点でおめでたいよね。
書籍は、流通販売システムがダメなんだと思う。
委託制と再販制はもう時代遅れでしょ。

「ただ私もネットで本を買うケースが増えているのは事実です」
「中古本のブックオフやコンビニにも客を奪われ続けている」
とか自分で書いておきながら、締めの言葉が「知の荒廃でなければいいが」って。
「活字離れを憂う」――みたいな記事にしとけばそれっぽいとか思ってんじゃねーぞと。

だいたい「知の荒廃」とかなんとか、本を高尚なものにしたがる人は、普段あんまり本読まないんじゃないかと思っちゃう。
まぁ、町の本屋さんに行って平積みされている本を手に取ってみればいい。
どのへんが「知」かと。
読書なんてのは、娯楽ですよ娯楽。
「文化的教養として本を読め」みたいな態度で商売やっているのなら、そりゃ本屋つぶれるって。
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by kude104 | 2008-04-21 22:09 |
いま文春新書の「昭和陸海軍の失敗―彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか」という本を読んでいるんですが、これがなかなか面白い。
「どうして日本は勝ち目のない戦争に突入したのか」というのは、ぼくにとって知りたい謎のひとつなのですが、本書を読んでいると「なるほど、だからか」と大いに頷ける。

答えは、一言で言うならば、「無謀な戦争を回避できるだけの優秀な人材がいなかったから」ということになるのだけど。
なぜ優秀な人材がいなかったのか――それが本書を読めばよく分かる。

能力ではなく、人間関係によってポストが決まる。
失敗しても、責任を取らない、問われない。
うーむ、まるでどこかの企業かお役所のようだ。

また、軍人を育てるためのエリート教育システムというものの弊害も大きくあるようです。
たしかに優秀な人材を集めてエリート教育を施しているわけだけど、サッカーに例えるなら、ドリブルとシュートばかりを徹底的にたたき込んでいるようなもので。
パスであるとかフォーメーションであるとかセットプレーであるとか、要するに、ゲーム全体を見通してチーム全体としてどう戦うべきかというところは、まったく教育されていない。

日清日露のあたりまでは、実戦経験者がいたことと、戦争というものがまだ単純であったおかげで問題が表面化しなかったけれど、昭和になって、実戦経験者はいなくなり、戦争も国家総力戦で複雑になってしまい、対応できなくなったんだなぁ。
近代サッカーが高度なチームプレーになったのに、日本には一度も試合をしたことがないドリブルとシュートだけの選手しか居なくなっちゃったって感じです。
そりゃ負けるよ。

なまじエリートコースを歩いていない軍人のほうが、軍の傍流に追い出されることで逆に外の世界と触れる機会を持つことができ、それで視野が広くなり、有能な人になっている。
でも、エリートコースを外れると中枢には入れないから、国家の大計を担うことができないという皮肉。
前線の指揮官を見ると優秀な人が多くて、なるほど開戦当初の破竹の快進撃も頷けるのだけど、これも逆に言えば、そういう人たちが中枢に行けなかったということでもあるのでしょう。
短期的には現場の能力でどうにかできても、中長期的には経営陣の経営戦略がものを言うのは、ビジネスだけの話じゃない。

また、これは軍人だけの話ではなく、世の中というのは、慎重派と行動派が対立すると、たいてい行動派が勝っちゃうんだなぁ。
行動派のほうが熱量が高いし、毅然として勇ましく映るから。
あと、武力に訴えるという選択肢は、だいたい行動派のお家芸でもありますし。
で、良識派というのはだいたい慎重派になるので、慎重派と行動派が対立すると、結果として良識派が駆逐されていなくなってしまう。
そうなったら、あとは暴走して自滅するのを待つだけです。

