世の中の物事についてあれこれ考えるkudeの日記


by kude104
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present from you

BUMP OF CHICKENの「present from you」を購入。
発売されているの知らなかったんで、知ってあわてて買っちゃった。
今月、緊縮財政なのにマッタク。

今回のアルバムはシングルのカップリング集ということで、シングルを買わない主義のぼくとしては嬉しい一枚です。
やはりカップリング集だけあって、どの曲もいわゆるA面曲ほど磨きあげられていない感じで、全体として素朴というか穏やかというか、そういった印象を受ける。

まず一曲目が「ラフ・メイカー」ってのがいいね。
再生していきなり前奏もなく「涙で濡れた部屋にー」と耳に飛び込んでくるところがいい。
歌詞が特徴的で、曲調もアップテンポでノリが良くて、印象的な一曲です。
曲としては知っていたけど、ようやく所有できて満足。
「どーした? おい、ま、さ、か!」のところが好き。

「Ever lasting lie」は、歌詞の世界のドラマ性が好きな一曲なんですが、(Acoustic Version)になって情感がぐっと強まった気がする。
「愛する人の命に値がついた」
「誰かの胸に腕に身を預けても 心はただ一人を待つ」
ってフレーズが好き。

「真っ赤な空を見ただろうか」も曲としては知っていたけど・・・ってことで、収録されて嬉しい。
ずっといい曲だなーって思ってたもんで。
ストレートな歌詞と、軽妙でテンポのいい曲調とが、聴いていて気持ちいい。
「言葉ばかり必死になって やっと幾つか覚えたのに
 ただ一度の微笑みが あんなに上手に喋るとは」
「理屈ばかりこねまわして すっかり冷めた胸の奥が
 ただ一度の微笑みで こんなに見事に燃えるとは」
サビのフレーズなんだけど、メロディラインと合わせてぐっと気分が盛り上がる。

そして最後の「プレゼント」って曲。
「THE LIVING DEAD」というアルバムに「Opening」と「Ending」という、アルバムの開幕と終幕を告げるような短い曲があるんだけど、これらをつなげて一曲に仕上げた曲。
(正確には、この曲を分割して「Opening」と「Ending」にしたらしいけど)
これがもうカッコ良くて。
「そう来るか!」みたいな。
聴きなれた「Opening」の曲が終わって、そのあと「世界に誰もいない気がした夜があってー」と新しいフレーズが始まったときのワクワク感というか感動といったらもう!
「ええと、うん
 きっと 今もまだ震えながら 笑おうとして泣いて
 音の無い声で助けを呼ぶ それは 正しい姿」
カッチョイイ~。

隠しトラックと隠しジャケットも、相変わらずバカっぽくて面白くて大好きだ。
アルバム聴いて、一番口ずさんでしまうのは、隠しトラックだったりするもんなー。


普段は慎んでいるけど、布教気分で「プレゼント」にだけYouTubeにリンク貼っちゃおう
すぐに消されちゃうかもしれないけど。
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by kude104 | 2008-07-06 18:23

過程は美意識で

過程ばかりを重視してませんか? - 遥か彼方の彼方から

「結果がすべてか、過程が大事か」みたいなお話。
ぼくの答えとしては、「結果は他人のため、過程は自分のため」であると思う。
あるいは、「結果は他人が評価する、過程は自分が評価する」と言っても良い。
意識として、そのように考えておくとよいのではないかと思う。

過程というのは、ある種の美意識だと思う。
結果が同じならラクな過程を選びたいと思うのが人情だけど、そこで、ラクかどうかではなく、面白いかどうか、やりがいがあるかどうかで過程を選ぶ人間でありたい。
過程がのちのち役に立つとか、過程を誰かが評価してくれるとか、そんなことはどーでもいい。
というか、「役に立つ」や「評価される」を考えてしまうと、それは「結果」を求める気持ちになってしまうから。
たとえ役に立たなくても、誰も評価してくれなくても、それでも過程を重んずる心意気というのは、美意識以外にはなかろうて。

それで結果が出せなければ、単なる自己陶酔で終わってしまうのでカッコ悪い。
過程に美意識を込めるからには、結果を出すこと前提でなければならない。
そう思うから、過程を評価してくれとアピールするのは、ちょっとぼくの美意識に反する。
もちろん、他人が勝手に評価してくれるのは大歓迎だけど。

逆に言えば、他人の人となりを評価するには過程を見ろ、ということでもある。
能力の評価は結果で判断すればいいけど、人となりは過程で判断するといいんじゃないかな。
結果だけ出せれば過程なんかどうでもいいって人は、やっぱり「つまんねーヒト」って思っちゃうよね。

