ぼくはここにいるよ
2008年 07月 12日
インターネット時代の「孤独」 - 琥珀色の戯言
『世界』が増えれば、それだけ『孤独』も増えるのだろう。
『孤独の数値化』というのはあれですね。
スカウターがなくてもヤムチャが弱いことは分かるけど、『戦闘力』として数値化されることで、“どれだけ弱いか”が明白になるということですね。
『孤独』の話で、ぼくには思いだす漫画がふたつあって。
ひとつは、ぼくの心のバイブルとも言える『ぼのぼの』。
「理由はないけど寂しくなるときがある」というテーマの回がありまして。
どういうときに寂しくなる?とか、どうして寂しくなるのか?と、ぼのぼのたちは考えます。
「どうして寂しくなるのか?」という問いに、アライグマくんはこう答えます。
「自分はひとりなんだということを思い出すからさ。
ともだちと楽しく遊んでても、親といっしょにめしを食ったりしてても、
自分はひとりだっていうことを思い出すからさ」
一方、アナグマくんは、「別にオレ、さびしいとか感じたことがない」と言います。
「だって、みんなひとりだろ」と。
もうひとつは、ここでもたびたび登場する『カイジ』。
鉄骨渡りの回で、人というのは結局孤独なのだと作者は語る。
心は理解されない。誰にも伝わらない。
ひとは理解や愛情を求めて、求めて求めて求め続けて、孤独のまま死んでいくのだと。
でも、と作者は続ける。
どんなに言葉を発したところで、きっと理解してもらえないとしても、それでも言葉を発し続けようと。
なぜなら、確かに伝わるものがひとつだけあるから。
それは、ここにいて、言葉を発している者の存在。
その儚い点滅だけは伝わるから――と。
ブログを書くということも、もしかしたら、「ぼくはここにいるよ」という存在の点滅なのかも知れないね。
それ以上でも、それ以下でもないのかもしれない。
『世界』が増えれば、それだけ『孤独』も増えるのだろう。
『孤独の数値化』というのはあれですね。
スカウターがなくてもヤムチャが弱いことは分かるけど、『戦闘力』として数値化されることで、“どれだけ弱いか”が明白になるということですね。
『孤独』の話で、ぼくには思いだす漫画がふたつあって。
ひとつは、ぼくの心のバイブルとも言える『ぼのぼの』。
「理由はないけど寂しくなるときがある」というテーマの回がありまして。
どういうときに寂しくなる?とか、どうして寂しくなるのか?と、ぼのぼのたちは考えます。
「どうして寂しくなるのか?」という問いに、アライグマくんはこう答えます。
「自分はひとりなんだということを思い出すからさ。
ともだちと楽しく遊んでても、親といっしょにめしを食ったりしてても、
自分はひとりだっていうことを思い出すからさ」
一方、アナグマくんは、「別にオレ、さびしいとか感じたことがない」と言います。
「だって、みんなひとりだろ」と。
もうひとつは、ここでもたびたび登場する『カイジ』。
鉄骨渡りの回で、人というのは結局孤独なのだと作者は語る。
心は理解されない。誰にも伝わらない。
ひとは理解や愛情を求めて、求めて求めて求め続けて、孤独のまま死んでいくのだと。
でも、と作者は続ける。
どんなに言葉を発したところで、きっと理解してもらえないとしても、それでも言葉を発し続けようと。
なぜなら、確かに伝わるものがひとつだけあるから。
それは、ここにいて、言葉を発している者の存在。
その儚い点滅だけは伝わるから――と。
ブログを書くということも、もしかしたら、「ぼくはここにいるよ」という存在の点滅なのかも知れないね。
それ以上でも、それ以下でもないのかもしれない。
by kude104
| 2008-07-12 22:51
| PC&ネット