とまぁ、こうして見ると、旧日本軍が特別どうこうという話ではなくて、普遍的な組織論のお話であると思います。
いまの政治の官僚機構とか、大丈夫なんだろうかと思ってしまいますよね。
また、世論がイケイケになると、それは「危険」のシグナルだと思って用心したほうがよさそうです。
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by kude104 | 2008-04-19 23:59 |
コンビニでふと「ドラえもん のび太と緑の巨人伝」の漫画を発見して、思わず買ってしまいました。
映画版と漫画版とではストーリーがけっこう違うという話を聞いていたので、興味を引かれた次第です。
映画はそれはもうひどい内容でしたが、漫画はどうなのだろう・・・と。
多少なりとも救いはあるのか。

で、漫画版を読んでみた感想ですが、あらら、悪くないじゃん。
これなら十分許容範囲内ですよ。
映画でひどいと感じた個所は、おおむね修正されているように思います。
これなら鑑賞に耐えうると言っていいんじゃないでしょうか。
映画版は、それはもうひどいものでしたから。

映画の脚本を元に漫画化したのだろうから、映画のひどい所を漫画で修正したと見るべきか。
あるいは、もともとの脚本は漫画の通りで、映画化する際に映画的な表現に合わせる形で書き換えられたのか・・・。

そういえば、「緑の巨人伝」は短編の「さらばキー坊」と「森は生きている」を原案にしていると聞いていたのですが、映画を見る限りでは、「森は生きている」の要素がまったく感じられなかったのです。
おかしいな~と思っていたのですが、漫画を読んで納得しました。
あれならなるほど、「森は生きている」を原案にしたと分かる。

ということは、もともとの脚本は漫画の通りで、映画化するにあたって大幅に書き換えられたと見るべきでしょうね。
となると悪いのは監督か。

むろん、漫画と映画と、メディアが違うので漫画の通りに映画化できるとは思っていない。
でも、もともとの脚本が漫画の通りだったとしたら、いくら映画的なアレンジが必要とはいえ、あれはないわ。
削った箇所と新たに加えた個所と、その判断はないわ。

まぁ、確かに漫画のまま映画化したら2時間余裕で超えちゃう感じはありますから、どの要素をカットするか・・・という問題だったのかなぁ。
で、それをカットしたらこれを書き換えて・・・とやっているうちに、あんなふうになっちゃったのかなぁ。
いや、でも、それにしたって、あれはないよな。
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by kude104 | 2008-03-15 18:58 |
アスキー新書出版、佐々木俊尚著「ウェブ国産力 日の丸ITが世界を制す」を読みました。
感想を一言で述べるなら、肩透かしを食わされた感じ。

「日の丸ITが世界を制す」というタイトルに惹かれて、「ほうほう、いったい日本にどんなすごいIT技術なりサービスがあるのだろう」とワクワクしながら読み進めたわけだけど、簡単に言ってしまえば、まだグーグルの支配が及んでいない分野における検索とデータマイニングなら日本にもチャンスがあるかもねという話でした。
なんというか、実態は検索・データマイニングについてのお話なんだけど、それじゃ読み手の興味を引かないだろうってんで、「ウェブ国産力」というキーワードで味付けして「日の丸ITが世界を制す」なんて煽りタイトル付けてみました――という印象。
見事に釣られたぼくがいる。

とはいえ、この本を読むことで、逆になぜ日本のIT――というか、ぼくの興味対象で言えばネットサービスが世界を制することができないのかがよく分かる。
「日の丸ITが世界を制す」として挙げられている事例がこれじゃあなぁ、と。

検索・データマイニングの話が、おしなべて、広告の話に帰着する。
ブログの投稿記事を解析したりケータイで持主の行動をトレースしたりして、結果何がしたいのかというと、マーケティングデータの収集やユーザに応じた広告を配信しましょうという話になる。
では仮に、そのサービスが日本で成功したので、海外の各国に現地法人を作ってサービス展開しましょうという話になるだろうか。
たしかに、技術が圧倒的で他の追随を許さない程ならば可能性もあるかもしれないけど、基本的には、現地で "よそ者" たる日本企業がいちから営業して広告取ってサービス展開するより、現地の企業が似たサービスを作るほうが勝っちゃうだろう。