勘違いしてはいけないのは、「能力の評価」と「人間性の評価」とは別だということ。
ほとんどの場面で、結果というのは前者、過程というのは後者に関係してくる。
能力の評価で人間性を量ろうとしてはいかんし、人間性の評価を能力の評価に加算してくれと願うのも違う。
このへんをごっちゃにすると、ロクなことにならない。

無難なやり方としては、まずは結果を出すための最短ルートを考える。
あとは、自分の能力と余裕と美意識の許す限りで、その最短ルートをくねくねと面白ルートに延ばしていけばいいんじゃないかな。
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by kude104 | 2008-06-30 23:58
『いい学校・いい会社・いい人生』という物語 - アンカテ

「ブランド」の有無で対立項を作ろうとするから、おかしなことになるのだと思う。
それでは、「いい学校を出ていい会社に入って専門性を獲得すればいいだけのこと」と言われて終わりだろう。

「ブランドつきのいい子」という表現に、肩書きだけ立派で中身の伴わない人というイメージを含ませ、「いい学校を出ていい会社に入った人」=「ブランドつきのいい子」というイメージ操作をしているところがいやらしいというか安っぽい印象を与えている。
いい学校を出ていい会社に入った人が、そうでない人に比べて能力的に劣るというわけでもあるまい。
「いい学校を出ていい会社に入ったからといって優秀とは限らない」というのはその通りだけど、じゃあ、いい学校を出た人間とそうでない人間と、どちらに優秀な人材が豊富かという話になると、たぶん前者だろうと思う。

「いい学校を出ていい会社に入ったからといって、いい人生が送れるとは限らない」というのも、同じ。
だいたい、「いい人生かどうか」なんて主観的すぎて、一般論として語りようがないし。

この話。
要するに、「ブランドつきのいい子」のまま育てば、幸せが約束されている――というわけではない、ということが言いたいのだろうと思う。
ここまでは特に異論はないというか、多くの共感を得られる主張だろうと思う。

で、じゃあどうすればいいの?という次のステップで、「ブランドなんて要らないんだ」という話をするから相手が離れて行っちゃう。
なぜなら、なぜブランド――分かりやすく学歴とするけど、なぜ学歴があっても幸せが約束されないかというと、みんながそこそこの学歴を持つようになって、学歴の希少価値が薄まったからだと思う。
つまり、学歴は要らなくなったんじゃなくて、必須というか「あるのが前提」になったのだ。
そんな時代に「学歴は要らない」なんて言っても、それは共感されないだろう。
だって、「ある」のが前提の時代に「ない」なんて、ハンデにしかならないじゃないか。

そうじゃなくて。
学歴は「あるのが前提」な時代であるということ。
それゆえ、生半可な学歴では、水戸黄門の印籠にはなりえないこと。
この2点を理解すれば、取るべき戦略は2通りになる。
すなわち、突き抜けた学歴を手に入れるか、学歴は平均レベルをキープして、それ以外の「武器」を磨くか。

そうすると、突き抜けた学歴を手に入れるというのは、狭き門を争う競争になるからけっこうリスキーだという話に自然となってくる。
まぁ、感覚としては、甲子園目指して野球するようなもんじゃないですかね。
だったら、うちの子はどうせそこそこの学歴しか望めないから、それ以外の「武器」を磨かせたほうがいいかしら・・・という方向に心が傾くんじゃないかなぁ。

それ以外の「武器」としても、それを磨けばこういう職業に就けるというビジョンが見えるものを提示してあげるといい。
そのビジョンにしても、新しすぎるものはダメ。
「コンピュータスキルを身に付けてネットベンチャーを起こす」などと言うとお母さんがた引いちゃうけど、「有名IT企業への就職にはコンピュータスキルが必要」というと、それは習得させておかないとという気持ちになるんじゃないだろうか。
そうして身につけたコンピュータスキルで何を成すかは、その子供次第だ。

古い「物語」を否定するのではなくて、そこに新しい「物語」を接ぎ木してやるのが巧いやり方なんじゃないかと思う。
そうやって、ある種だまくらかして、社会をシフトさせていくのがいいんじゃないかな。
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by kude104 | 2008-06-21 19:14

JOY JOY JOYPOLIS

毎年虫歯予防デーを祝してブログデザインを変更しているわけですが、今年のデザインはこれで。
文章の表示幅が広いのが気に入りました。

先日は20年来の友人が虫歯予防デーを祝いに梅田くんだりまで来てくれたのですが、あいにくの雨で「なにしようかなぁ・・・」と。
「そういえば、HEP FIVEにジョイポリスがあったよなぁ。まだつぶれてなければ」ということで、男二人で平日の昼日中にジョイポリスまで行ってきた次第。
まだつぶれてなかった。

ちなみに、ジョイポリスはこんなところ
ゲームセンターに毛の生えたようなところというか、テーマパークの毛を剃ったようなところというか。

「どーせ子供だましのしょぼいアトラクションに600円とかありえへんわ」と思いつつも、まぁ、他にすることもないし、時間つぶしのつもりでやってやろうじゃないかと。
まずは「スカイクルージング」という、ふたりでハンググライダーを操作しながらタイムを競う体感ゲームを遊んでみることにしました。

「ハンググライダーゲームごとき、このファミっ子のゲームテクをもってすれば余裕。前の親子連れ、後ろのカップル、俺たちのタイムにひざまづけ!」と舐めてかかっていたら、このハンググライダー、すんげぇ速いの。
あの速度はジェット機並み。
しかも、ハンググライダーの操作ってば、左に曲がりたいときはバーを右に移動させる。でも、上に上昇するときはバーは上に――みたいな感じだから。
おじさん、頭の中こんがらがっちゃって。
崖やら木々やらにガシガシぶつかり、そのたびに座席はガクンガクン揺れるから。
ええ歳したおっさん二人が、ギャーギャー言いながらプレイしている姿は、たぶん見られたものじゃなかっただろうと思う。
でも、おかげで二人の距離はぐっと近づきました。

バカにしていたジョイポリスでしたが、このアトラクションで一気にテンション上がっちゃいまして。
勇んで選んだ次なるアトラクションは、「ワイルドリバー ~スプラッシュ!~」
激流下りのアトラクションですね。
こちらも、隣に座った小学生のお子さんに負けず劣らず、きゃっきゃと楽しんでしまいました。

アトラクション券3枚で1400円というチケットを購入したので、残るアトラクションはひとつ。
さてどれにしようかな、と。
「スカイクルージング」も「ワイルドリバー」も予想以上に楽しくて、ちょっと妙なテンションになっちゃってたんでしょうね。
ここは「スペースゲーニンズ」しかないやろ、と。
絶対面白くないだろうけど、あえてこれをチョイスせずして、なんの男かと。

アトラクションが終わった後、さっきまでのテンションの高さが嘘のよう。
このアトラクションの担当になってしまったスタッフのお姉さんの気持ちとか、何も知らずに並んでいる子供たちの数分後とかを思うと、なんだかすごく悲しい気持ちでジョイポリスを後にすることとなりました。

「すべる」ということを舐めたらアカンと思い知った誕生日前の一日でした。
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by kude104 | 2008-06-04 17:56

心の健康を大切に

てんこもり。 【生活】自殺した人と最後に会った時どんな感じだった?

自殺しちゃう人というのは、きっと、「命よりも大切なもの」をなくしちゃったんだろうな。
それはなんだったんだろう。

「心と身体」というように、人が生きるためには、身体の健康と同じくらい心の健康が必要なのだろう。
「そりゃそうだ」と分かっているのに、ぼくらは、心が風邪をひいたり傷ついたり疲労したり病気になって弱ってしまっても、滅多に医者にかからないよね。
心の治癒力を過信し過ぎてやいませんか。
心だって身体の器官の一部なのに、心だけなにか別扱いに考えてしまっているような気がします。

「ちょっと心の調子が悪いな」と思ったら、すぐに医者に診てもらう。
そうしたことが当たり前になると、少しは自殺も減らせるんじゃないだろうか。
まずは、学校や会社の健康診断に、心の健康診断も取り入れてはどうだろうね。
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by kude104 | 2008-05-26 23:59

生理的に受け付けない

生理的に受け付けないのでエロゲーは規制すべきだ - P2Pとかその辺のお話@はてな

このエントリーの趣旨に同意する一方で、「生理的に受け付けないのでエロゲーは規制すべきだ」という気持ちも分からないではない。
「分からないではない」であって、賛同するものではないけど。

凌辱系というのですか、そうしたエロコンテンツに女性のひとが嫌悪感を抱く気持をぼくなりに想像してみるに、たとえば、どこかの国で日本人を惨殺して惨殺して惨殺しまくるゲームが人気です、という話を聞いたとき、たぶんぼくらはぞっとするんじゃないかと思うんですよね。
もちろん、その国の人は言うでしょう。
「いや、日本人を惨殺して遊んでいるのは、あくまでもゲームの中だけですよ」
「現実では惨殺できないから、ゲームの中で惨殺して発散しているのです」
「惨殺ゲームで発散しているおかげで、むしろ、日本人が殺されずに済んでいるのです」
それはその通りなのだけど、ゲームの中で日本人を惨殺して快感を覚えている人たちを、ぼくらはやっぱり生理的に気味悪く思うんじゃないかな。
もしそれがお隣の国で発売されているなんて話になれば、「これはひどい」タグ付きまくりじゃないでしょうか。