世界を制するには、要するに、世界中で使われるプラットフォームを作ることだと思う。
先にプラットフォームを行き渡らせて、その上に広告サービスを展開するならともかく、広告サービスがプラットフォームだと世界制覇はまず無理だろう。
「ウェブ国産力」に出てくる例を見ていると、日本のネットサービスはマーケティング目的で作られているというか、マーケティング目的にしないと金が集まらないのだろうなという印象があって、それじゃ世界は制せないでしょと思う次第です。

あ、でも、第5章の「被災情報収集システム」の話なんかは面白かったです。
これならたしかに世界を制することができるかもしれないと思えるし、世界を制する制しない関係なく、人の役に立つシステムとして期待したいと思える事例でした。
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by kude104 | 2008-01-26 17:49 |
痛いニュース(ノ∀`):“素人”の書いた「ケータイ小説」がベスト3独占、出版界に大きな衝撃…07年ベストセラー文芸部門

ケータイ小説は、“小説”というネーミングが罪作りなのだと思う。
たとえば3歳児向けの絵本に対して「中身スカスカ」とか「鬼出てきてワンパターン」とか言わないでしょ。
それと同じで、ケータイ小説は小説とは違うジャンルなのだと思うよ。

ということで、ケータイ小説に代わるネーミングを考えてみてはどうだろう。
たとえば、「ケータイ作文」とかどうだろうね。
定着しそうにないか。
じゃあ、「ケータイしょーせつ」とか、いいんじゃないかな。

asahi.com:既刊文庫、仕掛けて売れ オビ変えたら60万部 - ひと・流行・話題 - BOOK

ケータイしょーせつがベストセラーになるのとこれと、ある部分では共通しているのではないかと思う。
最近ではぽつぽつ見かけるようにもなりましたが、以前から、どうして小説はテレビCMとか打たないのだろうと不思議に思っていました。
小説だって商品なら、マーケティングというのだろうか、いわゆる販売戦略が重要なのに変わりはないはず。
だとしたら、「宣伝」は最重要戦略であるはずです。

「中身がよければ売れる」というのはある意味正しいのでしょうけど、いまどきそんな牧歌的な販売戦略でやってる業界なんて、ごくごく稀だと思う。
いくら中身がよくても、まず手に取ってもらえなければ話にならないわけで。
小説だって、多くの場合はまず話題性が先にあって、そして売れるというパターンじゃないでしょうか。

ケータイしょーせつがなぜ売れるのか。
話題性があるからですよね。
まず、ケータイしょーせつサイトの中で話題になり、次に女子高生たちの間で話題になり、そして世間一般で話題になり・・・という具合に、話題性に事欠かない。
翻って普通の小説のほうはどうだろうと考えると・・・、そりゃベストセラー出ねーよ。
売れりゃいいってものでは断じてないけど、中身がいいのに売れないのは、マーケティングの問題だろうさ。

あと、ふと思ったんだけど。
ケータイしょーせつってのは、サイトに行けば無料で読めるわけですよね。
で、それがベストセラーになったと。
てことはつまり、ケータイしょーせつビジネスにおいては、無料ダウンロードで商品に触れる機会を作り、それによって知名度のアップを図り、もって商品の売り上げに結び付けるという戦略が有効である、と言えるのではないか。

無料ダウンロード版の提供が売り上げ増につながる事例の一つとして、ケータイしょーせつの例は使えるんじゃないだろうかね。
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by kude104 | 2007-12-05 21:48 |
そして「ウェブ時代をゆく」を読了したわけですが、終章に関してはまるっきり100%共感します。