そう考えれば、「生理的に受け付けないので規制すべきだ」と言いたい気持ちは分からんではない。

でもって、こうした「生理的に受け付けないので規制すべきだ」という、言わば感情的な言動が正義として通ってしまうことが、世の中往々にしてある。
たとえば、18禁であるとかモザイクであるとか、ああしたものに「データに基づく客観的な根拠」があるとは思えない。
「生理的に受け付けない」という人が多数を占めて、「規制すべきだ」に共感が集まれば、それで正義がまかり通るのだから。

なので、「規制したけりゃデータを出せ」と余裕を見せていないで、エロゲー支持者のほうが「エロゲーは無害です」という客観的なデータを揃えて権利を勝ち取るつもりでいたほうが良かろうと思います。
不公平だけど、マイノリティーのほうが闘争して勝ち取らなければ潰されちゃうので。
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by kude104 | 2008-05-25 21:00

夢見て恋、覚めても愛

多分夢見ることが悪いんじゃない - pouda::memo

ぼくは自分のToDo リストの中で恋愛の優先順位がけっこう低いのですが、この文章を読んで、そう言えば、ぼくは恋愛で「自己承認」を満たそうと思ったことがないよなーと気付いた。

もちろんぼくにも「他人に認められたい」という欲求は多分にあるのだけど、そのエネルギーは恋愛に向うよりも、「すごいソフトウェアなりネットサービスなりを作って認められたい」という方向に向かう。

ドラマなんかでよくキャリアウーマンが「いまは恋愛よりも仕事」なんて言うシーンがありますが、ああしたことも、「何によって自己承認を得ようとするか」という視点で捉えると面白いね。
一昔前の(今でも、かな)女性というのは、あまり社会進出できなかったので、仕事で自己承認を得られる機会がほとんどなかったわけで。
そうすると、恋愛で自己承認してもらうしかないじゃないですか・・・と。
「男は仕事、女は恋愛」となりがちなのも、そうしたことが理由のひとつにあるのかもしれない。

それにしても、そうか、「恋愛に自己承認を求める」なぁ。
言われてみれば、その発想は無かったわ。
ぼくの恋愛がだいたい上手くいかないのも、そのへんに原因があるのかもね。

恋愛相手に自己承認を求めるという発想がないので、相手の「あなたを承認していますよ」というシグナルに気付かず、相手の「わたしを承認して」というシグナルにも気付かない。
そりゃ駄目だわ。

「恋愛に」というのは勘違いしてるとしても、「恋愛相手に」救済してもらうくらいの甘えがないと、恋愛などできはしないのだろう。
次は失敗しないように、ちゃんとメモしておかなきゃ。
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by kude104 | 2008-05-24 19:19

ぼくはせんとくんに1票

ねとらぼ:「せんとくん」対抗キャラ、ネットで投票受け付け中 - ITmedia News

これによって、逆に、“せんとくん”がいかに強力なキャラクターであるかが顕わになっているような気がする。
新キャラ候補30点はたしかにどれも可愛いけど、せんとくんの前では、どれもなんだか「ありがち」なキャラクターに見えてしまうね。

可愛いけどワン・オブ・ゼムなキャラクターと、キモいけどオンリー・ワンなキャラクター。
つまりはマスコットキャラクターにどういう役割を持たせるかなんだけど。
たしかに、せんとくんの着ぐるみが近づいてきたら、子供は泣く(ミジンコの微生物的視点 - [画像] トラウマになる「せんとくん」)。
だから、「子供に愛されるキャラクター」の役割はまったく果たせないだろうけど、でも、「話題性を振りまく」という役割は大いに期待できる(J-CASTニュース : 奈良の「せんとくん」宣伝効果 なんと15億円)。
「なまはげ」みたいな、子供に愛されないキャラクターもありだと思うんだけどなぁ。

とても優しくて子供好きで、一生懸命仲良くしようと頑張るんだけど、キモいからいつも嫌われてばかり――というキャラクター設定はどうだろう。
ちょっとこう、キュンとくるじゃないですか。
みんなを楽しませようと、カッコいいダンスとか一生懸命踊るんだけど、動きにキレがあればあるほどキモさが増す。
そんなふうに、みんなにキモいキモいと言われても、笑顔で手を振るせんとくん。
それがまた、キモい。
イベント終了後に、ひとり控室で寂しそうにうなだれているせんとくんの姿を想像すると、ひしと抱きしめてあげたくなるじゃないですか。
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by kude104 | 2008-05-20 18:11
だいたい、聖書なんて長い年月にわたって人間が書いて人間が取捨選択してきた文章の集合体なんだから、そりゃあ矛盾や破綻があって当然なわけで。
それを、「聖書には一字一句の間違いもない」とするから無理が生じる。