冒頭に出てきた「もうひとつの地球」という表現が、ぼくには少々違和感あったのですが、終章に出てきた「アメリカという人工国家がもたらす希望」の話を読んで、ああそういうことかと腑に落ちました。
あの時代、閉塞感を抱えていた人々の目の前に突然開けた「新大陸」という名の希望。
それを今の時代に再現しようということなのですね。
ならばさしずめ、「ウェブ時代をゆく」はメイフラワー号への乗船券でしょうか。

読んでいると、梅田望夫さんがまるで迷える人々を救わんとする宗教者のように思えてきました。
ウェブの中にある「約束の地」に至るための「戒律」を説く指導者であり、同時に、ただひたすら人々を救う道を探し求める求道者であるかのような。
宗教に例えると日本ではなにやらアヤシイものという意味合いになっちゃいますが、もちろんそういう意味合いではなく、いい意味で。
言うなれば、「純真」なものに対する感動・・・でしょうかね。

全体を通して、ぼくは自分自身が「実例」により強く反応する傾向にあるらしいと気付きました。
だから、本で言えば、前半より後半のほうが面白かったです。
やっぱり、「理論は実践されてなんぼ」ってところはあると思うので、「ウェブ時代をゆく」を読んで勇気づけられた人々が何を成すか・・・そこに興味がわきますね。
もちろん、ぼくもその候補の一人として何かを成したいところです。
ただ、「何かを成すとしても、とりあえず来年だな」と思っている時点で、お前ホントに「ウェブ時代をゆく」を理解してんのか?と自分で自分につっこみたい。
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by kude104 | 2007-11-29 22:14 |
「ウェブ時代をゆく」の第七章は、「ウェブ時代」の明るい可能性を感じさせる内容で、素直にちょっと感動した。

「若い友人Sを題材にした思考実験」とやらは、ちょっと思惑が透けて見えていやらしい――多くの人が一瞬くらいは「新しい職業」を選ぶ人生に興味や共感を持つことを見越しながら、『彼が「新しい職業」を選んだと仮定したときの人生に、一瞬も興味を持たず共感することもなかった人は、ルールががっちりと決まっている「古い職業」に進むことをお勧めする』みたいな書き方をするテクニックがいやらしい――けど、そのあとに続く実例の紹介は興味深いものでした。

たとえば、オープンソースが生んだ新しい「雇用のかたち」として紹介されているまつもとゆきひろさんの例。
まつもとさんを雇用しているネットワーク応用通信研究所とやらは、まつもとさんに給料を支払いながら、でも、時間の使い方はまつもとさんの好きにしていいですよと、つまり、好きなようにオープンソース活動をして下さいと、それが「仕事」ですよというカタチをとっているらしい。
このネットワーク応用通信研究所というのが企業なのか学術機関なのか分かりませんが、仮に企業だとすると、企業がそんな言うなれば“働かない”社員を雇ってどうするのと普通思いますよね。
でも、要するに、「うちにはあのまつもとゆきひろが居ます」ということが、それだけで十分価値を持つとしたら、そうした雇用形態は“あり”なわけです。
言わば、オープンソースで名を挙げたプログラマーがいるということが企業のブランドになるということ。
たとえば、なにかのソフトウェアの開発を発注しようという企業があるとして、数ある開発企業の中から一社を選ぶ際に、あそこの企業にはあの有名な○○氏がいるというのは、その企業を選ぶ大きな理由になりうるでしょう。
あるいは、○○氏の人脈を活用できたり、○○氏と同じ職場で働きたいというプログラマーが集まってきたり・・・などなど、直接的な仕事はしていなくても波及効果が大いに期待できれば、○○氏を雇うメリットは大いにあるというわけです。
そう考えると、オープンソースプログラマーには、こうした雇用の形はたしかに今後ますます現実的にありうる話だという気がしてきます。