キリスト教が誕生したときに、旧約聖書をリファインしておけばよかったのにと思う。
そうすれば、もうちょっと無理なく神を語れただろうに。
まぁ、誕生時のキリスト教はユダヤ教の一派という位置づけなので、現実問題リファインなんて無理なんだけど、せっかくのチャンスだったのに惜しいことをした。

イスラム教については詳しく知らないのだけど、もしかしたら、ある程度のリファインに成功しているのかもしれない。
よく知らないけど、旧約聖書や福音書なんかを継承しつつも、「それらには間違いも含まれているので、正しくはコーランを参照のこと」という位置づけじゃなかったかしら。

いずれにしても、時代が変わり生活様式が変わり社会の常識や道徳基準が変わることで、教義も時代に即さなくなってくる。
そうなると、生活を教義に合わせるか、教義を生活に合わせるか、あるいは教義を捨てるか、いずれかを選択しなければならない。

多くは解釈を変えることでどうにか教義を生活に合わせているようだけど、いずれ限界が来るか、継ぎ接ぎだらけで見られたものじゃなくなるだろう。
「いっそ新たに一から作り直そう」という機運は、いずれ出てくると思うけどなぁ。
イスラム教が誕生してからだって、もう1400年にもなる。
そろそろ、次の世界宗教が出てきてもおかしくないと思うんだけど。
ある種、近代社会の政治・経済・科学の思想が、「新たな宗教」の位置づけを占めていたのかな。
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by kude104 | 2008-05-19 21:36
F速VIP(・ω・)y-~ たまに来るエホバの女勧誘員を家に連れ込んでヤっちゃ駄目?

宗教を信じる「無知」と、宗教を信じない「下衆」と、どっちがましかと言えば、前者だな。

うちにも宗教の勧誘の人が来るけど、話をしてると結構面白いよ。
べつに「特定の宗教を信仰している」というだけで、いたって普通の人だけどなぁ。
宗教を信仰している人と、信仰していない人とが、お互いにお互いを尊重すればいいだけのことじゃないかと思うのだけど。
無理に信仰を押し付けようとする人と、無理に信仰を否定しようとする人と、どっちも同じ穴の狢だろうに。

たしかに、聖書には論理的に見れば様々な矛盾や破綻があって、聖書に立脚する教えも当然そうした矛盾を引きずっているのだけど、そのことを指摘されて泣いたり動揺したり怒ったりするような信者なんて、たいしたことはない。
そういう指摘して相手が答えられないのを見て楽しむのは、まぁ、趣味が悪いねとしか言いようがない。
本物の信者は、たぶん、世界中のすべての人が神を否定し、神の不在が科学的に証明されたとしても、それでも神を信じるだろう。

なぜなら、信じることに、本来、論理性は不要だから。
彼ら信者にとって、教えを論理的に説明することは手段であって目的ではない。

たとえば、親しい人を亡くして悲嘆に暮れている人に、人間の感情はただの電気信号で、死ねば肉体はただの物質となって朽ち果て消滅するだけだと論理的に説明してなんになる。
それよりは、「あなたの親しい人は天国で幸せに暮らしています」という非論理的な説明のほうが、宗教としては正しい。

そして「科学」にしたところで、たとえば、宇宙はビックバンによって無から生まれたという。
これを論理的に説明できる人って、いったいどれくらいいるのだろう。
ぼくは正直よく分からない。
だけど、「宇宙はビックバンによって無から生まれた」という話を信じているわけで、これってつまり、「宇宙は神様が作った」という話を信じているのといったい何が違うのか。

あるいは、公理とは 「証明する必要のない、明らかに自明な法則」だという。
信者の人たちにとって、「神」とは言わば公理なのではないだろうか。
ならば、科学の公理に疑問を抱いたことのない人が、宗教の公理に疑問を抱いたことのない人を笑うのは滑稽じゃないだろうか。

ぼくは宗教よりも科学を信じているわけだけど、科学にしたところで突き詰めれば「信じる」というレベルの話だと思うわけで。
理想的には、物質的なところでは科学を信じて、精神的なところでは宗教を信じる、そうしたハイブリッドな人というのが一番安定していそうな気がする。
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by kude104 | 2008-05-16 23:21