また、その次に紹介されていたコールトンさんの実例も興味深かった。
「毎日ブログを書き、少しずつ増えていくファンからの反応を眺めながらコールトンは、ファンはアーティストと友達になりたいのだという重要な発見をしたのである」という部分には、なるほど!と感じ入りました。
これは、ビジネスにおけるひとつの大きなヒントである気がしますね。
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by kude104 | 2007-11-25 22:40 |
「ウェブ時代をゆく」、第四章からは素直に「なるほどなぁ」と思いつつ読んでいます。
第四章は特に、著者の梅田望夫さんご自身がどのような人生戦略で生きてこられたかを具体的に書いていらっしゃって面白かったです。
どうすれば「好き」なことを仕事にできるのか、どうすれば自分の仕事を戦略的に高めていけるのかという問いに対する、ひとつの実例として参考になります。

一言で言えば、「自覚的に生きよ」ということになるでしょうか。
常にアンテナを張り巡らし、自分の興味を引いたものに対して、どこになぜ興味を持ったのかを分析し整理して積み重ねることで、自分の志向性を把握すること。
そして行動すること。

たしかに、24時間365日そのように自覚的に生きていれば、どんな時代にもサバイバルできるだろうと思います。
分かっちゃいるけど、正直「めんどくせっ」と思ってしまったぼくは、だから勝てないんだなぁ。

それはさておき。
第四章を読んで思ったのは、ある人々にとっては、この第四章から先に読んだほうが理解が早いかも知れないってことです。
この第四章というのは、取り立ててインターネットがどうこうという話は出てきません。
インターネットの「あちら側」と「こちら側」という言葉で言うなら、「こちら側」の話として読める。

ウェブ時代のなんたるかがよく分かっていない人々にとって、ネットのあちら側のことっていまいちピンと来ないと思うのです。
彼らが知りたいのは、いま自分のいる世界で、どうすれば上手くサバイバルしていけるのかということでしょう。
世間一般でよく売れている「できるビジネスマンのなんたら」とかいう類のビジネス書なんかも、読んだことないですけど、たぶん「転職のススメ」とかじゃなくて、今いる職場でどうすれば上を目指せるかみたいな話なんじゃないでしょうか。

で、第四章というのはまさに、今いる世界でどうすれば上を目指せるかという話として読めます。
なので、読み手の「今いる世界」に軸足を置きつつ、「なるほど、インターネットというのは、それを実践するにあたって強力なツールとして使えるのだな」とか、「なるほど、ウェブ時代というのは大きな変革期なのかもしれないな」といった具合に理解していけるのではないかと思います。

ネットのあちら側に抵抗感のある人々を啓蒙するにあたっては、ネットのあちら側の世界観をこちら側に紹介するというアプローチだけではなく、ネットのこちら側の世界観であちら側を使うための手引きが有効なのではないかと思います。
多くの人にとってのアプローチというのは、理解してから使うのではなく、使っているうちに理解が進むというものじゃないでしょうか。
インターネットにしても、それは同じでしょう。
難しいのは、まず最初、手に取らせることだと思います。
それには、その人の今の価値観でその有用性を語ってあげるのが一番てっとり早い。
これだと、「まず新しい価値観を理解して・・・」というフェーズをすっ飛ばせるので。
人間、自分にとって益になると思えば使うわけで、使っているうちに理解が進むわけで。

そういうアプローチとして、第四章から理解する「ウェブ時代をゆく」もありかと思います。
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by kude104 | 2007-11-24 19:39 |

好きじゃなきゃ貫けない

梅田望夫さんは一貫して「好きを貫け」と主張されているわけですが、この「好きを貫け」という言葉、一見すると「好きなことだけして生きていけばいいじゃん」的な甘い言葉かと思いきや――。
「ウェブ時代をゆく」を読んでいるうちに、どうもそうではないらしいと、ようやく分かり初めてきました。

これ、実は「好きじゃなきゃ貫けない」って意味ですね。
きっと。

インターネットによって、競争条件がフラットになる――たとえば、今までは一部の人間しか知り得なかったことがネットを介して誰でも知り得るようになり、今までは地理的な制約で奪われていた機会がネットによって誰にでも与えられるようになる。
誰かにとってのハンデがなくなるということは、誰かにとってのアドバンテージもなくなるということです。
そうして、すべての人が同じ条件で競争するようになったときに、勝敗を決するのは何かというと――。

まず、生まれ持った才能。
でも、これは論じてもしょうがないので無視するとして。
それ以外の人為的なもので何が勝敗を決するかと言うと、結局のところ、「どれだけの時間と情熱をそれに費やしたか」ということだろうと思います。
で、その結果、寝食を忘れるほどにそれに没頭する人が勝つという、そういうことですね。
24時間365日それのことだけを考えるなんてことは、好きじゃなきゃできないことです。
好きの度合いによって、このひとは20時間300日、このひとは10時間150日とグレードが下がっていく。
つまり、インターネットによってフラット化された競争世界の実力のピラミッド構造というのは、おおむね、好きの度合いで序列化したピラミッド構造と同じになるんじゃないでしょうか。

ぼくもまぁ素人に毛の生えたようなレベルですがプログラミングとかしますけど、「あるプログラムを書きつつ、息抜きに別のプログラムを書く。そして家に帰れば趣味でプログラムを書く」みたいな人には絶対に敵わない。
ぼくは、そこまでプログラムのこと好きじゃないもん。

なので、たしかに、没頭できるくらい好きなものがあるなら、それを貫かない手はないと思います。
「好き」ということが、才能と同等か、あるいはそれ以上の資質になるのがウェブ世界なんでしょう。
それが好きで好きでしょうがないという、そういうものがある人にとって、ウェブ世界に生きることはまさに水を得た魚に違いない。
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by kude104 | 2007-11-22 19:07 |
「ウェブ時代をゆく」で語られるオープンソースであったりウェブ2.0であったり、そうした世界というものは“趣味的世界”であると捉えるとしっくりくるのではないか。

企業なんかだとインターネットをどうビジネスに結び付けようかなんてことを考えざるを得ないわけだけど、普通の個人にとってインターネットは「趣味の活動を行う世界」と考えていいような気がします。
オープンソースにしても、年齢国籍性別などなどバラバラな人たちが「共通の興味対象」という一点でつながるところも趣味的世界っぽいし、その興味対象に関する知識であるとかスキルでもって評価され、その評価こそが活動の醍醐味であったり報酬であるところも趣味的世界っぽいし、活動の成果を無償で公開するところも趣味的世界っぽいし。

オープンソースがビジネスになるだとかそういったことは、趣味が高じて実益を兼ねるみたいなことだと考えればいいのではないでしょうか。
リアル世界の趣味活動にもそうした“成功例”はありますし。
でも、大部分の趣味活動は、本当に単なる趣味として、楽しみとして、お金儲けとは縁のないところで行われているものでしょう。
お金儲けどころか、むしろ、趣味に一番お金を使うくらいですよね。
インターネット上での個人の活動も、それでいいような気がします。

本業は別に持っておいて、ネット上での活動は100%趣味だと割り切る。
趣味だから、自分の好きなことを思う存分貫いて、その活動内容を惜しげもなく公開して、それで楽しい――ってのが、理想形なんじゃないでしょうか。
中には趣味が高じてプロになる人もいるだろうし、あるいは初めからプロを目指して趣味活動する人もいるだろうけど、そうしたケースの成功例がそれほど多くはない点はリアル世界と同じだろうと思います。
趣味を単なる趣味として楽しんでいる人のほうがずっと多いわけです。

インターネット時代に人々はどう向き合えばいいかと言えば、「インターネット上で思いっきり趣味的活動を楽しみましょう」って答えは、ひとつの正解なんじゃないかと思います。
それが飯の種につながるとかって、あんまり考えなくていいんじゃないかなぁ。
それを考えると、なんだか窮屈になる気がします。
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by kude104 | 2007-11-21 15:02 |